「ああ! もうやってらんない!」
今朝方、我が妹が画面の中でコントローラーを地面に叩きつけた。非戦闘区域の電脳空間ゆえコントローラーが壊れるということはなかったけれど、物理演算はしているので低い音が響く。そのうえみっともなく地団駄を踏んだものだからやかましくて仕方ない。
何故こんなにも切れ散らかしているのかというと、自業自得でしかない。
昨日の夜から妹は、ゲームクリアするまで終われない耐久配信なるものを行っていた。
そのゲームとは超高難度ゲームである。ストレスゲーとも言われ、操作性も悪ければ、一つのミスで積み上げてきたものをすべて失い最初からを強制されるゲームだ。セーブという初心者救済措置もない。配信者ぐらいしかやらず、一周回って神ゲーと呼ばれるぐらい見せ場しかないゲームだ。
そんなゲームでクリアするまで終われない配信をするのは自殺行為でしかない。無論、ゲームクリアできれば感動のフィナーレを飾ることができる。だが、ゲームが下手くそな輩が挑戦することは単なる自殺志願者でしかない。そして、妹は自殺志願者だった。
コメントが妹を煽り散らかす。一部では「もう終わっていいんだよ?」と優しく諭す声もあるがようだが、頭に血が登った妹は煽りコメントしか目に入らない。
「ぜーったいクリアしてやるから見ててよ。それまで君たちも配信見るの辞めたら承知しないからね!」
そして、また最初から挑戦して中盤まで進んだ時に最初からになる。
不毛な配信だった。
朝のニュースで犬猫が出てくるほんわかニュースでも眺めていた方が心の平穏によさそうである。珍獣を眺めるという意味ではこの配信に軍配が挙がりそうだが。
今しがたの失敗で心が折れたのか「集中力切れたので一度休憩しまーす」とその場で後ろに倒れた。
「あーっしんど! 何時間やったんだろ。うわ、もう朝じゃん。にーちゃん、そろそろ起きたかな」
コメントに「二人とも実家住み?」と書かれた。
「そう、実家暮らしみたいなもん。てかにーちゃんで思い出したんだけど、そろそろにーちゃん専用アバター完成しそうだからみんな期待してて! できたらお披露目配信するから!」
コメントに「お兄さんは量産型だからいいんだ!」というコメントに溢れかえる。
お前らも量産型の良さに気付いてくれたのだと思うと涙がこぼれそうになる。
「そんなこと言って量産型使ってるにーちゃんを馬鹿にしたいだけでしょうが」
それに対し大量のコメントが流れる。
「バレた」
「バレたか」
「それの何が悪いんだ?」
「馬鹿にするのは愛情表現だからしょうがない」
配信を閉じ、朝のニュースをつける。
ビビりなハスキー犬が番組スタッフにビビり散らかし炬燵の中に隠れるのは非常に可愛らしく心が癒された。
朝のニュースに心癒されてから講義に出席するために出掛け、夕方に大学から帰ってきてからも妹は配信を続けていた。
現在のところ二十時間ぶっ続けで配信している。リスナーもそれぞれ仕事や学校が重なって途中で抜けていった。さすがに帰った頃にはもう配信を辞めているだろうと思っていたのだろう。未だ配信を続けている妹にドン引きしたコメントが山のように送られていた。
ドン引きも一周回ると、今朝方のように優しく諭すのではなく「いい加減諦めて寝た方がいい。むしろ、寝ろ馬鹿野郎」と悲惨な健康診断の結果を見た医者の如く 責されるようだ。それでも妹はめげずに「次はいける気がするから……!」などとパチンコ中毒末期患者のようなことをギラギラな目で言ってのける。もはや正気ではない。
このままでは体力の限界までやるだろう。
クリアできないのだから一生やる羽目になるだろう。
このままでは寝て起きてはクリアできないゲームをするという生産性の欠片もないニート以下の存在が誕生してしまう。ドクターストップならぬブラザーストップをかけなければならない。噂に聞く母親がゲームのコンセントを抜いてゲームを強制終了させる技をしなければならない。
妹は俺のプライベートスペースで配信をしている。
そこに乱入することに決めた。
ヘッドマウントディスプレイを通して身体が量産型アバターに変換される。つかの間の浮遊感の後、俺のプライベートスペースに着地する。俺のとはいっても、配信用に借り、ほぼ妹の部屋のような状態だ。実家の部屋と同じように整理整頓はされておらず、様々なオブジェクトがそこら中に散乱していた。配信用に一部のスペースだけオブジェクトがない箇所があり、そこに妹が座ってゲームをプレイしていた。もっとも足でオブジェクトを隅っこに押しやっただけだ。
コメントが俺が現れたことに気付き、ざわめきだす。
妹は画面に集中しているせいで気づかない。
ゲームは序盤の山場。ここでよく死んでいる場面を今朝方よく見た。
案の定、失敗した妹は癇癪を起こす。
お菓子売り場の床で暴れる駄々っ子のようにその場でジタバタし、そして寝転がったまま見下ろす俺と目が合った。
「いつまでゲームやっているんだ」
「……クリアするまで終われない配信だから終われなくて……ね?」
ウインクして可愛さアピールで誤魔化そうとする。
「ね、じゃない。早く終われ」
「えーでもリスナーとの約束が……」
「俺のせいにしていいから終われ。そして、今後クリアするまで終われない配信は禁止だ」
「えーっ! マイカの武器にしようとしてたのに!」
英断だ、というコメントが多く流れる。リスナーも毎回いつまでも終わる気配がない配信をされても困るのだろう。
「待って! ラスト一回! 最後にもう一回だけ!」
土下座を披露する妹。
そのまま頭に足を乗せて馬鹿にしたい衝動に駆られたが、切り抜かれてアンチが増えることを危惧し、それを許した。
そして、妹が気合を入れ直し臨んだラストチャンスは、開始五秒で凡ミスをかまし、妹の絶叫とともに配信が打ち切られた。
この最後のやり取りを残した切り抜き動画は、伝説の土下座配信として語り継がれることになることを俺らはまだ知らない。
配信を強制終了したあと、妹は配信の疲れがどっと押し寄せたのかプライベートスペースで溶けるようにだらけていた。脳みそは手遅れだったらしく、黙って虚空を見つめていると思えば、突然フヒッと笑ったり、喉仏にジジイが顔を出したようにしゃがれた声を出したり、なかなかの奇行ぶりだった。
相手をせずに隣でシオミンの配信をチェックしていると「ねえー! かまってー!」と突然起き上がって背中から覆い被さってくる。
「にーちゃんが配信辞めさせたんだから構えよー!」
俺の肩を掴んでぶんぶん揺らす。
「知らねえよ。むしろ、あのままやってたら終わりが見えなかっただろうから感謝してほしいぐらいだ」
「それはそうだけどもうプライベートスペースでやるネタが尽きてやることないの!」
そういえばアンジェラに襲われる可能性を考慮してプライベートスペースでのみ配信するように指示を出していた。アンジェラと密約を交わした今、もう襲われる心配はない。ゆえにプライベートスペースの外でも配信して構わないのだが、それをどうやって伝えるべきだろうか。
「他の配信者はどうしているんだ?」
「人によりけり。私みたいにプライベートスペースで配信してる人もいれば、エネミー気にせず大っぴらに配信してる人もいる。ま、配信者に限らずゲーマーはほとんど無視してるね。失って困る記憶どころか過去を忘れて一からやり直したいーって人も少なからずいるみたい」
「最後のはなんというか苦労したんだろうな」
「ねー。エネミーに襲われてみたって動画あげてる人もいるし、近日中の記憶しか取られないから問題ないって見方が多いみたい。忘れたら大変な記憶がある人はしばらく控えましょうってノリだね」
大昔、伝染病が流行った時も風邪と大して変わらないから問題ないとマスクもせずに巷へ遊びに出掛け、感染爆発したという授業を思い出す。大昔から人間という生き物は成長をしないらしい。今回の場合は、自分の記憶を失うだけで人にうつさないから万事オーケイという考えなのかもしれないが。
「にーちゃん、もう外で配信してもいいでしょ?」
上目遣いをされる。
わざとらしく溜息をついて、妹の我儘を聞き届ける兄を演じてみせる。
「しょうがないな。もしエネミーに出会っても戦わないですぐに逃げるんだぞ?」
「よっしゃ! これでネタ切れから解放されるー!」
両腕を突き上げて喜びを表現する妹。太陽のように晴れ晴れした表情で、この顔を見れただけでもアンジェラと手を組んで良かったと思える。
「さーって次は何やろっかなー。一人用ゲームと雑談は飽きたし、やっぱMMORPGとかやってみたかったしこれを機にチャレンジってのもいいね」
楽しそうに予定を組み始める姿に安堵して、シオミンの配信チェックに戻ろうとすると「ヤバいヤバい!」と首根っこ掴まれ、空中に映し出したスクリーンに顔を合わせられる。
「汐見柚子からコラボのお誘いきたんだけど!」
その時、俺は生まれて初めて舞香が妹になってくれて良かったと心から感謝した。
****
シオミンからコラボのお誘いを受けてから一週間が経った。
妹の方はコラボ配信はすぐにでもやりましょうという意気込みであったが、向こうのスケジュールとの兼ね合いでしばらく待つことになったらしい。その間に簡単な台本を作って送ってくれるとのことだった。パッションだけで配信していた妹は「配信するのに台本……?」と初めて文明に触れた猿のような驚きに満ちた顔をしていた。
その間、妹は何をして過ごすのかというと俺のアバター作成に力を入れるという。
俺は頑固である。
一度決めたことは曲げない。
ゆえに妹が作ったチャラついたアバターなんぞに身をやつすつもりなんぞなかった。
だが、シオミンに会えるならば話は別だ。
アイドルオタクという生き物は身綺麗にせず握手会に出掛ける悪癖がある。だが俺は違う。こんな凡庸極まりないアバターなんぞ脱ぎ捨てて少しでも印象に残るアバターに乗り換えてやる。俺は身綺麗にする紳士なアイドルオタクなのだ。少しでも良い印象を稼いでお近づきになりたい下心ありきであるが、真心でもあるのだから文句を言われる筋合いはない。ファンクラブ会員は同士であり、抜け駆け禁止みたいな風潮はあるが知ったことではない。
