最悪の起床であった。
身体の目覚めを感じるが全身が重く気だるい。まぶたを開けるのさえ億劫でそのまま身体を休めたい衝動に駆られる。ゴールデンウィークはまだ続いていて講義もない。ならばそれを咎める者もいないのは道理である。
眠りの中に落ちようとするも腹に何か重さが掛かるのを感じ、眠気の糸が途切れてしまう。
重いまぶたをどうにかこじ開ける。頭の中では閉じたシャッターをこじ開けるマッチョマンをイメージした。「ふんぬらば!」とマッチョマンがこじ開けた先、そこには見覚えのある天井と安アパートの下では初めて見る金の御髪を携えた少女であった。
俺の腹に馬乗りになったアンジェラは唇を舐め、蠱惑的な微笑を浮かべる。
「ダーリン、おはよう。よく眠れたかしら?」
その光景に眠気なんて空の彼方までぶっ飛んだが、それはそれとして混乱はした。
「え、ああ、おはよう。まだ眠いかな」
「あらそれはいけないわ。添い寝してあげる」
そう言って布団に潜り込むアンジェラ。
俺はそれを受け入れていた。状況についていけずされるがままになっていた。頭のどこかで「布団から追い出せ!」という警鐘が鳴らされていたが、頭の中では同時に「あの模倣犯は逃げたのか?」「ここは現実世界か?」「そもそもあの戦いはどうなったのか?」などと頭の中の住人が騒ぐせいで身体が固まってしまっていた。
アンジェラが俺の隣に身を寄せ、布団を被ろうとしたその時であった。
「にーちゃん! その女から逃げてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
現実世界での警鐘が鳴り響いたのは。
スピーカーの音量制限を取っ払ったそれに加え、女性特有の甲高い声。悲鳴に近いそれは鼓膜の許容量限界を超えそうになる。
思わず両手で耳を塞ぐ。耳に刃物を押し当てたような痛みは軽減されたが、それでも頭がおかしくなりそうな音であるのには変わりない。
妹に声を止めろと叫ぶが、向こうの声量が勝り、向こう側まで届かない。
空気が揺れ、身体が音を感じるほどに強い圧の中アンジェラは涼しい顔をして、指を鳴らす真似をする。
すると全身に浴びていた圧が消える。
耳はキーンとありもしない音を聞き続け、しばらく使い物になりそうになかった。
画面の向こうで一人叫び続けている妹が見える。
大変憤慨しているようだった。
部屋も頭も静かになってようやく状況を理解した。
アンジェラが俺の部屋に来た。
そして、変な少女が俺を襲おうとしたから叫んだ。
状況は理解した。
ますます訳が分からなくなった。
どうしてアンジェラが俺の部屋にいるのか。そもそも部屋の場所なんて教えたことすらなかったはずであった。
聴覚が少しずつ回復して、妹とアンジェラが画面越しに言い争いしている内容がぼんやりと聞こえてくる。アンジェラが怒る妹をいなしつつ、煽りつつ優位に立っているようだった。少なくとも仲良くできそうにない雰囲気なのは掴めた。
俺は耳が聞こえないフリをして、しばらくベッドの上で項垂れることにした。
浮気がバレて妻と浮気相手が言い争う姿を眺める旦那になった気分だ。
煙草でも吸って落ち着きたい。
咥えたことすらないのだが。
二人が騒ぐのを外から眺めて佇んでいたのだが、聴覚が元に戻った頃合いを見計らわれた。
アンジェラがわざとらしく俺の腕にまとわりつき、画面の中にいる妹の前に連れて行く。それを見た妹がまた騒ぎ出す。アンジェラがそれを見て勝ち誇った顔をするものだから、それでまた妹はぎゃーすかと怒り狂う。ロリコン、ロリコン、ロリコンと連呼される。
ロリコンと連呼しすぎて逆に冷静になったのか息を整えると、何事もなかったかのように「その子は誰なの?」と訊いてきた。
「信じてもらえないかもしれないがとにかく聞いてくれ」
この子がエネミーだということ、アンジェラとの関係について、天樹会が本物の神様を信仰する集団だということ、模倣犯のエネミーが現れたこと、これまで知り得た全てを話した。
あの模倣犯との戦いに臨む前に交わした約束を果たす意味もあった。
妹は話した内容が信じられないのか訝しい顔をしていたが、そもそも自分自身が非現実的な存在になってしまっているからか黙っていた。
一通り聞き終えた妹は尋ねる。
「それで昨日の戦いのあとはどうなったの?」
それは俺も知りたいところであった。
「俺は最後気絶して気が付いたらアンジェラに馬乗りにされていたからわからない。そっちは無事に帰れたのか?」
「街にいた人は、ね。愛しの汐見柚子も無事」
シオミンの無事を聞いて安堵する。
「でも雪山にいた人たちは駄目みたい。記憶の全てを失ったって。中には寝たきりになった人もいるってニュースでやってる」
俺らが雪山に到着した頃にはもう既にやられた後だったのだろう。記憶を全部失うのは最悪の想定ではあるが、あった。だが寝たきりになるまでは考えていない。
「アンジェラ、どういうことだ?」
アンジェラはすでにそのことまで考慮していたのかたいして驚く素振りも見せない。
「難しいの、記憶抜くのって。型抜きって知ってる? 今はもう見る機会ないと思うけど屋台の縁日とかであった型通りにくり抜くことができれば賞金が貰えるの。アレと一緒で技巧が求められるの。やり方を知らなければ粉々になるのは当然ね。知ってても粉々にしがちだけど」
そう説明してくれたが、俺と妹、二人とも型抜きを知らず動画サイトでそれを探すことになる。妹は最初自分でもできそうと言っていたが、動画を見続けるうち、そんなことは言えなくなっていく。そして、詐欺じゃんという感想と上手くくりぬけた子供が超絶技巧を持っているとの感想を持つに至った。
「理解してくれたようでなにより」
アンジェラは動画を見終えた俺らにそう言った。
妹は不承不承といった渋い顔でアンジェラがそこにいることを認めるに至った――ように思えた。
「でもさ、別に家にくる必要ないんじゃね?」
アンジェラは微笑むばかりで答えない。
「にーちゃん! 私こいつ嫌い!」
まさか二十歳になる年になっても子供の喧嘩の仲裁に入ることになるとは思わなかった。
檻の中の獣をおちょくるようなアンジェラを窘め、獣のような妹をなだめる。それだけなのにアンジェラを構えば妹が喧嘩を売り、妹に待ったをかけるとアンジェラがチクリと刺す言葉を放つ。それの堂々巡りであった。
だんだんと腹が立ってきて「いい加減にしろ!」と一喝する。
