死んだはずの妹からメールが来た   作:宮比岩斗

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2章 アンチもいれば信者もいる男

 エネミーを撃退してから一週間が経った。

 

 その間、俺の周囲では目まぐるしい変化が起きていた。

 

 まずは桜庭。

 

 プロゲーマーとしてエネミーに関する会見を行うことになった。リアルの顔出しは一切行っていない奴ゆえ会見は電脳世界で行われた。プロゲーマーとしての活動はイケメンアバターを使用しているため、その方が見ている側もプロゲーマーが発言していると理解できるため都合がいいという面もあるのだろう。

 

 その反響は、えぐいの一言に尽きた。

 

 安全性が担保されていたはずの電脳世界で、正体不明で神出鬼没な化け物が現れると公式に発表された。加えて、その化け物に殺されると現実世界で記憶を失う。その量について質問もあった。平均は数日間ということで「大したことがない」と一瞬の安堵が会見会場に広まったが、補足としてほぼ全ての記憶を失った者もいると説明されたことで再びの緊張が走った。

 

 どう対処するのか、会見を見ていた者はみなそう思った。

 

 記者の一人が手を挙げる。

 

「先日あなたも参加されたとあるゲームの大会で、化け物を撃退していますよね? だとするならばそこまで脅威ではないのでは。協力すれば害獣駆除と変わらないと考えますが、いかがでしょうか」

 

 その質問に桜庭は答える。

 

「私のチーム、いえ私の友人が撃退に成功したのは事実です。協力すれば撃退すること自体は可能でしょう。ですが、それに伴う犠牲はどうするつもりでしょうか。我々はゲーマーです。軍人ではありません」

 

「トッププロとしての発言としては臆病風に吹かれていると感じてしまいますが、その認識で大丈夫でしょうか」

 

「現にオレは先日の戦いで化け物に返り討ちに遭い、記憶を失いました。幸い、数日分の記憶で済みましたが二度目、三度目もそうであるとはいえません。さらに言うならば、あの化け物はゲームシステムを改竄し、大会に介入してきました。本来ならば撃退されないようにもできたはずです。それをしなかった理由もわからない。そんな不明なことばかりの作戦に参加を要請することはオレにはできません」

 

「回答ありがとうございます」

 

 この質疑応答は反応が割れた。

 

 臆病風に吹かれているというものと、命を懸けても惜しくないぐらいの金をもらわないとやってられないというものだ。

 

 とにかく強いならば戦いに臨め、という意見はごく少数に留まった。

 

 その分突き上げを喰らったのが、国、インターネットサービス事業会社、ゲーム会社である。

 

 そもそも化け物を出させるな、記憶喪失の原因を探れ、という意見が主だった。

 

 それぞれ「調査中」ということで逃げ回っていたが、オカルト相手に調査もなにもないだろう。無論、オカルトめいたことは記者会見では発表されていないので仕方がないことではあるが。

 

 ちなみに桜庭に意地悪をした記者は、撃退に成功した俺と妹にインタビューしたいからこの場に連れてこいと無礼な要請をかましていた。

 

「どちらもプロではない一般人なのでご容赦ください。もっとも女性の方はもう配信でネタにする気でしたし、男性の方は量産型アバターを愛用しているので連れてきても本物だという証拠にならないでしょうね」

 

 会場は笑いに包まれた。

 

 俺は一人憤慨した。

 

 量産型の匿名性の高さが証明されたってことだろう、と。

 

 妹の方はというとネットアイドルとして波に乗り始めていた。

 

 生前からアバターの見た目も良く、トーク力もあって、それなりに人気があったらしい。だが盛り上がり方が今一つで流行らなかった。目ざとい人だけが今後来るのではないかと目をつけていた、というのは本人談。聞いた時は実際のところはどうだったのだろうかと疑った。もっとも現実の身体を失ったことで半年間のブランクが生まれて、配信者界からフェードアウトしたものだと思われていたらしく、数少ない視聴者からもチャンネル登録から外されていたりしたらしい

 

 それが半年ぶりの電撃復帰、復帰後第一回目の配信がプロゲーマーサクラバとのコラボ、その配信で数合わせと思われていた兄がリスナーに喧嘩を売って祭りが起き、仕方なく急遽行うことになった大会でエネミーが出現、それを倒し英雄となる。

 

 これで波に乗らない方が嘘というものだ。

 

 日々増える登録者数を気持ち悪い笑みを浮かべて俺に見せつけてくる妹は、以前のダル絡みしてくる妹のまんまだった。姿形が変わっても、ファンが増えても、何一つ成長を見せなかった。

 

 とまあ、ここまでならば盛り上がり方としては普通である。

 

 普通じゃない盛り上がり方もしていた。

 

 妹に現実の身体があった頃から目をつけていた有識者(どうやら本当にいたらしい)が、ここまで人気になったことが嬉しくて、ある動画を作った。

 

 それは大会のアーカイブから妹の見せ場を切り抜いたものだ。

 

 もっとも妹の見せ場は、シオミンを打ち抜いた所とエネミーにミサイルランチャーを打ち込んだ所の二つ。

 

 それをクールな音楽にのせて、ループする中毒性の高い動画だ。

 

 ぶっちゃけるとMADだ。

 

 さらに言ってしまうとミサイルランチャーを打ち込んだところが悪い意味で出来が良かった。

 

「っしゃぁ! 倒したでしょこれ!」

 

 この発言が流行り、ネットミームにまで発展した。

 

 敵を倒せば「っしゃぁ! 倒したでしょこれ!」

 

 敵が倒していないとわかっていても「っしゃぁ! 倒したでしょこれ!」

 

 ネット討論で論破も何もしてなくても「っしゃぁ! 倒したでしょこれ!」

 

 意味は分からずとも「っしゃぁ! 倒したでしょこれ!」

 

 妹を見かけたら「っしゃぁ! 倒したでしょこれ!」

 

 食傷気味な流行り方をしていた。

 

 さすがにネットアイドルとして、正統派な盛り上がり方をしていないことに危機感を覚えた俺は妹に「この流行語、どうにかした方がブランディング的によくないか?」と提言した。

 

 これに対し妹は「ネットアイドルなんて目立ってなんぼだし、気にしてないよ。てかこのブーム経験したおかげで一皮向けた気がすんね」と無い胸を張った。

 

 昔は人の背後に隠れがちだった妹が、いつのまに肝が据わっていた。

 

 そこらのアイドルにも負けない肝の据わり方であった。

 

 ただ、バラドル寄りな肝の座り方な気がした。

 

 色々あった二人と違い、俺の日常は大きく変わらなかった。自主休校という誘惑を断ち切り、眠い目を擦って大学へ向かい、講義を受け、学食で安い飯で昼を済ませ、講義後はその足でバイト先に向かってしなくていい苦労をする羽目になり、帰路の途中で牛丼をたいらげ、帰宅してシャワーを浴び、シオミン関連のニュースに目を通して、シオミンと夢で会えることを期待して眠りにつく。その繰り返しだった。

 

 人の目を浴びる活動をしている二人と違い、シオミンを愛するだけの大学生である。顔出ししてなければ、アバターも量産型。そいつの日常がガラッと変わる出来事なんて、リアルで事故に遭うか宝くじでも当たるかのどちらかだ。

 

 無論、何も変わらなかった訳ではない。

 

 日常の外で変化はあった。

 

 俺のなりすましが大量に出現したのである。わざわざ量産型アバターを購入し、自分が英雄の一人であるとうそぶいている。人によっては桜庭や妹に凸して、怒られていた。最初は楽しんでいたファンたちも、それが続くと飽きてきて一度ウケたネタをいつまでも引っ張るなと言いたげであった。

 

 一つ問題があるとするならば、なりすましみたいな輩が増殖したせいで元から量産型ユーザーだった人が使い辛くなってしまったことだろう。祭りとは言っても広い世界の極一部でしかない中の出来事だ。それを知らずに使い続け、見に覚えがないのに「真似してるんだ」と後ろ指を指されるのは辛かろう。

 

 使い辛くした輩に呪詛を送りたくなる。

 

 そして、量産型ユーザーに対して申し訳無さが込み上げる。

 

 俺自身がない金絞り出してワンオフアバターに乗り換え、ヘイトコントロールすることも考えた。考えたが、無い袖は振れないどころか、持っている袖と袖にしまい込んだ財布を質屋に突っ込んだとしても足りない程度には、手の届かない代物であった。

 

 したがって罪悪感に蓋をして、素知らぬ顔で日々を過ごそうと心に決めたのだ。

 

 前向きに、過去の自分がやったことは全力で目を背けて生きていこうと決意したのだ。

 

 過去といえば、大会のアーカイブが見れるということは、シオミンのプレイを、いや人生の一部を追体験できるということではなかろうか。

 

 それに気付いてしまった俺は、すぐさまアーカイブを確認する。見所はシオミンが俺に狙いをつけていた箇所であるが、それだけをいきなり見ては情緒に欠けるというものだ。試合開始から追っていって「早く! 早く見たい!」と期待を煽るのが正しい作法といえよう。

 

 正しいアーカイブの見方で視聴を始め、期待と興奮が最高潮に達した時、そのシーンは再生された。

 

 愕然とした。

 

 シオミンが最初に放った銃弾は妹を狙ったもの。

 

 その後も妹にだけ狙いをつけていた。

 

 つまり、シオミンは俺という存在を気に掛けていなかったのだ。

 

 過去に目を向けても良いことなんてなかった。

 

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

 桜庭のマスコミ対応がひと段落ついた昼下がり、妹がデスクトップパソコンのディスプレイに突然現れてこう言った。

 

「にーちゃん出てって人多いから配信出てよ」

 

 課題の途中だったが、脈絡のない要望に驚き、手を止める。

 

「どうして俺に出て欲しい人多いんだ?」

 

「そりゃあ私のファンって大半はあの大会でできた人だからさー、にーちゃんのファンでもあるわけよ。やっぱりどっかのタイミングで絡んでおいて、最新のにーちゃんを見れるのはマイカの配信だけ! とかやりたいじゃん」

 

「お前、アイドルとしての誇りとかないのか」

 

「そんな精々二、三ヶ月やった程度でできる誇りなんて燃えるゴミの日に捨てちまったよ」

 

「家事全般親任せだったお前が何言ってんだ」

 

「あ、家事やった記憶ないのはそういうことかー」

 

 そういえば記憶喪失だということは聞き及んでいたが、当時は偽物扱いだったため、どこらへんまで覚えているか詳細に聞いたことがなかった。

 

