窓から射しこんだ朝焼けが少女の寝顔にそっとかかる。腹の上に悪魔を乗せて、うなされていた少女の顔もようやく安らいだ。
少女の目覚めまでもう間もなく――。
鷹宮リオンは目を覚ましてもしばらくは起き上がらず、じき鳴った目覚ましをどこか遠くに聞いていた。
目覚ましが鳴り終え、辺りが静けさに満ちたとき、ようやく鷹宮リオンは体を起こした。お腹の上の悪魔を払いのけ(「酷くね⁉」)、ベッドから足を下ろして立ち上がる。寝ぼけ眼で洗面へ歩いていって顔を洗う。鷹宮リオンは鏡を見た。
隈はない。顔色も悪くない。体は重かったが、きっと問題は無いのだろう。両手を上げてぐっと伸びをすると、体が少し楽になった気がする。太陽に当たれば気力も戻ってくるだろう。
「よし!」
と呟き、朝食を摂りにリビングへ向かう。
「あらでびちゃん、おはよう」
目をこすりながら漂ってくる悪魔に鷹宮は挨拶する。
「おはようじゃねーよ! ショックと痛みでしばらく起き上がれんかったわ……」
「何があったの?」
鷹宮の反応に悪魔は目を丸くする。
「お前……嘘だろ?」
「へ?」
今度は鷹宮が目を丸くする番だった。
「はぁ、もういいよ。ボクが間違ってた。もう二度とあそこでは寝ねえ」
「あはは、解決できたならよかったじゃん」
「よくねえけど……ところで小娘、その服は制服って言うんだろ? 学校に行くのか?」
「もちろん。聖杯戦争が終わっても人生は続いてくんだから」
「うへぇ、人間は大変なんだな。じゃあボクはもうひと眠りしてくるわ」
「待ちな!」
あくびをして寝室へ漂っていく悪魔の襟首を鷹宮の手が鷲掴みにした。
「でびちゃんは信仰を集めるのです。強くなんないとなんにもできないんだから」
「あー……まあ、考えとく」
目を逸らした悪魔に鷹宮は触れそうなほど顔を近づけると、にこやかな笑みを浮かべて言う。
「よろしく頼むわね」
―――――――
教室に入った鷹宮の視線はいつも、窓際で頬杖をつき、外を眺める生徒の姿に吸い寄せられる。
緑がかった髪を後ろで三つ編みに束ねた生徒はスラックスを履いた足を居心地悪そうに組み替えた。
「
鷹宮が声をかけると、緑と呼ばれた生徒は重い隈にどんよりとした瞳で鷹宮を認めた。
「ああ鷹宮、おはよう」
「眠そうじゃない。また夜更かし?」
「うん、ちょっとね」
緑の痛々しい微笑みに鷹宮は息が詰まりそうになる。緑がどうして悩んでいるのか、鷹宮には見当がついていた。
今まで通り放っておくのが正解だ、と鷹宮はわかっているつもりだったのだが……今まで触れることを避けてきたはずなのに、この日はつい、聞いてしまった。
「ひょっとしてなんだけど、緑さんが最近悩んでるのって、笹木さんと椎名さんのことだったりする?」
緑はアッ、と間の抜けた顔をした。きっと身近にいる鷹宮に話を聞くことが盲点だったのだろう。緑は興奮を抑えるような口調で切り出す。
「う、うん。実はそうなんだ。二人ともずっと連絡つかないし、先生は家庭の事情の一点張り。こんなの絶対におかしいと思うんだ」
「そうねー。でも、先生が問題にしてないのなら大丈夫なんじゃないの? 家庭の事情ってことは二人のご両親も容認されてるみたいですし……?」
「そうかもしれない……でも、そうじゃないかもしれない」
「どうしてそう思うの?」
柔らかい口調で聞かれ、緑は迷いながらも答えた。
「わからない。あの二人の家、ちょっとおかしいんだ。空気の流れが鈍いっていうか、親も言動がなんか変だし……いや、これは悪口のつもりで言ってるんじゃないよ」
「ふふ、前から思ってたけど、緑さんって霊感みたいなものがあるのかもね」
「……僕は真面目に話をしたいんだけど」
「わかってる」
鷹宮はくすりと笑って緑を見つめ、本題に入ることにした。
「それでね、私がこんな話をしたのも、昨日の夜、椎名さんを見かけたからなの」
「え、本当? どこで?」
緑は立ち上がって鷹宮にすがるように歩み寄る。鷹宮がそのぶん後ろに下がると緑は不安そうに瞳を潤ませ、冷静になって鷹宮の答えを待った。
「駅の方かな~。気合の入ったファッションでかっこいい男の人と一緒にいたわね。話しかけられたくなさそうだったけど、向こうが気付いちゃって……誰にも言わんといて! って。だからね、緑さん、心配しなくてもいいと思うよ。きっと笹木さんも似たようなものっていうか、男二人女二人でなんかやってんじゃない? 下世話な話だし、あんまり話したくなかったんだけど……」
と鷹宮は笑ったが、あまり上手く笑えなかったので鷹宮は笑ったことを後悔した。一方、緑は茫然としていた。
「あはは……そうなんだ。二人は楽しくやってるんだ……じゃあ、僕が心配するのもおかしいのかな」
「そーだよ。心配するだけ時間の無駄! 緑さんもあんな奴らのためじゃなくて自分のために自分の時間を使った方がいいって!」
緑は鷹宮の言葉をゆっくり咀嚼して飲み込むように俯いていたが、顔を上げた緑の表情は軽やかになっていた。そして数秒、鷹宮の顔を見つめ、何かに気づいた様に視線をさ迷わせると、ほほ笑んでいった。
「ひょっとして僕は、鷹宮に心配をかけていたのかもしれない。本当にごめんね」
「別にー。謝らなくていいよ。友だちなんだし」
自分で言ったのにも関わらず、鷹宮は恥ずかしさのあまり顔を逸らした。
〇
「あのこれ……ディナー、です」
男は眼下に並ぶご馳走を見て喉を鳴らし、フォークをとって静かに食事を始めた。
自分の皿には手を着けず、笹木は男を見守っている……。そんな中で、男はハンバークを齧って嚥下すると、フォークを置いて天を仰いだ。
「ローマ……」
男の目から一筋の涙が流れ落ちる。笹木はカチコチの笑みを浮かべて言った。
「あ、よかったです、ハイ……」
「どうした? 愛しい我が子よ。お前も早く食らうべきだ。ローマが冷めてしまう」
「うす、食べます……食べます、ハイ」
笹木もまたフォークをとって皿に手を付け始める。ハンバーグのたれをキャベツに絡め、無表情でシャキシャキと口の中で鳴らす……が……
(なんやこれ、全然会話できん! ランサーじゃなくてバーサーカーやろこんなん! つーかなんでこいつサーヴァントのくせにご飯食べてんの? なんやローマて。なんや我が子て。ローマが冷めるってなに……?)
「ほう、これはそうして食べるのか。なんと、あまりにローマ……!」
(もう嫌ぁ……椎名助けて)
笹木も男と同じように天を仰ぐと、その目から一筋涙を零す。男はそれを見て不敵に笑うのであった。