冬木教会に尊大な足音が響く。それは敬虔な、厳かな足どりでありながら、神をも恐れぬ足取りでもある。
叶は説教をする講壇に立ち、静かに足音の主が近づいてくるのを待った。足音は講壇の前で止まる……。
叶はほほ笑んでいった。
「ようこそ御出でなさいました。長旅はいかがでしたか? 何の用意もありませんが、出来るだけのおもてなしはさせていただきます。御身に主の安らぎのあらんことを。言峰神父」
「これはこれは馬鹿げたことを言うものだ。君の言う主とは一体誰のことだね? 叶神父?」
その男、言峰綺礼は叶の背後に掲げられた十字架を見て、鼻で笑った。
「それにしても、だ。血迷ったのか? 悪魔が好き放題暴れては神秘の隠匿も何もあったものではない。叶神父、まさか全てを知ったうえで許しているわけではあるまい?」
「許すも何も! 悪魔はああいう生き物です。ああいう生き物を此度の聖杯は必要としたのです。人類が後天的に魔術だの、魔法だのと名付けた力を当たり前のように使う彼を、私如きがいったいどのような権限を持って止められるというのでしょうか……」
馬鹿にするような調子で言った言峰に対し、叶は真面目に話す気すらないようだった。
「この様子では結果は見えているが、一応決まりなのでね。聞かせてもらおうか、叶神父。貴殿の担当する聖杯戦争に関連して発覚したあらゆる問題について、魔術協会、及び聖堂教会から調査命令が出ている。調査に協力する気はあるかね?」
言峰は遅れて丸められた書状を講壇に放る。叶はその書状を見もせずに答えた。
「話が早くて助かります。ではこちらからも誤解の無きよう、率直に言わせていただきましょう。お帰り下さい、言峰神父。あなたにお話しすることはもう何もありません」
「……理由は?」
「必要ですか?」
叶は講壇の上に手を組み、言峰は丈の長い上着のポケットに手を突っ込み、両者は張り付けたような笑顔でじりじりと睨み合う。
先に目を逸らしたのは言峰だった。
「ふっ、よかろう。私は誠実なのでね。君の態度、そしてこの教会の現状について、しっかりと報告しようじゃないか。恐らく私は再びこの地を訪れることになるだろうな。期待したまえ、叶神父」
踵を返して後ろ手に手を振った言峰を、叶は笑みを絶やさず見送った。言峰が教会の通路の半ばまで到達したとき、教会の扉が開かれる。
「かなかないるー? 時間通りに来たよー」
言峰は立ち止る。振り返って叶の笑みを認めると、お返しとばかりに笑って見せた。幾分、憎しみの混じった笑みではあったが。
教会の扉から入ってきた者は二人、一人は緑がかった髪を後ろで三つ編みにしてまとめ、チャイナ服を着ている若い人物。
そしてもう一人はその後ろにそっと立つ、同じくチャイナ服を着てサングラスをかけた白髪の老人だった。若い人物の方が進み出ていった。
「やあ言峰神父、初めまして。僕は深緑の緑にベガルタ仙台の仙とかいて緑仙。りゅーしぇんっていいます。いやあ、あなたのお話を聞いてからずっとお会いしたいと思ってたんだ」
よろしく、と言って差し出された手を言峰はちらりと見下ろすが、すぐに意識を危険な人物の方に戻す。
「あー、あのお爺ちゃんがそんなに気になる? それはまあ後のお楽しみってことで。今は僕だけを見て欲しいんだよね」
そう言って緑仙は差し出した手を握り込み、そのまま言峰の喉に刺すように突き出した。言峰はとっさに一歩下がり、緑仙の手首をつかむ。
「ほいきた!」
緑仙は掴まれた手を相手の手ごと引き下げ、がら空きになった顔に向けて上段蹴りを見舞う。が、言峰の顔はすでにそこにはなかった。
