「おーい、クレアさーん!」
「シスタ~!」
教会の前に佇んでいたシスター・クレアは小走りで近づいて来るでびリオンの二人を見て思わず吹き出した。
「ちょっと……どうして二人とも唇がたらこなんですか……?」
二人は真っ赤に腫れ上がった唇をぶるんぶるん震わせながらクレアの元までやってくると、息を切らしながら答えた。
「いえ、その……色々あったんです」
「うん、色々あったんだよ」
二人は笑いながらも心配するクレアの顔から目を逸らした。哀しげに、特に意味のない陰を顔に張り付けながら。
「そんなことより! 先ほど路上で厄介ファン……じゃなかった、胡散臭い神父に声を掛けられまして……」
「胡散臭い神父、ですか」
相槌を打つクレアに忌々しいと言わんばかりの表情が一瞬だが垣間見えた。思い当たる節があり、二人の持ち込んだ話が厄介ごとであるのをすでに見抜いているようだった。
「そうだよ! そいつのせいでボクらの唇がこんな目に……」
目に涙を浮かべて顔を上下にぶるぶる揺らすでびる。クレアの顔の真ん前ででびるの唇が激しく上下に揺れ動いた。
「あーそれは大変でしたねーよく頑張りましたねえらいえらいー。それで、何をお話されたんですか?」
でびるの頭を撫でながらクレアは鷹宮に尋ねた。
「えーっと、なんだっけ……?」
ピキッ……とシスター・クレアの柔らかなほほ笑みが硬直して見えたのはたぶん気のせいだろう。恐らく冗談で発されているであろうクレアからの圧に鷹宮は焦りながらも思い出す。
「あ、そうだ! 封印指定のやばい奴が来るらしいです! マスター全員皆殺しだって!」
封印指定、という言葉を聞いてクレアの目つきが変わった。
「なるほど。その神父が呼び寄せたというわけですか」
「そうみたいです。それと、その……言わなきゃいけないことがあるん、です、けど……」
そこで急にもじもじしだした鷹宮を、クレアはその声で包み込むようにしていった。
「大丈夫ですよ、お気になさらず。何でも言ってもらって構いませんよ」
とクレアは優しい目でもって笑いかける。すると、鷹宮は安心したように息をつき、言うのだった。
「その、神父なんですけど、どうやら私のお父様が依頼したみたいで……本当に、なんとお詫びすればいいか……」
鷹宮は固く目を瞑って頭を下げた。クレアはそんな鷹宮に歩み寄り、肩に手を置いていった。
「頭を上げてください。リオンさんが気にすることではありませんよ。それに、どうせお父様の依頼というのはでびちゃんとリオンさんに近づくための神父の出まかせか、あるいは神父の方から働きかけたものでしょうから」
そうして、クレアは鷹宮の肩を支えてゆっくりと頭を上げさせた。鷹宮は感極まって言う。
「ありがとうございます……! あの神父には戦いが終わるまで隠れているよう言われたんですけど、私たちもこの聖杯戦争を守るために戦います!」
目をぱちくりさせているでびでび・でびるを置き去りにして鷹宮は思いの内の昂ぶりを伝えた。だが、クレアは俯き、ぶつぶつと何かを呟くと、ゆっくりと首を横に振った。
「いえ、その必要はありません。でびちゃん、それにリオンさんも、神父の作戦通りにするのが恐らく最善でしょう。あなたたちにも願いがあるはずですから。勝ちにいかなくてはね」
うふふ……とクレアは笑う。
本当にこの人は……。鷹宮は半ば戦慄しながら、聖人を見るかのようにクレアを見つめた。
「それにですね、まさか似非神父の企みとは思ってもみませんでしたが、外部からのエネミーについてはすでに叶さんが動いてくれています。時が来れば私も戦いに出るでしょう。でびちゃん、それにリオンさん……どうか私たちを信頼して、全てが終わったあとで、正々堂々気持ちよく戦いましょう!」
そこで、今までどこに隠れていたのか、騎士の格好をした金の髪の少女がふっとクレアの横に降り立った。少女は目を伏せ、軽く頭を下げるとその存在感をなるべく小さいものにした。恐らく騎士としての礼儀か。クレアの意を汲んで姿を現したのだろう。
それは当初鷹宮が考えていた理想的なマスターとサーヴァントの姿そのもので、鷹宮はキラキラと目を輝かせて頷いた。そんな中で、でびるはふわふわと進み出ながら聞いた。