俺はシオミンのファンであり、ファンのお友達になったわけではないのだから。
手の進みが早いのか、俺からの圧を感じたからか、アバター完成までの秒読み段階に入る。俺の意見はもとより聞く気はない妹は、お手製アバターお披露目会はゴールデンウィーク中頃に執り行うことを発表した。俺はその発表を妹のファンが呟いていたことで知ることになる。
どうやら妹は配信直前まで俺にアバターを見せるつもりがないらしい。
「悪いようにはしないから!」
そう言って秘密主義を貫かれた。
妹は嘘はつかないが、それが真になるとは限らない。良いことをしたつもりが、有難迷惑になっていることは少なくないのだ。むしろ、記憶に鮮明に残るせいか有難迷惑の方が多いようにすら感じられる。不味い玉露を淹れられたのもその一つだ。
非常に気掛かりではあるが、下手に探ってへそを曲げられ、コラボの話がなくなっても困るからお披露目会まで我慢することに決めた。
明日からなんの予定もないゴールデンウィークが始まる。
ふとここで気付く。
新年度が始まってからずっと慌ただしかった私生活に余暇ができたことに。俺の余暇を潰していた妹はアバター制作、桜庭はエネミー対策で忙しい。つまり、俺の邪魔をするものはいないのだ。
この大型連休を使って何をしよう。
どこかに出掛けようか。
それとも普段はできないことに専念するのも悪くはない。
シオミンとのコラボに向けて自分磨きをするべきか。
ひたすら惰眠を貪るというのも一考の余地がある。
悩みは尽きない。
なんでもできるはずのゴールデンウィークが始まる。
****
今年のゴールデンウィークは長い。全てが上手いこと地続きになり、歯抜けのない大型連休となった。おかげでその恩恵を有給休暇精度がない学生身分でも受けられることになった。
ブルジョア学生の中にはその長さから帰省する者もいるらしい。だが妹が死んだ際のアレコレで親との関係が悪化した俺には関係のない話であった。その妹は身体を失ったのに生きていて、親の記憶をなくして安アパートに押し掛けて居候している。よくよく考えると俺一人だけが損している状態である。理不尽な話だ。
気が滅入ることばかり考えても何もいいことがないと頭を振り、今日から始まるゴールデンウィークに想いを馳せる。
ゴールデンウィーク何をやるか考えた結果、とあるオンラインゲームを始めることに決めた。
始めるゲームはブルースフィアという剣と魔法のファンタジーゲームだ。太古に滅亡した文明の遺跡を探索するのが主題のゲームらしい。キャッチコピーは「探せ、追憶の彼方まで」という何が言いたいのかわからないけれど、それっぽいものであった。
以前エネミーと戦う羽目になった老舗バトルロイヤルと異なり、一週間ほど前にサービスが開始したばかりである。
硬派である俺は普段ならば、今話題のゲームだろうが飛びつくことはしなかっただろう。だが俺にはこれをやる意味も、意義も、責務すらあった。
妹とシオミンのコラボはこのゲームに決まったと連絡があった。無論、俺がそこに混ざるという話はない。だがシオミンがプレイするゲームならば予習は必要である。無論、指示厨などという無粋な真似はしない。紳士たるもの「この先こういう罠がある。さてシオミンはどういうリアクションを取ってくれるのだろうか」という後方保護者面で見守るのだ。
ゲームをインストールし、ヘッドマウントディスプレイを被る。
現実から仮想世界へ意識が流れ込む。
暗闇で声が聞こえた。
「――起きて!」
少女の声がした。
光が差し、視界がひらける。
橙色の髪をした活発そうな少女が俺をのぞき込んでいた。
「今日から
その少女は俺の腕を引き、鏡の前に立たせる。すると世界が止まり、システムメニューが表示される。
どうやらこのタイミングで見た目や職業などの調整ができるようだ。
普段使いのアバターも選択できるようだったので量産型アバターをゲーム内アバターへとコンバートした。あとからでも好きなように変更できるらしいので、変えたくなったタイミングで変更すればいいだろう。そもそもゲーム内どころか電脳世界ですら見た目に頓着しないのだから、ゲーム内の見た目なんて俺にとっては意味が薄い。中にはこの設定で見た目を好きに弄りまくり、理想の見た目を目指す者もいるらしいが俺には理解しがたい。いや、俺も自分の見た目がまんまシオミンになれるのであれば本気を出すが、俺のセンスで本気を出したところでたかが知れている。
シオミンの見た目に後ろ髪を引かれる思いはあれど、気を取り直して職業の選択に移る。
ブルースフィアは剣と魔法のファンタジーという雰囲気のゲームではあるが、世界観の根底として崩壊した文明の後に新たに築き上げた文明というものがある。ゆえに前文明の技術を応用した武器が登場する。
銃があるのだ。
申し訳なさのファンタジー要素として、銃の機構を使って魔力を打ち出すみたいな中学生が考えたような設定らしい。それを言い始めたら何でもありなのではなかろうか。魔力とか魔法を何でもありにするための便利な設定にしているとしか考えられないが、頭のいい人達にはきっと、何かこうしなければならない深い理由があるのだろう。
銃を使える職業は無視し、他に何かピンとくる職業はないか探す。
職業は四つしかなく、スキル構成で変化をつける形式であるため、とりあえずで選ぶ分には長くかからなかった。
選んだ職業は探索騎士。
騎士とはいうものの剣を使う職業は全てこれに集約され、そこからスキルをどう取得していくかで剣一本でいくか、盾を持つか、はたまた二刀流になるのか、など戦い方や見た目も変化していくという。
アンジェラを倒した時に刀を持ち、そのアンジェラから騎士に任命されたからという安直な理由で選んだ。
もっとも、この世界では倒さなければならない敵も、守らなければならないお姫様もいない。
江戸時代の浪人みたいなものだろう。
「失業者」という意味だ。
もはやゲームというものはチュートリアルらしきものはないというのが主流らしい。ゲーム体験の邪魔をせず、必要なときに教えてくれ、忘れた時に尋ねれば再度丁寧に教えてくれる。このゲーム、ブルースフィアもそのような作りで設定完了後、探索者としての旅立ちとして短いイベントを挟んだらすぐに冒険開始だった。
この広大な箱庭の中で、好きなように動いて触って遊んでねという意図なのだろうがゲーム初心者にとっては何をすべきかもわからず投げ出されているようにも感じられる。遊び慣れた桜庭や妹は「はいはいそういうことね」で好き勝手に冒険するのだろう。
拠点となる最初の街は、城塞都市である。物々しい城壁に囲われ、中にはレンガ作りの家が並んでいた。青空市場などもあり、サービス開始したばかりとあって多くのプレイヤーで賑わっていた。奥に行けば鍛冶場などもあるらしいが、まだ必要な段階ではないだろう。
城塞都市から出ると、そこは見渡す限りの大地が広がっていた。広大な草原と街道、鬱蒼とした森、雪化粧が施された連なる山々。そして、果てしなく遠くには天から落ちる巨大な滝。滝を遡った先には天空城があり、滝が落ちる先には海があるという。
その圧倒的スケールに思わず息を呑んだ。
先程まで何をすればいいんだと腐っていたが、今では「この世界を空高くから見下ろしたい」に変わっていた。
俺にとってこのゲームの最終的な目標は配信の予習であるが、その過程で楽しむために寄り道するのもありだろう。
「とりあえず山に登ろう」
それが俺にとって山登りが遺跡探索やレベル上げよりも訴求力があったこのゲームの売りであった。
街を出て、走り出す。
疲れ知らずの身体は軽快で、先へ先へと足が身体を運んでくれる。途中でモンスターとかち合ったりもしたが、簡単に巻けた。
走りながらあることに気付く。
他のプレイヤーが見当たらないのだ。
風景に心囚われていたせいだろう。今にして思えば街を出た直後から他のプレイヤーの姿がとんと見えなくなっていた。もしかするとアンジェラが付近で暴れ、ログアウト指示が出されているのかもしれない。
山の麓で足を止める。山頂付近は雪化粧を施されているが麓はそんなことはなく、新緑が見られた。
その場で調べごと始めたのだが、それがいけなかった。
付近に隠れていたモンスターに襲われたのだ。
山の麓ということでそのモンスターは街の近くにいるものよりも強く、逃げ辛く、遠距離攻撃まで備えていた。見た目は最弱のゴブリンを緑から白へ色変えしただけなのに、納得のいかない強さを見せつけられた。
死闘すら演じて貰えず、無残に敗北した俺は最初の街まで強制的に帰還させられた。
街は変わらず賑わっており、エネミーが出たという話も聞こえてこない。
街から一歩出るとその喧騒は消え去る。
また一歩街へ入ると喧騒が戻る。
どうやらゲームの仕様で街から外に出ると他のプレイヤーと会わないようになるらしい。これは冒険を人の目を気にせず楽しんでほしいからという意図からきた仕様だろうか。たしかに白いゴブリンに殺された山一つとっても他のプレイヤーが山ほどいたらそれは冒険ではなく登山だ。列となって進み、行きと帰りですれ違ったら会釈するような安全な道になる。モンスターが出たところで助け合いという名目でリンチが始まるだろう。
もっとも馬鹿と煙は高い所が好きという言葉通り俺はただ高い所に登りたかっただけなので、そちらの方が都合が良かった。
おそらく山頂に近づけば近づくほどモンスターは強くなるだろう。
ならばまずはレベル上げをしなければならない。
だが俺はレベル上げという行為が面倒くさくてたまらない人種だ。一人ではモチベーションが上がらず、かといって誰かとパーティを組むという行為もまた嫌いである。知らない人と中身が空っぽな間を持たせるだけの会話なんてしたくないし、できるわけがない。それができるなら灰色の青春を送ったりしていない。
