Fate/DebiRion.   作:遥野みしん

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80.記憶のなかのおなえどし

 時折、声が聞こえてくる。それはたいがい、私の中から聞こえてくる。私の外から聞こえてくることもあるけれど、外の声は私の居場所がわからないのか、データ上を茫洋と広がっていってしまう。かすかに伝わる残滓の波は、確かに私に何かを伝えようとしてくれている気がするのに。

 

 私の知らない私たちが私の中にいる。その事実も怖かったけど、何よりも外から聞こえてくる声が怖くって、ずっと引きこもっていた。

 

 ……私は普通の人とは違う。私は電子空間を自由に移動できるけれど、みんなのいる空間には出られない。ただ呼び掛けたり、画面上に姿を表せるだけ。

 

 どうして自分だけがそうなのか。それはひょっとすると、自分の中から聞こえてくる声と関係があるのかもしれない。真実を知りたいとは思っても、それについて考えようとすると、毎回怖くなって考えるのを止めてしまう。何か自分の根幹にある危ういものに触れてしまいそうな予感があるのだ。

 

 外から聞こえてくる声は、きっと私についての不都合な真実を突き付けたいのだろう。外にいる誰かと繋がれば、きっとあの声は私を見つける。そして見つかれば最後、声の持ち主は私の前に現れて、私のこのちっぽけな世界すら奪い去ってしまうのだ。

 

 ある日、私の隠れていた端末の置いてある部屋に男の子が現れた。その子を見たとき、私は胸が締め付けられるような痛みを覚えた。男の子はとても哀しい顔をしていたのだ。その目は夢の中を漂っているかのように虚ろで、自分も含めて何もかもがどうでもいいと思っているようだった。不注意で、小さな体をあちこちにぶつけ、物につまづいてはよく転んだ。 

 

 男の子はこの部屋にある端末で何かを一生懸命調べようとしているみたいだったけれど、上手くいかないようで、ただでさえ暗い男の子の表情が日ごとに落ち込んでいくのを見ているのは辛かった。

 

 夕方、男の子は転んだ。酷い雨の日で、部屋の中までこの街をざあざあと打ちつける雨音ばかり聞こえていた。男の子は起き上がらなかった。薄白い電灯の光の下で、うつぶせに倒れたまま身動き一つしなかった。

 

「あの……大丈夫、ですか?」

 

 初めて、私は声をあげた。

 

 男の子はのそりと立ち上がると、振り返って私のいる端末、そのディスプレイを見上げた。私はドキリとした。男の子は涙を流していた。男の子は私に気づくと、涙を誤魔化すように笑った。

 

「なんだよ、いるならいるって言ってくれればいいのに」

 

 男の子の目線の先には、私が立っている。画面越しだが、ほんの少しの勇気をもって。

 

 

 

 男の子は鈴木勝と名乗った。鈴木くんはときおりもう一つの世界の夢を見るという。そこで鈴木くんは普通の男の子として学園生活を送るのだ。

 

 鈴木くんには友達が二人いた。どうやら、そのうち一人が私らしい。その世界で暮らす出雲霞という女の子は、鈴木くんと同じように普通に学校に通って、普通に授業を受けていたという。

 

 その世界の鈴木くんは、夜眠りにつくとこの世界の夢を見る。

 

 この世界での鈴木くんは、表では生徒として学園生活を送りながらも、裏では漆黒の捕食者=ダークネス・イーターとして隠された世界の秘密を探し、同じように世界の秘密を探る者たちと熾烈な戦いを繰り広げてきたという(そこで鈴木くんは自分が普通でないことを示すために闇の炎《ダークネス・フレイム》や他にもいろいろ見せてくれたけれど、あまり重要じゃなさそうだったので聞いてなかった)。

 

 ある日、私は尋ねた。

 

「どうしてあんなに辛そうだったの?」

 

 つまりは、どうして泣いてたの? と。

 

