Fate/DebiRion.   作:遥野みしん

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99.共通BAD:星は優しい願いに抱かれて

 森を見下ろす丘の上に葛葉は横たわっていた。傍らには叶が座っている。

 

 二人は巨大化し、大暴れしているでびリオンを見下ろしているのだが、叶が緊張した面持ちでいるのを見て、葛葉はからかい半分に言った。

 

「あれを止めるのは手間だな」

 

 叶は驚いて葛葉の方に顔を向けた。

 

「なんで他人事みたいにっ、お前も動画配信者にされちまうんだぞ!」

「それもまあ、悪くないかもな」

 

 それはそれで面白そうだと葛葉は抜けるような息で笑う。納得できない様子の叶に、葛葉は言った。

 

「叶。お前、俺の願いって知ってた?」

「葛葉の願い……そういえば聞いてなかった」

「言う必要なかったからな。だって俺の願い、もう半分くらい叶ってるし」

「え?」

 

 戸惑う叶をよそに、葛葉は立ち上がると、ぐっと伸びをする。葛葉はでびリオンを見下ろしてほほ笑み、叶を振り返って言った。

 

「恥ずかしげもなく言うけどさ、お前とこうして生きていられりゃあ、俺は十分楽しいんだよねぇ。お前がいて、俺がいてさ……それが続いてくれればなんでもよかったんだ」

「そうか。だから配信者になっても……」

「全っ然困らない。いや、多少は面倒か? まあでも、お前がいればなんとかなるだろ?」

 

 苦い顔で葛葉と対峙していた叶だが、丸投げするような葛葉の言葉に力が抜けたのか苦笑してしまう。

 

「無責任だ」

 

 葛葉も笑いを見せると、再びでびリオンの方を見下ろした。そこでちょうど、鷹宮リオンのけたたましい笑い声が森中に響いた。

 

「あーっはっはっはっはっ‼ 全員動画配信者にしてやるよぉ!」

 

 聞いていた叶は青い顔になるが、葛葉は思わず吹き出した。

 

「はっはっはっはっ! 馬鹿だな、ほんと。叶ぇ、気を付けろ。ありゃあ、強えーぞ」

 

 そう言って笑いを引っ込めると、葛葉はその場を立ち去ろうとする。

 

「どこに行く気?」

「どこって、同盟相手を助けにだけど」

「同盟相手……?」

 

 叶は一瞬何のことかわからなかったが、それが鷹宮リオンとでびでび・でびるのことだと察してその表情を歪めた。叶は葛葉の手を取って言う。

 

「待って、葛葉。一度話し合おう。お前を信頼してこれまで計画について細かく話さなかったことは謝る。けど……」

 

 叶の言葉はそこで止まった。葛葉はゆっくりと首を横に振った。

 

「合ってるかどうかわからねーけど先回りして答えるよ。あの悪魔とマスターを殺せって頼みは聞き入れられない。お前が仲間のふりなんかしてるシスターを殺すのもごめんだ」

「っ……! そうか。そこまでわかってて……」

 

 叶はうつむき、掴んでいた葛葉の手をそっと手放した。葛葉は笑って言う。

 

「お前はお前で全部が上手くいくように色々考えてくれてんだろうけど、俺は別にそこまでを望んじゃいねーから」

 

 そうして羽根を広げた葛葉は、丘から飛び立つ直前、振り返って言った。

 

「たまにはこういうことがあってもいいだろ?」

 

 

 

「たまには、かぁ……」

 

 叶は尻もちをつく勢いで腰を下ろすと、空を見上げてため息をついた。どこかからやってきたのか、傍らに黒い猫が寄ってきたので、叶は猫の背中を撫でてやる。

 

「まだいいよ」

 

 叶は誰にともなく呟く。

 

「まだいい」

 

   〇

 

「何度も言ってるだろ、わかれって! クレアさんをやるんだよ……葛葉!」

 

 葛葉の通信機から叶の指示が飛ぶ。もう何度も飛んでいる。葛葉はこれを黙殺していた。

 

「わかったよ葛葉……」

 

 諦めた声音で叶は言うと、もうそれきり通信機に声は入らなかった。

 