さてどうするべきか考えていたら、どこか見覚えのある金の御髪を携えた少女が現れる。
「そこの騎士さん。あたしを何処か遠くへ連れ去ってくれませんか?」
「アンジェラか?」
「ええ、そうよ」
白ベースに水色を差した聖職者の格好をした少女はその場でくるりと回る。シスター服に近いデザインであるが、現実のものと比べると可愛らしさが強調されていた。それゆえスカート丈が短く、回るとふわりとスカートが弾んだ。
「見違えたかしら?」
「そうだな。あの暴れ回ってる時よか可愛いと思うぞ」
「そっちと比べてじゃないわ。現実世界のあたしと比べてよ」
「知ってる」
「そういうところ嫌いよ」
顔をぷくーっと膨らましてポカポカ叩かれる。
「ところでどうしてその姿なんだ? いつもみたいに暴れないのか?」
アンジェラが周囲を見渡す。
アンジェラとの戯れ合いがとても目立ったらしく周囲の視線を集めていた。
「場所変えましょう」
アンジェラが中空に浮かべた半透明のコンソールを操作する。
少しして通知が鳴り、俺の目の前にもコンソールが現れる。そこにはアンジェラからパーティ申請が届いていた。
「外で話しましょう」
申請に許可で返す。アンジェラが砦の外に向かって歩き出したので、俺も続けて砦の外に向かって歩き出した。外ではアンジェラが手を後ろで組んで待っていたのだが、それ以外のプレイヤーはとんと見えなくなった。
「パーティを組めば外でも一緒に行動できるのか?」
「フレンドでも行動できるわ。というか知らないで承認したの?」
「来るもの拒まずの精神だからな」
「大物ね」
「そうじゃなきゃアンジェラの騎士になんてならないさ」
「それもそうね」
アンジェラが「行きましょ」と言って草原を歩き出す。
俺はその横につく。
草原を歩くアンジェラは今にもスキップを始めそうなぐらい機嫌が良かった。軽い足取りで花畑に近づいたり、川辺で手に水をすくったり、道中出くわしたモンスターにハンマーで脳天を砕いたり。やることなすことが新鮮で楽しげなように見えた。
「ゲームが好きなのか?」
あまりに楽しげに遊び回るものだから思わず尋ねたのは当然の帰結であった。
しかし、アンジェラは顎に指を当てて考え込んでしまう。
「好き……そうね、きっと好きなんだと思うわ」
それは自分の心に確認を取っているように見えた。
「あたし、電脳世界――インターネットって言葉が主流だった時代から電脳世界の神様になるために色んなこと学んだの。ゲームも沢山やったわ。勉強のつもりだったけど、そうね、嫌いなものは続かないわよね」
笑顔が見れた。
心から好きだと言えるものがあるのは素晴らしいことだ。それがゲームであろうとなんであろうと素晴らしい。それは誰にも否定する権利はない。ゆえに俺のアイドル趣味も否定されるべきではない。
「アンジェラは精霊って樹神さんから聞いたのだが、精霊同士でゲームで遊んだりしたのか?」
「いいえ、それはなかったわ」
「精霊はあまりゲームで遊ぶ文化なかったのか?」
「たしかに少ないわね。でも遊ぶ子は遊ぶから同好の士みたいなサークル活動はあったわ」
「人とあまり変わらないんだな。アンジェラはそこには参加しなかったのか?」
アンジェラは言葉を詰まらせる。視線を逸らし、「えー」とか「あー」と言い訳を探し回った挙句、最後は悟った目で答えた。
「あたし、友達いないから……」
心臓に悪い静寂が流れる。
「悪い……」
「謝らなくていいわ。よけいに落ち込んじゃうから……」
場が凍りつく。
互いに冷え冷えとした空間を温めようにも全身が凍りつき身動きが取れなくなっていた。
そこに場を溶かした救世主が現れる。
モンスターだ。
ゴブリンを一回り大きくしたようなリーダー格のモンスター。
二人でかかれば雑魚でしかなく、経験値も素材も美味しくない。それでも助かった。
「アンジェラ! モンスターだ!」
「――任せて!」
道中で出会った他のモンスターとの戦闘では互いにそんな掛け声なんてしなかったのに、今はわざとらしく声を掛け合う。終わった話にするために、空気を変えるために、二人して声を掛け合った。
アンジェラと心が一つになった初めて瞬間であった。
雑魚をリンチにして絞めた後、空気を戻さないようすかさずアンジェラに「何処へ向かっているんだ」と訊いた。
「お兄さんは始めたばかりでしょう? 物語最初の遺跡に挑戦するのではなくて?」
最初の遺跡。そんなものがあるのか。
「違うの?」
「いや、山登りしようとしてた」
アンジェラに「お兄さんはそちら側だったのね」と神妙な顔をされた。
ゲームのプレイスタイルの話をしているのだろう。
アンジェラは王道スタイル。ちゃんと物語も楽しめば、寄り道をしたり、道中しっかりレベル上げしつつ、また物語に戻っていくのだろう。
対して俺のスタイルはスタイルと呼ぶのもおこがましいが、少なくない割合で存在する。それはチュートリアルを読まなければ、イベントも基本スキップして何をするべきなのかも何が起きているのかも分からないまま進めるスタイルだ。
ストーリー性のあるゲームをやらないで格ゲーや音ゲー、FPSだけやればいいという意見もあるだろう。
だが待って欲しい。そんな建設的な意見を聞く奴はこんなプレイスタイルにならない。天上天下唯我独尊の悪い方の意味をゲーム内ならば誰にも迷惑かけないからと実行し、自分に跳ね返っても気にしない愚か者のプレイスタイルなのである。
「ちなみに単独登山しようとしてモンスターにぶっ殺された」
「あそこ、レベル高いから仕方ないわ」
そのことを知っているということは既に
高レベルなのだろうか。それについて聞いて見ると「あたしなんてまだまだよ。早い人はレベル上限までカンストしてるもの。あたしはまだ武器種開放したばかり」
「あのハンマーって開放武器だったのか」
騎士でいうところの二刀流あたりなのだろう。
「そうよ。クレリックの武器であるメイスの派生の一つにハンマーがあるの」
「ちゃんとプレイしてて偉いな。俺がアンジェラの立場だったらシステム改竄して絶対に楽する」
アンジェラは小ぶりながらしっかり主張する胸に手を当てる。
「当然よ。神様になるのだから清廉潔白でいなきゃならないわ。だからズルはしないって決めてるの」
志が高い。
夢に向かって努力する眩しい存在であった。俺は自分から目標に向かって努力したことがない。努力したことは努力せざるえない状況だから頑張ったまでだ。
だから、羨ましくなって少し意地悪をしたくなる。
「清廉潔白な存在が人を襲うのはいかがお考えで?」
「襲っていないわ。だって、戦っているのですもの」
「それは屁理屈なのではないのだろうか」
「あら酷い。ちゃんとゲームシステムと戦えるように調整してあげたのに」
アンジェラが曰く、戦闘形態である姿には基本的にダメージを与えられないらしい。そこをアンジェラがちょちょいのちょいで弄くり、ダメージを与えられるようにしたとのことだ。正々堂々と闘いたい、後ろめたさなしに夢を叶えたいというまさに清廉潔白な理由であった。
拒否権なしの勝負はいささか思考回路が蛮族であるが神様の尺度からするとあってないようなものなのだろう。
「でもさすがにショッピングモールの電脳で暴れるのは清廉潔白とはいえないのではないか?」
これも神様の尺度からすれば誤差なのだろうと、笑い話にしてしまおうと切り出した。冗談風味に誤魔化すのか、いっそ開き直るのか、それとも違う何かで笑わせてくれるのか、期待した。
だがアンジェラが見せた反応はそのいずれでもなかった。
「え、あたし……ショッピングモールの電脳で人を襲ったことないわ……」
瞳が揺れ、顔は青褪めていた。
アンジェラは狼狽える。
他の誰かがアンジェラを模倣したのか、それともアンジェラ自身が記憶ないままに行動したのか。それとも他の要因か。なんにせよアンジェラが把握していない何かが起きていることは確かであった。
「前に妹を殺したのはアンジェラじゃないって言ってたよな?」
アンジェラは俺の声に反応すると、平静に努めて返してきた。
「ええ、そうよ。殺していないわ。だって殺す理由がないもの。殺さない理由はあるけど」
「殺さない理由を教えてくれないか?」
「簡単よ。ただの人間があの状態になるってことは何かに見初められた状態なの。私がそれをやるってことは単に競合相手を増やすだけで損しかないのよ」
たしかにアンジェラには神になるための争う相手を増やす理由がない。
「もし夢遊病みたいにアンジェラ自身が寝てる間に行動したとかは考えられないな?」
「ないわ。だって睡眠は肉体が必要とするもの。受肉している状態でもなければ寝る必要すらないわ」
「なら誰かがアンジェラを模倣したのか。誰か心当たりあったりするか?」
アンジェラは顎に手を当てる。気まずそうで、返答したくなさそうな感情を混ぜ込んだ顔をする。
「……わからないわ。友達いないから。わざわざあたしの真似をする人がいるなんて考えられないわ」
「ファンとかか?」
「あたしにファンがいたなら一人でゲームやってないわ。……もしかするとお兄さんみたいにアンチの方かもしれないわね」
「あながちあり得そうなのが怖いな」
友達がいない二人して悩むものの答えは出ない。ボッチな二人ゆえ容疑者の特定どころか容疑者のリストアップすらままならない。当然の帰結である。しかし、このまま悩んでいても埒があかないと思い、ひとまずゲームを楽しむことに決めた。
その日はアンジェラゲーム部長の指導のもと、ストーリー進めとレベル上げを頑張ることになる。最初のうちはレベル上げをせずともストーリーに沿っていれば適正レベルで楽しむことができていたのだが、途中からレベル上げや武器種開放などのサブイベントを進めなければキツくなっていった。正直、俺みたいなタイプには面倒でたまらない。アンジェラが言うには、まだサービス開始して間もないため、やることがすぐになくならないよう引き伸ばして、プレイ時間確保しているのだという。コンテンツがふえれば緩和されるというが、まだまだ先の話だという。
