Fate/DebiRion.   作:遥野みしん

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122.光の奔流

 中庭の方からささやき合うような鳥たちの声が聞こえてくる。いつもの甲冑を外して青いドレス姿になったセイバーは、回廊の一画に設えられた席から中庭の空を見上げていた。

 

「大変お待たせいたしました。ただ今お入れしますね」

 

 シスター・クレアはセイバーの前に現れて、パタパタとしながらも手際よく準備を進めていく。セイバーの強張っていた頬は次第に緩んでいった。

 

「いえ、こちらこそ準備を任せきりにしてしまって。なんとお礼を言ったらいいか」

 

 ふっとクレアがほほ笑む。クレアは丸みを帯びたティーポットを傾け、受け皿に置かれたカップに紅茶を注ぎ入れる。カップと受け皿の軽い接触音が鳴り、セイバーの前に紅茶のカップは置かれた。

 

 澄んだ紅茶を通して緩やかに湾曲する白いカップの底が見える。この紅茶自体の仕掛けなのだろう、溶け出した銀粉が紅茶の中を漂っている。セイバーは顔を上げた。

 

「あまい匂いがします。ベリーですか?」

「そのとおりです」

 

 クレアはほほ笑み、レースで編まれたカバーを取り去る。その下には色とりどりのクッキーの並ぶ皿と、いちごの乗ったショートケーキがあった。

 

「ではいただきましょうか」

 

 クレアの言葉にセイバーは頷くと、銀の小ぶりのスプーンを持ち、そっと紅茶をかき混ぜる。ささやかな熱と甘い匂いが立ち上り、カップの中では小さな渦に銀粉がキラキラと舞っていた。

 

 カップの縁に軽く口をつけて少しだけ紅茶を口に含んでみる。匂いから受けた印象ほど甘さはなく、すっきりとした舌触りで、飲み込んだ後にはベリーの甘さが温かく残っていた。

 

「おいしい……」

 

 そう呟き、セイバーはクッキーを一枚とる。赤みのある茶色のクッキーで、軽く端っこを齧るとそれがキャラメルクッキーであることが分かる。

 

 セイバーはもう一口紅茶を口に含むと、思いついてクッキーを手に取り、軽く紅茶に浸してから齧った。

 

 クッキーは紅茶を含んでホロホロと口の中で崩れながら、噛むとサクサクとした触感が残っている。甘さの控えめな紅茶ではあったが、キャラメルクッキーの甘さにはベリーの風味がよく馴染んだ。

 

 セイバーの目はすぐに皿の上のキャラメルクッキーに向けられた。まだ数はある。クレアの分を考えるとあと二枚ほど食べても失礼には当たらないはずだ、と即座に判断してセイバーはキャラメルクッキーへ手を伸ばす。

 

 再び紅茶に浸して齧る。水気を含んだクッキーは食べやすく、止めどころがわからなくなってくる。セイバーは思わずもう一枚クッキーを取ろうと手を伸ばし、そこでクレアと目が合った。

 

「どうぞ~」

 

 少し意外そうにしながらもクレアはクッキーを勧めた。セイバーは咳き込みそうになるのを堪え、「……ありがとうございます」と俯きクッキーを取る。

 

 正面ではクレアが微笑ましいものを見る目でこちらを見つめている。セイバーはクレアの視線から逃れるために中庭の方へと不自然に目を向け、それでもしっかりとクッキーを美味しく食べきり、紅茶のカップを口許で傾けた。

 

「午後は温かくなってよかった」

 

 と、クレアはセイバーがカップを置くのを待って言う。

 

「そうですね」

 

 セイバーはカップを両手で包み、中庭の方を見た。

 

「戦いに次ぐ戦い、限界を迎えてなお現れる敵を倒し、ようやく聖杯をつかむ。そんな聖杯戦争を想像していましたが、こんなにものどかな時間を過ごせるとは思ってもいませんでした」

「叶さんのおかげなんでしょうか。私なんてまだ実感も持てなくて。こんなことしてていいのかなって、無性に焦ってしまうことがあります」

 

 こちらにも笑ってほしそうに笑うクレアに対し、セイバーは頷いて言う。

 

