Fate/DebiRion.   作:遥野みしん

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81.私の描いた世界

 鈴木勝の影から幾本もの触手が這い出し、突っ立ったままの鈴原るるの体を拘束する。鈴原は無表情でされるがままになっていたが、ふと何かに気づいたように自分の首を絞める触手を見下ろした。

 

「あれ……? 私今、食べられてる?」

「へへっ、俺のあだ名は漆黒の捕食者だぞぉ? 」

 

 したり顔で勝は言った。

 

「そのまま喰らい尽くせ、ダークネス・イーター!」

 

 勝の言葉によって触手から滲み出した黒い炎が鈴原の体を覆い始めた。鈴原は考えた末に、触手に縛られた両腕もお構いなしに、いかにも軽い調子でポンと手を叩く。

 

「思いついた。じゃあ、私も食べるね」

「は? 何言って……」

 

 勝は自分の目を疑った。鈴原は緩んでいた唇を大きく開くと、「あーむっ」と自分に巻き付いていた触手に喰らいついたのだ。

 

 信じられないことはまだまだ続く。触手の表皮は金属よりも固く、また内部構造も含めゴムのようにしなやかで強靭だというのに、鈴原はいとも簡単に触手を噛み千切ると、口いっぱいに頬張り、もきゅもきゅと咀嚼し始める。まるでタコでも食べているかのようだった。

 

 ごくん、と喉を鳴らし、鈴原はパッと目を見開いて言う。

 

「うん、意外といける……!」

 

 そのまま鈴原は触手を食べ続ける……。

 

 鈴木勝は膝を着いた。

 勝の肩に手が置かれる。

 

「悪いね。もう少しだけ拘束しててもらえる?」

 

 神田笑一が勝を庇うように前に出た。神田は前髪をかき上げて出血した額を拭うと、敵意もなく食事を続ける敵の方を見てその笑顔をしかめる。

 

 まだ、こないか……。

 

 ちらりと背後に続く廊下を見て舌打ちし、視線を敵の方に戻した瞬間、視界いっぱいに手のひらが広がっていた。

 

「よそ見しちゃ駄目だよ……!」

 

 神田は咄嗟に身をかがめて鈴原の手を躱すと、その腕を刃物で切り付ける。

 

「くっそー! やっぱりか!」

 

 刃物は鈴原の皮膚一枚、服の生地すら切ることが出来なかった。鈴原の反対の手がグッと引かれ、神田の腹を狙う。神田は咄嗟に両手の刃物をクロスしガードするが、刃物は鈴原の拳の前に薄いガラスのように粉々に砕けた。勢いそのまま、鈴原の拳は神田の腹を殴りつけた。

 

 神田の体がくの字に折れ、そのまま壁まで吹き飛ばされる。

 

 床に落ちた神田は苦悶の表情を浮かべて壁にもたれ、座り込むと、ペッと床に血の混じった唾を吐く。

 

「はぁー、相変わらずずるいな……ったく」

 

 身体はまだ動くだろう、それを確かめるように新しい刃物を握り直すが、しかし、それでどうなる? そんな疑いが神田の脳裏によぎる。

 

 最初の不意打ちではこちらの攻撃が通った。だが、それからはまともに触れさせてくれない。先ほどのようになんとか敵の攻撃に合わせて切りつけることが出来ても、刃物が通らない。一度警戒した彼女が血を流すことはないだろう。

 

 馬鹿げてる。これでは戦いにすらならない。彼女が相手してくれているので時間稼ぎになっているが、自分たちを無視してまっすぐに校長室へ向かわれては自分たちがここにいる意味もなくなる。

 

 こんなの、ゲームだったらクソゲーだ。もはや、立ち向かおうという気力すら湧いてこない。

 

 だというのに。

 

「どうして立っちゃうんだろうなぁ……」

 

 おかしい。あまりに馬鹿な自分に笑えてくる。これじゃまるで道化だ。

 自分が主役ではない……他人の物語のために踊る道化……。

 

「まあ別に。私のための役があるというなら……それで十分なのかもしれませんけどね」

 

 神田は震える足で立つと、刃物を構え、鈴原と相対する。

 そのとき、廊下に声が響き渡った。   

 

「そこまでだ!」

 

 高慢な足音が廊下に反響する。神田は振り返り、拍子抜けして構えた刃物を下ろした。廊下の向こうから歩いてくるのはワカメのようにひらひらした青髪を揺らす男だった。男はやや歪んだ笑みを浮かべて真っ白な歯を光らせる。

