Fate/DebiRion.   作:遥野みしん

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47.ランチタイム

 温かい。体中がポカポカする。ここにいさえすれば気怠い身体は浮遊感に包まれる。どんな重さだって嘘みたいに忘れられるのだ。

 

 いや、いや……今、こんなことを考えているのだから、結局は無駄か。

 

 椎名唯華は頭上を見上げた。オレンジ色、夕陽だろうか。懐かしい……。ああ、ずっとこのままでいたいのに、もう苦しくなってきた。でも、この苦しみを乗り越えれば、きっと……きっと……

 

 は? なんでそうなんの?

 

 椎名は水面から顔を出した。灯篭の光がてらてらと映える温泉に椎名は一人きりで浸かっていた。体が一気に気怠くなる。考えなくてはいけない様々な問題が体の重さとなって思い出されたかのようだった。椎名はため息をつき、灯篭へと手を伸ばした。

 

「え?」

 

 椎名の体は困惑で固まった。灯篭は湯気の中で霞み、揺れながらも穏やかな光を発していた。わからない。どうして手を伸ばしたのか。

 椎名はゆっくりと手を下ろし、下ろした手をじっと見つめた。特に魔力の形跡はなかった。

 

「のぼせてんのかな」

 

 椎名はお湯から上がろうと縁石に足をかけ、そして――

 

「に゛ゃ゛っ゛⁉」

 

 足を滑らせた。灯篭の光の照る水面へと背中から落ちる椎名。水しぶきが上がり、椎名は固く目を瞑ったが、沈んでいく体はどこまでいっても底に当たることは無かった。水面に上がることもできず、椎名は恐る恐る目を開けた。極彩色の魚が目の前を通った。

 

 は……?

 

 透き通るような青の中をたくさんの魚が泳いでいた。足元には珊瑚礁が広がり、色鮮やかな魚たちがそれぞれ生態系を築いているのが見て取れた。一方頭上では、ハンマーのような頭を持つサメが群れで泳いでいた。

 

 はぁ⁉ あ、っていうか、それよりも息が……⁉

 

「あばっ、あばばっ、あうあうああああ……あれ?」

 

 重い水を搔いていた自分の両手が急に軽くなる。肌に纏わりついていた冷たい質感は消えてなくなり、乾いた温かい空気がそれに取って代わった。

 

 そこは教室だった。しんと静まるなか、遅れて笑いが起こった。椎名は混乱しながらもえへへ……と笑って辺りを見回し、その中から笑っていない鷹宮と緑仙を見て、すっと笑顔を引っ込めた。

 

―――――――

 

 屋上に上がってみると天気が良く、風もなかったので眠たくなった。一人なら寝てたのに……。

 

 椎名はため息をついて焼きそばパンを袋から剥く。少し待ってみたが、誰も話し出さない。椎名は食べ始めた。焼きそばパンの端を齧り取ると、無言で咀嚼する。サッと上目で見ると鷹宮と緑仙も無言で弁当をつついていた。

 

 なんでこうなったかなあ……。

 

 椎名は咀嚼しながら青空を見上げた。晴れてなかったらもっとうるさい教室で食べれたのに。それもこれもみんな……、

 

「ねえ」

 

 鷹宮が耐え切れないというように声を上げた。椎名は目線を少し下げてほとんど睨むように見つめるが、鷹宮は物おじしなかった。

 

「あたしらって、こんな風だったっけ?」

 

 ひと際重い沈黙がのしかかる。

 

「久しぶり……だからじゃないかな? 三人で集まるのはさ」

 

 緑仙が笑いながら言ったが、その顔はどこか苦しげに見えた。

 

「三人ねえ……」

 

 椎名はパンを口いっぱい頬張った。話をしたくなかった。

 

「緑さんは覚えてる? キャスターとそのマスターからの招待状のこと」

 

 鷹宮はそう言って、筒状に丸めて紐で留められた招待状を取り出した。

 

「うん、招待状は残ってるんだけどね……」

 

