炎天下。体操服の生徒たちは二人組で背中合わせになり、後ろ手に肘を組んで、背中を伸ばし合っていた。
あのちっこい雲、すげースピードで移動して太陽に掛かってくんねえかな……。
タイミングも悪く太陽の光を全身で受け止めることになった卯月コウは目を細めながらそんなことを考えていた。
「なあ、さっきの話だけど……」
コウの真下で鈴木勝が言った。
「やっぱり魔界ノさんに早く謝った方がいいと思うな」
「あー、まあ、そうだよなあ……」
考えたくはなかったが、どう考えてもあれはコウが悪かった。でもなあ、とコウは自分の手のひらを太陽にかざす。
俺、弱いんだよなー……。
そこで先生の合図があり、今度はコウが勝を背負って勝の背中を伸ばす。
「ぐっ、太陽が……!」
勝は何やらしばらく悶えていたが、コウには考えることがあった。このゲームを始めてから攻略といえるイベントをまともに起こせていない。このままだと負けてしまう。コメントのみんなにどうしようか聞いたとき、みんなは一生懸命考えてくれたけれども、そこにコウが実行できそうなものはほとんどなかった。
このゲームのキャラはみんな、ゲームのキャラとは思えないほど人間味を帯び過ぎている。こんなの、ゲームとしては明らかに失敗作だ。
こんな現実みたいな人間たちを相手に好き勝手ゲームみたいに恋愛なんざできるわけがない……!
俺か? それとも社長か? どっちの悪ノリの結果こうなった? コウは考えるが、違う、と思う。制作のどこかの段階でもっと面倒な事を考えている奴が潜り込んだんだ。そしてプログラムに細工を施した……そうとしか考えられなかった。こんなはずではなかった。こんなはずでは……。
「卯月? ねえ、聞いてるー?」
太陽の光に未だ苦しんでいる声で鈴木勝が問いかけた。
「あ、ああ。なんだっけ?」
「いや、俺は正直卯月の話はそんなになんだけど、俺の相棒がめっちゃ怒ってる。女心がわかってない! って」
ちらっとコウは勝の耳にハマっている通信機器に目をやった。イヤホンや補聴器などに見えて、よく見るともっとハイテク機器なそれには小型のマイクやカメラがついており、勝のパートナーである高性能AIの元に繋がっているという。コウはため息を吐いて投げやりに答えた。
「はぁ、どうせAI様には人間の気持ちはわかんねーよ」
「ちょ、やめろよコウ! そんなこと言ったら……うわやっぱり! いわんこっちゃない。どうにかしろよこれー。めっちゃキレてんじゃん」
「マジか」
「うん、キレてる! キレ散らかしてる!」
通信機を抑えて顔をしかめる勝。お互いの態勢のせいで勝の通信機から漏れ出た女性的な声がコウにも届いた。
本当に存在してたのか……! コウは驚愕する。今まで通信機は偽物で、通信の相手は勝の痛い妄想だと思っていたのだ。
先生の合図があってコウは勝を背中から下ろした。振り返った勝にコウは言った。
「あー、勝。悪かったって伝えておいてくれないか」
「お、おう……」
勝はコウの反応が意外だったのか、少し困惑しながら通信機の向こう側にいるAIに呼びかける。
その間、コウはクラスの面々の顔を
勝もちょうどケリがついたらしい、コウに手を振った。
「侮辱したことは水に流すって、よかったな卯月」
「あ、ああ」
何か煮え切らない返事をしたコウを気にかけながらも、勝はその丸い瞳でコウを見つめて言った。
「ところでなんだけどさ、夏休みになんか予定ある?」
「え、いや、どうだろうな……」
「じゃあさ! 夏休みにさ、俺とコウと、俺の相棒のAIと、三人で夏祭りに行かね?」
「夏……祭り……」
コウの体中を衝撃が駆け巡る。
夏祭り……? え、もうそんな季節? 俺はこれまで一体何をしていた⁉
コウは冷静になってこれまでのプレイングを思い出し、一つの答えを得る。俺はこれまでギャルゲーの中で、オタクたちと、オタ活してただけ……。
コウは思わず倒れ掛かり、慌てて駆け寄った勝に抱きとめられた。
「ど、どうしたんだよ急に! 大丈夫か?」
「あ、ああ。いや、なんでもない。なんでもないんだ……」
コウは濁った瞳で言うと、すっと立って俯いた。
「それでなんだっけ、夏祭りだっけ」
「おう。当然だけど、俺たち三人の懇親会と作戦会議も兼ねてっから。単なる遊びじゃねえかんな!」
知ってた。
顔を赤くした勝からちょうど目を背けていたコウはトホホと肩を落とす。いや待てよ……! コウはかぶりを振った。まだ希望は捨てるべきじゃない。仮にもダークネスイーターなんだから、他の仲間だっているかもしれないじゃないか。
「なあ、勝~」
コウは勝の体に自分の体を擦りつけるようにすり寄った。
「うわっ、距離の詰め方おかしいだろ⁉」
コウの体を押し退けようとする勝にコウは一縷の望みを託して言った。
「その夏祭り、女の子とかもっと誘ったり……しない、か?」
ダメもとで聞いてはみたが、勝が答えるよりも相棒のAIの方が先に何か言ったらしい。勝が呆れたように言う。
「しねえよ。……だってさ」
「デスヨネー」
コウはコメント欄をじっと見つめる。確かに視聴者たちはダークネスイーターとAIとの夏祭りを見たがっている。だが、一方でよその動画配信者との勝負を意識する声も多くあり、コウは決断を迫られていた。
「勝、悪い」
「え」
