「ここはローマ……」
ランサーは線路に槍を打ち付ける。空はランサーの体を圧し潰そうとするかのように重たく、それでいて他人事めいた空虚な騒々しさに満ちていた。
この道は何処へ繋がっているのか。線路の延びていく先、夜の暗さに果てなど見えず、淡々とした無意味はどこまでも紡がれていく。ランサーは振り返り、待った。
やがて狼の鳴き声が聞こえてきた。足音もなく現れたのは、空に届くかとも思える巨大な狼の影。しかし、その影はランサーのすぐ目の前に姿を現す段になって人の形をとる。
古代の衣装を纏う男。決して華美ではないが、洗練された装飾を身に着け、細身でありながら筋肉の浮き出た体つきに、理知の顔を備え持つ王の姿。
「ロムス……か。」
それはランサー、ロムルスの弟、ロムスだった。ロムスは黙ってロムルスの前に立つと、三日月のように口の両端を釣り上げ、一気に話し出した。
「へえ、兄さん覚えていてくれたんだ。さすが偉大な王様は違うねぇ。俺を殺した後ずいぶん忙しそうだったし、もう忘れられたもんだと思ってたんだけど」
ロムルスの反応が好ましかったのか、ロムスは軽い笑みを浮かべた。
「いやあ、それにしても兄さんはすごいなあ。もし兄さんがごねたりせず、正当に俺が王にでもなっていたら、ローマなんて大国にはならなかったさ。結果から見れば兄さんが王になって正解だった。兄さんが俺を殺したのは正しかったわけだ……ふふふっ、あっはっはっはっはっは!」
まるでこの世界全てが一緒になって笑っているようなけたたましい笑い声だった。ロムルスは顔をしかめそうになるのを抑えて言った。
「すまなかった」
その言葉を聞いて、今まで余裕のあった弟ロムスの顔が豹変する。
「すまなかっただと……!」
ロムルスは自分の言葉に偽りはないというように重く顔を伏せた。
「ふざけるな……なぜ謝る……俺の死はローマにとって必要だったんだろ? ローマは永遠、なら俺の死も永遠なんだろ? なあ、そうなんだろう? なあ!」
ロムルスは首を横に振った。
「物事の結果のみを頭上から見下ろしたのならば、お前の死は必要であったのかもしれぬ。だが、お前の生も必要だったのかもしれなかった……」
「……何が言いたい?」
ロムルスは弟、ロムスの目をまっすぐに見据えていった。
「
時が止まったようにロムスは立ち尽くす。その顔には絶望、羞恥、怒りが順々に表れるが、最後に浮かんだのは、呆れたような、あきらめにも似た表情だった。
「ロムスよ、お前のことを悔やまなかった日などない。許せとは言わぬ。だが、我らが兄弟として再び互いを認め合う道はないか」
そうして、ロムルスは手を差し出す。ロムスはじっとその手を見下ろしたが、視線をロムルスの顔に戻して言った。
「無いな。無い。俺を殺した
ロムスの言葉に呼応してか、二人の周囲に強い風が吹き荒れる。夜の闇の中ですら浮く黒色の風が。ロムルスは目を細めながらも言った。
「否である! ロムスよ、お前はローマだ!」
「何を言うか! ローマを家族の否定から始めたのはアンタだろうが!」
ロムスが顔を背けて手を払うと、黒い風が甲高い笑い声をあげながらロムルスを吹き飛ばした。膝を着くロムルスを見て、ロムスは声を立てて笑った
「ふっはっはっはっは‼ ざまあないな。そうだ兄さん、俺とまた兄弟としてやり直したいんだったか? じゃあ、座なんて場所にいないで、こっちに来いよ」
今度はロムスが手を差し出した。粘ついた黒い風がまとわりつきロムスの手は黒く染まっていた。
ロムルスは立ち上がると、ロムスの方へと歩み寄り、差し出された手を取ろうとしてその手を伸ばす。その迷いのなさにロムスは焦った。冷や汗を流し、自分から差し出した手を引っ込めるところですらあった。が、ロムルスの手は寸前でピタリと停止した。
息をするのも忘れていたロムスは我に返り、ロムルスを挑発する。
「どうした? やっぱり自分の身は大事か? 出来損ないの
ロムルスは踵を返すと、空を眺め、槍を固く握りしめた。
「この身は、ロムス、お前に捧げよう。だが、未だ私にはマスターがいる」
槍に集まる魔力を見て取り、ロムスはロムルスの意図を察した。
「……無理だ。無理に決まっている。今更お前に出来ることなんて何もない! ここをよく見ろ。 誰にも認められない生に倦んだ喘ぎ。無意味へ追いやられた苦楽を煮詰め、引き延ばされていく金属のレール。忘れられた神々を忘れられた民たちが祀り上げ、生命無き田園は影と化して風に弄ばれるばかり。全ては無意味を意味する記号! 記号! 記号! この場所がローマだとでも?」