 悪いな、叶。

 

 葛葉は頭の中で謝りながらも、叶の指示に従う気はなかった。苦しい戦いをここまで一緒に戦ってきたのだ。シスター・クレアとセイバーに葛葉は情が湧いていた。恐らく、礼節を重んじるバーサーカーも嫌がるだろう。やるならせめて、この相手を片付けてから正々堂々……。

 

 俺たちはこれでいい……葛葉は自分自身にそう言い聞かせるのだった。

 

 霧化したバ―サーカーに危機感を覚えたのだろう、剣持は鞘に入った刀を抜こうとするが、刀を抜き切る前の鞘の部分めがけてセイバーが剣を叩きつけた。剣持は受け流しきれずにバランスを崩し、反撃を恐れて距離を取った。

 

「今です!」

 

 葛葉の隣に並び立つシスター・クレアが言った。

 同時に、セイバーの持つ聖剣、エクスカリバーが黄金の輝きを纏い始める。

 

「よし、俺たちも……!」

 

 葛葉は令呪の魔力をバーサーカーに捧げて宝具の解放を命じた。バーサーカーの体内で高まった魔力が高速で循環し、その行き場を求めて溢れそうになっていた。

 

 タイミングはばっちりのはずだった。バーサーカーが敵に向けて宝具を解放しようとしたその時、ふいに、セイバーの敵意がバーサーカーに向けられた。

 

「なんだとっ⁉」

 

 バーサーカーが宝具を放つ間もなく、エクスカリバーの圧倒的な光の奔流がバーサーカーを飲み込んだ。

 

「がぁぁぁぁぁぁっ‼」

 

 バーサーカーは光りに焼かれながらもその体を高速で再生し、何とかその身を保とうとするが、それもほんのわずかな抵抗に終わる。

 

 消滅する直前、バーサーカーは敵ではなく、葛葉に向けて何かを叫ぶ。声になりきらなかったその声は、葛葉にだけ届いていた。

 

 光の奔流は音もなく消えていく。後には荒れた大地しか残らなかった。

 

 葛葉は膝を着いた。シスター・クレアが歩み寄り、声をかけた。

 

「ごめんなさい、葛葉さん……」

 

 瞬間的に沸き立つ怒りに任せて葛葉は顔を上げた。だが、そこにあったのは裏切り、勝利を勝ち誇る者の顔ではなかった。自分のやったことの罪に圧し潰されそうなっている、葛葉の知っている通りのクレアの顔だった。途端に、葛葉は虚しい感情に襲われる。

 

「叶の指示か?」

 

 なんとか抑制した声で葛葉は尋ねた。

 

「はい……しかし」

「いやいい」

 

 葛葉はうつむいていった。

 

「自分を責めんなよ。叶が言うなら間違いねえ。それがきっと、たぶん、俺のためにもなるんだろうな」

 

 葛葉が受け入れたことでさらに罪悪感が増したのだろう、クレアは重い表情で頷いた。

 

「シスター・クレア、今は、叶の信じたアンタの願いを俺も信じるよ。願いを叶えてくれ」

「……はい!」

 

 クレアはなおのこと、力強く頷いた。

 

「くそがよぉ! 僕を無視して聖杯戦争の勝者を決めやがったな!」

 

 剣持刀也がクレアに向けて疾駆する。剣持は抜刀し、クレアに斬りかかった。

 咄嗟にセイバーが間に入って剣持の刀を受け止めた……。

 

「⁉ 触れる……!」

 

 体が勝手に動いてしまったが、セイバーは自らの剣で剣持の刀を受け止められたことに驚愕した。

 

「馬鹿馬鹿しい。考えるまでもないですよ、エクスカリバーがそんな簡単に無に帰しますか? 自分の剣に対する信頼が足りてないんですよ」

 

 嫌みも込めて剣持が言い放つが、セイバーの表情は晴れやかだった。

 セイバーの背後でクレアが右手の令呪を掲げて叫ぶ。

 

「令呪を持って命ずる。セイバー! 今しばらく、剣持刀也を遠ざけて!」

「承知した!」

 

