バーサーカーの背後に降り立った葛葉は目を疑った。
バーサーカーは全身に傷を負って満身創痍、槍に体を預けて立っているありさまだった。
「兄さん……やばいのか?」
バーサーカーは答えなかった。敵が潜んでいるであろう、木立の暗がりから目を離そうとしない。
「おい呪いは……呪いは大丈夫なのかよ」
これにも答えてくれないのかと葛葉は不安になるが、バーサーカーは間をおいて答えた。
「……この心と体に降りかかる呪いなど、我が呪いで上書きした。おかげでおぞましい悲鳴ばかり聞こえるが、お前の声なら何とか聞き分けられる」
「そうか。そんで叶が言ってたんだけど、アイツには神性が宿ってるらしい。俺たちの体を蝕む呪いはきっとそこから来てる。気を付けてくれよ」
忠告を聞いて、バーサーカーは億劫そうに月を見上げた……葛葉にはそう見えた。
「なるほどそうか。だから我々の攻撃も奴を冒す毒となる……。色々と合点が行った。だが、もはや問題はそれどころではなくなっている」
そこで言葉を区切って、バーサーカーは振り返り、体ごと葛葉の方に向けた。
「なんだよ、それ……」
葛葉の顔が歪む。背後からではわからなかったが、バーサーカーの上半身は焼け爛れ、黒く焦げ付いていた。それらの中心には、一際酷く、胸元を横切るような一筋の焼け痕があった。横薙ぎの一太刀を掠めたらしい、そこは抉れるように炭化し、端の方から灰が風に運ばれ削られていく。バーサーカーは自虐するように笑う。
「余も焼きが回ったものだ。奴に対して相性がいいなどと……とんだ戯言であった」
言葉に詰まる葛葉を置いて、バーサーカーの見ていた暗がりから伏見ガクの声が聞こえてきた。
「別に、それ自体は間違ってないと思いますよ? オタクの攻撃に籠ったあらゆる負の感情は、俺に対して確実に毒でしたし?」
伏見ガクは刀を地面に擦りながら歩み出てくるが、よく見ると刀の先端は地面の影の中に沈み、影は刀のあとに滑らかな波紋を引いていく。伏見は刀を振り上げると、自身の顔の前に翳して言う。
「ま、それがどうしたって感じですけどね」
伏見は翳された刀身を二本の指でなぞっていく。すると、伏見の指の後から刀身が炎に包まれ、燃え盛り始めた。
「あの炎は……」
葛葉は自分が無意識に後ずさっているのに気付き、踏みとどまる。同時に、バーサーカーの傷が治らない理由も理解した。バーサーカーが後をついで言う。
「ああ。概念上、太陽そのものだな……」
伏見はその場で目を瞑り、舞うように刀を振るう。刀が纏う炎に照らされ影のように浮かび上がる、伏見ガクの黒い羽織、耳に吊るした勾玉が、残像を描きながら陽炎のように揺れていた。伏見ガクは舞の最後に刀を葛葉たちの方にまっすぐに向けた。その刀身の先に溜まっていた黒い液体がしたたり落ちる。油なのだろうか、液体は炎を帯び、森の暗闇を照らしながらゆっくりと地面の影の中へ落ちていく。
その炎が影に触れたところから、炎は地面の上を広がっていった。
「はぁ⁉ ふざけんじゃねえよクソッ……」
その場に留まって悪態をつきかけた葛葉をバーサーカーが上空に連れ出した。
先ほどまで葛葉とバーサーカーの立っていた場所は元より、一帯が炎に包まれていた。妙なことに、炎は木々を燃やしはしなかった。炎は夜空を照らして静かに燃えていた。
「話になんねー! 相性が悪すぎる」
もはや呆れるよりほかになく、葛葉は投げやりに言った。
「ま、他のマスターに任せりゃいいか。さっさと撤退しようぜ……おい、どうした兄さん?」
葛葉は羽根を広げて上空へ飛び去ろうとするが、バーサーカーはその場を動かなかった。バーサーカーは忌々しいと言わんばかりに敵を睨みつけて言った。
「手遅れだな」