「かの神父ですね。神父の筋書きに乗ると決めた以上、ある程度は信頼して、身を任せるのが賢明です。なのでクレアが慌てる必要はありません」

「ある程度、ですか」

「はい。ある程度」

 

 セイバーはカップの細い取っ手に指を回し、紅茶をあおる。クレアは尋ねる。

 

「そういえば、セイバーは叶さんの前ではあまり喋らなかったですよね」

「あ、いえ、それはまた違う理由があるのです」

 

 セイバーの訂正にクレアは首をかたむける。

 

「違う理由、ですか」

「はい」

 

 少し躊躇うような間のあとで、セイバーは言った。

 

「恐らくですが、私はかの神父にさけられています」

「え、叶さんが、ですか。全然気づきませんでした……」

「ええ、そもそもかの神父は、私を視界に入れないように注意していたくらいですから」

 

 唖然とするクレアに対し、セイバーは続けた。

 

「ですがあるとき、偶然目が合うことがありました。その際神父は慌てて視線を外した。一瞬でしたが、読み取れたのは怯えや罪悪感などの引け目です。どうしてかまでは、わかりませんが」

 

 セイバーは少し浅くなった紅茶の水面を見つめたあとで、顔をあげて言う。

 

「クレアも感じているから私の言葉に引っ掛かったのでしょう。私見ではありますが、神父の言動は協力者のそれではありません。かの神父は明らかに、クレアや他のマスターたちと同じ、参加者として、勝利を得ようとしています。ですので、ある程度はご注意を」

 

 注意を促しながらも、セイバーは安心させるように笑みを浮かべた。自分が気を付けているから大丈夫だ、とあくまでも念押しするように。クレアは頷いて笑った。

 

「ありがとうございます。でも、そうですよね。そういうもの、ですよね。わかってたんです。叶さんは最後まで味方ではいてくれない。自分の願いのために、私に見切りをつける時がくるのかも……私はそれを誰かの口から聞きたかったんですね。ごめんなさい、私、まだ覚悟できてないみたいで」

 

 クレアの言葉を受けても、やはりセイバーは余裕を崩さずに答えた。

 

「初めてではみなそのような不安を抱えるものです。全て覚悟の上で物事に向き合えるなんてそうそうない、変化する状況のさなかに手探りを繰り返し、決断するのに慣れていく。それを人は覚悟と呼ぶかもしれない。けれど当人からしてみれば、覚悟をしっかりと固めるだなんて全く出来やしないんです」

 

 セイバーは少し顔を伏せてほほ笑むと、カップを取って口許まで持っていく。すぐ眼下に紅茶の揺らぎを見つめ、セイバーは紅茶に口をつける。そして、軽く笑みを含んでクレアをの方を見つめ、言った。

 

「クレア、そろそろ本題に入りましょう」

「本題、ですか?」

「はい。見ていればわかります。夢を見ましたね」

 

 クレアは瞳を震わせて目を瞑る。そのまま俯きカップに手を伸ばすが、持ち上げずに両手で包み込んだままじっと黙り込んだ。セイバーは柔らかな瞬きを繰り返してクレアを見つめ、カップの取っ手に指で軽く触れた状態でただ待った。

 

「その通りです」

 

 クレアはそう言って息を吐く。体のこわばりが抜けたクレアは少し小さくなったようだった。

 

「私は、ずっと迷っていました。あの血だらけの丘の上で一人、最後の騎士として立つあなたに……ただ一人自分のせいだと責任を負おうとする王様に、なんて声をかけたらいいのか、ずっと迷っていたんです」

「ええ」

「ですが、かける言葉は見つかりませんでした。あなた一人が責任を負おうとするのは間違ってる。そんなこと、私にはとてもじゃないけど、言えない」

 

 セイバーは否定も肯定もせず、ただ穏やかな声音で相槌をうつ。

 

「ええ」

 

 クレアはセイバーの方を見て頷く。クレアとセイバーの視線が繋がりどちらも目を逸らそうとしない。そうした状況でクレアは言った。

 

「私じゃなかったんです」

 

 セイバーは言葉の真意を問うように目を細めた。

 

