予約を入れてないにも関わらず、ホストクラブの受付は親切に二人のお嬢様を席に導いてくれた。
店内は黒を基調としたミニマルな内装で、BGMとしてアップともスローともいえない曖昧なジャズのテンポが自然と耳に馴染み、気づいたときには空間に溶け込んでいる。
それぞれの席で話のトーンも様々で、楽しそうに話している席もあれば、落ち込んでいるらしい女性にホスト数人が共感するように相槌を打ち、明るく励まし合っているような席もあった。
コウには何が何だかわらなかったが、りりむの魔族の耳には全てが聞こえていた。
「りりむちゃん、どうだ?」
「ちょっと静かにしてよ。先生の声が聞こえない」
「ごめんごめん……」
二人は少し居づらさを感じながら小声で話し合う。そんななか、二人の前についにホストが現れる。そのホストは紫とピンクのメッシュを横に流した灰色の髪が特徴的で、恐らく髪色に合わせたのだろう、襟に明るい刺繍の入ったスーツは仄かに紫がかっていた。
そうしたバッチリ決まった衣装とは対照的に、切れ長の眼にはどこか優しく、愛くるしい印象があった。
これがホスト……! と、瞠目する二人の前に、ホストの男はキザに一礼して見せる。
「こんばんは。どうも、
「ど、どうぞ……」
りりむの返事に微笑みで返し、男、不破湊は洗練された身のこなしで席に体を滑り込ませ、二人から近すぎない程度の距離を開けて席に着いた。
「いやあ、実は俺、このあと指名が入ってるんだけど、二人とも初めてで緊張してるみたいだったから、つい声掛けちゃった」
あっけらかんと笑う不破からは最初のイメージとは正反対の親近感が感じられ、二人は拍子抜けしてたじたじとなった。
「って、それってやばいんじゃないっすか?」
焦ったコウがお嬢様言葉も忘れて言うが、不破は一向に気にしてない様子で笑う。
「ダイジョーブダイジョーブ。ま、なんとかなるっしょ。それよりどうかな。お店の雰囲気とか、俺、けっこう気に入ってるんだけど、初めて来た二人の印象を聞きたいな」
言われて二人は改めて店内を見回す。
「なんていうか、日常とかけ離れた場所でワクワクする感じ、と、自分の部屋? じゃないけど、凄く落ち着いてて本来の自分に戻れる感じが共存、してて、すごく良い感じ……だと思います」
「あ、それちょっとわかる!」
りりむの言葉にコウは共感して親指を立てたが、りりむは変なこと言っちゃった……と頬を赤くした。
「ふふっ、ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいよ。俺も未だにここに来ると、その非日常のワクワク? と、本来の自分に戻れる落ち着いた感じがあってさ、まあ俺、ホスト側なんだけど」
不破の笑いに誘われるように二人は笑った。それを見て不破は表情を柔らかくした。
「さて、それじゃあ――」
何かを言おうとした不破だったが、そこで通路から駆けてきたホストの男が不破を呼んだ。
「不破さん、もう駄目です! 抑えきれません!」
「あぁえ? セイセイ……ちょっとちょっと……時間までもうちょっとあんだろ?」
「そ、それが、店に入った時にはすでに出来上がってて……」
そのとき、女性の叫び声とガラス瓶の倒れる音が通路の奥から聞こえてきた。
「不破はどこだ、不破を出せ!」
「あはははは……何も、そんなに暴れなくても不破先輩は来ますよ……」
通路の奥の席から立ち上がったホストの男が宥めるように柔らかな笑みを浮かべる。その笑みの美しさは流石にプロと言いたいところだが、よく見ると横目でこちらに向けて必死に催促している。助けを求めている……。
魔力で強化されたりりむの目には前髪に隠れた首の横を冷や汗が伝っていく様がまじまじと見えた。
「はぁ、仕方ないかぁ。ごめんね、二人とも。この埋め合わせはいつか必ずするから」
そうして不破は立ち上がると、紫のネクタイをきゅっと閉め、踵を返す。そこで「あ」と何かを思い出したかのように振り返り、二人に言った。
「そうだ、二人とも。このお店にはちゃんとソフトドリンクも置いてるから。気にせずゆっくり楽しんでってよ」
言われたことの意味が分からずぽかんとする二人に、不破は人差し指を口の前に持ってきて、くすりと笑った。
一拍おいて、コウが気付いた。
「年齢! バレたんだ!」
「え、うそ!」
りりむは自分の顔をペタペタ触り、盛った胸や腰の辺りも触る。ついで、卯月コウの方を見る。若い女性だ。確かに高校生に見えなくもないけれど……うーん。
「もうちょっと大人に変身すればよかったかな」
「ま、いいんじゃね? ゆっくり楽しんでって言われたし」
「それもそっか……」
