夏休みはあっという間に過ぎていく。ある者は夏祭りでキョロキョロと女子たちを遠巻きに見つめる不審者となり、ある者は夏休みにも毎日学校に通うほど勤勉に過ごし、またある者は、薄暗い部屋でパソコンに向かい、頬杖をついて、軽やかな笑みを浮かべて何者かとチャットを交わす。そしてある者は、新しくできた友だちとお泊りパーテイ―をして楽しんでいた。
夏休みが終わると、学校は文化祭ムードに包まれていった。
文化祭当日、屋上で寝転んでいた卯月コウの視界には、垂れ幕を付けたバルーンがふわふわと浮かんでいた。
「だりいなあ」
ため息を吐くように発した言葉に自分で嫌気がさし、目を瞑る。視界の端に常に表示されているコメント欄も鬱陶しかった。ファンは優しく見守ってくれているが、ゲームを攻略する気のないコウを叱咤激励するか、あきれ果てているコメントがちらちらと目に入った。
こんなはずじゃなかった。このゲームはもっとゲームらしい普通のゲームだった。こんな、本当の人間みたいな人間がうじゃうじゃひしめく世界で恋愛ゲームなんて、正気の沙汰じゃない。ゲームのプレイヤーとして楽しむつもりだったコウは、制作の半ばで抜けて資金だけ提供し、あとのことは加賀美インダストリアルに任せた。
誰だ……? コウは思い浮かぶ顔を全て思い浮かべ、確実に違うとわかっている顔からどんどん除外していく。やがて、不確定要素の多い集団が一組思い浮かぶ。その集団の面々のなかで何かやってくるとすれば……。
かしゃん、と音が鳴り、コウは目を開いた。体を起こし、音のした方を振り返る。
屋上のフェンスの向こう側に女の子が立っていた。
「おい、そんなとこいたらあぶねえぞ」
コウは駆け寄って、あ、と声を漏らす。その女の子はいつかの放課後、階段ですれ違った女の子だった。
「卯月コウさん……」
女の子はフェンスを掴む。控えめに色を放つ緑の瞳が泣きそうに揺れ、風が女の子の髪を揺らした。女の子は言った。
「私を、助けてあげてください」
屋上の扉が音を立てて開かれ、コウは我に返ったように振り返る。
屋上の扉を開けて入ってきたのはドラキュラの仮装をした鈴木勝だった。
「探したぞ卯月、文化祭一緒に回ろうぜ!」
「あ、ああ……それよりそこの――」
コウは再びフェンスの方に視線を戻すが、そこには誰もいなかった。
―――――――
「へえ、学園七不思議ねえ……」
文化祭で賑わう廊下を、頭の後ろで腕を組んだ鈴木勝と歩く。コウは各教室の出し物には目もくれなかったが、勝はぼんやりとしているように見えて、教室を一軒一軒ちゃんと確認しているようなので、きっと何かを探しているのだろう。
「確か、図書室の幽霊とか食堂の麻婆豆腐とかの奴だよなあ?」
勝は恐らく、卯月コウにだけでなく、高性能AIにも尋ねているのだろう。ふーん、なるほどね、と虚空に相槌を打つ。
「そういえばさあ」
鈴木勝は立ち止ると、クラスの書かれた札を見上げて呟く。
「ここって卯月の教室だったよな?」
その教室を見てコウは頷いた。
「ああ、そうだけど。でもそこに入る必要は無いよな?」
「え、入るけど」
「いや、それだけはまずいと思うけどな……ちなみにだけど、その看板の文字は見えてるか?」
「ん? ああ、メイド喫茶って書いてあるな」
「だろ? そんなん絶対ヤバいから。近寄らない方がいいよマジで」
初めは抵抗するコウに呆れていた勝だったが、コウの表情を見るうちにその顔はにやけてきた。
「卯月、ひょっとして、ひょっとしてなんだけど……びびってる?」
「は? びびってねえけど? あっ、でもちょっとお腹が……」
「はいはい。じゃ、たのもー!」
「ちょ、待てって!」
勝はコウの手を引いて教室の扉を開けた。
「お帰りなさいませご主人様ぁ~」
どことなく間延びした声で出迎えたのはメイド服を着た鷹宮リオンだった。手の先を猫のように丸めているのは猫耳の付いたレースのカチューシャを着けているためだろう、しかし、目は客の方ではなく完全によそ見していた。
これがメイドさん……と固唾をのむ勝をよそに、鷹宮は背後のテーブルを示して面倒くさそうに言う。
「あ~、席は空いてるとこテキトーに座るにゃ~……って、ウヅコウじゃん!」
そこでコウに気づいたらしい、鷹宮の目がきらりと光り、コウの額から冷や汗が垂れた。
「え、どこ行ってたの? ウヅコウのメイド服も用意してあるから早く着替えてきな?」
「いや、俺は着ないって言ってんだろ!」
「えー、でもりりむさんから似合うって聞いたし、クラス全員賛成だったけど」
「俺以外のだろ? 俺が賛成しなきゃダメなんだよ」
「くそ~、見たかったぁ……」
項垂れる鷹宮だったが、コウの隣にいる鈴木勝を見て、
「ん?」
と首を傾げた。
「ん?」
同じく首を傾げる勝。
「んー……」
鷹宮は傾げた首を元に戻し、言った。
「なんかそっちの子もメイド服似合いそうじゃない?」
「なっ、俺は男だぞ! メイド服なんて似合う訳ないだろ!」
憤慨した勝を見て「ですよねー」と肩を落として席へ案内した鷹宮だったが、席を離れる際に
「銀髪のウィッグもあるのにな……」