二人がしゅんとなり、これで一段落と思いきや隣の部屋から壁を叩きつける音が聞こえる。
「さっきからうるせえんだよ!」
俺もしゅんとなった。
ここにいてはまた怒られると思い、場所をプライベートスペースに移すことを提案する。
アンジェラは提案を受け入れるも妹が「こいよ、やってやる」とシャドーボクシングの真似をする。
「妹さん、躾がなっていなくてよ」
「親のせいだな」
「甘い親御さんなのかしら」
「俺には厳しいけどな」
「ならあたしが甘えさせてあげてもよくてよ」
妹が画面から出てきそうなぐらい顔をドアップにする。
「私をダシにいちゃつくんじゃないっ!」
妹がまた切れ散らかして長くそうなのですみやかにプライベートスペースへの移動を開始した。到着するもアンジェラの姿はまだなかった。
妹は俺が到着するやいなや背後に回り、ケツに蹴りを入れてくる。
「なにするんだ」
「八つ当たり」
それだけ言って妹は舌を鳴らし、アンジェラを待つ姿勢に移る。俺と同じかそれ以上のことをアンジェラにもするつもりなのだと悟った。
カメラ越しに映る現実の自室にはアンジェラの姿はなかった。
このやり取りを見てはいないはずだが、あえて遅れているような気がする。
「さあ来い!」
拳を掌にぶつけて気合十分な妹。
その思いに答えるように来訪者が現れる時のエフェクトが再生される。
前後にステップをして身体が現れたらすぐさま一発当ててやろうとする妹。
エフェクトの再生が終わり、身体が出現しても、文字通り手も足も出なかった。
なぜなら現れた身体は金髪を携えた少女のものではなく、黒く無機質な巨躯であったからだ。少女に一発くれてやろうという全年齢平等主義の妹も意気消沈してしまった。
妹が上手いこと黙ったので二人を椅子につくよう勧める。妹が座り、アンジェラもそれを見届けてから少女の姿に戻り、席につく。俺も席につき、話し始める。
「確認、相談したいことがある」
議題は三つ。
模倣犯の目的と禁忌について。
妹の安全と今後の活動方針について。
俺の力について。
この三つはできる限り早くはっきりさせておきたいことであった。
アンジェラもその意図を汲んでくれて模倣犯の目的について話し始める。
「あの模倣犯――名前は知らないから便宜上、名無しと呼ぶことにするわ。名無しの目的は最初はあたしの邪魔だと思っていたけれど、禁忌を犯したことでハッキリしたわ。アレも神になろうとしてる。邪道な方法でね」
俺は尋ねる。
「禁忌とはなんなんだ?」
「禁忌は存在を喰らうことよ。そもそも私達がどういう生命体なのかという話をしなくてはいけないわね」
オカルトな生物には大まかに分けて三つの分類がされる。
一つは肉体を持つもの。妖怪や神話の生物とされ超常的な力を扱える。寿命の多寡はあれど、人と同じように子をなし、血を紡いでいく。
一つは肉体を持たぬもの。精霊がこれに該当し、魂のみの存在であり、魂がこの世界に紐付いているものを指す。
一つは神。この世界の権能を司るもの。
「精霊はこの世界そのものの分霊みたいなものなの。だから殺してもしばらく待てば生き返る。分霊の存在は世界そのものに記憶されてるから。けれどその存在を取り込むことで力を得た場合、取り込んだ側がいることで分霊は世界に存在してることになり、生き返ることはなくなる」
「……バグみたいなもんか?」
「そうね、大まかな認識としては合っているわ」
妹が手を挙げる。
「それさ、なんでやっちゃいけないの? 神様になる手段なんでしょ?」
「簡単よ。人手が足りなくなるの。例えば一人のパーフェクトな人と百人の普通の人、大量の事務仕事を与えた場合どちらがすぐに終わらせられるかで考えてみて。百人いたほうが早く終わるでしょう。神様がいっぱいいた時代にそれをやりすぎたとある地域では、精霊がいなくなって大地が死んだの。自然豊富な土地だったのに今じゃ砂漠ね」
「ゆえの禁忌か。しかし、禁忌っていうぐらいだ。犯したからには相応の罰があるんだろう?」
「ないわ」
信じられない一言が返ってくる。
「正確には罰を与えられる存在はもう地上からは去ってしまった、ね」
樹神さんも初めて出会った時、そんなことを言っていた。地上に残った数少ない神様の一人、と。
「樹神さんでは駄目なのか? あの人も神様だろう?」
「無理だと思うわ。まともに相対できれば彼女が間違いなく勝つでしょう。でも彼女の権能と私たちが今から成ろうとする神の権能は真逆過ぎる存在なの。彼女は文字通り樹を司る自然の神様。現実の神様。私たちが目指すのは電脳の神。虚構を司るの。彼女が対処できずに逃げる手段はいくらでもあるの」
アンジェラが自身を指差す。
「あたしがいい例ね」
少し自慢げにそう言った。
ドヤ顔をするアンジェラに妹が再び手を挙げる。
「私のアイドル活動ってどーなるの? またプライベートスペースだけとか嫌なんだけどさ」
せっかく外での活動再開をしたのだからまた元に戻りたくない気持ちはわかる。だが、事態は悪化している。ここはどうにか呑んでもらう必要がある。小さかった頃と同じように物で釣れたら楽なのだが。
どうにか妹が納得する方法を考えているとアンジェラが予想を裏切る提案をする。
「良い機会だからあなたも戦えるようになるといいわ」
これには俺も妹も声を合わせて「え」と声を漏らす。
「あら、兄妹仲いいこと」
俺はアンジェラに問う。
「アンジェラ、舞香を戦えるようにするっていうのはどういう意図だ?」
妹に戦わせるなんてとんでもない。兄として守らなければ、そして元の生活に戻ってもらわなければならない。戦って失うリスクなんて負えない。
「妹さんが大事なのはわかるわ。あたしも積極的に戦えとは言わない。けれど、もう自衛手段を持たなくてもいいという状況は終わってしまったの」
アンジェラが言うことはわかる。
「ならプライベートスペースに引きこもっていれば安泰じゃないのか?」
「正直、あいつから身を隠すにはイントラネット環境に、そのサーバの場所も世界のどこかに秘匿するようなものが必要よ」
イントラネット――簡単に言えば閉じたインターネット。組織内だけで構築され、外部とは繋がらないもの。ゆえに外部からの悪意のあるアクセス事態がされない。だが、それは配信者としては致命的なものであった。
「イントラネットって何?」と妹がアホ面を晒す。
「インターネットが使えなくなると思ってくれていいわ」
