これ、どうしよっかな……。
暗い部屋で黛は巨大なディスプレイを見上げていた。ディスプレイではいかにも「私、怒ってます」という表情の出雲霞が黛を睨んでいた。
「いつまでそうしているつもり? システムはもうほとんどこっちが握ってるんだから、どうせ時間の問題だよ。抵抗の余地なんてないでしょ? さっさと卵のありかを吐きなよ」
「嫌でーす。私はこの先一言たりとも喋りませーん」
「ふーん、高性能AIって聞いてたけど、結構人間味があるんだ、すごいすごい。(……人間に寄せるにしても、こんなポンコツにしなくてもよかったのに)」
「なんですって……!」
「あ、喋った」
「なっ、くぅぅぅ……むきぃぃぃぃ!」
「むきぃぃぃぃ! っていう人初めて見た。あ、人じゃなくて高性能AIだったか」
「ぐぅううううう……う、うわぁーん、うざい、うざいよぉ~! こいつうざい~!」
霞は両手で泣きまねしながら地団駄を踏んでいたが、じきに泣き止むと、画面の端の方で黛に背を向け、小さく体育座りしてしまう。
面倒くさい……。黛は手元のデータを覗き込み、次の手に出る。
「ところでなんだけどさ、AI」
「……」
「お前のデータを見た」
「見ないでください、エッチ! ストーカー! 性犯罪者! ロリコン!」
ピキッ……黛のこめかみから奇妙な音が鳴る。黛は首を横に振って続けた。
「お前の奥底に、人格データが四つ、消去された痕跡がある」
それを聞いて霞は目を丸くする。
「消去された、人格データ……?」
「知りたくない? 今の俺なら消去されたデータも綺麗に復元できると思うけど」
「私に、私以外の人格データなんて……あ、でも、あの声……うぅ、違う、違うんです! あの声はきっと私の……違うってば! ううっ、うぅうううう――!」
黛の言葉が処理できない情報だったのか、霞は自らの顔を手で覆い、その場に倒れて呻き出す。きっとこのAIにもアイデンティティに相当するプログラムがあるのだろう。本来なら自分では発掘できなかった人格データを無理やり認知させたのだ。
これで防衛力は落ちるはず、と黛は手元の端末をちらと見る。
黛は振り返り、暗幕の向こうの廊下の方に意識を向けた。まだ廊下は静かだった。昨年、美術部が廃部になりそうで困っていた美術部員を見かけた。そして、黛にしては珍しく、全くの善意で動いた。学校のシステム上簡単な操作だったし、それくらいなら、と変な気を起こしてしまったのだ。今にして思えば、それで正解だった。彼女は黛の偶然の善意を最大限好意的に受け取ってくれた。
もしあのとき彼女のことを知ったうえで、彼女を利用しようと打算で声をかけていれば、きっと。
黛は苦々しく笑う。
俺は、ゴミみたいに殺されていた……。
呻いていた霞の動きがようやく止まった。焦点の合っていなかった目がぼんやりと黛を捉え始める。やがて、霞はまるでゾンビを彷彿とさせるような、体のあちこちの関節に引っ掛かりのある痛々しい挙動で起き上がると、アハハハハッ! と子供みたいにに甲高い声を上げて笑う。
「ふふっ。なるほど。消去された人格データですかあ。それってひょっとしてぇ……」
黛は目を見開く。こいつの目、さっきまでは青かったような……。
鮮やかなピンク色の瞳で黛を見下ろし、霞は先ほどまでとは違う、どこか暗い笑みを浮かべて言った。
「私のことだったりしますー?」
その瞬間、画面の背景は全てピンク色に変わった。気味の悪いことに、黛のいる校長室の電灯の光もピンク色に変わってしまう。黛は瞬時に理解した。
システムの権限を一部強引に奪い返された……!
