Fate/DebiRion.   作:遥野みしん

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 青の炎が空気中を舞っていた。不自然に冷たく吹く風に髪を抑え、鷹宮は目を開く。

 

 頭上では空中に平然として立つ二人組の姿があった。黒の和装に白い覆いを羽織る男、剣持刀也は格下の獲物を前にした爬虫類のように、緑がかった瞳でじろじろと無遠慮にこちらを見定めている。

 

 その隣にはたった今光弾を降らせた張本人、二丁の銃を構えたピンク髪の女、夕陽リリがいた。

 

 眼下では降り注いだ光弾に、鷹宮の部下の生徒たちは陣形を乱し、恐慌状態に陥っていた。どうとも思っていない押し付けられた子たちだったが、この事態が自分のせいな気がして、鷹宮は指示を出した。

 

「反撃! すぐに撃ち返すのです!」

 

 我を失っていた集団に目的が示される。かといって冷静になるわけでもないが、少なくともそれで集団は攻撃の意思の元一つに纏まったようだった。

 

 みんな、我先にと得意魔術を滅茶苦茶に撃ちまくる。息は合わないが色も大きさも違う光が鷹宮の頭上の二人に向けて殺到する。

 

 だが、剣持が刀を一振りするだけで、それらは全て掻き消えた。

 

「リリさん、雑魚はお任せしますよ」

 

 剣持が傍らの夕陽に言うが、夕陽は面倒くさそうに頭の上で手を組み、「どうしよっかなぁ」と言った。剣持は予想外の態度に苦笑し、夕陽に向き合う。

 

「いや、お願いしますって。今度何か……」

 

 剣持が言いかけたところで、剣持の足を爆発が襲った。夕陽リリはいつの間にか居なくなっていたが、剣持はバランスを崩したようで、惨めにも声をあげながら落下していく。

 

「おやおや」

 

 と鷹宮の隣に立つキャスターは呟く。直後に爆発の衝撃が鷹宮を襲う。キャスターの防壁は爆発こそ防ぎ切るが、透明な壁の向こうでは炎が吹き荒れていた。

 

 鷹宮は壁へと顔を寄せる。すさまじい勢いで壁を噴き広がっていく炎の中央の一点に、動かないものがあった。赤い文字の刻まれた札が張り付いていたのだ。

 

「キャスター、これって」

 

「はい。でも次が来ます。気を引き締めるように」

 

 キャスターはほほ笑んで頭上を指し示す。青空から、燃え盛る火球が次々と降ってくる。

 

「学校は」

 

「守りましょうか。念の為ですが」

 

 悲嘆的な声を上げた鷹宮にキャスターは余裕をもって答えた。

 

「まあ、事前に結界を作っておきましたからね」

 

 そう付け加えて、キャスターは結界を起動させる。校舎は見えない壁に包まれ、壁は火球を弾いていった。一方校庭では次々と落下する火球に爆炎が舞い上がっていた。

 

「くそ、 誰だ! 姿を現せ!」

 

 空に向けて叫んだ剣持だったが、何かに気づいたのか腰を落として刀の鞘に手を掛ける。校庭に落ちる火球を避けながら、猛スピードで剣持へと迫る影があった。

 

 纏った着物からすらりと伸びた、黒く艶やかな毛に覆われた足で地を駆け、鋭い爪の生えた獣の手で剣持の横面を切り裂こうとして、女は腕を振りかぶった。

 

 剣持は咄嗟に反応し、鞘に収まったままの刀で受けとめた。衝突も衝撃も起こらず、ただお互いが鍔迫り合いになっているという形だけが起こる。剣持は相手の顔を見て困惑したように言う。

 

「お前、確かヘルエスタの……」

 

 相手の獣耳がピクリと反応し、その口元がにんまりと笑った。

 

「なんやうちのこと覚えてくれてないの? さびし」

 

「へらず口を!」

 

 剣持は相手の姿勢が崩れるように相手の腕を剣で導いてやるが、相手は姿勢の変化を気にも留めず、強引に脚力で剣持の顔面を蹴ろうとしてくる。

 

 剣持は顔を逸らして避けるも敵の攻撃は収まらなかった。半身になった姿勢から体を返して爪を振るい、バックステップで躱した剣持へと今度は大胆に踏み込んで膝蹴りを見舞おうとする。

 

「この、触んな僕に……!」

 

 剣持は背を向けるように体を倒して蹴りを躱すと、その勢いでもって剣を相手の首元に叩きつける。

 

 不意を突かれて吹っ飛ばされたと思った相手だったが、なんてこともなくその場で少しよろけたかのようにバランスを取り直して着地する。

 

「なにすんの?」

 

 呑気な怒りの声があがる。彼女は少し赤らんだ首筋を撫でていた。噂通り人間ではないのだろう。鞘に入れたまま叩いてもダメージがないのは明らかだった。

 

 刀を抜く、という選択肢は今のところない。じゃあどうやってこれを攻略するか、剣持の思考は回り始めていた。そして当然、思い至っている。こいつがいるということは他の二人がいるという可能性を。

 

 剣持は気配を感じ振り返った。

 

 青白い氷の色を放って髪が舞う。その髪と同じ、氷をあしらった学生服の少女が降ってくる。少女の手には身の丈ほどもある結晶のような大剣が握られていた。

 

「せぇい!」

 

 清新な声とともに大剣が振り下ろされる。

 

 剣持は咄嗟に刀を横に寝かせて受け止めた。剣持自身には影響はないが、大剣はオーロラのような光を放ち、周囲の地面がパキパキと音を立てながら凍り付いていく。

 

「リゼ・ヘルエスタ……厄介な」

 

 剣持は言いながらリゼの剣を反らし、その横をすり抜けてリゼと立ち位置を入れ替えると、背後から迫っていた獣耳の女にリゼの体を突き飛ばした。

 

 女はリゼを優しく受け止めると、そのまま抱き上げてジャンプ、剣持と距離を取った。

 

 剣持は頭上を仰ぐ。火球が降ってくる。剣持はジトッとした目で敵の方を見ると、女はニコッと笑ってリゼを抱き寄せ獣の手をフリフリと揺らして言う。

 

「おおきに」

 

 剣持は頭上に迫る火球に手を伸ばす。その手が炎に触れ、剣持は目を見開く。

 

「……そういうことか」

 

 その声が周りに聞こえるほど、周囲は静けさに満ちていた。

 

 火球は消えていた。剣持は頭上に伸ばしていた手を降ろし、その手のひらを不思議そうに見下ろした。

 

「今の炎、三つの別々の物質だった。一つは炎、他二つは気体に見えるだけの個体と液体、その内容も炎とは遠く離れてる。混ざり合ってすらいない三つの存在……なるほど。僕の認識と虚空の効力を探ってるわけですか。錬金術師、アンジュ・カトリーナ」

 

 剣持は手を降ろし、顔を上げる。

 

 身を寄せて立つ二人の横に三人目が並び立った。赤い髪に、深い、青の瞳。ぶかぶかの外套を羽織る女、アンジュ・カトリーナは腰に手を当てて胸を張ってみせる。

 

「ふっ、今さら気づいたって遅いってもんですよ、剣持刀也さん。あなたの虚空の情報は既にこの私の手の中に」

 

「へぇ……」

 

 剣持は感心したように相槌をうつが、その自信は崩れていない。アンジュを試すように見て言う。

 

「じゃあ言ってみてくださいよ。あなた程度に知ることの出来た、虚空の全てを」

 

 アンジュもまた不敵に笑って言った。

 

「ふっ、いいでしょう。教えてあげますよ。私の知りえた虚空の攻略法を!」

 

「ちなみにうちは戌亥とこ」

 

 と唯一名前を呼ばれなかった戌亥が剣持に手を振った。

 

 ごほん、と咳払いしてアンジュが言う。

 

「剣持さん、貴方が後から気づいた通り、先ほどの火球は三つの物質で構成されていました。それを貴方は一つの物体と認識して同時に消し去った。つまり貴方の認識で捉えられない物質の内容如何に関わらず、虚空は問答無用で消去するということ!」

 

