妹が亡くなったと連絡を受けたのは大学一年の冬のことだった。
冬休み前で、貯めたバイト代を使って年末はアイドルのライブを見に行こうと胸を躍らせていた矢先。
涙は流れなかった。
連絡を受けてから、葬儀の間、妹が骨だけになっても、涙は出てこなかった。
無論悲しかったし、心にポッカリとした穴が空く訳でもなかった。もう帰省しても、あのウザ絡みして笑う顔がもう見れないのだと、ただただあるがままを受け止めきれてしまったのだ。
自分には昔から薄情な面があった。
妹とは血が繋がっていない。
義母の連れ子が妹だった。
幼い頃、両親の離婚から流れるように、新しい母と妹を紹介された時も大して驚きもせずにそれを受け入れた。
感情表現が希薄な俺とは真逆に、妹は感情豊かだった。
よく笑い、よく泣き、よく理不尽に怒り、そこにいるだけで存在感を示す子だった。そんな妹を俺の父も、義理の母も大層可愛がっていた。最初は義理の母に隠れて俺の様子を伺うような大人しい子だったが、愛情を大量に注がれた妹は良く言えばノビノビ、悪く言えば増長して、俺に対して強く当たるようになった。
とはいっても他の兄妹も似たようなものだと聞き及んでいたし、堪忍袋の尾が切れるようなものでもなかった。
十年近く一緒に過ごした妹のことは大切な家族だと思っていた。それでも涙は流れなかった。
葬儀はつつがなく終わり、火葬を終えて妹だったはずの身体は妹と見分けがつかないものになっても、まだ涙は流れなかった。
私の分まで泣いてくれた両親は、義理とはいえ家族仲は悪くなかったはずの両親は、涙を一向に流さない私を不気味に思ったらしい。特に義理の母からは大学へ戻る日にヒステリックを起こされ、父からは「母さんが落ち着くまでは帰ってくるな」と拒絶の意思を示された。
それもまた仕方ないと受け入れてしまった。
後期の講義を全て終えても帰省することなく、春休みも大学周辺で過ごし、大学二年生になった。
そろそろアイドルのファン活動を本格的に再開するか検討していた頃、あるメッセージが届いた。
「にーちゃん、ここに来て 愛しの妹より」
それはとあるアドレスが書かれた死んだはずの妹からのメッセージであった。
****
死んだはずからの妹からのメッセージを受けた俺がとった行動は決まっていた。
無視だ。
タチの悪いいたずらだと決めつけた。
そりゃあそうだろう。死人が蘇るはずもないし、日付も時間指定もない。そんなものに付き合うほど暇ではない。二年に進級し、色々入り用でバイトも増やした。そして何より、推しているアイドルの配信を見るのに忙しいのだ。
妹のフリをした何者かに割く時間などありなどしない。
メッセージを貰ってから一週間が経った。
メッセージのことなど忘れかけていた頃、偽物の妹からもう一度メッセージが送られてきた。
その内容は、明日の夜十時に大型電化量販店の電脳に来いというものだった。
愛想の欠片もない、強い命令口調であった。
電脳――昔はコンピュータを意味する言葉だったらしいが、その言葉が生まれてから百余年が経過し、その意味合いは変わった。インターネットと言えばメタバースと呼ばれる仮想現実が主流になった現代では、個別の仮想現実がそう呼称されることになった。由来は大昔のSFゲームでそう呼称されていたのが浸透したかららしい。
その催促のメッセージに俺は悩んだ。
警察に届け出るべきではないか。
一度目は面倒臭さが勝り、無視に落ち着いたが、二度目はさすがに腹が立ってきた。
大切な妹というと語弊しかないが、それなりに信用していた人を騙られると青筋の一つぐらいは立ってしまう。本物のウザ絡みしてきた妹には、いつもそれ以上の青筋が立っていたのだが。もしこれが本当に妹だと仮定したら、青筋が追加発注しそうだ。
大学の友人であり同じバイト仲間である桜庭に雑談がてら相談してみた。
「死んだ奴からのメッセージって、いたずらレベル超えてんだろ」
「やっぱりそう思うか? 警察一択かな」
「いや、待て。時間と場所まで指定してんだろ。
「わざわざ妹を騙っているのだからストーカーではないだろう」
「いやいや、死んだはずの妹の代わりとして傷ついた心を癒してあげたいとかあんだろ」
「その理屈でいくとマッチポンプで妹を殺してそうだな」
「それな」
桜庭の押しに負け、俺は明日の夜十時に指定された大型電化量販店の電脳へ赴くことが決まった。
電脳にはアバターやモデルと呼称される疑似的な身体を用いて入ることになる。
アバターは人によっては様々だ。アニメ調もいればリアル調もある。ビジネスシーンでは現実の体をモデリングしたものを使う人もいる。オンやオフでアバターを使い分ける人もいる。異性のアバターでボイスチェンジャーを使う豪の者もいる。ある意味では何人かの自分を使い分けることができるともいえよう。
アバターは顔みたいなものだ。
その人がその人であることを示すもの。
自分自身であることの証明がが難しい電脳では、それが大事な指標となっていた。
俺はその指標を気にしたことがなかった。
俺のアバターは汎用性の塊という名の見た目を捨てた大量生産品を使っている。どこでも見る顔で、貧乏人かITに詳しくない人か逆に詳し過ぎる人が遊ぶために使用しているものだ。もちろん俺は貧乏人の方に入る。過不足なく使えれば見た目は気にしない。なによりその金は推しに使いたいのだ。
先に電化量販店の電脳で待っていた俺は待ち合わせのオブジェの前で待っていたら、周囲がガヤガヤし始めた。リアルであれば芸能人などが現れた時のような反応であるが、それは仮想現実でもさほど変わらない。
視線を集めた先には、我が友人の桜庭がいた。
リアルではガタイの良い短髪なスポーツマンタイプだというのに、仮想現実では細身で目が切れ長のイケメン社長然とした風貌だ。金を掛けていそうなアバターであるが、それが注目された理由ではない。このアバターは、プロゲーマーサクラバが使用しているワンオフ品なのである。
この他に使える人はいないということである。それを個人的な用事に使う理由はない。だがこいつは、ちやほやされたいという理由で使っている。人の迷惑を考えないクソ野郎なのだ。
「よう、待ったか?」
「今すぐアバター変えてこい」
「え、嫌だし。これはオレがオレである証明だからな」
「巻き込まれる俺の身になれよ。というか今からストーカーに会いに行くというのに目立つなよ」
「バックにオレがいることわかったら下手なことできないだろ」
「……まあ、その理屈を飲んだとしても、この騒ぎで逃げ出すかもしれないだろ」
「それならそれで解決でいいじゃん」
こんな会話を展開しながら、衆目集めながらメッセージで指定された場所まで進んでいく。
妹のアバターもワンオフ品である。
桜庭のようにスポンサーからプレゼントされたものではなく、どこからか拾った知識と技術を用いて自力で作り上げた渾身の一品だ。去年の夏頃に「これでやりたいことがあるの」と自慢げに披露されたことを思い出す。
結局、それを使って何がやりたいことがなんだったのか聞けなかった。それがなんだったのか聞き出せば良かった。少しは力になれたかも、なんて似合わないことを思って後悔していた。
あのアバターは一目見ればそれが妹のものであるかどうかわかるぐらい特徴的であった。
銀髪赤目の怪しげな雰囲気、可愛いらしき顔つき、衣装は黒と青のゴスロリ。
どこでも目立つそれは類似するものを見たことがない。
そうだったというに。
指定された場所に、記憶と全く同じものがそこにいた。
ソレは俺を見ると一度怪訝な顔を浮かべた後、合点がいったように笑顔を見せて、立ち上がり近づいてくる。トコトコとした小走りで。
俺の顔を覗き込むように立ち止まる。
「にーちゃん久しぶりー。ま、互いにこっちの顔は見慣れてないけどね」
ケラケラと喉を締めたように笑う。
近づき方も、笑い方も妹によく似た仕草だった。
その完璧な模倣振りに驚き、黙り込んでいると妹のアバターと瓜二つのソレは、首を傾げる。
「その没個性が逆に個性になってるアバターってにーちゃんでしょ? もしかして人違い?」
「……メッセージを見たから来た」
そう言うとパッと笑顔見せてくる。
「なーんだ! やっぱりにーちゃんじゃん! 愛しの妹に久しぶりに会ったんならもっと嬉しそうにしてよ!」
頬を膨らませる。まるで自分が妹であることが当然だと言わんばかりの素振りだった。
「妹は死んだ。お前は誰だ」
「舞香ちゃんは舞香ちゃんなのです! じゃ駄目?」
妹の姿、態度を真似たそれは妹を愚弄にしているとしか考えられなかった。
沸々と怒りが込み上がり、熱で血流が極限まで高まる。脈が速くなり、身体の制御が理性から感情に奪われる。気が付けば偽物の胸ぐらを掴み、睨みをきかせていた。
それと同時に、周囲に警告音が響き渡る。電脳ごとに設定されたセンシティブ、バイオレンス行為を検知すると響くものだ。この警告音直後にすぐに行為を止めなければ、セキュリティが飛んでくる。それは人であることもあるし、ボットであることもある。大型電化量販店の電脳ならばおそらく前者だろう。
