剣持の頭上では無数の鳩が輪を描いて飛んでいた。鳩たちはその姿を刃物に変えて一斉に上から降り注ぐ。そして下からはおぞましいオーラを放つ黒い杭が次々と生え出て剣持を貫こうとする。
剣持はそれらを鬱陶しそうにしながらもすべて躱し、刀で薙ぎ払い、最後に脳天に向かってきた刃物を手で払って消滅させると、突っ込んできた赤毛の少年サーヴァント、ライダーの剣をひらりと躱した。
「おっと、危ない。僕に触れないよう気を付けてくださいね」
剣持は刀を鞘に納めると、ライダーの振り返りざまの斬撃を鞘のまま受け止めた。
鍔迫り合いのさなか、ライダーが緊張感をたたえた笑みを浮かべて言った。
「ねえ、聞きたいことがあるんだけど」
「なんですか?」
「その虚空って奴? 剣だけじゃなくて全身を覆ってるんでしょ。じゃあ、なんで僕らとこうして遊んでるわけ?」
ライダーはステップを踏み、遠くの安全圏から半身を切ってスピード重視の斬撃を剣持に浴びせていく。が、剣持はいちいちそれを鞘に納めた刀で弾いた。ライダーはおかしそうに笑った。
「本当だったら、そんな風にいちいち守る必要も無いわけでしょ?」
「ああ、それは剣の修行のためです。あとはまあ、僕自身、虚空を信用していないっていうのもあるわけですが」
「あっそ、じゃさ、虚空は自分の身を守る鎧だとしても、触れたものを消し去る攻撃手段でもあるそれを全身に纏っちゃったらさあ、物に触れなくない? いくら戦闘中とはいえ不便でしかたないんじゃないの?」
そう言ってライダーは力任せに剣持の刀を弾く。ライダーは二度、三度と追撃の剣を振るい、四度目で気合一閃、剣持を弾き飛ばした。
ライダーは瞬時に距離を潰すべく身を低くして突進、そのさなかに片手で地面の土を掴んで剣持の方へ投げつけた。
土は、剣持の体に触れる間際に消滅する。ライダーは鼻で笑って再び剣持に斬りかかる。
「どうかしてるよ」
剣持は恐らく本気でもないライダーの攻撃に応じながら答える。
「なるほど確かに。でも、物にはちゃんと選んで触っていますよ」
二人の攻撃は真剣に相手の命を狙うものではない。どちらかといえば、お互いの動きを引き出し合うキャッチボールに近い形に変わっていく。どちらかがやめない限りこのキャッチボールは続くのだろう。
「僕にとってこの世の中はシンプルなんですよ」
そう剣持は述べる。
「この世の中にあるものは幾つかに分類できるんです。触れたくないもの。触れられたくないもの。触れる必要のないもの。そして、触れなくてはいけないもの……まあ、最低限触れないと生きていけないもろもろですけど。それと、触れてはいけないもの。最後に、触れても消えやしないもの」
剣持の剣を受け流すと、ライダーは納得して言った。
「なるほどね。全部消えちゃえばいいってわけじゃないんだ」
剣持は頷く。
「虚空とは、存在の生じる前には既に在り、存在の痕に満ちるもの。世界に偏在し、生きとし生きる全ての生命に付き纏う母なる海。たまに振り返って虚空の存在を認め、自らの生に力を与えてもらうのもいいでしょう。しかし、直視しすぎては気づいてしまうのです」
剣持はライダーの目をしっかりと見つめて言う。
「世界の軽さ、存在の空虚さというものに」
ライダーの上段からの斬撃をしっかりと受け止めて、剣持は続きを言った。
「虚空に触れれば虚空は容赦なくちっぽけな存在一つ容易に飲み込んでしまう。虚空が全てになれば生も意味も立ち行かない。ま、ほどほどがいいんですよ、何事も。全てに触れる必要も無い。僕にとって虚空とは、この辛い世界から身を守る盾でありながら、この辛い世界を生きるための武器でもあるわけです」
話は終わったのだろう。剣持が刀を抜こうとするかのように鞘に手を掛ける。ライダーは目を見開いて叫んだ。
「
ライダーの持つ剣から稲光が巻き起こる。剣持との刀の鞘との間に爆発音をさせてライダーは剣を振り抜き、剣持を吹き飛ばす。剣持は何の問題もなく着地すると、ライダーを称えるように口笛を吹いた。
「いや~、いいですね。なんといっても思い切りがいい! どこかのアーサー王とは大違いだ!」
それを聞いてライダーは苦笑する。
「あははは……あまり彼女を責めないであげてよ。彼女は完成してるからね。完成したものを愛して、守りたくなっちゃうんだ」
