Fate/DebiRion.   作:遥野みしん

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メメント・にじレジ
50.雨の屋上


 屋上には雨が降りしきっていた。

 

 緑仙は赤の唐傘を肩に引っ掛け、フェンスを背にして立っていた。制服ではなく、お気に入りのチャイナ服。浅く羽織った上着が肩から垂れ落ちそうになるのを気にもせず、空を見上げていた。

 

「なあ」

 

 屋上には誰の姿も無かったので、それは空への呼び掛けとも思えたが、次の瞬間には緑仙の横に一人の老人が立っていた。

 

「どうして笹木を助けなかった?」

 

 相変わらず独り言のように呟く緑仙に、老人は答えた。

 

「お前がそう命じなかったからだ」

「僕が笹木を止めて欲しかったのがわからなかったの?」

「ああ、わからなかった。だいたい、お前はあの女を一度捕まえていたはずだ。そんなに大事であるならなぜ手を離した?」

 

 緑仙は舌打ちを一つすると、体の左右をくるりと入れ替えてフェンスの下、校庭を見下ろした。無数の水たまりが雨や風に合わせて細かに揺れている。

 

 人がいない。放課後だから、雨だから……それもあるだろう。だが、理由は明らかに別にあった。

 

「マスター、すぐそこまで来ているぞ。心身を調えよ」

 

 短く告げる老人に思わず緑仙は苦笑する。

 

「いや、無理でしょ」

 

 そこで屋上の扉が勢いよく開かれた。

 

「すいやせん。少し、待たせちゃったみたいですね……」

 

 雨の中にあって妙に乾いた声音。傘もささずにゆらゆらと体を揺らしながら歩いて来るのは椎名唯華だった。

 

 椎名は謝りながらも小首を倒し、わざとらしい笑みを浮かべて緑仙の顔を覗き込んでいる。その後ろには霊体化を解いたアーチャーが、椎名とは対照的にまっすぐ堂々とした歩きぶりで付き従っていた。

 

「やあ椎名。辛そうな顔をしているね……」

 

 緑仙は傘越しに振り返る。表情は穏やかだったが、冷や汗はごまかしようがなかった。

 

「緑仙さんこそ。なんですか、その顔。さてはあてぃしとお話しすんのが嫌だったんかな?」

 

 椎名はかつて冗談を言い合った時のような笑みを意識して無理やり作る。それが緑仙を苦しめると知っていて。

 緑仙は吹き出すように笑い、目を背けた。

 

「やぁ、いやになっちゃうね、まったく。全部わかってんだろ。聞きたいことを聞きなよ」

「話早くて助かります。それじゃあ――」

 

 椎名は目を閉じる。胸の内を一瞬だけ整理するように。再び開かれた椎名の瞳はしっかりと緑仙を捉えていた。

 

「どうして笹木を止めんかった?」

 

 椎名の問いかけに緑仙は表情を失った。そして苦々しく唇の端を引き攣らせながら答える。

 

「へえ、そこまで……。てっきり笹木の最期を聞かれると思ったけど……止めなかった? まるで僕が止めようと思えば止められたみたいに言うんだね」

「止められたやろ、緑仙さんなら」

 

 はっきりと言い放った椎名に緑仙は驚き、忌々しそうな目で椎名を睨んだ。

 

「意外だな……そこまで僕を評価してくれてたなんて」

「評価じゃないです、信頼ですよ」

 

 緑仙は何も言えなくなった。雨に打たれっぱなしの椎名の睫毛からは瞬きのたびに滴が流れ落ち、緊張のためか喉が鳴る。一方傘を差している緑仙は傘など持ってきたことを後悔し始めていた。

 

「……それで、なんだっけ。僕が笹木を止めなかった理由?」

 

 緑仙はアサシンの方を見て、観念したように瞳を閉ざした。

 

「僕が弱いからだ」

 

 雨が強くなり始めていた。椎名は雨水の垂れる拳を握り、歯軋りし、声を張り上げた。

 

「そんなわけないやろ! 緑仙さんはいつも強くて、冷静で、みんなが頼りにしてた……! それこそ、あたしなんかと違って……」

「僕が強くて冷静? それこそそんなわけないじゃん」

 

 即座に否定し、緑仙は自虐するように笑う。

 

「椎名、僕を見なよ。今目の前に立ってる僕がそんなに強い人間に見えてるの? ちょっとした言葉に傷ついて、頭が真っ白になってるうちに笹木を死なせたこの僕が? 冗談じゃない……断言するけど、あのとき僕でなくて椎名が笹木についていたら、笹木は何の変わりもなく生きてたよ」

 

 緑仙の浮かべる笑みはあまりに痛々しい。椎名は見ていられずに俯いた。

 

「じゃあなに? あたしが今まで思ってた緑仙さんなんて、そんなんどこにも……」

「いないね」

 

 あっさりと緑仙が言う。

 

「笹木もそういうとこあったけどさ、みんなが考えてる僕なんてキャラクターはどこにもいない」

 

 傘を深く差し、緑仙はゆっくりと椎名の方へと歩き出す。口元をわずかにゆがめて緑仙は言う。

 

「馬鹿みたいだよ。本当の友情とか、信頼とか。自分以外の人間の本当なんてわかりっこないていうのに」

 

 椎名は近づいて来る緑仙に身体をこわばらせたが、緑仙の傘で隠れた顔を見て、ふっと鼻で笑った。

 

「自分で言って傷つくなら言わなきゃええのに」

 

 気のせいだろうか、雨の音に紛れて鼻をすするような音が椎名の耳に届く。

 

「まあね」

 

 傘の下から見える口はあくまで明るい声音で返答する。

 

 これ以上距離を詰められるわけにはいかなかった。椎名は手を前に突き出す。

 

「そこで止まってください! 緑仙さんに言わなきゃいけないことがあります……!」

 

 緑仙は素直に従って立ち止った。余裕そうに見え、椎名は唇の端を噛む。

 

「笹木から言伝を頼まれましたので伝えます。いいですか?」

 

 緑仙は驚いたように口を開け、頷いた。椎名は笹木の顔を思い浮かべながら告げた。

 

「酷いこと言ってごめん、って。笹木は、謝っていたことを伝えてほしいって言ってました」

「そう、なんだ……」

「ええ、笹木は謝ってましたよ? でも」

 

 椎名は語調を強くしていった。

 

「あたしは許せない」

 

 その瞬間、階下からふわふわと屋上を取り巻くように無数のおもちぃなたちが浮上する。屋上という空間を今にも飲み込みそうなその数に緑仙は息をのんだ。

 

「謝ります、緑仙さん。もし、緑仙さんが本当に弱い人だっていうなら、きっとあたしは弱い者を痛めつけようとする悪者になってしまうんかな。でも、無理や」

 

 覚悟を決めた瞳で緑仙を睨みつける椎名に対し、緑仙は傘の下で言うだけだった。 

 

「来なよ。殴られるつもりだったし、殺されても仕方がないとは思ってる。っていっても、覚悟はできてないから、抵抗させてもらうんだけど」

 

 その口ぶりに椎名は思わず笑ってしまう。

 

「ははっ、そんなセリフ、弱い奴が言いますか……!」

 

 ぴーっ!

 

 おもちぃなたちが喚きながら一斉に緑仙に降りかかった。

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