Fate/DebiRion.   作:遥野みしん

41 / 86
41.誰かの為の物語

 アリスがその部屋に入った時、すでにトランプ兵たちは軒並み倒され、部屋の中央ではアサシンとハートの女王の戦闘が繰り広げられていた。

 

 ハートの女王が影の剣を振るうもそれらは紙一重で躱されている。アサシンは手を抜いており、相手の全てを引き出そうとじわじわ追い詰めているようだ。アサシンは部屋に入ってきたアリスに気づいたようだったが、あからさまに無視をした。アリスはむっとしながらも鏡の方へ駆け寄る。

 

 足元で溶けている王の姿に愕然としながらも、アリスは鏡に視線を戻し、ハッとする。鏡に映った自分の衣装が白くなっていたからだ。顔もよく見ると、その目許は柔らかく、瞳の奥には明るい光が宿っている。

 

 これじゃあまるで、あの子の……。

 

 立ち尽くすアリスの前で、鏡はさらに変容を見せる。鏡に映るアリスの顔の皮膚が、どんどんくすみ、腐っていって、剥けていく。皮膚の下から現れたのは、色の剥落したマネキンのようなそれだった。

 

「あははは、あはははははっ、ははっ、あっははは!」

 

 突如として巻き起こった嘲るような笑いにアリスはびくりと肩を震わせた。

 

「ちぇしゃ、あなたまで……。わかったわよ、あなたたちの言いたいことは……」

 

 アリスは目を伏せ、笑いから逃がれるように鏡の中へと入っていった。

 

―――

 

 暗闇の中に波紋が広がり、アリスは鏡の中へと降り立った。見ると、ましろの姿は暗闇の中に浮かんだ小さな灯りのようにそこにあった。笹木咲の姿もまた……。

 

 あれ……? 敵のサーヴァントは? ましろの防衛は? アリスが周囲の状況を探ろうとしたその時、激しい金属音がアリスの背後で鳴り響き、アリスは振り返る。

 

 アリスが目にしたのは、ランサーが骸骨の双子をその大樹のような槍で薙ぎ払う光景だった。

 

「ましろ!」

 

 アリスは慌ててましろに駆け寄った。一方、笹木は余裕綽々で敵のサーヴァントとマスターの合流を傍観する。

 

「ましろ、大丈夫?」

「いやぁ、かなりヤバいね。大ピンチ。ふふ、あははははっ、はは……」

 

 枯れた声で笑うましろにアリスはいっそう危機感を募らせる。

 

「どうにか手はないの?」

 

 アリスが尋ねると、横から笑い声がして、笹木が口を挟む。

 

「ないない。あるわけないってそんなの。そいつが動けないのって魔力が無いからでしょ? 魔力がないのに逆転する手立てなんてあるわけないだろ?」

 

 嫌みな口調で笹木はましろとの距離を詰めていく。アリスはましろを守るように笹木の前に立ちふさがるが、笹木の言うとおり、もう手は思いつかなかった。だが、ましろは言った。

 

「バンダースナッチを呼ぼう」

 

 アリスは驚愕してましろを振り返る。ましろは穏やかな顔で笑っているだけだった。

 

「だめよ、あなたの身がもたないわ」

「もうそれしかないよ。それに、僕にはまだ、心臓がある」

 

 一瞬、アリスは理解できずに呆然とした。アリスは首を横に振った。

 

「……! だめ、絶対だめ!」

「大丈夫さ、心臓ならお願いすればまた貰えるよ。これまでも何回か貰ったことがあるんだ」

 

 あはは……と笑うましろの言葉が嘘かどうか、アリスは見極めようと見つめるが、こうした心理戦でアリスがましろに勝てるわけも無かった。アリスは悲痛な顔で詩を唱え始める……。

 

 アリスの本は閉じたまま。本は虹色の光を発する。辺りの空間が次々と切り裂かれ、破片があちこちで飛び散った。空間に、爪痕が残っていく。

 

 巨大な爪が、笹木を切り裂こうと異空から現れる。笹木に動揺はない。ランサーがその巨大な槍で守ってくれることを疑わなかったからだ。次の瞬間、ランサーは槍で爪を受け止め、その膂力を持って自分よりも大きな爪を軽々と弾き飛ばして見せた。

 