 セイバーの体に魔力が充実する。これを乗り越えれば願いが叶うとあって、その表情も明るく、気力もみなぎっているようだった。

 

「はぁぁぁぁぁっ‼」

「しまった、反応が遅れて――!」

 

 セイバーの剣は大量の魔力を放出し、剣持の足場を地面ごとえぐりながら丸ごと吹き飛ばした。

 セイバーは軽く振り返ってクレアと視線を交わし、その場から姿を消す。遠くで剣戟の音が鳴り響き始める……。

 

「さて」

 

 気持ちを入れ替えるようにクレアは深呼吸をし、独り言をつぶやき始める。

 

「聖杯は……完成してる。勝者は決まった。それなら……」

 

 クレアはパッと空に向けて両手を掲げた。

 

「聖杯よ、この手に!」

 

 クレアの両手に虹のベールがゆっくりと下りてくる。教会の重たい鐘の音がどこかから鳴り響き、虹のベールはクレアの両手を包み込んだ。ふっと、クレアの両手に重みが乗る。つやつやとした感触は温度もなく、表面の装飾部分は少しざらついていた。虹のベールが血のような赤い液体となってクレアの手から滴り落ちたとき、クレアの手には黄金の器、聖杯が姿を現していた。

 

「どうやら成功したようですね」

 

 クレアの背後に叶が降りてくる。気まずいのか、葛葉とは視線を合わそうとしなかった。クレアは聖杯に目を奪われているのか、聖杯から目を離さずに言った。

 

「ええ、これでようやく私たちの願いが叶います。叶さんも、ここまでありがとうございました」

「いえ、それよりも早く願いを」

 

 焦った声音の叶にクレアは軽く頷くと、自らの願いを聖杯に告げた。

 

「聖杯よ、全ての人々に救いを! 神のご加護を……救済執行を!」

 

 カチリ……と聖杯の奥底で何かが噛み合う音がした。一瞬辺りがしんと静まるが、沈黙はクレアの上げた声に遮られた。

 

「ああっ!」

 

 クレアは思わず聖杯を手から放った。聖杯は音もなく、また天地の狂いもなく地面の上にそっと落ちた。まるで、元よりその場所に置いてあったかのように。

 

「どうされたんですか? 願いは……」

 

 叶が尋ねるが、クレアは震えていた。震える指で、聖杯を示して言った。

 

「今、私の顔を見て笑ったような……」

 

 皆の視線がゆっくりと聖杯に向く。すると、突然地面が揺れ出し、空気が重たく振動する。みんなが動転するなかで、クレアだけは見ていた。聖杯の奥底に眼球が瞬き、クレアを嘲るような笑みを浮かべたのを。

 

 振動が止み、辺りが再び無音になったとき、聖杯の奥底から血のような赤い液体がごぽりと湧き出し、溢れ出した。

 地面の上を広がっていくそれは泥のようで、高密度の赤い魔力を帯びていた。無際限に湧き出てくる泥に一同は少しずつ後退する。

 

 と、湧き出てくる泥は止まった。そして、その泥の中から巨大な腕が出現する。青白く発光する女の細腕だが、腕は月を掴む勢いで天高くまで伸び、やがてゆっくりと曲げられて地面へ向かった。

 

 巨大な手のひらがクレアと叶の頭上から迫る。

 

「おい、ここはやべえ!」

 

 葛葉が立ち尽くすクレアを腰に抱えて空を飛ぶ。叶は無言でその後を追った。腕は地面を鷲掴み、地面が揺れに揺れる。

 

 腕はさらにもう一本、二本、三本、次々と泥の中から現れる。無数の腕に引き上げられるようにして、それは泥の中から顔を覗かせた。

 

「え……」

 

 少し離れた場所まで避難し、クレアは茫然と立ち尽くす。

 

 泥の中から現れた人間の顔、それはシスター・クレアのものに他ならなかった。クレアの顔を持つそれは、大小さまざまな無数の腕で地面を撫で回しながら、体全体を引き上げる。

 

 月のように青白い、一糸纏わぬ肢体は森の中に屹立する。虚ろな瞳はこの世界を見下ろした。

 