「親のことも覚えていないのか?」

 

 妹はディスプレイの中で腕を組んで唸る。

 

「んーと、顔の名前も声も覚えてない。けど、にーちゃんと親がいそうなエピソードとか何かしらはあったと思うんだ。そゆときはね、親っぽい存在が歯抜けになってるけど何話してるのかはなんとなく覚えてる」

 

「俺のことだけは覚えてたからか。友人とかはどうなんだ?」

 

「あーダメダメ。にーちゃん絡まないと欠片も覚えてない感じだから」

 

「なるほどな。というかどうして俺のことだけ覚えているんだ」

 

 その問いに、妹は片手を俺の方に向けて、もう片方は胸に当てるという男性アイドルがしそうなポージングで返す。

 

「ふ、そんなの愛の力に決まってるじゃあないか」

 

 決め顔がいちいちウザったらしい。

 

「そういうのはファンの子にやってあげなさい」

 

「えーっ! にーちゃんはマイカのファン第一号でしょうが!」

 

「勝手にファンにするな。俺は生涯シオミン一筋に決まっている」

 

「マイカは心が広いから、アニメオタクみたいにシーズンごとに嫁が増えても気にしないよ?」

 

「どこに妹のファンになる奴がいる」

 

「血が繋がらないんだから別によくない?」

 

「それが別によくなると、俺ら本当に単なる同居人だぞ」

 

「むー! そーですねーそれはちょっと困りますねー」

 

 しかめっ面でこめかみを両手の人差し指でぐりぐりして考え込む。

 

「待てよ。血の繋がらない同居人、それはもしや恋人というものなのでは」

 

「浮気公認とか都合の良い女すぎやしないか」

 

「最後に私の隣にいればよかろうなのだよ」

 

 そんな生産性の欠片もない会話を繰り広げていたら、桜庭から「午後暇か?」というメッセージが一件届いた。

 

 桜庭からの誘いに「用件を一緒に言え」と忌憚なき意見で返すと少し時間を空けて「幼馴染に会ってほしい」というものが返ってきた。

 

 桜庭の幼馴染といえば、記憶のほとんどを喪失した方だったはずだ。その人に俺が会ってどうしろというのだろう。あれこれ考えたが、結局憶測でしかなく聞いたほうが早いと思って桜庭の家に凸した。凸された桜庭は出かける準備万端で出迎えた。

 

「理由聞きたいんだろ? 入れよ」

 

 待ち構えていたの間違いだった。

 

 座布団に腰掛けて、ペットボトルから注いたお茶を飲む。

 

「幼馴染に俺が会う必要なんてあるのか?」

 

 単刀直入に訊く。

 

 俺らの間でややこしいやりとりは煽り合いする時ぐらいしかいらない。

 

「必要はない。これはただの要望。幼馴染と友達になってほしいんだ」

 

「友達なら元から友達だったやつとかがいるだろうに」

 

「記憶が失う前と失った後、それは同じ友達じゃないだろう」

 

「友達甲斐がない奴らだな」

 

「親同士が知り合いとか、切っても切れない縁があるとかじゃないと友達続けるにはヘビーなんだよ。お前みたいな、たかが友人に覚悟持って接することができる奴の方が少数派だ。希少種といっていい」

 

 褒められているのか、貶されているのか。

 

 コトがコトだけにいつもの調子で煽り合いに持っていくのも違う気がするし、どうしたものだろう。

 

「それで友達になるのは別に俺じゃなくてもよくないか? 俺はコミュニケーション力が高いわけでもないぞ」

 

 なので話を先に進めることにした。日和ったわけではない。

 

「オレもできることならお前みたいな社会不適合者を紹介したくない。……ただ……ほんっとーにどうしてか知らんが、お前とマイカちゃんの話をして、大会の配信を見せたらファンになっちまってな。会いたいって言って聞かないんだ」

 

「社会不適合者から言えるのは、お前の自業自得ということだな」

 

「そこをどうにか曲げてはくれないか」

 

「そういや前言ってたプラチナチケットまだ貰ってないなぁ」

 

「必ず用意する。なんなら複数枚用意するから」

 

「また、はぐらかされちゃあ困るから前金として貰おうか」

 

 ぐぬぬ、と歯を食いしばっている桜庭。

 

 チケットを貰えるまではテコでも動かない俺。

 

 その二人の均衡を崩したのは床に置いた携帯から響いた声だった。

 

「マイカちゃんのファンならば、会わないわけにはいきませんねー! ファンサは大事ですから!」

 

 その画面には鼻高々な妹の姿が写っていた。

 

 いつの間にか携帯にも入り込めるようになっていたらしい。

 

 無理を突き通す天才である妹の前には道理など存在しない。

 

 ゆえに、いつの間にか、なし崩し的に、桜庭の幼馴染と会うことが決まっていた。

 

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

 桜庭が運転する車に揺られて一時間。

 

 やってきたのは桜庭の実家だった。とは言ってもそこに車を泊めて、親御さんに簡単な挨拶しただけで家の中に入ったわけではない。用事があったのはその隣の家。工藤という表札が掛かった家であった。

 

 チャイムを鳴らすと、幼馴染の親御さんが現れたので、ここでも挨拶をすることになる。話は通っていたらしく「あら、あなたが麗子が面白いって言ってた人?」と言われる。麗子という幼馴染が俺のことを愉快な人間だと思っていることが判明する。

 

「面白いつもりはないんですがね……」

 

 そう切り返すも「天然で面白いってことね」と真っ向から切り伏せられてしまった。

 

 幼馴染である工藤さんの自室は二階にあるので階段を登り、桜庭がノックする。

 

「麗子、入るぞ」

 

 扉の向こう側から穏やかな声が聞こえる。

 

「直人さんですね。どうぞ入ってください」

 

 扉を開けると、果実を切った時のような爽やかな甘い香りが鼻腔をくすぐった。

 

 女性の部屋というものは今にして思えば妹のものしか知らなかった。妹の部屋は、およそ整理整頓というものから縁遠い生活を送っているのが一目でわかるものだった。俺にとってはそれがデフォルトで、女性の部屋に対して夢を見なくさせるには十分なものだった。

 

 そんな俺に対し、その部屋は忘れていたロマンを思い出させるものであった。

 

 第一印象は大人可愛い部屋だった。

 

 全体的に白やグレーなど落ち着いたフリルやレースが多くあり、家具はアンティーク調でまとめていて大人っぽさを演出していた。もこもこなラグやクマさんのぬいぐるみ、差し色で薄い桃色のクッションが置かれて可愛いらしさもあった。

 

 その真ん中で座る工藤さん。背は小さめではあるけれど、可愛らしいというよりかは美人の部類に入っていた。スレンダーでウェーブがかった長髪を流し、大きめのルームウェアを身に着けていた。

 

「直人さん、その方が?」

 

 ゆっくりとした所作で尋ねる姿はいいとこのお嬢様然としていた。

 

 妹に爪の垢を煎じてがぶ飲みさせたい。

 

「ああ、前言ってた量産型を馬鹿にしたやつに喧嘩売ったやつだ」

 

 どういう紹介の仕方してんだよ、小突いてやりたくなるがお嬢様の前なので我慢する。

 

「三刀総司です。よろしく」

 

「わぁーすごい! 機械苦手だから、あたしも量産型使ってるの! だから、ああ言ってくれてスカッとしました!」

 

「そう言ってくれると喧嘩売ってみて良かったと思いますね」

 

「大会がああなって有耶無耶になったのは残念ですけど、本当なら量産型使いの星になってたはずなのにね」

 

「ありがとうございます。しかし、貴女みたいな人がコイツみたいな性格悪い奴の幼馴染なんて何かの間違いじゃないですかね」

 

 工藤さんが目を逸らす。

 

「あたしが記憶喪失ってことは……聞いてる……よね?」

 

「聞いていますがそれがなにか?」

 

「その……あたし記憶を失う前、全然違う感じだったみたいで」

 

 そう言って俯いてしまう。

 

 隣から桜庭が携帯の画面を俺に見せてくる。そこには工藤さんによく似た、けれど雰囲気がジェラピケが似合いそうな今の工藤さんと真逆の――深夜のドンキで見掛けそうな人の写真が表示されていた。

 

「これは……?」

 

 わかりきった答えを尋ねる。

 

 答えたくなさそうな工藤さんの代わり桜庭が言う。

 

「半年前の麗子の姿がこれ」

 

 言うべきか言わざるべきか少しばかり考えて、正直になろうと決めた。

 

「記憶戻らない方が良くないか」

 

 それに乗っかって工藤さんも「あたしも記憶取り戻さない方がいいと思います……」と同意を示した。

 

 桜庭だけが「いや、こんなんでも俺の大切な幼馴染だし、こいつのダチも記憶戻って欲しいって願ってるからな!」と一人言い張って聞かなかった。

 

 工藤さんの変貌ぶりを皮切りに雑談に華が咲く。その途中、ポケットの中で携帯が震えた。どうせ妹だろうと思い取り出すと、やはり妹であった。画面の中で早く私にも挨拶させろと喚いていた。

 

 移動中の車内で妹を紹介するかどうか、三人で打ち合わせをしていた。その結果としては妹を紹介しても、身体がないことや記憶喪失であること、エネミーに殺された仲間であることは言わないことが決まっていた。理由としては、むやみにその情報を明かして広まることを恐れたからだ。そもそも理解されるとも限らないなどといった問題もある。

 

「ちょっといいかな。実はもう一人紹介したい人がいるんだ」

 

 会話を遮って、携帯の画面を工藤さんに見せる。

 

「はじめまして! マイカですよ!」

 

 携帯のフロントカメラ越しに工藤さんに挨拶する妹。ここでは妹である面よりはネットアイドルとしてのマイカを強調していた。これも事前に決めたことである。リアルで会いに来るのが難しいという理屈で、カメラ越しで交流した方が肉体の問題が浮上しないという目論見だ。

 

 わざわざリアルで会いに来た俺らは暇で溶け出しそうな腐れ大学生という設定なので問題はない。プロゲーマーの桜庭はどうか知らないが実際、俺は講義とバイト以外は怠惰極まりない大学生であるから問題ないのだ。

 

 工藤さんは妹にも会いたかったらしく、「わー! わー!」と語彙力が拙くなるぐらいの喜びようだった。

 

「そんなに喜ぶことなのか」

 

 あまりの喜びようにそんな疑問がついて出る。

 

「にーちゃんは少し妹が褒められてる時は一緒に喜んでよ」

 