 爪の持ち主は癇癪を起こしたのか、啼いた。人を不安にさせるような金属質の啼き声が部屋中をものすごいスピードで駆け巡る。もっとも、ランサーは動じず、笹木は不快そうに耳を塞ぐだけだったが。

 

 ついに爪の持ち主は姿を現す気になったらしい。ランサーの手前の空間が切り裂かれると、その隙間から鋭い爪を生やした大きな腕が二本現れて、空間の隙間を押し広げようとする。

 まだその体が通れるほど大きくはないが、怪物のけばけばしい顔が空間の切れ目に見えた……しかし、もう笹木は決断していた。

 

「ランサー、今がチャンス。そんでもって、終わらせる! ここが勝負所やよ!」

 

 笹木はランサーに手をかざして言った。

 

「令呪を持って命ずる! ぜんぶ……ぜんぶ、ぶっ壊せ!」

 

「受け入れよ。破壊がローマであるのなら、再生もまたローマであるに違いのないことを」

 

 ランサーがその槍を振り上げて叫ぶ。

 

「見るがいい! すべて、すべて、我が槍にこそ通ず――『すべては我が槍に通ずる(マグナ・ウォルイッセ・マグヌム)』‼」

 

 アリスは見た。ランサーの持つ槍が震え出し、生き物のように蠢き、その形から溢れて巨大な樹木が次々と伸び始め、バンダースナッチの切り開こうとしていたちっぽけな穴を飲み込んでしまったのを。

 樹木は成長を止めず、上に、下に、横に、空間をぐいぐいと押し広げ、ついには――

 

 パリンッ!

 

 鏡の割れる音が聞こえた。

 

 閉ざされた暗闇は粉々に砕け散り、周囲は城の中の風景に戻された。しかし、樹木は成長を止めない。そのまま天井を突き破って上の階へと伸び、部屋からも溢れ出て廊下を侵食し始めた。

 空間が撓む。城が揺れている……!

 

「ましろ、お城が……」

 

 生長する樹木を見上げながら、アリスは呆然と呟いた。ふとましろの方を見ると、ましろはもっとひどい状況だった。

 

「どうする……どうすればいい……! 何ができる……だめだ……いや駄目じゃない! 何かできることがあるはずだ……何か、何か、何か、何か……」

 

 目や口や鼻から血を垂れ流し、赤く染まった爪を噛みながらぶつぶつと呟くましろにアリスは何を言えばいいのかわからない。ましろはまだ諦めていない。けれど、私にはもう……。

 半ば、悲壮に浸り始めたアリスは、場違いなほど朗らかな笑い声を聞いて顔を上げる。

 

 周囲に人などいない。辺りには樹木が蔓延り、自分たちもこのままでは呑まれて圧し潰されてしまうだろう。いや、もう逃げ道も無い、か……。絶望に陥っていくアリスをよそに、笑い声はなおも響く。

 誰……⁉ アリスは周囲を見回した。チェシャ猫ではない。もっと嫌みがない、あまりにも自然な人の笑いは、四方八方から聞こえてくる。

 

「あ……」

 

 アリスは気づいた。それは樹木から聞こえてくるのだ。

 

 大樹をよく見てみると、まるで自分が過去に経験したことを思い出すみたいに、ローマの民の生きた時間がアリスの脳裏に再生される。

 

 戦乱はあった。醜い欲望もあった。けれどそれ以上に強く響くのは笑い声だ。人類史上最も幸福な時代とも称された、その時代に生きる人々の声。豊かさを誇り、繁栄を誇り、調和を持って他者を慈しむ。

 

 ローマの人々がローマ人としての自分に誇りを持って歴史を紡いでいく様に、アリスは目を奪われた。

 

 なんて、美しいのかしら……。

 

 そうして見続けたばかりに、見てしまったのだろう。あちこちで次第に大きくなっていった欲望の渦が調和を打ち壊した。戦乱に次ぐ戦乱。自壊し、バラバラになって滅んでいくローマの姿を。あの栄華が、あの人々の幸せが、失われる。あのローマですら、失くなってしまう……!