でも……とライダーは続ける。
「僕には完成なんてありえない。きっと、そういう宿命なんだろうね。部下も国も顧みずに、叶わない夢を追い続けるだけさ」
黙って聞いていた剣持だったが、やがて首を横に振って言う。
「また思ってもないことを。僕にはわかりますよ……あなたのその目、叶わないだなんて欠片も思ってないじゃないですか」
ライダーの背後から、地面から生え出る黒い杭の列が迫っていた。ライダーは軽い笑みを浮かべて肯定した。
「ふふっ、まあね」
杭の列がライダーを避けて二つに分かれ、剣持へと迫る。剣持は刀の柄に手を掛けた。居合の構え。同時に、それを見たライダーも剣持に向けて走り出す。
突き進む二つの杭の列は剣持の手前で合流し、大きな奔流となって勢いを増す。その瞬間に、剣持は抜刀する。
その刀に触れた杭の先頭は音もなく消え去った。しかし、その一撃はそこで終わらない。居合の斬撃は前方へと突き進み、杭の列は次々と消滅していく。二つの杭の列の間を走るライダーは、前方の杭が消えていくのを見て冷や汗を流しながらも、その顔には戦闘狂めいた笑みがこぼれていた。ライダーは足を止めない。杭の消滅はライダーのすぐ手前まで迫っていた。
ライダーは歯を食いしばると、走る勢いを止めずにスライディング、体を思いっきり寝かせて足を強く蹴り出し、地面に腕を擦りながら、見えない斬撃の下を潜り抜けた。
上手くいった! とライダーは強張った表情を崩した。ライダーは腕で地面を押し込んで体を起こし、勢いそのままに大ジャンプ。空へと舞い上がった。
頭上を見上げた剣持を不敵に見下ろし、ライダーは言った。
「お返しだよ!」
ライダーがその剣を剣持に向けると、剣から一筋の雷が放たれる。剣持は大きく飛び退いて雷を躱し、そのまま森の木々の中にまぎれようとする。着地したライダーは目で剣持を追いながら、剣を空へと掲げて叫んだ。
「ゼウスよ!」
黒雲から幾筋もの雷光がライダーの剣へと降り注ぐ。ライダーは剣を両手で構えると、剣持を追いかけるように、剣を大きく横薙ぎに振るった。
「らあぁぁぁぁ‼」
雷の束が森を駆け巡る。後には火花を散らして燃え上がる木々が残されていく。
「まったく、サーヴァントってこんなんばっかですか……」
ライダーを中心として放射される雷に追われながら、剣持は愚痴をこぼす。ライダーを中心とした円周上を逃げていたが、それでも少しずつ、円の中心へ近づいていた。
剣持は舌打ちをして跳び上がる。狙いすましたタイミングで剣持の足元から黒い杭が生えてきたのだ。
「オッケー、そこなんだね」
小さく呟くと、ライダーは剣を翻し、雷電を放射する。剣持は空中で刀を構え、雷電を受け止めた。
「何かと思えば……」
セリフの途中で気配を感じ、剣持は振り返る。振り返って、その表情を苦々しく歪めた。剣持の背後にはドレスの上に鎧を纏った騎士、セイバーが立っていた。
「ああ、おめでとう。これがゲームなら僕の負けですよ」
剣持は余裕を崩さない。セイバーもまた剣持の調子に合わせるように挑発的な笑みを浮かべて言う。
「案外、ゲームでは済まないかもしれないぞ」
そうして剣を構えるセイバー。来るか……! 剣を振り抜いてライダーの攻撃を防ぎきると、剣持は背後に意識を集中した。しかし、
「は、何を……」
セイバーがさっと横にはけた。セイバーを目で追っていた剣持はその意味を探ろうと、セイバーが立っていた場所へ目を戻す。そのとき、重い銃声が鳴り響いた。
「よっしゃー、ワンダウン!」
喜び勇んだ声とともに羽根を広げて葛葉が飛んでくる。葛葉はセイバーの横に着地すると、体をのけぞらせて動かない剣持を見てにやにやと笑った。
「モチさーん……! 元気っすか? いやー、待ち焦がれたっすわ、この瞬間を」
肩の上でアサルトライフルをぽんぽんと跳ねさせ、葛葉は言った。
「前の時はたくさんの贈り物を頂きましたからねェ。少しはお返し、できたんじゃあないですか?」
ん? ん? と葛葉は返事を促すように耳をそばだてるが、剣持は何も言わない。それでまた葛葉は爆笑するのだった。
「ふっ、やったか……」
葛葉の足元の地面から花畑チャイカが姿を現す。