 一方緑仙の手にある招待状は四つに折って畳んであった。二人の視線が椎名に向けられ、椎名はパンを頬張ったことを後悔した。

 それでも慌てて食べるのは癪に障る。わざとゆっくり咀嚼して、ゆっくり飲み込んだあと、言った。

 

「なんも覚えてないんだよなあ」

 

 三人はそろってため息をついた。

 

「この招待状にあるましろって、誰か覚えてる?」

 

 鷹宮の問いに二人は首を横に振る。

 

「じゃあ、脱落したらしいランサーの陣営のことは?」

 

 これにも二人はなにも答えられなかった。

 

 あの夜、何かがあった。それが何かは誰にもわからない。ただ、残っていたサーヴァントとそのマスターたちで現状のすり合わせをしてみると、キャスターとランサーは脱落したらしい、そういうことになったはずだ。

 

 気にかかるのは、キャスター陣営とランサー陣営について誰も知らなかったことだ。そのときは誰も、何も言わなかった。

 誰もが無気力で、誰もが自分の帰る場所へと帰りたかったのだ。

 

「ねえ、本当に何も思い出せないの? 実はキャスター陣営とランサー陣営の共謀ってことは?」

「ないんじゃないかな」

「ないよ、そんなの」

 

 緑仙と椎名はほとんど同時に言う。椎名は意外に思って緑仙の方を見た。緑仙も椎名の方を見たが、緑仙は慌てて視線を逸らした。

 

「えっと、僕のサーヴァントが断言してるんだ。たぶん間違いないと思う」

「ふーん?」

 

 鷹宮に向けて緑仙が言うが、椎名はそれに割り込むようにわざとらしく相槌を打つ。一瞬二人の視線が交錯する。

 

「え、ちょっとなに? 二人とも何かあるの?」

 

 鷹宮が尋ねるが、二人はやはり、ほとんど同時に言う。

 

「いや、何もないよ鷹宮」

「さあ、あてぃしにはなにも?」

「……そうなの? ならいいけど」

 

 明らかに二人はおかしかったものの、鷹宮はしぶしぶ頷いた。

 

「とにかく、私はこんなの耐えられない。失くした記憶は取り返さないと……!」

 

 俯く鷹宮、椎名が見るに相当ショックなようだ。たぶん、自分を構成する時間という単位に拘っているのだろう。椎名には毛ほども意味が見いだせない。

 

「僕の魔術とアサシンじゃ相性が悪いかも」

 

 と緑仙も俯いた。何でお前が俯く? 椎名は自分でも訳が分からず苛立つ。あんなのは明らかに演技だ。言っていることは本当なのだろうが。

 

 椎名は舌打ちするのを堪え、空を見上げた。

 

「あたしは……ううん、あたしのサーヴァントは何か動いてるみたいやけど……たぶん面倒くさくなるし、あたしは思い出したくないかな」

「面倒くさいって、椎名さん……」

「いらんって。突っかかられるのも面倒くさいわ」

 

 椎名は立ち上がると、屋上の出口に向けて歩き出す。

 

「椎名さん、話はまだ……!」

 

 鷹宮が声を上げたが、椎名はそれを遮って言う。

 

「話なんかする必要あります? ないでしょ。敵なんだから」

 

 そうして椎名は屋上を出ると、薄暗い階段を一人降りていく。椎名は足を止めた。

 

 下の階までをすでに沈めた水はじわじわと階段をせり上がってきていた。

 

 そんなアホな……。

 

 椎名が固まっている間にも着々と水位を上げる水は、ついには椎名の足元を濡らした。椎名は咄嗟に踵を返して階段を上がろうとする。そして、踏み出した足は階段ではなく、温泉の縁石を踏んでいた。

 

「え……?」

 

 勢いのまま温泉から上がる椎名。振り返ると、灯篭の明かりがゆらゆら揺れる水面から声が聞こえてくる。

 

 椎名……! 椎名……!

 

 椎名は壁によろけかかり、痛む頭を手で抑えた。

 

「これ、ほんまにあかんわ……」

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