と未練たらたらで呟くのだった。
「あ、コウくん!」
ちょうど客を席に案内し終えた魔界ノりりむがコウと勝の座る席にやってきた。りりむの服装は先ほどのゆるふわ系の鷹宮のメイド服とは違い、どこか病んだ雰囲気の黒の色が特徴的なメイド服だった。
「もう、コウくんどこ行ってたの? コウくんが抜けたせいでシフト大変だったんだよ!」
「勝手にシフトに組み込むのが悪いだろ……」
ぷんすか怒るりりむと取り合わないコウに勝は苦笑する。
「あれ、鈴木勝さん……だっけ?」
記憶も定かでないりりむは目を細めて鈴木勝の方を見た。
「うっす、鈴木勝です。卯月とは仲良くやらせてもらってます」
勝のやや緊張した自己紹介に今度はりりむが苦笑した。
「そっか、友だちかあ」
羨ましそうにりりむが二人を見つめたので、コウは咳払いして話題を変えることにした。
「りりむちゃん、メイド喫茶の方はどうよ、賑わってる? 変な客とか来てないよな?」
後半はりりむを心配するような口調だった。りりむは顎に指を当てて考える。
「さっきまでは忙しかったけど、今は適度にサボっても誰も何も言わないくらいには余裕があるよ。変な客ねえ……あ、そういえばいま案内したーー」
そこでりりむは言葉を切って黙り込んだ。りりむが黙った理由はすぐにわかった。隣の席から妙な会話が聞こえてきたのだ。
「萌え萌えオムライスのお客様~」
気だるげな声で呼びかける鷹宮リオン。鷹宮は席にオムライスを運んでいたようだったが、その席に座っている人物の顔を見て「は?」と立ち止った。
「ちょっと……なにその恰好……」
コウはちらと目をやった。そこにはチェックのシャツをしっかりとジーパンにしまい込んで丸眼鏡を光らせる男が妙に背筋を正して座っている。
側頭部に差し込まれた鮮やかな青い髪色はメッシュなのだろうか、それだけがコウには少し引っ掛かったが、それ以外にはご丁寧にも、首にアニメの女の子のイラストがプリントされたタオルを下げ、空いている隣の席にはポスターが二本刺さったリュックサックが置いてある。どこからどう見ても古のオタクだった。
男は妙に肥えた上にくぐもった声で「おーい」と固まっている鷹宮に手を振った。男は鷹宮の知り合いなのだろうか、鷹宮は困惑を隠そうともせずに近づいていき、やはりそれが鷹宮の思い浮かべている男で間違いないと確信すると、頬を赤くしながらもキレた。
「ちょっ、なんでいんの‼」
「なんでって……テラモエスな美少女が拙者のようなキモオタクの相手をしてくれると聞いて馳せ参じたのですが……!」
「うわっ、色々ヤバすぎでしょ……っていうか文化祭の出し物については話さなかったのに、なんで知ってんだよ」
「どぅふっ! 拙者を誰と心得る? 学内のメイド喫茶情報を拙者が見逃すはずがないでござろう?」
「あ、そうすか。あの、オムライスです……」
コトン、と遠慮がちにプレートがテーブルに置かれた。鷹宮はその場を離れようとするが、すぐに男に呼び止められる。
「待つでござるよ!」
鷹宮は足を止めギギギ……と嫌そうに振り返った。
「なんでしょうか、ご主人様?」
「美味しくなるおまじないを、是非ともこちらのオムライスに、お願いしたいのですが……!」
どうやら鷹宮の恐れていたことが現実となってしまったらしい。鷹宮は無表情で席に戻ると、深いため息をついた。
「あー、まゆずみ……は面倒くさいわ、かいでいーい?」
「どぅふふ! 拙者の名前はマユズミでもカイでもござらん」
「……じゃあなんて書けばいいの?」
「†ナイトメア†でござる」
そこでコウとりりむが思わず吹き出した。鷹宮は見られていることに気づき、頭を抱えた。一方、オタクの男はコウとりりむを無視して淡々と鷹宮との会話を続けようとしていた。
「チェキ……チェキなどのサービスは、こっ、ここっこちらのお店では行っておりますかな?」
「当店ではそのようなサービスは行っておりません。早くお帰りくださいにゃ……」
と鷹宮は出口の方に男を招こうとするが、男は席を立つつもりは無く、それどころかフォークをしっかりと握り締めて、メイドさんが美味しくなるおまじないをかけてくれるのを今か今かと待っていた。
「はぁ、わかったわ。黛、さてはお前、アタシにこれをさせるためだけに来やがったにゃ?」
「ふっ、なんのことやら。拙者はただただオムライスを美味しく食べたいだけの一般キモオタクでござる……どぅふっ!」
鷹宮は突然眩暈に襲われたたかのように頭の支えを失ってくらくらとしていたが、諦めたようにケチャップを右手に持った。
「かいで書くから」
「拙者の名前は†」
「かいね」
「……もうそれでいいでござる」
そして表情を殺した鷹宮はたんたんとオムライスに文字と♡を描き入れると、ケチャップを置き、覚悟を決める様に胸の前に両手でハート作り……そこで思い出したかのようにコウたちの方を見た。
「おめーらは目を瞑って、それで耳も塞げよ?」
「ええ、そんな!」
「あぁ……視聴者さんたちが泣いてる……」
「あとでアーカイブチェックするから」
鈴木勝が首を傾げる横で、コウとりりむは泣く泣く目を瞑って耳を塞いだのだった。