「放してよー面倒くさいことなるよー」
「お前が誰であるのか言うのが先だ」
「んー舞香ちゃんは舞香ちゃんであることが自明であるから、それを証明しろと言われると困ってしまいますなぁー」
胸倉を掴まれたまま腕を組む。
「正直なところ、私にも何が何だかでどうしたものやら。てか無事ではないと思ってたけど、私死んだの?」
白々しい。
「半年前に死んだ。火葬も済んでる。だからお前が妹なんて有り得ない」
「うわーマジか。どうしよ」
頭を抱えて悩み始める偽物。
それと同時にセキュリティが飛んでくる。警備員の見た目をしたそれらは、俺一人が怒りを発していて、それを受けているはずの女性がまったく恐れていない状況に首を捻りながらも職務をこなそうと「何があったかわからないがその手を放しなさい。女性には優しくだよ」と諭してきた。
偽物は「痴話喧嘩なのでお気になさらず!」とこれまた癪に障る発言をかます。
セキュリティもご丁寧に「いやいや、そういうわけですかで済まないからね」と返す。
この流れに今まで黙って聞いていた桜庭が、いやプロゲーマーサクラバが介入する。
「本当に痴話喧嘩なんですよ。もちろんこの続きは別の電脳でしますので、ここは見逃していただけないでしょうか」
セキュリティもプロゲーマーの顔を知っていたのか「サクラバさんが仰るならば仕方ないですねぇ」とデレデレした様子で話がまとまった。
桜庭は俺の手を放させると、俺と偽物にプライベートスペースのアドレスとゲスト権限を送ってきた。
「続きはここで話すぞ。気になることもあるしな」
****
プライベートスペースとは、個人用の電脳を指す言葉の一つである。決まった呼称はないが、大体はこのような呼び方をしている。過疎電脳をプライベートスペースと言ったりする冗談も存在する。この場合、大体は煽りである。
プロゲーマーサクラバこと大学の友人である桜庭のプライベートスペースは、大人数が腰掛けられる数の椅子と大きな机、そこから大型スクリーンが見えるような並びになっていた。あとは各種オブジェクトが整理整頓された配置になっていた。
「わぁーここがプロゲーマーのプライベートスペースなんだ! 思ったよりシンプルなんですね!」
プロゲーマーの部屋を見てテンションが上がる偽物。キョロキョロと部屋のものを一つ一つ触って騒いでいた。
「ここはチームメンバーでミーティングするぐらいにしか使わないしな」
「えーこんな良い部屋なのにもったいない。なんなら舞香が使ってもいいっすよ」
妹のアバターを盗んだ挙句、プライベートスペースを盗ろうというのか。
「場合によってはそれも考えてるな」
「おい、桜庭。何言っているんだ」
「落ち着けって。ほら、二人とも座って」
桜庭に促され、席に着く。
大テーブルの端っこに固まって三人座る。
桜庭の向い合せに座ると、偽物が横に陣取ってきた。それに怪訝な視線を送るも、意に介すどころか妹が隣に座ってあげましたと言わんばかりのドヤ顔を披露してくれた。
「よく隣に座れるな」
苦情の一つでも言ってやったら「家ではいつも隣同士でご飯食べてたじゃん」と俺の家族しか知らないことを返される。それに戸惑い返事を窮していると桜庭が「では本題に入ろうか」と切り出した。
「最近、配信者が謎の存在――ここではエネミーと呼ぼうか。エネミーに襲われている事件が多発している。これについては二人とも知ってるか?」
「いいや、初耳だ」
「あ、私知ってる。ライバーさんとかネットアイドルとか舞香よく見てるけど、最近襲われてたとこ配信してたわ」
「そうそれ。三刀は疎いようだから説明しておくか」
「三刀だと舞香もそうだから、面倒だから名前で呼んでよー」
「ああ……たしか総司だっけ?」
「友人の名前忘れるなよ」
「普段、苗字でしか呼ばないと名前がパッと出てこないんだよ」
友達がいのない奴という文句は喉元で押さえこみ、別の文句を投げつける。
「そのエネミーとかいう奴は今関係ないだろう」
「ま、とりあえず聞けって」
そういって桜庭はエネミーの説明を始める。
最初に姿が確認されたのは五か月前、大学一年の冬のこと。奇しくも妹が死んだ時期と重なっていた。そのエネミーの出現する時間・場所に法則性はなく、配信者がいればそこに現れることだけがわかっている。
だが、それだけならはた迷惑なウイルスかクラッカーによる攻撃か、で済む話だという。
このエネミーはそれだけで済まない被害を与えているとのことだ。この情報は企業が関わっている配信者やプロゲーマーでのみ共有されているものゆえオフレコだと念を押される。
そのエネミーに撃破された者は記憶喪失になるという。記憶喪失の度合いは多岐に渡る。配信中の記憶を失うだけに留まった者もいれば数か月から数年に渡る記憶が失ってしまった者もいる。しかし、それ以上の症状はない。一件たりとも。人為的に記憶喪失になる仕組みなんて聞いたことがなく、その外れ値もないとするならば怪奇現象と呼んでしかるべきだという。
ゆえに桜庭は、この偽物が死んだはずの妹で、エネミーになんらかの形で巻き込まれたと考えたそうだ。
「それはコイツにとって都合が良い解釈が過ぎる。そもそも記憶喪失以外にはならないんじゃないのか?」
「……実はもう一つ、オレしか知らないことがある。オレはそのアバターを見たことがある。件のエネミーによく似た何かに襲われていたところを、だ」
この偽物は「なるほど私は記憶喪失だったのか」などと呑気なことをのたまう。
それが度し難かった。
「妹の死因は不明だ。そんなオカルトに巻き込むな」
「お前の気持ちはわかる。ただ、オレの幼馴染もこれに巻き込まれて、ほぼすべての記憶を奪われたから、ようやく手掛かりが得られそうで引けないんだ」
初めて聞く事実だった。
桜庭の幼馴染も被害に遭っていた。おそらく妹が死んだのと同時期の話だろう。その時期は顔を合わせることが少なかったから、そのことに気付くタイミングはなかった。
「……俺は認めない。ただ、お前がどうしようと知ったことじゃない。それでいいか?」
その妥協案に桜庭はフッと笑みを浮かべる。
お高いアバターのソレは鼻につく程度にはイケメンだった。
「ああ! それで構わない。舞香さん、悪いがエネミーを追うのを手伝ってくれないか?」
その誰もが頷きそうな甘いマスクなアバターの誘いに偽物は「え、嫌だけど」とぶった切った。そのイケてるフェイスが驚き崩れる様は、見ていて愉快愉悦ゆえ偽物がやった行為だとしても賞賛を送りたくなってしまう。
「待て待て待て。理由を聞かせてくれないか?」
断られるとは思っていなかったのかその動揺ぶりはまるで彼女に縋るヒモ男のようだった。
「え、だってにーちゃん一緒じゃないから」
ここで改めて俺を巻き込んでくる。俺のストーカーと考えれば俺を巻き込むことは論理的に納得はいくが、法的に問題のある論理は非常に不愉快であった。感情優先なところばかりは妹とよく似た行動原理でそれがまた癪に障る。
「私、知ってる人にーちゃんしかいないから一緒じゃなきゃやだ」
都合よく記憶喪失だと口にした。
桜庭はそれを真に受けて「どこまで覚えてる?」とか訊いていた。
「どこまでとか覚えてないからわっかんないし」
「そりゃそうか……」
「私が知ってるのは、知人以上の交友関係はにーちゃんしか知らないってことだけ」
こうした桜庭と偽物の問答によって、偽物の設定が披露されていく。
家族関係も友人関係も全て忘れ、俺のことだけ記憶にある。だから兄と二人きりの家族で自分はボッチだと勘違いしていたらしい。社会常識などはおそらく大体は覚えている。けど元々馬鹿だからあまり期待しないで欲しいとのこと。ログアウトもできず、ずっと一人で色んな電脳を巡っている。メールが無視された時は一日中切れ散らかしたらしい。
こうした偽物に都合の良い設定に、辟易していたら「信じてないな~」と偽物に頬を指でぐりぐりされた。
「桜庭、俺はもう行っていいか? コイツとは関わりたくない」
「言っとくけど、にーちゃんいないならマジで強力しないかんね」
桜庭が懇願するような眼で俺を見てくる。
長毛種な犬がずぶ濡れで懇願するような眼で見てくる。
可愛さの欠片もないただひたすらに哀れな目で見てくる。
「貸し一つな」
ここで折れてしまうのは俺の悪い癖だ。
「いやーやっぱ総司は優しいわ!」
毎回折れて妹をよく調子づかせていた。
****
桜庭と偽物を調子づかせた翌日。
週末で用事もないから惰眠を貪っていた。
手掛かりを得た桜庭は偽物と一緒にエネミーの手掛かりを探そうとか誘ってきた。もちろん俺は巻き込まれる形となる。無論、拒否の言葉を突き付けたが。
手伝うとは言った。
だが、いつ手伝うとは言っていない。俺の気が向いた時だけ手伝うことだってできる。そんな詐欺まがいなことはするつもりはないが、昨日の今日で探し出そうという気は起きない。昨日は夜遅くまで話し合いに付き合ったのだから、今日ぐらいは好きにさせて欲しいというのが本音だ。そもそも虚弱体質な俺は一日一ターンしか動く気にならない。