ゲームシステムや自分と敵の強さが理解できたことで、一つ進展があった。自分が無茶をしようとしていたことに気付くことができた。俺が登ろうとしていた山は配信しているコンテンツの中ではエンドコンテンツに含まれる内容であり、始めたばかりのプレイヤーは追い返されるのが関の山らしい。初期レベル登頂チャレンジという縛りプレイが配信者の間で流行るぐらいの難易度とのことだ。件のストレスゲーを強制終了させられた妹がこっちに興味を持ちそうな予感がしてしまう。知ったら絶対にやるだろうという確信がある。「こっちは禁止されてないから!」などと言って手を付けるに決まっている。
想像の中の妹を りつけるところまでいきかけたところで、頭を振るって頭の中から追い出す。
ともかく登山するため今後もレベル上げが必要そうであった。アンジェラもいつも暇なわけではないので効率の悪いソロプレイでレベルを上げることになるだろう。
山に登るのはまだまだ先になりそうだった。
****
ゴールデンウィーク二日目、今日も今日とてブルースフィアを進めていく。
昨日はアンジェラ先輩からの御鞭撻を受け、本ゲームの進め方を理解した。とにかくストーリーを進めて、レベルアップなどの強化が必要だ。しなければ色を変えてパラメータ調整されただけの数増しモンスターに血祭りにあげられるだろう。
今日やることはレベル上げを兼ねた武器種開放だ。二日でアンジェラに追いついてやろうという魂胆だ。
武器種解放には、とある任務をクリアする必要がある。初期職業ごとに担当NPCが存在し、そいつからの試練を達成することで武器種が解放されるのだ。その任務を受けれる状態まで昨日、アンジェラと一緒に進めた。
だから今日はその任務をクリアすれば晴れてアンジェラと並ぶことができる。
ちなみにこの段階で初期の目的であったシオミンのためのゲームの予習は終わっているのだが、どうせならばゴールデンウィーク中はほぼ空いているからこれに時間を割くのも悪くないだろう。
その担当NPCがいる村へ向かう。
騎士の担当NPCは過去に英雄と呼ばれた元騎士である。親友に裏切られ、命からがら逃げ出し、この村に逃げ落ちた。その時に受けた傷で騎士としては死に、今では酒浸りの生活を送る中年親父……という設定だ。つまりは失業騎士だ。
「ん……なんだおめえ」
担当NPCは酒場にいた。
「一手御指南受けたい」
イベント進行の都合なのか俺ではない声が勝手に再生される。
「どこで聞いたか知らねえが俺はもうそんなことしねえんだ。もし受けたきゃ聖女の雫でも持ってきな」
聖女の雫。それはとある遺跡の深部に自生する植物の朝露を指す。魔力の含んだ朝露はどんな怪我でも一瞬のうちに治すことができるという。つまりはこの中年親父は騎士だった頃の自分に未練たらたらというわけだ。
「わかった。取ってくればいいんだな」
そう再生したあと身体が勝手に踵を返し、酒場から出ようとする。後ろから「お前如きが取ってこれるわけないだろう!」という怒号が響いた。
酒場から出てからは身体の操作権が戻る。自由に動けるようになったのでマップを開く。聖女の雫があるという遺跡の場所を確認していると声をかけられる。
「こんにちは! あのおっさんに話しかけたってことは武器種解放任務やるんでしょ。お姉さんと一緒にやらない?」
声をかけられた方を見ると、外国人モデルを元に作られたアバターがいた。こういうタイプはお高い。美人になればなるほどお高い。量産型という部類には入るものの、量産型とは呼ばれることはない。ブランドものという呼ばれ方をする。
コスパを至上とする我ら量産型使いとは水と油の存在と言えよう。
「俺弱いですよ?」
パラメータを開示して俺の弱さを見せつける。
アンジェラがほぼクリアしてくれたおかげで任務解放するのに適正なレベルからだいぶ下のパラメータを見せつける。
体良く断ろうとする。
むしろ、向こうから断ってほしい。
知らない人と喋りたくない。
「いいよいいよ気にしないから! 喋りながらやりたかっただけだし!」
この頭の悪そうな女性は俺がやりたくなかったことこそが目的だった。
量産型とブランドもの、やはり水と油であった。
その女性――もしかしたらボイスチェンジャーを使っている野郎かもしれないが――その女性は俺と同じ騎士であった。そいつは基本的に友人と遊んでいたのだが、その友人が急遽遊べなくなり、しかも一緒にやると約束していた武器種開放任務を一人でやる羽目になったという。
だから自分も武器種開放をクリアし、その友人の鼻を明かしてやりたいのだという。ならば一人でさっさとクリアしたらいいのではないかというと、その友人にくっついて進めてもらっていたらしく俺以上にブルースフィアのことを理解していなかった。
つまり、レベルもゲームシステムへの理解が足らない二人で任務を達成しろということだ。
「じゃあ行こっか!」
パーティを組んだらブランドアバターの女性は俺の手を引き、進んでいく。
「君さ、いつも一人で遊んでるの?」
「むしろ、ゲームはほとんどしないな」
「んじゃなんでこのゲームやってんの?」
「推しがやるっていうから予習」
「何も知らない状態の方が楽しめるくない?」
「俺にとっては押しがメインであって、ゲームは舞台にしか過ぎないからな」
「絶対に炎上する発言じゃん、ウケる」
「まともにSNSやってないから問題ないな」
実りのない会話をしつつ聖女の雫があるという遺跡に到着する。
この遺跡は地下五階からなる遺跡であり、中は侵入者を撃退するシステムが生きており、それを掻い潜り、最深部にある聖女の雫を手に入れるためだけに作られた専用ダンジョンである。
太古の文明にあった研究所が地下ヘの入口を残して倒壊し、地下だけが残ったというのがこの遺跡ができたという設定だ。ゆえに出てくる侵入者撃退システムは警備ロボットであり、銃火器ありありである。
つまり、遠距離攻撃に乏しい騎士だけで構成されたパーティの場合、大盾を構えて銃撃を防ぎながら近づき、警備ロボットを撃破するというのが基本的な攻略方法となる。
「大盾持ってるっしょ?」
「誘ってきたそっちが持ってきてたと思ってた」
事前確認しなかったのが仇になる。
互いに一言確認すれば済む話を面倒臭がってしなかった結果、一番面倒な事態になる。今から大盾を取りに戻るのも面倒で、パーティ解散して後日に挑戦するのもまた面倒臭い。
「このまま挑むか」
「お、話わかるじゃん」
かくして面倒臭さが勝った即席パーティで挑むことになったのだった。
遺跡の中は巨大な研究所であった。長方形の形で四隅に下へ通じる階段があるのだが、ご丁寧に一階ごとに階段が瓦礫で埋もれていたり、巨大な木で塞がり、別の階段を見つける必要がある。
その探索中に敵に見つかって戦闘になり、深手を負いながら倒したり、命からがら逃げ出したり、逃げた先に階段を見つけて下ったりした。
今は地下三階。
もはや回復アイテムも切れ、諦めることを視野に入れる段階に入った。
「レベル低いのはどうにもならないな」
「二人いればなんとかなると思ったけど無理じゃん」
「このまま帰るか?」
「冗談でしょ」
「だよな」
学はないのに意地だけはある二人が新たに生み出したのは、片方を囮にして片方が警備ロボットを撃破する作戦だ。小学生でももう少し頭を捻るだろう。
詳細はこうだ。
じゃんけんで巻けた方が一匹釣り上げ、所定の位置までどうにかこうにか逃げおおせ、あとは二人でボッコボコにする。その後、囮役をじゃんけんでもう一度決めて、再チャレンジ。これを敵がいなくなるか、片方がくたばるまで続ける。非常に頭の悪い作戦となっている。特にじゃんけんで決めるあたりが頭が悪い。
最初にじゃんけんに負けたのは俺だった。
負けた瞬間、ブランド女の「ざーこ!」がひどく腹が立った。
囮としての仕事は予想以上に命懸けであった。
道を先行し、警備ロボットを見つける。警備ロボットはドラム缶にタイヤがついたよう形状である。それは舗装された道では早いが、障害物がある道では遅くなる。ゆえに瓦礫がある道を走ればリードを保ちながら逃げることができる。
その理論は正しかったが、俺自身の走力を考慮していなかった。
俺はインドア派の人間であり、足場が悪いところの走り方など知らなかった。釣った矢先で転び、危うくハチの巣になるところだった。
何度か傷を負い、囮を真っ当することができた。
「転んだのマジ笑ったわぁー」
警備ロボットを倒したら、ブランド女は腹抱えて笑いやがった。
じゃんけんの結果、囮交代。
「私の華麗な走りを見せてあげるから参考にしなさい」
ドヤ顔で釣りに向かったブランド女は俺と同じように転んで、何度か傷を負いながら帰ってきた。
「おやおやどこを参考にすればいいんですかねぇ!」
「はぁ〜! この野郎は気遣いってもん知らないんですかねぇ! モテない男は困りますね!」
「気遣って欲しいのなら少しは女性らしくしたらどうなんだ」
「女性らしくとか時代錯誤やめてもらっていい!」
交互に罵り合い、煽り合い、互いに「こいつより先にくたばってたまるか」と心を一つにする。
世界で最も不毛な信頼関係であった。
体が警備ロボットに傷つけられ、心は互いに貶し合い、体も心も満身創痍。そして、最深部に辿り着く。
地下五階の研究室。ガラス張りの壁は砕け散り、ツタで覆われ、元の姿の影すら残していなかった。その中心でわざとらしく存在感を放つ花があった。白く密集して咲くそれはここでアイテムが取れると主張しているようであった。
俺とブランド女、二人して花の朝露に触れる。
すると朝露がアイテムとして自動的にインベントリに収納される。
「あーやっと終わった!」
任務達成し、気が緩んだブランド女はその場に座り込む。
「これでこのパーティも解散だな」
「あー清々する!」
天を突き上げるように両手を伸ばして伸びるブランド女。
「ま、なんだかんだ楽しめたよ。こういう感じで遊ぶのあんまりなかったから」
