Fate/DebiRion.   作:遥野みしん

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120話のカリバーンを投影する際の描写を修正しました。


121.聖杯問答

 火災の収まった夜の森を月の優しい光が包み込む。

 森を疾駆する巨大な黒馬に赤いマントを翻らせ、ライダー、アレキサンダーは笑みを浮かべていた。

 

 ライダーが視線を横に向けると、宙に浮いてライダーについてくる鷹宮リオンとでびでび・でびるがいた。態勢が安定したのを見計らい、鷹宮が黄金の鎌を振るう。

 

 ライダーは笑い、片手で握っていた手綱を離し、馬の背から離れて宙返りを決める。襲い来る鎌を眼下に素通りさせ、ライダーは再び馬の背に返る。手綱を打って自らの愛馬ブケファラスに合図を出すと、ブケファラスは少しずつ走力を上げていく。

 それでもついてくる二人にライダーは目を細めて軽やかに笑った。

 

「へえ、これについてこれるんだ」

 

 対して鷹宮が自信満々に言って見せる。

 

「ふんっ、当ったり前でしょ。でび言ってやんな!」

 

 が、でびるの返事はない。

 

「で、でび……?」

 

 鷹宮が心配するように振り返ると、でびるはげっそりした表情で鷹宮の方につかまり、ひゅーひゅーと息を切らしていた。でびるは鷹宮を見ると真顔になって言う。

 

「ごめん、全然無理だったわ」

「えぇ……」

 

 浮遊する鷹宮とでびるはみるみるうちに失速し、やがて地面に足を着けて立ち止る。二人は遠ざかっていくライダーのマントを寂しそうに見つめることになった。

 

 立ち尽くす二人に向け、森の奥から黄金の光が瞬いた。セイバーが魔力を噴出して木々の隙間を突っ切ってきたのだ。

 

「小娘っ!」

「え、あっ」

 

 でびるが鷹宮の体を魔力で逃そうとしたのに加え、鷹宮が慌てて鎌の後ろに隠れようとしたのもあって、セイバーの剣は鷹宮の前面を遮るように構えられていた鎌に衝突する。

 

「うぎゃっ!」

 

と短い悲鳴を漏らし、鷹宮は思いっきり吹き飛ばされた。

 

「んしょっ、んしょっ」

 

と悪魔がなんとか魔力で引っ張って木々への衝突は避けられたものの、セイバーは追撃すべく迫っていた。

 

「小娘、大丈夫?」

「んーなんとかね」

「ブレーキかけるよ!」

「ッ! 了解!」

 

 吹っ飛ばされていた鷹宮の体は体勢を立て直し、そのスピードにブレーキがかかる。

 

 鷹宮は迫りつつあるセイバー向けて魔力を圧縮した黒い光線を放つが、セイバーは光線の下に潜り込むようにして躱すと、勢いを殺さずに鷹宮に斬りかかる。

 

 鷹宮もまた鎌を振るう。恐らく恐怖からの無意識だろう、振り切らずに中途半端に鎌が体の前に残る。しかし、それで防御が間に合い助かることになった。

 

「ぐうっ、重てぇっ」

 

 でびるが苦悶の声を上げる。

 

「わっ、いやっ、ひぃっ」

 

 鷹宮も短い悲鳴を何度も漏らす。接近して腕を折り畳み、体を柔らかく使ったセイバーのコンパクトな斬撃は、鷹宮からは四方八方から剣を浴びせられているように見えていた。目の前で繰り広げられる剣の絶技に目を回し、その体を振り回される。

 

 セイバーが鎌を下から弾き飛ばそうとし、斬り上げを行った。反射的に身を引いた鷹宮の手は鎌を離してしまうが、これをでびるがサポート、飛びそうになる鎌と鷹宮の体を調整して再び鷹宮は鎌を握る。