そんな言い訳に丁度良く春先の寒い日ということもあり、頭から布団と毛布を被り、ぬくぬくと暖を取っていた。ほんわかとした温もりが体を包み込み、心の影を溶かしていく。新生活と中指を立てたい偽物と何故か頭に浮かんだ妹のドヤ顔で蓄積したストレスが溶けていく。
一生お布団の中にいたい。
そう思った矢先、身体にぶるりとした感覚が芽生える。
尿意だ。
中途覚醒の目で携帯を見る。点けた画面が眩しすぎて目をやられる。数十秒布団の中でのたうち回ったあと、ようやく時間を確認できた。
昼過ぎを回っていた。
そりゃ尿意も出るし、なんだったら喉も乾き、小腹も空いた。
寝間着姿のままコンビニで朝食兼昼食を買いに行こう。
見苦しくない格好をしろとうるさい義母がいない場所だからできる所業である。
用を足し、帰ったら推しの配信をすぐに見れるようにパソコンを点けておいて、携帯と財布を持ってコンビニへ向かおうとする。
「あーっ! そんなだらしない格好で外出るとか駄目なことしてる!」
妹によく似た聞き覚えのある声に振り返る。
パソコンのディスプレイに映りこんだ偽物の姿があった。
パソコンのディスプレイを占領した妹は、ウェブカメラ越しに俺の部屋を見ているらしい。
「実家の部屋は綺麗だったのに何この部屋」
我が家は六畳一間の1Kだ。一人暮らしの大学生ならば丁度いい広さだ。そこにベッドとデスクトップパソコンとそれを置く机と椅子があるぐらいだ。余っているスペースは多いし、押し入れもある。汚くなるわけがない部屋だ。そう汚いわけがない。むしろ、美しいまである。
「一人暮らしの男の部屋なんてこんなもんだろう?」
「んなわけないでしょ! なんなんこの気持ち悪い部屋は!」
我が家は先ほど述べた家具の他にはラック程度しかない。あるのは全てグッズ類だ。推しであるシオミンこと汐見柚子ちゃんのグッズが大量に、所狭しと、しかし理路整然と並んでいる。
シオミンはネットアイドルである。
白ギャルっぽい、可愛い、おバカの三拍子が揃った陽キャ。
まさに俺の好みど真ん中だ。
個人で活動をしていた頃から追っかけており、大手事務所に入ったあとも変わらず追いかけ続けている。最初は数人のオーディエンス相手に緊張してたどたどしかった挨拶も、今では数万人の歓声を受けても堂々と挨拶ができるようになった。
歌も踊りも個人だった頃は光るものは感じたが素人の延長線上、悪く言えば上手いけど金を取れるほどではないクオリティ。それが素人にも違いが感じられるほど成長を見せた。歌声は美しく心に響くほど澄み渡り、ダンスは指先の動き一つにさえ動きに見入ってしまうほど。歌姫と界隈で言われるほどの実力を持ちつつ、その育ちの良さと社会常識が足りていないちょうど良いおバカ加減で愛されキャラとなった。
ネットアイドルは見た目だけ、声だけ、歌だけ、ダンスだけ、話術だけ、など何か一点ができるとそれを起点に下げられるのが常套句な世界で「シオミン禁止」という暗黙の了解が出来上がった。
そんな彼女を個人で活動していた頃から追っかけいたのはきっと生涯の自慢となるだろう。しかし、これを誰かに自慢することはない。ましてやネットでひけらかすことなんて絶対にしない。俺はシオミンが世界に羽ばたく様を近くで見てるだけで満足なのだ。彼女が活躍するためならば、大学生活をバイト漬けにして、業務スーパーで素パスタ生活で節約し、その収入をシオミンに注ぎ込むのは惜しくない。むしろ、彼女の活躍が見れるのならば安いだろう。彼女の活躍ならばなんでもするし、彼女の活躍を疎外する輩が出たら排除しなければならない。
そういえば最近の配信で「将来有望だなって思ってた個人勢な後輩がいたんだけど、最近活動してないみたい。忙しいのかなぁ。応援してたんだけどなぁ」と言っていた。シオミンを悲しませるなんてなんて輩だ。これはシオミンファンとして、どうにかしてその後輩とやらを特定して、活動できるように応援しなければならないのではないだろう。いや、そうに違いない。そして、いずれはコラボ配信してシオミンのモチベーションアップに繋げることこそが我が使命に違いない。
「気持ち悪いから全部捨てて」
「それを捨てるなんてとんでもない!」
偽物は手で顔を覆っていた。
「というかなんでそこに入れているんだ」
ディスプレイを占領した偽物に問うた。
パソコンの中は一種の電脳といって差し支えないため、アバターが入ることも理論上は可能である。だが、パスワードは掛けているし、ファイアウォールも張られている。昨日、桜庭がやったようにゲスト権限でも付与しなければ他人のパソコンの中に無断で入るなどということはできないはずだ。
なのにこの偽物、パソコンを点けた途端にシレっと入り込み、今ではシオミンフォルダのスクリーンショットを見て「引くわー」と言って、ゴミ箱にドラッグする振りをして俺をからかい始めやがった。
「なんでってニーちゃんのパスワード知ってからだけどー?」
「知ってる訳がないだろう。俺は誰にも教えたことはない」
「うん、教えてもらってないよ。実家にいた時、後ろから覗き見たから。ほら、この姿お披露目したいのに私のパソコンがちょうどオシャカになって、ニーちゃんのパソコン借りた時あったでしょ。あの時」
よく覚えていた記憶であった。
それは去年の夏、帰省した時のことだ。帰省せずに短期バイトで小金を稼ごうと思っていたら親父からの「顔ぐらい見せに来い」というお達しで、強制帰省となった。帰省した足で家族で外食し、久しぶりの我が家に到着した。俺の部屋はものの半年で妹の物置となっていて、ベッドの上以外は足の踏み場がない状態だった。そのまま深夜の大掃除をしていたら妹が部屋ににやけ面でやってきた。
「お前の荷物だろ。片付けろよ」
その苦情は「あとでやるって」と軽く受け流され、俺が置いていったパソコンの前に片付けた荷物の山を横にずらし始める。黙ってそれを見ていたら、力のかけ方を間違えたらしく大きな音を立てて崩れ落ちた。
「……あとで片付け手伝うよ?」
この期に及んでも手伝うとしか言わない妹に呆れつつ「何がしたいんだ?」とさっさと用事を終わらせる方向にシフトすることにした。
「パソコン貸して! 見せたいものがあるんだ!」
足で妹の荷物の山を部屋の端へ寄せてパソコンの前に立ち、不承不承ながらパソコンの電源を点ける。久しぶりに起動するためか少しばかり時間がかかった。後ろから妹がパスワードを食い入るように見ているのは気付いていたが、見られて恥ずかしいものが入っていないパソコンのためパスワードを見られてもいいだろうと、そのままパスワード入力した。
その後、妹がパソコンを操作し、サーバに保存されたデータを見せてくる。
そこで今もディスプレイに映るアバターを初めて見た。
銀髪赤目の怪しげな雰囲気、可愛いらしき顔つき、衣装は黒と青のゴスロリ。
良い出来だと思い「外注したのか?」と尋ねたら「残念、自作なんだなこれが」と無い胸を張った。
「こういう才能あったのか。この道で食っていくのか?」
素直に関心した。妹の腕前ならば問題ないだろうと思い、尋ねる。もし肯定が返ってきたのであったならば応援しようと思った。なんなら桜庭からプロゲーマーチームを紹介してもらい、仕事を貰う手筈まで考えていた。
「いやいや、これは私の野望の第一歩。これを使って稼いでいくのだ」
どう使っていくのか訊いても教えてくれなかった。
上手くいったら教えてくれると言っていたのだが、結局それを知る時は来なかった。
そして、俺が人に分かるようにパスワードを打ったのはその一度きり。
それを知っているとしたら、妹に非常に近い人物か、妹自身だ。
「てかさ、パスワードなんだけど、ニーちゃんと舞香の誕生日二つ並べたやつって、舞香のこと好き過ぎでしょ。可愛い声で、お兄ちゃんだぁいすき、って言ったげよっか?」
そう言ってケラケラと指差して嘲笑う。
ウザい。
このウザさには身に覚えしかない。
もはや、このアバターの中身は妹としか思えなかった。
こいつが本当に妹だとしても、簡単に認めるのはそれはそれで癪に障る。
もし妹だと認めた瞬間、煽り倒されるのが目に見える。だから、こいつの応対は偽物のままを継続する。機を見て、妹と認めればいいだろう。
「何しに来た?」
外出を諦め、ベッドに腰かけて尋ねる。
「サクラバさんがやっぱり今日から調査したいって。んでにーちゃん呼ぶなら、私が呼びに行くって流れで来たんだけど」
「別に今日からじゃなくていいだろう」
「それはサクラバさんに言ってほしいかなー。私は伝令だし」
結局、手掛かりを手に入れたから居ても立っても居られなくなったということだろう。
「……今日はまだ何も腹に入れてないんだ。それぐらい待てるか?」
「んーいんじゃない? なんなら私からメッセぐらい送っとくけど」
「そうしてくれ」
返事してから何を食べるか考える。
一回腰かけてしまったことで、どこかに出かける気が失せてしまった。
ありもので作ろうと考えて、家にあった食材を思い出すも、一種類しか選択肢がなかった。
「しょうがないな、アレにするか」
