葛葉はその場にしゃがむと、倒れたバーサーカーを見下ろした。
「葛葉……」
叶が葛葉の元へ駆け寄ろうとするも、葛葉は制止する。
「お前はいいから、気にすんな。俺もすぐ戻るから……。お前は先に行ってろ」
叶は立ち止ると、葛葉のことを気にしながらもその場を離れていった。
葛葉は膝を着く。バーサーカーの薄く開かれた目がゆっくりと葛葉に照準を合わせた。
「馬鹿め、お前もさっさと行け」
吐く息に乗せられただけの、掠れた声。葛葉は尋ねる。
「叶のこと嫌ってただろ。どうして助けようとした?」
バーサーカーは葛葉から目線を外し、空を見つめ始めた。暗い森の空。木々は焼き払われて、開けて見える星の空を。
「お前が羨ましかった」
バーサーカーは途切れそうな声で言う。
「お前から、奴を奪ってはならないと思った……」
バーサーカーは咳き込んだ。喉元は焦げ付いていた。胸の大穴から肉や骨が、内側からどんどん灰と化しつつあった。そして、灰は光りの粒子へと変わり、バーサーカーの体全体を包み込む。バーサーカーは虚ろな表情の中に、少しだけ悔しさを滲ませて言った。
「お前といる間、考えざるをえなかったのだ。余にも信頼できる友が、そばにいてくれさえすれば……余の生涯は、もっと」
葛葉は俯いて聞いていたが、次第に肩を震わせ、ついには手のひらををガッと開いて言った。
「俺がいる!」
バーサーカーの目が葛葉の表情を捉えようとして弱弱しく動いた。葛葉は言った。
「そうだ、俺がいる! アンタが救った叶だっている! まだまだこれからじゃねえか……。これからだっていうのに……早すぎるよ……」
バーサーカーの目に一瞬だが光が戻る。震えていた口元が緩み、落ち着いた笑みを湛え始める。
「葛葉。お前と、出会うことができたのだ。礼を、言わなくてはな」
バーサーカーの細められた目蓋の内、光のない瞳には自分のために感情を剥き出しにした葛葉の姿が映し出されていた。そして、バーサーカーは言う。
「友として……あるいは、吸血鬼として」
バーサーカー、ヴラド・ツェペシュは瞳を閉ざし、光の中に消えていった。
〇
「うぉおおお⁉」
伏見ガクはまるで重さを感じていないかのように滅茶苦茶に振るわれる鎌からバックステップで逃げていた。伏見の手に刀は握られていない。刀は、鷹宮リオンが反撃で繰り出した一撃を受け止めようとした際、綺麗に斬り裂かれた。
今、鷹宮リオンは浮遊し、伏見の後退するスピードに軽々ついて来る。きっと悪魔の力だろう。鷹宮の肩にしがみついている悪魔、でびでび・でびるの眼は青色に発光しており、鷹宮リオンの体は同じ青色の光に薄く包まれていた。
鷹宮が指で何かを弾く。まっすぐ顔に向かって飛んでくるそれを、伏見は顔を逸らして躱す。それは小粒の宝石だった。宝石が燃え上がり、爆発する。
「のわぁっ⁉」
吹っ飛ばされた伏見は木に叩きつけられた。
体から煙を立たせて、伏見ガクは木にもたれ、座り込んだ状態で虚空を見つめた。
汚れはしたが、ダメージは無い。気がかりなのは宝石よりもあの鎌のことだ。たった二回ではあるが、伏見は刀を通してあの鎌に触れた。そのときの記憶を手繰り寄せ、違和感を解消したかった。
そうだ、と伏見は思う。あの違和感には覚えがあった。近いのは……剣持刀也の虚空。だが、虚空はもっと受動的だ。虚空はただそこにあるものを無機質に吞み込んでいくだけ。だが、伏見はあの鎌から積極的な意思めいたものを感じていた。攻撃的で、その存在を許してなるものかという、苛烈な意思を。
「ガッくんせんぱ~い」
名前を呼ばれ、伏見は頭上を見上げた。伏見の頭上の枝から魔使マオがこちらを見下ろしていた。
「おやおや、マオちゃんもこっちっすか? ……うん、さすがにバランス悪くない?」
「文句は本部の人に言ってください」
「あー、むぎっち……。でもこれはなー……ちょっと、判断を誤ったかもなぁ」
伏見は呆れた様子でマオのさらに上空を見上げた。そこにはそれぞれ戦場の様子をモニタリングするドローンが滞空しているはずだった。
「……どういうこと?」
と魔使が尋ねる。伏見は悟ったように答えた。
「現場の混乱を正確に把握するのって難しいんですよね、まあわかります」
「ふーん、よくわかんないけど、さっさとこっちを片付けて戻ればいいってことでしょ? 楽勝じゃん!」
