鈴木勝が足を止めたのは校長室の扉の前だった。
「おい勝、まさか……」
「ふっ、そのまさかさ」
得意げに笑って勝は校長室の扉を開く。
中は部屋の奥が見通せないように黒い斜幕が幾重にも垂れていて、二人は暗闇の中、斜幕を手で払いながら進んでいった。やがて奥から青白い光が漏れ出てくる。
薄暗い部屋の奥にはコウの身長を優に超える巨大な機械装置が鎮座しており、装置の土台にあるキーボードらしいボタンの羅列のその上には、大きなディスプレイが取り付けられていた。ディスプレイは青白く発光し、その中心に一人の女の子の映像を大きく映し出していた。
女の子はその服装こそ近未来的なデザインではあるものの、確かにコウが二度遭遇したあの女の子と同じ顔をしていた。
「ようこそ、我らがアジトへ」
少し得意げになって勝が言う。コウはディスプレイの真下まで歩みを進めた。
女の子は少し曇った青い瞳でコウを見つめ、羽織ったパーカーの長い袖を揺らして自己紹介した。
「どもです。
あまり感情が感じられない声、コウは思い出す。
「そうか。お前がAIなのか」
眠そうに瞬きを一度して、出雲霞は答えた。
「そうですよ。私が鈴木くんのパートナーを務める高性能AIです。通信機越しにあなたのことも、これまでのことも全部見ていましたから、そのおつもりで」
少しつけ放した言い方にコウはむっとするが、そういえばこれまでの印象はよくなかったかもしれないと思い直し、気を取り直すように言った。
「卯月コウ。よろしくな」
コウの素直な反応が意外だったのか、霞は警戒するように言った。
「ええ、よろしくお願いしますね」
無言で睨み合うコウと霞だったが、勝が割って入った。
「あー、自己紹介は済んだよな? じゃあ俺たちもうチームだよな⁉」
二人の間に険悪なものを感じ取っていたからだろう。勝が確認するように二人に言うと、二人はどちらからともなく表情を軽くした。
「勝、大丈夫だ」
「大丈夫だよ、何も心配ないよ」
言って聞かせるように二人が繰り返すと、勝は頬を赤くして怒り出した。
「な、なんだよ急に! 俺はいいんだよ、俺は。それより、状況について共有するぞ、時間はあんまりないんだから!」
勝はそこで居住まいを正して(急にフードを被って)咳払いをし、手のひらで自分の顔を覆うと、低い声で言った。
「それでは卯月コウよ。我らが組織の知る世界の真実を全てお伝えしよう……」
そうして、勝はコートを翻すと、「霞」と合図を送る。
すると、ディスプレイ上の霞は靄のように薄くなって消えてしまい、あとには奇妙な街の全体図が映し出された。
宇宙か何かの暗い空間に街が一つだけで浮かんでいる……。コウは見つめるうちに、それが今自分のいる街であることが分かった。特徴的な校舎が見て取れたのだ。
「よいしょっと」
鈴木勝がコウの横に腰を下ろし、膝を抱え込んで座った。コウも戸惑いながら、それに倣って腰を下ろす。勝はまるで星でも眺めるかのように画面上の街を見上げて言った。
「卯月、あれは街だ」
「……ああ」
鈴木勝の言いたいことがわからず、コウは曖昧な相槌を打った。だが、次に続く勝の言葉にコウは後頭部を殴られたかのような衝撃を受ける。
「そしてあのちっぽけな街が、この世界の全てでもある」
勝の言っている意味は、実は卯月コウにはすんなりと受け入れられた。ゲームの舞台として作られた街には確かに街の外などというものは必要ない。しかし、それがわかっていても、プレイヤーであるコウがゲームの登場人物の勝に何を言えばいいのか。
どうすればいい……?