アンジェラは馬鹿にでもわかる説明で済ませた。
「えーそんなん無理じゃん!」
馬鹿だったためそれでようやく理解した。
頭が痛くなりつつアンジェラに尋ねる。
「自衛が必要なことは理解した。それで本当に身を守れるのか?」
「力さえあればね。あなたもそれは理解しているでしょう?」
野郎ぶっ殺すの精神のことだろう。何も鍛えていないはずの俺でさえ精霊を一蹴することができた。ならば妹も力さえあればそれが可能なのだろう。最悪、逃げるための時間を稼ぐ力さえあればことが足りる。
「あのまじないみたいなことをすれば妹も俺と同じ力を手に入れられるのか?」
「妹さんにそれは不要よ。だってあたしと同じ半神だもの。あとは力を手に入れるだけ」
「俺は元から持っていたが、妹にはないのか?」
「個人でそれだけもっているあなたがおかしいの。妹さんはアイドルだったわね。ならその活動を通して信仰を集めることね。それが面倒ならあたしのように記憶を奪ってもいいけれど」
「それは無しだ」
「なら今まで通りにアイドル活動ね。でも時間がないから、昨日コラボしてた子とユニットでも組めば効率的に信仰を集められるのではなくて?」
その提案に妹は即座に「無理!」と反応する。
「あの人、人気あるのわかるけどなんか私を見る目怖くて無理! 百合営業っぽいけどアレ絶対ガチなやつ過ぎてやだ!」
妹の反応に内心落胆する。妹が拒否するとシオミンを近くで眺める機会がなくなってしまう。いや、一ファンが声を交わすことができたのだ。ならば昨日のコラボは夢だったと思い、また一ファンとして応援に戻るのが正しいのだろう。
だがしかしやはり残念であった。
「嫌なら仕方ないわね」
アンジェラは元から期待していなかったのかそれ以上何も言わなかった。
「あ、でもユニット組む自体は人気取りとしてはいいかもしんない」
言ったのは妹だった。
「できればこちらの事情も知ってるか、教えても問題なさそうな信頼ある人がいいよね」
アンジェラが肩をすくめる。
「そんな便利な人材がいるの?」
俺は気付く。
妹も「素材は良いしいけるかも」と気付いたようだった。
金の御髪、白い肌、幼さの残る可愛らしい顔立ち、碧眼。それはたしかに美少女と呼ぶに相応しい素材であった。ジュニアアイドル、もしくは子役に近い立ち位置だろうが妹では得られなかったファン層を獲得するには最適なのかもしれない。
「にーちゃん、アイドルオタクとしての勘はどう言ってる?」
「逸材だな」
俺と妹の熱い視線にアンジェラは気付く。最初は何見ているのだろうと怪訝な顔だったが、途中でハッとして勢いよく立ち上がる。
「嫌よ! やらないからね!」
その拒否する姿も愛らしい。小さきものが大げさな反応するのは可愛らしい。小さきものが可愛らしいのは仕方がない。かの清少納言もそう言っている。だから、ジュニアアイドルも悪くないと少し思ってしまった俺は何も間違っていない。
アンジェラがアイドル参戦断固拒否の構えを解かないので議題は次へ移る。仕方なく。
「そもそも精霊たちを倒した力とはなんなんだ。何故俺は気絶したんだ?」
アンジェラは答えた。
心の力、ひいては魂の力なのだと。魂、心、記憶、信仰、などは神をはじめとする霊的存在を倒しうる唯一の力だという。いずれも己の在り方が力になる。ただし、力の拠り所によっては代償を支払う。魂や心などは使う度に摩耗する力もあれば、記憶が薄まったり信仰が揺らげば途端に力が落ちるものもある。俺は摩耗する方だという。
ゆえに極限まで心を込めた二射で俺は気絶した。
出力自体は及第点どころか満点以上の評価を与えてもいいらしいが、力のコントロールをできるようにならなければ、馬鹿みたいな出力を活かす小技が使えなければ、宝の持ち腐れだという。
なので妹と一緒にコントロールする特訓を受けることが決まった。
とは言っても妹は先にアイドルとして信仰を集めるためユニットを組む相方探し、俺は摩耗した心を回復させるのが先決で特訓は翌週以降となった。それまではアンジェラが妹について護衛するという。
そこで今日は解散となった。アンジェラが居座りそうだったが、妹の厳重な抗議の結果、部屋から追い出すことに決まる。アンジェラは不服を申し立てたが、少し考える素振りをして「またデートに誘いたくなったら呼んでね。すぐに来るわ」と投げキッスして出て行った。また妹をなだめる羽目になる。
ゴールデンウィークも後半戦に入り、残り数日やることをベッドに寝転び考えた。
ブルースフィアに入ろうともしたが、俺が地形を壊したせいか緊急メンテに入っていた。悪いことをしてしまったと青くなったが妹が「ビルド仕直せばすぐに直るっしょ」と俺にはよくわからないことを言って安心させようとしてくれたのでひとまずをそれを信じることにする。「ただなぁ、ニュースにもなって大変だし、サービス再開できるかなぁ」とそもそも論も飛び出た。
ひとまずテレビをつけて、ニュースに目を通すことになる。
やはり昨日の事件、とりわけ記憶が全損、寝たきりになった者が大量に現れたことが取り沙汰されていた。
コメンテーターが神妙な顔をして言う。
「敵性存在、いえサクラバ氏が呼ぶようにエネミーと呼びましょう。エネミーは大量の記憶を奪いました。それどころかその一線だけは超えない、超えられないと考えられていた意識不明者も大量に出してしまいました。これは何が原因なのでしょう。ネット上の言説によると、エネミーはとあるプレイヤーを敵視しているのではないかというものがありました。これを深掘っていこうと思います」
そのフリから出たのは、とあるアバターであった。
銀髪、赤眼を携えた悪人面のイケメン。フォーマルなジャケットにパンツ、ノーネクタイのシャツで纏めており、ホストかチンピラみたいでお近づきになりたいと思わないタイプであった。反社会的な見た目で思わず道を譲り、視線も下げてしまうような危険な雰囲気しかない野郎であった。
俺である。
正確には妹が作成したアバターであった。
お披露目会の映像が流されていた。悪そうな顔ばかり選んで切り抜かれ、挙句その場から連れ出すためにアンジェラがエネミー状態で俺を追いかけるという茶番もしっかり流された。それは俺が悪人で、悪人の俺を敵視しているかのような編集の仕方であった。
映像が切り替わり再びコメンテーターを映す。
