「そう言えば、最近夜見さんとお会いしましたよ」
リゼ・ヘルエスタはおかわりのミルクを仰いで笑った。
「そうか。夜見は元気か?」
チャイカは興味なさげに聞くが、リゼの隣に座るライダーは夜見と聞いてガタっと席を立ち、身を乗り出した。
「ええ、今は加賀美インダストリアル? とかいう日本の玩具メーカー主催のマジックショーで世界中を巡回しているみたいですね。本人も不満なくやれているみたいですし、化学部門に友だちが出来たと言っていました」
「そいつはいいことだな」
「うん、とてもいいことだ」
チャイカとライダーがのほほんとした顔で頷く。
「そうですか。私は、兄上と椎名さんと夜見さんの三人が、もう少しだけレジスタンス活動してくれていたら、と思ってしまいます」
過去のことを思い出させたのではないかと恐る恐るリゼはチャイカの顔色を伺うが、それは杞憂だった。チャイカは何の気もなく話を続ける。
「うむ、いやだがしかし、椎名はともかく、私はチルドレンとして聖杯戦争に参加しているのだから、今もレジスタンスだ。そして夜見はつい先日私を手伝った。これはつまり夜見もレジスタンス活動をしたということ! 夜見は未だにレジスタンスのメンバーなのだ!」
「はぁ、本人が聞いたら怒りそうですが」
「いや、苦笑しながら許してくれるさ」
さも当然とチャイカが言うが、ライダーもそれに同意した。
「僕も一日の付き合いだけど、許してくれると思うな」
「ほらな、大王もこう言っている。お前は大王の人を見る目を疑っているのか?」
「いえ、そんなこともないんですけど……まあいいです」
そうして、リゼは席を立ち、店を出ようとするが、扉を開けると、何かを思い出したかのように振り返っていった。
「そうそう、夜見さんからの言伝です。あのお寺に住んでいたマスターはましろだ、絶対に手を出すな、と」
〇
戌亥の髪留めが二つ、宙を漂っていた。髪留めは犬のような生き物が象られており、その目は青く光り輝いていた。
「がぅるるるぅぁぁあああ!」
歯を食いしばり、戌亥は両手を自分の喉から離し、そのまま強引に呪縛をほどく。息を切らして膝に手を着くも、焦ったように自分の身体のあちこちを触りだした。
「あれ……切れて、ない……?」
これを聞いていた一同は目を疑った。ましろはクレーマーばりに鷹宮に詰めかける。
「ちょっとちょっと君ぃ、それって切れない鎌なのー?」
「いや、そんなことは無い、はずなんですけど……」
鷹宮は困惑し、自分の手の中にある鎌を見つめるばかり。その間にも戌亥は息を整えて、ましろの方に好戦的な笑みを向ける。
「そうか、思い出したわ。あんたましろやろ? 知ってんで」
「ぼくのこと、知ってるの?」
「禁術を求めて世界中の魔術組織を渡り歩くお尋ね者。有名な賞金首やね」
「ましろ、すごいわ!」
「まいったな。えへへ……」
少女はそんな調子でましろをおだて続け、ましろはそれに照れ続ける。鷹宮と悪魔はドン引きしていたが、戌亥は唇を釣り上げて獰猛な牙を見せる。
「なんでそれがこんな辺境の国にいるのかわからんけど、ちょうどええわ」
「小娘、ここを離れよう!」
「え、でも……」
鷹宮はためらい、悪魔に手を引かれながら後ろ髪惹かれるようにましろと戌亥を振り返った。鷹宮は目を見張る。目視できるほどの濃密な魔力が戌亥の周囲を取り巻き始めていた。
「アンタ相手なら、多少は本気出してもええかな」
戌亥はそう言って目を瞑る。その両髪を留めていた髪留めがふわりと浮き上がると、戌亥の体も地面を離れて浮き上がる。辺りに響き渡るのは獣の吠える声だった。二つの髪留めの犬が吠えているのだ。嬉しさと興奮の入り混じる咆哮は森中に轟いていたが、やがてその声は二つから三つに増える。戌亥の顔を獣の黒毛が覆い、さらにその体は巨大化し始め、纏っていた和服も毛の中に呑み込まれた。
その場にいたサーヴァントもマスターもみな頭上を仰いだ。
獣となった戌亥の頭が木のてっぺんに届くかと思う頃に、戌亥の頭の左右に浮かんでいた二つの髪留めもまた、獣の顔に変身し、その頭部と肩口を繋ぐように、艶やかな毛並の首が紡ぎ出されていく……。
「ケルベロス……」
口笛を吹いてましろがその名を呟いた。
「小娘!」
呆然とする鷹宮の手を引いて逃げようとする悪魔だったが、戌亥の頭の一つがそれを捉えた。