「セイバー。アーサー王。たくさんの人を救ってきて、今なお人々を救おうとしている偉大な王様。あなたは救われたいだなんて思ってないのかもしれません。でも、あなたに救われた人々はどう思うでしょうか。あなたに付き従って一緒に戦った騎士たちは、今のあなたの苦しみを分かち合いたいと願うはずです……その傲慢を自覚しながらも、です」

 

 セイバーの細めた目は冷ややかな光を帯びて クレアに向けられた。

 

「そうでしょうか。本当にクレアはそう思いますか?」

 

 セイバーの問いにクレアは即答する。

 

「はい! みんなあなたが認めた心優しき騎士様たちですから。今たった一人で苦しんでいるセイバーを知ったらみんな我先にって馬で駆けてきますよ」

 

 クレアのその言葉にセイバーは目を見開いて固まったが、やが吹き出し、くすりと笑う。

 

「すいません、クレア。貴方を笑うつもりはありませんでした。ただ、あなたの言葉を聞いて想像してしまったんです。強面の騎士たちが、あろうことか私を心配して競うように駆けてくる……その様を」

 

 クレアはホッとしたような表情で聞いた。

 

「いいじゃないですか。もしですよ、もし、円卓の騎士様たちがセイバーを心配して一斉に駆けつけるとして、誰が一番最初にセイバーの元に馳せ参じるでしょうか」

「ふふっ、そうですね。やはりランスロット卿でしょうか。純粋な実力ではかの騎士が一番強い。あるいは昼間ならガウェイン卿の線もあります。いえ、アグラヴェインが鎖を出せば元も子も……意外にも、こうした感情が先立つ場面ではモードレッド卿も……」

 

 セイバーの空想が一段落したところを見計らい、クレアが言う。

 

「ええ。ですから、私じゃなかったんです」

 

 風が吹いた。紅茶の表面が僅かにそよぐような軽やかな風だった。クレアは風が吹いてくる方を見て、思い出したように言う。

 

「ケーキ、食べちゃいましょうか。紅茶のおかわりはいかがですか」

 

 セイバ―も我に返って言う。

 

「おねがいします」

 

 クレアはセイバーからカップを受け取ると、カップを見下ろして言った。

 

「今のままの、誰も救えない私じゃ駄目なんだって、わかってはいるんです」

 

 クレアはきゅっとティーポットの取っ手を指で強く握り、紅茶を注ぐ。

 

「私一人じゃどうすればいいのかわからないままでした。ありがとう、セイバー」

 

 とクレアはカップをセイバーの前に置いた。

 

 それは違う、とセイバーは言わなかった。それは違う、今、私は確かにあなたに救われた……そう告げることはできなかった。

 

 セイバーは中庭の陽の差す方へ目をやると、目蓋を重たげに何度か瞬かせ、紅茶を喉に流し込んだ。

 

   〇

 

「てぇぇい!」

 

 跳び上がって振り下ろされるライダーの斬撃をセイバーは受け流し、ライダーの着地を狙って剣をその首筋へと振るう。ライダーは無雑作に頭を下げて躱すと、後ろ手の剣を遠心力も使いながら遠い軌道でセイバーに叩きつけてくる。セイバーはこれは受け流さず、体の側面に剣を添わせるようにして受けた。

 

 荒々しい衝撃にセイバーは僅かに目を細め、次にはライダーの剣を頭上に飛ばそうと剣を振った。軽い、剣の重さにしても、あまりに。

 

 

 セイバーの頭上を、ライダーが舞っていた。それを目で追いそうになるも、セイバーは腰を落とし、すんでのところで剣を胸の前に構えて衝撃に備える。舞い上がったライダーの体の下を、巨大な怪馬、ブケファラスが突進してくる。

 

「ぐっ!」

 

 歯を食いしばって衝突を受け止めようとしたセイバーだったが、身の丈をはるかに超える怪馬の突進にセイバーの体は後退する。

 態勢こそ崩していないが、一瞬でも気を抜けば地面から足が離れ、吹き飛ばされてしまうだろう。

 

 息を吐き、表情を厳しくするセイバーの視界に赤髪が映る。手綱を握り、ブケファラスに飛び乗っていたライダーが、身を乗り出してセイバーに剣を突き立てようとしていた。

 