そう言って枝から飛び降りた魔使に、伏見の表情は青冷めていく。
「いや……ちょっと待って。マオちゃん、ステイ!」
「よし、いっくぞー!」
伏見の言葉を聞かずに魔使は駆け出し、身構える鷹宮リオンとでびでび・でびるに対峙する。
魔使は二人を見ると、腕を組み、大きな口で笑う。
「ふっふっふ。同郷のよしみで教えてあげますけど、悪魔が聖杯に願いを託そうだなんて、絶対いいことないんで止めといたほうがいいですよ」
悪魔はそれを聞いてむすっとしながらも尋ねた。
「……お前誰ぇ?」
「僕は使い魔の魔使マオ! あ、二人とも自己紹介はしなくていいんで! 残念だけど、僕、君たちのこと知ってるんだよねえ~」
「……それで?」
勿体ぶるような口ぶりの魔使に続きを促す鷹宮。魔使は馬鹿にするように笑って言う。
「君たちの映像を見せてもらったんだ~。ケルベロスが怖くって二人して丸まってましたよねぇ。いや~、見てるこっちまで恥ずかしくなったなぁ~。聖杯戦争で争ってる敵の背中に隠れるなんて!」
話を聞いていた二人の間に殺伐とした空気が流れ始めた。鷹宮は冷静な口調で尋ねる。
「……つまり、あなたの強さはあのケルベロスよりも上ってこと?」
「え、いや、それはちょっと話が違うっていうか……まあね、うん。いやあの! 僕が言いたいのはそういうんじゃないんですけど! そうじゃなくて、君たち、あんなんじゃ僕にはぜったい勝てないってこと! ……わ、わかりましたぁ~?」
「そ、よくわかったわ」
そう言って鷹宮は鎌を構えて魔使の方に歩き出す。
鷹宮からただならぬ圧を感じ、ひっ⁉ と肩を震わせた魔使は、今のは気のせいだと切り捨てて魔術の発動を準備する。
魔使は大きく口を開く。その口の中に魔法陣が現れ、光り輝いた。
「喰らえっ! 僕の必殺魔術!」
鷹宮は異変を感じて立ち止った。そして、魔使の口から大量の石油が吐き出される……。
泥のような石油の濁流が木々を押し流していく。鷹宮とでびるも石油の波に呑み込まれ、辺りは油の匂いに塗れた。
「これ、火とかつきません?」
魔使の隣に歩みたった伏見が尋ねる。
「あー、つけるだけなら……。伏見先輩ならどうなんだろう、ガスとかが出てれば大爆発とかはするのかなぁ?」
ふーん、と伏見はどうでも良さそうに相槌を打つ。伏見は石油塗れになった辺りを眺めていたが、その眼で何かを捉えたのか、頬を引き攣らせた。
「どーする、魔使」
「ん、何がですかぁ?」
意味が分からず、魔使は伏見を見上げた。魔使は、伏見が続けて言ったことが信じられなかった。
「一緒に逃げちまうか?」
「……え?」
そのとき、石油の海から赤い球体が勢いよく浮上した。
鷹宮とでびるは宝石の防御壁に守られながら浮遊し、二人を見下ろしていた。
「くぅ……‼」
魔使が左右に両手を広げると、ひとつなぎの切り絵が次々と広がっていくように魔使の分身たちが出現する。
「認めない! 認めたくない!」
魔使たちが駆け出し、中空の鷹宮とでびるに向けて飛び掛かった。
鷹宮はそれを見ても表情ひとつ変えやしない。ゆっくりと両手を広げると、防御壁の外側に幾つもの宝石が現れる。宝石は青い光を帯び宙を舞っていた。鷹宮が唱えると、宝石はそれぞれが眩い炎を帯び出し、炎は宝石から溢れ、宝石間を結んでいくように空中を燃え走って星座のような線を描いた。
「おいおい、いったい何になるつもりだぁ?」
見上げていた伏見ガクは目を細めて呟く。
鷹宮がさらに唱えると、宝石たちは妙な軌道を描きながら魔使たちに向かっていった。
次々と爆発が巻き起こる。魔使の分身たちは悲鳴をあげながら消し飛んでいき、逃げようとした者も追尾してくる宝石に追いつかれて消えていく。
「くそぅ、あいつぅ……!」
魔使の睨む先には鷹宮の肩から顔を出すでびでび・でびるがいた。でびるの目は青い光に包まれていて、宝石を操作しているのは明白だ。その目がきょろきょろと動き、やがて魔使本体の方に向かう……目が合った。
分身たちを追っていた宝石たちは空中でピタリと停まると、方向を変え、魔使めがけて一斉に飛んでくる。
「や、やばいっ……!」
魔使はたじろいだ。そんな魔使に伏見が呼び掛ける。
「魔使こっちだ!」
伏見は胸の前で高密度の炎を練り上げていた。
「せ、先輩!」