「「おお~!」

 

 自信満々で口述するアンジュにリゼと戌亥が歓声を上げる。

 

「さらに、見た目だけ炎っぽい空気をぶつけ、鎮静効果のある薬を含ませた空気、さらに無色のちゃんと熱い火球だってぶつけて、その上ミクロの細胞型魔術を剣持さんの体内に侵入させようとすらしていたんですよ。剣持さん、気づきましたか?」

 

 目蓋を細めて流すように視線を寄越してきたアンジュに対し、剣持は目を伏せて言う。

 

「いえ、気づいていませんでしたよ」

 

「「おお~!」」

 

 再び歓声が上がる。アンジュは得意げになって続けた。

 

「ふっ、だと思いましたよ。そうやって貴方が気付かないうちに私は数々の実験を繰り返し、虚空の全てを知りえた。そういうわけです、剣持刀也さん。私はついに虚空について確信を得たんです! ふふっ、ちゃんと聞いていてくださいね?」

 

 挑発的な物言いのアンジュに剣持は少し警戒した目つきになる。リゼと戌亥も緊張感をたたえて見つめていた。アンジュはピシッと剣持を指差して言った。

 

「見えるものも見えないものも。害あるものも害なきものも。本人の認識を飛び越えて問答無用でした。ええ、何も通じませんでした。ずばり剣持刀也さん。貴方の虚空、無敵ですね☆」

 

 パチン、と片目を瞑ってウインクして見せたアンジュに再び「「おお~!」」と二人の歓声が上がる。が、気づいてしまった。

 

「いや、え? ちょっと待ってな? ンジュさん、それ、お手上げってこと?」

 

 いい質問だ、そう言わんばかりにアンジュは戌亥を指差して言う。

 

「さっすがいにゅい! ちなみに酸素の操作も足裏への攻撃も無駄。お手上げと言われればまあ、お手上げってわけ」

 

「アンジュ!」

 

 リゼが怒ったような声をあげるとアンジュはこれまでの自信を崩して頭を抱えて背を向けた。

 

「だ、だってわかってたじゃん! 無理じゃん! やれることはやったじゃん! 褒めてよ、私を褒めてよ~!」

 

「はいはい、ンジュさんはよくやった。偉いよ偉いよ」

 

 アンジュが泣き言を言い出したのを見て、戌亥がアンジュの頭を抱えてよしよしと撫でる。アンジュはぐすん、と鼻をすすってリゼの方を見た。

 

「はぁ~、ったくもう。そうだね、確かにアンジュはよく頑張った。だからまあ、私たちは一度この場を離れて、あとは叔父貴に任せよっか」

 

 あっけらかんと言い放つリゼに、二人の弾んだ声が続いた。

 

「来るんですか、ここに⁉」

 

「ほなら、はよ離れんとね」

 

 こちらを警戒したまま校庭から捌けようとする三人を見て、剣持は追撃しようと刀に手を掛ける。しかし、ジェット機のような轟音と共に校庭を巨大な影が覆い、剣持は萎えたように刀から手を降ろした。

 

「今度は何なんだ?」

 

 半ば呆れて頭上を仰ぐ剣持が見たものは、白銀と黄金に彩られた巨大ロボだった。

 

「は? ……は?」

 

 剣持は目を疑うが、頭上の巨大ロボは夢のように消えてはくれない。ロボットは全身を鎧武者のような鋼の装甲に包まれており、翼を模したスラスターからジェットを噴出して空中でバランスを取っている。

 

 ロボットが降下するにつれ、頭部の兜を模した二本の角や、その赤く光る眼がぎらぎらと眼下を探査しているのが見えてくる。しかし同時に発生した強い風に砂が巻き上げられて視界が覆われていく。

 

 校庭の端で相次いで悲鳴が上がり、剣持はそちらを見た。

 

 剣持の頭からは抜け落ちていたが、鷹宮リオンの部下たる生徒たちが風の中で立っていられず地面に這いつくばっていた。

 彼らから少し離れたところに点々と火傷を負った生徒たちが転がっていた。恐らくパニクってキャスターの防壁の庇護から逃れてしまったのだろう。

 

 かわいそうに……そう思いそうになる思考を遠ざけ、剣持は降下してくるロボットに意識を集中する。

 

 土砂を巻き上げ、ロボットは校庭に舞い降りた。

 

 兜をあしらったと思われる金色の二本角が砂煙に瞬いた。ハッチから水蒸気を噴き出して砂煙を吹き払うと、ロボットは無言のまま背中の巨大ハンマーを抜き取った。

 

「ちょっ、夜見さん⁉」

 

 スピーカーから男性の制止する声が聞こえたが、ロボットの動きは止まらなかった。

 

 ロボットは剣持目がけて巨大ハンマーを振り下ろす。

 

 剣持は逡巡したのち剣を抜く。振り下ろされるハンマーに向けその切っ先を向ける。剣持のやったことはそれだけだった。それだけで事が済む。いつもならそうだったのだ。

 

 剣持の刀の切っ先とハンマーの面がぶつかり合う。

 

「はぁ?」

 

 もう何度ともわからない剣持の困惑する声。金属質の高音が二つの金属の間で柔らかに軋む、虹の光の屈折が漏れ出し、剣持が一歩押し負ける。その直後に剣持は吹き飛ばされ、校舎の壁にぶち当たっていた。

 

 一方ロボットの方も反動に耐え切れず後ろによろけるが、こちらは何とかバランスを取りなすことに成功する。

 

 剣持は立ち上がった。ぶつかりはしたが衝撃はなく、ダメージもない。だが、問題はあった。剣持は自らの持つ刀と敵のハンマーを納得のいかない目で往復させた。

 

「どうですか剣持刀也さん! これこそわが加賀美インダストリアルの技術の結晶、その名を、ダイカガミといいます!」

 

 先ほどの男性が上機嫌にスピーカーで告げる。男性がいるのはロボットの頭部にあるコックピット。男性は落ち着いた色のジャケットを纏うスーツ姿に艶のある茶髪を後ろに流し、顔を覆うヘッドデバイスを装着している……その状態で白いライトが下から照らす台座の上に立ち、腰の高さに設置された円形のバーに手を置いていた。

 

 男性が見ているもの、そのデバイスにはロボットの正面や背後の映像が映し出され、リアルタイムで解析が進められていた。背後の映像ではリゼとアンジュが飛び跳ねながら手を振り、正面の映像では、剣持が何やら怒っていた。

 

「てめえ加賀美ハヤト! 名前そのままじゃねえか!」

 

 たはっ! と男性、加賀美ハヤトが吹き出して答えた。

 

「仕方がないでしょう! みんなだってこれがいいって言ってたんです!」

 

「嘘つけ、どうせノリノリで決めやがっただろ!」

 

「……バレてしまっては致し方ない」

 

 少し神妙な顔つきになる加賀美、顎に手を当てて自分の性格を鑑みようとするが、「そんなことはどうでもいいんだよ!」という剣持の声に当てられひとまずは置いておくことにした。

 

「僕の、虚空を……どうやって対策した?」

 

 加賀美は冷静に答えた。

 

「技術的な話、じゃないですよね? スパイをたくさん送り込んでたみたいですから」

 

「ったりめえだ! 次元断絶障壁なんていう馬鹿げたもん、社内文書でも20年計画と書かれてたはずだ! それがなんでこんな場面に間に合ってる⁉」

 

 ふっ、と軽く笑みを含んで加賀美は言う。

 

「そうですね。誰とは言えませんがまあ、技術提供がありましてね」

 

「技術提供……?」

 

 剣持は眉を顰めるが、すぐに一人の人物に思い至ったらしい。剣持は周囲を見回すが、その人物はどこかに身を潜ませていた。

 

「くそっ」

 

 そう呟き、剣持は刀を構えた。

 

「いいですよ。受けて立ちます。そのおもちゃ遊びを台無しにして差し上げますよ」

 

「こちらこそ。我々のおもちゃ遊びの邪魔はさせない……その悪意を我々は全力で粉砕して見せる!」

 

