Fate/DebiRion.   作:遥野みしん

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89.決別

 教会の二階に備えられたオルガンの椅子の上、横たわった一匹の黒猫が退屈そうに一階を見下ろしていた。

 

 一階、教会の祭壇には荘厳な魔法陣が敷かれ、その中央には男の子が横たえられていた。男の子はもう死んでいる。痩せ細り、色の落ちたその体からは病魔の痕跡が見受けられるが、今、その顔に浮かぶ表情は安らかだった。

 

(彼流に言うなら、楽になったということなんでしょうけれど……)

 

 傍らで顔を伏せたシスター・クレアは男の子の手を取ると、その表面を優しく撫でていく。

 

「すべて、私が弱いせいです……私が強ければ、あなたを死から、恐怖から、守ってあげられた」

 

 クレアは名残惜しそうに彼の顔を見て、ごめんなさい、と彼の手をそっと置いた。

 クレアは睨むように十字架を見上げ、その向こうに見える黒猫の二つの眼を見上げた。

 

「あなたたちの思い通りにはさせません」

 

 クレアは立ち上がると、教会を出て行った。

 

 

 

 教会を出ると、あちこちで起こる戦闘音が耳に入ってくる。

 

「補充、しておきましょうか」

 

 呟くと、クレアは祈りを捧げるように目を瞑り、胸の前で両手を組んで唱える。

 

 

罪人たちよ 私の元へと集いなさい

私こそあなたたちの母となるもの

あなたたちの罪を背負い、あなたたちに愛を与えるもの

恐れることなど何もなく

私の名の元に門は再び開かれでしょう

その身を矛とし、無力の母を守りなさい

全てが終われば私の内へと帰ることを赦します

私の内に安寧の居場所を見つけることを赦します

それだけがあなたたちが必要とした

あなたたちの幸せと知るのです

 

家へ帰るために家を出よ

父よ、私たちのために片目を瞑れ

 

 

 クレアの詠唱が終わらぬうちから周囲の地面からわらわらと亡霊たちが現れる。亡霊たちは燃え盛る松明を手に持ち、階段を上がってくるかのように地面から歩いて出てくる。皆、顔を隠すように動物の頭骨の仮面を被っていた。シスター・クレアが何も言わずとも、彼らはこの世に現れるそばから戦闘音のする方へと歩いていく。地面から湧く亡者の行進はいつまでも途切れることがなかった。

 

「さて」

 

 クレアがその場を離れようとしたとき、そこに立っていた人物を見て目を丸くする

 

「緑仙さん」

「やあクレア。ついさっきぶり」

 

 緑仙は手をあげてクレアに近づいてくる。クレアが警戒するように目線を強めると、緑仙はそこで歩みを止めた。クレアは言った。

 

「配置は確かここではなかったはず……どうされたんですか?」

 

 緑仙は一瞬笑わずにクレアの顔を見つめた後、うんざりしているように肩をすくめて言った。

 

「おもちぃな製造部隊なら剣持の奴にバレて瓦解したよ。椎名も限界みたいだったし、まあ、ぎりぎりまではやれたんじゃないかな」

 

 僕もやられちゃったしね……と緑仙は血を流して力なく垂れ下がった右腕を示す。

 

「そうですか……ゆっくり休んで傷を癒してください。作戦にご協力して頂いてありがとうございます」

 

 クレアが頭を下げるのを緑仙は何も言わずに見下ろし、クレアが顔を上げるのを待って言う。

 

「ところで、教会で休もうと思ってたんだけど……」

 

 二人は教会の方を見た。

 

「やめた方がいいでしょう」

「マジ? もうだめ?」

「はい。聖杯は間もなく姿を現しますので」

「そっか……」

 

 そこで息をつき、緑仙は言った。

 

「クレア。その魔術、邪法だね。もう聖職者はやめにしたの?」

「……どうでしょうね。そんな資格があるのか、と言われれば悲しいですけれど、それでもどこかで困っている人がいるのなら、自分に許されるのなら、手を差し伸べられるような人間で在りたい……と思ってしまいます」

 

 いつも通りほほ笑むクレアを見て、緑仙は思うことがあるかのような表情で頭を掻いた。

 

「相変わらず立派だ」

 

 そう言った緑仙の表情には、自分の知るかつてのクレアを垣間見ることが出来た嬉しさと、それを今見たくなかったという苦味が同居していた。緑仙は続けて言う。

 

「僕もそうありたいと思ってたんだけどな……ねえクレア、笑うのが下手になったね」

「え……?」

「すごくぎこちないし、貼り付けたみたいだ。見てるこっちが不安になってくる」

 

 まあ、僕が言えることじゃないんだけどさ、と緑仙は笑った。

 