そう言って立ち上がり、鍋に水を張り、火にかける。沸騰するまで携帯でも弄って待ち、それから放射線状にパスタを入れる。適当に時間が経ったら、一本だけ食べてみて、中心に針先ほどの芯が残っているのを確認し、ざるにあけて水気を切る。
あとは皿に盛りつけて、ソースとなる調味料を持って机に戻る。
「ニーちゃん、パスタ食べるの――具もソースもなくない?」
「何を言っているんだ。これがあるじゃないか」
そう言ってオリーブオイルの瓶を見せる。
オリーブオイルをパスタにかけてかき混ぜて「ほら、完成だ」と見せつける。
妹は若干引き気味に、そして心配するような目をする。
「……お金ないの?」
「単に節約してるだけだが?」
「ちゃんと食べなよ。身体壊すよ」
「サプリメントは飲んでるから大丈夫だ」
「……ああっ! 身体が火葬されてるのが悔しい! 身体さえあれば、記憶にないけどパパとママにこの惨状を伝えるのにっ!」
頭を抱えてディスプレイの中をのたうち回る妹は、見ていて愉快だった。
「いや、待て、待つのよ舞香。これはにーちゃんの食生活を治すことが私がこうなった使命なのでは?」
「そんな使命で死なれてたまるか」
そんなとりとめのない会話を食事中ずっと繰り広げ、いつもより時間が掛かった。
電脳へ向かう準備を整えつつ妹に「どこで待ち合わせなんだ?」と尋ねる。
「にーちゃんは知らないだろうから私が連れてく予定。だから、ここに来てくれればいいよ」
「わかった。ちょっと待っててくれ」
ヘッドマウントディスプレイを被り、ベッドに横になる。
それを起動すると、意識は闇に引き込まれていった。
妹に連れられてきた先は、とあるオンラインゲームの電脳であった。
昔から人気のあるジャンルのゲーム。銃で撃ち合い、最後の一人まで残るまで戦い抜くタイプのオンラインゲームだ。昔からとの違いは、個人用アバターの使用可否だろう。昔はゲーム内で用意されたものしか使用できなかったらしいが、メタバースが主流になった時流もあり、電脳世界で使用される一般的なアバターならば使用できるようになった。無論、ゲームごとに細かい規格の違いはあるが、よっぽどでない限りは通るらしい。
よっぽどの例でいえば、背が高すぎるアバターだったり、ごてごての装飾が多すぎたり、全身が余すところなく発光していたりなどがある。ゲーム性の問題や処理負荷的な問題など俺には想像が及ばない多種多様な問題があるのだろう。
妹のアバターもその類から漏れなかったらしく、電脳のロビーへ入った途端、煌びやかな衣装は迷彩服となっていた。
俺の方はというと、広く流通しているモデルだったためか変化はなかった。
「うへーせっかく可愛かったのに、こんなん酷くない?」
ぶーたら文句をつける妹の無視して人だかりを探す。桜庭のことだ。どうせいつも通りのイケメンアバターで入ってきて、歓声を浴びているのだろう。そう思って周囲を見回したら、やはりいた。なんならファンサまでしていた。
ちょっとした握手会だった。握手を終えた人が横を通り過ぎた時「サクラバ、今日は新人さんとのコラボで来たんだってー」と話していたのを聞いた。
記憶を失った幼馴染とやらのために、オフ用のアバターで入ってくるのを心のどこかで期待していたのだが、予想は的中し、期待は裏切られた。
「はーサクラバさんって人気あんだね」
隣でその光景を見ていた妹は言った。
「そういえば桜庭のことを最初に見た時にちゃんとプロゲーマーって覚えていたが、記憶喪失はどうなった?」
「サクラバさんのこと知ったのこうなったあとだから記憶喪失云々は関係ないかな? もしかしたら忘れてからもう一回知ったのかもだけど」
「知る機会なんてあったのか?」
「詳しくはあとで話すつもりだけど、その界隈に興味あったんだ」
「初耳だな」
「恥ずかしくて言ってなかったしねー。……って今私のこと妹って認めた上で言ったよね!」
「気のせいだな」
「このこのー本音言えよー。妹とまた話せてお兄ちゃん嬉しいですって言えよー」
腕にしがみついてくる妹を引き離そうとして攻防を繰り広げ、周囲から失笑を買っていると、いつの間にか桜庭が呆れ気味に俺らの前に立っていた。
「オレよか目立ってんじゃねーよ。やっぱ素で愉快な奴見てると羨ましいわ」
「偽物、褒められてるぞ。喜べよ」
「総司、お前に言ってんだよ」
「それ俺に対しては誉め言葉じゃないぞ」
「けなしてるんだよ、馬鹿め」
こんな軽口を叩き合ってると、周囲から「あのサクラバさんが気を許しているアイツは何者?」とか「あの気難しいサクラバさんが気を許してる相手との絡み、てえてえ」とか聞こえてきた。
間近で見ていた妹からは「軽口を叩き合える友達ができたんだね……」と涙ぐむ仕草をしやがった。
桜庭と合流した俺たちは出撃準備室なるチームメンバーだけで集まることができる部屋へ向かった。そこではどのゲームモードで遊ぶか作戦を考えたりすることができる簡単な作りの部屋だという。中には雑談部屋として押さえる人もいるらしい。
その部屋に着いて皆が適当な椅子に腰かけたのを見計らい「わざわざ今日呼んだ理由はなんだ?」と切り出した。
「エネミーの調査をしたいからってのはあるが、親睦を深めるっつーのが趣旨だな。これから三人で行動することが増えるんだからギスギスして連携取れないのは避けたいしな」
「それでこのゲームか? もっと気楽にできるゲームの方がいいんじゃないか。俺はド素人だぞ」
「俺はそれでも良かったんだが、舞香ちゃんのことを考えるとこのゲームの方が都合良いと思ってさ」
「コイツのこと?」
妹に視線を配るが、妹もよくわかっていないらしく首を傾げていた。
「舞香ちゃん、配信者かネットアイドル志望でしょ? プロゲーマーサクラバとのコラボってことで配信していいよ」
だからお前はその恰好なのか、とツッコミたくなったがそれ以上に妹が配信者もしくはネットアイドル志望ということを聞いてそれどころじゃなくなる。
キャッキャッと配信の準備を始める妹の肩に手を置く。
「お前、配信者なのか?」
妹は準備をする手を止める。
「んー正直今の時代、配信者とネットアイドルとの境曖昧だからなんともだけど、大きなくくりで言えばそんな感じかなー。てか、ロビーであとで話すって言った件覚えてる?」
「あープロゲーマーとしての桜庭を知ってた件か」
「それそれ。サクラバさんってストリーマーとしても活躍してるから、界隈トップの配信者もといネットアイドル目指してる身としては知らなきゃ駄目なやつだし、見たらまたこれがいい勉強なるんだなー。この衣装だってそれ目指して準備したやつだしね」
「この際、お前が妹だろうが妹じゃなかろうがどうでもいい。配信はやめろ。俺は出る気はない」
「えー! にーちゃんも出ようよー! ネットアイドルでもリアル兄ちゃんとか弟くんとかが一緒に動画に出てることもあるから普通だって。恥ずかしがるようなもんでもないし」
「そんな出たがりと一緒にすんな。俺は表舞台に出る気はない」
「うわー陰キャ思考。もっと日の当たる場所歩きなー?」
「俺は日に当たると死んでしまう病にかかってるから無理だな」
その不毛なやり取りに「まあまあ待て待て」とひらりとした口調で桜庭が割り込んでくる。
「この陰キャくんに陽キャ理論じゃ首を縦に振ってくれないぞ」
「お前は喧嘩売ってるのか?」
桜庭は席を立ち、俺の肩に手を回す。
「……実は事務所の伝手で手に入れた汐見柚子のライブチケットがあるんだ。しかもSS席だ」
それは推しのライブチケットであった。
電脳世界ならば誰もがSS席で見ることが可能なのに「現実世界と同じような体験を」という糞みたいな建前の名の下に、ぼったくり価格に加え、ありえない抽選確立を潜り抜けなければ手に入れられないものであった。
「ギブアンドテイクでいこうじゃあないか。オレはエネミーの調査ができる、舞香ちゃんはネームバリューのあるオレとコラボができる、お前は推しのSS席ライブチケットを手に入れられる。三方良しで誰も困らないだろ?」
その悪魔の囁きに抗うことなどできるだろうか。
無論、無理だった。
プライドを投げ打ってシオミンのSS席ライブチケットを手に入れられるのならば安いものだ。
そう自分に言い聞かせなければ、配信に映る自分の姿に恥ずかしさでのたうち回ってしまいそうだった。
ライブチケットと己の恥を等価交換を見届けた妹は意気揚々と配信の準備を始める。
「こんなこともあろうかとサムネとか用意しといてよかったー」
そんなことを言いながら俺に「どうせならにーちゃんにも見栄えするモデル作っておけばよかった。そしたら兄妹で活動できたじゃん」とか妄言を吐くことにも余念がない。まったくもってありえないことだ。俺は陰ながら応援する側の人間だ。誰かの前に立つなんてことは性に合わないどころか、そもそも向いていない。そういうのは向いている人にやらせておけばいい。でもだからといって友達がいないわけではない。
そこらへんは重要だ。
「二人ともー配信始めるから、ちょっとカメラの外に外れててー」
そういって部屋の端まで俺らを押し出す。
カメラの前まで戻ると笑顔を作る。