 剣持が腰を落とし、ロボットが両手でハンマーを上段に抱えたとき、少し気の抜けた女性の声がスピーカーから聞こえてきた。

 

「おやおやぁ、邪魔者がたっくさん残ってるじゃないですかぁ~」

 

 途端にロボットの胸部ハッチが開き、隠されていた砲塔が露になる。

 

「夜見さん……夜見さん⁉」

 

 再び男性の声がロボットの内部から上がる。名前を呼ばれた女性、夜見れなは右肩のコックピットで同じくヘッドデバイスを装着して白く光る台座の上に立っていた。

 ひらひらとしたマジシャン衣装の夜見が見据えているのは、武器を持つ制服を着た集団、鷹宮リオンの部下たちだった。

 

「キャスター、これって」

 

 何かを察した鷹宮がキャスターに問いかける。キャスターは首を横に振った。

 

「残念ですが」

 

既に最後まで答えを導いているらしいキャスターに鷹宮は苛立ちを隠さず言った。

 

「マジで、その、なんとかならないわけ?」

 

「ならないでしょうね」

 

 キャスターは切って捨てるように言う。キャスターは鷹宮にも見るよう促して下方の集団を見下ろした。

 

 火球の段階で指揮機能は死んでいたのだ。それが巨大ロボットの出現とあっては、もはや生徒たちのほとんどが恐慌状態に陥るか立ち尽くすかのどちらかだった。

 

「マスターの声は当然届かないでしょう。私自身は、そうですね、あれを守るとマスターを守る余力が残りませんから」

 

青い波状のパルスが空間に広がり、鷹宮は歯噛みする。エネルギーは着実にチャージされていた。

 

「ちょっと葉加瀬さんも、夜見さんを止めてくれ!」

 

 再び男性の声があがる。もう一人の女性、葉加瀬冬雪はロボットの左肩のコックピットに立っていた。

 

 赤いリボンと黒のカーディガンの制服の上から白衣に袖を通し、足元は黒いタイツにロングブーツを履く白い髪の女性だった。

 ヘッドデバイスをつけた状態で話しかけられるまではぼーっとしていたようだったが、加賀美に呼び掛けられて再起動した。

 

「え、社長撃つんですか⁉ 夜見、狙いは私に任せて! あわよくば剣持ごとやってやんよ!」

 

「ああこれ駄目だ……終わった」

 

 味方の説得を諦めた加賀美はならばと切り替える。

 

「撃つと決まったのなら仕方がない。こうなれば私にやれることをやるまでです!」

 

 加賀美は視界のカメラを下方に向け、そこに集まる生徒たちへ呼び掛けた。

 

「そこの生徒たち、早くこの場から逃げてください! そこにいたら本当にやばいんですって!」

 

 だが、その声は取り乱す生徒たちには届かなかった。

 

「こうなれば……!」

 

 加賀美の操縦によってロボットの頭部側面から機関銃が現れ、校舎の窓ガラスを掃射する。

 砕け散った窓ガラスは生徒たちの頭上から降り注ぎ、キャスターの張った防壁に雨のように砕けていった。悲鳴を上げる生徒たちに向かって加賀美はもう一度呼びかける。

 

「そこにいると死んでしまいます! お逃げなさい早く!」

 

 生徒たちは敵からの呼びかけにハッとし、次いで頭上の鷹宮を見上げた。

 

 鷹宮はため息をついて言う。

 

「即刻、戦場から離脱しなさい」

 

 その声を受け、生徒たちは目を丸くするが、一人が動き出して近くに倒れている生徒を回収し始めると、他の生徒たちもまた声掛けして仲間を回収しながら離脱にかかった。

 

 キャスターはそんな生徒たちを好ましいものを見る目で見つめていた。その目は、温度を変えずに隣へと向けられる。戦場を離れる部下たちを安堵の表情で見下ろす鷹宮リオンに。

 

 大きく広がっていたパルスが収束し、破裂しそうな青い瞬きを放ちだす。

 

「間に合った……」

 

なんとか呼びかけが届いたことにほっとし、バーにしなだれかかった加賀美ハヤトを夜見と葉加瀬が労った。

 

「お疲れぁ~、相変わらず甘いね~社長は」

 

「それでこそ社長ってもんよ」

 

「あっはっはっは……ありがとうございます。わかってはいるんです。敵とて覚悟を持ってその場所に立っている。それを情けで助けようだなんて、失礼なことなのかもしれない、と。初めに言っておきます、申し訳ありません、夜見さん、葉加瀬さん。ひょっとしたらこの先も迷惑をかけることがあるかもしれません。それでも私は、この甘さを捨てきれない自分も好きなんです!」

 

 加賀美のヘッドデバイスには夜見と葉加瀬の姿も共有されている。二人はなんてことのないように手を振って言った。

 

「やだなー、私たちも好きでやってるだけですよぉ~。ね、冬雪?」

 

「死んだら恨むで~」

 

 軽い。あまりに軽い二人の言葉に加賀美の目頭が熱くなる。しかし自分の姿も二人に共有されているのだと思い出して誤魔化すように笑った。

 

「二人とも、ありがとうございます。ええ、死んだらそのときは好きなだけ恨みなさい。では二人とも、準備はよろしいですね?」

 

「オッケー」

 

「ええでー」

 

「ではちゃんと確認したうえで行きましょう!」

 

 加賀美は言い聞かせるように二人に呼び掛けると、学校全体を見下ろす頭部カメラの画像を視界に映して言う。

 

「範囲内に次元断絶障壁を展開!」

 

「展開、ヨシ!」

 

 と夜見の声が返ってくる。学校の敷地を境に空間が断絶する。

 

「エネルギー充足率を報告!」

 

「エネルギー充足率120%、ヨシ!」

 

 加賀美の視界内で葉加瀬がグッと親指を立てる。

 

「素晴らしい!」

 

 加賀美は眼下に立つ自分たちよりはるかに小さく、そしてはるかに強大な敵に向けて手を振りかざし、言う。

 

「対象は剣持刀也! 圧縮粒子砲……」

 

 その後を夜見と葉加瀬が手を振り上げて続けた。

 

「「発射ぁ―!」」

 

 空間を緊迫していた青い光の収縮はその逃げ口を見つけて軽やかに迸る。二つの線を結ぶかのようにロボットの胸部から剣持へと、光はまっすぐに突き進み、そのまま剣持が静かにかざした剣に突き当たった。

 

「なるほどねぇ」

 

 と安全バーに寄りかかった状態で葉加瀬はしっかりと見つめていた。

 

 青い光は地面を沈め、そこから溢れた光は校舎の一階部分を押し流して大穴を開ける。そして、学校の敷地外にまで漏れ出ようとして障壁にぶち当たれば消えていく。そう、それと同じことなのだ。

 

 光線が二つに割れていた。いや、真ん中部分がごっそりと抜け落ちている。消えていく……虚空の彼方に。

 

「社長、ハンマー準備して!」

 

「え、はい!」

 

 未だ発射時の振動に心を酔わせていた加賀美を葉加瀬の声が無理矢理起こした。

 

 光線の降り注ぐ先で、剣持刀也が刀を振り抜く。何が起こっているのかはわからない。だが光線は割れていき、何かがダイカガミに向けて迫る。

 

「う、うおおおお!」

 

 加賀美の操作によってダイカガミがハンマーを振るう。

 

 パッ、とハンマーの面で何かが消えた感触があった。加賀美が呆然とするのも束の間、夜見が無言でダイカガミを操作する。

 

 ダイカガミは地面を蹴って跳び上がると、剣持に向けてハンマーを振り下ろした。

 

 剣持の剣とハンマーが接触する。再び、虹色の光が接触面から放たれ、棒立ち状態だった剣持は苦い表情で腰を落とす。

 

 しかし、今回は剣持が粘った。剣持が歯を食いしばって剣を振り抜くと、弾かれたハンマーにダイカガミが体を持っていかれそうになる。

 

「くっ、まだだ!」

 

 そう言った加賀美には制御しきれなかったが、加賀美の声を受けて夜見が目を見開く。ダイカガミが地面に落ちたハンマーを軸にして曲芸じみた宙返りを披露した。

 

 そこで加賀美の操作が追いつく。ダイカガミはハンマーと立ち位置を入れ替えるようしてハンマーを高く持ち上げると、一気呵成に剣持に向けて振り下ろす。

 

「無駄ですよ」

 

 先ほどと同じように剣持がハンマーを弾くが、今度はそれも織り込み済みだった。弾かれたハンマーは空に円を描きながら、その勢いを加速しながら次々と剣持目がけて振り回された。

 

 巨大ロボットとの殺陣なんて冗談じゃない!