 セイバーは目を見開く。セイバーの剣の刀身が黄金の光に包まれる。それを見て取ってライダーも叫んだ。

 

「ブケファラス!」

 

 ブケファラスがいななき、その身に雷を纏う。セイバーの黄金とライダーの雷がぶつかりあい、一つになって、周囲一帯を照らすほどの明るい爆発が起こる。

 

 セイバーは飛び退いて爆発から逃れると、剣を下段に構えたまま静かに待つ。

 

 やがて視界の端に動きがあった。赤髪に黒い巨大な馬、ライダーが爆発から逃れて離れようとしていた。セイバーはライダーを追おうと足を一歩踏み出そうとするが、突然その場で身を低くして屈んだ。

 

 セイバーの頭上を細い風が一瞬吹き抜けた。

 

「嘘。バレた⁉」

 

 聞こえてきたのは鷹宮リオンの声だった。セイバーは体を起こす勢いで背後に向けて剣を振るった。

 

 確かな衝突があり、二人組の悲鳴があがる。透明化が消えてなくなり、地面の上に倒れ込んだ鷹宮リオンと悪魔でびでび・でびるの姿が浮き上がってきた。

 

「ぐぬぬぅ……僕の隠蔽は完璧だったのにぃ」

 

 うめくようなでびでび・でびるの声を聞いて、セイバーは張り詰めていた気を少し緩め、二人の声に応えて言う。

 

「タイミングはよかったのですが、殺気が漏れていましたね。緊張や恐怖も隠さなくては。並の戦士ともなれば見えずとも避けられます」

「「そ、そんな……」」

 

 わざわざ座った姿勢になってから肩を落とす二人組を放っておいて、セイバーの意識はライダーに向かっていた。

 

 ライダーは少し離れた場所からこのやり取りを面白そうに見守っている。……騎乗はしている。こんな距離、ライダーであればないも同然だろう。

 

 恐らく、ライダーの動きが流れを変える。二人への愛想笑いを浮かべるふりして、セイバーはこの二人がどれだけライダーと連携を取れるのか。取る気があるのか注意して見下ろしていた。

 

 ライダーが軽く手綱を揺らし、来る。文句を言い合い、仲間割れの兆候を見せていた二人が、その瞬間に弾かれたように起き上がる。セイバーもまた動き出していた。空を飛ぼうとした鷹宮リオンを叩き落すように、聖剣を上段から振り下ろした。

 

「また読まれてたー⁉」

 

 鎌で聖剣を受け止めながら、その細い腕をプルプルと振るわせ鷹宮が言う。

 

「緊張のしすぎです。もう少し落ち着いて」

 

 そう言ってセイバーは片手を払う。その動作ででびるの放った魔弾は乱雑に切り裂かれた。

 

 爆発に目を白黒させる鷹宮にふっと意識の空白が訪れる。何が起きたのかわからなかった。セイバーからの凄まじい圧が急になくなり、反発していた鷹宮の体は伸びあがり、体勢を崩して前へとつんのめる。鎌の刃を抜けてきた黄金の剣のきらめきが視界いっぱいに広がっていく。

 

 あ、これ、死んだ……。

 

 黄金に塗り潰されていく視界の端に一点、黒い影が落ちているのに気付く。でびでび・でびるの影だった。それに気づくと、鷹宮は途端に冷静になった。慌てている場合じゃなかった。まだ出来ることがある。

 

 刃は抜けられたが、それ自体長い鎌の持ち手が未だにセイバーの剣と鷹宮の体の間に控えている。鷹宮は鎌の持ち手を前に押し出すと、自分自身はしゃがんで頭を下げていた。

 

 両腕に重い衝撃が来て、けれど何とか受け止めきった。鷹宮が見上げると、鎌の持ち手は斬れず、セイバーの剣をしっかりと受け止めていた。

 

「斬れないのは予想外でしたが、持ち手が斬られる前提で動けたのはお見事でした」

 

 明るく澄んだ声でセイバーが言う。今私、褒められた? 怪訝な表情で思考停止する鷹宮にセイバーは身を寄せると、ぎょっとして離れようとする鷹宮を捕まえるように鎌の持ち手に自身の腕を絡めた。