「え?」
と思わず漏らす緑仙。言峰は深く腰を落として蹴りをよけたのだった。蹴り足を慌てて引き戻す緑仙に向かい、言峰は地を這うような低さのまま、体全体を押し出して体当たりを喰らわせる。
腕でガードして直撃は避けた緑仙だったが、ふっとばされて老人の足元に転がった。
「今のやり取りを見てもわかる通り、奴の方が格上だぞ? わかっているのか?」
老人が緑仙を見下ろして言った。緑仙は大の字に寝転んだまま拗ねた様に言った。
「なんだよ、いいじゃん別に。危なくなったらお爺ちゃんが助けてくれるんだからさ」
それを聞いて老人は盛大にため息をついた。
「これだから最近の若いもんは……」
「よいしょっと」
掛け声とともに緑仙ははね起きる。そのワクワクしたような瞳を見て、言峰は首を傾げた。
「わからないな。そこの老人なら私に勝てるのだから、彼に任せればいいのでは? 君は何のために戦っている?」
「気になるからさ。あなたの使う体術が」
「なるほど。それではじっくりと味わうがいい……」
拳を握り言峰は堂々と緑仙の方へ歩いていく。緑仙は構えたまま距離を見計らい、言峰が笑みを浮かべて攻撃の届く範囲に入った瞬間、ボクシングのジャブのような突きを連続で放つ。
言峰はそれらを、ときには首をひょいと動かすだけで、ときには半身を切り、ときには手で払い、全て軽くあしらう。
緑仙は当たらないと判断し、やや深めに踏み込んで突きを出す。が、言峰は半歩下がっただけでよけた。
「この……!」
緑仙がそれを追いかけようとさらに地面を強く蹴ろうとした瞬間、言峰の体が低く、地面に沈み込む。緑仙にはその意味が分からなかったが、本能的な危機感に従って踏み込むのを止め、構えなおした。
「来ない、か……。なるほど。勘は働くらしい」
称えるように構えを解いた言峰だったが、緑仙は構えたままじっと言峰を待っていた。
「よかろう、今度はこちらから当てにいくとしよう」
言い終わるや否や言峰は身を沈め、たった一歩で緑仙の懐まで踏み込んでくる。その勢いそのまま、言峰は拳を突き出した。
緑仙は最初、それを手で払い落そうとした。が、言峰の拳は重く、緑仙が全体重をかけても拳は直進を止めなかった。
拳が腹をえぐる間際に、緑仙は相手が動かないならと無理やり自分の身体を捩じって拳を躱した。
だが、拳について来るように、言峰の体が、その先端にあった肘が、緑仙のちょうど心臓辺りに迫っていた。
これにも緑仙は反応し、なんとか仰け反って躱そうとするも、ぎりぎりで間に合わなかった。
言峰の肘撃ちが緑仙の左肩をかすめる……。
「うわっ、わっ、わっ、わっ!」
と緑仙は回転しながら吹き飛ばされ、再び老人の足元に転がった。
「痛ったぁ……」
起き上がらずに肩を押さえる緑仙。老人はしゃがみ込み、緑仙の左肩を指で押す。
「痛だだだだ!」
緑仙は喚くが、それを押さえつけて老人は冷静に言った。
「砕かれたな。そのぶんでは肩だけの問題ではあるまい。選手交代、ということでよろしいか? 緑仙?」
「ええ、そうなの? じゃ、あとは任せたぁ~」
老人は立ち上がると、振り返っていった。
「どれ、少しは楽しめるといいがな」
老人は長い袖をまくりながら一歩一歩言峰の方へ近づいていく。言峰は薄笑いを浮かべながらも思わず生唾を飲んだ。
「その足取り、高名な武術家とお見受けするが、一体どこの武術かな。中国の物であれば多少は知っているつもりだが」
「ハッ! いかにも。お前は知っているだろうさ。まあなに、ゆっくり、楽しもうじゃないか……」
二人は構えさえとらず、至近距離で笑い合っていた。