「そうは言っても身内だから少しばかり目線が違うからなぁ」

 

 桜庭が工藤さんに言う。

 

「わーわーだけじゃなくてどこが好きか言ってみたら」

 

 工藤さんは一呼吸置く。

 

「そのゴスロリの衣装、本当に可愛いです! 顔の造形とかともマッチしてて、本当好きです! 過去の配信とかも見てて、そのアバターが自作って聞いてビックリしました! センス凄すぎです!」

 

 早口で捲し立てられる。

 

 妹は直接好意をぶつけられたのは初めてだったらしく、顔がにやけ、身体はくねくねし始める。美少女のアバターだから見てられるが、これを野郎がやったら気持ち悪さが勝る動きであった。

 

「いやいや、そんなことないですよぉ~」

 

 謙遜する妹。

 

 応酬するように更なる誉め言葉が繰り出される。

 

 それをさらなる謙遜で返すも、顔はにやけを通り越して、美少女でも擁護できない程度に気持ち悪くなっていた。笑いを我慢しすぎて、ふひっ、なんて漏れているのも減点ポイントだ。

 

 見かねた桜庭が間に入る。

 

「そのアバター、自作って本当すか?」

 

 妹は野郎の声でハッとしたらしく顔を整える。

 

「うん。お金なかったから、ぜーんぶ自分で作ったよ」

 

「それはすげえな。実はうちのチームに入る予定の女性から、そのアバター作った人聞いておいて言われてたんだ。その人にアバター作成頼みたいってことでな」

 

「マイカさん凄いですね! お仕事の依頼じゃないですか!」

 

 妹は何故か困った顔をする。

 

「んー今は先に、にーちゃんを糞ダサアバターから脱却させたい欲の方が上だしなー」

 

 量産型を糞ダサと言われては下がっていられない。

 

「量産型には量産型の良さがあるんだ。工藤さんもそう思うだろう?」

 

 同じ量産型ユーザーである工藤さんに援護射撃を求める。

 

「でもマイカさんが作るアバターはセンス抜群なので、絶対にそっちにした方が良いと思いますよ!」

 

 後ろから撃たれただけだった。

 

 味方が誰一人としていない状況下で、量産型の良さを語り尽くした戦いも一段落がつき、たわいのない会話に遷移していた。勝敗は無論、俺の敗北で終わった。多勢に無勢、裏切り者の出現、相手側に桜庭という追加戦力の投入、そんなことをされてはいくら頭パッパラパーな妹が相手だろうと敗北を期するのは仕方ないことだろう。講和条約は、妹が俺用のアバターを作って量産型使いから卒業を宣言するコラボ配信をするというものだった。

 

 たわいのない会話というのも、俺のアバターをどんな見た目にするかというものが主だった。

 

 最初はリアルの雰囲気に似せるとか、あえてイケメンにするとか、逆にショタにしてかわいくするとか、どうせなら色物もしくはゲテモノにするべきだなどという悪ノリまで出た。もはや、公開卒業コラボを公開処刑コラボにしたいという思惑が丸見えな雰囲気であった。俺をよそに尋常ではない盛り上がり方をしていた話ではあるが、時間が経つと討論の風速も落ちてきて「魔女っ子アバターにしようぜ」なんてとんでもないものまで飛び出してきた頃、桜庭に着信があって部屋から出て行った。

 

「仕事かな」

 

 そう妹が呟くと、工藤さんは頷く。

 

「たぶんそう。たまに遊びに来ても、すぐ仕事だって帰っちゃうんだよ」

 

「えー友達と遊ぶ時ぐらい仕事のこと忘れちゃえばいいのに!」

 

 女性二人でも姦しい会話に入っていけず、黙っていたら桜庭が帰ってきた。

 

「わりぃ。仕事で少し電脳に行くことなった。実家で繋ぐから待っててくれ」

 

 言うだけ言ってこちらの返事を待たずに去っていった。

 

「うわー結婚したら家庭顧みなそう」

 

 妹が批判した口で続ける。

 

「レイちゃんはあんな男選んじゃ駄目だよ」

 

 工藤さんは困ったように笑うだけであった。

 

 俺は思っていた疑問を工藤さんに尋ねる。

 

「記憶を失う前の話、アイツと付き合っていたのですか?」

 

 工藤さんは困ったように、気恥ずかしそうに「実はね……」と前置きする。

 

「今でも付き合ってるの。記憶を失ったあたしは前とは違うから別れた方がいいって言ったんだけどね、記憶を戻すからって付き合い続けてるの」

 

 幼馴染の記憶を戻すためと聞いた時から大事な間柄なのだと予想はついていた。同性であれば親友だろうし、異性であれば恋人だろうと。ただ、記憶を失っても恋人同士でいたことは驚いた。普通は別れるだろうし、元に戻るために記憶を戻すことをモチベーションにするのもわかる。だが、奴は付き合い続けた。

 

 正直、ちょっと奴が怖くなった。

 

 好きな人を放したくない、そういう病みが入った執着を持っていると知ってしまった。

 

 知りとうなかった。

 

「レイちゃんは付き合ってるのってどう思ってるわけよ」

 

 恐れ知らずな妹はさらに足を突っ込む。

 

「正直、そこまで求められると嫌な気はしない……かな」

 

 惚気られた。

 

 工藤さんは「ただね」と猫背になる。

 

「これって今のあたしが享受していいものじゃなくて、記憶を失う前のあたしだけのものだと思うと悲しくなるの。でも今のあたしはこれを独占したいって思ってる」

 

 妹は「んー難しい問題ですなー」と腕組みして俺に目配せしてくる。

 

 困ってるから助けろという合図だった。

 

 非モテに何を求めているんだコイツは。

 

 そうは思っても困ってる人を見捨ててはおけず足りない頭を必死に回す。

 

「独占しちゃっていいんじゃないかな」

 

 それが結論だった。

 

「考え方の問題だと思う。工藤さんは身体の主が変わったと思って悩んでる。けどそんなことはなくて工藤さんは工藤さんのままなんだ。記憶をなくして性格が変わったとしても、工藤さんは工藤さんのまま。今まで見せていた面が裏返っただけであって、表裏一体であることは変わらない。――だから、いつか記憶が戻っても今の工藤さんがなくなるわけじゃない。今は心のままに独占しちゃえばいいんじゃないかな」

 

 慣れない鼓舞であったが工藤さんは「心が軽くなりました」と感謝を口にしてくれた。

 

 妹はこちらの気苦労も知らずに「いーことゆーじゃん」と気軽にいってくれやがった。

 

 妹と工藤さんが恋バナに花を咲かせ、野郎一人が肩身を狭くしていると玄関から桜庭が戻ってくる音が聞こえた。桜庭が部屋に入るなり、テレビのリモコンを取ると、電源を点けて、チャンネルを切り替える。切り替わった先はニュース番組であった。

 

「これを見てくれ」

 

 内容はエネミー関連のようである。会見以降では、それは珍しくともなんともないものであった。電脳は危険ではないのか、他の代替機能はないのか、などと答えのない議論を繰り返すのがお昼のニュース番組で定番となっていた。しかし、今日のニュースはいつもと様子が違っていた。何度もVTRを再生を繰り返していた。それと一緒にアナウンサーが補足を入れていく。

 

「本日正午、電脳にて正体不明の敵性存在が再び出現しました。以前確認されたゲームの電脳だけではなく、非戦闘設定となっている電脳でも確認され、為す術もないまま多くの人が犠牲になりました」

 

 画面はスタジオに戻り、コメンテーターが得意気な顔で言う。

 

「先日ゲーム内では倒せたのだから、そいつが現れたらゲームと同じようにして倒せばいいのですよ」

 

 司会が台本通りと思われる突っ込みを入れる。

 

「しかし、倒されたら記憶失うんでしょう。倒してくれる人なんているんですかね」

 

「そこは前に倒した人たちを呼べばいいんですよ。君たちが殺し損ねたで手負いの獣みたくなったじゃないかって」

 

 テレビを消し、桜庭は言う。

 

「電脳世界で人前に出ない方が良い。どんな輩が出てくるか分からないからな」

 

 妹が口を尖らせる。

 

「えーじゃ配信もできないじゃん」

 

「やるとするならプライベートルームからの雑談だったり、一人用ゲームの配信だったりだな。ああ、コメントオフはできればしてほしい」

 

「はーそんなんじゃ配信してる意味なくない?」

 

「わかる」

 

「いや、わかられても困るんですけど」

 

 桜庭は肩を竦める。

 

「ま、SNSでの反応見てみたらわかるだろうけど、世間は国が介入するか、プロゲーマーに対応してもらうか、撃退に成功した俺らを英雄として担ぎ出すってのが大多数だな」

 

 妹はぽちぽちと電脳世界のコンソールをいじって確認する。

 

「うわ、まじじゃん。てかにーちゃんとサクラバさんへのヘイトの向かい方ヤバない?」

 

 英雄として担ぎ出されるという話だったのに、どうして俺にヘイトが向かう話になるのだろう。むしろ、懇願されて「仕方ないなぁ」と言って出陣する玄人ムーブをかますタイミングなのでは。

 

「詳しく教えてくれ」

 

「えーと、サクラバさんはプロゲーマーなのにエネミーに殺されてんじゃねえっていう意見がもっぱらかな。にーちゃんの方は、撃退したせいでエネミーの動きが活発になったとかがまだ理解できる部分だね。他には量産型のくせにとか、大会開いたせいでとか、ビッグマウスなんだから俺が倒しますとか言えよボケとか、そういう誹謗中傷がいっぱい来てる」

 

 人間というのはなんて愚かな生き物なのだろうか。

 

「お前には何かないのか?」

 

「んーないことはないけど、大半は野郎どものせいでエネミーと戦うハメになって可哀想ってのが多いかな」

 

 可愛いは正義というやつだろう。

 

 量産型だって愛嬌ぐらいはあるだろう。

 

「てかさ、にーちゃんヤバいよ」

 

「別に誹謗中傷ぐらいで動じないぞ」

 

「いや、にーちゃんの心配はしてないよ」

 

「それじゃなんなんだ」

 

「にーちゃんのアンチが量産型アバターを狩り始めた」

 

 世も末であった。

 

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

 日が暮れる中、帰り道を走る車内は静かだった。

 

 スレンダーな体型もしくはもやし野郎と呼ばれる俺は、デブもしくは大根系男子と呼ばれる対極に位置する者と同様に体力がなかった。ようするに慣れない長距離移動と初対面の人との会話に疲れ切って、俺は眠る、と宣言して目を瞑っていた。