「ども! みなさんこんにちはー! マイカです!」
です、に合わせて簡単な決め顔を作る。
「半年ぶりかな? マイカを半年待った人はよくぞ待っててくれた、ご新規さんは今から始まる伝説を目に焼き付けろ! ま、とにかくみなさん見てってね。てか、いやー色々あって配信できなかったんだよねー」
流れるように言葉が紡がれていく。リズム感だけで話しているのか聞いていて気持ちが良い。話している内容は空っぽだが、挨拶や雑談なんてそんなものだろうし、これを聞いているリスナーはマイカというアイドルが話していることが重要なのだろう。
「今日は復帰記念ということで超すごいゲストをお呼びしております!」
そう言って俺ら二人を手招きする。
俺は土壇場で出るのを躊躇ってしまった。しかし、そんなことはお見通しとばかりに桜庭に腕を引っ張られて強引にカメラ前まで連れて来られる。
カメラの後ろにはコメントが見れるように設定しているらしく、俺ら二人が出てきたことで大きく分けて二つの反応があった。
一つはプロゲーマーサクラバとのコラボで驚き喜ぶ反応。
一つはその横で小さくなっている俺に対して「誰?」という反応。
コメントという形で反応が可視化されている分、俺に対する反応が辛辣なものも多い。
「誰だよ」とか「どっかのライバーとか?」なら言われても仕方ないと思うが「誰が安物のアバター使って配信出んなよ」とか「そのアバター、俺のじいちゃんも使ってる」とかは関係ないだろと言いたい。そんなにワンオフ品が偉いか。量産型は凄いんだぞ。コスパ最高なんだぞ。お前らだってリアルじゃあ揃いも揃って量産型みたいな顔してるくせに。
心の奥からおぞましい影が這い出ようとするのを感じ、いかんいかんと押し戻す。
こんな輩相手にアイドルなんてよくやると妹を尊敬もとい畏怖の念を覚える。
「ほら次はお前の自己紹介だぞ」
桜庭の自己紹介をまったく聞いていなかったせいで参考にする相手がいなくなってしまった。
仕方なく俺は妹の配信だというのにテキトーをかますことを心に決めた。
「匿名希望。桜庭のリアル友人で、舞香の兄。今日はこいつらに無理矢理出されただけの一般人なので、数合わせと思ってていいです。あと俺のアバターを馬鹿にしたやつら、今から俺の敵だ。文句があるのなら掛かってこい」
決してコメントに腹が立って八つ当たりをしたかったわけではない。ないのだ。
隣で桜庭が「こういうところが素で愉快なんだよなぁ」と苦笑し、妹が「え、え、なんでリスナーさんと戦う流れになってんの? え、なんで」と慌てふためく様を見れたので多少なりとも溜飲は下がった気がした。
俺の思いつきは反響を起こし、たちまち界隈で騒動となった。
つまりは祭りの始まりである。
俺の言葉は切り取られ、煽り散らかすタイトルとともに動画をアップされ、いつしか量産型モデルユーザーの代表として祀り上げられる。
この間、たった十分である。
昔ならばもっと時間がかかったであろうものが、技術革新とともに神輿の作り方もスピードアップしたのだ。せっかくの技術革新なのに、こういう使い方ばかりされるのはいかがなものか。まあ、神輿は軽い方が良いのは変わらないらしい。その場合の神輿は俺ということになるのは甚だ遺憾である。
まるで炎上に近い盛り上がり方に顔を真っ青にするのは我が愚妹と悪友である。
俺よりも高度情報化社会やらユキビタスやらメタバースやらに精通しているゆえ、これがマズい盛り上がり方だというのがわかるらしい。俺自身、二人の顔色を見るまでは「言ってやった」ぐらいのことしか思っていなかった。
もっとも俺がわかったとしても黙って見ていることしかできないのだが。
妹が必死にリスナーと祭りに乗じてこの配信まで辿り着いた人々を必死になだめる。コメントを見る限り、俺に対する文句だけではなく、妹のリスナー、サクラバのファン、野次馬どもの三つ巴で喧嘩が始まっているところに仲裁していた。もっとも野次馬どもが一番優勢で、次にサクラバのファン、最後に妹のリスナー、という具合に声の大きさが目立っていた。
桜庭は必死に大会を開けるようにカスタム設定を弄っているようだった。作業中の桜庭に「みんなが参加できるカスタムルールなんてあるのか?」と訊いてみたら「あるわけねぇだろ! だから、今必死に参加抽選機能調整してんだよ!」と怒られてしまった。
手持ち無沙汰になったので部屋の隅で、俺が引き起こしてしまったという祭りの情報を調べてみた。
サクラバの名に惹かれてか、どうやら野次馬ばかりだけではなく他の配信者も参加しようという動きがあるらしい。名前を見れば桜庭のチームメンバーもいれば、俺でも名前ぐらいは聞いたことがある有名どころもいた。プロゲーマー以外からは、ゲーム配信者はもちろん、ネットアイドル、はたまたテレビを主戦場にしている芸能人の方々もいた。
俺のかましで、こんな有名人まで動かしたと思うと、不謹慎ながら少しばかりワクワクした。
そう感じてしまい、反省するべく自らの頬を打つ。
これは迷惑行為に走る輩の思考回路ゆえ、捨てなければ。
清く正しくシオミンのファンでいなければならないのだから。
そう強く思い直し、そういえばシオミンはこの騒ぎ知っているのなと気になって調べてみた。
シオミンも参加を考えていることを知り、シオミンに殺されるまでは誰にも殺されてなるものかと心に誓った。
シオミンがいる。
そうと分かれば生シオミンに会うまで一分一秒でも長く生きる術を学ばなければならない。
まず銃で撃ち合い最後の一人になるまで戦うというフワッとしたことしか知らなかったこのゲームについて調べ始めた。
どうやら基本的に銃で撃ち合うのは基本的ではあるが、多種多様な能力から一つ選んで戦闘に臨むことができる。これだけならばよくあるゲームと言ってしまえるのだが、長年運営し、ナンバリングなどを重ねても過去作の能力を一切捨てずに来たため、膨大な量の能力を選択できるようになっている。しかも、近々行われる大型アップデートでは、新ルールで複数の能力を組み合わせられるようにもなるらしい。
それだけ聞くとゲーマーなら魅力的に映るかもしれないが、初心者の俺は大量の選択肢を前にして困り果ててしまう。
自分の性格に合った能力を選びたいと考えていたが、そんなやわな考えは捨ててしまおう。どんなゲームにだって一線を画す性能を持ったものがどうしたって出てくる。それさえ使えれば、同じ実力の者同士ならば強い性能を使った方が勝つのだ。
桜庭がそう言っていたのだ。間違いない。
メタを張られやすいとも言っていたが、初心者が気にしても仕方がない。
シオミンに会うまでやられなければそれでいいのだ。
そうやって三つの候補に絞り込んだ。
一つ目はワープ能力。
ワープ能力だけでもいくつか種類があったのだが、俺が候補に選んだのは短距離ワープを連続で使用できるタイプだ。移動系の能力は、迎撃、追撃、攪乱、逃走、どれを取っても腐らない能力だという。ただし、本人が弱いと強みは活かしにくいともいえる。
二つ目はシールドを張る能力。
ただし、味方を守る能力は皆無。自分の周囲にだけバリアを張るタイプだ。これはスナイパーライフルもしくは重火器など、機動力が落ちる武器を持ちたい人が選ぶ能力らしい。たまにこの能力で敵陣に突っ込む人もいるらしいが、魅せプレイの一種か地雷プレイだという。
三つ目は回復能力。
とは言っても直に回復する、させるタイプではなく、アイテムを生成・自動発動能力だ。回復アイテムを生成できるのはいわずもが、そのアイテムを予め自分もしくは味方に発動予約さえしておけば、傷ついた時に自動で発動してくれる。無論、生成したアイテムに限定されるが、戦闘中のアクションリソースを奪われないのが強みだ。初心者向けに作成され、強すぎてナーフされ、弱くなりすぎてバフされ、適度な強さ設定ができない能力らしい。ちなみに今はバフ期だ。
どの能力も捨てがたい。
現環境下においては、それぞれ人気のある能力だ。
その上でシオミンに会うまで生き残れる確率が高いのを選ばなければならない。
「おい、抽選終わったから開始すんぞ」
桜庭にそう声をかけられる。
三十秒のカウントダウンが始まる。
出撃準備室で能力を選択を迫られる。
桜庭はいつも使っている能力を選択。
妹は「じゃ、これでいーや」とテキトーに選んでいた。
その横で、一人頭を悩ます。
妹に「私が選んであげてもいーよ」と勝手に選択されるのを阻止し、その勢いそのままに「これだ!」と能力を選択した。
戦闘開始まで残り十秒。
そこでシオミンは結局、抽選を通ったのか確認することを忘れていたことに気づく。我が女神ならば当然抽選なんてものは通って当然だと思い込んでいた。それが自然の摂理だと。
そんな狂信者如きメンタルだった俺がそのことに気づけたのは、悔しいことに妹の「有名どころもけっこー抽選参加してたけどほとんど落ちちゃったねー」という発言からだった。