葛葉が不審に思うのも束の間、葛葉の頭上に影は広がり、そこにもまた炎は広がっていく。
「マジかよ……」
葛葉は茫然と呟く。二人の頭上を覆った炎は地上の炎と鏡写しのように夜空一面で燃えていた。そして、空を飛ぶ二人を圧し潰すかのように、燃える炎を割って、アーチ状の巨大な橋が逆さまに降ってくる。
さらに、地上からも、一面燃える炎を割って、巨大な橋が隆起してきた。二つの橋の欄干が重なり合い、牢の格子みたく二人を上下から閉じ込めてようやく、二つの橋は重い軋み音を立てて止まる。
上を見ても、下を見ても、木製の巨大な橋があった。前と後を見ても橋は波打ちながらどこまでも続く。欄干の合わさった格子の外で、天と地に鏡合わせにまたがって広がる影は夜池の暗い水面のようであり、それらはやはり、炎の海と化していた。
葛葉には状況が整理しきれなかった。きっと、重力がなければ天地の見分けもできなかっただろう。二つの橋の間で葛葉とバーサーカーの二人は羽根を広げて浮かんでいた。
葛葉の思考を割って、乾いた足音が橋の向こうから聞こえてくる……伏見ガクだった。
バーサーカーが橋の上にすっと降り立ったのを見て、葛葉もまた橋の上に降り立ち、歩いてくる伏見ガクを待ち受けた。
「どうです? そら、なかなかの眺めでしょう?」
一片の曇りのない笑みで伏見ガクは手を広げて見せる。橋の上に広げられた羽織りの影が落ち、刀のまっすぐな線がどこまでも伸びていく。
「固有結界……」
バーサーカーの呟きに、伏見は「お!」と表情を明るくした。
「ですです! いやあ、あんまし使いたくなかったんですけど、つい流れで。ま、こんな機会じゃなきゃ使うこともないですし。たまにはパーッと、派手に行きましょうや」
伏見ガクは目を細めて笑う。バーサーカーは検分するように辺りを見回して言った。
「それにしても、どこに繋がりもせぬ橋とは……全く役に立たんな。お前は神か、あるいは神の使いなのであろう? その恰好からも派手派手しく祀られているものと想像していたが」
伏見ガクは少し邪険にバーサーカーを見つめた後で、首を横に振った。
「昔のことはともかく、今の俺には関係ないんすよねえ、それ。」
感傷的な目で欄干の向こうに広がる炎の海を見る伏見ガクを、バーサーカーは切って捨てるようにして鼻で笑い、言った。
「惨めな奴め」
伏見ガクもまた、感傷を振り払って笑う。
「それは言っちゃ駄目なやつっすよ?」
伏見は炎に包まれた刀を大きく振り上げると、腰を落として踏み込む構えを見せる。
「奴の背後に回り込め」
「は? いや、回り込んだところで…」
バーサーカーの指示に反発した葛葉に対して、バーサーカーは粛々と言った。
「努力せよ」
葛葉が一歩後ずさるのと同時に、伏見ガクは飛び上がって二人に斬りかかった。
葛葉は思わず後退しそうになるが、踏みとどまって前に出ることで何とかその一撃を躱すと、手に持っていた剣を振り翳す。が、伏見の一撃を最小限の動きで躱したバーサーカーが槍を振り回すのを察して床に伏せ、そのまま伏見の足を切り払おうと剣を振るった。
伏見ガクはバーサーカーの槍をかがんで躱そうとしたようだったが、背後の葛葉をちらりと見ると、飛び上がって空中で体を横倒しにし、首を狙ったバーサーカーの槍と足を狙った葛葉の剣を同時に躱した。片手で床に着地した伏見はブレイクダンスみたく低いところで回転し、その勢いで低く剣を振り回した。
「よっとぉ! ヒャーッハッハ!」
葛葉とバーサーカーは同時に飛び上がって剣を躱し、距離を取る。伏見は着地し、迷うことなくバーサーカーに向けて駆け出した。
出遅れて葛葉はその背を追いかける。
「俺には簡単に背を向けられるってか? 後悔させてやるよ」