ロムルスは静かに頷いた。
「お前の言うことは正しいのかもしれぬ」
ロムルスは槍を重々しく持ち上げると、線路の彼方へと掲げた。
「だが、そのような美しい場があってもよい」
「はぁ?」
「ロムスよ、お前にはわからぬか? この場に充溢するローマ……地上に居場所を失いながらも、人の胸の奥底に生き永らえていたロマンが」
「ロマン……だと?」
「うむ。そしてこの場所は再び私をお前の前に立たせてくれた。たとえ一時の幻とはいえ、あまりに、美しい場所である……」
ついていけないとばかりにロムスは苦笑し、ロムルスに背を向けた。
「結局、どこまでいっても兄さんは兄さんか……」
ロムルスの槍に集まった爆発的な魔力が線路上に満ちる深い夜を震わせた。
ササキよ、すまない。お前の破天荒、お前の優しさはローマそのものであり、それはまさしく私の命を賭すに値するものであった。お前を勝たせてやりたかった。だが、もはや敵わぬ。
ロムルスはまるでこの星空の上に本当の神がいるとでもいうように、その神に捧げるように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「全てはローマである。神々よ、この場を見よ。ここは忘れられた地であるがゆえに強く、人の夢を惹きつける。虚無の嘲笑も、終わらぬ夜の巡りし時間も、時間の中に忘れ去られし者たちでさえも……人の意思に従い何度でも呼び起こされるであろう。そう、無意味などではない……!」
ロムルスは自分を笑う夜空に微笑みかけた。
「誰が認めなくとも、私がこの場をローマと呼ぼう。私のこの
ましろよ、お前のローマ、見せてもらったぞ。
ロムルスは力強く槍を地面に突き立てた。
「見るがいい。我が槍、即ち、ローマが此処に在る事を……!『
地面に突き刺さった槍は溶け落ち、地面の一点に吸い込まれた。夜空から雨のように笑い声が沸いたが、その声はすぐに降り止んだ。地面から芽が出てきたからだった。
芽は急速に成長して痩せ細った木になると、七つの真赤な木の実を地面に落とした。ここから、木の実の落ちた地面が盛り上がり、噴き出るかのように七つの巨大な樹が空に向かってぐんぐんと伸びていく。七つの樹は絡まり合うかのようにして一本の大樹になると、遠く星々の浮かぶ夜空を砕き、突き刺さった。
樹の突き刺さった空の隙間からは、夜空の欠片と共に、太陽のような柔らかな光が漏れだしたのが見えた。
「……これでよい」
ロムルスは踵を返すと、自分の槍であった大樹から離れ、ロムスの方へと歩み寄った。
「行こう、弟よ。私はそちらの世界は不慣れである故、すまないが導いてくれぬか」
少し照れたように笑った兄を見て、弟はあとずさった。
「よせ、やめろ。冗談じゃない」
ロムルスは歩みを止める。
「いいか。冗談の通じないアンタのためにわざわざ言うが、こっちに誘ったのは座の英霊としての責任を背負うアンタがそれを投げ出したりしないと信頼していたからだ。それをよくもまあ……」
頭痛を抑えるように額に手をやったロムスは首を横に振り、固く言う。
「さっきも言ったように俺とアンタは決別した。ずっと、ずっと変わることは無いんだよ。永劫にな」
「そうか……」
「ああそうだ。しかし……そんな顔をさせるので精いっぱいだとは。わざわざ出向いたのに残念だ」
そうして、ロムスは自分の役目が終わったというようにロムルスから距離を取る。ロムルスが思わず手を伸ばしたのを見て、ふんと鼻で笑った。
「そう落ち込むなよ。俺は兄さんが苦しんでいるのを知りながらさらに苦しめてやろうとここに現れた。ああ、我ながら笑えてくる。なんて器の小さいこと! だからさ……まったくもって、兄さんの方がローマの王に相応しかったんだよ」
今度のは馬鹿にしたわけではない、兄を、自分を認める感情に気づいたロムルスは顔を上げた。
「そうか……」
「ああ、そうだ。もう二度と俺の顔を見ないよう、ローマの神に祈るんだな」
「いや、再びお前が現れれば……今度こそは、ローマはお前と共に歩む道を選ぶだろう」
「いらねえって」
後ろ手に手を振り、ロムスの姿は線路の果てに消え去った。
一人残されたロムルスもまた……。