 

 かといって頭は覚醒し、なかなか眠りにつけやしない。ただ腕を組んで、目を瞑っているだけの置物だ。しかもこの置物、周囲に静かにしろという圧を出すのだからタチが悪い。それを自覚しつつも辞める気はないのから殊更タチが悪い。

 

 車が減速し、体が前に持っていかれる感じを覚える。

 

 信号だろう。

 

 近くは交通量の多い道らしく、車が行き交う音、クラクションを鳴らす音、それに応戦してクラクションを鳴らす音が聞こえてくる。非常にやかましい。

 

「うわー、今の車カーチェイス始めたよ。アイツらヤバ」

 

 妹の声がした。妹は帰宅する際、自分も外の景色見たいと駄々をこねた。その結果、携帯と車載カメラを繋いで外の景色を見れるようにした。わざわざ帰るタイミングで駄々をこねて、工藤さんの家にあったケーブルをいただいてきたのだ。妹は一度マナー講師にしばかれてほしい。そういうコラボをやらせたい。

 

 青になったらしく車を再び動きだす。

 

「ここら辺、警察が張ってるのは地元民じゃ常識だから普通お行儀よく運転するもんだ。それしないってことはアイツら外から来た奴らだな」

 

「へーそうなんだ。ま、事故る前に捕まるならいっか」

 

 会話が終わり、ようやくまた静かになったと思いきや桜庭が「聞きたかったことがあんだけど」と会話を続けようとする。

 

「ん、なに? 彼氏ならいないよ」

 

 言ってすぐ「レイちゃんいるし、興味ないかー」とおどける。

 

「あー、聞いてたか。黙ってて欲しかったんだけどな」

 

「言わなくても察したけどね」

 

「ま、バレたならバレたで構わないと思ってたし。そんなことより聞きたかったことなんだけどな」

 

 桜庭は一呼吸置く。

 

「最近、変なファンはいなかったか?」

 

「変? 例えば?」

 

「身の上を聞き出そうとか、そういう輩」

 

「んーアバターで活動してるし、ファンのみんなは大なり小なりそういうの気にしてるもんだしなー。そういうの変って言っちゃうとまともな人なんていなくなっちゃうなぁ」

 

「あーたしかにそうだな」

 

「てか何が言いたいわけ?」

 

「エネミーがオカルトって話あっただろ。あれはマジっぽい」

 

「まー私がこんなことになってるわけだし、今更じゃない?」

 

「それを国が何か知っていたらどうする?」

 

「そりゃ話は違ってきますなぁー」

 

「オレも詳しく知ってるわけじゃない。会見後、国から調査員が来て、オレに小一時間聞き取りして行ったんだ。その時、妙なことも訊かれた。あれは探りを入れてきた……いや、変なことを言ってこっちの反応を見てきたに近いな。エネミーがどういう存在だと思いますか、どうして記憶を失うと思いますか、死んだはずの人間が生きていたら貴方はどう思いますか、とかな」

 

「うわ、きな臭いじゃん」

 

「だから身の回りには気をつけてくれ。信頼する相手は総司とオレだけにしてほしい」

 

「そうだね、そうする。……てかにーちゃん起きてた時に話した方がよくなかった?」

 

「コイツ、推しに関わる提案されたら、簡単に人のこと売るだろ」

 

「それなー」

 

 失礼な!

 

 そうは思いつつも強く否定はできなかった。

 

 だから、寝たふりをし続けた。

 

 もう寝れそうになかった。

 

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

 世間が大変なことになっていようと、俺のアンチが世間様に迷惑をかけていようと、日常というものは途切れることなく続いていくものである。それはもうこちらの都合なんかお構いなしで矢継ぎ早に流れていくものである。

 

 しがない大学生である俺は今日も今日とて講義に足を運び、同時多発的に大量の課題が出された。しかも締め切りが全て早いときた。これはいかんと思い、図書館に籠もり、爆弾解除するように慎重に、けれど迅速に処理に徹する。

 

 本来大学生というのは、友人らと協力し合い、もしくは一方的に利用するケースもあるかもしれないが、複数人で課題の解決に臨むべきなのだ。無論、一人で出来てこそ立派な学生だという風向きはあるのかもしれない。だが、えてしてそういう輩は名のある大学に受かっているはずである、受験から逃れるためだったり、モラトリアム期間を延長することを目的とした輩ばかりで溢れかえっている本学では求めるには高過ぎるレベルであることは否定し難い。

 

 普段は桜庭と協力していたのだが、ここ最近の桜庭は忙しく大学どころではないため、俺一人で対策せねばならなくなっていた。「他の友人に協力を仰げば?」と妹は軽く言ってくれるが、そんな友人ができるならば桜庭と友人になどなっていない。

 

 遠くのテーブル席では陽キャ達が雑談しながら楽しそうに課題をこなしていた。その中の一人は見覚えがあった。

 

 そいつは同学年で講義が一部被っていた。野郎である。細みな優男。ユニセックスな雰囲気を持つし、ファッションもそれを強調するような、綺麗な格好をしている。

 

 普段は野郎の顔なんて覚える趣味もないが、そいつは地元紙のモデルをやっていて、街を歩けばそいつの顔が嫌でも目につく。目につき過ぎて、休日外に出ない日ぐらいしか顔を見なくて済む日はない。

 

 そいつがなにか仕草をする度に、周囲の女性がキャーキャー騒ぐものだから、うるさくてかなわない。ここは図書館であり、静かにするべきルールを守っている俺の方がどこかアウェイだった。陽キャに歯向かう勇気など俺にはなかった。

 

 ここにいては進む課題も進まないと観念し、自宅でお菓子でも食べながら続きをしようと思って帰り支度を始める。

 

 すると何を思ったのだろう。そのモデルは俺の席までやってきて、柔和な笑みを浮かべてくる。

 

「ねえ、君さ同じ講義に出てたよね。一緒に課題やらない?」

 

 陽キャというものを舐めていた。顔見知り程度の輩にまで物怖じせず、声をかけるとは。しかも、課題を一緒にやるなんて渡りに船である。

 

 ただ、その誘いを受けるという選択肢はなかった。

 

 その理由はコイツのお仲間であった。

 

 女性が多い。男性もいたが、少しばかり肩身狭そうにしていた。それもそのはず、女性たちがモデルと一緒に過ごしたいばかりに、モデルと男たちの友人グループにくっついてきたからだ。男たちはモデル一強の空気を変えようとしていたが、その全てが空振りに終わっていた。

 

 何故知っているか?

 

 図書館であれだけ騒げば、そりゃあ筒抜けだ。

 

 そんな中に単身陰キャが飛び込めば、男性たちには新しい競争相手として扱われ、女性たちには邪魔だ出て行けとばかりにけちょんけちょんにされるのが目に見えている。

 

 きっとこのモデルも自分のお仲間からヘイトを買うのが嫌で新しい生贄として誘ったのだろう。

 

 そんなところに飛び込む阿呆はいない。

 

 飛び込むのは女に飢えた見境のないケダモノだけだ。

 

 俺はシオミンを愛好する紳士だから飛び込まないで済んだ。

 

「悪いな。一人の方が落ち着くんだ」

 

 そう強がりを吐いて帰路についた。

 

 課題が深夜までかかったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

 えげつない物量の課題を打ち倒し、疲れ切った身体を休めるべく横になる。けれど酷使した頭は、工藤さんの自宅から車で帰宅した時のように冴えてしまっていた。まるで「もっと仕事をくれ!」とギラギラと脳内麻薬でキマっているようだった。

 

 このまま眠れずとも目を瞑っていれば身体は休まろう。だがしかし、なんだか勿体ない気もするのもたしかだ。

 

 少しばかり起きていれば、脳内麻薬が切れた頃に眠気が来るだろう。

 

 そう思って起き上がり、パソコンの電源を点ける。

 

 通知などはなく、ネットを覗いてみても気になる情報はない。妹も今は配信中らしい。桜庭の教えを守って、プライベートルームからゲーム実況をしていた。ちなみにこのプライベートルームは俺が金を出して新しく借りたものだ。配信で得た金で返すからと言われ、仕方なくなけなしの金を出した。

 

 これでは時間を潰そうにも潰せない。

 

 ではどうするかと悩んだところで、久しぶりに電脳世界をぶらつくことにしようと決めた。

 

 量産型アバター狩りなんてものもあるらしいが、商業施設系の戦闘行為が禁じられている電脳ならば大丈夫だろう。

 

 そう思って大型ショッピングモールの電脳に降り立った訳だが、嫌に視線を集めていた。

 

 理由も明白。

 

 普段ならばどの時間帯でもそれなりにいたはずの量産型アバターが、俺以外にいない。量産型アバター狩りは俺の予想よりも深刻な状況らしい。まるで2000年代前半にあったという伝染病が流行った時、ノーマスクで歩いたような視線の集め方だ。マスク警察という正義の味方も現れて、過剰な暴力に頼った正義の行使で問題になったと当時を伝え聞いたお爺ちゃん先生はそう教えてくれた。どこまで本当なのかは怪しいところがある。

 

 時代は変わっても人間はそう変わらないらしく、ベンチに座って休んでいた俺を囲むように柄の悪そうなアバターが集まっていた。

 

 何をされたかというと罵詈雑言や恫喝を浴びせられたのだが、彼らにできるのはそこまでだった。暴力に訴えられないそれらは効果半減といったところだった。臆病者にはそれでも効くのだろうが、生憎この手のことには耐性があった。

 

「ここを去れとおっしゃいますがこの状況で去ることになるのはあなた方の方では?」

 

 周囲には単なる客がいて、それらが警備員を呼んだらしく「またか」とほとほと疲れ切った顔が連れてこられていた。

 

 ここからどうなるのやらと暇つぶしになりそうだとワクワクした。

 

 だが、それは事態は予想外の方向に動き出す。

 

 突如、警報がショッピングモールに鳴り渡る。

 

 何事だと皆が同様する中、少し上擦ったアナウンスがそれを伝えた。

 

「正体不明の敵性存在が本電脳に出現しました。皆様、焦らずログアウト可能ならすぐにログアウトを。できないようなら避難をお願いします」

 

 囲んでいた輩は先程までの威勢はどこへやら「ログアウトできねぇ!」と喚いている。

 

「てめぇがどうにかしろよ!」

 

 さっきまで脅していた相手にそう命令するのはどうかと思う。

 

「プライドとかないの?」

 

 なので煽った。

 

 しかし、喧嘩にはならなかった。

 

 なる余裕もなかったといえる。

 