 そして飛んでいくはずだった鎌の勢いを利用して鷹宮は結果的に回転斬りを見舞うことになるが、これすらも剣で逸らされ、次には鎌を乗り越えるようなセイバーのカウンターの突きが来る。

 

「きゃっ!」

 

 と悲鳴を上げながらも、鷹宮は鎌を手の中で回転させ突きを逸らす。鷹宮はすぐにでびるに合図して鎌を巨大化させると、歯を食いしばって大きく横薙ぎに振るった。

 

 辺り一帯が鷹宮の腰上で切り裂かれ、周囲の木々が次々と倒れていく。鷹宮は頭上を見上げた。セイバーは宙を舞っていた。

 

ドレスのスカートの襞が月光に透かされるようにひらひらと舞う、その一瞬を鷹宮は時間が止まったかのように見上げていたが、セイバーは聖剣を構え、魔力を噴出する。回転斬りだった。

 

 あわあわする二人の頭上を巨大な影が覆った。斬撃がぶつかり合う。セイバーの回転斬りを黒馬に乗ったライダーが剣で受け止めていた。

 

 セイバーは二人から離れて着地する。一方、ライダーは突っ立っている二人の傍に着地すると、馬上から降りて言う。

 

「大丈夫かい?」

 

 鷹宮は泣きそうな顔ででびるに抱き着いて言う。

 

「い、生きてる……!」

 

 でびるも鷹宮を抱きしめて言う。

 

「すごいよ! 小娘の実力だよ!」

 

 守ってやったにもかかわらず二人の世界に入られ、ライダーは拗ねたように唇を尖らし、足元の土を蹴飛ばして言った。

 

「向こうが警戒して慎重になってたからだよ」

 

 そんな三人を見つめ、セイバーは構えた剣を一度下ろして言った。

 

「ライダー、貴公はそこの二人の味方をするのか?」

「ん? いやぁ、まだ決めてないね」

 

 歯切れの悪いライダーの言葉にセイバーは眉をひそめて言う。

 

「決めていないだと? いったい、何を決める必要があるという」

「そりゃあ、僕が最後に誰と戦いたいか。そして、誰を最初に落とすか……ってところかな」

 

 軽く笑って見せたライダーだったが、予想だにしなかったのだろう。セイバーは明らかにむっとした表情を見せる。

 

「傲慢な……」

「だってそうでしょ? 考えてもみてよ。僕ライダーなんだよ? いつだってチャイカを連れてこの戦場から離脱できるお気楽な立場さ。君らがどんな手段を使ったって、ブケファラスには追いつけない。ぜーったいに、捕まりはしない」

 

 そう言ってライダーはセイバーからは視線をそらさず、傍らの黒馬・ブケファラスのたくましい首を撫でてやる。

 

 セイバーから静かな殺気がこぼれ出したのを見て取り、ライダーはそれを宥めるように話題を切り替えた。

 

「まあまあ。ところでさ、そこの二人の願いはさっき聞いたんだけど。セイバー? 貴方の願いだけはまだ聞いてなかった。聞かせてもらえないかな。貴方が戦う理由を」

 

 セイバーはやや前傾して今にも飛び出そうとしていた構えを解く。

 求められているのはある種の名乗りなのだ。恐らくライダーは最初からその話をするためだけに、わざわざ危険を冒して馬から降りている。

 

 征服王……か。小さく呟き、一瞬だけ含むように笑うと、セイバーは一歩前に出て胸に手を当て言った。

 

「答えよう、ライダー。我が願いは一つ……我が祖国の、王の選定のやり直しだ」

 

 迷いはあったが、しかしセイバーの目はまっすぐにライダーを捉え、ライダーはそれに答えるようにまっすぐ見つめ返した。

 じき、ライダーは言った。

 

「わかるよ」

 

 ライダーは目を瞑ると、あえてセイバーから目を逸らして言う。

 