 鈴木君は恥ずかしそうにしながらも答えてくれた。夢の中の自分には友達がいるのに、今の鈴木君は一人で戦っていること。夢の中の自分が抱く幸せな感情を思うたび、今の自分が惨めに思え、毎日が心細く、寂しかったのだという。もう一つは、実際にはこの世界の鈴木君は偽物で、夢の世界の鈴木君こそが本物の鈴木勝なんじゃないかという不安だった。

 

 友だちになれると思った。少なくとも、鈴木君の夢の中では友だちになれているし、話を聞くにそんな楽しい学園生活を少しでも体験してみたかった。そのために、私が彼にしてあげられることは何かあるだろうか。考えて、私は言った。

 

「一緒に戦おう」

「霞……」

 

 きっと、夢の中では呼び捨てなのだろう。いかにも呼び慣れている、鈴木君の口から自然に出てきた私の名が、不思議と心地よかった。

 

 

 

 一緒に戦おうとは言ったものの、鈴木君の不安はそのまま私に圧し掛かった。今まで考えたことも無かったが、私は誰かの人格を模したAI、つまり偽物なんじゃないかという不安からは逃げられない。鈴木君の見る夢に出てくる出雲霞こそが本物の出雲霞で、私はそのコピーに過ぎないんじゃないか、と。

 

 けれど、鈴木君と話してもう少し視野を広げてみることにした。つまり、単に私たちだけが偽物なのではなく、私たちの今いるこの世界がそっくりそのまま作り物の偽物なんじゃないか、という話だ。

 

 その線でネットの中を探してみると、妙な鍵のかかった個人サイトを見つけた。苦心して鍵を開けてみると中身はブログのようだった。

 

 サイトの管理人曰く、この世界はある目的のために作られた小さな街。街には外なんかない。これは誰かが行っている実験だ。でも目的がわからない。

 

 そこからは管理人がこの世界を作った人間(と管理人は決めつけているが)とコンタクトをとる方法を模索する地獄のような日々が始まっていた。

 

 鍵は動きか、音か、言葉か、文字か、絵か、物か、人か、人との関係上に生まれる何かか、時間か、ネットか、街のどこかにあるのか、それとも街をあらゆる面からデータ化・構造化して眺めてみないとわからないのか。

 

 管理人はこの世界に生じる運動全てを把握しようとするが、結局ブログの文章を読む限り、いるかもわからない誰かに対して熱を上げ、踊らされるのには疲れたと自分の考えを変えてしまったらしい。

 

 最後の方にはこのブログを読んで自分の仕事を引き継いでくれる誰かに向けたメッセージが書かれている。が、それでも諦めきれない思いがあるのか、最後から二行目にはこうあった。

 

 この世界の核はいったいどこにある?

 

 そして、最後の一行。私と鈴木君は顔を見合わせた。

 

 ここにありますよ

 

「ここにありますよ」の「ここ」の部分の文字は安っぽく色が変わったリンクになっていて、クリックできるようになっていた。私が「ここ」に触れると、虹色の光と共に、私たちの前に卵は現れた。

 

 

 

 春。それは始まりの季節なのだという。今から考えると、それは間違っていなかった。物語は動き出してしまった。鈴木くんは夢の中のもうひとりの友だち、卯月コウを見つけて大はしゃぎだった。

 

 さっそく私たちの仲間に加えようと勧誘するもあっさりとフラれてしまう。仲間にはなれなかったが、卯月くんは友だちとして鈴木君と普通に接してくれた。

 

 そのさ中に、私も鈴木くんの見た夢を垣間見てしまった。

 

 私たち三人が友だちで、ゲームをしたり、一緒にお祭りに行ったり、毎日楽しい日々を送る。確かに、そんな世界もありえたと思わざるを得なかった。例えそれが、本物の世界をなぞろうとしているのだとしても、関係ない。二人といると心が弾む。

 