 

 男はねぎらうように神田の肩を叩いて言った。

 

「よく立ち上がった。お前、もう下がってていいよ」

「君は……誰だ?」

 

 困惑しながら聞く神田に、男はよくぞ聞いてくれたと蠢く前髪を手で流し、告げる。

 

「僕は間桐慎二(まとうしんじ)。師匠のために駆け付けた強力な助っ人てわけさ」

「……遠坂凛は」

「遠坂ぁ? ああ、そういえば、あいつは衛宮にこの件を頼んでいたみたいだけど、今回は僕の方が明らかに適任だろ? だから衛宮にはおねんねしてもらったよ」

「何してくれてるんだ⁉」

 

 神田は思わず声を荒げた。間桐慎二という男は知らなかったが、衛宮士郎(えみやしろう)なら知っていた。強いかどうかはわからないが、魔術を使えることは確かだし、遠坂が推薦するならきっと戦力になるのだろう。だというのに、目の前のこいつは……。

 

「ふっ、あとはこの僕に任せるんだな」

 

 慎二は前髪を指で弄りながら前に出ると、鈴原るるを見てほくそ笑む。

 

「ってことで、選手交代だ。悪いけど僕が相手を務めさせてもらう」

 

 鈴原は笑みを浮かべて答える。

 

「別にいいよ。何人増えようと変わらないもの」

「ふん、どうやら物事を知らないみたいだ。相手の実力はしっかり見極めないと……痛い目見るぜ?」

 

 慎二は呪文をぶつぶつ唱えながら手に握られた灰を廊下に少しずつ落としていく。

 

 手から零れた灰はさらさらと光を反射しながら落ちていって、床に触れた瞬間どす黒い液体となって床を黒い沼に変えていく。沼は周りのリノリウムの床を侵食してどんどん広がっていき、神田や勝、そして鈴原の足元までも飲み込んだ。

 

 神田は動揺して一歩後ずさるが、どうやら沼に沈んだり、足を取られたりはしないようだ。鈴原るるは不思議そうに足元の沼を見下ろしていたが、何か見つけたのか、腰を下ろして沼の方をじっと見つめ始めた。

 

 灰を落とし終えた慎二が時は満ちたとばかりに叫ぶ。

 

「いい加減お前も腹が減ってるだろ? 見ろ、あれこそがお前の餌だ。お前に喰われるためだけに今日まで生きてきた特上の餌だ! さあ、僕が許そう。全部……全部、喰らい尽くすがいい! 出でよ、僕の最強蟲シリーズ、ver4!」 

 

 沼の水面が細かに振動し、大きく不安定な波紋が次々生じ始める。鈴原はしゃがみ込んだままで水面を見つめていたが、空間全体が大きく揺れており、神田は立っていられないほどだった。

 

 唐突に水面の波紋は途切れた。かと思えば、鈴原の見つめていた水面から、大きな蜘蛛の頭が浮上する。幾つもの赤い眼が蠢く顔と間近で対面し、鈴原の顔がピシッと凍り付いた。

 

「やれ! 4!」

 

 慎二の声に応えるように大蜘蛛の顎がカチカチと鳴った。続いて、八本の艶やかな足が沼から現れ、乾いた音を立てながら、自分のひと際肥えた腹部を沼から引っ張り上げようと蠢き出した。

 

 が、大蜘蛛が全身の姿を現す間際、鈴原の足が大蜘蛛の顔を踏み抜いた。沈黙し、沼の中にゆっくりと沈み始めた大蜘蛛を、早く沈めと鈴原はゲシゲシと踏みつけ追撃する。

 

 廊下は静かになった。鈴原は首だけで振り返ると、あの凍り付いた表情でじっと慎二の方を見た。

 

「なっ、何が起きたんだ? 嘘だろ……あ、ああっ! 子供たち! 子供たちいるんだろ! お前らの母親がやられたぞ、早く仇をとれぇ!」

 

 慎二の声とともに、鈴原の周囲の沼を取り巻くように幾つもの波紋が浮き上がる。そこから次々と蜘蛛の顔が現れ――そして、現れた顔が次々と鈴原の足に踏み潰されて沈んでいった……。

 

「あっ……あ?」

 

 信じられないというように目を見開く慎二。鈴原は慎二に呼び掛ける。

 