「こう見えて僕はまだ子供なんだ。アリストテレス先生から王とはいかにあるべきか、国とはいかにして統治するべきかを学んで、それを実践する日を心待ちにしてるばかりの、ね。でも、それと同時に僕の人生はもう終わってるんだよ。未来の僕は国や臣下も顧みずに領土を広げ続け、あっさりとくたばった。広げた領土もさんざんに分裂して、臣下たちの争いの火種にしかならなかったね」

 

 黙って聞き入っているセイバーに重たく這うような遅さで視線を戻し、ライダーは言った。

 

「未来の僕なら何て言うんだろうね。でも、今の僕にはわかるんだよ。少しだけど、セイバー、貴方の気持ちが」

 

 セイバーは自分の言葉が受け入れられたことを意外に思っているようだった。

 

「そう、か」

「うん。ただし、僕と貴方とで違うところもある」

 

 そう言って、ライダーは再びセイバーの目を見て付け足した。

 

「貴方も僕もやり直したい、そこは一緒なんだろうね。でも、貴方は過去をやり直したいと思ってる。そして、僕は未来をやり直したいと思ってるんだ」

「それはどういう……」

 

 セイバーの疑問に答えるようにライダーは笑って言った。

 

「言おうかセイバー。僕の聖杯にかける願い、それは受肉だよ」

 

 セイバーが目を震わせる。

 

「受肉だと? まさか貴公はまた」

「そうさ。この世界に再び蘇って征服する。新しい仲間と、新しい世界を。そして自分が失敗した未来すらも征服して見せるんだ」

 

 獰猛ともいえる笑みをたたえたライダーに対して、セイバーの顔にも緊張感と、そして目の前の少年にたいする称賛をたたえた笑みが浮かべられていた。

 

「我が願い、我が生涯を征服の通過点と定めたか、征服王……!」

 

 構えられた剣とは反対に嬉しそうな声だった。それに応じてライダーも声を上げた。

 

「そうだね! たった今そうなった!」

 

 セイバーの剣から黄金の光が噴出する。一気に距離を詰めてくるセイバーにも構わず、ライダーは笑みを崩さず剣を構えもしない。ライダーの手は傍らの鷹宮の方へと伸びた。

 

「ちょっと失礼するよ」

「え? ぐぇっ」

「小娘⁉」

 

 セイバーとライダーのやり取りを神妙な顔で聞き、緊張感を壊さないよう空気に徹していた鷹宮の襟首をライダーが引っ掴む。でびるの意識の隙もついてライダーは鷹宮を振り回すような勢いで自身とセイバーの間に割り込ませた。

 

 鷹宮の眼前にセイバーが迫る!

 

「嘘ぉ⁉ 死ぬ、死んじゃう!」

 

 鷹宮は恐怖のままにわけもわからず鎌を振り回す。それにも反応して身をかがめ、さらに体を横に逸らしてかわすセイバーに向けて、鷹宮の背後に隠れていたライダーが突きを放つ。セイバーはこれを避けられず咄嗟に腕甲で受けた。

 

 後ろに飛ばされそうになるのをなんとかこらえ、その場に踏みとどまったセイバーを置いて、ライダーは鷹宮を放って黒馬に飛び乗った。

 

「へへっ」

 

 と笑いを残してライダーは馬を走らせ、それをセイバーが魔力を噴出し追いかける。鷹宮とでびるは何が何だかわからず、その場に取り残された。

 

   〇

 

「もう滅茶苦茶だよ……」

「だいたいあのライダーって奴が悪くねえか?」

 

 鷹宮は鎌を肩に引っ提げその場にしゃがみ込み、でびるは鷹宮の頭の上にぽすっと腰を落ち着けた。

 

「うちの陣営が特殊なだけで、サーヴァントになるような英雄ってみんなああなのかも」

 

 鷹宮は疲れたような表情でぽつんと呟く。

 