 

 剣持はダイカガミのハンマーを繰り返しいなしながらも焦っていた。かといって受け止めるのも……剣持は虹色の光を眩しそうに見上げ、舌打ちする。膝が震え、地面に足が沈んでいく。

 

 受け止めるのも、自分がしんどくなるだけだ。

 

 ダイカガミはどんどん調子づいてきている。パイロットの息の合い方だろうか? ハンマーがどんどん軽くなっているように見えてくる。ダイカガミはその巨体のくせして剣持以上に足を動かし、腕を動かして、その巨大なハンマーを剣持刀也のただ一点のために振るってくる。

 

「もういいでしょう……! 終わらせますよ」

 

 剣持は宣言すると、頭上から振り下ろされるハンマーを受け止め、横へ逸らしながら自身は前へ飛び込むようにして踏み込んだ。そのままダイカガミ本体へと疾駆する。

 

「社長これまずいですー! 飛んで逃げよっ!」

 

「わかりました!」

 

 ダイカガミ背部のスラスターが火を噴き上げてダイカガミの足が地面を離れる。

 

 夜見の操作でハッチが開いて水蒸気を噴出するが、ダイカガミの位置を即座に見失うにはダイカガミは巨大すぎた。

 

 剣持が頭上に剣を振るう。見えない刃は剣持の刀を離れ、ダイカガミの胴から背中のスラスターにかけてを切り裂いていった。

 

「「「うわあああああ〜!」」」

 

 真っ二つに分たれたダイカガミから情けない悲鳴が三つ上がる。

 

 土煙をあげてダイカガミは墜落した。

 

 地面の揺れが収まっても、剣持は煙が晴れるまでじっと待っていた。

 

 果たして煙が晴れた先で見えたのは、ロボットから出てきたらしい、加賀美ハヤトがまるで戦国武将のような肩当と小手のデバイスを身体の周囲に展開して、なにやらハンマーをいじっている様子だった。

 

「なにを……」

 

 言いかけて、剣持は口を閉ざす。巨大なロボットのハンマーの中心部には、人の身長を越す大太刀が埋め込まれていたのだ。恐らくあのハンマーと同じ効果があるのだろう。剣持は気に入らなさそうに尋ねた。

 

「何があなたをそこまでさせるんですか?」

 

 加賀美は大太刀を構えると、答えて言う。

 

「加賀美インダストリアルは依頼者の期待に全力で応える……そして子供も大人も、誰もが笑って過ごせる世界と共にあることを選ぶ! ただそれだけです!」

 

「社長よくいった!」

 

 コックピットから白い鳩たちが一斉に飛び立つ。その後に立っているのはマジシャン、夜見れなだった。

 

「夜見も混ぜな!」

 

 夜見は決め顔でロボットから飛び降りると、加賀美の隣に立った。

 

「いい大人がガキみてぇなこと言ってんじゃねえ!」

 

 剣持が刀を携え走り出そうとしたとき、剣持を中心に地面に六芒星の魔法陣が浮き上がり、そこから巨大な火柱が噴き出した。さらに氷の斬撃が叩きこまれると、火柱は渦を巻くその形のまま凍り付く。

 

 氷は割れ、結晶の欠片が降り注ぐ。凍った炎の中心で剣持は当然のように無傷で立っている。

 

「私たちのこと」

 

 リゼが上ずった高い声で言うと、その後をアンジュが落ち着いた低い声で接いだ。

 

「忘れていませんか?」

 

 赤髪の錬金術師、アンジュ・カトリーナが剣持に笑いかける。大剣を携えたリゼ・ヘルエスタと黒い獣の戌亥とこも一緒だ。三人は加賀美ハヤトの隣に並び立つ。

 

「加賀美さん、ここからは我々も加わります!」

 

「ヤバくなったら私は二人を抱えて逃げるけど……」

 

 ノリノリのリゼとそれに水を差すのを恐れながらも言うことは言う戌亥を見て、加賀美は何度も頷いて言う。

 

「ええ、ええ! ヘルエスタ王国の皆さん、助太刀感謝します!」

 

 加賀美ハヤトは隣で構えられたオーロラの光を放つ大剣、ヘルエスタセイバーに並べるように、自身の大太刀を掲げて言った。

 

「皆さん準備はいいですね? 始めましょうか、我々の反撃を……!」

 

 

 〇

 

 

「わーわーうっさいのよ」

 

 滅茶苦茶になった校庭に今も激闘が繰り広げられている。それを見下ろす鷹宮の表情は沈鬱だ。

 

「後悔されていますか?」

 

 キャスターが問いかける。鷹宮は気持ちを隠さずに答えた。

 

「してるよ。グループのみんな聖杯戦争舐めすぎ。全部を手に入れようなんてそんなの、甘すぎる」

 

 そして、思い直したように付け足した。

 

「いや、はは。っていってもさぁ、一番甘いの、私なんだけどね」

 

 言っても仕方ないか、と鷹宮は自嘲の笑みを浮かべた。

 

「帝華の力がいくらあったって、他マスターに対抗できるような魔術師がいるわけでもない、せめて下で戦ってる誰かが一人でもいてくれたなら、って思うけど……あの人たちはきっと、強いからあの場に立つことを選べた人たちだし」

 

 鷹宮はそう言いながらも、その目は学校に開いた大穴を見つめていた。キャスターは鷹宮の言葉に頷いて言う。

 

「ええ、ええ。心配されてるご学友のことでしたら大丈夫ですよ。少なくとも今現在は、と言葉を仮置きしなくてはなりませんが」

 

「こんなはずじゃなかった」

 

 鷹宮は虚ろな目を校舎の穴に向けて呟く。

 

「こんなはずじゃなかったのに。でも、ねえキャスター。人生ってそんなもんだよね」

 

 おっと、とキャスターは少し困ったような反応を見せるが、顎に手を置いて冷静に答える。

 

「それも人生ではありますが、マスターの人生ですから。マスターのしたいように。このキャスター、マスターの願いのためにこそ、尽力させて頂きたく……」

 

「私の、願い……?」

 

 寄る辺もなく発される鷹宮の言葉。しかしキャスターは休む間もなく鷹宮に問いを重ねた。

 

「ええ。マスターは聖杯に何を願うのか。いえ、そもそもです。マスターは本当に、聖杯を願っているのですか?」

 

 校舎の穴から視線を上げ、鷹宮はキャスターを見つめた。鷹宮の瞳に映るキャスターの微笑みは好奇心? 慈愛? わからない。たぶん両方だろう。鷹宮がキャスターに何のつもりか問いただそうとしたとき、鷹宮の背後、校舎の屋上から声が発された。

 

「その話、私も混ぜてくれませんかねえ」

 

 鷹宮も、キャスターも何の驚きもなくゆっくりとふり返る。そこには今の今まで姿をくらましていた夕陽リリが、屋上のフェンスに身を寄せて立っていた。

 

「どちら様ですか?」

 

 さほど興味もなさそうに鷹宮が尋ねる。夕陽は軽く笑って言った。

 

「夕陽リリ、と名乗りはしますが。どうせ名前、覚えないでしょう? それより鷹宮さん、私は下で戦ってるヘルエスタ王国のメンバー、及び加賀美インダストリアルのメンバーを代表してあなたと交渉がしたくてここに立っているんです」

 

「ヘルエスタ……加賀美を代表? 虚空教じゃなくて?」

 

「驚かれるのも無理ないんですけどね。それでなんですけど、まあ、単刀直入に言わせていただくと、聖杯、私たちに譲ってもらえませんか?」

 