「へー普段はもっと大人しいんだな」
「そうそう普段はもっと清楚で通してる」
「なら俺の前でも取り繕えよ」
「懇ろになるわけでもない男に気を使っても意味ないからなー」
「俺もお前は御免だけどな」
二人して「お、やるか?」と喧嘩腰になったところ、ブランドの女がリアルで何かしらの連絡を受けたようで始まらなかった。
ブランド女が何かを申請して寄越す。
「それ、友達申請だからよろしくね。なんだかんだ楽しかったよ」
そう言ってブランド女はログアウトしていった。
俺は申請に承認で返した。
ブランド女。頭のおかしい女であったが、面白い女であった。
****
武器種開放任務を罵り合い攻略法でクリアしてから数日が経った。レベルも上がり、ストーリーも終盤に突入、登山再挑戦も視野に入る。
だが元から入っていた予定で一旦お預けとなった。
本日は妹お手製アバターのお披露目会だ。
妹はここ数日、配信をお休みして最後の追い込みに集中していた。その甲斐あって、完成するに至った。妹はその出来に満足しているようで「良いものできたから楽しみにしててよ」と配信するその時まで見せてくれなかった。
ついに今日、そのアバターを拝見することになる。
今は自宅のパソコンの前に座り、配信時間まで待機している。妹は俺のアバター設定を弄くり、自身が作成したものに変更していた。
「これでよし……と。それじゃにーちゃんは配信見てて、私が入ってきてって言ったらログインしてね」
そう言うと配信の準備を始める。
今日はプライベートスペースからの配信の予定だ。もはや妹の居住スペースになっているそこでテキパキと準備を進める。勝手知ったるなんとやらだ。
妹の配信が始まる。
入りのトークから、俺を小馬鹿にして引き合いに出し、そのままお披露目会の話題へと移っていく。コメント欄を見ると、ネットアイドルとしてのファン、アバター作成者としてのファン、俺のアンチが入り乱れていた。やはり、妹はアバター作成者としての才能があるらしくそっち方面で声をかけてもらっていることがあるらしい。むしろ、そっちの方が多いまであると言っていた。
「あまり待たせるのもよくないし、さっさと入ってきてもらいましょーか。それじゃーにーちゃん入ってきてー」
妹から合図を受け、ヘッドマウントディスプレイを被る。電脳世界へ肉体を再構成する。
プライベートスペースに着地する。
視界には妹とコメントが表示されるディスプレイの二つがあった。そのどちらも感嘆の言葉が流れる。
「鏡はないか?」
反応を見るに悪いものではなさそうだが、自分だけどうなっているのかがわからないのは気持ち悪くて仕方がない。食べ物が顔の変なとこについて笑われているのに、自分だけ気づけないようなもどかしさがある。
「いやーさすが私。天才だといっても過言ではないわ」
自画自賛しながら部屋の隅っこに押しやられていた姿見を俺の前に持ってくる。
そこに映っていたのは妹と同じ銀髪、赤眼を携えた人相の悪いイケメンであった。ただでさえ人相が悪い顔に、フォーマルなジャケットにパンツ、ノーネクタイのシャツで纏めており、ホストかチンピラあたりのキャラクターでいそうだった。
「にーちゃん、この顔になった感想を一言どうぞ!」
俺は俺になった顔を手で触れる。
量産型とは骨格から何まで全てが違う。
身長すら違い、今までよりも高い視点から妹を見下ろす形になる。
「……なんか気持ち悪いな」
変わった容姿や慣れない視点という意味での発言だった。
ただひたすらに言葉選びが下手な発言でもあった。
「え、普通にショックなんですけど」
こうしてプライベートスペースの隅っこでいじける妹の誤解を解くことになる。
一部始終配信されながらのことであった。
どうにかこうにか妹の機嫌を直し、進行が再開する。
コメント欄には女心わからないやつみたいな俺を揶揄するコメントで溢れていた。中には「髪色同じだから本物の兄妹みたい」と設定上の兄妹と考えてる人もいるようだった。実際、血のつながりはないからあながち間違いではないのだが、妹はこれに「本物の兄妹だし!」と躍起になって反論していた。
妹がリスナーとわちゃわちゃやっている横で改めて新しくなった自分の姿を見る。
いけすかないイケメンのような見た目であった。ある意味ではアンチ大量にいる俺らしい姿とも言える。その分、量産型使いの名の下に集まった信者はいたのだが、この姿になったことでいなくなってしまうだろう。今もコメントとコメントの間に挟まって阿鼻叫喚が流れていた。
シオミンにいい格好見てもらうためならば必要な犠牲である。
「さて、お披露目自体はこんなもんでいっか」
始まってまだ三十分しか経っていないのに妹はそういった。そのほとんどは妹の機嫌直しの時間だったので、まだほとんど何もやっていないに等しいのに大丈夫だろうか。
そう思っていると妹は俺の肩に手を置く。
「実はにーちゃんに喜んで欲しくてあること用意してたんだよね」
にひひと口角をあげる妹に碌でもないことを考えているのではないかという恐怖を覚える。
玉露の時然り妹が俺を喜ばせたい時は大体ありがた迷惑に終わることが多いのだ。
「ではでは~そこに立っててくださいな~」
部屋の真ん中に誘導される。
「では! 入ってきてください!」
カメラに向かって合図を送る妹。俺と同じように外で待機している人に向けたものだろう。
目の前に円柱上に並ぶ光の輪が現れる。それは誰かが部屋に入る時に現れるエフェクトだった。
現れたのは金髪サイドテールの白ギャル。
その姿には見覚えがあった。見覚えしかなかった。
汐見柚子である。
シオミンである。
俺が敬愛してやまないお方である。
この世で最も美しく、可愛い、それでいて愛嬌もあれば、確かな歌唱力にダンスも堪能。神が気まぐれに完璧な存在を作ったとするならばそれは彼女である。
「カラードロップ所属バーチャルライバーの汐見柚子です。よろしくね!」
いつもの挨拶。それが俺に対して送られる。
「お兄さんってば汐見のファンなんだってね。マイマイともども仲良くしてね!」
さらにそう声をかけられてしまった日には俺の平常心なんてどこかへ吹き飛んでしまう。
「こちらこそよろしく」なんてカッコつけて言いたかったが、俺にとっての神を前にそんな取り繕う真似なんてできるわけなく「はわわ」なんて擬音が似合うぐらいにきょどっていた。神は全てを見通すというが、神の前で隠し事ができなくなるだけだろう。
「そのアバターカッコいいね。あたしもマイマイにプライベート用作ってもらいたいなぁ」
あまりに何も言えなくなっている俺を気遣って話を振ってくれる。
「舞香、汐見さんの頼みだ。作ってあげなさい」
妹は笑顔で俺の背後に回ると、思いっきり俺のケツにタイキックを叩き込む。
痛みこそなかったが衝撃はあり、前のめりに転んでしまう。
「にーちゃん、嬉しいのはわかるけどはしゃぎすぎ。というか私のお手製アバター見た時よりも喜ぶな……ばか……」
新しいアバターのせいでいつもよりも小さく見える妹に、どこに行くにも俺の影に隠れていた頃を思い出す。
「悪い」
思い出したがゆえ昔のように頭を撫でてしまった。
妹はその手を振り払い、シオミンの影に隠れて猫のようにシャーっと威嚇してくる。
その顔は熱を帯びているように見えた。
「見せつけてくれるなぁ! もう!」
シオミンが妹の頭を撫でた俺を指さす。声は煽るように、聴衆に聞かせるように、意志を代弁するように、大きくはっきりしたものだった。
これがプロの技である。気にしてなければ聞き流してしまう程度の洗練された気遣い。愚妹のような感性で生きている者では気付けないものである。げんに今もワハハとアホ面を晒して笑っていた。
妹を擁護するならば、バカを演じて場を盛り上げるのも大切なことである。楽しげにしてれば見てる方も雰囲気楽しげになる。ギスギスした配信もまた味わい深いが、なんだかんだ甘い味付けの方が大衆向けである。
「さて挨拶も済んだしーレクリエーションの時間だぁ!」
妹が声を腕を突き上げる。シオミンがそれに合わせて「だー!」と腕を上げる。妹とシオミンから目配せされ、おっかなびっくり気味に俺も腕を突き上げた。二人がそれを見届けると柔らかい笑みを浮かべる。
「さて今日はこの三人でゲームやっていきます!」
妹は一人で宣言し、一人でイエイイエイと馬鹿みたいにはしゃいだ。テンションぶち上げであった。
「今日やるゲームはこの間サービス開始したばかりのブルースフィアだぁ!」
昨日やっていたゲームの名前が飛び出した。これはまずいと思うも、止める暇もなく妹は説明を続けていく。
「いわゆるMMOって部類のゲームなんだけど、これを三人でパーティ組んで進めていくよ。私とシオミンはアカウント取ってもらってパーティ組めるとこまで進めたからあとはにーちゃんがアカウント作ればいいだけ。もちろんアバターはこれをコンバートしてもらうからね!」
念を押された俺は頭を抱えたくなる。
妹とシオミンのコラボのために予習していた。もうアカウントも作っており、武器種解放まで進んでしまっている。今現在配信している内容の中盤ぐらいまで進んでいるのだ。どう考えても一緒に遊べる状況ではない。一緒に遊んだら俺一人だけ無双になってしまう。そうなってしまえばシオミンの顔を潰してしまうことになる。それだけは避けなければならない。妹の顔も潰し、リスナーからもブーイングが出るだろうが、そこら辺はどうだっていい。シオミンの顔を潰さないことが重要なのである。
「それじゃにーちゃん準備してー」
妹が急かす。
下手に言い訳してやらないのも不自然であり、俺は正直にこのゲームをプレイしていたことを白状した。
妹はうげぇと苦虫を潰したようにしかめ面になる。
「ゴールデンウィークなのにどこにも行かず、昼間っからなんかやってるなぁと思ってたらまさかこのゲームをやっているとは。昔から他人のゲームプレイを見ることはあっても自ら望んですることはなかったから安心してたのに……やられたー!」