 

「は、はなして……」

 

 心細そうな鷹宮の声にセイバーはほほ笑み、鷹宮に背を向ける。そして、迫ってくるライダーの斬撃をその聖剣で受け止めた。

 

 セイバーは踏ん張らず、ライダーの圧力に素直に身を任せる。衝撃はセイバーが身を寄せる鷹宮に行き、ろくに構えていなかった鷹宮の体はセイバーと共に地面から離れて浮き上がった。

 

「あははははっ!」

 

 鷹宮のうめきを切り裂くようにライダーの笑い声が響く。ライダーの馬はセイバーと鷹宮リオン、二人の体を振り回すように加速を続ける。

 

 空中で圧されに圧されまくる二人の体はセイバーがバランスを取っているせいで崩れはしない。

 

 息ができない中で、鷹宮リオンはそっと目を開ける。普通だったら目も開けられず混乱しているうちに終わっていただろう、だが、鷹宮リオンは妙な感覚を覚えていた。

 

 こんな状況なのに、セイバーに触れているとなんだか落ち着く。

 

 鷹宮はセイバーの肩越しにライダーの後ろから一生懸命に追いかけてきているでびでび・でびるを見つけて叫んだ。

 

「でび、防御お願い!」

 

 でびるがその声を聞いてとまった。元より小さなでびるの姿がみるみる小さくなっていく。鷹宮の体の外に温かな厚みの感覚が生じ、セイバーの体に潰されていた息が楽になる。

 

「はぁっ!」

 

 短い気合と共にライダーが剣を振り切った。これまで剣を受け止めていたセイバーの体は背後にいる鷹宮を巻き込んで吹っ飛ばされていく。

 

「ゔぇっ!」

 

 鷹宮の体はセイバーの体に挟まれるようにして木と衝突した。セイバーは今まで椅子に座っていたかのようになんてこともなく立ち上がると、数歩前に出てライダーと相対する。

 

「ナイスだったよ、それ」

 

 ライダーがセイバーの背後を指して言う。ならばセイバーにも聞きたいことがあった。

 

「ライダーよ、気づいているか?」

「ああ、もちろん。あれだけ強い衝撃にもダメージはあまりなさそうだ。悪魔の力はどんどん強くなってるね」

 

 セイバーは背後に目を向ける。鷹宮は未だに木に背中を預けてぶつかったままの格好だが、その体からは血の一滴も流れていない。鷹宮の傍らに悪魔が慌てて降りてきて言った。

 

「おまっ、大丈夫か⁉︎ 今カエルが潰れたみたいな声が」

「でびお前、失礼すぎだろ……」

 

 精神的な疲労のためかローテンションな鷹宮のツッコミにセイバーは軽く共感し、ついでライダーの言葉を思い出して、それだけではないのだが……と笑った。セイバーはライダーを見て言う。

 

「問おう、征服王。貴公が最初に落とすのは本当に私でいいのか?」

 

少しの悪意とともに試すような目を向けるセイバーに対し、征服王は少し気に入らなさそうに口をとがらせる。

 

「後悔してないわけじゃない。でも、あの時そうしたいと思って決めたんだ。仕方ないよ」

 

 少し傾けた顔を風が撫で、その赤髪が軽く揺れていた。

 

「っていうところで、これ以上強くなられても僕が勝てなくなっちゃうからね。そろそろ決めたいんだけど……」

 

 困ったような表情をするライダーだったが、表情とは裏腹に月の光に当てられたライダーの目が鋭くぎらつく。

 

「寂しいことを言う。私としてはもう少し、ゆっくりしてもらいたいものだが!」

 

 セイバーの聖剣が金色の光を噴出し、セイバーはほとんど瞬間移動のような速度でライダーに肉薄する。

 

「ブケファラス!」

 

ライダーが呼ぶと、傍らの怪馬が雷を纏って前脚を振り上げ、地面に勢いよく打ち下ろす。地面の上を雷が広がり、セイバーの動きが一瞬止まる。その一瞬でブケファラスは空へと跳躍する。

 