「この人物はエネミーを唯一撃退したという人物と同一人物です。以前、量産品のアバターが狩られているという事件をお伝えしたことがありましたが、それはこの方がそれを使用していたからだと考えられています。エネミーとこの人物はもはや切っても切れない関係と言っても過言ではありません」
番組を盛り上げるための当てずっぽうなのだろうが、あながち間違いでもない。事実エネミーだったアンジェラが俺に接触して、家に忍び込んだ末に馬乗りまでかまされた。
「この人物と友人で、エネミーと戦闘経験もあるサクラバ氏と通話を繋ぎました。この方はどういった方なのでしょうか?」
画面が三度切り替わり、プロゲーマーサクラバのアバターが映し出される。細身で目が切れ長のイケメン社長然としたアバターは、プロゲーマーというよりもベンチャー企業の社長が番組に呼ばれたかのように映った。
「どうもこんにちは。サクラバです。今映った人物は仰る通り友人で、リアルでも交友があります。普通と呼ぶと語弊はありますが、悪いやつではありませんよ。あとこれは有名ですがアイドルオタクです」
「なるほど。悪いやつではないということですが、なぜエネミーに狙われるとお思いで?」
「単純に自分を倒した強い奴に勝ちたいから……じゃないですか?」
「ふむ、エネミーはアスリート気質の可能性があると」
「そこまでは言いませんが、単純に悔しかったからとかそういう理由はあるかもしれません」
「まー私どもも推測の域がでないのでそこは仕方ありませんね。ちなみにこの映像のあと、この方がどうなったのか情報がないのですが何かご存知でしょうか?」
「いいえ、俺も何度か連絡を入れているのですが反応がないですね」
「それは心配ですね」
「実はそこまで心配はしていません。殺しても死なないような奴なんで」
スタジオが笑いに包まれる。
プライベートスペースから配信しているようだから、以前貰ったパスワードで今すぐそこに乗り込んでやろうかという悪意に駆られる。
「えーサクラバさんから大事なお知らせがあるそうです」
コメンテーターが言った。
何か大会かスポンサーからの要望で商品紹介だろうかと大して気に留めないで眺めていると、耳を疑うことを桜庭は言いやがった。
「今回の件を重く見て、政府がエネミー討伐作戦を予定しております。プロゲーマーチーム、市井の一プレイヤーも参加を募っております。参加してくだった方には報酬を、無事討伐ができたら追加報酬を用意します。危険なことは重々承知しております。ですが将来を見据えた場合、これ以上の被害は看過できないというのが政府、そして俺らの見解です。皆さまの力を、俺らに貸してください」
番組のエネミー特集が終わると妹が「ねえ見てよこれ」と今発表された内容に関するネットの反響を見せてくる。
そこには「国が匙を投げた」「国家総動員法発令」「漫画に出てくる賞金首みたい」「プロゲーマー実質徴兵令じゃん」などと国に対する批判が多く投げられていた。中には矢面に立っている桜庭に対し、心無い言葉が投げられているものもあった。
「国も桜庭も大変だな」
そう感想を述べたところで妹に「そっちも大変だけどにーちゃんも大変なんだけど」と言われる。
妹が俺に関する情報だけをピックアップしたものだけを見せてくる。
先程のニュースで俺の安否が不明ということが知れ渡ったことで、俺のアンチ共は大喜びしたらしく界隈で祭りが始まっていた。俺の記憶喪失説や意識不明説、ともかく俺が敗北したことが嬉しいらしく、それをおかずに白米食べれるなどウィットに富んだ罵詈雑言の雨あられであった。
そういう意見もある一方、俺を擁護する声もちらほら見えた。エネミーに狙われていることを知りながら、囮となったことを評価していた。また、ついに量産型アバターからの脱却ができたことにより量産型アバター狩りが行われなくなるといった点での評価があった。それが飛躍して「本人は量産型アバターを手放すことを望んでいないのに下々を守るために止む無く手放した」という感動ストーリーに仕立てる言説が生まれた。陰謀論が流行るようにそれを真に受けた純真からファンを通り越して信者になる者も現れた。
頭がいかれている。
信者がいれば強烈なアンチもいるのはアイドル界隈で知っていたが、まさかその逆もまた然りとなるとは。
「もはやにーちゃんが神になった方がいいんじゃない?」
妹が冗談めかして訊いてくる。
「俺が神になったらこんな世界滅ぼしてやるよ」
「お人好しだから無理でしょ」
笑顔で否定をかまされた。それを否定してやりたかったが、妹が増長した原因の一端は俺が甘やかしすぎたというのもあって強く否定出来なかった。
話題を変えるべく生放送を終えた桜庭に電話を掛ける。
桜庭はわずかワンコールで電話に出る。
少し気持ち悪さを感じた。
「おい、大丈夫か? 俺のことは覚えてるよな?」
けれど俺を心配してのことだったので口には出さないでおく。
「覚えているし、無事だ」
「それはなにより。三回目の正直で、お前の命運もここまでかと思ったぞ」
一度目はバトルロワイアル、二度目はショッピングモール、三度目は今回のことだろう。二度目は模倣犯の敵情視察で、三度目はアンジェラが味方についてくれたおかげもあり、綱渡りは一度目のみである。
「殺しても死なない奴みたいだからな」
「なんだ生放送見てたのか。イケメンだったろ?」
「胡散臭い実業家にしか見えなかったな」
「なんだとこの野郎」
いつも通りのやり取りを終えて、本題に入る。
「エネミー討伐作戦ってどういうことだ?」
「国のお偉いさんが決めたらしい。俺も寝耳に水で驚いた」
「プロゲーマーは全員参加なのか?」
「さすがに個人勢までは強制できないが、スポンサー契約してる奴らは軒並み参加することになると思うな。無論、国からはえぐいぐらい金が出る。あとは自衛隊とかでゲームが得意な奴等が参加することになりそうだ」
「なるほどな。命を掛けるに足る金が出るのは救いだな」
桜庭は少し間を空ける。
「お前、なに他人事みたいに言ってるんだ?」
意図が分からず今度は俺が黙る番になる。
「お前は強制参加だ」
寝起きでアンジェラに馬乗りされていたことより訳が分からなかった。
頭の中がクエスチョンマークに埋められてアホ面になっているだろう俺に桜庭は追い打ちをかける。
「英雄様が戦わないなんて選択肢あるわけねえだろ」