「逃がさへん」
真ん中の頭が言うと、両脇の頭が口を大きく開けて炎を吐き出した。炎は木々を燃やしながら輪を描き、鷹宮たちを逃さないよう周囲をぐるりと一周する。
炎はそれ以上は燃え広がらず、森の木々よりも高く燃え続ける……。
「これ……」
と悪魔がそうっと手を伸ばすが、
「バカ、やめろって!」
鷹宮がその頭をはたいて止める。
何か手はないかと鷹宮は周囲を見回して、手を振っているましろが目に入った。
「きみきみ、こっちにおいでよ」
二人は訝しみながらもましろの方へとぼとぼ歩いていった。
「じゃあ、僕から離れないようにね」
そう言うと、ましろはケルベロスとなった戌亥に対峙する。
「本当にいいの、ましろ」
少女、アリスが心配するように聞いたが、ましろは笑って答えた。
「うん。今日はお腹いっぱい食べてきたから、大丈夫だよ!」
「そう、わかった」
アリスももうそれ以上は言わずに正面を向いた。アリスは持っていた本を開くと、何か詩のような言葉をつらつらと述べ始める。
アリスの言葉はすぐに本から聞こえてくる轟音に呑まれて聞こえなくなったが、それでもアリスは詠み続け、轟音は大きくなっていく。そして、詠み終えたアリスは本を頭上に向けて開いた。
戌亥は見た。
本に書かれていた文字がページから抜け出して中空を自由に泳いでいるのを。
その文字たちを飲み込みながら大きくなっていった渦を。
文字がすべて消えても、渦はそこにあり続けた。
その渦から、突然、血にまみれた巨大な腕が伸びてくる……!
腕はしっかりと地面を鷲掴みにすると、肩を出し、禍々しい角の生えた頭部を覗かせる。
感情を感じさせない真っ白な穴として開かれた瞳。
怪物はもう片方の腕を、渦を千切るような勢いで引っ張り出し、両手で地面を掴んで残りの体を引きずり出した。
「なに、これ……」
鷹宮がぽつりと零した言葉を拾うものはいなかった。
アリスはましろと手を繋ぐ。二人は繋がれた手を戌亥の方に向けて言った。
「「やっちゃえ、ジャバウォック!」」
ジャバウォックは空に向かって咆哮すると、戌亥に向けてゆっくりと手のひらを拡げた。
(何かくる……!)
そう判断した戌亥はジャバウォックの側面に回り込もうと走り出す。そして、ジャバウォックの手のひらが光った瞬間、戌亥は弾かれたように大きく横に飛ぶ。
手のひらから放たれた凄まじい衝撃波が森の木々を薙ぎ倒していき、余波の暴風が鷹宮と悪魔をも襲う。鷹宮は悪魔を抱えてましろの影でただ丸くなっていた。
一方、難を逃れた戌亥もその暴風を受け、飛ばされないように地面に身を低くする。
そこをジャバウォックは狙った。
ジャバウォックは飛び上がると、その真赤な翼で滑空し、戌亥に殴り掛かる。戌亥は身を捩ってなんとかそれを躱すと、二つの頭で両側からジャバウォックの腕に食らいついた。
残った頭で相手の頭を焼き尽くそうと、口を大きく開けて火を噴き出す。ジャバウォックは噛まれていない方の手を突き出し、手のひらを拡げる。戌亥の炎はそこでせき止められた。
炎の奔流は四方へ流れ、地面へ落ちる炎はマグマとなって森を押し流していく。
鷹宮は何もできなかった。悲鳴を押し殺して、泣き出しそうな顔で悪魔を抱きしめるだけだ。悪魔も今度ばかりは文句も言わずじっとしていた。
鷹宮たちの周囲にもマグマは流れてきたが、一定のところでそれは止まる。おそらく、ましろが何かしているのだと思うが……。
戌亥が炎を吐き終えてすぐさまジャバウォックが戌亥の頭に殴り掛かったので、戌亥は頭を下げてそれを躱すが、ジャバウォックは噛まれていた腕を戌亥の体ごと力任せに振り回した。
振り回されながらも、戌亥の二つの頭はジャバウォックの腕を離さず、さらにもう一つの頭が翼に食らいつき、食い破った。たまらずジャバウォックは地響きのような呻き声をあげ、戌亥の胴を殴りつける。
それでようやく戌亥はジャバウォックの腕から離れた。殴られた勢いそのままに戌亥は空中で一回転してマグマの中に着地する。
戌亥の頭の内の一つが血を吐きながらジャバウォックを睨みつけるが、残り二つの頭は心配そうにそれを見つめていた。
一方、ジャバウォックは片手を力なく垂らし、翼は片方が裂かれていた。