「クレア……なんなんですか、これは……?」

 

 異変を察知して駆けつけたセイバーは戸惑うことしかできなかった。剣持も何も言えずに無言で怪物を見上げていた。

 

 巨大な怪物は見た目こそクレアの容姿を取っていたが、肩甲骨から生えている無数の腕は、それぞれが生きているかのように好き勝手に蠢いていた。

 

 事態を見守る一同の前で、怪物はゆっくりと膝を着き、肩から伸びた二本の手を胸の前で組んで目を瞑る。誰かの目には、祈りをささげる聖女の姿に見えていた。だが、肩甲骨から伸びた無数の腕は地面をまさぐり、地中から何かを吸い上げていた。

 

「大聖杯、いや、龍脈の魔力を吸い上げてる……?」

 

 剣持は疑問に思うが早いか決断し、刀を振るって虚空の斬撃を飛ばした。

 果たして、虚空の斬撃は翼から伸びた一本の腕に握りつぶされた。

 

「わからない、なんでそうなる……!」

 

 剣持は次々と斬撃を飛ばすが、全てが無数の腕の中に揉み消されてしまう。しかも腕は新たに次々と生成されているようだった。

 

 一方、シスター・クレアは困惑してただ見上げることしかできなかった。あの怪物が自分の願いによって生まれたのだということはわかる。信じたくはなかったが、他ならぬ怪物の顔がそれを証明している。そしてわかってしまうのだ。怪物に込められた願いとは裏腹に、これから確実に悪いことが起こってしまうということが。

 

「なんで……どうして……」

 

 泣きそうな声を漏らすクレアに声が答えた。

 

「知りたいですか?」

 

 クレアが驚いて声のした方を見ると、そこには木に背中をもたせ掛け、後ろ手に手を組んでいる夕陽リリがいた。

 

 自身に注目が集まったのを感じると、「よっと」と反動をつけ木にもたれていた背中を離す。夕陽リリは一同の輪の中に入ると、クレアの方を見て言った。

 

「クレアさん、残念ですが、アレは人類を滅ぼします」

 

 突然そう言われて、事態についていけないクレアは縋るように尋ねた。

 

「ちょっと、待ってください……! 夕陽リリさん、貴方は何を知っているんですか? 私の願いは……これから、一体何が行われるんですか……?」

 

 夕陽リリは質問をちゃんと受け止めたことを示すように、深く頷いて答えた。

 

「これは……そうですね。私が見た、いえ、私がどこかで聞いた、あの怪物に滅ぼされた世界線のお話です」

 

 そう前置きし、夕陽リリは言った。

 

「クレアさんの願いを叶えるために、アレは足りない魔力を補おうと人類を次々と魔力に変換していったんです。で、ようやく人類を救済するに足る魔力がたまり、怪物が世界を見下ろすと、そこには優しい人類であるクレアさんが、平らにならされた世界の上でたった一人、亡くなった人類のために涙を流しているではないですか。怪物はクレアさんを見て、女神のようにほほ笑んで言うんです。貴方の願いは叶えられましたよ、と。そうして怪物は不要になったクレアさんを取り込んで、クレアさんをコピペして作った健やかなる人、アダムとイブに星の運営を任せると、永劫の眠りにつきましたとさ」

 

 話は終わった。クレアはショックのあまり膝を着いた。

 叶が食って掛かる。

 

「それはおかしい! アレがそれだけの危機を振りまく怪物であるというなら、抑止力が現れてしかるべき案件だ!」

「ああ、抑止力は来ません」

 

 なんてことも無いように夕陽リリは横目で叶に言う。

 

「なぜなら人類は心の奥底でみんな救済されたがっているから。そして救済された人類によって健やかに運営されることを星が望んでいるから。ほら、見てくださいよ」

 

 そう言って夕陽リリは怪物を指差した。

 

「あの怪物が今取り込んでいるのは星の生命たる魔力。星は龍脈を通じてあの怪物に協力することを選んだんです。聖杯の悪意は、クレアさんの優しい願いでもって抑止力を騙しおおせたんですよ」  

 

 夕陽リリの言葉を聞いて、場は沈黙に包まれた。だが、それにしても静かすぎる。

 