 鷹宮は夕陽リリの目をじっと覗き込むが、白けたように目を逸らして言う。

 

「ヤです」

 

「委員長、月ノ美兎を救い出すのに必要でして。下で戦ってるみんなもそのために集まったんですよ。ね、一生のお願いですから。これを聞いてもお気持ちに変わりありませんか?」

 

 鷹宮は横目でちらと夕陽を見る。夕陽は大げさに頭より高くに両手を合わせ、見せびらかすように誠意を示している。色んなことが腑に落ちて、それでいて今さら特に思うことはなかった。鷹宮はもう一度言う。

 

「お断りさせていただきます」

 

 夕陽リリはそれを聞くと、寄りかかっていたフェンスから身を離す。軽く頭をかくと、

 

「あっそ」

 

と言い放った。

 

「どこへ行くつもり?」

 

 屋上の出口に向かって歩き出した夕陽リリに、鷹宮が尋ねる。夕陽は振り返らずに答えた。

 

「ちょっと図書室の方まで。急に本が読みたくなって」

 

 屋上のドアが重たい金属の音とともに閉まる。鷹宮は既に動きのなくなった扉を見つめ続ける。

 

 夕陽の最後の言葉に込められていた悪意のようなものが引っ掛かっていた。鷹宮の手が首筋のチョーカーへと伸びた。

 

「そうされるんですか?」

 

 横からかけられたキャスターの言葉に鷹宮はびくりと身を震わせて手を降ろす。しかし、キャスターが何も言わずに見つめているので、鷹宮は恐る恐る尋ねる。

 

「魔術師として、軽蔑しますか?」

 

 それに対するキャスターの言葉は鷹宮の予想に反するものだった。

 

「尊敬しますよ。人として」

 

 え、と鷹宮は余りに間の抜けた表情でキャスターを見た。感情が揺れていることを見て取り、心配そうにしたキャスターが付け加えた。

 

「命令ひとつして頂ければ、私が行って……」

 

「待って!」

 

 キャスターの言葉を遮って鷹宮は言った。

 

「私が行く」

 

 キャスターは少し意外そうにしながらも、ふっと表情を緩めて言う。

 

「そうですか」

 

「キャスターごめん」

 

「構いませんよ。それに、個人的な好奇心もいくつかありますので」

 

 そう言ってキャスターは眼下に倒れたロボットを見やる。鷹宮はチョーカーの中心で宝石のように輝く黒蝶石に手をやって言う。

 

「じゃあキャスター、命令するけどいい?」

 

「それには及びません」

 

 とキャスターは鷹宮の手にその手を重ねつつ、黒蝶石に指で触れた。すると、黒い石にひびが入り、まるで蝶が蛹から羽化するかのように、割れた石から黒い羽根が湧き出し、蝶はその姿を現した。

 

 鷹宮には見えづらい位置で起こった出来事だったが、鷹宮が首元に手を伸ばしたとき、ちょうど羽を広げ終えた蝶は、一気に鷹宮の元から飛び立った。

 

 呆然と蝶を見上げる鷹宮にキャスターが言った。

 

「では、お気を付けて」

 

「ありがとう」

 

 我に返った鷹宮はそう言い残し、屋上の扉に向けて駆けて行った。

 

 〇

 

 

「さて、これでしばらくは自由ですね」

 

 キャスターは優雅に空中を歩き、墜落したダイカガミの真上にまで来る。

 

「先ほどこれは消滅せずに分たれた。要所に障壁を仕組んでいたのは間違いありませんね。やはり優先すべきは次元を断絶するシステム。粒子圧縮……は余裕があれば。指令系統のシステムは見させていただかなくては」

 

 キャスターの身体はゆっくりと降下し、やがてダイカガミの胸部の上に舞い降りた。

 

 キャスターは迷いもなく膝をつき、ダイカガミの胸部を構成する装甲にその手で触れた。

 

「ふむ、特殊な合金を使われているようで。よくまとまっています。エネルギーの流れは……おや?」

 

 キャスターは目を丸くして立ち上がると、振り返る。ダイカガミの左肩の装甲が開き、扉のように中へ通じる空間が現れる。

 

「よいしょっと!」

 

 ダイカガミの内部から梯子を上がるように女性が出てくる。破損したヘッドデバイスを頭部に装着していたが、それを取って放るとルビーのような艶のある赤い瞳が露になる。

 

 その女性、葉加瀬冬雪はキャスターがいるにもかかわらず、雪のような白い髪を軽く手で整え、校庭で行われている激戦をどこか遠いもののように見下ろして呟いた。

 

「こりゃあえらいこっちゃですなー」

 

「あなたは……」

 

 キャスターが言葉を発して初めてキャスターに気づいたらしい。葉加瀬は「うわっ」と驚いてその場で小さく跳ねると、一瞬目を疑いながらも言った。

 

「サーヴァント⁉」

 

 葉加瀬はその言葉と同時に腰で留めたベルトに手を伸ばし、そこに連なった試験管を二本引き抜くとキャスターに向けて投げつけた。

 

 一方、葉加瀬の白衣を始めとして、液体の入った試験管やフラスコを興味深そうに眺めていたキャスターは意表を突かれた形だった。

 

「なっ、化学(アルケミー)に対する冒涜だ!」

 

 液体の正体を見定められないままキャスターは多重の防壁を展開する。

 

 キャスターの見上げる先で試験管の一本が破裂し、もう一本の試験管を巻き込んで小さな爆発を起こす。すると、そこで砕けたもう一本の試験管の中身が雨のようにキャスターに向けて降りかかる。

 

 ジュ、とキャスターの頬を何かが焼いた。キャスターは頬を手で抑える。触れ、さらに痛みの正体を霊基を探ることで割り出すと、どうやら頬の肉がえぐり取られたようだった。キャスターの足元に滴の一滴落ちた跡があった。

 

水よ(ウンディーネ)

 

 キャスターが頭上を見上げ呼び掛ける。

 

 すると、防壁を溶かしてキャスターに降りかかろうとしていた液体が全て空中で止まった。そして、止まった水は向きを変え、フラスコの中の液体をぐびぐび飲んでいる葉加瀬冬雪に向けて飛散する。

 

「うわぁー!」

 

 葉加瀬が悲鳴を上げる。水を頭から被せられたからだ。

 

「はあ⁉ ちょっ、びっしょびしょなんですけど!」

 

 服や髪をびしょびしょにされた葉加瀬が抗議するのをキャスターは厳しい表情で見つめた。

 

「魔力だけを分解なさるんですか。我々の天敵ですね」

 

 キャスターはゆっくりと腕を持ち上げると、葉加瀬へと狙いをつけるように手のひらを向けた。

 

「しかし水など、土で押し流してしまえばいい」

 

 土よ(ノーム)。キャスターの呼びかけに反応して地面から土が隆起し、葉加瀬に向けて押し寄せる。葉加瀬は再び腰の試験管に手を伸ばすが、液体など土に吸われるだけだと気づいて手を引っ込める。葉加瀬はその場を駆けだす。

 

 キャスターは目を見開いた。土から走って逃げる葉加瀬の動きはサーヴァントには及ばない、及ばないが、しかし明らかに人間の身体能力、それも並の魔術師による身体強化魔術の域を超える速さに至っている。

 ダイカガミの胸から腕へ飛び移り、頭部の方へ逃げる葉加瀬に土は完全に弄ばれていた。

 

 しかし、キャスターは笑う。葉加瀬は息をあげている。

 

「摂取したのは身体強化の液ですか。しかしその息の上がり方、副作用も大きいようですね」

 

「こ、これはぁ、はぁ、普段、運動……ぜぇ、ぜぇ、してない、からぁ……!」

 

 葉加瀬が息を切らしながら言った。キャスターはすんと微笑みを消し、目を丸くする。

 

「そうですか」

 

「うん、そうなの……」

 

 土による猛追はいったん収まり、葉加瀬は膝に手を着き体をくの字にして、しばらくは上がった息を持て余していた。

 

 葉加瀬はフラスコにまだ残っていた中身を全て飲みきると、顔をあげ口許を袖で拭って言う。

 

