Fate/DebiRion.   作:遥野みしん

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86.亡霊たち

 はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……。息を切らして森の中を走る魔使。一度足を止めると跳び上がり、木の枝の上に立って辺りを見渡した。

 

 ふっ、と耳の裏に温かい空気が当たり、じりじりとしてこそばゆくなる。魔使が耳の裏に手をやろうとしたとき、直接息がかかるほど近く、耳元で低い声が囁いた。

 

「だぁいじょうぶ?」

「気持ち悪い!」

 

 魔使は悲鳴をあげて真っ逆さまに木から落ちていった。

 

「いたーい!」

 

 頭にたんこぶを作った魔使が目に涙を浮かべて茂みから出ると、そこには紫がかった髪をした男が立っていた。

 

 男は濃いグレーのシャツに、上から黒のジャケットを袖を通さず羽織っている。胸元の黒いネクタイには、逆三角の形をした金色のブローチが留められていた。男が気だるげに体の重心を移動すると、白いベルトに連なるチェーンが揺れた。チェーンには日本刀が鞘に入った状態でつなぎ留められている。

 

 男の薄緑色をした目で無遠慮に見つめられ、魔使の顔が青ざめるが、魔使には伝えるべきことがあった。魔使はハッと息を飲むと、慌てて言った。

 

「助けてください! リリ先輩が足止めしてます!」

「ふーん」

 

 男はおもむろに菓子袋を取り出して、中から白いマシュマロを一つつまむと、ひょいと口へ放る。

 

「え……何で食べたの⁉」

 

 男は真顔でマシュマロを咀嚼し、こくんと飲み込んでから答えた。

 

「ええ、これがなかなか、くせになっちゃいましてね」

 

 男は再びマシュマロを口へ放ると、咀嚼しながら続ける。

 

「みなさんは……このマシュマロを、あむっ、ゲテモノだとか虚無だとか……挙句の果てにはクソマロだなんて……んむんむ、好き放題言いますけど……失礼なことですよ、んん! まったく」

 

 そうして男はマシュマロを手のひらいっぱいに握ると一気に口へと放り込んだ。

 もぎゅもぎゅと口いっぱいにマシュマロを頬張りながら、男は魔使が見ているのに気付き、袋を魔使に差し出した。

 

「食べます?」

「いりません!」

 

―――――――

 

「偽装:創し隔つ雷蕾の槍(ライトニング・ゲイボルグ)

 

 呟くように叶が名前を呼んでやると、叶の手には雷をイメージさせる絢爛な装飾の槍が現れる。叶は森へと逃げ込もうと走る夕陽リリに槍を差し向ける。

 

 雷の音が鳴り響いた。轟音とともに槍から新しい光の槍が生成される。雷鳴は幾度も鳴り響き、光の槍は矢のように次々と生み出されては敵に向かって凄まじい速さで飛んでいった。

 

 一方夕陽リリはテレポートを駆使しながら木々の間を駆け抜け、光の槍から逃れていた。時折攻撃の合間を縫って叶の方に光弾を放つが、叶が槍を向けるだけで自動生成される光の槍の物量の前に光弾は呆気なく掻き消されてしまう。光の槍に撃たれた木々は燃え、炎はどんどん広がっていった。

 

 まだ炎が燃え移っていない木の裏で夕陽リリは息を吐き、炎の中央に陣取る叶を睨んだ。

 

「反則だろ、あんなの……」

 

 夕陽リリの装着したゴーグルが叶の神父服の懐に覗くチェーンでぶら下げられた書物を解析し始める。書物は槍と近い数値の魔力を放っている。だが、そんなゴーグルに頼らなくても夕陽リリにはわかっている。あの書物を何とかすれば疑似宝具は展開できない。

 

 夕陽リリの腰のホルダーからドローンが一台飛び立つと、木陰でテレポートして消えた。夕陽リリはそれを見届けると、木陰から出て叶の前に姿を現した。

 叶は槍を向けることはせず、夕陽リリを迎えるように笑って言う。

 

「おや、もう逃げなくてよかったんですか?」

「ええ、叶さんのそれがチート過ぎて。逃げてるだけではじり貧になっちゃいますからね。なんですかそれ、卑怯過ぎません?」

「そうですか? 僕の見立てでは、夕陽リリさん、あなたは森の全域にテレポートできるよう細工してありますよね。逃げたいならさっさと逃げればいい」

 

 夕陽リリが顔をしかめて舌打ちする。

 

「お前も……なら……わかれよ……」

 

 夕陽リリがぼそっと言った言葉を聞き取れず、叶は首を傾げる。

 

「何か言いましたか?」

「いえ、何も。じゃあ叶さん、私がいつでも逃げれるとして、ここから逃げないのはなんでだと思いますー? あ、口には出さなくてけっこうですよ。よーく考えてください」

 

 言葉通りに叶は考え始めたらしい、夕陽リリをから目を離さないまま黙り込んだ。その叶の後ろから小型のドローンがゆっくりと迫る。その砲身が青く光り出した。

 

 次の瞬間、ドローンの吐き出したエレキネットが背後から叶の体を包み込み、青い電流を流しこむ。

 

 捕まえた! と夕陽リリは小さくガッツポーズをとる。その視界を白い羽が横切った……。夕陽リリは一瞬気を取られるが、すぐに青い光に拘束されている標的に向けて、二つの銃をぴたりと合わせて構えた。