伏見ガクは相変わらずの優雅な体捌きと突拍子もない大振りでバーサーカーに襲いかかるが、バーサーカーはそれらを丁寧にいなしていく。バーサーカーのアイコンタクトを受け、葛葉は頷き、羽根を広げた。
大上段から振るわれた伏見の剣を、バーサーカーは顔の前に構えた槍で受け止めた。
「そらそらぁ!」
伏見の気合で刀が纏っていた炎が大きく膨れ上がる。眼前に迫る眩い炎に目を細め、上体を軽く逃しながらも、バーサーカーは槍を持った両手を緩め、指先の全てを伏見に向けた。
「んー……。その指、ちょぉっとだけ不愉快かもな。切り落としたほうがよくないですかぁ?」
「やるがいいさ」
バーサーカーが言うと同時にその五指が硬質化して伏見の方に鋭く伸びた。
伏見は上から振り下ろしている刀に、そして刀を受け止めているバーサーカーの槍に、完全に体重を預け、その体も軽く、ふわりと浮き上がった。胸を反らしてバーサーカーの指の上をいった伏見は、まるで重力が反転したかのように頭上の橋の上に降り立った。
しかしそこには先回りした葛葉がコウモリのように羽根を畳んで立っていた。
背後の気配に素早く反応し、伏見は咄嗟に自分の心臓を守るように、刀を体に添わせる形で前に突き出した。
それで葛葉の剣は逸れ、伏見の脇腹を軽く切るにとどめた。
「痛え!」
言葉とは裏腹に浮かべられる笑み。葛葉はそれを気味悪く思いながら二度、三度と剣を振るう。
不意を突いた一度目とは違い、伏見の刀は余裕をもって葛葉の剣を受け止めていく。
鍔迫り合いのさなか、眼前で燃える刀の炎に全身の細胞が恐怖するのを感じ、葛葉は顔を歪めた。思わず目を背けた葛葉は、下でバーサーカーが銃の形を真似た指をこちらに向けているのを見た。
葛葉はにやりと笑うと、力任せに伏見に対して剣を押し込み、伏見を突き飛ばす。
「うわっ、とと……」
伏見はバランスを崩されたように装いながらも、無理に踏ん張らずに距離を取った。
そこへバーサーカーが銃口である指先から連続で爪を打ち込んだ。太い銃声というよりは、細く空気を切っていく高い音が幾度となく鳴り響く。
伏見はやはり素早く反応して刀を振るい、弾丸の内の何発かをその炎で呑み込んだが、一発が伏見の右腿を貫いた。
「ぐおっ⁉」
伏見は崩れかかかるが、歯を噛みしめ、背後から斬りかかろうとする葛葉を刀の炎で遠ざける。伏見はつんのめりながらも敵二人を視界に入れる位置まで逃れ、片膝を着いた。
「痛えって、ほんと……呪いっつーか、穢れの塊かよ」
伏見は足の調子を確かめながら、苦しそうに言った。
「オタクら、意外と相性バッチリっすね」
伏見は目線を動かして敵二人の顔を見るが、二人は緊張を切らさずにじりじりと隙を伺っているようだった。
「もう遊んでる段階でもないか……卑怯とは言うなよ?」
伏見はゆっくりと立ち上がると、刀を逆手に持ってその手を下ろし、刀の先端を橋の表面に触れさせる。すると橋の表面が水面のように波打った。伏見は無表情で、突き刺すかのように刀を橋へと沈めた。
「なに……?」
バーサーカーが訝しげに見るのも束の間、バーサーカーは素早く体を反転させて何かから逃れようとする。
伏見が橋に沈めた勢いそのままにバーサーカーの足元から炎に包まれた刀が出現した。
バーサーカーが動いていなければ、足の裏から膝の上あたりまでを貫いて消し炭にしていただろうその刀は、バーサーカーの腿のあたりを軽く炙って再び橋の面へと沈んでいった。
葛葉とバーサーカーに見つめられ、伏見は照れ臭そうに笑った。
「まだまだこんなもんじゃないんだぜ? ま、楽しんでいってくれよな……!」
伏見はそう言うと、その姿を影に変えながら橋の中に沈んでいった。