もっともである。量産型アバター使いという風評を除いた世間一般の評価は、エネミーに二度――俺の無事が確認でき次第であるが三度――相対して生き残る英雄なのである。それはエネミーとの戦闘において、誰よりも経験を積んでいるといえ、その人物が戦わないなんて理屈が通らないのは理解できる。
「俺は一般人だぞ」
俺はプロゲーマーでもなければ軍に所属するわけでも、公務員でも準公務員ですらない。単なる怠惰を極めた学生である。それも友人が少ないことで課題の手助けすら求められず、毎回単位を落としかけている。ギリギリでいつも生きているのだ。およそ学生のお手本にしてはいけない部類の人間である。しかもドルオタときたもんだ。これを英雄視するなんて世界は間違っている。
「お前は俺が英雄に見えるのか」
「お前が英雄なら俺は神だ」
「だよな」
「当たり前だろ」
「ならお前から俺は不参加だって言ってくれ」
「別に言ってもいいが、それは通らないぞ」
「どういうことだ?」
「俺は先に周知する役割だったが、正式な発表は国から行われる。そこで確認してくれ」
思わせぶりなことを言って通話が切れた。
仕方なく、テレビを点けて国からの発表を待つ。
時間になり、記者会見が行われる。そこでは政治家と省庁職員が並んで桜庭が発表した内容の具体的な説明や補足がされていった。
作戦実行はゴールデンウィーク最終日。以前エネミーが現れたバトルロワイアルゲームの特殊設定を用いて待ち受けるとのことだ。何故ゴールデンウィーク最終日という残り数日もない状況で発表されたのかという質問があった。これには多くの人員、組織が関わる都合上、その日しか予定を確保できる日がなかったという。また、配信者をターゲットにしがちというエネミーの都合、多くの人が見るであろうゴールデンウィークを外せなかったという旨の説明がされた。
そして、記者から俺が待ち望んでいた質問が飛び出す。
「エネミー初撃退し、昨日も襲撃されたかのプレイヤーも参加するのでしょうか?」
大臣が答える。
「その質問に答える前にご報告します。昨日襲撃されたプレイヤーであるミト氏ですが……友人であるサクラバ氏によって無事が確認取れました」
これに記者たちはざわめく。大臣が答える前に次々と手が挙がる。
司会進行が「お静かに」とこれを制し、大臣は静かになったのを確認してから質問に答える。
「無論要請は送っております。ただ、かのプレイヤーはプロゲーマーではありません。巻き込まれただけの一般人です。また学生だとも聞き及んでおります。ゆえに参加を強制することはできず、要請に留まると考えております」
国としては学徒動員のようなことはしたくないらしい。
こちらとしても断りやすくて助かる。
「大臣! 多数の国民が犠牲になっているというのに強制ではないのですか!」
俺の犠牲を無視した言葉が記者から投げかけられる。
「無論、参加していただけたら政府として謝礼は用意させていただきます。けれど危険を伴うことゆえ強制はできません」
今度は記者の多くが弱腰な大臣に対し、暴力的な言葉を投げつける。
「しかし!」
大臣が大声でそれを打ち消す。
「しかし! これは国難に当たると考えております。政府としては要請しかできません。だからこそ伏してでもお願いしたい!」
伏して――それは言葉通り、土下座を意味していた。
大臣が個人に対し、地面に頭をつけて請う。
それは近代史で画面に映ることがなかった出来事であった。
ネットが、日本が、世界が、この状況に騒ぎ、興奮した。
「……ありえないだろ」
そう漏らす俺に一緒に記者会見を見ていた妹が能天気に言う。
「タタタタータータータッタター! にーちゃんは大臣を土下座させる実績を解除した!」
大臣を土下座したことで、俺の信者とアンチがそれぞれ全力疾走で評価を正反対に伸ばしているのをただ黙って見ているしかなかった頃、一本の電話を受ける。ディスプレイには北御門と表示されていた。あの天樹会のモデル君がなんのようだと思いつつ、このタイミングでは嫌な連絡だろうと思うと正直出たくなかった。
「何の用だ?」
「あ、三刀さん? 北御門だけど今やってる記者会見って見た?」
「大臣が土下座してるやつだな」
「そうそう。それについてなんだけど会長が三刀さんと話したいって言ってるけど代わっていい?」
「……まあ構わないが」
「よかった。じゃあ代わるね」
そう言って電話口から「どうぞ」という会話が聞こえて話者が変わったことが分かった。
「元気にしとった?」
聞く側の方が元気にしてたのがわかる挨拶であった。
「大臣を土下座させてしまうぐらいには元気ですよ」
「いやーあれ見物だったなぁ。うちも長年生きてるけどテレビであんなん見るの号泣議員以来やわぁ」
号泣議員。号泣会見や初公判のドタキャンなど話題を呼んだ大昔の議員だ。バカヤロー解散とか国会内でバリケードを築いたとかと並んで珍事件として扱われている。
「それでなんの用ですか?」
「エネミー討伐の要請、もういっとるやろ?」
「知り合いから私的にですが、ありましたね」
「それについて謝罪しようと思ってん。あれなー本当は作戦自体なかったんやけど、神の存在知らない省庁がエネミーに関する突き上げが凄くて独断で動いたらしいわ」
呆れ口調で樹神さんは続ける。
「デジタル庁……今はまた名前違うかもやけど、そこが一番縁遠いとこやったから起きた事故やから無視してくれてかまへんよ。なんならうちが間に入って話つけたるわ」
やはり本物の神ともなると偉い人とのコネがあるらしい。
「要請は無視ということですが、そもそもエネミーの討伐作戦自体はなくならないのですか?」「あーそれは難しいかもなぁ。実際に討伐するかどうかは別にしても、あれだけ大々的に発表した以上、なにかしらポーズはとらないかんやろしな」
ならば俺は参加せず、アンジェラも現れないのが一番穏当なシナリオになるだろう。
「そこで頼みがあんねんけどな、あの子と相談する場を設けてくれへんか?」
「あの子とは?」
「君にぞっこんラブな精霊の女の子おるやろ」
「アンジェラのことですか?」
「お、名付けしたんやな」
「まずいかったですか?」
「君なら信用できるからかまへんよ」
結婚相手方の親に褒められるようなシチュエーションだなと思ってしまう。
「しかし、どうしてまた?」
「あの子真面目やから罠だと知ってても呼ばれたら行くタイプやろ。説得して止めたいからや」
「それは真面目ではなく勝気なのでは」
「そうともいうな」