そう今回の抽選は、固定枠として俺ら三人だけが参加できるだけで、招待枠などは一切設けない完全ランダムなものとなっている。ゆえにその参加倍率は十倍以上となっており、運という名の振い落としが発生した。そのため、本当ならば招待枠で呼ぶべき人たちも落とされ、参加枠のほとんどは名も無き野次馬たちによって占拠されていった。不当占拠である。
その中に我が女神ことシオミンがいない可能性は十分にあり得た。
残り十秒切る中、俺は慌ててブラウザでシオミンが参加できているかを調べ始める。試合が始まってからではゲームに関わる機能以外はおおよそ切り離される。例外は配信設定あたりだ。試合が始まってしまったらシオミンがこの戦いに参加しているかどうかを知る術がなくなってしまう。それは避けたい。シオミンが参加しているか、していないかはこの大会に臨むモチベーションであり、参加が決まっていれば戦い方すら変わる。無様に逃げ回ってでもシオミンに会うのだ。
彼女のSNSはブックマークで保存している。そこからすぐに飛んで、最新の発信が何かを確認する。
そして俺は神に感謝した。
シオミンは抽選に通り、この大会に参加することをSNSで表明していた。
やはり、シオミンは持っている側の人間であった。いや、女神であることが証明されたのだ。無論、自明のことであるが、御業を披露してこそ愚鈍な人間どもでも理解できるというもの。また、信者であってもそれを拝見できたというのは、信仰を高めることができる良い機会であった。
いや、待て。
我が女神がこの戦場に降り立つ。ならば私は敬虔な信者として彼女に拝謁するためにどんな手を使ってでも生き残らねばならない。それは当然だ。だが我が女神を拝謁するにあたり持参品の一つもないのはいかがなものだろうか。これがリアルで会う握手会ならば彼女が喜びそうな土産でも持っていくのだが、ここはバーチャル。それができない。ならばやはり多くの首を取り、彼女に殺されることが一番の土産なのではなかろうか。もしシオミンと俺のチームだけ残ることができたのならば、そのまま俺は彼女に殺され、彼女に優勝の栄誉を与えることができる。そして俺はシオミンに殺された名誉を得るのだ。
やるしかあるまい。
戦闘開始まで残り五秒を切り、俺は二人に伝えた。
「シオミンもこの戦いに参加しているらしい」
「ああ、お前がファンだっていうネットアイドルか」と桜庭。
続けて妹が「あー部屋にグッズ沢山あったあの子ねーはいはい」と語気を低くする。
「シオミンに殺されるために生き残って、俺はシオミンに殺される」
そう俺が言い切ったところで、試合が始まった。
戦闘開始とともに、飛行機のようなものから参加者が飛び立っていく。
昔ながらの様式美らしく、飛行機からジャンプして戦場に降り立つという形式は変わらないらしい。ゲームによっては飛行機ではなく、空飛ぶバスだったり、空飛ぶ円盤だったり、猫だったり、見た目だけはオリジナリティを出している。
そこから戦場となる島に降り立ち、戦闘を開始するわけだが俺らは不人気の場所に降り立った。理由はもちろん俺と妹が初心者だからだ。過激な戦場に降りてしまったら、見せ場も何もないまま、なすがままに蹂躙されてしまう。
初動を安定させ、適当に銃やアイテムを集め、そこから戦闘に参加する運びとなった。
移動中、二人の能力を訊いてみた。
桜庭は目立つ能力はないが、体力最大値や持てるアイテム重量、ダメージを受けたら時間経過で少量ずつ自動回復するという自己完結型の強い人が使えば強い能力を選択していた。言い換えれば俺と妹をアテにしていないともいえる。それは間違いではないので、俺も妹も敢えてツッコムようなことはしなかった。
妹の方はというと、エイムアシストという自動照準を選んでいた。どんな状況でも必ず当たるというわけではないが、当たりやすくなるため初心者に対しておすすめされている能力でもある。ただ、それを使っても強さに頭打ちがすぐに来るため、ゲームの楽しさを学ぶぐらいで、将来的には別能力に切り替えるべきものと言われていた。
「そういや戦闘開始する前にシオミンに殺されたい的なこと言ってたよな。どういうことだ?」
桜庭が訊いてきた。
「どういうことも何もシオミンに殺されることは一生の自慢だろ?」
桜庭は俺のシオミンに対する愛を知っているので聞き流していた。
「でももう死んでるんじゃないの? 残り半分切ったし」
九十九人、三十三チームで始まった試合は、気づけば残り十五チーム。加えて、全チームが一人も欠けることなく無事なんてことはなく、残り人数は三十五人を切っていた。
「シオミンならきっと生き残っているはずだ」
「いやはやどうしてそんな盲目になれるのやら。リスナーのみんなもそー思うよねー」
妹がリスナーに向けた言葉を投げかけると少しして「恋は盲目かー上手いこと言うねー。でも妹の立場からすると兄がアイドルに盲目なのはいただけないかなぁ」とブーたれた。
「って誰がブラコンじゃい!」
俺からは見れないがリスナーにからかわれたらしい。
妹がギャースカ騒いでいるのを見つつ進んでいく。途中、小高い山がいくつかある地形に近づく。この登り降りをリアルでやろうすれば翌日は筋肉痛で動けなくなるだろう。下手すれば数日寝込む。これがゲームで良かった。
そう思った矢先のこと。
桜庭が叫んだ。
「前方敵あり! 各自、身を守れ!」
桜庭が近くの木に身を隠し、妹は狼狽えて棒立ち。
俺は仕方なく妹の前に庇うように飛び出る。
そこで初めて能力を発動した。
選んだ能力はシールドを精製する能力。正六角形の組み合わせで形状変化するバリアを精製するというものだ。今は急ぎということもあり、前方に最大展開を行う。
展開とほぼ同時、重い銃声と展開したシールドに衝突する。鈍い音が響き渡り、シールドのうちの一つにヒビが入る。だが確実に銃弾を受け止めていた。
「前方、スナイパー!」
前方に目を凝らす。山の中腹辺り、一人の女性がスナイパーライフルを構えていた。
シオミンだった。
なんということだろう。
あれほどシオミンに殺されたかったのに、俺という愚物は女神の一撃から身を守ってしまった。しかし、慈悲深い神は、居場所がバレても逃げることなく未だ照準を合わせてくれている。
ならば俺はバリアを解除して、その身に余る栄誉を受けようではないか。
バリアを解除。
銃声が響き渡る。
それは何故か俺の背後から聞こえたものであった。
そして、照準を合わせてくれていたはずのシオミンは倒れた。
恐る恐る背後を振り向くと、シオミンと同じ武器を持った妹が一仕事をやり遂げた顔をしていた。
「シールド解除してくれたおかげで撃ちやすかったよ」
シオミンが妹の手によって殺された。
その事実は俺の心に影を落とすことになる。ようは酷く落ち込んだ。
もうシオミンがいないならば残ってる意味ない、などといった言葉を繰り返し吐き出していた。
その態度に、妹は侮蔑の眼差しを飛ばし、妹のリスナーは「これは酷い」などと嘲笑する。唯一、桜庭だけが俺に寄り添ってくれて「シオミンの攻撃を一度は防いだんだ。だったら最後まで生き残って、シオミンに愛を伝えようぜ」と励ましてくれた。
我ながらちょろいので、その励ましを真に受け、最後まで生き残ってやろうと決心した。
リスナーは「男同士の友情だなぁ」と半分からかいのコメントで溢れていたらしい。
妹は「いや、わけわからないんだけど」と真顔でクエスチョンを浮かべていた。
それからは俺と妹は身を守るのに精一杯で、敵は桜庭が、いやプロゲーマーサクラバが一掃していた。ほとんどが野次馬で埋められていたため、実力的に圧倒していた。強い人も中にはいたらしいが、やはりプロゲーマーには劣るらしく、どうにかなってしまった。
そして、残りが俺らを合わせて三チームの時、事件は起こる。
狭いエリアでそれぞれが異なるビルの中に潜伏していた時のことだった。
ゲーム内の全ての地形表現にノイズが走った。
俺と桜庭、妹はそれぞれ顔を見合わせ、自分の環境だけで起きただけでないことを確認する。
次の瞬間、轟音が響き渡る。
窓から外を見ると黒く細いシルエット、両の手には巨大な鉤爪、人を模しているようだが生物とも無機物ともいえぬ何かがそこにいた。
このゲームのビジュアルからは大きく外れた異様な見た目であった。
「桜庭、アイツ倒すと何かいいことあったりするのか?」
桜庭にそう問いかけるも、返事がない。
目を遣ると、桜庭は目を大きく見開き、震えていた。
「アイツがそうなんだな?」
その問いに、桜庭はアイツから、エネミーから視線を離さないまま答える。
「ああ、そうだ。俺が直接見た奴とは違うが、噂になってるのはアイツだな。……これから先は危険が伴う。大会は中止だ」
桜庭はそのまま妹の横に立ち、リスナーに説明する。
「事情はあとで説明する。本大会は中止だ」
大会の主催者となっている妹は、中止を行おうと空中に浮かぶコンソールを弄り出す。澱みなく動いていた指が止まる。そのまま色んなウィンドウを開いては閉じてを繰り返し、リスナーに何回か質問を重ねるも、「え、でもないよ」「え、ウソでしょ。ありえなくない」などと焦ったような言葉が漏れていた。
妹は青い顔をして、俺と桜庭を見る。