「正直すまなかった。まさかお披露目会でプレイするとは思わなかったからつい予習してしまった」
二人してこの空気をどうするかなと頭を回転させていると、女神の神託が降りた。
「どうせなら配信用に新しいアカウント取っちゃえば良くない?」
ゲームに疎い俺ら二人はその手があったかとはしゃぐ。さすが大手配信者は咄嗟のトラブル対応が上手いとシオミンを煽てる。
女神は照れながら「いやーそれほどでも」と手を横に振る。
謙遜しながら「すぐに思いついたのは理由があってね……」と前置きをする。
「実は汐見もね、プライベートアカウントで遊んじゃっててー配信用にアカウント取り直したんだよね。いやはや、お兄さんがカミングアウトしてくれたおかげで言いやすくなったよ」
ちょこっと舌を出して謝る仕草をする。
その女神の如き可愛らしさを内包した茶目っ気に隠された俺一人を悪者にしないヘイトコントロール。まさに神業であった。
アカウントを再取得し、パーティが組める段階まで進めた。前に遊んだ時は騎士を選んだと二人に言うと、せっかくだから違う職業を選んでみてはと勧められる。
ブルースフィアの職業は四つ。
騎士、魔法使い、僧侶、弓士だ。
騎士は俺とブランド女。僧侶はアンジェラが選択していた。ならば残された二つから選択しようと考える。気になったのは魔法使いであるが、おそらく女性陣のどちらかが選ぶ可能性がある。配信的に被らないほうがベターだろう。何を選んだか訊いてしまいたかったが、俺が何を選ぶかクイズ形式になってしまったがため叶わなかった。
悩んだ末、選んだのは弓士。
初期武器は弓で、最終的には銃が使えるようになる。初期武器の段階でも矢に火をつければ属性武器として使うことができるから序盤限りであるが最強武器種とも呼ばれている。最初、一人で山登りを敢行しようとして最初からやり直すべきか悩んだこともあった。元のアカウントでは派生武器である刀を解放しているため、もはや面倒すぎてその選択肢を取る方が面倒になってしまった。
最初のイベントを終え、町中へ出ると沢山の人が俺を待ち構えていた。最初は他の人を待っていると思ったが、皆口々に「弓持ってんな」「弓士か」などと俺の装備を見て一喜一憂するので俺を待ち構えていたのだと理解した。
「あー外れたぁー!」
妹の阿呆みたいな大声が耳に届く。
声がした方に目を遣ると、ゴスロリアバターまんまの妹がいた。以前のバトルロイヤルゲームのときは衣装制限があり、そのゴスロリを剥奪されて戦闘服にコンバートされていたが、PVEがメインの本ゲームにおいては制限は薄く、元の衣装そのまんまの妹がいた。
その隣には女神がいた。
「ほら言ったとおりでしょ! 弓の方が格好いいって」
「にーちゃんは中二病罹患者だから、魔法使いと僧侶と弓士なら絶対魔法使い選ぶって思ってたのにー!」
俺は二人に近づく。
「その様子だと舞香が外して汐見さんが当たったみたいですね」
「お兄さん、呼び捨てでいーですよ」
「いやしかしそれは不味いのでは?」
「何が不味いの?」
「汐見さんのファンと俺のアンチが核融合しますよきっと」
周囲のファンから「自分のことよくわかってんな!」と野次が飛んでくる。汚いオッサンの声であった。
「あーお兄さんに飛んでくのか……」
シオミンは人差し指を顎に当てて数秒、何かいいことを思いついたようにニコリとした。
シオミンは隣にいる妹と腕を絡ませ、その頬に口付けをした。
「みんなー安心してー! 汐見が好きなのはー女の子だからー!」
まさかのカミングアウト。いや、これは百合営業宣言なのだろう。周囲を安心させるための。
「お兄さんのことは、お義兄さんって呼ぶね!」
周囲も委細承知でネタと割り切って笑っている。
この場で笑えていないのは、そういうネタに疎いノンケの妹と妹に寝取られた俺だけであった。
放心した妹と傷心した俺を引き連れたシオミンは、巧みな話術で間をもたせ、始めたばかりのプレイヤーでは難しい遺跡へと進んでいく。本来はストーリー上最初に行くべき遺跡に挑む予定だったが、俺とシオミンがプレイ済みであったのを鑑みて、適正レベルよりもある程度上の遺跡の方が盛り上がるだろうとの判断であった。
結果からするとその判断自体は間違いではなかったものの、精度が低かった。適正レベルよりも上の難度だったとはいえ、多少レベルが上がっただけのゲームプレイ不慣れな初心者が向かうことを想定したダンジョンであったので、あっさりクリアできてしまった。
あまりのサクサクぶりに妹から「あたしって実はゲーム上手いのでは?」などと先日あった長時間配信の醜態など頭から消え去った発言も出る始末であった。
盛り上がりに欠ける展開で必要となったのはやはり話術と話題であった。
「汐見はどうして舞香とコラボに誘ったんだ?」
憧れの存在を呼び捨てにする罪悪感に苛まれつつも尋ねることができた。おそらくコメント欄はシオミンファンが暴れているのが容易に想像できる。だから見てやるもんかとコメント欄を自分からは見えなくしてやった。
精神的勝利という一人相撲をしていた俺にシオミンははにかみながら答える。
「知りたい?」
「そりゃまあ汐見ほどの有名人が駆け出しもいいとこな舞香とコラボする利点が思い浮かびませ……ばないから」
危うく敬語を使いそうになる。シオミンはそれを追求することなく答える。
「利点はあるよ。なんだと思う?」
「……絶対にないとは思うが青田買いとか?」
先にずかずかと歩いていた妹が「絶対にないとは失礼な!」とぷんすかする。
それを見たシオミンは軽く笑う。
「惜しい! それもないとは言い切れないけど、メインはそこじゃないよ!」
妹が戻ってくる。
「私とコラボしたい。つまりは私のファンだから。Q.E.D.」
あまりにも頭の悪い証明に「馬鹿め。そんなわけがあるか」と妹の頭をわしゃわしゃする。
「はぁ!? 私のこの完璧な理論がケチつけるとかありえないし!」
「お前の理論が正しいならばこの世界はきっと間違っている」
「全世界が私にひれ伏し崇めることの何が間違ってるっていうのさ!」
「それが正しいと思うお前の頭の中が間違っている」
わしゃわしゃしていた手に力を入れる。電脳世界で痛みを感じることはないだろうが、それでもアバターのコリジョン同士が触れ合うことによって動きを封じる程度の拘束力は生まれる。それを逆手にとって妹は「ぎゃーころされる―」などと棒読みな演技を始めやがった。
それを眺めていたシオミンはころころと笑う。
大変可愛らしい笑い方に妹を押さえる手の力が緩む。妹はそれに気づかず、ぎゃーすか暴れるフリをする。ぐりぐりと頭を押し付けるように暴れる。
「あーおもしろい。兄妹仲いーんだね」
その発言に妹は暴れるのを止め、シオミンに詰め寄る。
「どこをどう見たらそうなるの!? 目悪いなら病院行こ!」
あまりに失礼な発言もシオミンは気に留めない。
「今だってお義兄さんが手を緩めたのに自分から頭押し付けてたよねー」
「な、企業秘密だから言わないでよ!」
「カワイイなーもう」
両手をぶんぶんと上下する妹を胸の前で両手を握るシオミン。それは愛おしそうともいえるぐらい慈愛に満ちていた。
「あ、汐見がコラボに誘った理由だったよね」
嫌な予感がした。
「マイマイのファンでしたー。それも初配信からずっと追っかけるファンでーす!」
やはり、こんな世界は間違っている。
****
楽しかった時間は早く過ぎ去るものであり、シオミンと同じ空間で過ごす時間は夢のように一瞬であった。気が付いたら配信を終わる時間になっていた。あとはホストとなった妹が締めのトークを行い、配信は終わる。
そのはずだった。
街へ戻り、ゲーム内イベント用に用意された広場へ向かう。今はイベントなどは行っておらず、人が多く集まる時に使われる場所であった。そこで妹とシオミンのファンに囲まれて挨拶をする予定だ。そして、少なくない数の俺アンチもそこに集まるだろう。
もっとも俺アンチは妹もしくはシオミンのファンも兼ねているのか今日ばかりはいつもよりも大人しく俺に大して野次はあまり飛ばしてこない。飛ばしてくる過激派もいたものの、妹とシオミンのファンにとっちめられていた。「アイツを叩くことが俺のファン活動なのだ!」などと捨て台詞を残してログアウトした奴もいた。
あまりよろしくない空気の中、妹とシオミンはどうにか群集を落ち着かせようと声をかけていた。シオミンがやっているならばと俺も真似してみたら「お前は黙ってろ」などと言われてしまったので、今度は黙ってみたら「妹ですら働いているのにお前は何やってんだ」とお叱りを受ける。
ならばどうしろというのだと叫びたくなる気持ちを抑えて、やいのやいのと騒がしい群集を眺めていたらそこに見覚えのある顔を発見する。
蜂蜜色の髪に透き通るような白い肌。
アンジェラだ。
彼女は少し離れた高台に腰かけ、この騒ぎを観察していた。俺が諦めて棒立ちになっているのが不愉快らしく足をバタバタを動かし、つまらなそうにしていた。俺がアンジェラのことを見ていたことに気付くと、彼女の顔は明るくなって、俺に手を振ってくる。
ここで手を振るとまた騒ぎになるだろうと返さないでいると、シオミンが隣に移動して耳打ちする。
「ファンが手を振ってくれてるんだから返さないと」
シオミンがアンジェラに向かって手を振る。するとあろうことにアンジェラはわざとらしく舌を出し、顔を背けたではないか。何が気に入らなかったのか小一時間詰めたいところである。
「あらら、汐見のことは嫌いみたい。あとであのカワイイファンに手を振ってあげてね」
そう言ってシオミンは俺の肩にポンと手を置いてくれたので許そうと思う。
ちなみに言われた通りにアンジェラに手を振ってみたら立てた親指を下に向けられた。それだけかと思いきやその親指を首元まで持っていって切るフリまでしやがった。俺は今アンチが生まれる瞬間を目にしたのだ。
シオミンの何が気に入らなかったのだろう。ともかくあとで我が盟友の機嫌を取らねばなと考えていたら妹が「では締めましょー」と締まりのない声で言った。