そう言って笑う樹神さん。笑い終えたところで「それに気になることもあるしな」と何か含みを持たせた。神と精霊のやり取りで俺が関われることはないだろうと思い追求せずにいると、樹神さんの方から「うちからは以上や。ほかに何か聞きたいことある?」と訊かれた。
俺は少し考えて、一つ尋ねた。
「ちなみにこれは興味程度ですが、一番縁が深い省庁ってどこですか?」
「宮内庁やな」
たしかに、と納得できる答えであった。
アンジェラを樹神さんとの相談の場に呼び出さなくてはならなくなった。アンジェラに出るように頼む分には何の問題もないし、駄目だったとしても仕方ないで済む。ただ、どうやってそれを伝えようか悩む。いつもアンジェラが唐突に現れるし、意図して会えた時はアテがあったからよかった。今回はどこで何をしているかアテすらない。
以前「またデートに誘いたくなったら呼んでね。すぐに来るわ」と言って我が居城たる安アパートから出て行ったが、また気が向いた時にやってくるのを待つのが一番早く会えそうだ。
「にーちゃん、なんの電話だったの?」
「天樹会の会長からアンジェラと相談の場を設けて欲しいって電話だった」
「ああ、本当の神様とかいう」
「そういえばお前はまだ会ったことなかったな。会っておくか?」
「それは構わないけどその会長さんって今の状況でどういうスタンスなの?」
「騒ぎを大きくしたくなさそうなニュアンスは感じた。そもそもアンジェラとお前だったら、昔から神様になりたがってたアンジェラを推してそうだったな」
「ふーん、それじゃ今のこの状況面倒ごとでしかない感じかな」
「俺も詳しくは知らないがそうかもな」
「てか会長さんって昔からあの卑しい女のこと知ってたのに連絡取れないわけ?」
「俺に頼むってことはそうなんだろ」
「あーあれだね、優等生だった子がグレて、恩師に顔を合わせにくいから逃げ回ってるっていうやつだね」
「そう聞くと神様とこれから神様になるっていうやつの話なのに、一気にスケールダウンするな」
「一人暮らしの男の部屋に入り浸るし、そりゃ大人としては心配するよね」
その言い方ではスケールダウンどころか単なる事案でしかない。
「ただ今回の厄介な件は女の方が男を襲おうとしてる点だよね。かーっ卑しい女は嫌だねー」
唾でも吐き捨てそうな渋い顔をする妹。
馬乗りをされた手前、言い返せないので話題を変えることにする。
「ところでアンジェラにそれをどうやって伝えればいいと思う?」
妹は渋い顔のまま吐き捨てる。
「独り言で今すぐ部屋に来てくれーっていえばすぐに来るんじゃね」
それはさすがにないだろうと思いつつ、実際にやってみて「駄目だったじゃないか」と冗談めかして言ってやろうと考えた。
「アンジェラー今すぐ部屋に来てくれー」
棒読みもいいところな演技に、俺が冗談を言う前に妹がケラケラと笑いだす。
「ちょっと酷過ぎるって。演技の才能なさすぎでしょー」
「お前、素人に何求めてるんだ」
「いやいや、にーちゃんは私のアバターを貰った以上、これからビッグになって貰わなきゃ困るわけですよ」
「お前はまず兄貴をビッグにする前に相方探しを頑張れよ」
「いやー誰か都合のいい人材いないもんですかねー」
「ガワは最悪お前が作ればなんとかなるにしろ、条件に合うかがな」
「ちょっとにーちゃん、アバター作るのだって簡単じゃないんだからね」
睨まれる。
「悪いな。でもお前のアバターの出来を見込んでのことだ。お前と一緒にアイドルをやる以上、一方的な引き立て役になられて、すぐにユニット解散じゃ困るだろ」
おべっか八割の言い訳であったが、妹はそれに気を良くして「まあ、そんじょそこらのアバター制作技術もってる奴とは違うからね!」と鼻を高くする。
嘘はすぐに気がつく癖に調子乗りやすい。扱いやすいのか扱いにくいのかよくわからない奴であった。
妹とのおちゃらけを終えて、いつもの公園へとアンジェラを探しに行こうかと思っていたらチャイムが鳴った。
妹と顔を合わせる。
「にーちゃん、何も通販とか頼んでないよね?」
「頼んでないし、唯一アポなしで来そうな桜庭はクソほど忙しい」
恐る恐るインターホンモニターを確認すると先ほど馬乗りにされた金髪少女がそこに立っていた。
通話ボタンを押すと微笑を携えて少女は言う。
「きちゃった」
妹が「にーちゃん、あいつヤバい女だよ。縁切った方がいいって……」と本気の声色で諭された。正直、揺らぎそうだった。
アンジェラを再び部屋にあげた。もっとも最初は不法侵入なため、招く形は初となる。
妹は再度邂逅したアンジェラに「塩まけ! 塩!」などと騒ぎ出す。たしかにオカルト的な存在ではあるが、神様になろうという存在に清めの塩は効くのだろうか。むしろ、穢れがさっぱり落ちてより神性が増しそうな感はある。寝起きに馬乗りするような穢れなら落ちてくれた方がいいまである。
「アンジェラ、どうやって俺が呼ぼうとしたタイミングがわかったんだ?」
本題に入る前に訊いた。
「乙女の秘密……と言いたいところだけど、妹さんの機嫌をこれ以上損ねるのはよくないわね」
騒ぐ妹をアンジェラがちらりと見てそう言った。
「昨日の戦いの前におでこに指をあてたでしょう。戦う力を与える以外にもあたしの在り方を変えたの。有り体に言うと、魂で繋がったってことね。だから、近くにいて欲しいと願われればそれがあたしにすぐ伝わるのよ」
妹がそれを聞いて怪訝な顔をする。
「無断でやったってことはそれ盗聴器仕掛けたようなもんじゃん」
「せめて防犯カメラって呼んでほしいわ」
「知ってる? 防犯カメラもプライベートを守る必要があるんだけど」
「神に人の理屈なんて関係ないわ」
「その人様が作ったものの神になろうとしてるくせによく言えますねぇ!」
画面越しのやり取りでなければ今にも取っ組み合いを始めそうな二人。半神同士の二人からすると対立するのは真っ当であるのだが、その内容があまりにも幼稚過ぎる。どうせ争うのならば人類の今後とかで対立して欲しい。
「二人ともストップだ。喧嘩ならあとでやってくれ」
不毛な議論に疲れたのか二人は俺の言葉に従う。
「アンジェラ、樹神さんから会って相談したいと連絡があった。会ってくれるか?」
嫌そうな顔をされる。
「嫌なのか?」
そう問いかけるとアンジェラは頷いた。
「好き勝手やってる手前、顔を合わせにくいの」
妹と冗談で話していた「優等生だった子がグレて、恩師に顔を合わせにくいから逃げ回ってる」説がまさかの正解だった。