「ちょっと、一緒にしないでください。うちのセイバーちゃんはいい子なんですから」

「え?」

 

 抗議の声とともにひょこっと木の影から顔を出したのはシスタークレアだった。クレアは月明りの下、後ろに手を組んでほほ笑みを浮かべていた。

 

 疲労ゆえか二人の反応は遅れ気味だったが、ため息をついてでびるが言う。

 

「いや、アイツも一緒だろ」

「そーだそーだ」

 

 と鷹宮もだらけきった声で続く。

 

「あたし、切り刻まれそうになったんだから……」

「あれ、でも僕らも切り刻もうとしたことね?」

「そうでした……」

 

 二人のやりとりは鷹宮が悲しそうに肩を落として自己完結してしまう。クレアは苦笑するしかなかった。

 

「ところでなんですけど、委員長と会ったっていうのは本当ですか?」

「え、会いましたけど」

 

 突然何を聞くのかと不審な顔をする鷹宮。クレアは語調は柔らかなまま、しかし表情を硬くして尋ねる。

 

「元気そうでしたか?」

「元気なんてもんじゃ……悪魔です、悪魔!」

「悪魔なんてもんじゃないよ! あれは悪魔なんかよりもよっぽど恐ろしい何かだ!」

 

 思い出したくもない酷いことがあったらしい、苦痛を目に訴える二人にはクレアの硬かった表情も解けて眉を困らせる。

 

「み、みとさんは相変わらずのようでよかったです……あはは」

「クレアさん」

 

 唐突に投げかけられた声にドキリとしながらもクレアは声をかけた鷹宮の方を見た。鷹宮はぎこちなく笑うクレアに向けて言った。

 

「どうして聖堂教会を離れたんですか?」

 

 その言葉を徐々に受け入れるように、クレアはゆっくりと笑みを引っ込める。

 

 でびるは鷹宮に便乗して文句を言おうと思ったが、クレアの表情と真剣に返答を待つ鷹宮の表情を見比べて黙り込んだ。

 

 クレアは遠くを見つめるような眼差しで一呼吸を置き、言った。

 

「私に語り掛けてくれていた、神様は、違う神様だとわかったんです」

 

 クレアは呆気にとられたような二人の顔を見ると、空気を少し緩めるようにして笑う。

 

「私が鈍くてずっと気づかないでいたんですけど、ほら、聖堂教会の人たちとも仲良くやれていたので、何も問題ないと思うじゃないですか……?」

「いや、滅茶苦茶⁉ ……じゃないですか」

 

 思わず声を張り上げた鷹宮だったが、すぐ取ってつけたような敬語を足す。鷹宮は頭の中を整理するように言った。

 

「つまり、あれですよね。聖書の神様を信仰してなかったのに、奇蹟も使えて誰にもバレてなかったってことですよね?」

「いえ、もうちょっと複雑なあれこれはあるんですけど……でもまあ、そういうことになっちゃいますね……」

 

 少し恥ずかしそうにしてクレアが笑う。

 

「たぶん、神様の性質も関係していたんだと思います。あるときは女の人の声で聞こえたり、ある時は男の人の声で聞こえたり、子どもっぽかったり、厳然とした大人の人だったり、色んな声で神様は私に声を聞かせてくれてたんです。どれが本当の神様の声なんだろう、なんて考えていた時期もありましたが、たぶん、あれ全部が正しく神様の声だったんですね」

 

 神様の声を思い出しているのだろうか、クレアの目線は、声は、少し前向きになって明るいものへと変わっていく。

 

「たくさんの声の神様だから、聖書の神様とも仲がよくて、聖書の神様も私に奇蹟を赦してくれているのだと思っていました。違う神様同士だって仲良くなれる。だからこそ、違う人間同士だって仲良くなれるんだって、神様は私を勇気づけてくれる存在だったんです」

 

 だが、そこで再びクレアは誤魔化すように小さく笑みを浮かべた。虚しい笑いだった。

 