「夏休み、俺は俺の任務をこなすよ……」
それを聞いたとき、鈴木勝は少なからずショックを受けたようだったが、コウの儚い表情を見て眉をきゅっと引き締めた。
「そうか、卯月にもやるべきことがあるんだもんな。はあーあ……んじゃー仕方ない。夏祭りはまた、な」
勝は意外と社交性があるというか、相手のことをちゃんと考えてくれるいい奴なんだな……。コウは引き留められなかったことにほっとしつつ、行ってやればよかったな、と後悔し始めていた。そのせいか、こんな嘘をついてしまう。
「ああ、またいつか。絶対行こうぜ」
「おう! 次は、三人で」
―――
「いっけね」
放課後、校舎を振り返ってコウは呟いた。
「忘れ物した」
踵を返し、校舎へ戻るコウ。校舎の中はちらほらと生徒たちの騒ぎ声が聞こえてきたが、階段を上ろうと足を出した瞬間、全ての音が掻き消えた。
コウは一瞬ためらい、足を上げたまま停止するが、気のせいだと決めつけて階段を上がり始める。
踊り場の窓から夕陽が射し、コウの背後に影が長く伸びている。無音の校舎にはコウの足音だけが空虚に響いていた。
コウは眉をひそめた。何かがおかしかった。コメント欄を見ても違和感に気づいている者はいない。
敵なのか……? コウは汗を制服の袖で拭い、階段を上がって二階と三階の間の踊場へ。すると、たん、たん、たん……と足音がコウの頭上で鳴った。
コウが見上げると、そこにはカーディガンに緩く袖を通した女子生徒が立っていた。
夕闇の中に浮かぶ黄色い瞳は眠たげで、夢から覚めないまま学校をさ迷っているかのようだった。動揺して動けないコウを認めたかどうかもわからないまま、その女子生徒はゆっくりと階段を降りてくる。そしてすれ違いざま、くすっ……とささやかな笑い声を漏らす。
コウは振り返るが、そこには誰もいなかった。
「だから違うって、りりむちゃん! 見たんだ、本当に見たんだよ!」
「へー。よかったじゃん」
「いや、もうちょっと興味持ってもよくない? はっ……そういえばどっかで聞いたな。あれはこの学校に伝わる七不思議の一つ……えーっと、なんだっけ?」
「はい撤収ー」
「ちょっ、今日のりりむちゃんなんか冷たくない?」
「今忙しいの。早く帰って」
「はぁ? 昼寝してただろ。この唾液の浸みこんだプリントが動かぬ証拠!」
「うわぁあ! おい見んなってー!」
りりむは慌てて身を乗り出し、机に散らかるプリントの上に覆いかぶさって隠そうとした。
「いい? これはりりむの作戦なの。遅くまで自主的に居残って勉強して、先生に褒めてもらうの!」
「いや、居残っても勉強はしてないだろ」
「うるさーい! 居眠りしちゃって、優しく説教してもらう作戦なのー!」
「ああ、わかるわ(共感)」
「共感しなくていいから早く帰ってよー。二人でいるところを見られたらまずいんだってー」
へいへい。コウは肩をすくめ、当初の目的の忘れ物を鞄にしまうと、教室から出て行った。
りりむはため息を吐いて、おでこを机にとんと落とす。作戦は当初の予想を大幅に下回り、振るわなかった。りりむは積極的に話しかけようとはするものの、先生は面倒見がよく、それでいて面倒くさがりなので、生徒に囲まれたかと思えば気づいたときには職員室に帰ってしまう。他の子を押し退けて話しに行く勇気はりりむには無かった。
これからどうしよ……。ゲームの中とはいえ、毎日があっという間に過ぎてしまう。何のイベントもなく、何の面白みもなく……。
「ごめんみんな……」
りりむは謝った。今も自分を応援してくれているコメントのみんなにだった。なんとなく見たくはなかったが、きっと自分を励ましてくれているだろう。それがわかる程度にはりりむはコメント欄のみんなを信頼していた。
「はあ……」
りりむの気怠い体は机の上で伸びていた。
「おやおや~」
そこで突然聞こえた男性の声に、りりむは身を固くする。
顔を上げたりりむが見たのは褐色の肌の男性だった。男性はまるでテレビで見る司会のような派手なスーツとサングラスを身に着け、さらにしっかりと決まったオールバックがよく似合っていた。男性はりりむの肘から覗いていたプリントを覗き込んでいた!
「ちょっと待って!」
りりむは慌ててそれを隠すが、もう遅かった。男性は口の端に笑みを浮かべていた。
「これは私が出した数学の課題プリントですね? あ、今魔界ノりりむさんが落としたプリントは……物理、ですか。ふむふむ。いや、素晴らしい!」
「……え?」
「素晴らしいです、りりむさん! 勉強はあんまりな子だと思っていたのですが……意欲は! 意欲だけはあったんですね!」
「それ絶対馬鹿にしてるだろ!」
「いやはや素晴らしい」
その男性はサングラスの下の涙をハンカチで拭うと、鼻をかみ、深く感銘を受けたというようにうんうん頷いて言った。
「仕方ないですね。微力ながら、この私。数学教師のグウェル・オス・ガールが! これから毎日、授業終わりに特別補講をしてさしあげましょう!」
「……いりません」
「さあ、それではノートを開いて。大丈夫です。私、グウェル・オス・ガール。数学だけでなく物理も得意ですので」
グウェルはノリノリで教壇に立つと、りりむに向けてにっこりと笑う。
「まじかー!」
りりむの体は椅子の背もたれに仰け反るように倒れていった。