 俺の後方を見て、固まる輩たち。後ろに目を遣るとエネミーがいた。俺が与えた傷は全て癒えていた。

 

 それは一足でこちらに向かってくる。

 

 その場にいたものは皆逃げた。

 

 その多くが逃げ切れず、その鉤爪の犠牲となり果てる。

 

 俺はそれを見届けることになった。

 

 エネミーは俺を殺さなかった。

 

 遠くから俺を一瞥し、新たな獲物を捜しに消えた。

 

 殺さなかった真意は図れなかった。だが何か意味があったことのように思えた。

 

 この夜、俺は生き残りとして事情聴取される羽目になる。眠気がきても寝させてはくれなかった。

 

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

 たとえば困った状況と聞いてどのようなものを思い浮かべるだろうか。

 

 人によって答えは様々だろう。あるものにとっては困った状況でも、またある者にとっては困るほどの状況ではないということもある。困った状況にあるが、助けを求められる状況ではないということも大いにあり得る。

 

 俺は今まさにそういう状況に陥っていた。

 

 バイト先は靴屋だ。何の変哲もないチェーン店の靴屋。もうすぐ閉店時間になろうというところで、客も数人程度。店長から明日から売り出す新作の靴の品出しをもう始めちゃっていいと指示を受けたので対応していた最中にそれは起きた。

 

 いつの間にか店内にいた少女にめっちゃ見られている。

 

 物陰からバレないようにじっとこちらを見てくるのだ。そちらに視線を送ると、サッと隠れる。視線を外すとまた物陰から顔を出して見てくる。店内のあちこちに置かれた鏡で動きはバレバレなのだが、本人はどうやらバレていないと思っているらしい。

 

 背丈から見るに、小学生の低学年だろうか。幼さの残る顔立ちをしていた。ただ、欧米の血が混ざっているのか綺麗な金の髪色をしていた。お嬢様なのだろう。子供服に疎い俺でも一目でお高そうと分かるフォーマルっぽいグレーのワンピース、フワフワのベレー帽を身に着けていた。

 

 子供は嫌いではないが、こういった状況は得意ではない。

 

 外面が良い桜庭はバイトを休んでいる。店長は店の奥で事務作業にかかりっきりになっているから、誰かに頼るということもできやしない。

 

 親に連れられて来たのだろうと辺りを見回してみても、親っぽい人は見当たらない。大人は数人いたのだが、どれもこの子の親と呼ぶには身なりに差があった。

 

 さて、どうしたものかと品出ししながら考えていると自動ドアが開いて新しい客が入ってくる。

 

 そちらに目を遣ると見知った顔であった。

 

 先日、一緒に課題をしないかと誘ってきたモデルくんだった。

 

 向こうも俺の顔に気付くと笑顔でツカツカと近寄ってくる。少女はモデルの顔を見ると、少し離れた場所に逃げて行った。

 

「やあ、君ってここのバイトだったんだね。知らなかったよ」

 

「教える理由もなかったんで」

 

「でもわかるかも。僕もモデルやってるって自分からは言わないしね」

 

「いや、それとは理由が違うと思うが」

 

 俺は純粋にそこまで親しい友人がいないだけである。向こうが想定してるのは業務内容を考慮して、面倒な会話にならないようにという訳ではない。

 

「でも、たまたまだけど会えて良かったよ。大学構内だと話すタイミングなかったしね」

 

「……話すことなんてあったか?」

 

「仲良くなりたいだけだよ」

 

 胡散臭い。

 

 爽やかな優男の笑みが警笛を全力で鳴らしていた。

 

 何か裏がある。そう思わせてならないクリーンなお顔であった。

 

「ところでさ気になったんだけど、あの子どうしたの?」

 

 モデルくんが遠くから俺らを見てくる少女を指差す。

 

「わからない。いつの間にかいて、ずっと見てくるんだ。親っぽい人もいなそうだし困ってる」

 

「ふうん、じゃ僕がちょっと話してくるよ」

 

 そう言うとモデルくんは少女のもとへ近づいていく。

 

 少女は近づいてくるモデルに目を細め、一歩後退り、警戒感をあらわにした。

 

 モデルくんはしゃがんで少女と視線を合わせる。

 

 そこでいくつかの話をしていたようだった。

 

 話が終わると、少女は外へ駆けていく。

 

 モデルくんは戻ってきて「なんか僕が信用ならなかったみたいで逃げだしちゃった」と照れ臭そうに頭を搔いていた。

 

「いや、助かったよ。もうすぐ閉店だから、最悪警察に連絡しなきゃいけないところだった。というかもう蛍の光流れるから、欲しいものあったらさっさと会計してくれないか?」

 

「友人ってことで少し待ってもらうことはできないかな」

 

「客に優劣をつけるなんてできないからさっさとしろ」

 

 蛍の光が流れ始めたので、流石に買うのを諦めたようだった。

 

「バイト終わりなんでしょ。だったら一緒に帰らないかい?」

 

「悪いな。店が終わっても品出しは続くんだ」

 

 そう言うとモデルくんはトボトボと帰っていった。

 

 閉店後の戸締りしながらバイト中にあったことを思い出す。

 

 まともに話したこともないやつと「仲良くなりたい」なんて絶対にまともな感性を持っているはずがない。絶対に何か裏があるに違いない。その裏が何かは知らないが、そのうちヤバい学外サークルに誘われそうな予感はある。正直、誘うならば女性からお誘いを受けたかった。何が悲しくて野郎から誘われなければならないのだ。友達が少ないから野郎でもいけると思われたのだろうか。

 

 そういえば夜更けに一人で返ったあの少女は無事家に辿り着けただろうか。

 

 あの胡散臭いモデルくんと少し話しただけで逃げ出した危機意識の高さならばきっと無事だろう。

 

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

 人生におけるプラスとマイナスは最終的にプラマイゼロになると誰かが言った。ならばここ最近、色々なことが起きてしまっているくせに碌なプラスがない俺の私生活にはいずれ大きなプラスが訪れるはずである。

 

 バイト中にそんなことを言って久しぶりに出勤した桜庭にシオミンのプラチナチケットを催促したのだが「ここだけの話、エネミーが出るかもってことでライブスケジュール見直しされてるっぽいぞ」とマイナス方向な業界裏話を教えてくれた。

 

「うちのチームもエネミーが出た場合、配信をどうするかってマニュアルできたしな」

 

「大変だな」

 

「二回もエネミーと相対して生き残って、陰謀論の中心にされた人間よりは大変じゃないけどな」

 

 電脳でのエネミー騒動後、関係各所から事情聴取を受けた。その事情聴取で、俺が先日あった大会でエネミーを打ち倒した者だと知られてしまった。隠すつもりもないため、ばれてしまっても問題はなかったはずだった。問題なのは、それを知った誰かが守秘義務違反を行い、あっという間に俺が世界の敵扱いになってしまったことだった。

 

 そりゃあもう凄い設定のオンパレードだ。

 

 なんでも俺は世界を裏から支配する組織の次期総帥、その組織で開発していたのがエネミー。世界を救ったという箔をつけるためにエネミーをわざと逃し、俺に打ち倒させる。これで俺は名実ともに英雄になり、次期総帥になれるらしい。ちなみにエネミーが自らの意思で逃げだして、この組織を明るみにさせるという目的があるパターンもある。どちらの展開でも妹と桜庭は、組織の息がかかった手駒扱いだ。

 

 リアルの情報は漏れていないのが不幸中の幸いだろう。

 

「次期総帥がこんなところでバイトなんてするはずがないのにな」

 

 呆れた顔をした俺に桜庭は言う。

 

「地下に組織の秘密基地があるのかもな」

 

「あってたまるかそんなもの」

 

 世界の敵になってしまったことで、その象徴たる量産型アバターは日本に存在する電脳ではほとんど見ないものになってしまった。たまに見ても危ない人扱いで周囲から人が逃げていく。たまに近づいてくるのは狩り目的の輩のみだ。

 

 量産型アバターで電脳に入り辛くなってしまい大変迷惑している。

 

「プラマイゼロっていうなら今宝くじ買えば当たるかもな」

 

 桜庭の提案に俺は乾いた笑いが漏れる。

 

「知ってるかマイナスというものはそう簡単にプラスに覆らないからマイナスなんだ」

 

 そう言った俺の視線の先には来店したモデルくんがキョロキョロと回りを見渡している姿があった。

 

 モデルくんは俺の姿を見つけると早歩きで向かってくる。

 

「やあ。また来たよ」

 

 心無い「いらっしゃいませ」で返すと桜庭が肘で突っついてくる。

 

「大学の有名人じゃねえか。なんで知り合いなんだよ」

 

 小声で訊いてきたので小声で返す。

 

「知らねえよ。向こうから話しかけてきたんだよ」

 

 目の前で行われるひそひそ話に、モデルくんは嫌な顔もせず「いいなぁ。僕もそういうのができる仲の友人が欲しいよ」と羨ましがられた。

 

 桜庭が目を丸くする。

 

「いや、あんたは友人多いだろ」

 

「男子はみんな一歩引くし、女性はめちゃくちゃ踏み込んでくるから、一緒にいる人はいるけど丁度いい距離感の友人っていなくてさ」

 

「顔が良い奴も顔が良いなりの苦労してるんだな」

 

「わかってくれて嬉しいよ」

 

「でもどうしてこいつなんだ。こいつ以上にマシな選択肢なんていくらでもあっただろ」

 

「僕と違って自分に自信がありそうなところかな。僕って自信ないから」

 

「いや、こいつのそれは社会不適合者なだけだぞ」

 

 俺をさし置いて、俺を褒めたり悪口を言ったりするこの場はなんなんだろうか。

 

「でも話しかける勇気は最初はなかったんだ。でも話しかける理由ができたからこの前から勇気振り絞ってみたんだ。だけど、まったく相手にされてなくて心が折れそうだったよ」

 

 桜庭が「理由ってなんだ?」と問う。

 

 モデルくんは人の良さそうな笑みを浮かべる。

 

「宗教法人天樹会。会長が君に会いたいって言ってるんだ」

 

 純粋な善意からくる宗教勧誘。

 

 大学生活の中でマルチネットワーク勧誘、反社会的勢力への勧誘と並ぶ三大断らねばならない勧誘の一つであった。

 

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

 天樹会とはこの地方都市に根付く土着信仰が元となった宗教法人らしい。

 