妹に視線を遣ると悪いことを思いついた顔をしていた。これはアンジェラにやり返す起点を見つけた顔であった。悪意がある顔であった。ここでまた騒がれては進む話も進まない。機先を制するために先に口を開く。
「メインはエネミー討伐作戦のことだと思うが、他にも気になることがあるとも言っていた。俺に聞かなかったことを見るとアンジェラじゃないとわからないことだったりするんじゃないか?」
妹がじっとりとした視線で何かを訴えてくる。せっかくのチャンスを潰されたことを訴える目だ。その視線を睨んで打ち返し、「邪魔するな」という言葉も添えた。
アンジェラは指に金髪を巻く。しばし考え込み、嘆息を漏らす。
「わかったわ。天樹会に行くときは呼んでね」
「ああ、感謝する」
「仕方ないわ。神様から御指名を受けたと思うことにするわ」
そう言ってアンジェラは強がった。
嫌々というのが伝わるぐらいの強がりようであった。
それは俺の話が終わったことを告げるもので、妹という名の狂犬が「待て」から解き放たれるものであった。
今日何度か目となる口喧嘩大会が始まるのであった。
俺は我関せずを突き通す。そこで小腹が空いたことに気付き、素パスタを作り、それを喧嘩する二人を眺めながら食した。
気分は愛人同士の殴り合いを眺めながらゲルニカを描くピカソのようであった。
****
翌日、俺とアンジェラ、携帯に入った妹とともに天樹会に赴いた。応接間に通された俺らは会長である樹神さんを待つことになる。
アンジェラは珍しく緊張した面持ちでただでさえ小さい体躯を縮こませていた。彼女にしてみれば上司にあたる人に呼び出されたようなものだろう。好き勝手やっていたところのお呼び出しとなれば、そりゃあ緊張の一つもしよう。
ノックの音がした。
過剰反応したアンジェラが聞こえた瞬間、バネでも仕込んでいたかのように背筋が勢いよく伸びる。
しかし、入ってきたのは樹神さんではなく北御門だったため、その背は空気が抜けたビニール人形のようにへなへなと丸まっていった。
「やあ、三刀さん。それに君も。今お茶持ってきて貰うように手配したから少し待っててね」
そう言って北御門はソファに腰かける。会長である樹神さんと親しそうにしてるからおそらく若くして天樹会の幹部なのだろう。俺も人を顎でこき使ってみたいが、そういう柄じゃない。きっと自分でやった方が早いなら自分でやってしまうのだろう。そして、自分でやって、部下を恐縮させるのだろう。
「北御門は天樹会じゃどういう立場なんだ?」
「一般信者には幹部ということで誤魔化してるけど、実際は外部協力員で派遣されてるみたいな感じかな。まあ、小さい頃から天樹会で育ってきたから下手な会員よりも会員らしいよ」
同じ会社に出向され過ぎて、もはや元の会社よりも出向先に馴染んでしまった社員のようなことを言った。つまり、元となった派遣元があるわけで、それは一体なんなのだろうか。
その疑問にはアンジェラが答える。
「北御門は退魔師なのよ。代々続くね」
その回答に北御門が補足を付け足す。
「退魔師と言っても現代じゃ戦うことなんてほとんどないけどね」
まだ、樹神さんが来なさそうなので話を続ける。
「二人は顔見知りだったのか?」
それにはアンジェラが答えた。
「互いに顔を知ってるぐらいで話したことはないわ」
「それじゃ話すのは今日が初めてか?」
「いいえ。以前、刀向けられたことがあるわね」
あの時か、と理解する。
俺が公園でアンジェラから勧誘を受けた時のことだ。あの後は樹神さんがすぐに現れて、アンジェラが去ったから二人はまともな会話をしていない。今思えばアンジェラは顔を立てると言っていたが単に気まずくて逃げただけであった。それっぽく言っていたため誤魔化されたことに今更気付く。
アンジェラに目を遣ると、俺だけに聞こえるよう小さな声で「秘密ね」と口にした。
「北御門はよく刀を向けた相手と同席しようと思ったな。気まずくはないのか?」
「退魔師って国営ヤクザみたいなものだから、割り切ってるかなぁ。拘束した妖怪と話が合っちゃて困るみたいなことあったりもしたしね」
さらっと妖怪に対して武力行使経験があることを言うあたり、随分現実離れしたところまで辿り着いてしまったなと思ってしまう。つい一か月ほど前まで妖怪、精霊なんてものは空想上のものでしかなかった。今ではそれに囲まれて、もとい半神同士の喧嘩を見守ったり、妖怪を捕まえる退魔師と雑談したり、そいつらが行う会議をセッティングしたりしている。
妹起点のはずが、なし崩し的に俺を中心に回っている気がする。
俺自身は元々単なる怠惰でシオミン推しな大学生のはずなのだが。
「お、もう集まっとるやん」
樹神さんが応接間に入ってくる。
いや待て、俺。元々アンジェラがいればいいだけの会議だ。俺はもしかすると必要ないのかもしれない。
「俺は不要ですよね」
そう言って席を立とうとする。
するとアンジェラに袖を掴まれ、北御門も止めるために慌てて立ち上がり、樹神さんには呆れ顔をされた。
「アホちゃうか。君がおらんかったら進む話も進まへんで」
どうやら俺が巻き込まれること前提のようだった。
樹神さんがソファに腰掛ける。
「そんじゃ始めよっか」
そんな一言で始まった。
元々の議題として考えられていたアンジェラをエネミー討伐作戦に赴かせないというものはアンジェラに一蹴され、樹神さんも「やっぱりアカンかぁ」で終わらせた。樹神さんにしてもダメもとで訊いてみたという温度感に近く、断られても仕方ないで終わらせていた。
そうなると樹神さんが本題として挙げたかった議題は別にあるということだ。気になると言っていた件なのだろう。
「作戦に関してはどこまでやるのかとか細かく聞いておきたいのはあるけど、それはあとでいいや。実は他に神として聞いておかなアカンことがあってな」
樹神さんがそう前置いた。
アンジェラもそのことを話すために来たのか、作戦参加を拒否した時と目の色が変わった。
「精霊が集団で行方不明になって困ってるって話がウチのところに来たんや。何か知っとるやろ?」
精霊の行方不明。十中八九、雪山での戦闘の件が関わっているだろう。あの小憎らしい模倣犯が存在ごと喰ったゆえの行方不明。それは禁忌に触れるという。
アンジェラは立ち上がり、頭を下げる。
「先に謝罪を。現場に居合わせたのに凶行を止められず申し訳ございません」
樹神さんは謝罪を受け入れ、アンジェラに顔を上げさせる。