「お前、誰だ……?」
黛は問いかける。いつの間にか画面上にこしらえていた舞台の上で、ひとり上機嫌にくるくると回っていた出雲霞に。
霞は回転を止めると、ウインクして答えた。
「やだなあ。私は私がこの世界に生まれたときから私以外の何物でもないですよー。ところでおにーさん、一つ聞いてもいいですか?」
「おにい、さん……?」
黛がその呼び名に困惑しているにも関わらず、霞は質問をぶつけた。
「おにいさん、優しそうだし、まさか私たちを消し去ろうだなんて、考えてもいませんよねー?」
黛の表情に不快感が現れる。それを見て霞は畳みかける。
「まさかまさか! この世界を削除して自分だけ上で生きようとか、考えてませんよねー?」
「……夢から覚めるには、夢を終わらせなきゃいけない」
「へえ、ひっどーい! あなただけが見てる夢じゃないかもしれないのにー。私たちのこと全員、あなたの見ている夢の
いー! と唇の両端を広げて目をぎゅっと瞑った霞に対して、黛は既に対応を固めていた。
「何とでも言えばいい。それに、俺が外に出ればまたこのゲームだって復元してみせる」
「復元! 復元してくれるのぉ? あ、なーるほど! 一応、みんなに対して罪悪感はあるわけだー。ふーん、意外と惨めったらしい!」
黛は深呼吸しながら目を細め、霞を見上げた。
「まだ出来ることがあるなら、さっさとやっておいた方がいいんじゃない?」
霞はそれを聞いてポカンと口を開けた後、げんなりと疲れたような表情をした。
「うげぇ、つまんなーい。おにいさんつまんなーい! せっかく舞台に上がれたのにこんな終わり方ないよー! ねえ、私ともっと遊んで! もっともっともっと……! ずっとこのまま……遊んでよ……」
黛は目を閉じ、いった。
「ごめんね」
霞はぷくーっと頬を膨らまして黛を見下ろしたが、じきに力が抜けるように口の中の息を吐いた。
「はあーあ。やっぱり私じゃ無理かー。ええ、癪ですけど、あとはお任せしますよー」
暗転した画面でゴソゴソと物音がし、やがて静かになる。黛は見上げると、そこには先ほどまでの瞳の青い出雲霞がまっすぐに立ってこちらを見下ろしていた。
「どもです」
何食わぬ顔であいさつする霞。声音が落ち着いている。何か手を考えたのだろうか。黛は圧力をかけるためにキーボードを操作し、システムの解析を早めに掛かる。
「まあまあ、落ち着いてください。あなたも知っているでしょうけど、もう私に出来ることなんてほとんどないんですよね。こんな私に出来ることなんて、せいぜいは……」
これくらい
そう言って霞はポケットから虹色に輝く小さな卵を取り出し、大事そうに手の中に包み込んだ。
「……それをどうするつもり?」
声を強張らせ、黛が尋ねる。
「どうって……こう?」
霞は手の中にあるものを、そっと口へ押し込む。ごくん、と嚥下の音が鳴る。少し咳き込み、霞は勝ち誇るように黛を見下ろした。嫌な予感を覚えながらも黛は言う。
「で、それがいったい何になるっていうわけ」
そのとき、黛の手元の端末の画面に赤いウインドウが浮かび上がった。そこに書かれた文字を見て、黛は忌々しそうに出雲霞を睨む。
「やってくれたね。出雲霞……」
システム解析が残り8%を残して動かなくなった。まるで見えない壁に阻まれているかのように。
黛は壁の正体を探るべくキーボードに指を這わせるが……。
「ん?」
と首を傾げる。
「そんなことしたって無駄じゃないですか? システムの核である卵と私は一心同体。混ざり合っちゃってるわけなんですよ! 私を何とかしないと卵には指一本触れられない、でも、私を消せば卵も消えちゃいますからね? 卵から私という情報だけをちまちま頑張って剥がしてみます~? いいんじゃないですか、やれば。時間がほんとうにたくさんあるというならですケド」
霞の挑発を無視しカタカタとキーボードを叩く黛。突然静かになった校長室に出雲霞は不安になり、思わず呼び掛けた。
「あ、あの、黛さん? 今、何してるんですか?」
黛はもう一度首を傾げ、霞の方を見上げていった。
「卵、飲み込んでないね」
「ギクゥッ! ……って、あはは、何言ってるんですか。何を根拠にそんな……人聞きの悪い……」
「解析システムと卵の間に無理やり自分の体を差し込んだんだ。馬鹿じゃないの? 一歩間違ったらバラバラになって死んでるよ」
「ち、違いますー! 卵はほら、ちゃんと私のお腹の中にー!」
「画面上の
黛にバッサリやられ、霞はすねた様に俯く。一方、黛の操作する画面上には選択肢が現れていた。
【ファイル名:Izumo/Kasumi.chr を削除しますか?】 【Yes / No】
黛の沈黙の理由を察した霞が語気を強くしていった。
「やってみなよ。私たちは既にシステムの核を飲み込んでる。私たちを削除すればシステムの中身を知ることはできない」
「戯言だ」
と、そして、黛は押し殺した表情で次のセリフを言った。
「そこをどかないなら本当に消すよ」
霞は恐怖が込み上げてきたのか、胸を抑えて震えるが、それでも言い返した。
「うぅっ……い、嫌だ!」
黛は俯き、目を瞑った。
「消去したってデータの残滓は残る。俺が後で復元しなくたって、出雲霞さんなら時間はかかっても自分で復元できるんじゃないの?」
「ふ、ふ、ふ……ふふつ」
出雲霞は冷や汗を流しながら、最後に笑って言う。
「そうやって、わざわざ自分に言い聞かせなといけないんですね。本当に、可哀そう……!」
黛の表情が険しくなった。黛は平静を保った声で言う。
「さようなら、出雲霞」
黛は出雲霞の視線から逃れるようにそっぽを向くと、エンターキーに指を落とした。