 宗教としては古く江戸から続く。ただ、歴史の割に規模は小さいらしく、この地方都市から一歩外へでたら全く聞かなくなるようなものだ。活動内容もまっとうで、ボランティア活動やお悩み相談がメイン。昔問題になっていたという怪しい壺を買わせたり、寄付金を強要したり、度を超えた勧誘活動などは行っていない。そういうことになっている。

 

 俺hあモデルくんから誘われた天樹会について自宅で調べていた。

 

 誘われたあと「パンフレットとか持ってきたからあとで見てね」と渡されるだけ渡され、モデルくんは帰っていった。隣の桜庭がヤバい奴を見る目になっていたから逃げただけかもしれない。

 

 バイトが終わってから家でどんなあくどいことをしているのか少し調べてみることにした。公式団体から出している情報はクリーンなものばかり。ここまでは予想通り。被害に遭った人の情報を見つけてからが本番だ。しかし、どういうわけか見つからなかった。

 

 健全経営を旨としているのか、寄付は基本無し。何かあったらお気持ちだけを貰う程度らしい。大本を辿れば神道にいきつく土着信仰ゆえ、経典も具体的な教えもない。実態としては町の顔役みたいなものらしい。

 

 一つ特殊な点を挙げるとするならば、天樹会のトップは神様ご本人らしい。他のカルト宗教では、神様や教祖の生まれ変わりとか、お告げを聞いたとか、教祖の血筋で誤魔化しているところを、真っ正面から殴りにいったという点だ。いっそ清々しさすら感じる。

 

 小一時間探して、怪しいところは見つからなかった。

 

 きっと細々と続いてきた神社みたいなものなのだろう。

 

 だからといって誘いを受ける気はさらさらない。

 

 度を超えた勧誘活動はないという話なのにモデルくんが勧誘してきたことを鑑みると、地下で活動している団体なのかもしれない。正直、信用できるまで至っていない。

 

 ちなみに配信前の準備をしていた妹にこの話をしたところ、心配を装った探りを入れてきた。別に身内に隠すようなことでもないので一緒に調べてもらった。

 

「断り続けるのが安定だね」

 

 妹の意見に同意すると、続けて訊かれた。

 

「配信でネタにしていい?」

 

 名称などを出さないことを条件に許可を出した。妹は阿呆なので何かの拍子で言わないか気になり、珍しく配信を見てみることにした。たしかに名前などは言わないまま面白おかしくネタにしてくれた。身内の不幸話ということで俺が笑われるのは想定通りで許容内であったが、俺へのアンチが妹の配信に毎度毎度へばりついているらしく俺の不幸に口汚くして喜ぶ様に妹のファンがドン引きしていた。

 

 どうやら妹の配信の視聴者は、純粋なファンとガチ恋勢、兄貴アンチ、その他で構成されているらしい。なかなかの混沌具合だ。

 

 配信後、妹にネタにしない方がよかったのではと話しかけてみる。

 

 妹は溜息交じりに首の後ろを掻く。

 

「にーちゃんネタはみんなからまた聞きたいって意見は出るけど、アンチの喜び方がねー。もうちょっとモラルを守った喜び方して欲しいし。酷い人はコメントブロックしてるけどファンめっちゃ増えてるからキリないし」

 

 互いに良い解決策などないことはわかりきっていたため、その話はそれで打ち切った。

 

 翌日の講義後、モデルくんから声を掛けられた。

 

 宗教勧誘の件だろう。しかし、彼の口から出たのは想像していないものだった。

 

「昨日、妹さんが勧誘の件ネタにしてたでしょ。うちのとこはそんなんじゃないってば

 

 いつも通りの柔らかい笑顔を携えていたのが、恐ろしかった。

 

「どうしてお前がそれ知っているんだ」

 

 妹が配信者であること、それを知っているのは桜庭と工藤さんだけのはずだ。桜庭もエネミー関連については大学連中には言わないようにしている。そもそもプロゲーマーということも公言していない。ゆえに知っているはずがないことをモデルくんは知っていた。

 

 その桜庭はバイトにはたまに復帰するぐらいにはなったが、講義はまだしばらく出れていないから漏れる可能性は薄い。

 

「どうしてって……ああ! 妹さんが配信者って言ってなかったんだっけ」

 

 悪びれる素振りもなく笑顔を振りまく。

 

 その姿に元から高かった不信感が限界にまで達する。

 

「二人きりで話すぞ」

 

 そう告げて荷物を持ち、講義室をあとにする。モデルくんも少し遅れて荷物を持って追いついてきた。モデルくんが追いつく際、見送る女性陣たちが「あ、やっと仲良くなれそうなの。頑張れー!」と意味がわからないエールをモデルくんに飛ばしていた。

 

 移動中、モデルくんは横に並んでくる。

 

 慌てて追いついたらしくリュックのチャックは開きっぱなし、手には教科書類を抱えたままだった。

 

「次の講義は少し時間空くけどお昼とかどこかで食べる?」

 

 挑発なのか、そんな呑気なことを訊いてくる。

 

 無視して進む。

 

 そうしたら肩を落としてトボトボとついてきた。

 

 到着したのは普段は使われない非常に大きな講演室の廊下。名のある人を呼んだ際に学生を動員して話を聞くために使われる部屋であり、その広さから専用の別棟にあるため、普段は学生が近づくことは少ない。

 

 廊下のベンチに二人して腰掛ける。

 

「妹が配信者であることをどうして知っているんだ?」

 

「人から聞いたんだよ。三刀さんの妹さんがそういうことしてるって」

 

「桜庭から聞いたのか?」

 

「ちがうよ。聞いたのは天樹会の会長。会長が天樹会について君が絶対に勘違いしてるぞって教えてくれたんだ」

 

「その会長は何者だ。俺は妹が配信者であることは誰にも言っていない」

 

「あーそうなんだ。それなら不信に思っても仕方ないね」

 

「そもそも最初話しかけられた時から不信に思ってたけどな」

 

「え、嘘。本当にショックなんだけど。僕何かしちゃってた?」

 

「ひたすら胡散臭い」

 

 うなだれるモデルくん。

 

「もう一度聞くぞ。会長は何者だ」

 

「……それはまだ僕の口からは言えないかな。会長ご自身の口からでないと言えない決まりなんだ」

 

 モデルくんは弱弱しい笑顔で俺に言う。

 

「悪いようにはしないから天樹会本部に来てくれないかな」

 

 悩んだ。

 

 妹が配信者であることは、桜庭と工藤さんぐらいしか知らない。その情報を知っている会長は只者ではない。俺との繋がりを知っているということは、エネミーに関して、もしかすると妹が電脳世界で生きていたことについても何か新しい情報があるのかもしれない。

 

 しかし、逆に言えば元凶として全ての因果を知っていただけの可能性もある。罠かもしれないということだ。

 

 伸るか反るか。

 

「すぐには決められない」

 

 答えは保留だ。

 

 妹と桜庭に話を通してから決める。それでも遅くないはずだ。

 

「……うん、それがいいと思うな。会長にはもう少し待って欲しいって僕から伝えとくよ」

 

 向こうの了承も得た。

 

「ところでお前の名前を知らないんだが、なんていうんだ?」

 

 ガックリと肩を落とすモデルくん。

 

「……北御門敏樹です。モデルとして地元じゃ有名だったから名前ぐらい知られてたと思ってたよ……」

 

 大きく落とした肩がぐぐぐっと上がり、決意したように俺を見る。

 

「話も終わったし、一緒にお昼でも食べに行こうよ!」

 

 陽の者のメンタルは最強だった。

 

 折れない心を持った陽キャである北御門とラーメンを食べ、午後の講義も乗り越え、バイトへ向かう前に一度帰宅する。

 

 自宅では点けっぱなしのディスプレイの中で妹が配信の準備をしていた。難航しているのかサボっているのか、何もない空間で横になり、ぼーっと何かを考えているようだった。俺が「舞香、ただいま」と声をかけると、勢いよく起き上がり「おかえり!」と白い歯を見せた。

 

「少し話したいことがあるが、今時間いいか?」

 

 どうせサボっていたから大丈夫だろう、と思いつつも確認を取る。

 

「しょーがないなー。にーちゃんのために舞花さんの大事な時間を使ってあげましょう」

 

 恩着せがましい言葉で了承を貰った俺は、着ていた上着をハンガーに掛ける。

 

「俺の同期が配信者である舞香のことを知ってて、その兄だと理解した上で俺に話しかけてきた。これについてどう思うか意見を聞きたい」

 

「んーネットストーカー的技術あるならワンチャンにーちゃんのこと突き止められるかも」

 

 ネットストーカーとはたまに聞くことがある言葉であるが、高度情報化社会に置いてけぼりを喰らっている俺はそれがどのようなものなのか理解が及んでいなかった。

 

 妹もそれは重々承知ゆえ、俺が尋ねる前に人差し指を立てて「説明しよう!」と得意げな顔をする。

 

「ネットストーカーとは、インターネット技術が普及した時代に生まれた言葉である。主に特定の相手に対し、粘着行為を繰り返す者を指すものとして使われてきた。また、広義としてSNSなどにアップされた写真から住所や顔などの個人情報を割り出して、現実でも迷惑をかけることを指す場合もある。ちなみに個人情報を割り出すだけならネットスラングで特定班という別の呼び方もあるため注意が必要である」

 

 一息で説明を終えた妹はふふんと鼻を鳴らす。

 

「わかったかな?」

 

 説明された内容を頭の中で噛み砕く。

 

「つまり、舞香のSNSから俺の個人情報が繋がったってわけだな」

 

「えー逆ににーちゃんから私に繋がったんじゃないの」

 

「俺のアカウントはシオミンの情報を集めるぐらいにしか使ってないぞ」

 

「んじゃ私かー。いうてネットアイドルだからリアルに繋がる情報は出してないんだけどなー」

 

 昔の投稿を見返す。しかし、それらしき投稿はないため首を捻っていた。

 

「ないですねー。他にこれかもって情報ないの?」

 

「そいつから宗教に勧誘されたって話はしただろ。そいつが所属している天樹会の会長から聞いたらしい」

 

「え、こわ」

 

 これ以上の進展もなさそうなので話を遮り、お茶を淹れる。普段はあまり淹れない玉露だ。低音のお湯でじっくり淹れた玉露は、茶葉から旨味成分が湯に広がるように溶け、コクのある味わいになる。高温で淹れた場合、渋みと露骨な甘味が混じり合わずに喧嘩する味になる。大昔、妹が玉露を初めて淹れた時に「飲んでみて」と頼まれた時に味わった二度と思い出したくない味だ。

 