「いやいや、チャイカは何もしてないじゃん」
駆け付けたライダーがツッコむと、チャイカは気まずそうに目を逸らして言い訳し始める。
「違うんだ、聞いてくれ。俺は地中から奴を狙っていた。もうちょっと、あとほんのちょっとのところで奴の隙を突けるかというときに、地中でバーサーカーの杭にかすってしまってな。恐慌状態に陥っていたんだ」
「え、初耳なんだけど⁉」
ライダーは意外なところから迫っていた聖杯戦争敗退の危機に目を白黒させる。チャイカは弛緩しかけた雰囲気を切り替えるように咳払いをして、再び注意を剣持に向ける。
「それで……本当にやれたのか、これは」
「ああ、間違いなく脳天に――」
「葛葉さん、止まって!」
剣持の方へ近づこうとしていた葛葉をライダーが呼び止めた。
「ああ? なんでだよ、弾は確かに当たって……」
葛葉は違和感を覚え、目を凝らす。仰け反った剣持の額には妙な渦が生じていた。空虚で、歪んでいて、重い水のような、それでいてゆっくりとして音もない静かな渦。弾丸は渦の上でピタリと止められていた。
葛葉が警戒しながら一歩後ずさると、突然、渦の中から人差し指が現れる。どうやら、その人差し指が弾丸を止めていたらしい、弾丸はあまりに軽くその指先に乗っていた。次いで、少し長めの爪の生え揃った手が、袖口が朱に染まった黒い羽織を纏う腕が伸びてくる……。
みな、剣持の額から出現したその人物から目を離せないでいた。男は薄い茶の髪を長く伸ばし、頬には朱い印を刻む。耳には勾玉の耳飾り、首にも同じく勾玉を連ねた首飾りをぶら下げ、その目は獣みたく、金色の虹彩の中に黒い瞳孔が縦に引き延ばされている。
「狐……?」
チャイカが首を傾げる。
ファッションなのだろうか、男の頭頂部の髪は二つの膨らみを持ち、それが獣の耳のように見えたのだ。男の纏っている雰囲気も相まって、チャイカの言う狐という言葉はこの場にいる全員に自然と腑に落ちた。
額から男が出現すると、剣持は地面の上に倒れた。男はそれを見下し、腰に手を当てて片足に重心を寄せ、楽にして立つ。男は周囲の敵、そして周囲の森の惨状を見て、感心したようだった。
「へえ、刀也さんをここまで……。なかなかやるじゃないっすか、あんたら」
そこで、剣持が呻き、咳き込んだ。
「おやあ、刀也さん。もう目覚めちゃうんすかぁ? いいんですよ、別に。もうちょっと寝てて」
剣持は目を開く。やや息を荒げながらも体を起こして座る体勢になった。
「ほざけよ……。ガクくんが出て来なくても僕一人でなんとかなりますよ」
「ええ、そうっすか? 今のはけっこう、やばかったと思いますけどねえ」
そう言って男は座っている剣持に弾丸を放って寄越した。剣持は弾丸をキャッチすると、目を細めて舌打ちした
「そうか、虚空を埋められるほどの祈りとは……腐っても聖女というわけですか。しかし、殺すためにこうまで祈れるなんて、まったく、まともじゃない!」
剣持はセイバーの背後に立つシスター・クレアを憎々しげに睨みつける。
「おい……おめえ、誰だ?」
葛葉が男に声をかける。男は「え、自分すか?」と確認すると、太陽のように明るい笑みを浮かべ、ピースサインを作って言う。
「ピーッス、伏見ガクっす。サクッとガクって読んでくれよな。どうぞよろしく!」
場にそぐわない軽さであいさつし、周囲を呆然とさせておきながら、その男、伏見ガクは剣持の方へ手を差し出す。
「……何ですか、その手は」
「何って、いつまでも座ってるわけにはいかないでしょ?」
剣持は差し出された伏見の手を見つめ、そして自らの手のひらを見つめると、ためらいがちに伏見の手を取った。
ぐっと伏見は剣持の体を引っ張って立ち上がらせた。伏見は剣持の持っている刀を見て、にやりと笑う。
「じゃ、自分も刀也さんに合わせて……っと」
伏見の手に現れたのは、剣持の黒い刀とは対照的な刀身が白い光に包まれた刀だった。
刀を片手にぶら下げ、へらへらとした笑みを相手に向ける伏見の横に、剣持は肩を並べると、独り言のように小さく言った。
「あんまり遊んでると火傷しますよ」
「わかってますって。じゃ、存分に楽しむとしますか……!」
伏見が腕を広げ、刀を夜空に掲げると、剣持もまた動き出した。