 

「セカンドバレット……!」

 

 二丁の拳銃から放たれた一発の巨大な光弾がエレキネットに囚われた標的に命中し、青い爆発を巻き起こす。夕陽リリは銃を下ろして燃え上がる炎を見守っていたが、それらはすぐに吹き飛ばされる。自分の身を包んでいた白い翼を、叶が大きく広げることによって。

 

 夕陽リリのうんざりとした視線は空へ上がっていく。白い翼はろくに羽ばたきもせずに広げられたままで、叶の体は柔らかに地面を離れて空へと上がっていった。

 

「ったく、正体表したなあ……」

 

 冷や汗を流して夕陽リリは空を仰ぎ見る。叶は手に握っていた槍が消えていくのを見つめていた。叶は焦げついた上着を脱ぐと、そのふところから青の炎に朽ちていく書物を取り出し、ため息をついた。

 

「間に合わなかったか」

 

 名残惜しげに呟き、上着と書物の灰を空へ放ると、こちらを見上げる夕陽リリを見下ろした。

 

「やってくれましたね。お気に入りの装備だったんだけど……」

「へっ、ざまあみろ! どうします~、叶さん。お得意のチート武器はこれで使えませんよー? その綺麗な羽根で私のドローンから逃げ回ってみますか? くぁっはっは! ジェットコースターみたいで楽しそうですね! 羨ましいなあ!」

 

 夕陽リリはげらげら笑っているように見せながらも、目だけは笑わずに、冷静にドローンを展開し始める。叶はどうでもよさそうに遠くを見つめ、言った。

 

「ところで、変な匂いがしませんか?」

「時間稼ぎですか? 別にいいですけど。で、どんな匂いがするって言うんです?」

 

 そう言って夕陽リリはわざとらしくくんくんと周囲の匂いを嗅いで見せるが、その表情が僅かに曇る。

 

「ほら、音も聞こえてきましたよ。耳を澄ましてみてください。静かに。息を殺して」

 

 叶の言うとおりに夕陽リリが耳を澄ますと、確かに遠くから音が聞こえてきた。パチパチとキャンプファイヤーのように木の燃える音。焦げる匂い……。

 

「のんきだなあ。もっと焦ってもいいんじゃないですか? まさか、一人で持ちこたえられるとお思いで?」

 

 夕陽リリは気づいた。

 

「あー……これ、ちょっとやばいか?」

 

 叶はふふっと鼻で笑う。牛の泣き声が森のあちこちから聞こえ出し、森の闇の中から薄い色の炎が幾つも浮かび上がる。夕陽リリのゴーグルがズームし、その姿を捉えた。

 

 黒い灰のローブをまとう影。その頭部には牛の頭骨が浮き出ている。亡霊たる彼らはその手に持った松明をゆらゆら揺らしながら歩みを進めている。

 

 その先頭に、彼らを率いているかのように立つ二つの人影があった。一つは青いドレスの上に甲冑を纏う少女。もう一つは漆黒の衣装を纏う長髪の男――その手には槍が握られていた。

 

 男は炎を背に立ち止まると、槍を地面に突き立てる。すると、血塗られた杭が地面から次々と生え出て夕陽リリの方へと向かってきた。

 

「なっ、サーヴァント⁉ くっ……!」

 

 驚きも束の間、夕陽リリは視界に入っている木の元へテレポートを行った。そして跳んだ先で振り返った瞬間、パン、と乾いた音がして、夕陽リリのゴーグルが砕けた。

 

「くそっ、叶!」

 

 砕けたレンズから覗かせた明るい水色の瞳に血が滲む。叶は薄笑いを浮かべながら、今発砲したばかりの拳銃で余所見をするなと夕陽リリに促した。

 

 夕陽リリが辺りを再度警戒しようとしたとき、夕陽リリの背後に、背中合わせに黒い大きな人の影が音もなく立ち上がった。影は振り返りざまに槍を振るう。一方、夕陽リリもまた、振り返りざまに二丁拳銃を発砲しようと敵に向ける……が、二つの銃は槍の一撃で粉々に砕かれた。

 

 吹き飛ばされた夕陽リリは地面に手をついてすぐに起き上がろうとするが、その足を叶が撃ち抜く。

 

「はぁっ、はぁっ……叶さん、最後まで――」

 

 叶を睨もうとして上げた顔に剣が突き立てられた。剣……かろうじて稼働を続けるゴーグルで見える、剣の形をした凄まじいエネルギー体。一方肉眼では何も見えない。透明だ。甲冑を纏う女は透明な剣を夕陽リリに突き立てていた。

 

「最後に言い残すことはあるか?」

 

 高潔な声。その言葉もまた高潔であり、きっと女は騎士なのだろう。夕陽リリはその騎士のことを思って、つい笑ってしまった。騎士と話すのは初めてだったが、笑ってしまった。

 

 騎士は何も言わずに夕陽リリの言葉を待っていた。夕陽リリは笑うのをやめて落ち着いた声音で言う。

 

「遺言? ありませんよ、ええ。なんにも残りはしません」

「そうか。潔くていい」

 

 騎士は剣を構えて、夕陽リリに振りかざす。

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