両者は動きをとめて睨み合う。戌亥は威嚇するように三つの頭を下げて唸り、ジャバウォックはそれが見えているのかいないのか、何の表情もなく片手をゆっくりと持ち上げる。そして、その手のひらが赤く光った瞬間、戌亥もまた三つの頭をもたげてそれぞれ別の色の炎を噴いた。
ジャバウォックの衝撃波と戌亥の炎がぶつかった。力の奔流は内へと向かって収縮し、一瞬辺りが静かになったと思うと、一気に広がって連鎖的に大爆発を起こす。
戌亥もジャバウォックもその中に呑まれ、鷹宮の視界は白く染まった。
「もう調査はいいんじゃない?」
白い闇の中で妙にはっきりとましろの呼び掛ける声が聞こえた。次には戌亥がそれを鼻で笑った声も。
「何を言うてるの? 勝負はこれからじゃないの?」
鷹宮の視界はぼやけていたが、目を擦ると、戌亥の体は少し線が細くなり、全身から黒い煙が立ち上っていた。
一方、ジャバウォックは体のあちこちに傷を負い、その表面には煤がついているように見えた。
「でもさあ……見ててごらん」
ましろがにやりと笑うと、ジャバウォックの翼がガラスの割れるような音と共に治っていく、そして、腕から流れていた血も乾いていき、剥がれ落ちる。
ジャバウォックは回復した腕を軽く回すと両腕を組み、翼をはためかせて空へと舞い上がった。
「んなアホな……」
戌亥は頭上を見上げて呟いた。頭の内の二つがくぅ~ん……と喉を鳴らし、しっぽが垂れ下がっていく。
「ねえねえ、僕の名前も、サーヴァントの名前もたぶんわかったよね? それと、目的の悪魔についても確認できたんでしょ? じゃあ調査は十分! 怒られないって」
「……せやろか」
「そうだよそうだよ。それにぼくももう戦いたくないなって」
「そうか……まあ、そこまで言うならしゃーないな」
言い聞かせるように三つの頭がお互いに頷き合い、その姿はどんどん小さくなっていく。左右に二つ付いていた頭は髪留めに戻り、最後に黒い毛が耳と髪の毛まで後退してその真っ白な頬が露になった。
「ふぅ、死ぬかと思った」
と戌亥は笑う。ジャバウォックはいつの間にか消えていた。
「まいど! 調査にご協力感謝! それとそこの悪魔も、さっきはちょっと言い過ぎたんかな、ごめんね!」
「違う……」
悪魔が低い声で呟く。「うん?」と戌亥は言葉を促すように首を傾ける。悪魔は俯き、感情を抑え、自分に言い聞かせるようにゆっくりと言った。
「ボクが……ボクたちが、いずれ叶える願いは、ふざけてなんかない……!」
戌亥はそれを聞くと意外そうに目を丸くするが、何度か軽く頷いて言う。
「ほーん。ま、それはアンタらがこれからの戦いで証明していけばええんちゃう?」
戌亥は悪魔が自分の言葉を聞いたのを見届けると、サッと悪魔からみんなの方へ向き直り、頭を下げて礼をした。
「まあ色々あったけど、同郷とも会えてよかったわ、みんなありがとう。 ……ほなまた。たぶん、もう遭わへんけど」
そう言い残し、戌亥は森の奥へと消えていった。
「……あたしたち」
「……ボクたち」
「「助かったんだー!」」
鷹宮と悪魔は自分が生き残ったことが信じられないというように泣きながら抱き合った。
しかしそれも束の間、少女アリスの声が二人の耳に入ってくる。
「ましろ! 大丈夫? ましろ!」
二人がそちらを見ると、ましろが倒れていた。二人はつい駆け寄ったが、出来ることなど何もない。
「アリス、ちゃん……?」
あまりにもか細いましろの声。ましろの伸ばした手をアリスが取る。鷹宮と悪魔は息をのんだ。ましろの腕はミイラのように干からびていたのだ。
「腕のストックは、まだあったかな?」
「ええ、家に帰ればまだたくさんあるわ。だからもう少しだけ頑張って」
「なら、なんとかなる、か。あぁ、君たちも無事でよかった。君たちの配信、僕はけっこう好きなんだ……」
一瞬、鷹宮たちは何を言われているのかわからなかった。自分たちを助けてくれた相手ではあったが、その後のこともあって今は恐ろしいとしか思えない、そんな相手が急に倒れ、自分たちの配信を褒めてくれたのだ。嬉しさを感じる暇もなかった。
アリスは本を開いてトランプ兵たちを呼び出し、トランプ兵の一人を担架として使い、そこにましろを寝かせる。
「ましろ、あなたはとても頑張ってるわ。だから今日はもう休んで……おつかれさま」
そう言ってアリスは指示を出し、トランプ兵にましろを運ばせる。
鷹宮と悪魔は運ばれていくましろを無言で見送った。