 

 列車の音が遠ざかっていく……アリスはましろが話してくれたお話を思い出して、泣いた。泣きながら、ましろの方へと歩み寄った。

 

「ましろ、もういいわ」

「もういいって、そんな! このお城はアリスちゃんの夢なんでしょ? 大丈夫だよ。まだ……まだ僕には、奥の手がある……!」 

 

 ましろがやつれた笑みをうかべながら屋根を壊そうとする樹木へ向けて手を伸ばす。

 

「おいおい、もうやめとけってぇ~。それ以上頑張ったらマジで闇に落ちるで?」

 

 笹木が挑発する。やれるものならやってみろと煽っているかのように。ましろは嫌な汗を流しながらも見せつけるように涼しげな顔で笑って見せた。

 

「ふふっ、僕は元から闇に落ちているさ……」

 

 ましろの黄色い眼の中心に浮かぶ黒い瞳孔から、どす黒い魚の影が幾匹も湧き出し、泳ぎ始めたのをアリスは見逃さなかった。

 

「やめて!」

 

 アリスはましろの手にしがみついた。

 

「もういいの。私はこの御伽噺から追い出された。ううん、御伽噺って、そういうものなのかもしれない……」

 

 アリスが努めて朗らかに笑って見せると、ましろはきょとんとした顔で問いかける。

 

「どういうこと?」

「ましろ、ずっとだましててごめんなさい。私はアリスじゃないの。私の、本当の真名はナーサリー・ライム。子供部屋で生まれた読み物たちの総称、あるいはその守護者……みたいなものかしら」

 

 セリフの最期が自嘲気味になってしまうのを止められず、アリスは自分で歯噛みする。だが、ましろは嬉しそうにほほ笑んだ。

 

「そうかぁ。そうだったんだ。それはとっても素敵だね」

 

 アリスは息をのみ、涙が出るのを堪えて言った。

 

「そうよ。ナーサリー・ライムは素敵なの……ふふっ、ましろ、私のお願いは叶えられた。次はあなたの番」

「どうするつもり?」

「あのねましろ、あなたのしてくれた話の中で、一つだけ好きなのがあったの。今なら……できると思う」

 

 アリスの腕の中で本がカタカタと、どこかに引っ張られているかのように揺れ動く。引っ張っているのはましろの体の奥底、既に失くなっている心臓の空白から漏れ出ている奇妙な魔力だった。恐らくましろが元気な間は抑えられていたのだろう。アリス以外に契約している何かの魔力か、あるいは何らかの呪いの代償か。

 

 どちらにしても、アリスはこの魔力に身を任せるだけで良かった。

 

「そっかあ」

 

 ましろは今までの思い詰めた表情から一転して、少し軽くなった表情で、木々の濁流に侵略されつつあるお城をぐるりと眺めた。

 

「綺麗なお城だったんだけどな……」

「仕方ないわよ。でも、ありがとう」

「複雑だけど、じゃあ、お願いしてもいいのかな?」

「ええ、喜んで!」

 

 アリスは本を開くと、朗々とした声で謳いあげる。

 

降りる駅 降りる駅

空っぽ電車を見送って

延びた線路も見送って

夜空よ さあ 瓦礫を覆え。

虚無よ さっさと 人の夢を轢いていけ。

いつまでいよう 終点を告げる声すらも 

あなたの声にしか聞こえない。

 

 

 詠唱しながら、アリスはましろと視線を交わす。

 

 ましろ、どうしてあなたが私のマスターなのか、ずっと考えてた。あなたは童話みたいに残酷で、童話とは程遠く、その存在は怖かった。

 

 物語のアリスはきっと、自分の夢見た一瞬のキャラクターを、世界を、忘れてしまうでしょう。子供部屋の守護者としての私の声も、きっといつかは忘れ去られる。じゃあ、忘れ去られた者たちはどこへ行くの? そう考えていたら、遠ざかっていく電車の音が聞こえたの。

 

 ましろの瞳には、何もない。でも、今だけは通じ合っているとアリスは思う。ずっと通じ合ってはいなかったのに、今だけはましろの全てが理解できた。ましろもまた、私の全てを理解してくれていると感じていた。

 

 そうよ、ましろ。ここに、私とあなたの見る夢は重なった……! さあ、選び取って! 語り直しましょう! 私たちに相応しい『誰かの為の物語(ナーサリー・ライム)』を!

 

 ましろ……私があなたのサーヴァントでよかったわ。

 

 詠唱を終えたアリスは告げる。

 

「きさらぎ駅」

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。