「なあなあ、シスター! お前の願いは何だ?」
「願い、ですか?」
「うん!」
クレアはどう話そうかとあれこれ考えるように視線をうろうろさせるが、じきに悪魔に向けてほほ笑み、話し出した。
「色んな人が、この世界にはいると思います」
「うん? うん、そうだね」
「それはとてもいいいことで、とても楽しいことだと思うのです」
「うん……」
「みんなで互いの存在の奇跡を尊重し合い、助け合い、楽しく生きていく。どうしてこんな、当たり前の理想がいつまでも実現しないのか、私はずっと考えていました」
「うんうん、そうだよね。ボクにもわかっ……」
「お前もう黙ってろ」
悪魔は鷹宮に口をふさがれる。クレアは自分の胸の内で言葉を探していたためか反応しなかったが。
「私の出した結論はこうです。人々には、神のご加護がわからないのだ、と」
「「え?」」
二人は間の抜けた顔でクレアを見つめた。
「神はあまねくすべての魂を祝福しておられるのです。貴方が貴方であることを祝う私たちの主。神は全てを肯定し、赦しを与えるお方」
「むぅあ! それは、僕みたいな悪魔でもか?」
鷹宮の手から逃れた悪魔が尋ねる。クレアは頷いた。
「もちろん! 祝福されない魂などありましょうか。でびちゃんだってそう思いますよね?」
なぜか聞き返され、悪魔はたじろぎながらも頷いた。
「え、うんまあ……。でも僕みたいな悪魔がいるから人は争い、罪のない人間たちが巻き込まれて死ぬんだよ? お前の神はそれも赦してるんだねえ」
「ええ、そうです。神は全てを赦します。どれだけ醜い願望も、人を冒す欲望も、あるいは無残に砕け散る罪なき姿態でさえ、全てを愛しておられるのです。けれど、私にはそれが許せない」
クレアは胸にぶら下がった十字架に目をやり、固く握り込んだ。
「人を傷つける人を許すことができません。だから人を傷つけたい人には我慢してもらうしかない……そんな否定も嫌で仕方がないんです。私だって、人にはなるべくその人のあるがままで居て欲しい。ですから人を傷つける人の内側を何か大きなもので満たしてあげたい。そう、あまねく人々に神のご加護を。神は貴方の全てを愛し、神は全ての貴方を愛す。愛されていることさえ実感できるのなら、人々はみな大きな喜びで満たされて、同じ愛を受け入れられる奇跡のような隣人を傷つけたいなどと思うはずもなく、また苦しんでいれば率先して助けるようになるでしょう。これが私の思い描く当たり前の、余りに現実離れした理想の世界です。私は理想の世界の実現を聖杯に願います。こんな私の醜い欲望を、神は許してくれるでしょう」
鷹宮は何も言えなかったが、悪魔は言う。
「傲慢じゃない、それ?」
くすりと笑ってクレアはこう返した。
「信頼です。神への」
―――――――
帰り道。鷹宮はクレアの言葉に不安定な揺らぎを胸の中に覚えながらも、あんなとんでもないことを言ってしまえる人が簡単に負けるわけがないという信頼は高まっていた。
「ねえでびちゃん」
鷹宮は呼び掛ける。鷹宮の肩に手を掛け浮遊し、自力では推進力を生み出さずに鷹宮に引っ張ってもらって楽をしていたでびるは「バレた⁉」と顔を青くしたが、鷹宮がこっちを見ていないのに気付いてほっとする。
鷹宮が考えていたのは神父が別れ際に言った言葉だ。
「変なのが二人そちらに行くかもしれないが、今の君たちならば何とかなるだろう」
「変なの?」
「ああ、変なのだ」
変なの……それだけしか神父は情報をくれなかった。神父は私たちなら何も心配はないと問題にもしなかった。確かに、心配しても仕方がない。私たちはやるべきことをやるだけだ……。
鷹宮は先日入ったコラボの誘いをスマホで確認した。
おりコウ……あまり詳しくないのでわからなかったが、男女のコンビ名らしい。二人の登録者数は爆破的な成長を続けるでびリオンのチャンネルには及ばないものの、なかなかの大手。
ここで頑張れば崇拝者をさらに増やし、でびるの強化を狙えるに違いない。
「でびちゃん、頑張ろうね!」
「うん? んー……うん!」
でびるはわかっていなかったが、何となくいい雰囲気を感じて元気に頷いた。