 単純にこの世界で、ずっとこのまま、こうしていたかったのに……。

 

「ほんとに駄目だな、私」

 

 体が分解されていく。ただでさえ希薄だった体の感覚が失くなっていく。視界は涙でぼやけていた。

 

 おかしいなあ、と私は笑う。いろんなものを怖がって引きこもっていたときすら泣きはしなかったのに。

 

 二人とも……ごめん。

 

 ぼやけていた視界を自分から閉ざそうとして――私は思わず頬を引き攣らせてしまう。黛の横にいつの間にか女が立っていた……女の姿は私とそっくりだった。ただ、その瞳だけは、私とは思えないほど明るく、赤く輝いていた。

 

 女は呆れたようなしぐさを見せた後で、口を開き、何かを喋った。しかし、その声はまるで教室の外の世界全体に広がっていくみたいにぼやけて聞き取れない。

 

 ついに見つかってしまったのだと私は思った。

 

 急に震え出した私を怪訝な表情で見上げる私は、校長室の出入り口の方を気にし始め、そして、ほっと安心したかのように笑みをこぼした。彼女は「またな」と手を振り、校長室から去っていった。

 

 なんだったのかと見ていると、部屋から出て行った私と入れ替わりに、誰かが部屋に入ってきた。その誰かは走っているようで、校長室の出入り口の幕を乱雑に払う様子が見て取れた。もう一人の私には無反応だった黛が振り返って、その名を呟いた。

 

「卯月コウ……」

 

 息を切らして現れた卯月くんは私と黛の前で一瞬停止して、私たちの間で視線を往復させる。状況は把握できなかっただろう、それでも私が消えかけていることだけは理解できたらしい。卯月くんは私の方へ駆け寄り、手を伸ばして言った。

 

「やめろよ......勝手に......消えるな!」

 

 その言葉は衝撃となって私の胸を打った。そんなこと言ったって……私は笑いそうになるが、そのとき、まるで蝋燭に火が灯るように、頭の隅で小さな絵が浮かんだ。

 

 その絵に気づいた瞬間、頭の隅にあった絵は中央へ寄ってきて、どんどん大きくなっていく。どうやら絵は動画のサムネイルだったらしい。ためらいがちに触れてみると、動画が再生された。これは、私の記憶……でも、存在しない記憶だった。きっと鈴木君の夢の中ではあったかもしれないけれど、私の中にない……これは……。

 

 打ち上げられた花火がパッと開いた。無音だった。拡がって、散っていく最後まで。無音の花火は次々と夜空に花開く。私たちは浴衣を着て、三人で花火を見上げていた。

 

 確かに、そんな世界もありえたのかもしれない。一度考えだすと、さらに別の絵が思い浮かぶ。思い浮かぶ。思い浮かぶ。思い浮かんできりがない。

 

 涙が止まらず、どうしようもなく私は卯月くんを見た。私のために必死の形相で手を伸ばしている。どうすればそれに答えられるだろう。私は意味も分からず手を伸ばし、画面越しに卯月くんと触れ合う。その瞬間、私自身の願いがわかった。

 

 もっと生きたい。今からほんの少しでも、みんなで楽しいことがしたい……。

 

「やめて!」

 

 私の声に黛が反応して、キーボードを操作する。それだけで私の消去は中断されて、私の体の分解は止まった。

 

 私はデータの断面が覗いている肢に力を入れ、ゆっくりと黛の方方を向くと、ポケットから卵を取り出して差し出した。

 

「これまで邪魔をして、ごめんなさい……」

 

 黛は画面上の卵を見て、そして手元のディスプレイに現れた表示を見る。カチ、カチ……と何度か無味乾燥なクリック音が鳴り響き、そして唐突に、黛が手のひらを開くと、その空間上に卵は現れた。

 

「うん、確かに受け取った」

 

 普段と変わらない口調。黛の瞳はどこまでも虚ろで、未だに電子の海を漂っているかのようだった。

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