判断が出来ずにコウは勝の顔を見る。勝の顔はディスプレイに照らされて青白く、普段とは違って人間味を感じられなかった。
「卯月、プレイヤーなんだろ? わかってるよ、この世界がゲームだってことは」
どこか気怠く、投げやりな言葉。勝は現状を諦めているかのように自嘲的に言葉を紡ぐ。
「実験なんだろーなー。この世界は誰かが作り上げたシステムでさ、ここで暮らしてる人間はみんな本物じゃない、この学校も、先生も生徒たちもみんな、システムを成立させるためのプログラムでしかない。俺も、霞も……」
あるいは、ゲームをゲームたらしめるプレイヤーとしての自分も……コウは胸の内でそっと呟いた。
画面上では勝の言葉を示すように交差点を歩く人々の映像が映し出されていた。いろんな人がいた。
予定があるのか足早に前へ進む人や、人と話しながら歩く人、ふいに立ち止って空を見上げる人……けれど、どの人もみんな街のオブジェクトを形作る空疎な光と同じ光で出来ていた。
それらの光をよく見てみると、光は常に変化し蠢く二進数の集合であることがわかってしまう。
コウが画面から目を逸らすと、ちょうどコウを見つめていた勝と目が合った。ひょっとすると、勝の瞳には、自分の孤独や哀しみを受け入れてもらえるんじゃないかという淡い期待があったのかもしれない。けれど、コウにはそれをわかってやれない。コウは少し身を引いて尋ねた。
「その誰かってやつがこの世界を作った目的はわかってるのか?」
「……ああ。どうしてっていう理由にはならねえけど、やらせたいことだけはわかってるんだ」
そう言って勝は再び霞に合図を送った。画面に変化が起きる。コウはこのゲームが狂った恋愛シミュレーションゲームであることがばれているんじゃないかとハラハラしながら画面を見守ったが、なんてことはない、画面に浮かび上がったのは虹色の卵だった。
七色に発光し、漂っているかのように上下する卵は、何らかの生物の卵ではあるのだろう。しかしその質感はゲームのドット絵のようにどこか無機質にも見える。
コウは首を傾げて尋ねた。
「これは……?」
「卵だよ。システムの核。この世界の心臓みたいなもんかな」
勝はどうでもよさそうな口調で述べる。
「本当かどうかはわかんねーけど、この世界の誰かがこれを使えば、そいつ一人だけは本物の人間として外の世界で生きる権利が得られるんだと。つまりさ、卯月。この世界はこれを手に入れるためにNPCたちが殺し合うゲームの舞台だったってわけ」
あっけらかんとして言い放った勝はコウが何も言えないでいるのを見ると、ニシシッと笑い、ため息をつく。
「俺たちが早めに見つけて守ってきたけど、そろそろ二人じゃ限界だったんだよなー」
たぶん、話は終わったのだろう。勝はじっと黙り込んだ。コウは混乱のさなか我に返り、ふと尋ねる。
「なあ、それって勝たちが使っちゃ駄目なのか?」
勝は何を言われたか理解すると、困ったように笑った。
「あのなあ、卯月。これを使うってことは、ゲームが終わるってことなんだぞ?」
「そ、そうなのか……⁉」
コウは焦るが、勝は困ったように言った。
「いや、わっかんねーけど……」
勝の煮え切らない答えにコウもどう反応すればいいかわからず、不安げな表情を浮かべた。
「まあ、ゲームが終わるかどうかはともかく? この世界に与えられてる目的が一つ終わるのは間違いないんだし? 俺も霞もこの世界で楽しくやってるから、それを守る理由はあっても、使う理由はないなあ」
「そうか」
コウはそれ以上は言わず肩の力を抜く。二人の視線の先で画面は変化し、再び出雲霞がそこに現れて二人を見つめていた。コウはふと思い出して尋ねる。
「そういえば、学園七不思議の件なんだけど……」
あ、と霞も今思い出したかのように早口で答えた。
「放課後に校舎をさまようという、存在しない生徒のことでしたね。私もここ数か月、ずっと監視カメラに気を付けていたにもかかわらず、該当するデータは一つもありませんでした」
「な、そんな馬鹿な! 俺はお前……出雲と同じ顔をした生徒とすれ違ったぞ!」
「ええ、きっとたぶん、何かはあるんだと思います。私の方でも踊り場であなたを確認しています。監視カメラに映るあなたは、まるで幻覚でも見ているようにひとりで不審な反応をとっていました」
コウはショックを受けて頭を抑えた。これはゲームだ。ゲームの中で幻覚を見るだなんて……。
「そういえば、私と同じ見た目なんでしたっけ?」
それまで義務的な受け答えだったのが、ぽろりと呟くように言った霞に、コウは拍子抜けし、「まあな」と頷いた。
「では、それが私だとして、私はあなたに何かを言っていましたか?」
コウの脳裏にはまだしっかりとその声音は残っていた。
私を、助けてあげてください……。
コウの頬が赤くなった。
「べ、別に……! 何も言ってねーよ!」
「……なぜ嘘を?」
「うるせっ!」
コウはぷいと画面に背を向けた。