 一方ライダーは滑り込むようにしてセイバーの剣の下をくぐりぬけると鷹宮の方へひた走る。

 すぐさま追いかけるセイバーだったが、ライダーのすぐ後方に着地しライダーに追いつこうとするブケファラスを見て再び魔力を噴出、ライダーに急接近した。

 

 セイバーが踏み込み、背後からライダーの背に剣を振るう。ライダーはそれを察知すると、思い切り下へ跳ぶ。

 

「なに!」

 

 予想外の動きにセイバーは硬直する。ライダーは走っている馬の足元に向けて飛び込んだように見えた。馬の腹の下をタイミングよく潜り抜けたライダーは、次の瞬間には反対側の手綱を握って勢いよく馬の背にまたがっていた。

 

「何という無茶を……」

 

 呆然と呟くセイバーに向け、巨大な魔弾が迫っていた。鷹宮とでびるが援護で放ってきた魔弾だった。

 

「こちらも相当ですね」

 

 セイバーは、どこか感心したような、あるいは呆れたような表情で自分の体よりも巨大な魔弾を見上げると、剣に黄金の光を迸らせて魔弾を薙ぎ払う。

 

 セイバーの後方で二つに分たれた魔弾が爆発する。爆炎のさなかにセイバーは敵の姿を見据えた。

 

 黒い毛の巨大な馬に乗っているのはライダーとその後ろでライダーに掴まり肩に鎌を携えた鷹宮リオン、最後に鷹宮リオンとライダーの間を浮遊する悪魔、でびでび・でびる……。

 

「来るか、征服王……」

 

 セイバーは剣に充溢する魔力を研ぎ澄ませ、静かな眼差しで前方を見据えた。

 

   〇

 

「なんかかさぁー」

 

 とたった一人馬に乗っかった鷹宮は気の抜けたような声で言う。

 

「向こう、宝具撃とうとしてない?」

 

 ライダーが息をついて答える。

 

「そりゃあそうだよ。締めにかかってるのは僕の方だもん。向こうはそれに気づいたってだけ」

「……そっかぁ」

 

 どこか心ここにあらずな鷹宮にくすりと笑い、ライダーは言う。

 

「君たち、なんかしてるでしょ」

 

 何も言わない鷹宮からライダーはあからさまに目を逸らそうとしたでびるへと視線を向けて言う。

 

「いや、いいんだよ。でもそれ以上強くなられるとね、僕はセイバーと一緒になって君たちを殺さないといけなくなっちゃう。そして君たちが一対一でセイバーと戦うのを避けたいっていうなら、セイバーはここで落とさないといけない」

 

 わかるでしょ? とライダーのほほ笑む先で、鷹宮は真顔で固まっている。鷹宮はでびるを見上げて言った。

 

「だってさでび」

「いやなんでだよ」

 

 あまりにも自然なパスにでびるが空中でずっこけそうになる。ライダーは思わず苦笑した。

 

「まあ、今さらこんなこと、どうだっていい」

 

 ライダーはそう言い切ると、手綱を握ってブケファラスの背に飛び乗る。ライダーは背後で一緒に騎乗する鷹宮を見た。

 

「しっかり掴まって、落とされないでよ」

「うん」

 

 鷹宮はライダーの体に身を寄せると、大きくした鎌をどうやって振るうか迷いながらも位置を調整し、イメージを固めたうえでライダーに捕まった。

 

「でびるくんも。間違っても自分で飛ばないでね」

「お、おう」

 

 飛んでるので言われないだろうと思っていたでびるはおろおろと辺りを飛び回り、一度は馬の尻尾の毛を掴むが、それだとなんか負けた気がして鷹宮の肩に掴まることにする。

 

 準備が整ったのを察したライダーは緊張感をたたえた笑みを浮かべて言う。

 

「じゃあ、行くよ……!」

 

 ライダーは手綱を握ると、相棒のブケファラスに合図を出して前進する。

 

 一方セイバーもそれを見て取ると、一歩踏み込んで腰を落とし、聖剣を上段に振りかぶる。

 

 だというのに、セイバーはどこか解せない表情を浮かべていた。

 

 なんだ、この違和感は……。

 

 セイバーは聖剣から伝わってくる意思とセイバーの抱いている意思にずれがあることに気づいていた。いや、聖剣もだが、自分の心の内と行動とで食い違いが起こっている……? 