「あ、あと、ダイカガミは企業秘密ですから……ねっ!」

 

 葉加瀬が身をかがめ、一気に跳躍する。葉加瀬はキャスターの頭上に通り過ぎる際に試験管を一本放った。飛び散った液体はキャスターの土が全て押し流していく……。

 

「さあ、次は何を……ん?」

 

 頭上を片付けたキャスターは葉加瀬がいるはずの方を見やる。が、葉加瀬はキャスターを飛び越え、振り返らずに走っていた。

 

「馬鹿な⁉ 逃げるんですか!」

 

 キャスターが呼び掛けると、返事が返ってくる。

 

「そりゃそうですよ! 命とか絶対賭けないから!」

 

 そうですか……と寂しそうに呟くキャスターは憮然とした表情のまま再び屈みこみ、ダイカガミに触れた。編み込んだ術式をダイカガミの内部を流れているであろうエネルギーの方へと伸ばす。

 

「……なるほど」

 

 キャスターは目を瞑ると、ダイカガミから手を離し、立ち上がった。

 

「企業秘密、ですか。加賀美インダストリアル……恐ろしい組織のようだ」

 

 ダイカガミにはエネルギーはおろか、内部をエネルギーが通った後すら残されていなかった。巨大な機械の形をした空洞がそこにあった。

 

「残念ですが、それもまた好ましいようで」 

 

 キャスターは葉加瀬の逃走した方を見つめ、次には校庭で戦う彼女の仲間の二人に目を向けると、ほほ笑んだ。

 

 

  〇

 

 図書室では女子生徒の鼻歌が聞こえてくる。ローブを頭から被った生徒の控えめだが芯の通った歌声が、本棚の間を漂うように、外の騒ぎなど関係ないとばかりに図書室を満たしていった。

 

 生徒は鼻歌をやめ、ぶらぶらと揺らしていた足も止めて、扉の方を見やった。

 

 扉が開く。一瞬生徒は嬉しそうに立ち上がるが、その表情はすぐに不機嫌なものに変わる。

 生徒は音楽を指揮するように両手で空中に文字を描く。

 描かれた文字から風が鳴る。

 細くて小さな、小鳥の鳴き声のような。

 生徒のかけていた長椅子に置きっぱなしだった本が風に舞って浮き上がる。

 鳥の鳴き声だった風鳴りは鋭さを増し、すぐに鞭のような風となって、生徒の前方、夕陽リリに向けて振るわれる。

 

 夕陽リリはバリアに守られその場に踏みとどまっていた。

 片腕で顔を覆い、目を細めながら笑う。もう片方の手は生徒の方に向かう。その手には銃が握られている。

 

―――

 

 校舎内に銃声が連続する。鷹宮リオンは身体強化魔術を駆使して階段を飛び降り、廊下をほとんど飛ぶような速さで駆け抜ける。扉の上方にかかる図書室の札が目に入ると、急ブレーキをかけながら、叩きつけるように扉を開いた。

 

 鷹宮リオンの目に入ったのは、倒れたローブの女子生徒を見下ろし、上から銃を突きつける夕陽リリだった。女子生徒が夕陽に食って掛かるように睨みつける。不自然な風が生徒を取り巻き始めていた。

 

「そこを、どきなさい……!」

 

 鷹宮の感情に反応するように熱が渦を巻き、炎となって夕陽に向けて放射される。

 

 夕陽は驚いたような表情で炎を認めると、軽くその場で跳んだと思いきやその姿が掻き消えた。炎は周囲の風を巻き込みながらカーテンを焼き払って窓を突き破る。鷹宮が視線をめぐらすと、夕陽は少し離れた本棚の間に立っている。

 

 鷹宮は構わず生徒の元へ駆け寄ると、生徒の上半身を支えるようにして抱き寄せた。

 

「リオ様……ごめん、やられちゃった」

 

 謝っているにもかかわらず、鷹宮の顔を見ることが出来て、女子生徒の声は嬉しそうだった。

 

「相変わらずね」

 

 そう言って鷹宮は生徒の目を優しく覗き込む。背の高い鷹宮からのいつも通りのアイコンタクト、けれど、このとき生徒は視線を逸らした。それで鷹宮の予感は確信に変わる。

 

「ねえ、私が来たとき何かしようとしてた?」

 

「え、いやー、それはね、はは……」

 

 生徒は答えられず、笑ってごまかそうとしたようだったが、鷹宮の目を見て考えを変えた。

 

「ごめん、ごめんね。ずっと悩んでるみたいだったから、私が全部終わらせちゃえばいいのかなって。そう、思っちゃったんだぁ」

 

 生徒の物言いに鷹宮は少しだけ笑って言う。

 

「私なんかの悩みを、自分ごと?」

 

「……ふふっ、酷かったよね」

 

 生徒は自嘲しながら自身の右手を見下ろした。そこには令呪があった。一画使用されて残り二画となる赤い霊紋は鳥が翼を拡げているように見える。

 

「酷いわよ。勝手にいなくなるなんて」

 

「ごめんね」

 

 再び謝ったものの、先ほどとは違い、鷹宮が既に許していることを察している、そんな声だった。しょうがないな、と鷹宮は自分でも驚くくらい甘い考えのまま、再び夕陽リリへ睨みを利かせる。

 

「立てる?」

 

「うん、立てるよ、ちょっと待って」

 

 女子生徒は少し慌てたように立ちあがると、衣服の汚れをぱっぱと払う。視界の隅でそれを捉えて鷹宮は呆れ混じりに笑みを浮かべ、自身もまた立ち上がった。

 

「じゃあ、令呪を」

 

 鷹宮の言葉に、生徒は不安そうに令呪の刻まれた右手を胸に抱く。

 

「大丈夫」

 

 そう言って鷹宮は振り返り、生徒の不安を解くように、その右手を自身の両手で包み込んだ。

 

「約定は破られた。責任は全てキャスター、及びキャスターのマスターであるところの鷹宮リオンに生じる」

 

 鷹宮が自身の首元を指し示すと、生徒は複雑そうな表情で俯いた。それを見てまた鷹宮は笑う。

 

「もう終わったことなんだから。手出して」

 

 促されて、しかし生徒はまだためらっていた。

 

「ね、これが最後だから」

 

 鷹宮が優しく笑いかけ、ようやく生徒は手を差し出した。手の甲の令呪を上に。その上に鷹宮が自身の手の甲を重ねると、女子生徒が唱え始める。

 

「水よ、地よ、風よ、火よ、我が体内をさらえ。エーテルよ、そこに刻まれし令呪を浮かばせ、浮かばせ、浮かばせ……見上げる場所に映し出せ!」

 

 女子生徒の令呪は赤く輝き、その輝きは重ねられた鷹宮の手の甲にまで届いていた。

 

「キャスター、ヴァン・ホーエンハイム・パラケルススの名のもとに、ここに令呪を返還する!」

 

 女子生徒の声とともに、令呪が鷹宮の手の甲に浮上する。鳥の飛翔は再び鷹宮の手の甲へと舞い戻った。

 

 鷹宮は令呪を確認すると、一度深く目を瞑って生徒に言った。

 

「ありがとうね、ここまで」

 

「うん」

 

「でも戦況は私たちの手を離れてる。すぐにここから離脱して。私とキャスターも後を追うから」

 

「え、それだと……」

 

「いいから」

 

 鷹宮は相手の声に被せるように言うと、生徒の背をドアの方へ軽く押してやる。

 

「いつも通り、私に任せなさい」

 

 押された生徒は振り返って言う。

 

「わかった。いつも通りね、いつも通り……もう、格好つけてばっかり」

 

 生徒は自分を落ち着けるように繰り返すと、ほほ笑み、息が詰まったような調子で言った。

 

「じゃあ、いつもの場所で待ってるからね……!」

 

 無理に作った笑みはすぐに消えた。生徒は気まずそうにしながら視線をさ迷わせ、最後に鷹宮を見て言う。

 

「また後でね。絶対だよ、リオ様」

 

 生徒は身を翻して駆け出した。鷹宮はその背に向けながらも、誰にともなく言う。

 

「ごめんね」

 