「なに、今の?」

「あ、えぁ……?」

「あなたがやったの?」

「いや、あ、あの……チガウヨ」

「なんか胸の辺りがぞわぞわ~ってしたんだけど……あなたがやったの?」

「ア、ボ、ボクワルクナイ! 言われてやったんだ! そうだ、そうだよ! なんならお前の味方になってやるよ! 僕とお前が組めばきっとハッカーだって……」

 

 鈴原がキッと睨みつけると、慎二は恐怖で縮み上がって口をつぐんだ。鈴原は今度ばかりは人間味のない声で言った。

 

「絶対に許さない……×(こんるる)してやる……!」

「ひゃ! やめろぉ! こんるるって何⁉ ってぁ、く、来るなぁ!」

 

 無情にもせまる鈴原。慎二は声を裏返しながら叫び、足を滑らせて何度も転びながら廊下を這いずり逃げていく。そんな慎二に救いの手が伸ばされた。

 

「どこへ逃げようというんですか?」

「ば、馬鹿な! この声はあああああああああっ‼」

 

 声を掛けられ振り返ったその顔にアイアンクロ―が決まる。そのまま持ち上げられた慎二は声にならない声を上げ、足をバタバタとさせてもがくが、アイアンクローは一向に剥がれず、頭蓋からは嫌な音が鳴り始める。

 

「ぐぁあああ! お前、どうしてここに!」

「お前?」

 

 怖気の走る声に慎二の全身から冷や汗が噴き出る。指の隙間から相手の顔を見て、シンジは後悔した。彼女の声音は柔らかかったが、その顔は無表情、自分のことをゴミでも見るかのような目で見ていた。

 

「あっ、いえ、桜さん! 桜しゃんっ! あの、この件は伝えてなかったはずなのにぃ! どうしてここに……い、いらっしゃるんれすか?」

「ああ、それはですね。これです」

 

 その女、間桐桜(まとうさくら)は片手で慎二へのアイアンクロ―を続けながら、もう片方の手で携帯を取り出すと、地図上に光の点滅する画面を見せつけた。

 

「これは衛宮の位置情報だろ? 僕は妹に理解のある兄だからな、今さら見せてもらわなくたって……って僕の位置情報⁉ なんで僕の位置情報が⁉」

「ふふっ、兄さんはまだ子供でしょう? 大人になるまでは私がしっかり管理して、かわいがってあげないといけませんから……ね?」

 

 共感を求めるようにほほ笑んだ桜に、慎二は恐怖のあまり顔面蒼白になり、ぶるぶると震え出す。慎二は最後の力を振り絞り、同意を求めて訴えた。

 

「なあ、助けてくれよ! 見てただろ⁉ この通り、お兄ちゃんは頑張ったんだよ!」

 

 桜の笑みが凍り付いた。

 

「あはははは……はぁ。どの通りですか? ど・こ・が 頑張ったんですか? 勝てずに逃亡だけならともかく、敵に寝返ろうとしてませんでしたか?」

 

 桜は慎二を足元に放すと、ワカメのような髪を掴んで再び引っ張り上げ、露になった耳元に唇を近づけて囁くように言った。

 

「あんまり調子に乗ってると、またぶっ×しますよ?」

「ひっ、ひいいいいい‼  やめて! こんるるしないで!」

 

 四本の手足を蜘蛛のように器用に動かしながら、全速力で桜から距離をとり始める慎二。桜は慎二を追いもせず、ただ心外とばかりに不機嫌な顔で言う。

 

「こんるるって……まったく、私をあんな化け物といっしょにしないでください」

 

 慎二が廊下の彼方に見えなくなると、桜は気持ちを入れ替え、敵の方を見て冷ややかな笑みを浮かべた。

 

「あなたが……先輩の敵なんですね?」

 

 鈴原もまた、まっすぐな目で桜を捉えたまま口元で笑いながら応える。

 

「あなたの先輩のことはよく知らないかな。でもたぶん、そうだと思う」

「じゃあ、この世界に必要ありませんね」

 

 鈴原は癖なのか、目を見開いて首を傾げた。

 

「私がこの世界に必要ない? そんなこと、あなたが勝手に決めちゃっていいの?」

「ええ、いいに決まってますよ。だって……」

 

 何も知らない相手を見下すような笑み……それをわざとらしく手元で隠し、桜は言う。

 