 そうだ……。セイバーは気づく。先ほどまで鳴っていた雷が消えたのだ。見上げると、一帯の空は虚空に呑み込まれていた。森の上空は周囲の空から切り離された穴と化し、虚空は地上に向けて空間をじわじわと侵食していく。

 

 怪物の前で、剣持刀也は刀をかざして叫んだ。

 

「お前はここで消す……! 防げるもんなら防いでみろよ!」 

 

 虚空の空が怪物目掛けて落ちる。怪物は二本の腕では祈りを続けたまま、腕の翼を大きく広げると、全ての手のひらを空へと向けて受け止める体制を作った。

 

 音は無かった。怪物の翼の腕は虚空の空を受け止め、重圧の中でひしめき合っていた。

 怪物は膝を着いた祈りの姿勢を崩す気はないようだった。

 

 これはチャンスだ……。セイバーはそう直感する。クレアの方を見ると、クレアはまだショックから立ち直っておらず、瞳を震わせながら何かぶつぶつと呟いていた。セイバーはクレアに囁くように言った。

 

「クレア、宝具の許可を」

 

 セイバーはクレアの口許に耳を寄せる。気力のない小さな声ではあったが「許可します……」と声が聞こえた。

 

「感謝します」

 

 セイバーはクレアから少し離れると、剣を構え、心身を集中させる。敵は動く気配がない。いや、動けないのかもしれない。先ほど腕一本で握りつぶした攻撃を、今は翼の腕全てを使って受け止めているのだから、当然と言えば当然だ。で、あるならば……。

 

 セイバーは目を見開き、敵の姿をしっかりと捉えた。

 

 ……自分の行動で変えられることもあるのかもしれない。

 

 セイバーの剣は次第に黄金の光を纏い始め、光は強く、柔らかく広がっていく。

 セイバーは剣を振りかざして叫んだ。

 

約束された勝利の剣(エクス……カリバー)‼』

 

 振りかざされた黄金の輝き。巨大な光の渦が怪物を飲み込まんと突き進む。怪物は顔を上げると、胸の前で組んでいた祈りの手を解き、その手を前へと、襲い来る光の方へと向けた。

 

 やはり、音は無かった。光の奔流は怪物の手に触れた瞬間真っ二つに割れて怪物の背後の森を焼き尽くした。セイバーの宝具を防ぎきった怪物は、頭上に虚空の空を支えたまま、ゆっくりと立ち上がった。

 

「やはりか……!」

 

 覚悟はしていたのだろう、それでもセイバーは狼狽し、一瞬ふらつくが、自分の願いを、そしてクレアの願いを思い出して踏みとどまる。剣の柄をひと際強く握りしめた。

 

「もう一度……」

 

 だが、剣を振りかぶったセイバーの剣はピタリと停止した。

 セイバーはゆっくりと剣を下ろすと、ぎこちない動作で首を回して背後を振り返った。

 

「クレア、なぜですか」

 

 セイバーに向け、膝を着いたクレアが手を伸ばしていた。今まで自らのサーヴァントに対して命令など考えられもしないとばかりに綺麗に残っていた令呪が今、初めて一画使用されていた。クレアは右手を下ろして言う。

 

「セイバー、貴方がこれ以上戦ってアレの注意を引くことは許しません。きっとアレに呑まれたら、貴方が幸せになる未来なんて永劫に来ないから……」

「しかし……人の世が滅ぼされれば元も子もないではないですか!」

「ええ、そうかもしれません。でも、貴方がいなくなってもそれは同じことなんです。わかってもらえないかもしれないですけど……。それなら、人々がこの危機を乗り越えることを信じてほしい」

 

 クレアは震える足で立ち上がると、ゆっくりとだが前に進み、セイバーの前に歩み出た。

 

「最後ですから、ずっと思っていたことを言わせてください」

 

 そして、クレアは振り返り、少し無理矢理にだがセイバーに向けて笑顔を作った。

 

「セイバー、私にはあなたの願いが叶うとは思わない」

 

 これにセイバーは愕然とし、唇を震わせた。

 