 幼い俺には衝撃的過ぎた事故だったため玉露を飲むたび思い出す。

 

「あー玉露でしょ、それ。私も久しぶりににーちゃんの玉露飲みたいな」

 

「無茶言うなよ。その体でどうやって飲むんだ」

 

「言ってみただけー」

 

 妹は何をするわけでもなく寝転がり、そのままディスプレイ上を右から左、左から右へとゴロゴロ転がりながら移動する。

 

「にーちゃんさ、さっきの話って桜庭さんにも相談するの?」

 

「ああ、そうだな。今日のバイトにもくるらしいからその時にな」

 

「んじゃ私も連れてってよ。どうせなら関係者集まってた方がいいでしょ。それにアイディアなくて煮詰まってたし」

 

「別に構わないが、配信はいいのか?」

 

「他の配信者もプライベートルームからの配信ばかりでみんな似たような企画ばっかでマンネリなんだよね。なんかこうパッとしたのが欲しいわけ。玉露となんのジュースを混ぜたら一番上手いのかとか一瞬考えたけど、電脳だと味とかまだわっかんないしなぁ」

 

 配信者として正しい姿勢であるが、この姿勢を料理に対しても行い、義理の母から厨房に立つことを禁じられていたのを思い出す。

 

 妹と義理の母との思い出であるため、もう覚えていないと思うと寂しかった。

 

「玉露で思い出したけど、そういや私って料理したことなかった気がするなー。身体があったらにーちゃんに美味しいご飯作って家で待っててあげるのになー!」

 

 この時以上に妹の記憶がない事を呪い、身体がないことに感謝した日はないだろう。

 

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

 妹を携帯に入れたままバイトに汗を流していると、途中で桜庭が合流した。夜遅くになって客もまばらになった頃、天樹会の話を切り出した。

 

 桜庭が言うには会うだけ会った方がよさそうということだが、相手の本拠地に出向く必要はないという意見であった。どんな相手かわからず、何をされるかわかったものではないため、第三者の目がある場所がいいという。また、相手が複数人で来る可能性もあるため、桜庭がついてくるかつチームメンバーに近くで見張っててもらうことを提案された。

 

 その提案に同意して、相談終わったと思った。

 

 桜庭が続ける。

 

「あ、オレ、バイト今日までだから」

 

 アホ面を晒す俺に桜庭はしてやったりな顔をする。

 

「いやーエネミー関連で忙しくてなーこれからもっと忙しくなりそうだから辞めるしかなかったんだよなー」

 

 忙しいのはわかるが、一緒のシフトに入ることが多かった桜庭が辞めてしまったら俺の負担が大きくなるではないか。

 

「てかバイト補充されないの?」

 

 シャツの胸ポケットに入れた携帯から妹の声が聞こえてくる。桜庭は「一緒にバイトまでくるとかやっぱシスコンだな」とおちょくってくる。それを丁寧にシカトする。

 

「されるはされるだろうが、すぐには難しいだろうな」

 

「ふーん、サクラバさんはバイト辞めて本業専念?」

 

「本業は学生なんだけどな。まープロとして対エネミーの方針決めにしばらく専念かな」

 

「どんなもんなの?」

 

「毎日役人たちと相談してる。ただ何をするにも上の許可がーって感じで正直アテにならん。そもそも未知の存在に対し、どうするべきか上の上でも揉めてるらしい。ならそっちで話しつけてから、俺らに話持ってこいよって思うね」

 

 決まるアテのないミーティングに参加させられて、そのくせ何か案を出せとせっつかれて苛立つ日々のようだった。「いっそ国を無視して、どうにかしてやろうか。今こそネットの自由を取り戻す時だ!」なんてアナーキーな発言も飛び出した。

 

 延々と毒づく桜庭に嫌気が差す。

 

「そういえば前に探り入れられたって言ってただろ。国は何か知ってたのか?」

 

「知らない顔の色んな派閥が出入りするせいでオレも全体像を掴めた訳じゃないけどな。――だが何か知ってる奴は絶対にいる」

 

 技術立国として名を馳せた我が国で、よもや国の中枢にオカルトを信じている輩がいるとは。しかも、百年も昔ならいざ知らず、今や電脳世界がごく当たり前な日常と化した時代にも関わらず。

 

「そっちに関してはオレに任せとけ。お前はお前でアンチどうにかしろ」

 

「アンチってのは相手してあげると喜ぶんだ。リアルじゃ誰にも相手にされないボッチ野郎がやってるに違いない。アイドル界隈に生息するアンチの底を垣間見てきた俺からしたらこんなのはまだまだだな」

 

「ちなみにどんな奴がいたんだ」

 

「アイドルに反応がもらえると嬉しかったのがエスカレートしていって、酷すぎて無視されるようになって、でも無視されるのが許せなくなって、ダイレクトな犯罪行為に走り、逮捕された」

 

「お前はそうはなるなよ」

 

「安心しろ。俺は紳士を心掛けているからな」

 

「変態紳士の間違いだろ」

 

「ははは、くたばれ」

 

 暇つぶしに悪口の空中戦でも始めようかと、罵詈雑言のボキャブラリーを引き出していたら、視界にあるものが入り込んだ。先日見かけたどこぞのお嬢様な少女だった。今日も今日とて物陰から俺に向かって視線を飛ばしている。

 

 桜庭も気付き、妹もカメラ越しに見つけて「可愛い!」とスピーカーから甲高い声が響いた。

 

「あの子、また来てたのか」

 

 その呟きに反応を示したのは桜庭だった。

 

「またって前にも来てたのか?」

 

「お前がバイト休んでた時にな」

 

「めっちゃ見られてるな」

 

「めっちゃ見てくるんだよな」

 

 じーっと見てくる少女。やはり今日も俺が視線をそちらに配るとさっと隠れてしまうようで、バレないよう視界の端っこに収めていた。

 

「にーちゃんさ、話しかけてみたら?」

 

「あの調子だと逃げられるだろ」

 

「私の見立てだと話したいけど話しかけられない恥ずかしがり屋な波動を感じますね」

 

「その身体でどうやって波動感じるんだよ」

 

「遠赤外線的な」

 

「この携帯に赤外線機能ついてないぞ」

 

 妹が入ってるせいで騒がしい携帯を桜庭に預け、少女に歩いて近づく。少女は最初は隠れる素振りをしたものの、逃げ出すことはせずに俺を待った。

 

「こんばんは。君、一人みたいだけど家は近いのかな?」

 

 少女は意を決すた顔をする。

 

「二人きりで話したいの。……だめかしら?」

 

 上目遣いは大変可愛らしかった。

 

 大昔からイマドキの子は進んでいると聞くが、この子も例にもれず進んでいるようだった。この子が進んでいるのではなく俺が周回遅れになっているだけな気もしなくはない。

 

 思いがけず少女からデートのお誘いを受けたが、そこはバイト中。仕事をほったらかして店を離れるわけにもいかない。ましてや子供の誘いを本気にして浮かれるわけにもいかない。ただ、こんな俺でも見ている子はいるのだなと思うと少しばかり自尊心が磨かれた気がした。

 

「悪いね、仕事中だからダメなんだ」

 

 少女は頬を膨らまして不服そうに睨んでくる。

 

「あたしが頼んでるのに……」

 

 本当、いったいどこのお嬢様なのだろうか。人見知りのくせに、自分の頼みは受け入れられると思っているなんて、よほど自分が偉いと思っていなければできない所業だ。

 

 どう説得して家に帰そうか考えていたら、背後に誰か立つ気配を感じる。店長だった。小太りで人の良さそうな中年男性だ。実際に人柄がよく、バイトに舐められて急な欠勤が横行していた時期もあったそうだ。俺と桜庭が入るまではワンオペで年がら年中回して、死相すら出ていた。未だバイトの面接中に店長が倒れて、救急車を呼ぶ羽目になったことは記憶に新しい。

 

「三刀くん、その子のこと送ってあげなさい」

 

 朗らかな笑顔の店長に少女は顔を輝かせて俺の手を取る。

 

「許しが出たわ。さあ行きましょ」

 

 引く手は子供の力とは強い。こちらも踏ん張らなければ身体ごともっていかれそうだった。

 

「店長、まだバイト時間終わってないですよ」

 

「今日は桜庭くんもいるし、客もいないし、あとはその子を送ってくまでが今日の仕事でいいよ。もう遅いし、その子に何かあった方が心配だよ」

 

 店長の良い人ぶりに拍車が掛かっていた。いずれフォッフォッフォとでも笑う好々爺になる未来が見える。仕事にかまけすぎて独身なため、誰かいい人が見つかることを祈ろう。

 

「それじゃあ行きましょう」

 

 今度は踏ん張ることすらできない力で俺を引っ張る。こらえきれずそのまま足を進めることを強制されて店外に出る。その際、ペコリと店長に頭を下げた。俺の携帯を持ったままの桜庭が、その手の中の妹とともに手を振っていた。

 

 少し歩いて到着したのは近所の公園であった。ブランコとすべり台があるだけの小さな公園である。普段は母親に連れられてきた幼稚園児で騒がしい場所であるが、夜遅くもなると静かなものだった。これが週末だったりすると酔い潰れたおっさんがベンチで寝ていたりするのだが、今日はそれもなく二人きりだった。

 

「お兄さん、やっと二人きりになれたわね」

 

 月夜の下で男女が二人。

 

 文字に起こせばなんとなくロマンチックに見えるものだが、大学生と小学生ではいいとこ兄妹で、下手をすれば児童略取の現行犯にも捉えかねない。

 

「ここが君の家じゃないだろう。今時ホームレスだってもっとまともなところに住んでるよ」

 

 そう注意すると拗ねたように指に髪を巻いた。

 

「この年格好だと子供扱いされちゃうのは仕方ないかしら」

 

「子供だろう」

 

「たしかに見た目は否定できないかしら」

 

 少女の目からはすぅーっと光が抜けていった。

 

「でもね、あたしさ――お兄さんよりもずぅっと年上よ」

 

 瞬間、怖気が走る。

 

 呼吸が荒くなり、筋肉が強張る。

 

 目の前にいる少女の雰囲気が変わった。守ってあげたくなるようなか弱い少女はもういない。地の底から這いずるような恐怖を、畏怖を、目の前の少女が放っている。これは人のものではない。

 

 怪異。

 

 そう呼ぶに相応しいナニカであった。

 

 それは動けない俺にソレは近づくと服の裾を引き、跪かせる。

 

「ふふ、怖がらないで。あたしはお兄さんを理解してあげられる唯一の存在だから――」

 