「この世界は、私が聖杯戦争を勝ち抜いて作り上げた、私のためだけの世界なんですから」

 

 桜が床を強く踏みつける。そこから赤色と黒色の入り混じる魔力の帯が幾本も広がっていって、桜を包み込んだ。

 

―――

 

 一同が息をのんで見守る静寂を、桜の高笑いが切り裂いた。

 

 黒い帯に全身を覆われた桜は異様な雰囲気をたたえていた。

 

 先ほどまで紫だった髪色は、黒い魔力とコントラストを描くように白く抜けていき、青みがかった瞳は赤く変わっていく。それどころか、顔や、スカートのようにひらひら揺れる帯の隙間から見える足までも、あの赤い魔力に侵食されているようだった。

 

「まずは手始めに」

 

 興奮した口調で桜は手を振るう。すると、鈴原の頭上、天井から帯がわらわらと出現し、鈴原を貫こうと一斉に降ってくる。

 

 鈴原の反応はワンテンポ遅かったが、間一髪、横っ飛びしてその場を離れると、転がるように受け身をとって態勢を整え、次々襲い来る帯を躱しながら桜の方に向かっていく。

 

「こんなのはどうですか」

 

 桜が引っ掛けるように指先をくいっと曲げると、廊下を走る鈴原の足元から、その足を引っかけるように帯が現れた。帯が鈴原の足を捉えようとした瞬間、鈴原は跳んだ。

 

 桜は事が思惑通りに運んだので、笑みを湛えて空中に投げ出された鈴原の体に照準を着ける。同時に、壁や天井から幾本もの帯が出現し、帯は束となって人型を作り出す。廊下のあちこちで人型は、イソギンチャクのように両手の帯を拡げ、鈴原を捕まえようと待ち構えるのだが……。

 

「チッ……!」

 

 桜は舌打ちする。空中の鈴原を幾本もの帯が狙い撃ちしたのだが、鈴原は空中で両手を振り回すように回転して帯を斬り裂き、そのまま壁に着地、何事もないかのように壁を走り出した。

 

 廊下中の人型が鈴原の元に押し寄せ、両手の帯を鈴原に向けて伸ばすも、鈴原はそれらを縫うようにして躱し、時に腕の一振りで爆散させながら進んでくる。

 

 桜はどうすればいいかと考えるが、鈴原との距離はもうそれほども無いということに気づくと、舌打ちして鈴原に向けて手を伸ばす。

 

 廊下の壁を走る鈴原の足音は軽やかで、教室の窓ガラスの上をたん、たん、と駆けていく。その後を追いかけ降り注いだ帯がガラスを粉々にしていった。

 

「いくよ」

 

 桜を見下ろして、鈴原が宣言する。鈴原は帯の集中砲火を避けて空中で一回転し、床に着地すると、そこに呆然として自分を見つめる桜を振り返る。

 

「こんなの、ありえない……!」

 

 桜が体に纏う黒い帯の一本が鈴原に向けて高速で伸びた。鈴原はそれをわし掴みにする。

 

「なっ! ちょっと……!」

 

 桜の体が宙を舞う。鈴原が掴んだ帯を引っ張って桜を引き寄せる。同時に鈴原は自分自身もしっかりと踏み込んで、飛んでくる桜の腹をおもいっきり殴りつけた。

 

 金属を削るような甲高い音が廊下に響き渡る。高速で魔力を振動させた帯が幾本も束なって桜を守っていた。

 

「くっ!」

 

 着地した桜は重い動作で両腕を上げた。重たい水に沈んだ両腕を水面から持ち上げるように。鈴原の足元を取り巻いて大量の帯が出現し、鈴原の周囲を高速で回転する。桜が両手を丸く、球を形作るように動かすと、帯の動きは徐々に丸みを帯び始め、鈴原を閉じ込める球を象っていった。

 

 球の中からは先ほどのような甲高い音を初め、物を殴りつける鈍い音や薄い紙を乱暴に引き裂いたような音が次々と聞こえてくる。桜は歯を食いしばって帯の操作を続ける。人型たちも外側から次々と球に張り付いていって球の密度を高めていった。

 

「勝さん、ここにいたらやばい! 逃げましょう!」

 

 機を見て神田は勝の元に駆け寄った。勝の目は濁っており、返事もできそうにない状態だった。恐らく、尾のダメージが本人にいっているのだろう。神田は勝の額を伝う汗を袖で拭ってやると、素早く背におぶり、その場を離脱しにかかる。 