「クレア、何を」

「あなたは優しい人だから、身の回りで暮らす人たちが、乱れた世の、あるいは侵略者たちの横暴に晒される不幸に耐えられない。結局最後には助けようとして、立ち上がってしまう」

 

 今のあなたがまさにそうでしょう? そう笑いかけたクレアに、セイバーは言葉を詰まらせた。

 

「立ち上がって、人々の願いにこたえて、こたえて、こたえ続けて……そしてまた同じ結末を目にする」

 

 セイバーは唾を飲み込むが、感情を表に出して言った。

 

「諦めろと……? 祖国の滅亡を指をくわえて見ていろというのですか……⁉」

「こんなことを言ってしまってごめんなさい。でも、あなたみたいな優しい人が幸せになれないなんて、悲しいですから」

 

 そうして、クレアは最後に言った。

 

「セイバー、いえ、アルトリアさん。貴方の旅路に、神のご加護があらんことを」

 

 呆然と立ち尽くすセイバーの前で、クレアは胸の前で両手を重ね合わせ、怪物に向かって歩き出す。

 

 クレアは息を吐き、目を瞑った。

 

 やれるはず。大丈夫。クレアは自分に言い聞かせ、逃げたくなる足を必死に奮い立たせた。

 

 大丈夫。私から生まれた願いを私に戻すだけ。ちょびっと色々なものがくっついてきてしまったけれど、そんなの関係ない。どれだけ量が膨れ上がろうと、結局は私一人で済む、ただの地獄の前借りだ。

 

 クレアは慈愛の目を持って怪物を眼差し、言った。

 

「言祝ぎましょう。貴方たちの全てを……私たちの全てでもって……!」

 

 クレアが大きく両手を広げると、その胸の奥から死霊たちが湧き出し始めた。死霊は渦を巻き、周囲の空間を埋め尽くすほどに蔓延し、それでもなお生まれ続けていた。

 

 一方、それを見下ろす怪物の方もまた、両手を大きく広げた。その体の前面から、無数の人間の体が皮膚を突き破ってうねうねと生え始める。人間たちは皆眼球がなく、呻き声を上げながら両腕を前へと伸ばしていた。

 

 救いを求めているようだとクレアは思う。やはり私の願いは……。

 

 クレアは目を薄め、言った。

 

「迎え入れます、みんな」

 

 死霊たちが一斉に怪物の方へ飛翔した。死霊たちは怪物の体に纏わりつき、ぐいぐいとクレアの方に引き寄せようとする。

 

 怪物の体から生えている人間たちが悲鳴を上げながら振り払おうとするが、死霊の数の方が圧倒的に多く、怪物はついに一歩動かされてしまう。

 つんのめるように足を出したが、上体がぶれ、腕の翼は対応しきれず、支えていた虚空の空が腕の半数を飲み込んだ。

 

 クレアの顔を象った怪物の顔は静かに目を瞑っていたが、体から生えている人間たちは頭を抑えて絶叫する。それを機に、死霊たちも一気に攻め込む。

 腕や足、首にまでまとわりついた死霊たちはクレアの方へと怪物を押し込み、生えている人間をぐいぐいと引っ張り回し、あわよくばバランスを崩して虚空に呑み込ませようとする。

 

 怪物はとうとう目を見開き、叫び声を上げながらその二本の腕を振り回し始めた。腕の一振りで数多の死霊たちが掻き消える。だが、クレアの胸から新たに湧き出た死霊が怪物の体を引っ掻き回す。さらに一歩、二歩、怪物はクレアの方へ引き寄せられる。

 

 怪物の腕の翼はごっそりと虚空に呑まれ、邪魔が無くなった虚空の空は、前かがみになっている怪物の腰から足にかけてを削ぎ落した。

 

 下半身が消滅した怪物は勢いよく地面に倒れ込む。そして、怪物の表面で蠢く人間たちは必死に地面を掴み、引っ掻いて、もがくのだが、蠅のように集る死霊たちはそれらを嘲笑いながら怪物をクレアの方へと引きずっていく。

 

 怪物が顔を上げると、すぐ目の前にクレアの顔があった。

 