 

 そうだ、思えば微妙な引っ掛かりはこれまでずっと抱いていたのだ。今まで無視してきたそれが顕在化した、ということか……だが、それがどうしたというのか。セイバーは誰にともいわず心の中で強く宣言する。

 

 私個人の引っ掛かりなど、私の、私たちの、理想のためになら……。

 

「っぁ……⁉︎」

 

 セイバーは表情を失った。聖剣が途端に重く体にのしかかってくる。

 

「私たちの、理想の」

 

 セイバーが自分で気づかず口から零したとき、セイバーの頭の中に思い浮かんだのはクレアの友の倒れた姿だった。

 

 なるほど。とセイバーは呟く。

 

「私は、何も変わっていないのだな」

 

 セイバーは疲れたように視界を薄くし、諦めて聖剣を振るおうとする。そのとき、セイバーの胸の内から温かな魔力が芽生え、全身を駆け巡った。

 

「……クレアか」

 

 令呪。命令としては「打ち勝って、セイバー」になるのだろう。だが、行使されたセイバーにはわかってしまう。この令呪の拘束力の弱さ、クレアは別に、私に打ち勝ってほしいなどとは本気で思ってはいない。

 

 この令呪は勝利を望んでのものでも、ましてやクレア自身の理想のためなどに使われたのではない。

 

 私を、サーヴァントの身を案じて、思わず使ってしまった……その辺りが本音だろう。

 

 まったく、クレアらしい。セイバーは聖剣の巻き起こす快い風に目を瞑った。全身の倦怠感が抜けていく。聖剣に混じり始めていた濁りが押し流されていく。その流れに身を任せ、セイバーは剣を振り下ろした。

 

   〇

 

「来るよ!」

 

 なぜか上機嫌にライダーが言う。ブケファラスに乗っている三人を黄金の光の波が呑み込もうとしていた。鷹宮はでびるの補助を受けながら腰を少し浮かせ、鎌を振りかぶる。

 

 その際に発せられた「あれ?」という言葉を聞いたのはでびるだけだった。

 

 鷹宮が鎌を斜めに振り下ろした。鷹宮の手に抵抗は返ってこなかった。鎌の刃は光の波を切り裂き、切り開く。合わせてライダーが宝具を発動する。

 

「何れ彼方へ至る為に……! 今こそ此処に、一歩を刻まん!『始まりの蹂躙制覇(ブケファラス)』‼︎」

 

 ブケファラスはいななきと共に雷を踏み、切り開かれた光の海へと突入する。

 

 押し寄せる波は風に吹かれた稲穂のようにさやさやと音を立て、時おりブケファラスの撒き散らす雷に触れ瞬くような音を立てる。鷹宮の目の前には光を切り裂き続ける鎌があり、柔らかに割れていく黄金の世界は敵対者であるはずの三人を優しく見守ってでもいるかのようだった。

 

「なんか、温かい……」

 

 と鷹宮が呟く。

 

「うん、ぼくも意外と悪くないかもしんない」

 

 でびるが反応していった。ライダーが気に入らなさそうにいう。

 

「きっとこれがあの王様の本質なんだろうね。にしたってこの土壇場で何考えてんだか」

 

 やがて、光の粒子に出口が見えてくる。そこにはセイバーがいる。鷹宮はその顔を見て驚いた。優しい微笑み……。鷹宮たちが宝具を打ち破ることを望んでいたかのように。

 

 その直後に、雷を纏ったブケファラスがセイバーに突っ込んだ。

 

「っがぁ、うっ、ぁああぁぁ‼︎」 

 

 雷を帯びた突進の直撃に、セイバーの体は吹っ飛び、地面に勢いよく叩きつけられる。

 

 確認のために駆け寄ってきたライダーは、まだ息のあるセイバーを見て介錯するために馬から降りようとするが、何かに気づいて馬を走らせる。

 セイバーはそんなライダー、そして何度も振り返る鷹宮とでびるの背を、重たげな眼で見つめていた。

 

「セイバー! セイバー!」

 

 ああ、この声は……。三人と入れ違いにやって来た女性がセイバーの傍らに膝をつき、セイバーの上体を抱き寄せる。

 