 俺の首の後ろに手を回す。

 

 暗くなっていく視界で、何かが唇に触れたような気がした。

 

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

 世界は理不尽でできている。

 

 理がなければ情さえ欠けた世界で俺は生きてきた。

 

 最初にそう感じたのは親の離婚であった。

 

「大人の会話に入ってくるな」

 

 言い争う実の両親が、それを柔らかい表現で口にした。幼い俺に意見を言う権利は与えられず、次の日に母は俺を置いて家を出た。

 

 驚きはなかった。

 

 両親が顔を合わせる度、冷たい視線が交差する場面に何度も遭遇していれば幼くとも察しはつく。性格の不一致か主な離婚理由ということだが、互いの不貞もまた離婚理由の一つであった。後者は醜聞ということで教えられることはなかったが、両親ともに離婚後すぐに次の家庭を築いたとあれば、そういうことなのだろうと察するには十分であった。

 

 俺は父に引き取られた。

 

 長男であり、名目上の跡継ぎである俺を手放したくなかったのだろう。また、母も父の遺伝子が混ざった俺を育てる気がなかってので丁度良かったというのもあるだろう。

 

 こうした出来事を経て、連れ子の舞香と出会い兄になった。

 

 急にできた義理の妹という他人相手に兄としての行動を求められた。兄だから譲れ、兄として妹を守れ、親としては当然の要求であるが、そこに至るまでの経緯に俺の意思は介在していない。

 

 だが、俺は兄の努めを全うした。

 

 何故ならそこに妹の意思も介在していなかったからだ。

 

 あるのは親の利だけ。ならばどれほど嫌気が差そうとも、年端も行かぬ妹に対して当たるのは筋違いだろう。

 

 これを切っ掛けに俺はある決意をした。

 

 俺は正しくあろうとした。

 

 理と情を持って正しい人でありたいと願った。

 

 利と利がぶつかり合う世界で正しく生きようとすらこと自体が間違った行為であると気付くのは早かった。俺の決意は多くの人の利を阻害していた。その利がたとえ人としての情が欠落したものだとしても阻害したことに変わりない。

 

 戦い抜いた果てにあったのは孤独であった。

 

 正しくあろうとして多数決から漏れた間違った人間になっていた。

 

 それに気づいてから、自分の大切なものだけ守るようになった。

 

 自分が間違っている訳がない。

 

 ならば世界の方が間違っている。

 

 しかし、俺は世界に負けていたのだ。

 

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

「目が覚めたかしら?」

 

 問いかける少女は足を横に曲げて座っていた。

 

 黒の世界に少女と俺だけが存在していた。そこが先程までいた公園ではないのはたしかだった。光一つない闇の中なのに少女の姿はハッキリと見える。そんな場所も、現象も心当たりなんてなかった。

 

「ここはお兄さんの心象風景」

 

 少女は俺の心を読んだかのように語り出す。

 

「その人を映す鏡みたいなものなの。お兄さんの心はあたしが見てきた心の中で一番好きよ」

 

 少女の正体はわからない。だが人の世のものではないのは確かなようだった。

 

「……こんななにもない場所が俺の心か?」

 

 俺の心にはいつもシオミンがいるはずなのだが。

 

「なにもなくはないわ。あるのはここの外側。ここは殻の中なの。外は人と人が殺し合う無法地帯。自分は何も見たくないから閉じこもるの。その癖、それが許せなくて――」

 

 少女は俺の足元を指差す。

 

 黒い手が闇から伸び、俺の首を絞める。息も出来ずもがき、その手から逃れ、蹴りを入れる。黒い腕は痛みに怯えた様子は見せず、するりと方向を変えると少女の方へ向かっていった。少女は身動ぎせず、その小さい手で黒い手をはたきおとした。落ちた手は闇の中へと沈んでいく。

 

「自分のテリトリーを侵す者は見境なく傷つける。自分自身も例外じゃない」

 

 少女は笑う。蠱惑的に。

 

「ああ、なんて素敵な心。自愛的で自虐的。それでいて物事を達観視してる。あたしは、あたしだけが、お兄さんの気持ちがわかるの! 正しさを認めなければ、その気持ちさえ汲んでくれない世界への義憤、鬱憤、怨嗟! 痛いほどわかる。あたしはお兄さんに救われて欲しいの。あたしと一緒に世界に反逆しましょう!」

 

 差し伸べられた手を前に俺は訊く。

 

「お前は何者だ」

 

 少女は面映ゆそうに咳払いを一つ。

 

「あたしとしたことが。そうですね、この姿で名乗りを上げたことなかったですものね」

 

 少女は胸に手を当てる。

 

「あたしに名はありません。人の世では正体不明の敵性存在、あなた方がエネミーと呼んでいる存在よ」

 

 自己開示した少女の背後には、人を模した細い体躯の幻影が浮かび上がった。

 

 エネミーを名乗った少女は、金の御髪を指先に絡ませる。

 

「……けれど毎回敵性存在とかエネミーとか呼ばれるのは美的センスに欠けてるかしら。ねえ、何かいい名前つけてくれない?」

 

 身を乗り出し、顔を近づけてくる。甘くしっとりとした香りがした。

 

 この事態に混乱した。目の前の少女とエネミーが一致しなかった。戦いを交わしたエネミーがこのような可愛らしい動きで名前をねだるようなイメージとそぐわなかった。獣の如き獰猛さで視界に入った敵を切り裂くのが俺が撃退に成功したエネミーであった。

 

「混乱してるわね。どっちが本当なのかって」

 

 少女は俺の隣に座り、腕を絡ませる。

 

「どちらも本当のあたし。電脳世界で殺戮するのも、こうやって愛を囁くのも、偽りない心からの行動よ」

 

「お前は一体何者なんだ。どうして妹を殺した?」

 

「最初の質問から答えましょうか。あたしは神よ。とは言っても神に至る道半ばの存在。ほとんどの神が去ったこの世界をより良くしたいの」

 

「より良くしたいと言いながら何故人々から記憶を奪うんだ?」

 

「仕方のない犠牲よ。あたしだって奪わずに済むならそれで終わらせたいわ。神に至るには記憶という蜜を吸わねばならないの。でも心苦しいから日常生活に困らない程度の記憶しか奪っていないわ。最初のうちは加減ができず多くの記憶を奪ってしまったことはあるわ。その方には大変申し訳無いことをしてしまったと反省してる。本当よ」

 

「なら俺を仲間にする理由がわからない。お前一人で完結してるじゃないか」

 

「ふふ、お兄さんにやって欲しいことは他にあるのよ。お兄さんはあたしの神使になって欲しいの」

 

 神使――神の御使い、神の眷属として神の意志を代行して伝える者と言われる。宗教・神話ごとにその姿は様々だ。哺乳類から鳥類、爬虫類、神話の動物もいる。お告げを聞いた者も広義では神使といえるだろう。

 

「神使に求めるものは神によって違うわ。下働きさせるだけの神使もいれば、巫女として秩序を維持させる神使もいう。あたしが求めるのは勇士。荒ぶる魂を以て世界を屈服させうる存在よ」

 

「買いかぶり過ぎだ」

 

「ふふ、今はそれでいいわ。もう時間も少なそうだから」

 

 少女は立ち上がり、数歩離れる。

 

「妹さんを殺した理由が知りたいのよね。あたしは答えられないわ。だって、あたしは殺していないもの」

 

 世界が揺れる。ブレる。ヒビが入る。闇に薄明が差し込む。

 

 世界が割れた。

 

 そこは元々いた公園。電灯の薄い光で照らされた中には俺と少女の間に一人の男性が立っていた。その手には反りのついた片刃の鋼が握りしめられていた。

 

「こんばんは、三刀さん。何もされていないかい?」

 

 北御門だった。どうしてお前がここにいるという疑問も、その手に持つ刀はなんなんだという疑問もある。あるが目の前の少女は邪魔されたことに不満気で、北御門に向けて怒気を放つ。

 

「逢瀬を邪魔するなんておモテにならなそうな殿方」

 

「そ、それは今は関係ないだろっ!」

 

 どうやら図星だったらしい。たしかに顔はすこぶるいいが、反面空気が読めないところは多かったように思える。顔のせいで圧倒的強者の側で生きてきたから、弱者の機微がわからないのだろう。

 

「あらあら心当たりがあるようね。可哀相な殿方ね」

 

 煽る煽る。電脳世界で殺戮を貴ぶ少女は見た目にそぐわず情報化社会の悪い文化を吸収しているようだ。

 

「――それで、その刀は兎も角、その貧弱な腕前で挑む気?」

 

 少女の目から光が消える。

 

「ここは君のホームグラウンドじゃない。なら僕にだって勝機はあるさ」

 

 北御門は刃を上に向けて顔の高さで水平にして構える。

 

 睨み合いが始まる――かに思えた。

 

「あんたら! こないなとこで喧嘩すんやない!」

 

 突如現れた女性の怒声によって仕掛けることにすら至らなかった。

 

 その女性は蜂を彷彿とさせる黄色と黒があしらわれたオーバーサイズのブルゾンを身に着け、それに負けないハイライトのグラデーションカラーの髪、迷いのない強い目を携えていた。

 

 少女はその女性を見るなり、バツが悪そうに殺気を納める。

 

「先輩には顔を立ててあげないとね」

 

 少女は虚空を背後に作り出し、その中に身を投げ入れて消えて行った。

 

「今度会った時に返事を聞かせてね」

 

 そう言い残して。

 

 少女が消えたのを確認して、北御門は構えを解く。

 

 解くと同時に現れた女性に拳骨を喰らっていた。

 

「アホか! あれほど戦うんやないって人が口酸っぱくして言うたのに、どーうーしーてー戦う流れになったか言ってみい!」

 

「ああ! すみません! すみません!」

 

「すみませんで済まない可能性もあったんやからなぁ!」

 

 その説教を眺めていたら、女性は俺の存在を思い出したらしく、くるりと俺の方へ身体を向ける。

 

「いやぁーすまんな。うちの若い奴らがご迷惑をおかけしたみたいで」

 

「……待て。奴らってことは北御門とあの少女はアンタの管轄ってことか」

 

「組織自体は別もんやけどな。北御門はウチの部下で、少女は……ま、後輩ってところやんな」

 

「お前は何者だ」

 

 女性は朗らかに笑う。黄色のブルゾンのせいか、それは太陽のように眩しく思えた。

 

「天樹会の会長、そして地上に残った数少ない神様の一人、樹神(じゅがみ)真紀。よろしゅうな」

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