「まあ、実際厳しかったです。私の身の回りですら止められない決裂が幾つもあり、分かり合えない人がたくさんいました……たくさんの考えの狭間に、何かを選ばなきゃいけないと焦っていた時、出会ったんです。委員長、月ノ美兎さんに」

 

 そこで出てきた名前に鷹宮とでびるが反応する。身を乗り出した二人を見てクレアは少し嬉しそうに続きを語った。

 

「委員長は言ってくれました。私の言うことは間違ってないと。私の思い描く世界を見てみたいと」

 

 だから……。

 と、クレアは拳を硬く握りしめ、しっかりと目を開いて二人を眼差し、言った。

 

「止まれないんです。私はもう」

 

 空気の急変を感じ取り、慌てて腰を浮かそうとした二人に向け、クレアは吸った息を重々しく吐き出すようにして唇を開く。

 

「私が、殺す」

 

 二人の全身を悪寒が走り抜ける。でびるがわなわなと震える手でクレアを指差した。

 

「お、お前、シスターそれって……」

 

「私が、生かす」

 

 クレアが両腕を拡げると、夜空からカーテンのように揺れる光がこの場を大きく取り囲むように降ってくる。

 

「結界⁉ 準備してたの? これまっず⁉」

 

 まだ捨てきれていなかった迷いをようやく捨て、クレアは力強い声で朗誦した。

 

 

 私が傷つけ、私が癒す。我が手を逃れうる者は一人もいない。我が目の届かぬ者は一人もいない。

 

 打ち砕かれよ。

 敗れたもの、老いた者を私が招く。私に委ね、私に学び、私に従え。

 

 休息を。

 唄を忘れず、祈りを忘れず、私を忘れず、私は軽く、あらゆる重みを忘れさせる。

 

 装うなかれ。

 許しには報復を、信頼には裏切りを、希望には絶望を、光あるものには闇を、生あるものには暗い死を。

 

 休息は私の手に。貴方の罪に油を注ぎ印を記そう。

 

 永遠の命は、死の中でこそ、与えられる。

 

 洗礼詠唱の眩い光の中で、二人からマシンガンのように降り注ぐ色とりどりの魔術にクレアの結界は揺るがない。

 

 さっきはああは言ってしまったが、聖書の主の愛を感じなかった日など一日もなく、主はいつだってクレアにたくさんのものを与えてくれる存在だった。

 

 今だってそうだ、恐らく悪魔の力が絡んでいるからだろう、主はでびでび・でびると鷹宮リオンの魔術からクレアを守ってくれていた。

 

 感謝します、主よ。

 そう心の中で呟き、クレアは頭上に掲げていた手を振り下ろすように二人に向けて言う。

 

「許しはここに 受肉した私が誓う」

 

「こんのぉ!」

 

 高速で飛び込んできた鷹宮がクレアの眼前で鎌を振るった。鎌が結界内にやすやすと侵入してきたのを見て、クレアは思わず身をすくませて目を瞑る。

 

 目の前の結界は確かに切り裂かれてはいた。それはクレアがいる限り自動で修復されていく。

 

 クレアが振り返ると、鎌を振り抜いた体勢の鷹宮と目が合い、一瞬二人の間に奇妙な間が生まれる。だが、すぐにクレアは自分の体の無事を確信して、でびでび・でびるの方を手で示し、最後の言葉を唱えようとした。

 

 そこで、クレアは口を閉ざした。詠唱の光は徐々に失われ、やがては月夜の暗さが辺りに戻ってくる。

 

 張っていた胸を静かに撫で下ろし、クレアは言った。

 

「わからない人だなって思う時もあるけど、でも、私は叶さんを優しい人だと思ってますよ」

「自分でもねぇ、そうなんじゃないかなって思う時はありますよ」

 