話に一段落つき、コウとりりむは先生のいる通路の奥にある席を見た。そこでは不破と担任の先生が隣り合って話をしている。
先生は椅子に深くもたれて足を組み、時折体を起こし前かがみになって酒を飲む。一方不破はテーブルの上で両手を組み、少しテーブルに体を寄せて、先生の顔を覗き込むようにして相槌を打っているようだった。
りりむは耳を澄まし、会話の内容を盗み聞く。
「なんかさー、担任なのに生徒と全然上手く話せないし、力になれなそうにないっていうか……やりきれない……。はぁー……私の存在って何なんだろうなあ」
そう言って先生はあおったグラスをごとんと置いた。
「なあ、何話してんだ?」
コウがりりむに尋ねる。りりむはしっ、と鬱陶しそうにした。
「たぶん、生徒のこと話してると思うんだけど……先生、落ち込んでる」
先生はグラスの中の氷を揺らし、抜けるような息を吐く。その目がゆっくりと移動し、不破の着ている服に目が留まった。
「不破ぁ。お前、昔はもっと安っぽい服着てたのに、頑張ったんだな」
そして、なんと先生は目に涙をためて泣き出した。
「先生もずっと頑張ってて凄いっすよ……それこそ、俺なんかよりもずっと」
そこで先生は感極まって泣き出し、不破の頭をよしよしと撫で始めた。
「お前、もうっ最高! 最高の教え子だよ……!」
「いや……俺別に先生の生徒じゃ……」
そこまで言いかけたとき、不破の頭を撫でつけていた先生の指が不破の頭にめり込んだ。不破は「アーオ」と奇妙な声を発したあと、爽やかなほほ笑みを浮かべて言った。
「はい、嬉しいっすね。自分も最高の先生に出会えて本当に良かった!」
コウとりりむは顔を見合わせる。
「なんか、何言ってるかは聞き取れないけど、俺には先生がダルがらみしてるように見えるんだが……」
「うん。だいたいあってる」
りりむは真顔で言った。
「よし不破。シャンパンタワー頼もう!」
酔いの回った先生の言葉に、さすがに不破も慌てて止めにかかる。
「ちょっ、さすがに飲みすぎですよ。それに金額の方だって……」
「いいのいいの。私が潰れたところ見たことないでしょお? それにお金は副業でがっぽり稼いでるから大丈夫」
「副業……っすか」
「そうそう。学校も私立だから禁止とかされてないし。別に危ない仕事とかじゃないから心配すんな!」
「はあ、そうですか……んじゃ、ま」
これまでどこかバツの悪そうな顔をしていた不破だったが、すぐに先ほどのような落ち着いたホストの顔に戻ると、パン、パン、と手を二回打ち鳴らし、シャンパンタワーを宣言する。
控えていたホスト達が大慌てで駆けだし、タワーの準備が進んでいくのを、先生と、不破、そしてコウとりりむは静かに、一言も発することなく見守った。
静かな空間から一転して、店にいるホスト達のシャンパンコールの大音声が始まった。
「先生、ありがとう」
不破が発したその言葉は本来であれば先生にしか聞こえなかっただろう。コウが見たのはりりむが息をのむところだけだった。
そして、不破がグラスのタワーのてっぺんからシャンパンを注ぎ入れると、大音声は拍手に変わる。
コウとりりむは四方からの光にキラキラと輝くシャンパンタワーを見上げていた。
止まない拍手。人の影が右往左往する。何もかもが忙しく輝くこの場所で、二人は陶然と湧き上がる幸福感に浸っていた。不破がこの場所が好きだと言っていた理由が二人にもわかった気がした。
お祭り騒ぎの過ぎたあと、先生と不破の二人はシャンパンを飲み交わし、あっさりと店から出ていってしまう。
連れ立って出ていく二人が見えなくなって、コウはりりむに呼び掛ける。
「なあ、本当に先生で大丈夫なのか?」
「へ? どういう意味?」
「だからさ、先生、あのホストに惚れてんじゃねえの?」
コウの疑問の声にりりむは笑うでもなく「ううん。」と首を横に振った。
「違うよ。確かに先生と不破くんの関係ってすごくいいなって思うんだけど、あれはそういうのじゃない」
ひょっとしたら、そういうのよりいいものかもしれないけど……。
口許でそう呟き、りりむは胸に手を当てる。コウは静かに焦がれるりりむの隣に立ち、両手を頭の後ろに組んでいった。
「まあ、そうなのかもな」
―――
店を出た二人は変身を解き、とぼとぼと暗い街を歩いた。人気もなく、ほとんど無音のなか、二人の胸の奥では花火の音やシャンパンコールが未だに鳴り響いていた。
「じゃあ、家はこっちだから」
りりむが言って、二人は向かい合った。
「ねえコウくん、色々あったけど楽しかったよ」
そう言って照れたように笑い、りりむは小走りで去っていった。
コウは歩き出す。歩きながら考える。色々あったけど、楽しかった……その言葉を。そして、その後に浮かべられた笑みの意味を。