「え……」
今まで繋がっていたものがプツンと切れる、そんな感覚を覚えて、椎名は右手の甲に目を向けた。そこにあった令呪は今まさに消えていくところだった。
確かな赤色が薄く滲んでいき、最後には蒸発するように無くなってしまう……それが何を意味するのか。椎名にはわかっていても受け入れられなかった。
「どこ見てるの?」
その声にハッとして、椎名は慌てて周囲に浮かぶ護符の術式を起動、飛び込んでくる緑仙に向けて炎弾を放つ。緑仙はそれらをあっさりと唐傘で薙ぎ払った。
「くっそ……!」
椎名はスカートのポケットから黒い護符を取り出すと、至近距離まで迫っていた緑仙に向けて放つ。
黒い護符は椎名と緑仙の間でピタリと止まり、その色を急激に白くしていく。そうして、真っ白な、音のない爆発が起こった。
爆風を受けてフェンスに衝突した椎名はすぐに体を起こして事の顛末を見守った。
白い光が徐々に弱まっていく。その中に一点影が生じたかと思えば、開かれた真赤な傘を盾にして、光の中を緑仙が突っ切ってくる。
「へへぇ……かかったな!」
椎名の声に緑仙は目を見開く。白い光を抜けた先には何枚もの護符が浮遊しており、緑仙はその真っただ中に飛び込んでしまったのだ。緑仙を取り囲む護符がバチバチと雷電を帯びる……。椎名は指先に魔力を込めて叫んだ。
「ライトニング!」
護符と護符の間を繋ぐようにして、目まぐるしく紫電が駆け巡った。
一瞬の光、けたたましい電流の音が弾け、それが消え去ると緑仙は膝を着いて倒れ込んだ。
椎名はフェンスに寄りかかりながら立ち上がると、片腕を抑えながらよろよろと緑仙の方へ歩いていく。
「緑仙さん、どうです? 今のはけっこう痛かったんじゃないですかぁ? ふっふっふ、まさかあてぃしに負けるとは思ってなかったでしょ? ねえ、どうなんですか、教えてくださいよ……あ、舌が痺れて喋れませんでしたね。ぷっ、あっはっはっは!」
椎名は倒れている緑仙をひとしきり煽ると、虚しくなったように笑うのを止めて手の甲を見た。
あいつ、あてぃしのサーヴァントのくせに負けやがったなぁ……! 椎名は怒りに駆られて拳を握るが、その手はすぐに解いて開かれた。椎名はため息をつく。
まあ、あいつは天才だし、やれることはやったんだろう……。
あれ、と椎名は首を傾げた。自分はいつの間にあいつをこんなにも信頼するようになっていたんだろう。自分でもそれが意外で、思わず笑ってしまう。まあ、私たちの関係はこれくらいで良かったよ……。そうだよね、二コラ・テスラ? 雨の降る空に、椎名は笑いかけた。
「って、あれ、緑仙さん……生きてます?」
椎名は倒れたまま身じろぎ一つしない緑仙に違和感を抱き、その顔をよく見ようとしてしゃがみ込もうとした。
「んなぁ⁉」
椎名が思わず声を上げる。寝転がったままの緑仙の足が椎名の足に絡みつき、椎名は地面に押し倒された。
緑仙が椎名と態勢を入れ替えるようにして立ち上がる。
「ちょ、緑仙さ~ん、死んだふりなんてそんな……タチ悪いですって、あはは……あのほんまに痛いです」
椎名は冷や汗を垂らしながら緑仙の手を解こうともがくが、椎名を上から抑えつける緑仙の手はびくともしなかった。
「はぁ、いや、僕の方が痛いでしょ、これ」
全身擦り傷や火傷に塗れた緑仙は、片手で椎名の両手を抑えたまま、もう片方の手で左耳の赤いイヤリングを外した。イヤリングは耳から外れると緑仙の手の中で灰になる。緑仙は雨の中でパッパと手を払いながら言う。
「五行のお守り。自然系の魔術に強いんだけど、今のでおしゃかだよ」
「それは申し訳ない! 損害賠償は花畑の方までお願いします! ちゃんと賠償しますんで」
「へえ、そうさせてもらおうかな」
そんな茶番を言い合いながらも、自分を見る椎名の目に怒りが残っていることを見て取り、緑仙は肩を落とした。
そういえば――と、緑仙は話を変えに掛かる。
「途中から、おもちぃなたちがいなくなって僕の知ってる椎名の戦い方に戻ったね」
「どうですか? 少しは強くなったでしょ?」
未だに抵抗を諦めない椎名は挑発的な表情を浮かべて言う。緑仙は素直に頷いた。
「うん。とても強くなった。でもまあ、護符だと椎名の意図が反映されるし、椎名はわかりやすく狡猾だけど、やっぱりわかりやすかったよね。それぞれが自分勝手に動き回ってたおもちぃなの方がやりづらかったかな」
そうですか……そんな小さなつぶやきは雨音に掻き消されていった。そして、椎名はぽつりと言う。
「緑仙さんは、弱くなった……」
緑仙は雨に濡れながら、黙って次の言葉を待った。
「緑仙さんは、あたしの抱いてたイメージよりも、弱かった……」
雨で涙はわからなかったが、椎名の声は湿っぽくなっていくのに緑仙は気づかないふりをした。
「それでも、あたしより強いのに……どうして? どうして笹木を助けんかった? なあ、友達だったんちゃうん?」
緑仙の手のひらに魔力が集まり始める。
「悪いね、椎名。僕も聖杯は欲しいから……」
何のために……? 言葉と同時に疑問が緑仙の頭の中に浮かぶ。何のために? なぜ? 一族の悲願? そんなクソどうでもいい物なんかのために笹木や椎名を? まさか。
緑仙は舌打ちし、椎名の額に手のひらを置く。
椎名はそんな緑仙の顔を見て、小さく笑った。
「そんな哀しそうな顔、せんといてくださいよ……」
―――――――
緑仙が時間をかけて魔力を流し込んでいくと、椎名は眠るように目を瞑る。緑仙は立ち上がり、転がっていた唐傘を開いて椎名の体が濡れないように置いた。
「また、聞かれてしまったな……緑仙?」
いつの間にか屋上の入り口に立っていた李書文が唇の端を釣り上げて笑う。
緑仙は唇を噛み、雨の音に紛らせるように言った。
「うるさいよ」
椎名唯華(しいなゆいか)
……実家は高貴な血を継ぐ巫女の家系だが、一瞬でグレてレジスタンスの道へ。親友の笹木咲を策謀によってレジスタンスの仲間に引き入れたのは自分の仕事を減らすためだったとか……。
二コラ・テスラ
……それまで神にしか扱えなかった雷を広く人類にもたらした天才。文明を大きく進めた星の開拓者の一人。地球そのものを媒介にして地球全土に電流を無線送電する世界システムの開発を進めるが、資金難から頓挫。以後は当時の人々の理解を得られないような研究に明け暮れる。晩年には死者との交信を試みていたという。