 クレアはゆっくりと頭上を見上げた。そこには白い羽根を拡げて銃口をクレアに向ける叶の姿があった。

 

「それが今なんですか?」

 

 と冗談めいた口調でクレアが言った。叶はそれには答えなかった。銃を下ろし、クレアに言う。

 

「クレアさん、ついて来てください。話さなくてはいけないことがあります」

 

 叶の態度に疑問を覚え、クレアはじっと叶の目を見つめたが、やがて表情も穏やかに言った。

 

「どうやら、長い旅を終えられたようで。迷いはないということですね」

 

 苦笑し、叶は言う。

 

「そういうことです」

 

 叶は無言で見つめてくるクレアの視線を嫌がったか、すぐにその場を離れて飛んでいく。

 

 クレアはそれを見上げ、呆然と突っ立つ鷹宮リオンとでびでび・でびるの方を一瞥する。

 

 そこで、でびるが声を上げた。

 

「シスター!」

 

 クレアは表情を変えず、でびるの方を見る。でびるは言った。

 

「お前言ったよな? お前の神様は僕の存在を許すって。お前はどうなんだ? 神様はお前に何も言ってくれないのかよ? お前、このままだとなんかかわいそうじゃね? 声は? 神様の声は……今も聞こえてんのか?」

 

 クレアの表情が揺れたのをでびるは見逃さなかった。だが、何かを追及される前にクレアが言う。

 

「でびちゃんは優しいんですね」

 

 クレアは叶を追いかけようと半身になっていた体を完全にでびるの方に向け、少し空を仰ぐようにして言う。

 

「神様はいつも私に声をかけてくれています。今も耳をすませば聞こえてきますよ。私は十分頑張った。これ以上辛いことなんかやっちゃだめだ。私は幸せになっていいんだって」

 

 一瞬だけだが、クレアの声や表情に調和が訪れる。

 

 これなんだ……と鷹宮は思う。神の声に耳を傾けたからだろうか。たぶん、これがこの人の本当の……。だが、鷹宮の隣ではでびるがとても難しい顔をしていた。

 

 クレアはくすっと笑う。その笑いにはもう調和はない。調和を体現していた今の自分を軽やかに嘲笑する笑いだった。クレアはそんな笑い混じりに言う。

 

「でも、私が幸せになったってねえ……」

 

 すっと、その顔から笑みが消える。クレアはこう続けた。

 

「何の意味もないですから」

 

 

 ぶかぶかの白い上着を羽織り、頭には兎の耳を象ったカチューシャの布が揺れていた。バルコニーの淵に立つその背中はあまりに大きく、それでいて自由だった。

 

 そんな彼女が振り返ってみれば、上着に包まれた体は小さく、真っ赤なスカートに胸元にはちょうちょ結びのリボンもあって、その印象は未成年の女の子と見まごうほど幼かった。彼女は言った。

 

「へえ、いいじゃん。面白いじゃん。やろうよ、作ろうよ。わたくしも見てみたいなぁ。クレアさんの理想の世界」

 

 クレアはハッとして返す。

 

「そんな、迷惑をおかけしてしまいますから」

「ううん、そんなことない。っていうかもう、わたくしのところに来たらいいじゃん」

 

 そうして彼女は手を差し出す。あまりの急展開に脳が追い付かない。彼女の瞳の中の宇宙には何が映し出されているというのか。

 クレアがのぞき込んで見えたものは、期待だった。クレアへの。そして何より、自分たちの幸せな未来への。

 

 クレアは、その手を取った。彼女は笑ってクレアの手をぎゅっと握りながら言う。

 

「さあて、これからクレアさんの爪垢を全人類に煎じて飲まさないとですね!」

「や、やめてください……」

 

 クレアは困惑しながらも、自分の手の中にある自分よりも小さな手を握り込む。目の前に輝く宇宙のような瞳を見つめるその目には、希望が映り始めていた。

 

 これから、全てがよくなっていくと。

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