「なんか中止できなくなってた。しかも九十九人設定だったはずなのに、空いた一人分の枠にアイツがねじ込まれてるんだけど」
ゲームに不慣れな俺が「つまりどういうことか簡単に言ってくれないか?」と訊く。
深刻な顔をした桜庭が答える。
「アイツを倒すか、誰かから殺されないと、ここから逃げ出せないってことだよ」
つまり、残った参加者全員が記憶喪失になるリスクを背負ったということだった。
理性では由々しき事態になったことを飲み込めたのだが、本能ではシオミンが先にこの大会から抜けて良かったと安堵する自分がいた。
妹の前では言えないが一つ確実に戦線離脱する方法があった。それはヘッドマウントディスプレイの電源を落とすことだった。強制的に終了状態に移行し、リアルへの帰還が果たせるだろう。
なら、何故それを行わないか。
妹がリアルに帰ることができないからだ。妹の身体はすでに灰になっている。意識だけが電脳世界に閉じ込められた状態だ。その状態でエネミーから襲われた場合、どうなるかわからない。何もないかもしれないし、そのまま消滅してしまう可能性だってある。分が悪い賭けでも、俺と桜庭の掛金が記憶だけならば挑む他なかった。。
「どう戦う?」
そもそもエネミー相手にゲームシステムに則った攻撃が効くのかどうか。
答えが出ず、静かに佇むエネミーの様子を観察していると一発の銃声が響いた。
俺らのものではない。違う建物に潜んでいた他チームのものだった。
放たれた弾丸はエネミーに的中し、ダメージエフェクトが発生する。それを見たそのチームはそのまま特攻を仕掛ける。二人が前に出て、一人が後方でロケットランチャーを構えていた。
それに合わせてエネミーも動き始める。その巨体に見合わない速さで距離を詰める。前衛からの射撃で大量のダメージエフェクトは発生するものの、それをものともせず進み、鉤爪を振るう。
その一撃で前衛二人が消える。
その勢いのまま、後衛のロケットランチャーを持つプレイヤーに狙いをつける。眼前に迫った時、ロケットランチャーがプレイヤーごと巻き込んで爆炎をあげる。粉塵が二つの姿を覆い隠す。風が粉塵を少しずつ晴らし、影を浮かび上がらせる。
それは鉤爪がプレイヤーの胴体を貫通し、持ち上げた姿があった。
それを投げ捨てるように放ると、違う建物に対してゆっくりと向かい始める。
「あ、あの建物の中、誰かいるよ」
妹がスナイパーライフルのスコープを覗きながら報告をあげる。
「今のうちに作戦を立てよう」
俺の提案に桜庭は「どうやって勝つつもりだ?」と問う。
「アイツがバグだろうがオカルトだろうが、ダメージエフェクトは出ていた。だったらダメージを与えていけば倒せる」
「世の中にはダメージ表記が出ていてもノーダメージなことが……いや、これ言い始めたらどうしようもないな。ならどうやって倒せるだけのダメージを出す?」
「むしろ、そこらへんは知識があるお前に聞きたい。……条件を付け加えるならば、とにかく短時間で大量のダメージを与えたい」
「それなら一つ思いつく。対人じゃオーバーキル過ぎて、ネタ動画でしか使われないような高火力なものが。ただ、今からだと時間がない」
ならばどうするかと思考を巡らせていると妹は立ち上がる。
「やろーよ。もう考えてる時間が勿体ないじゃん」
妹の言葉に従い、桜庭は作戦を俺らに伝える。
俺らは残り一チームがエネミーと戦っている間、手分けして物資を集め始めた。
このゲームの特色について、もう一度語ろうと思う。
多くのゲームは持ち運べるアイテム数には限度がある。このゲームも例外ではなく、重量という制限があり、持ち運べるアイテム数に限度はある。だが、能力の工夫次第ではいくらでも持ち運べるような仕組みとなっている。
俺が選択した能力も工夫できる能力の一つであった。正六角形を繋ぎ合わせ、シールドを精製する能力。生成時に角度をつけてやることで、ちょっとした籠として使える。正六角形ゆえ不格好ゆえ、穴だらけではあるがそれでも重量に左右されずアイテムを持ち運べることができる。
これを駆使してアイテムを集め始めた。
集めるアイテムはグレネードだ。
一つ一つは軽量。それでいて火力も高い。加えて、このゲームのグレネードは誘爆設定がある。一つでも爆発したら、連鎖して爆発を引き起こす。これをエネミーを巻き込むというのが、本作戦となる。
ただし、あのエネミーは素早い。爆発に巻き込むには投擲では遅く、罠には気付かれる可能性がある。
ならばどうするか。
自爆しかあるまい。
このゲームは最後の一人になるまで戦うことを強要される。エネミーの攻撃方法も見る限り接近戦が主体だ。ならば爆発に巻き込むチャンスは必ずある。
アイテムを集め終わり、元いた建物に戻る。
集めたグレネードの量は、三十ほど。床に置かれたそれは小さな山を作っていた。俺からすると大量であったが桜庭からすれば心許ないらしい。
「動画で見たときはこの倍はあったから、それぐらい欲しかったな」
「もう時間はない。これでいくしかないだろう」
戦闘音は既にやんでいた。
残るチームは俺ら三人だけだった。
「んじゃこれはサクラバさんが持つでいいんだよね?」
「ああ。俺の能力なら、これぐらいなら最大値ギリギリだけどデフォルトで持てる」
そう口にした直後のことだった。
床にヒビが入る。
「逃げろ!」
桜庭は指示と同時に床から離れる。
俺と妹もあとに続こうとするが、遅かった。
次の瞬間には床が崩れ落ち、そこにはエネミーがいて、落ちてくる俺と妹からに狙いを定めていた。
空中で妹の手を取り、引き寄せる。
抱きしめ、落下方向に幾重に重ねたシールドを形成する。だが、それは鉤爪の突き上げで一枚を残して全て儚く割れていった。
高くから落ちた俺は衝撃でダメージが入る。決して少なくない量。掠っただけで死にそうな体力しか残らなかった。
頼みの綱のグレネードもビルの床が抜けたせいで、辺りに散らばり、その殆どは瓦礫に埋もれてしまう。
作戦失敗。
それを理解した次の瞬間には妹を担いだまま、走り出していた。
作戦失敗した時、いくつかの対応は考えていた。
その中でも一番の悪手を打つしかなくなった。
それは桜庭にこの場を任せ、妹を担いで逃げ出すことだ。
配信を見ている奴らは俺のことをクソ野郎と思うことだろう。だからどうだっていうのだ。もとより俺は桜庭をクソ野郎と思い、桜庭も俺をクソ野郎と思っている。互いにひと目見た時から、同類だとわかっていた。
自分が興味のあること以外どうでもいい輩だと。
その二人が出会ってしまったら、潰し合うか利用し合うか、もしくはその両方か。何もしないのはありえない。
だから、俺がここから妹を連れて逃げ出すことなどお見通しなのだ。
後ろから楽しげな雄叫びが追いつく。
「ソウジぃ! お前のことは忘れねえぞ!」
走りながら後方に目を遣る。
「思い切りが良くて助かる! それでこそオレの親友だ!」
一発の銃声のあと、続け様に無数の爆発音が追い抜いていく。爆発音が止むと、今度はビル倒壊の響きがあった。その場にはまだエネミーが残っており、初めて聞くエネミーの叫びが混じっていた。
そこに桜庭の声はなかった。
メンバーリストも死亡扱いに切り替わった。
戦闘終了のメッセージは表示されない。
戦闘はまだ終わらない。
走った。
リアルでやろうとすれば日頃の運動不足が祟って、息切れをするか、思い切り転倒するぐらいの全力疾走。妹を担いで向かった先にアテなどない。とにかくその場から離れることが最優先だった。
あまりに余裕がなかった反動なのか、適当に隠れられる場所を見つけて一息ついたら、スタコラサッサと正義の味方から走って逃げられるアニメキャラクターは物凄い脚力の持ち主なのでは」と緊張感の欠片もないことが頭によぎった。
「ここ、戦った跡あるね」と妹が言った。
妹の言うとおり、そこは戦場だった痕跡があった。
ビル屋内。弾が跳ね、鉤爪で抉られた跡がそこにはあった。そして、プレイヤーが死んだとされる場所には大量の物資も転がっていた。
「最後のチームが戦っていた場所だね」
妹は物資に飛びつき、装備を整えていく。
「ほら、にーちゃんもさっさと装備整えて、いつアイツが来るかわからないんだし」
妹の横にしゃがみ、一緒に物資を漁り、漁ったアイテムで能力を使うためのエネルギーを回復する。
「なあ」
「にーちゃん?」
「お前は戦うな」
妹の顔を見ずに言った。
「はぁ!?」
怒っている顔が目に浮かぶ。妹はいつも怒るときは目を大きくしていた。
「俺だけが戦う。お前はグレネードで自決してゲームから安全に離脱しろ」
ゲームジャンルごとのお約束ごとがある。
それはゲームをより面白くするためだったり、不快感を消すためのものだ。ゆえにそれはリアリティがないという誹りを受けたとしても必要なものとして、長年掛けて洗練されながら守り抜かれてきた。
FPSというゲームにおいては、グレネードなどの爆発物は自分と敵にはダメージを与えるが、味方にはダメージを与えない仕様となっている。これは味方との意思疎通が難しい混乱する戦場において、視認性が悪く、突然爆発するものは、ただただ味方を巻き込み、殺すだけの武器になり得るからだ。