「ああ、セイバー! ねえ聞こえる⁉ お願いですから、セイバー!」

 

 繰り返される呼びかけにセイバーは腕をゆっくりと持ち上げると、自らの肩を抱くシスター・クレアの手にその手を重ねた。

 

「クレア、聞こえていますよ」

「ああ、よかった! よかったです、セイバー! セイバーがいないと、私……」

「クレア。私はもう間もなく消えるでしょう。ですから落ち着いて。最後に貴方とお話ししたい」

 

 クレアが沈黙し、しかし目から涙をこぼす。そんなクレアをしっかりと見つめながら、セイバーは告げた。

 

「クレア、私は貴方を見ているのがとても辛かった」

 

 え……。とクレアは泣いているのも忘れて困惑の声を漏らす。セイバーは言う。

 

「なのに、私は何もしませんでした。なぜだかわかりますか」

 

 クレアは視線を泳がせるが、首を横に振った。

 

「それは、私の理想のためです。私は、自らが滅ぼした国の再建を夢に見るあまり、貴方の苦しみを利用した。勝利のためその方が都合がよいからと、貴方の苦しみを切り捨てた」

 

「そんな、私はただ……!」

 

 感極まり、クレアは言葉に詰まる。クレアは唇をかみ、尋ねた。

 

「最後に、令呪に抵抗されたのはそれが理由なんですか」

 

 セイバーは穏やかにほほ笑んで言う。

 

「それもあります。ですがもう一つ、理由があるのです。あの聖杯を実際に目にしてから、薄々気づいてはいたんです。聖杯を手にしたって、私たちの願いは叶わないということを。なのに目を逸らして、私は戦い続けていた……私は理想を求める私を演じ続けていたかった」

 

 セイバーは荒げそうになる息をゆっくりと整え、囁くような声で言った。

 

「そういえば、貴方は私を一人の友として接してくれましたね。お許しください、私は、貴方の友として、貴方が絶望に伏すところを見たくなかったのです」

 

 クレアは顔を伏せて、声を震わせて言う。

 

「謝罪を受け入れます。では、私からも謝罪、もとい、感謝を」

 

 一呼吸を置き、クレアは言う。

 

「セイバー、私の苦しみを背負おうとしてくれてありがとう。でも、ごめんなさい、私の苦しみは私が背負っていくものです。私は大丈夫ですから、セイバーは私を信頼して、それでいて、あまり背負い過ぎないで……!」

 

 セイバーはささやかに自嘲の笑みを浮かべて言う。

 

「やはり、私は理想の王にはなれそうにもないみたいですね」

 

 これをクレアは即座に否定した。

 

「そんなことありません……私は、貴方みたいになりたかった」

 

 セイバーは何も言わない。ただ目線だけは外さず穏やかな目でクレアを見つめるだけだった。クレアは続ける。

 

「私は貴方みたいに、現実に人を助けるために行動できる人になりたかったんです。でも、上手くいきませんでした。私は一体どうすればよかったのか、いまでもさっぱりで……」

「クレア」

 

 とクレアの沈んでいく気持ちを遮るようにセイバーが呼び掛けた。

 

「クレアは私の願いをお忘れですか?」

「あ……」

 

 息を吸うように出された声にセイバーは静かに笑う。その際に、黄金の光がセイバーの体を包み込んだ。

 

「私がどれだけ人を救おうと、私がどう思うかは別です。隣人はいつだって羨ましく思えてしまう。クレア、貴方は私の思い描く理想の騎士にとてもよく似ている。私は、それに気づくことができなかった」

「待ってください、セイバー、行かないで」

 

 クレアが引き留めようとするが、セイバー自身にもうその気がないようだった。その体はゆっくりと黄金の粒子に解かれていく。クレアの伸ばした手をセイバーは取るが、その手は光となって消えていく。

 

「貴方の神は正しかった。自信を持って、貴方の内から聞こえてくる声に、耳を澄まして」

 

 そうして、セイバーは最後に言った。

 

「クレア。貴方に、神のご加護があらんことを」

 

 セイバーの瞳を閉じたその顔が光に呑まれ、跡形もなく消えていった。

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