格子状の青い光で形作られた廊下を二人は進んでいく。
床は無機質で足音はガラスのように響いたが、じきに修復も進み、リノリウムのつるつるとした厚みが戻ってくる。
鷹宮が見上げると、今はまだ光の格子でできた天井を透かして、新しく作られた巨大な月が校舎の上に見えていた。
もう少し経てば壁も天井も元に戻って、何事もなかったように校舎も人も復活するだろう。
黛が角を曲がったので、あとに続く鷹宮も角を曲がる。
「ねえ黛、色々わからないことがあるんだけど」
「だろうね。保健室に着いたら全部答えてあげる」
そう言われては仕方がないので、鷹宮は黛のあとをついて青い光の校舎を歩いた。
保健室の扉はまだできていなかったので、青く光る入り口をくぐって中に入った。きっとBBが気を利かせてくれたのだろう、青い光の部屋の中にはそこが保健室であることを示すように、白いベッドだけが並べて置いてあった。
鷹宮がおもむろにベッドに寝転がったのを見て、黛は困惑するように立ち尽くしたが、まあいいか、と諦めて隣のベッドに座った。鷹宮が寝返りを打って黛の方に体を向ける……。
そこでちょうど修復が始まった。床から始まった修復は壁をゆっくりと昇っていく。その過程で失くなっていたデスクや棚などが鷹宮の記憶通りの場所に姿を現していった。天井の中央に覗いていた月が壁に覆われるのを見上げ、二人は、視線をお互いへと向けた。
「黛、ぜんぶわかってたんだ……」
「そうなるね。まあ、ギャルゲーだとは思わなかったけど」
そう言って黛が笑ったように見えたので、鷹宮もいつもどおりでいいんだと力を抜いて話し出す。
「私も。まさか恋愛シミュレーションでこんなことになるなんて思わなかった」
「だろうね」
「うん」
頷いて、鷹宮は我慢できずに声を上げて笑った。黛も声を上げて笑いこそしなかったが、鷹宮の笑いを受け入れるようにほほ笑んでいた。
「あの……色んな人が出てきて……何から聞けばいいのかこんがらがってて」
「いいよ。システムの核はここにある。時間は幾らでもあるんだから、俺の知ってることなら全部教えるよ。それがきっと、俺の役割だと思うから」
「黛……?」
黛の表情に違和感を覚えた鷹宮は心配になって声をかけるも、黛は一つづつ丁寧に語り始める。世界のこと。卵のこと。出雲霞のこと。鈴原るるのこと。そして間桐桜……。
「あの、さっきのBBっていうの、結局なんだったの?」
話が一段落して、鷹宮が尋ねる。黛はまだ整理がついていない、と前置きしたうえで答えた。
「あれはたぶん、ラスボスって奴じゃない? それも普通にやってたら出てこない裏ボス。ゲームの筋書き通りに恋愛なんかしてたり、あとは、出雲霞側について卵を守り切ってたりしたら出てこないよ。世界の謎を探るにしたって、聖杯戦争の隠れ蓑も準備されてたみたいだし」
「そ、そうなんだ……」
「ああ、あと出雲霞。あれはたぶん、俺じゃなくて、あの裏ボスから卵を守る役目があったんじゃないかな。卵の場所は出雲霞にしかわからなかったみたいだし、BBは出雲霞から卵を奪う必要があった。何回もループしてるBBが、卵を人知れず取ることもできずに出雲霞を攻撃してるんだから、そう考えるのが自然だと思う」
「た、確かに?」
「でも気になるのが、どうして出雲霞なのかということ。俺はネットの下層まで、全てを調べ尽くしたと自信をもって言えるくらいにはネットを漁ったことがある。そこに卵なんか無かったんだよ。なのに、卵は突然出雲霞の前に現れた。どうして? ねえ鷹宮さん、どうしてだと思う?」
問われて、鷹宮は眉をひそめながら「さあ……?」と首を傾げた。
「そうだ。わからないんだよ。この世界のことだけで考えても」
そこで鷹宮は、黛が何を言おうとしているのか理解した。
「この世界を作った奴が、この世界の外側にいるとしたら」
黛は自分の手の中で光る卵を見下ろして言った。
「この卵は、明らかにそいつと繋がってる」
そして、黛は鷹宮の方を見る。
「プレイヤーと同じでね」
「私ぃ⁉ って、あ、そうか」
「っていってもまあ、卵もプレイヤーも結局はゲームの設定に過ぎない可能性はどこまでいっても付きまとうんだけど」
「なっ、違います! 私は外の世界から来たプレイヤーなのです!」
「もう隠さないんだ」
からかうような口調で言ってきた黛に、鷹宮は顔を赤くするが、観念したように頷いた。
「ここまできて誤魔化すと、なんか、嫌なやつになっちゃうじゃん……」
「そうだね。俺はめちゃくちゃ嫌いになるわ」
「ほら!」
指差して鷹宮は笑う。黛は鷹宮が落ち着くまで静かに待ち、そして切り出した。
「ねえ鷹宮さん。全部見てたよね、どう思った?」
鷹宮は笑いから一転してポカンと間の抜けた顔になるが、すぐに真面目な表情になって考え始める。
「どう思ったって……私の知らないところでみんな頑張ってたんだなあって」
あと、黛がちょっと怖かったけど、と冗談めかして言った。