 怪物は恐怖に顔を歪ませてクレアの方に手を伸ばした。その手は、透明な柔らかい壁に阻まれ、輪郭を失いながらクレアの胸へと吸い込まれる。

 

 ここに来て怪物は全力の抵抗を見せた。片手が吞まれつつある中で、もう片方の手で必死に地面を掻いて、上半身もフルに使い、跳び上がって逃げようとしたのだ。

 

 怪物の体が浮き上がる、浮き上がった体は地面に落ちなかった。肩口までクレアの胸に収まった怪物の体は、既に全身を捉えられていた。周囲では死霊たちが取り巻いて囁き声や笑い声をあげていた。

 

 怪物は殺意を漲らせ、無事な方の手をクレアの頭に向かって伸ばした。その手はクレアの顔の前で止まった。震えながら、見えない力と戦っているようだ。

 

 クレアはその手を見て、心を痛めた。

 

「酷い力……怖がらないで、大丈夫だからね」

 

 クレアは怪物の手のひらにそっと自分の手のひらを重ねた。その接点に鋭い光が生じ、怪物の手から人間たちが剥がれ落ちていく。あるいは、それは欲望なのかもしれなかった。怪物が、聖杯が、力を使うときに表現される形として、人間の姿が選ばれたのだろう。そうクレアは洞察した。

 

 怪物はもはや胸の半ばまでがクレアの内側へと入り込んでいた。

 

 このまま……! クレアが手を伸ばしたとき、ふいに、その手が握られた。

 

「え……」

 

 クレアには何が起こっているかわからなかった。怪物の手は一瞬、自分よりも少し大きい程度の男の手になっていた。少し冷たいが、確かに存在している一人の男の手。クレアの頭の中に男の慟哭が響き渡り、次には人類への怨嗟の声が、幸せに生きてきたクレアに対する醜い罵倒が次々と投げかけられる。

 

 いつしか、クレアに触れているその手は少年の手になっていた。怪物の姿はクレアが救えなかったあの少年の姿に変貌していた。

 

 少年は必死に生きようともがき、クレアの手を強く引っ張った。クレアはその手を、振りほどくことができなかった。

 

 次の瞬間、少年の腕の皮膚を突き破って無数の腕が伸びてくる。姿を現した無数の人間たちはクレアの腕に纏わりついて、クレアの体を吞み込んでいく。

 

「うぁ、かっ、あぁ……ごめん、なさい……」

 

 涙を流しながら、クレアの体は怪物の腕の中で、人々の欲望に(たか)られながら消えていった。

 

 あれだけはしゃいでいた死霊たちは一斉に静まり、ぽつぽつと消えていく。

 

 セイバーはその体を光の粒子に変えながら、俯き、全身を震わせていた。

 

「わかっていないのは貴方も一緒ではないですか……貴方のような優しい人が幸せになれないなんて、そんなの……」

 

 間違ってる……。そう言い残し、セイバーは消失した。

 

「くそっ、死なれた……!」

 

 剣持が憎々しげに言う。

 

「魔使さん! 出てきてください、隠れているのはわかっています!」

 

 剣持が気配の方を注視すると、藪の中から木の枝を両手に持ち、頭にも張り付けた魔使が出現した。

 

「な、なんですかぁ~、僕ちゃんと仕事してましたけど」

 

 剣持は魔使の姿には触れずに言った。

 

「なら話は全部聞いてましたね? 先ほどから本部との通信が途絶えてます。携帯も通じません。ので、魔使さん、貴方がこのことを本部に知らせるのです。本部が機能していなければそのままロンドンを訪ねてください。僕の使いと言えば通るはずですから」

「え、でも……」

 

 魔使は冷や汗を流し、ためらいながらも言った。

 

「剣持先輩とサーヴァントが協力して駄目だったのに、こんなの、誰が止められるっていうんですか……」

 

 剣持は表情を硬くしながらも答えた。

 

「幸いにもシスター・クレアのしでかしたことです。彼女の後始末でなら大物が動いてくれるかもしれません」

 

 なおも動こうとしない魔使を急かすために剣持は声を張った。

 

「早く!」

「は、はい!」

 