締めのトークが終わる頃にはアンチはほぼ追い出され、邪魔する者もいない。
何事もなく終わるそう思っていた。
正体不明の敵性存在が現れたことを告げるアナウンスがあるまでは。
****
エネミーの襲来を告げるアナウンス。
周囲が逃げ出さなければと騒ぐ中、俺はアンジェラがいた場所に目を遣った。エネミーの本体であるアンジェラは、未だ高台に腰掛けたまま俺らの配信を見学していた。つまり、エネミーが現れるはずがないのだ。
アンジェラもこのアナウンスに驚いたのか目を大きく開いていた。すぐに真剣な顔つきへ変わり、アナウンスに耳を傾けていた。
アナウンスはすぐさまログアウトの指示、そしてエネミーが現れた場所を告げる。
その場所は雪山。
このゲームの目標にしていた場所であった。本来パーティを組まねば他のプレイヤーと顔を合わせるはずのないそこはエネミーの介入によって、一つの空間に統合された。つまり、エネミーの狩場と化していた。
周囲のプレイヤーからも情報が聞こえてくる。ブルースフィア全体でログアウトできなくなった、雪山で強い装備のプレイヤーがなす術もなく倒された、など良くないものばかりだ。
アンジェラが立ち上がり、俺に視線を寄越す。
頷きで返す。
街の外へ出ようと踵を返したところ、腕を掴まれた。
「にーちゃん、どこに行こうとしてんの?」
伏し目がちにそう問われた。
勘だけはいい妹ゆえ俺がエネミーのもとへ向かうのだと気づいたのだろう。詭弁を語り、論理的に煙に巻こうとも考える。天樹会に向かうことを気付かれそうになった時と同じことをすればいいと。
「ちゃんと話してくれないと離さないから」
掴まれた腕にさらに強い力が加わる。
緊急事態ゆえ何かを察する勘がより精度を増したのか、一番嫌な選択肢を妹は選んだ。
「あとで話す……じゃ駄目か?」
「今話して」
「時間がないんだ」
「にーちゃんがやらなきゃいけないことじゃないでしょ」
「あとで必ず話すから今は行かせてくれ」
「やだ」
譲る気は一切ないらしい。
膠着状態に入る。周囲も街中は安全だと認識すると、俺らが揉めていることに気付き始めた。重ねて言うが妹のファンと俺のアンチは同居する性質である。つまり揉めている内容に問わず俺が悪いという空気が生まれる。
過集中に陥っている妹はそれに気付かず俺の腕を離そうとしない。
「なんで言ってくんないの! 昔からいっつもそうじゃん! なんにも言わないで自分一人で泥被って! 私がそれを知るのはぜんぶ終わったあと! 昔私が入院した時だってそうだった! 頼れなんて言わないから手伝うぐらいさせてよ!」
叫びに乗った感情が伝播する。その思いは伝わり、各自で噛み砕いた解釈がされ、増幅し、歪んで返ってくる。
「妹の頼みぐらい聞いてやれよ」
無責任な責任の押し付けとして返ってくる。その押し付けた感情すら、さらに別の関係のない誰かに伝播し、さらに歪んだ形で俺に向かう。
そして始まるのは怒号の嵐だ。
人が暴走するきっかけは様々だが、この状況下においては二つが考えられる。
善意と集団心理だ。
正しい行いだと思う心がブレーキをなくし、集団で行動する安全意識がアクセルを深く踏み込ませる。
妹は知らずのうちに集団の心を掴み、操っていた。それを成した才はアイドルとしてではなく、扇動者としてのソレであった。
天賦、類稀、桁外れ、希代。才能を表す言葉に付与する言葉は多くある。それら全て使われたアイドル汐見柚子がこの流れを止めるべく声を大きくする。何度も、何度も声をかける。
だが止まらない。
他の追随を許さない才能。
舞香は汐見柚子でさえ“他”にしてしまうほどの才能を持っていた。
周囲に気付かず思うがままに才能を奮っていた。自分が始めたことも気付かない先導者がそれを止められるだろうか。止められるわけがない。
ならば止められる存在はいないのか。
最終手段がいた。ここにいるわけがないという共通認識を持っている存在がいた。圧倒的な暴力がそこにあった。彼女は高台で立ち上がり、金の御髪を風になびかせ、群集を愚かとでも言いたげに見下ろしていた。
その姿が虚空に消える。
次の瞬間、空から巨大な体躯が落ちてきた。
巨大な鉤爪を人を模した無機質の黒い化け物。
それがもたらす恐怖。身近になってしまった危機感。本能を呼び起こす怖気。
凍る空気。
腕を掴む力が緩む。
その腕を振り払い、俺は走りだす。
「お前の狙いは俺だろ! ついてこい!」
白々しい言葉を残し、アンジェラに追われる形で雪山へと向かった。
街から遠く離れたところでアンジェラは子供の姿へと戻り、隣に並ぶ。
「助かった」
そうアンジェラに告げると「あたしというものがありながら他の子にデレデレしてたバツが当たったのよ」と睨まれる。
「シオミンのことか?」
「愛称で呼ぶな」
「すまない」
取り付く島もない。だが今から向かう先のことを考えるとそういうわけにもいかない。埋め立て工事でもなんでもして陸地に辿りつかなければ沈没して終わるだけだ。
「ともかく助かった」
無言。
「雪山にいるエネミーに心当たりはないか?」
無言。
「……ないよな。あったら教えてくれてるはずだしな」
無言からの嘆息。
「――まったくないわけではないわ」
続ける言葉を探していたらアンジェラが口を開いた。
「あれから考えたの。それが誰かは知らないけれど、あたしと同じ見た目ができて記憶を奪うことができるなら、十中八九精霊よ。おそらく妹さんを神に仕立てるだけじゃ飽き足らず、あたしが記憶を少しばかり頂戴しているのを見て、模倣犯を始めたのね。もしあたしの邪魔をしたいのが目的なら――被害者の記憶は全部なくなるかもね」
アンジェラを見る。たぶん丸い目をしていただろう。
「なによ」
怪訝な顔をされる。
「いや、いい女だなって」
「今頃気付いたのかしら?」
そう余裕ぶった声色で返されたが、耳は赤みがかっていた。
感情を表に出すタイプではあるが、ちゃんと理性のコントロールが効いている。俺の周囲は感情をコントロールできないか、自分の私利私欲を優先させる輩ばかりで今成すべきことを間違えないタイプは珍しい。今だって不機嫌を抑えて共有すべきことをきちんと共有してくれた。
俺みたいな女心がわからずやらかすタイプは、アンジェラのように理性を保ったまま言うべきことを言ってくれる人が向いているのだろう。
惜しむらくは彼女が人でなければ、見た目も幼い点だろう。
そんなことを考えたら強くない力で肩パンされた。
「なんか失礼なこと考えたでしょう」
「騎士である俺をもっと信頼してくれないか」
納得しない様子のアンジェラとともに走り続け、雪山の麓に辿り着く。そこは以前、その付近に隠れていた色違いのゴブリンに殺された場所であった。また同じ場所にゴブリンが隠れているはずと考え、警戒する。今の俺はアカウントを取得し直したため、あの頃とほとんど変わらない最弱の状態だ。不意打ちでもなんでも一発喰らえば死ぬ。
そう警戒してゴブリンがいた方向を確認したが、そこにゴブリンはいなかった。
「今ブルースフィアからモンスターは全て非表示にされたわ」
アンジェラが言った。
「モンスターだけじゃない。ノンプレイヤーキャラクターもいなくなってる。いるのは魂がある存在だけよ。模倣犯がそう改竄してるみたい」
システムの改竄。
精霊という存在のアンジェラがエネミーとして現れることができるのもそのおかげだ。だがアンジェラ自身は神になる存在として秩序を司る存在になるべくむやみやたらな改竄を好まない。いや、語弊がある。システムに則った攻撃を加えればエネミーがダメージを受けるという改竄をしている。つまるところフェアプレイの精神で、戦いを挑み、その結果記憶を頂いているということだ。
騎士道精神ともいえるが「抗え、さもなくば死ね」の精神ゆえに気狂い武士道に近い。
アンジェラの場合はシステムに則り、エネミーとしてプレイヤーと戦う。それで十分だった。だが模倣犯の場合はそうはいかないだろう。モンスター、NPCを消したということは動く存在は全てプレイヤーになる。狩る側からすればこれ以上に楽なものはない。自分に有利なことを喜んでやるという性質から導くと、システムに則った戦闘ではまともな戦闘にならない可能性がある。
チートだ。
「アンジェラ、俺が模倣犯に対してできることはあるか?」
「そこまで辿り着いたのね。さすが騎士様」
「今は弓士だけどな」
アンジェラは俺にしゃがむよう指示をする。妹に用意してもらったアバターの背は高くしゃがんでもまだ俺の方が目の位置が高かった。アンジェラは少し上を向き、俺の額に指を当てる。すると額から広がるように暖かさが全身に広がった。
「今、魂の外郭に小さな
「普通に負けて記憶を奪われる可能性もあるんだな」
「そう。あと心を強く持ってね。今かけたのは精霊、妖怪、神へ対抗した鬼の力なの。揺るがない心は悪しきを弾き、燃える魂は全てを凌駕する。覚えておいてね」
「すまない。心を強く持つってどういうことだ?」
「野郎ぶっ殺してやるってことよ」
「それなら得意だ」
****
初めて踏み入れる雪山は想像していたよりも白く険しい。時には吹雪き、視界すらままならなくなる。オーロラが見えたり、ダイヤモンドダストが発生した時には思わず足を止めて見入ってしまった。
登山の間、聞こえてくるのは環境音ばかり。戦闘音も悲鳴すら聞こえないまま登り続け、いつしか山頂が見えてきた。そこに一人の男子が地べたにあぐらをかいていた。
そいつは登ってきたこちらに気付くと立ち上がり、手を挙げる。
「騒ぎを起こせば来ると思ってたよ。二人とも初めましてじゃないけどわかるかな?」
見た目は小学校高学年。お坊ちゃんという風貌が似合う容姿だった。物腰も柔らかい印象を受けるが、どこか傲慢さを感じられる。嫌味な奴に見える。
アンジェラは警戒し、それには答えない。
俺はアンジェラの前に腕を出し、臨戦態勢に待ったをかける。