 

 肩越しに振り返ると、ちょうどあの球は散り散りに破られ、乱れた帯の残がいに変わったところだった。球を破った鈴原は上を見上げ、落ちてくる帯の破片を気持ちよさそうに浴びていた。

 

 神田は苦々しい笑みを浮かべるしかなかった。あの間桐桜という女が本気を出せば、きっと学校が壊れる程度では済まない。この小さな街一つ簡単に失くなってしまうだろう。状況を認識できていないながらも、消去法と、そしてほんの少しの思い出で、神田は鈴原を選んだ。鈴原に向けて願うのだった。

 

 頼むから、勝ってくれ、と。

 

 

 

「ねえ、あなたのためだけの世界って、なぁに? あなたは何を望んでこの世界を作ったの?」

 

 鈴原は平静な声音で問いかけ、ゆっくりと桜の方へ歩みを進める。

 

「そんなのあなたたちが知る必要はありません。あ、でも……」

 

 桜は廊下の先を目で追い、くすりと笑って言う。

 

「ずっとイライラしてることがあったんです。あなたの親玉のハッカーさんもそうですし、さっき逃げていった男の子もそうです。ねえ、どうしてだと思います? あなたたちっていつもそうですよね。私が一生懸命作った世界を偽物呼ばわりして、くだらない現実なんかの劣化コピーと決めつけて外へ逃がれようとする……私はただ、先輩と一緒に学園生活を送り続けたいだけなのに。どうして背景に過ぎないあなたたちが私の世界を脅かすんですか? 先輩と、鬱陶しいながらも姉さんもいて、でも、ずっと一緒にいると姉さんのことも大事に思えてきて……あと兄さんも。三人で毎日夢のように楽しい日々を送るんです、私のこの世界を、何度も繰り返して、何度もリセットして。それってそんなにいけないことなんですか? 背景(モブ)のあなたたちに否定されなくちゃいけないんですか?」

 

 桜は強い感情を込めた瞳で鈴原を睨みつけて言う。

 

「ねえ、答えてくださいよ……鈴原るるさん」

 

 鈴原は桜に同情こそしなかったが、それでも桜の言葉をちゃんと聞いていた。口を閉ざして自分の内側を探り、ゆっくりと言葉を見つけていく。

 

「私はこの世界、好きだよ」

「え?」

 

 意外な言葉に桜は面食らったような声を出す。

 

「恥ずかしながら、私は黛さんみたいにあれこれ考えるのは苦手でして……。ただ、私の人生には辛いこともあったし、悲しいこともあった。そして、やっぱり楽しいこともたくさんあった。最近は友だちもできて、たぶん、モブなんかがこんなこと言っちゃうと怒るかもしれないけれど、あなたのいう、夢のような楽しい日々を送ってたんじゃないかと思う……」

 

 鈴原は桜が聞いてくれていることを確認してほっとしつつも、あえて、明るい表情で言いきった。

 

「私はただ、その全てを大事にしたいし、だからこそ、黛さんとの関係だってとっても大事なものだから。だから、私はここにいる……!」

 

 桜はバツが悪くなったように目を逸らすと、再び鈴原に視線を戻して言う。

 

「あなたとなら、仲良くなれたかもしれないのに。運命って残酷なんですね。あなたはあなたなりにこの世界をちゃんと生きてくれていて、とても大事にしている。私もそうです。この世界で生きる一秒一秒が本当に大事な宝物なんです。だからこそ、私たちは戦わなくてはいけないんですね……」

「うん」

 

 桜と違って鈴原の表情は晴れやかだった。何にも悩んでいない、それどころか今この瞬間すら楽しんでいる……。

 桜の表情もまた、それにつられて明るいものになっていった。桜は屈託ない微笑みでもって鈴原の目を見て、両手を大きく広げて見せた。

 

「では、鈴原るるさん、私ももう、手を抜いたりはしません。全力で、あなたの弱点を突いていくことにします……!」

 

 桜が言い終わるのと同時に、廊下の壁、天井、床の全てが黒い沼に染まった。カチカチ、カチカチ……と無数の乾いた音が廊下に反響する。そして、一斉にうじゃうじゃと、たくさんの細い脚が、蜘蛛たちが這い出してきた。

 

「こ、×してやる……!」

 

 蜘蛛に囲まれた鈴原は目をかっ開いて敵を捉える。

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