 魔使はようやく駆け出した。その後ろ姿を見守っていた剣持は振り返り、夕陽リリの方を見た。

 指示を出そうと口を開いた剣持だったが、言葉は発されなかった。夕陽リリが別れを告げるかのように手を振っていたのだ。

 

 剣持はポカンとした表情でそれを見つめた後で、冷静さを取り戻して言った。

 

「そうか……いいよ、それでも。期待してる」 

 

 それを聞いて夕陽リリは安心したように表情を緩め、踵を返し、そして、茫然と膝を着いている叶の方を見て言った。

 

「ああ、お先に失礼しますね」

 

 叶が我に返ると、既に夕陽リリはいなくなっていた。立ち上がれない叶を置いて、事態は進んでいく。

 

「葛葉くん、僕は今からアレの足止めをしようと思います。手伝ってもらえますか?」

 

 叶と同じく呆然と立ち尽くしていた葛葉に剣持が呼び掛ける。葛葉は「あ、ああ」と我に帰って言った。

 

「当然……こうなったら仕方ねえよなあ」

 

 どこか気持ちに整理がついていないながらも葛葉は剣持の誘いに乗った。

 

 二人の前で、怪物はその身を起こし、失った体を再生させて立ち上がる。その背中からは再び無数の腕が生えてきて翼となり、翼は大きく、柔らかく、波打つように空気を撫でて、怪物の足は地面を離れた。

 

「救済、執行」

 

 怪物は二人を見下ろすと、クレアの声で囁くように言った。その翼から触手のように伸びてきた無数の腕を見て、葛葉と剣持は剣を抜く。

 

―――

 

 どうしてこうなった?

 

 怪物の頭上を飛び回り剣を振るって戦う葛葉を、叶はぼんやりと見つめていた。

 

 クレアの願いが叶っていれば、人々はみな優しくなれるはずだった。多様性を愛する神の名のもとに、種族の違いを超え、お互いがお互いを尊重し合える、ある種当たり前ともいえる、ありえない夢のような世界が到来する……。

 

「はっ……ふふっ」

 

 叶は思わず笑いを零す。ありえない夢のような世界……そうだ、冷静になってみればそんなの、ありえないにもほどがある。

 

 しかし、クレアは大まじめだった。そういえばサーヴァントの方も、歴史を書き換えて自分が救えなかった人々を救おうとしていたっけ……。

 バカだ、と叶は思う。

 

 バカは、酷い奴に騙される定めなんだ……。

 

 叶はクレアの願いが生み出した怪物を見上げてそう思わざるをえなかった。

 

 ふと、叶の目は横に向いた。

 いつの間に現れたのか、叶の隣には、一匹の黒い猫が退屈そうに戦いを眺めていた。叶が手をやろうとすると、猫は喉をごろごろ言わせながら後ろ足で耳の後ろを掻き始めたので、叶は手を止めて頬を緩めた。

 

 少し毒気を抜かれ、叶は考え直す。大まじめに理想に向かって突き進む二人を見て、自分はこれに賭けたいと思ったのだ。

 

 叶は猫を抱いて立ち上がる。猫の目が淡く光り出したとき、叶の背中には白い翼が広がっていた。

 

 叶は葛葉の方に手を伸ばして言った。

 

「葛葉、待ってて。僕は何度でも……」

 

   〇

 

 森を見下ろす丘の上で、叶は何かを懐かしむように手を伸ばしていた。叶は苦笑し、手を下ろす。巨大化したでびでび・でびるの肩には鎌を持った鷹宮リオン、そしてその背後には、羽根を広げて空を飛び、剣を構える葛葉の姿があった。

 

「これが作戦通り~? 嘘でしょ? 仲間に見放されてんのに?」

 

 夕陽リリが叶の隣で森を見下ろし、言う。叶はため息をつきながら、目を閉じて答える。

 

「作戦通りですよ」

 

 夕陽リリが気にするように叶の顔を覗き込む。叶の目はゆっくりと開き、葛葉を見つめるが、その目は横へ、あらぬ方へと逸れていく。叶は続けて言う。

 

「哀しいですけどね」

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