「俺はさ、今回のことでちょっと考えが変わったっていうか……実際には今回の計画を実行する前から迷い始めてはいたんだけど。少し前までの俺だったら、ゲームはクリアされて然るべきものだと思ってたし、実際にここで生きてる俺たちNPCと違って、プレイヤーなんていう後からこの世界を楽しむためだけに現れた奴らに全部持ってかれるのはごめんだった。自分がこの閉じた世界から脱出して、外の広い世界で生きることしか考えてなかった。でも、もう自分が本当はどうしたいのかわからない。前にも言ったとおり、鷹宮さん、俺は鷹宮さんに生きる喜びとか、楽しさなんかを教えられたんだよ」
鷹宮は恥ずかしいのか押し黙っていた。黛は続ける。
「それに冷静になってみると、ゲームの勝者なんていうのは第一にゲームのルールに用意されるものでしかない。勝者が選ばれるゲームで勝者を目指すなんて、それこそゲームの世界の住人らしすぎる。俺はBBの気分次第で簡単に殺されてたし、BBが無理やり勝者になることだってできたはずだ。でも、BBだって自分のプライドでそうはしなかった」
「うん」
控えめにだが、鷹宮は頷いた。
「出雲霞と鈴木勝は友だちだった。友だちがいるこの世界が好きだから、この世界を終わらせないために卵を使わない、そんなことを言っていた。最後に出雲霞が俺に卵を渡したのも、今の俺なら少しわかるんだよね……」
「そう」
「出雲霞はAIだ。ちょっと妙なところもあったけど、設定上は少なくとも人間じゃない。なのに、人間みたいに我が身が大事になった。どうせ今ここで自分が消えても……黛灰に勝利しても、その後でプレイヤーに世界が終わらされてしまうというのなら……一人で寂しく消えたくない。みんなのいるこの世界に、一秒でも長くいたい、なんて、想像でしかないけど。たぶん、出雲霞はあの瞬間、究極のエゴを貫くことを選んだ」
鷹宮が言う。
「黛も、選ぶんだね」
そのとき見せた黛の表情には、僅かに不安や怯えが含まれていた。
「俺は、選べない」
「黛……」
「俺には何もない。人間として作られた俺には、何も」
俯いた黛が上目で鷹宮の方を見た。その目の弱弱しさに鷹宮は虚しくなった。全てを手にしているのに、どうしてそんなに寂しそうな目をするのだろう。
「この世界にはきっと、生きる価値があるんだろうね。それを知ったら、もう、俺には決められない。何が正しいのかもさっぱりだし、俺自身どうしたいのかがわからないんだ。だからさ、鷹宮さん――」
黛は全て吹っ切れたような顔で鷹宮を見て、言った。
鷹宮さんが決めてよ。
「あははっ、なんでそんな、そう、なる、の……」
冗談のように笑おうとした鷹宮の視界に文字が現れる。空中に浮かぶ文字はポップな四角い枠で囲われており、鷹宮が目線を動かしても常に視界の中央に居続ける。それは恋愛ゲームのプレイヤーにとって見慣れたシステム、選択肢だった。
黛灰は……
【卵を使って外の世界へ行く】
【鷹宮さんに卵を渡してこの世界に留まる】
「それっぽく作ってみたんだ。よくできてるでしょ?」
絶句する鷹宮に黛が軽い調子で語り掛ける。
「今の俺だからこそわかる。このゲーム世界は明らかにプレイヤーのためにあった。ならもう、全部プレイヤーに任せちゃうのがいいのかなって」
鷹宮は沈鬱な表情で黙り込んだ。黛は鷹宮が怒り出すと思っていた。けれど、次に鷹宮が浮かべた表情は、元気のない友だちを励ますような、寄り添うような笑みだった。
「黛さあ、真面目に考えすぎてるんじゃないの?」
「俺が……真面目……?」
「そうだよ」
鷹宮は何の迷いもなく肯定する。
「卵を使う、この瞬間のためにずっと頑張ってきたんでしょ? 別に世界を滅ぼせなんて言わないけど、それとはまったく関係なく、黛が幸せになる権利はあると思うな」
鷹宮の言葉に、黛は引っ掛かりを覚えたように尋ねる。
「じゃあ、鷹宮さん。鷹宮さんがこの世界で生きてたら、俺に消されてもいいの?」
「そ、それはだめー……うん。だめだけど、共感はできるよ、たぶん。こういう世界だし、私が黛だったら他の人のことも考えずにさっさとやっちゃうか、他の人たちのことを考えちゃって、怖くなってやれなくなると思う。正しさからやらないんじゃなくて、怖くてやれないだけ。そんな風に他人のこととか世界のこととか、向き合わなきゃいけないって考えただけでぞっとしちゃう……」
無責任で申し訳ないけどね、と鷹宮は笑う。
「要はさ。私だってそんなの選べないってことが言いたいわけ。プレイヤーだとしても……ううん、誰だってそうだよ。黛、頭いいからわかるっしょ? 黛が本当はどうしたいかなんて、黛にしかわからないじゃない」
だからさ……と鷹宮は言う。
「この選択肢は黛に返す」
そう言うと、鷹宮は両手でくるりと画面の選択肢を反転させて、黛に向けた。
「自分のために、自分で選びな?」
鷹宮はベッドからするりと降りて保健室から出て行ってしまった。
黛の視界の中央に、選択肢が居座った。それはどこを見てもついてきて、逃れることができない。こんなとき、現実のプレイヤーだったら、画面から目を背けたり、電源を切ったりして、いつでもゲームをやめることができるのだろう。
「ずりーよなあ……プレイヤーって」
保健室の天井を見上げ、黛灰は一人ごちる。