 生徒の小さな背中は廊下へと消えていく。鷹宮はしばらく生徒の消えた廊下を見つめていたが、ため息をつくとあからさまに嫌そうに夕陽リリに向かい合う。

 

「余裕じゃないですか。見世物じゃなくてよ?」

 

「ん? ああ、すいません。いや、初めてのことだったんで、つい」

 

 何か含みのある夕陽の言葉に鷹宮はむっとして睨みつける。

 

「どういう意味?」

 

「さあてね」

 

 夕陽はからかうように笑って銃口を鷹宮に向ける。鷹宮が夕陽に向けて手をかざした瞬間、またしても夕陽の姿が消え、背後から銃を向けられる気配が――

 

 鷹宮が振り返りざま投げつけるように炎の渦を夕陽に向けて放つ。夕陽は姿を消して逃げるが、炎は扉にぶつかって大きく壁を焼き焦がす。巻き上がる火の粉が本に燃え移っていくのを視界の隅にみやり、鷹宮は少し気怠い気持ちになる。夕陽は再び、何もないところから姿を現した。

 

 テレポート……? 察しをつけるが、解決策は見つからない。そもそも戦うつもりがなかったので宝石も持ってきていなかった。夕陽は不敵な笑みを浮かべると、ゆっくりと本棚の方へと進み、その影に隠れた。鷹宮はぐっと拳を握って叫んだ。

 

「隠れようったってそうはいかないから!」

 

 鷹宮が炎を鞭のように振るう。炎は鞭の先端で大きく広がり、夕陽の隠れた本棚を始め左右に並んでいた本棚まで一息に呑み込んだ。

 

「おいおい、火事だよ、火事」

 

 燃え盛る本棚の列を見ながら他人事のように夕陽が言う。やはり無傷で、それも鷹宮に堂々と背を向けて姿を現す。

 

 鷹宮は憎々しげに睨みつけながらも突然側面に向けて炎を放つ。圧力に負けて何か重いものが吹き飛ばされた音がした。黒く焦げ付いた夕陽のドローンが壁に激突し、墜落する。

 

「あっれー? バレてんだ」

 

「当然!」

 

 鷹宮は今度は夕陽に向けて炎を放つ。夕陽は当然のようにテレポートで逃げるが、夕陽の背後に控えていたドローンが炎に呑まれて墜落する。

 

 鷹宮はそれを見る間もなく防壁を張って三基のドローンの掃射から身を守った。

 

 やれるかも……!

 

 少し希望を持った鷹宮だったが、夕陽の声がすぐ隣に、防壁の内側から聞こえてきた。

 

「ステルス機能、見直さなきゃか」

 

 夕陽は自分の方目がけて銃を撃つ透明なドローン三基を見つめながら、無感動に鷹宮に銃を突きつける。

 

「舐めないでよ、ね!」

 

 そう言って頭を射線から逸らして蹴りを見舞おうとした鷹宮の、その足を夕陽の銃の放つ光が貫通する。同時に防壁が砕け、周囲に赤い破片が飛び散った。

 

 夕陽はテレポートで離れた。ドローンの掃射に鷹宮の体がさらされる……!

 

「ぐっ、うあああああ!」

 

 振るおうとしていたのだろう、鷹宮の手の中に燃えていた炎は消えた。制服を血で濡らし、鷹宮は前のめりに倒れ込んだ。

 

「戦えたのにもびっくりですけど、まさかここまでやれるなんてね」

 

 鷹宮を見下ろして夕陽は銃をしまう。周囲を見渡すと、図書室は本から本へ、本棚から本棚へと延焼を繰り返し、もはや火の海となりつつあった。

 

「さて。この結果どうなるか、と」

 

 夕陽は悠々自適に歩いて廊下へと出る。燃える図書室を背後にして、窓の桟に肘を置いて校庭を見下ろした。

 

 

 〇

 

 

「くっ、おおおおおお!」

 

 加賀美ハヤトが大上段から大太刀を振るい、剣持がそれを自らの刀で受け止める。もう何度目かわからない、虹の光が校庭に瞬いた。

 

 加賀美の横を素早く影が通り抜ける。飛び上がった戌亥とこが拮抗する加賀美と剣持の鍔迫り合いを崩すべく、加賀美の刀の背を勢いよく蹴り込んだ。

 

「てめぇ、滅茶苦茶してんじゃねえ!」

 

 剣持が怒鳴るが、戌亥の蹴りの重さも乗った刀を受け止めきれずに吹っ飛ばされる。それを追ってリゼがヘルエスタセイバーを掲げると、その剣先からオーロラのような光が伸びていった。

 

 剣持はこれを刀で受けようとするが、光は剣持の刀に触れる前に空中で拡がって氷の壁となる。剣持はむっとしながら腕を振るおうとするが、その直前に氷は内部からの炎によって白い霧となり、たちまち周囲に広がった。

 

 ぴよぴよぴよぴよ! 霧の中に小鳥たちの声がさんざめく。剣持はその中に立ち、静かに気を張り巡らして敵の攻撃を探っていたが、周囲の小鳥たちの鳴き声があまりにも神経に障っていた。

 

「うるせえよ黙れよ意味ねえよ!」

 

 剣持がぶちぎれながら四方から向かってくる小鳥の群れを手で払うように消し去っていく。しかし、その中の一羽に加賀美ハヤトが紛れていた。

 

 マジックは解かれ、加賀美が虚空を刀で受け止める。先ほどから変奏して繰り返されるこのやり取りに剣持はうんざりしていた。

 

「もういい……」

 

 剣持は加賀美の方へ斬撃を放ると、自らの身を放り投げるように後ろに倒れ込む。剣持の背後でオーロラの光が瞬いた。剣持が見ると、リゼ・ヘルエスタが三人、オーロラの光を掲げた剣に集めているらしかった。倒れていく剣持は、ほとんど身体が水平になるに至って体を転回し、背後に向けて疾走する。

 

 剣持の飛ばした斬撃で三人のリゼは消滅する。その奥でこちらに背を向け逃げようとするリゼがいるが、これを剣持は無視した。剣持の進路は急角度で曲がる。剣持が走りながら刀を構える。その先にいるリゼもまた険しい顔で剣を構えるが、割って入った別のリゼに襟をつかまれ、放り投げられた。

 

「え」

 

 自分の姿をした誰かが自分の代わりに剣を構えている……それを空中からポカンと見下ろすリゼ。すぐに剣を構えたリゼの姿がぼやけ、マジックは消えた。

 とこ、ちゃん……?

 さっきまで自分がいた場所には戌亥とこだけが取り残されている。その場所に剣持は虚空の剣を振るって、その場所には戌亥がいて……。

 

 戌亥は腕をクロスしてガードしようとしたようだったが、剣持の刀が問答無用で戌亥をこの場から消し去った。

 

 地面に打ち付けられ、剣が手を離れても、リゼにはまだ現実と思えなかった。顔を上げるとさっきまで戌亥がいた場所には剣持だけがいる。ただそれだけで……。

 

「戌亥ー‼」

 

 アンジュの叫びにリゼの全身の皮膚が熱を帯びる。

 

「戌亥っ、戌亥っ、戌亥戌亥ぃ……! お前よくも!」

 

 リゼは目を擦る。剣持刀也の姿が、そして同時にアンジュの姿が、その輪郭が空中に溶け出ているかのように曖昧になる。

 

 じき、剣持の体は立ち昇った陽炎に包まれ歪んでいった。

 

「へえ、潜ってきますか。虚空の底が見えますかね」

 

 剣持の言葉はリゼには理解できなかった。アンジュの姿も同時に陽炎に包まれていた。二人の周囲では空中で火花が散って燃え、炎が地面に落ちては燃え尽きる。

 

「く、そ……」

 

 歯を食いしばっていたアンジュの口が力なく開き、声が漏れる。一度、アンジュの青く見開かれた瞳が大きく波打つと、その目から光が失われた。

 

「ア、アンジュ……」

 

 リゼが呼び掛けてもアンジュは反応しなかった。アンジュは崩れるように地面に倒れた。

 