「僕がクレアたちと合流したころはもうちょっと明るい気がしたんだけど、僕も周りなんかろくに見てなかったからね。ひょっとして聖杯戦争のせいだったりするの?」

「さて、私にはさっぱり」

「そういえばクレアの願いを聞いてなかったね。よかったらでいいんだけど、教えてくれない?」

 

 二人の表情は表面的には軽やかに、しかし二人の間には切迫した緊張感が漂っていた。緑仙が目を伏せ、その睫毛で瞳を覆うと、クレアは場違いなほど軽い口調で切り出した。

 

「そうですね、難しいですけれど、一言で言うとすれば……」

 

 クレアはそこで言葉を区切り、かつての友人がどんな反応をするか、面白がるように緑仙の顔を覗き込んで言った。

 

「全人類の救済」

 

 聞き間違いかと、緑仙は疑った。悪い冗談じゃないかと。クレアの表情を見てもやはり煮え切らない。悪戯っ気のあるクレアの笑みに緑仙は困惑するばかりだった。

 

「はは……。クレア、笑えないよ、それ」

 

 茶化そうとして笑いかけた緑仙だったが、クレアはそれに答えるそぶりもみせない。緑仙は気が重くなるのを感じながらも言った。

 

「ねえクレア、気づいてる? クレアさ、まるで漫画の悪役みたいなこと言ってるよ」

「そうですね」

「そうですね、だって? 本気で言ってるの?」

「ええ」

 

 短く応答するクレアに苛立ちを隠せず、緑仙はついに声を荒げた。

 

「無理に決まってるだろ……! 聖杯なんて所詮、人間の醜い欲で成立する願望機に過ぎないんだよ⁉ そんな、クレアの優しい願い……聖杯に理解できるわけないじゃんか!」

 

 緑仙は縋るような目でクレアを見た。何かの間違いでクレアに自分の言葉が届いて、またいつかのようにただの善人に戻ってくれるんじゃないか、そう願っていた。

 

 クレアは言葉の内容よりも、緑仙が声を荒げたことに少々驚いていたが、やがてはそれも受け入れて、静かに目を瞑って言う。

 

「それでも、何かをせずにはいられなかったんです」

「そうか」

 

 緑仙は俯いた。

 

「もう決めちゃったのか」

「はい」

 

 クレアが頷くと、緑仙も覚悟を決めた表情で顔を上げて、クレアの方へ歩き出した。

 

「悪いけど、その願い、止めさせてもらうよ」

「そうですか、ではこちらも……セイバー」

 

 クレアの呼び掛けに応じ、騎士、セイバーが現れる。セイバーはクレアへの道を塞ぐように進み出た。

 

「まあ、そうなるよね」

 

 緑仙は立ち止らずに、血に塗れた右手を掲げると、クレアに見せつけるように手の甲に付いた血を拭った。

 

「なっ、どうして……!」

 

 クレアは訝しむように目を細めた。セイバーもまた警戒のレベルを上げて軽く身構える。二人の視線の先、緑仙の手の甲には令呪があったのだ。緑仙は叫んだ。

 

「令呪をもって命ずる! 来い、アサシン!」

 

 令呪の魔力が放たれ渦を巻く。セイバーは迎撃の構えをもって渦の中心を注視したが、魔力の渦の中心には誰もいなかった。セイバーは努めて冷静に、視線をめぐらせ敵を探す。セイバーの背には悪寒が走り続けている。歪さなどどこにもないと訴えかけてくる自身の五感に困惑しながらも、セイバーは無意識に、自分の心臓を剣で守った。

 

 轟音が鳴り響く。剣で受けたにもかかわらず、拳の衝撃は剣と鎧を突き抜け、セイバーの体の内にまで届いていた。セイバーは血を吐きながらもその場に留まり、追撃の拳を剣で受け止める。

 

「ほう、防いだな」

 

 セイバーの前には中華服を着た白髪の老人、アサシンが笑みを浮かべて立っていた。

 

「貴公は……なにっ⁉」

 

 セイバーの視界からアサシンの姿が消える。次いで、浮遊感がセイバーの体を襲う。体のバランスを失いながらも敵の姿を捉え、セイバーは理解する。アサシンは地面すれすれまで身を低くしながら体を回転させ、足払いを掛けてきたのだ。アサシンは浮いたセイバーの体に接近すると、無雑作に手を突き出してきた。

 

 セイバーにはそれが攻撃には見えなかった。ただ、そこにあるものを取るために手を伸ばしただけのような……。

 

「は?」

 

 意味も分からずにセイバーの口から間の抜けた声が漏れる。衝撃は無かった。だが、セイバーの体はふわりと宙へ飛ばされていた。

 

 何をされた? どうして私の体が飛んでいる? いや、それよりも……何が狙いだ?