ゆえに味方へのダメージ、いわゆるフレンドリーファイアは抑制されている。
だから、妹は自決することで安全にゲームから離脱することができる。
「だったらにーちゃんも一緒に死のうよ。そうすれば二人して安全に抜けられるって」
たしかに今ならば俺自身も安全にゲームから抜けられる。
「悪いな。俺は今から
妹の顔を見る。
妹は泣いていた。
「そりゃにーちゃんだもん。そうするよね……」
妹は「ちょっと待ってて」と言って、そこら中に転がる物資の中から一つを探し出し、俺に手渡す。
それは刀によく似た、片刃の直剣であった。
「これ、スコープで見てた時から持ってるの知ってて狙ってたの。ネタ武器扱いされるけど、攻撃力だけならピカ一だし、近接戦闘なると思うからさ」
それを受け取ると、俺は踵を返す。
「それじゃあ――逝ってくる」
空を指差し、そう宣言した。
「妹の偽物だと思ってる相手にやることじゃないよ、それ」
苦笑する妹。
「馬鹿。妹だと認めたから言ったんだ。そうじゃなきゃ誰が助けてやるものか」
桜庭のもとへ駆け出した。
動揺する妹を置いて、逃げ出した。
言い逃げである。
「ぜーったい、私のこと忘れないでよね!」
やはり、ここでも後ろから声が追いかけてきた。
元いた場所に戻ってきた。
ビルが建っていたはずの場所には残骸しか残っておらず、瓦礫の山には全身にヒビが入ったエネミーが瓦礫の上で佇んでいた。ただそこに立っているだけなのに、その雰囲気はまるで散っていた戦士たちに祈りを捧げているようにも見える。
エネミーがこの戦場に降り立った時もそうであった。
すぐに敵に襲いかかるわけではなく、しばらくその場で待機していた。
動き始めたのは、プレイヤーに攻撃を受けてからだった。
これらから二つの仮定が考えられた。
一つは反撃型のプログラムであること。
もう一つは、知性を持っていること。
どちらも記憶喪失などという非科学的なものが混ざると信憑性は落ちるが、その特性のいずれかを持っていると思って間違いなさそうだ。
エネミーの首が動き、近づいた俺を視界に収める。
そのまま空を切るように鉤爪を振るう。まるで「戦闘を開始する準備はできたか」とでも言っているかのようだった。
「お前さ、俺の言葉が理解できているのか?」
問いかけた。
エネミーは言葉を返すことはしなかったが、棒立ちに戻り、話を聞く姿勢を持ってくれた。
後者が正解だったようだ。
「記憶喪失者を大量に作ることが目的か? 俺の妹が目的か? 後者だったら戦う意志を見せてくれ」
エネミーは二度、三度、鉤爪を宙空に振るい、姿勢を低くする。
「……最悪だな」
次の瞬間、俺たちはぶつかった。
エネミーが目にも止まらぬ速さで眼前に移動し、横なぎするように鉤爪を振るう。
シールドを幾重にも張り、その全てを犠牲にして、その一撃を防ぐ。
同時に相手の胸部に餞別として譲り受けた刃を突き立てた。刃が触れると刀身全身が振動し、深く、より深くへ入り込んでいく。高周波カッター、いや高周波ブレードとも呼ぶべきものであると理解した。
桜庭の機転によってビル倒壊に巻き込まれ、ヒビだらけだった体。
そこに刃が突き刺さったことで胸部装甲が崩れ落ちていく。そこから現れたのは青白くゆらめくエネルギーの塊のようなものだった。
そこを破壊すれば勝てる。
確信めいたものがあった。
だが、それを確かめる前にもう片方の鉤爪が俺を襲う。
エネミーもなりふり構わなかったのか雑な一撃。爪ではなく手のひらがぶつかり、俺は遠く吹き飛ばされて壁に衝突する。どうにか一命を取り留めるダメージ。その程度で済んだ。
エネミーは刃が突き刺さったまま、俺にトドメを刺すため、眼前に移動する。
俺の手元に武器はない。吹き飛ばされた時に落としてしまったようだ。
エネミーはゆっくりと鉤爪を高く振り上げる。
俺は手で銃の形を作り、エネミーに向ける。
「俺の妹はな両親から愛されて育った。愛され過ぎて増長するぐらいには愛された」
エネミーは最後の言葉と思ってか、鉤爪は高い位置を維持したまま振り落とさない。
「だから俺の言うことなんて全く聞く気がない」
次の瞬間、俺とエネミーの間で爆発が起きた。
声が聞こえる。
どこぞで拾ったロケットランチャー担いだ妹が高台に見えた。。
「っしゃぁ! 倒したでしょこれ!」
アイドルがしてはいけない声がした。
気を取り直し、エネミーに視線を戻す。
装甲が剥がれた箇所にモロに爆風を喰らい、全身の装甲が崩れ落ち、刀は貫通していた。片膝立ちになり、体力の底も近そうであった。
「しぶとい! もう一発!」
妹がトドメを刺すため、ミサイルランチャーを構え直す。
だが、それが放たれることはなかった。
エネミー背後に虚空が現れ、吸い込まれていったからだ。
残された俺と妹に勝利のファンファーレが響き渡った。
****
戦闘終了後、すぐに配信は中断し、リアルへ戻った。
極度の緊張状態が続いたためか体中に汗のが酷いことになっていた。だがそんなことはどうでもよかった。
携帯を手に取り、桜庭に連絡を入れる。
コールをし続けるも反応がない。
エネミーに電脳世界で殺された者は記憶を失う。だが、それだけのはずだ。実際に死ぬわけではない。
そう思いかけて、一つの例外があったことを思い出す。
妹だ。
妹はエネミーの手によって、殺された。
もしかすると桜庭も同じ状態になったのかもしれない。
俺は家を飛び出した。
桜庭の家は近所である。大学入学して初日の講義で知り合った。たまたま帰り道が同じ方向だったため、一緒に帰ったら、互いに借りている賃貸が目と鼻の先だった。互いに「どこまでついてくるんだ」と思っていたらしく今じゃ鉄板の笑い話だ。
桜庭が借りている部屋の前まで着くと、チャイムを連打する。待っている間、最悪のことを考え、救急車を呼ぶ可能性も頭によぎっていた。幸い、部屋の中で動く気配があった。それはだんだんと大きくなり、扉が開かれる。
桜庭が出てくれた。
寝起き姿のようで、サイズのあっていないぶかぶかのTシャツにジャージ、頭はぼさぼさ、だらしない大学生そのまんまの姿で出迎えた。
「三刀、どうした? そんな慌てて」
命に別条はなく安心した。加えて、俺のことは覚えているらしい。だが、その間の抜けた対応。それ自体があってはいけない症状であることを指し示していた。
「今日何月何日で、いつまでの記憶が残っている?」
「そりゃあ――」
桜庭が口にした日付は昨日のものだった。
「てか飲んだわけでもないのにほぼ一日寝てたのかオレ」
妹と関わってからの記憶が抜け落ちていた。
いくらなんでも寝すぎだし病院に行った方がいいか、などと口にする桜庭。
「桜庭、お前はエネミーに殺された」
端的に伝える。
それだけで間の抜けた顔は引き締まる。
「エネミーの件は俺が伝えた。そうなんだな?」
「幼馴染の件も聞いた。これなら信用に値するだろう?」
「十分だ。部屋で話を聞かせてくれ」
部屋の中で昨日から今日まであったことをあらましで伝える。
やはり何かしらの業界でトッププロを名乗る能力がある奴は理解力も高いらしく、オカルトめいた話やらエネミーのわけわからん生体の話も理解したらしく「そうか」で済ました。こちとら頑張って説明したのだからキャバ嬢みたいに「すごーい」ぐらいの相槌が欲しい。キャバクラに行ったことなどないが、きっとそういうことを言ってくれるに違いない。
「アーカイブは残ってるか?」
その言葉に聞き覚えがなく小首を捻ると、桜庭はパソコンを操作してとある画面を見せてくれた。
それは俺らの戦闘を残した記録であった。どこで誰が何をしていたか、それら全てが記録されて動画のように視覚的表現で確認ができる代物であった。
「これから大変なことになるな……」
深刻な顔をする桜庭。
「トッププロが何か知ったようなこと言ったからエネミーの存在を公表しなければならない状況、ということか?」
「それもそうなんだけど、お前ら兄妹がだな。初めてエネミーを撃退した英雄として扱われるぞ」
たしかに大変そうな状況ではあるが、俺への実害はなさそうだな、というのが率直な感想であった。俺自身は身バレしにくい量産型アバターを使用している。妹はワンオフ品を使用しているため、どうしても目立つしバレてしまう。だが、それは注目を浴びることができるのと同義である。駆け出しアイドルは、最初のスタートが肝心だ。才能があっても目立てなくて去ることが多い。なんでもいいから注目を集めることができる。それが一番の才能ともいえるのだ。
「ま、そんなことはどうでもいい。それより大事な約束をしていたんだ」
桜庭が「なんの約束だ」と返す。
「シオミンのライブチケット。それもSS席を協力の見返りとして準備すると言っていたなぁ」
ほくそ笑むような顔をされる。
「記憶にございませんなぁ。どなたかと勘違いしているのでは?」
習癖めいた口喧嘩をして、腹が減って、コンビニで弁当と酒を購入し、飲んで食って騒いだ。
記憶を失ったことも忘れ、どうしようもない大学生の日常に帰ってきていた。