魔使は大急ぎで伏見の背に隠れて縮こまる。伏見は飛んでくる宝石を見据え、前方に向けて練っていた炎を解放する。
深紅の炎が放射状に広がっていく。巻き込まれた宝石は次々と爆発を起こし、消えていった。それを見た魔使は「よし!」とガッツポーズするが、爆風に煽られながらしっかりと立っている伏見は冷や汗を流す。
爆風の向こう側に幾つもの防御壁が出現し、炎が塞き止まった。浮遊する宝石は防御壁を次々と展開して、自陣を増やしながらゆっくりと伏見たちの方に迫っていた。
「なんでもありかよ……!」
吐き捨てるように伏見が言う。新たに鷹宮の撒いた宝石たちが、防御壁をすり抜けながらこちらに向かっているのが伏見には見えた。
「潮時だ。マオちゃん、ここは俺一人でいい」
「え、でも……。あんなの、どうやって」
「俺一人なら影でいくらでも逃げまわれる。向こうを片付けて剣持刀也を連れてきてくれ……!」
魔使は逡巡するが、だんだんと距離を詰めながら展開する宝石の防御壁を見て、自分が邪魔なのだと気づいた。魔使は悔しそうにしながら言った。
「わかりました。向こうに戻ります……!」
「ああ、頼むぜ!」
駆け出す魔使を見送ると、伏見はため息をついた。
(むぎっちらしくない……。向こうは向こうで混乱してんのか?)
伏見は炎を胸に収め、影の中に身を隠す。地上の爆音を聞き流し、影の中を移動しながら、伏見は空中の鷹宮とでびるを見ていた。
やっぱり、見えてるなぁ……。
悪魔の力だろう、鷹宮が影の中の伏見から視線を外すことは無かった。鷹宮が空中から宝石を地面に撒き、落としていく。影の中に潜む伏見は加速し、宝石を避けていくが、意外にも宝石は爆発せず、石ころのように地面の上に転がるだけだった。
いったい何が……。不審に思った伏見は探査の魔力を飛ばし、そして苦々しい表情を浮かべた。
地面に撒かれた宝石はそれぞれが結界を展開していた。探査の魔力は宝石の結界に弾かれた。悪魔の魔力を強烈に発する結界だった。伏見はあの結解を超えて行き来することはできないだろう。鷹宮は宝石を方々に放り、伏見を大きく囲うように結界を展開し始める。
「わかった。わかりましたって……。逃げない。俺、逃げないからさ。それはやめてくんないかな?」
お手上げとばかりに両手を広げた伏見が影から出現する。鷹宮は伏見は見下ろし、ゆっくりと地上に舞い降りた。
「オタクらマジで何もんだよ。人の願いを叶えるふざけた動画配信者って聞いてたんだけどなぁ」
「あー、それは間違ってないんじゃない? ね、でびちゃん」
「んー。契約者の願いを叶えるのはよき悪魔の務めだからな」
帰ってきた答えにふーんと相槌を打ちながら、伏見ガクはタイミングを計っていた。
「願いかぁ。ちなみになんだけど、今からでも俺の願いとかも、叶えてもらえたりとか……しないっすよね?」
「いいよー!」
「ですよねぇ、さすがに今から入れる保険なんて……え、いいの⁉ いいって言いました今?」
「もっちろん! 動画配信サイトの僕たちのチャンネルを登録するんだ。それで僕たちを信仰するだけだよー?」
「信仰、か」
信仰という言葉に反応して、伏見ガクの表情が曇る。伏見は苦しげに笑いながら言った。
「信仰ね。いや、それは難しいかもな。なんせ俺からは一番遠いものだから」
そのとき、辺り一帯が火の海と化し、鷹宮とでびるの足元から木製の橋が隆起する。二人はぼけーっと自らの足場が橋に変わっていくのを見つめていたが、すぐに頭上からも橋が生じ、天と地の橋が接近して、二つの欄干が組み合わさって檻となる。二人は伏見ガクの固有結界に閉じ込められた。
「悪ぃなあ。願いはまたの機会でいいっすわ。今はもう少し、俺と遊んでくれよな」
皮肉に笑う伏見だったが、鷹宮の返答はシンプルなものだった。ただ一言、
「やだ」
と言い放ったのだ。
「うん?」
思わず聞き返す伏見だったが、鷹宮はもう相手にしていなかった。
「でびちゃん、お願い」
囁くように言うと、悪魔の力が黄金の鎌に集まり始める。
「おいおい……嘘だろ」
伏見はげんなりしながら頭上を見上げた。鷹宮リオンの身の丈をはるかに超え、馬鹿みたいに巨大化した黄金の鎌を。
「よいしょーっと‼」
馬鹿みたいな掛け声とともに黄金の鎌が振り下ろされる。伏見ガクの世界が、切り開かれていく。