 

 すぐに思い当たり、セイバーは剣に魔力を込める。アサシンもろとも敵のマスターを薙ぎ払おうとするが、次には剣の柄を握る手が緩む。

 

「いない……どこへ……?」

 

 緑仙の姿はどこにもいなくなっていた。再び、あの感覚がセイバーを襲う。歪さなどどこにもない。そう主張するかのような自身の五感。しかし、そもそも歪さがなければ、歪さが無いなどとそんなことを考えるだろうか?

 

 セイバーが目を凝らしたとき、ふっと緑仙の姿が空間上に現れる。緑仙はすでにクレアの手前まで来ており、今魔力放出を行えばクレアまで巻き込んでしまうことは明白だった。

 

 セイバーが躊躇った一瞬で、緑仙はするりとクレアの背後に回り込み、その喉に湾曲した小太刀を当てがった。セイバーは悔しげに剣に込めた魔力を霧散させ、地面に着地する。

 

「すまない、クレア。私の不覚だ……!」

 

 セイバーの前にはアサシンが立っており、その向こう、一直線上にクレアを人質に取る緑仙がいた。位置取りは最悪といってもいいだろう。

 一方、クレアは喉に当たる冷ややかな感触に眉をひそめていた。

 

「緑仙さんは、既に聖杯戦争から敗退したはずでは?」

 

 クレアの問いに緑仙は答えた。

 

「いや、敗退なんかしてないけど? ただ、令呪とか魔力については気を遣ってはいたかな」 

 

 たとえば、こうすれば見えちゃうでしょ――そう言って緑仙は手の甲の令呪をクレアの目の前に持って来る。

 

「でも、こうすると」

 

 緑仙は手をくるりと裏返し、クレアから見えていた手の甲は手のひらへと変わる。

 

「令呪、見えないでしょ?」

「……馬鹿にしているんですか?」

 

 淡々としたクレアの声に緑仙は思わず笑った。

 

「馬鹿になんてしてないよ。めちゃくちゃ大変だったんだから」

 

 訝しむような目で緑仙の手のひらを見つめるクレアに緑仙は説明を繰り返した。

 

「単純に手のひらを隠す以外にも、視線の誘導とか、物を挟んだり、あとは僕の令呪を確認したいって思わせないことだね。自然に自然に。とにかく自然に。何か隠してることがあるなら、まず第一に隠してることを隠さないといけないじゃん……あ、っていっても騙すのはクレアだけで、かなかなはこのことを知ってたからまだ楽だったかな」

 

 同情を誘うように言う緑仙だったが、付け足すように言った言葉に対して、クレアは少し嫌悪感を表に出して言う。

 

「やっぱり、叶さんには裏があるみたいですね」

「そりゃあるよ。人間だもん」

 

 緑仙がさっぱりした態度で言うと、クレアは諦めて状況を受け入れることにした。

 

「そうですか。……それで、望みは何なんですか? まあ、聞かなくてもわかりますけど」

 

 緑仙は脅しのためか、小太刀の側面でクレアの首を撫でつけながら言った。

 

「ふーん、わかるんだ。じゃあ、さっそくセイバーを自害させてよ。それで僕はクレアを傷つけずに済む」

 

 腕にこもる緊張とは裏腹に、どこか安堵したようなその声を聞いて、クレアは寄り添うように緑仙の腕に触れた。クレアは顔を上げる。アサシンはマスターに背を向け、セイバーの動きを警戒している……。

 

「緑仙さんが、今やっていることが正義なんでしょうか」

「……は。なに急に。違うよ、そんなわけないじゃん」

 

 緑仙は調子狂うな、とぼやきつつも続ける。

 

「覚えてる? クレア。 午前中に教会の掃除を終えたあとで、よく中庭でのんびりしてたでしょ」

「ええ、覚えてますよ」

 

 クレアは冷たい声音で言う。

 

「私がああして遊んでいる間にも、救いを求めている人々がたくさんいたというのに」

「へえ、でも僕は救われたけど」

 

 クレアが息を吸う音が渇いた空気の中ではっきりと聞こえた。緑仙は静かに頭の中で言葉を整理し、ゆったりした口調で話しだす。

 

「まだ何年も経ったわけじゃないのに、ずっと昔のことみたいだ……。僕がレジスタンスに入ったばっかの頃は、クレアの教会を潜伏場所に借りてたからね。僕も、あの回廊に囲まれた中庭が好きだったんだ」

 

 緑仙はクレアが自分の話を聞いてることを確認し、次に進む。

 