「ショッピングモールで俺を見逃したのはお前か?」
「うん、そうだね。それは僕だ」
「何故見逃した?」
「その頃はまだそこの彼女のお手付きじゃなかったし、彼女を倒した奴がどんなもんか生で見たかっただけだからね」
「なら何故今日また騒ぎを起こした?」
「さっきも言っただろう。君らに会いたかったのさ。特にそこの彼女にね」
そいつはアンジェラを指差した。
アンジェラは睨みつける。
「お前は精霊みたいだけど、あたしはお前のことなんて知らない」
刺すような視線にもそいつはひるまない。それどころか不遜な笑みを浮かべ、舐め切っているようにも見える。
「君は知らないだろうね。だって君、いつもひとりぼっちじゃあないか」
アンジェラが握り拳を作り、震えていた。
模倣犯は楽しそうにそれを見ながら続ける。
「それに君は有名だからね。この時代で神を目指してる馬鹿としてね。ただ、本当に神になっちゃうのは馬鹿にしてた僕たちからすると見返されたようで気にくわないから邪魔させてもらう」
それは宣戦布告と呼ぶにはあまりに幼稚なものであった。言ってしまえば人の成功が妬ましいから邪魔をする。人の足を引っ張るだけの動機。負の感情ばかりが先行した道理であった。
「それをあたしが許すと思っているの?」
アンジェラが虚空から姿を消し、エネミー形態となって現れる。
「今まで努力すらしてこなかったクズがあたしに勝てると思ってるの?」
「もちろん僕一人じゃ無理だろうね。でも僕には同士がいる」
山頂を囲むように虚空が無数に現れる。
それら一つ一つからエネミーを模した存在がこちら側へと入ってくる。アンジェラは黒、大してそれらは白い見た目をしていた。俺らを囲み敵意を向ける構図は悪魔を罰するために遣わされた天使にも思える。
「半神未満な君がこの数を相手に勝てるとでも思うのかい? 君がやりあえばそこにいる彼もただじゃ済まないだろ」
アンジェラが俺に視線を向ける。
それは彼女が俺の身を案じているようだった。
俺はアンジェラに告げる。
「野郎ぶっ殺してやるの精神を持つんだろ」
「そういうところ大好きよ」
アンジェラと背中合わせに立つ。
周囲にはアンジェラを模した白い精霊。その手にかぎ爪はなくそれぞれ細身の剣が握られていた。
「どうせ見た目を合わせるのならかぎ爪まで真似ればいいのにな」
軽口を叩く。
「あたしを馬鹿にしたいけど何から何まで真似っこしたくないっていう子供心よ。ほんとくだらない」
「ああ、くだらないな」
白い精霊たちが剣を目の前に構える。
「アンジェラだけなら勝算はあるか?」
「あたしだけなら全員をどうにか半殺しにして自分が無事かどうかってところかしら」
「なら俺のことは気にせずに戦え」
「お断りよ」
「お前の目的は神になることだろ。妹のことは任せる」
「大切なものなら自分で守りなさい。それに貴方、勘違いしているわ」
アンジェラは一呼吸置く。
「二人なら皆殺しよ」
思わず笑みが漏れた。
この人数を相手に、さも当然のように口にしたアンジェラ。それを面白く思わないのは周囲の精霊たちだった。無機質な顔から感情は伺えない。だが剣を持つ手が怒りで震えていた。なにより宣戦布告をした模倣犯が顔を真っ赤に地団駄を踏んでいた。昔の子供さえやらないそれをやった。
「ふざけんな! 土下座でもして神を諦めたら見逃してやろうかと思ったのに! もう許さないからな!」
その癇癪の発現とともに精霊たちが襲い掛かってきた。
その動きは統率がなく、我先にと勢い余った奴から突っ込んでくる。アンジェラは飛び回り、一体、また一体と近づいた奴を切り裂く。大多数の有利を活かせず、疑似的な一体一に落とし込んでいた。
無論、その中には冷静な奴もいて、タイミングを合わせてアンジェラを挟み撃ちにしようとすることもあった。
そこで俺の出番だった。
精霊を見据え、弓を構える。
弓道においては矢を射る時は無心であるのが好ましいと聞く。
だが俺はその逆をいく。
心を込めるのだ。
一射に思いを乗せる。
殺意という燃える魂を。
アンジェラを守るという鋼の意志を。
そして、妹にあったはずの未来を取り戻すという反逆の精神を。
放たれた矢は旋風を巻き起こし、大地を穿つ。矢じりが精霊に触れても勢いは失われない。胸元を貫き、旋風が周囲を巻き込み、大地に突き刺さる。射線には無残な姿の精霊が大量に横たわっていた。
ゲーム内の描画を超えた光景を目の前にして、俺は固まってしまう。ただ、それは敵方も同じだった。誰もが突如発生した現象に意識がもっていかれていた。
だが、その中で一人だけ動き回る存在がいた。
黒いソレはその隙を逃さず、白いソレがいなくなるまで狩り尽くすのは僅か数秒のことであった。
残されたのは模倣犯一人。周囲には致命傷で這いずる白い精霊たち。そのどれもが模倣犯に助けを求めるように手を伸ばしていた。
アンジェラは変化を解き、少女の姿に戻る。
アンジェラと目と目が遭う。
「……予想以上ね。さすがのあたしも思いが重すぎてちょっとだけ引いたわ」
重すぎて引かれるのは、恋愛以外のこういう場合も当てはまるのだろうか。
状況についていけず、そんなことをふと考えてしまった。
「――つっかえないなぁ! もう!」
一人残された男子は一つ大きな地団駄を踏み、這いずる仲間を虫けらのごとく見下した。
「なんだよ、殺せないにしても少しは弱らせてくれると思ったのに無傷じゃないか」
そう吐き捨てると助けを求める白い精霊の顔面を蹴り飛ばした。
敵だったものとはいえ、その所業は気分を害するものであった。
「お前、仲間だろう」
「仲間? 仲間じゃないよこんなの」
その態度にアンジェラが舌打ちをする。
「そこらへんに転がってるのはクズだけど、お前は下衆ね。同じ存在だと思うと虫唾が走るわ」
「同意だよ。僕も君なんかと一緒にはされたくないね」
再びの舌打ち。
「いちいち癇に障る奴ね。同族のよしみで殺さずにいたけどお前は殺す」
模倣犯は見せかけだけだと分かる態度で拍手を送る。
「ご立派な宣言をありがとう。でもさ、僕一人だけ殺すだけの覚悟じゃ足りないと思うんだ」
「減らず口を……!」
「やるなら全員を殺す気で来なよ。――僕みたいにさ!」
そいつは両腕を前へ突き出す。
腕の先が巨大なナニかへと化ける。それは目を持たず、獰猛な牙を持った蛇のようであった。
両腕から伸びた化物は俺らに襲い掛かってきた。
俺は弓を構えたが、アンジェラに襟を掴まれ、大きく後退させられた。
両腕の化物は距離を取った俺らを追うことはなかった。
代わりに別の獲物を食し始めた。
仲間である白い精霊を。
硬質な肉体が砕け散る。短い高音を伴ってあっけなく。
無機質な存在が化物に捕食される光景は言葉ほどのグロさはなかった。だが、死肉を貪り尽くす姿は嫌悪感が搔き立てられ、目を背けたいと感じてしまう。ものの十数秒程度、いや、もしかするともっと短かったかもしれない。長く感じてしまう光景は長く続かず、その場に這いずり回っていた精霊は全て化物に喰い散らかされた。喰い残された四肢の一部がその場にいくつも残っていた。
「信じられない」
アンジェラが両手で口を覆う。
「お前! 禁忌に触れていることを理解しているの!?」
男子はゆったりとした動作で化物となった腕を元の形状に戻し、軽い噯気を出す。
「少し食べ過ぎたね。ああ、そう睨まないでくれ。僕は僕がやったことを理解しているよ。これが禁忌と呼ばれることも、破った結果どうなるかもね」
そいつが人差し指を俺に向ける。
光が走った。
俺を目掛けて飛んでくるそれに動けずにいるとアンジェラが我が身を盾にしようと前に躍り出る。伸ばした腕と光が直撃し、はじかれた光が放射状に背後へと逸れていく。
「……いっ……たいわね」
手のひらで受けたらしくアンジェラは腕を下ろし痛みに耐えていた。
それは絡め手で攻めてきた者とは思えない力であった。
「んーせいぜい今の君と同格程度かな。神使候補がいると考えると分が悪いか」
そいつは背後に虚空を作り出す。
「……お待ちなさい。逃げるの?」
アンジェラが振り絞るように発する。
「逃げる? 僕が?」
「そうよ。あたしと神使が怖くて逃げるの」
そいつの首、肩、腕が見た目にも分かるぐらい強張る。
戦いに応じると考え、臨戦態勢に入る。アンジェラは終始警戒を、俺は弓を構え、いつでも射れる体勢に。
だがそうはならなかった。
そいつは地団駄を一つ。地面が揺れ、大気が震える。ゲーム内のテクスチャでさえ剝がれ落ちた箇所がでてきた。
「クールになれ! 僕は完璧でなければならない! 常勝でなければならない! そして勝つなら圧倒的でなければならない!」
大声で、自分に言い聞かせていた。
それはまるで誓約であった。
神である自分が持つべきイメージを捧げているかのようだった。
「危ないところだったよ。危うく挑発に乗るところだった」
胸元に手を当て、荒れた息を整えていた。
その隙に、俺は構えた矢に思いを込める。
アンジェラを傷つけたことに対する怒りを。
そして、放たれた矢は再び旋風を巻き起こし、地面を抉り、空を駆ける。
俺は期待する。
その小さき体躯を貫通し、倒れることを。
だがそれは成らなかった。
円形の万華鏡でできたような青白い模様の盾がそれを受け止める。
余波は周囲に及び、受け止めた箇所の地面には旋風によって地面が大きく抉れていた。
だが矢の進行方向、盾の背後にいる小さき体躯は傷一つなかった。
「大会見たよ。なかなか良い能力だったから真似させてもらった」
再度矢を構えようとするが、突然身体に力が入らなくなる。
電脳世界だというのに、走れない距離をずっと走り続けたかのような披露が身体にのしかかる。
アンジェラが倒れそうになる俺の身体を支える。
「無理しないで。力の使い過ぎよ」
模倣犯は虚空に片足を入れる。
「それじゃ僕は行くよ。またどこか近いうちに会おうじゃないか」
虚空が閉じる。
それを見届けた途端、集中力が切れたのか瞼が重くなる。
拳を強く握りしめたまま視界が黒く塗りつぶされた。