「アンジュっ!!」

 

 リゼが駆け寄ろうとするが、そのさ中にアンジュの体がぐにゃりと歪む。アンジュの胸に穴が開いていた。それは透明な球体のようで、アンジュの体はその球体に巻き込まれるようにしてどんどん歪み、消えていく。やがてアンジュの体を呑み込み終わると、穴は最後に自分自身を巻き込み、解体して消えてしまう。

 

「アンジュ……うそ」

 

 リゼは膝をついてぺたんと座り込む。

 

「深淵を覗き込むとき深淵もまたこちらを覗き込んでいるんです。物理的に触らなければいいってもんじゃないんですよ」

 

 吐き捨てるように剣持が言う。その表情は前面に押し出した不快感をリゼに押し付けようとしているようだ。

 

「あなたのせい、とは言いませんが。もういいでしょう? 僕もさんざんなんですよ。敵対してるとはいえクズでもない善良な相手を手にかけさせられた。リゼさん、今からでも遅くありません、僕の前から消えて……リゼさん?」

 

 剣持は芝居がかった言葉を中断し、リゼの方を見る。リゼは上を向いている。糸が切れた人形のように力のない足と不自然にまっすぐな背筋、目は固定されているかのように天を仰ぐ。その見つめる先には……。

 

「社長、逃げるよ」

 

「え、いやしかし」

 

「もう駄目だよ。駄目だよ、こんなん……」

 

 夜見のいつにもなく震えた声に社長は唖然とする。

 

「リゼさん! 聞こえますかリゼさん!」

 

 兎にも角にもと加賀美は呼び掛けるが、リゼは反応しない。

 

「リゼさん……」

 

 加賀美の声に含まれていた諦めを感じ取り、夜見は苦い表情で両手を広げた。鳩が、一斉に飛び立つ。鳩の飛翔は二人の姿を覆い隠し、それが通り過ぎたときには二人の姿はこの場から掻き消えていた。

 

「そっか」

 

 リゼは頭上を仰いで呟いた。

 

「とこちゃんがいなくなったから」

 

 リゼの頭上、超高空で巨大な門が地上へ向けて開かれようとしていた。どれだけ大きいのか、燃え滾る炎、踊る悪魔、人の首を絞め殺す蛇を象る門の彫刻が、これだけ離れていてもはっきりと目に飛び込んでくる。

 

「私が弱かったからだよね」

 

 二人につり合ってなかったから……。

 

「アンジュ、とこちゃん……」

 

 リゼは門に向けて手を伸ばした。

 

「ごめん、受け入れられない」

 

 地獄の門は少女の声に答えるように、ゆっくりと音を立てて開かれる。

 

 

 〇

 

「こんなものが見たかったわけじゃないんだ。ここまでしたのに駄目なのか。ここまでしたからか。こんな結末、誰が許してくれるってんだか。ね、あなたはどう思いますか?」

 

 夕陽リリは体をくるりと入れ替えて窓を背にし、こちらを見つめる人物に問いかける。

 

「キャスターさん」

 

 燃える図書室から鷹宮リオンを抱えて出てきたのはキャスター、パラケルススだった。

 

「あなたが許さなければ、それが全てなのでしょう。時の旅人さん」

 

「なんだよそこまでわかって……あなた、本当に英霊ですか? これを見過ごすとか趣味悪くない?」

 

「そうですね。自覚はありますよ」

 

 そう言ってパラケルススは窓の方を見た。地獄の門から汚物のように滔々と吐き出され続ける怪物たち、死霊の群れ。世界はだんだんと色を失いつつあった。

 

「まさか私とあろう者が、こんなものを見てみたいと思っていたとは」

 

 窓に目を向けるキャスターの表情はそれでも穏やかそのものだ。夕陽の視線は抱かれている鷹宮に移る。

 

「鷹宮さん、生き返るんですか?」

 

「いえ」

 

 と首を横に振り、キャスターは視線を鷹宮に落とす。

 

「死にかけの状態で延命し続けるしかないですね」

 

「そんなことをして何の意味が?」

 

「そうしないと、私が消えてしまいますから」

 

 そして、キャスターは目を逸らして付け足す。

 

「最後にもう一つだけ、見てみたいものがあるんです」

 

「はあ、どうせ趣味悪いことですよ。聞かなくてもわかります」

 

 夕陽が笑いかけるとキャスターもまたほほ笑んだ。それで会話は終わった。

 

「じゃあ、私はもう行くんで。あとはお好きに」

 

「そうですか」

 

「どうせもう無理ですよ、この世界は」

 

「そうなんでしょうね」

 

「では」

 

「はい」

 

 夕陽が手の甲を掲げると、そこに青く光る蝶がとまった。夕陽がふっ、と蝶に息を吹きかけると、蝶はその形が崩れて粒子となって空間に広がり、空間に青い裂け目を描き出した。

 

 夕陽はキャスターを一度振り返るが、何も言わずに裂け目の中へと消えていった。

 

 キャスターはその裂け目を見てふふっと笑う。

 

「しかし無理ときましたか。どうやら捨てられてしまったようですね」

 

 言いながらキャスターは鷹宮を丁寧に床に横たえさせ、裂け目の方へと歩いていく。

 

「出番ですよ、元素使いの魔剣(ソード・オブ・パラケルスス)

 

 キャスターは自らの宝具をその手に呼び出す。魔剣というには装飾もほとんどない素朴な剣だった。長剣としては長さの足りないその刀身は、硬質な光を内側から放っている。

 

 キャスターは今まさに消え行かんとする空間の裂け目を見下ろすと、手にした魔剣を無雑作に裂け目に突き刺した。

 

 その瞬間、裂け目と同じ青い光の回路が奔流のように刀身を駆け巡る。裂け目が消えるのと同時に刀身の青い輝きは頂点に達した。

 

「解析、完了」

 

 キャスターは青く光る刀身に顔を近づけると、我慢しきれないというように刀身に額を着けた。キャスターの瞳に青い回路が浮かび上がる。

 

「検索開始……おや、そこにはもう私の居場所はないと。そして出来ることがあるとするならば」

 

 キャスターは倒れている鷹宮を見下ろすと、剣を引っ提げて鷹宮の傍らに膝をついた。

 

「未来の魔術を行使できるとは思いませんでしたが、これも時の運。なかなか悪くなったですよ」

 

 キャスターが鷹宮の首元に剣をかざす。と、そこに廊下を飛んできた黒い蝶が割って入った。

 

 キャスターは目を丸くしてくすりと笑った。

 

「誤解ですよ、殺傷の意図はありません。どうです、あなたもご一緒に。どうせここはもう地獄でしょうから」

 

 蝶の意図はわからない、が、蝶は鷹宮の首元で羽を休めるように、足を止めてゆっくりと羽根を開閉する。

 

 キャスターは柔らかな眼差しでそれを見下ろして、唱える。

 

「愛を知らぬものが目を見張るほどの愛を。毒を知らぬものを瞬時に死に至らしめるだけの毒を」

 

 蝶は羽を拡げる。大きく。自らの羽根を誇示するように。

 

「さあ、お行きなさい。世界から置いていかれないうちに」

 

 キャスター、パラケルススは鷹宮リオンの首を蝶ごと剣で突き刺した。

 

 一瞬苦しげに呻く鷹宮の体を青い光の回路が覆い尽くす。黒い蝶が鷹宮の首に溶け込んでいくと、回路の青い光は輝きを増し、廊下一帯を照らし出すほどに強くなる。

 

「ああ、そうでした。忘れないうちに」

 

 キャスターは今思い出した素振りで剣の柄尻を撫で、言う。

 

「開かれよ、異界の扉」

 

―――

 

 やがて青い光が消えたとき、鷹宮の姿も消えていた。

 

 キャスターは立ち上がった。

 

「よかった」

 

 キャスターは言った。

 

「ああ、今回は、よかった」

 

 キャスターは窓を見下ろそうとするが、ちょうど窓の向こうの地獄もこちらを覗いていたようで。

 

 廊下の窓は一斉に砕け散る。流れ込んできた地獄にキャスターの身体は呑み込まれた。

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