「今は違うけど、昔のクレアは凄かった。クレアがそこにいるだけで空気が変わるんだよ。風の音が優しくなる。中庭に植えてあった木の、薄い青葉の揺れる音とか、まだ忘れられないんだ。それに人の言葉だって優しくなる。そこにいるだけで優しい空間が出来上がっちゃうんだ。みんなクレアに救われてた。レジスタンスが剣持の奴に解散させられた後、僕はクレアのところに行けばまた戻れるんじゃないかって。委員長がいた頃に戻れるんじゃないかって、そんな期待を抱いてたんだけど……」

 

 言葉の最後の方は緑仙も意図せず小さくなっていって、消えていった。クレアは言った。

 

「もう、委員長はいません」

 

 緑仙は答える。

 

「チャイカとは意見が違うみたいだね」

 

 空気が重くなったのを感じ、緑仙は軽い口調で言う。

 

「とにかく、僕のは正義なんかじゃない。もっと惨めな我がままみたいな……なんて言うんだろう、友だちに対して、そっちに行かないで、っていう個人的な醜い願望さ」

「よく、わかりました」

「うん。っていっても、クレアを友だちだって思えたのはついさっきなんだけどね」

 

 と緑仙は付け足す。クレアは後ろを振り返ろうとして、それを止め、ただ問いかけた。

 

「……その我がままを、自分の命に代えても貫く気ですか?」

 

 緑仙は一瞬考える素振りは見せたが、もう自分の中で決まっていたことなのだろう。緑仙はさほど間も置かず答える。

 

「何もせずに見過ごすよりも、まだ友だちに殺された方が本望かもね」

「そうですか。ねえ、緑仙さん」

「なに?」

「私の友だちでいてくれて、ありがとう」

 

 そうして、クレアは緑背の腕に触れていた手を下ろし、喉に小太刀を当てられているにもかかわらず自身の修道服の腰の辺りに手をやると、その手をゆっくりと持ち上げてみせる。

 緑仙はギョッとした。その手にはリボルバー銃が握られていた。

 

 緑仙が頬を引き攣らせ見守る中で、クレアは自分の体に銃口を押し当て、両手でしっかりと固定した。

 

「――っ! クレアっ‼」

 

 一瞬だけクレアの喉元で小太刀を震わせて、しかし緑仙はクレアから身を解いて離脱しにかかる。だが、リボルバーは轟音を響かせ、発射された弾丸はシスター・クレア、そして緑仙の体を貫いた。クレアを上にして、二人は折り重なって倒れ込んだ。

 

 金色の光に当てられ、緑仙のくすんだ瞳が僅かに動く。緑仙は自分の上に倒れるクレアの体から、柔らかな、粒子のように細かな金色の光が零れ出るのを見た。やがて折り重なった二つの体のうち、クレアだけが起き上がる。

 

 傷口からの出血は止まっていた。傷口には特に金色の光が集中しており、弾丸の貫通した穴も既に治りかけていた。

 

 うわごとのように緑仙が何か呟いているので、クレアは緑仙の傍らに膝を着いてその口元に耳を寄せた。

 

「クレア……綺麗だ……」

 

 緑仙は傷口を抑えて震えていた。クレアは自分の体温が伝わるように、そっと緑仙の手に自分の両手を重ね、言った。

 

「大丈夫です。何も怖いことなどありません。ほら、もう痛みもないでしょう……」

 

 その言葉によって、緑仙の体の震えは止まった。

 

「耳を澄ましてください、風の音が聞こえてくるはずです」

 

 緑仙の口がぽかんと開く。空は暗かったが、緑仙の瞳には青い空と、そして揺れる青葉が映されていた。クレアは緑仙の手からそっと自分の手を離して言う。

 

「緑仙。貴方に、神のご加護があらんことを」

 

 緑仙の呼吸がだんだんと小さくなっていく。そして消えようとしていた最後の呼吸で、緑仙は声を絞り出す。それはあまりに端的な、友への問いかけだった。

 

「クレア、今、幸せなの……?」

 

 クレアは思わず目を見開いて立ち上がった。見ると、アサシンが金色の光に包まれ、座に退去しようとしていた。

 アサシンはクレアを嘲笑するかのように短く笑うと、一転して淋しい表情になる。

 

「なるほど確かに……これは病だ……」

 

 そんな言葉を残し、アサシンは消滅した。

 

 クレアは冷静さを取り戻すと、突っ立ったままのセイバーの方へと歩み寄り、声をかける。

 

「セイバー。今はやるべきことをやりましょう。私たちの理想のために」

 

 クレアはセイバーとすれ違い、歩いていく。

 

「理想、か」

 

 セイバーの視線の先には血に塗れて倒れた緑仙の姿があった。アサシンの声が頭の中で何度も響いていた。

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