「そういうことなんやな?」
「はい」
「詳しく説明してるな」
アンジェラはブルースフィアであったことを説明する。
自身以外のエネミーが現れたこと。雪山で数多の記憶を奪った事件のこと。
それがアンジェラを嫌う一派の仕業だということ。
その一派に襲われ、俺と力を合わせて撃退したこと。一派の親玉らしき模倣犯が一派全ての存在ごと取り込んだこと。
その説明を聞き終えた樹神さんは深い息を吐く。
「……とりあえず二人が無事に帰ってきてくれて良かったわ」
樹神さんの隣に座る北御門が尋ねる。
「会長、禁忌を犯した者の処遇はいかがしますか?」
「宮内庁に連絡とってそっから退魔関係者各位に連絡いれて。電脳世界に隠れとるからあんま意味ないと思うけど周知だけはしといて」
「わかりました。すぐに連絡してきます」
席を立つ北御門。
樹神さんは立ったままのアンジェラに座ることを許可する。
「アンジェラやっけ? いい名前貰ったやん」
「ありがとうございます」
「由来とかあんの?」
「アングリーとジェラシーを掛けた名前となっています」
樹神さんは「マジか」という思いを込めた視線を俺にぶつけてくる。
「……女の子にそれはアカンやろ」
「あたしは気に入っておりますので、ご心配は無用です」
「アンちゃんがそう言うんやったら……まあええか」
「それに今となっては、あたしを嫌う一派に対して力を発揮できる名の方が都合がいいかと」
「考え方次第じゃそうなるんか」
「ええ。それにエネミー討伐作戦にも奴は現れるでしょう」
「やっぱそう思うか?」
「奴にとっては敵同士が潰し合う絶好の機会となります。漁夫の利を狙う可能性は高いです」
「なるほどなぁ。君はどう思う?」
樹神さんが俺に話を振った。
「……協力して迎え撃つという形に持っていくのがベストだと思いますが、無理だと思います。作戦参加者は、エネミーは敵だという認識があります。今回の事情について知っている者が指揮を執らないと両方を相手しようとして奴の一人勝ちになると思われます」
「ほなら問題ないやんけ」
樹神さんが続けて言う。
「君が指揮執ればええやん」
どこまでいっても巻き込まれる定めなのだ。
俺はそう悟った。
****
討伐作戦の指揮を執ることが決まってからは激動だった。俺以外の人たちが。
電脳科学庁が宮内庁に凸をかまされ、官僚同士が縄張り争いを始めた。神を知らない人と神を知っている人の前提が異なる争いは歴史上類を見ないほどの泥仕合の様相を呈したらしい。樹神さんからすると大昔に流行ったすれ違いコントのようだったという。あまりにも無駄な争いは勝手な真似をしてとっちめられた大臣と内閣総理大臣が出張って、それを終わらせた。さながら水戸黄門のようだったらしい。
樹神さんの意向はそのまま内閣総理大臣に伝えられ、そのまま内閣総理大臣の指示になる。こうしては俺は内閣総理大臣が直接指名した総指揮になった。
マスコミにもそう発表され、俺の名は世間に広まることになる。
内閣総理大臣からの直接指名のため、現場は大混乱。本来指揮を執る手はずになっていた桜庭からは電凸の嵐となった。開口一番「どういうことか説明しろや」とドスのきいた声が聞こえた。桜庭には神のことは言わないことが決まっていた。神を知る者は少ない方がいいという判断と説明するにはアンジェラのことが避けて通れないからだ。ゆえに現場の事情を知らない内閣総理大臣が国民向けパフォーマンスしたせいで総指揮になってしまったというカバーストーリーで桜庭を説き伏せた。
この発表で世間が揺れる傍ら、俺は魂の力を制御する特訓をしたが、芳しい結果は得られてはいなかった。明日の作戦に控え、今日は特訓は休みとなった。もとよりそんな一朝一夕で身に付けられる技術ではないが、俺にはそれ以上の素養がなかったようだった。匙を投げられたともいう。
決戦前夜。
一人落ち着きたいため、サービス再開したブルースフィアにログインしていた。
アカウントも量産型アバターの方で入り、敵も少ない海岸沿いでまったり佇んでいた。
月夜で風にあたり、潮の香りに癒される。
明日の今頃は銃を片手に、大勢の指揮を執るなんて慣れない真似をしなければならない。ならば今ぐらいは誰にも邪魔されず静かに心安らかに過ごしたい。
そんな俺の思いを嘲笑うかのように背後から声をかけられる。
「おひさ」
俺が失業騎士だった頃、知り合ったブランド女であった。ダンジョンで罵り合い、けなし合いをしてクリアした仲である。つまり、不仲である。
「ログインしてたからメールで一緒にダンジョン潜ろって誘ったのに全無視とかどうなってんの」
咎めるような口調。一言文句が言いたいがために俺がいる場所までやってきたらしい。なかなかのクレーマー体質だ。
「悪いな。一人になりたかったんだ」
「なるほどね。そんじゃお姉さんに悩みの一つでも話してみる?」
「誰がお姉さんだ」
「ま、中身おばさんかもしんないし、もしかしたらオッサンかもしんないしね」
肩をすくめるブランド女。
「でも誰だかわからない奴だからこそ言えることがあるかもしんないじゃん」
あくまでお姉さんぶるブランド女に毒気が抜ける。
「別に悩みっつーほどのことじゃねえよ。いつの間にか立場が変わり過ぎて、どうしてこうなったんだって思ってるだけだ」
「あーでもわかるかも。がむしゃらに頑張ってたら目指した場所とちょっと違う場所にいたとかはあるし」
「アンタはもう少し思慮深く生きてみた方がいいんじゃないか」
「その言葉そのまま返してやるけど」
ジャブの応酬を始めてみるも互いにそんな気分じゃないことが通じ合う。漫画で拳で通じ合うものと同じことが起きた。悪口の応酬で分かり合うなんて、ちっともロマンがないが。
「てかこっちの悩み聞いて」
そう言って俺の返答を待たずに語り出す。
「ノリで友達のほっぺにキスしたらドン引きされて無視されてるんだけど、どうしたらいいと思う?」
「お前は馬鹿か」
この夜は「誰にも邪魔されず静かに」という点では落第だが「心安らかに」という点では満点の月夜であった。
****
決戦当日となった。
作戦は十八時開始。作戦は既に共有されており、時間になったら各自ログインし、エネミーを待ち構える手はずになっている。
バトルロワイアルでの決戦が予定されている。国がメーカーに掛け合い、公には公開されない特殊設定のステージを作成してもらった。戦闘マップはデバッグマップ。テクスチャなどはなく、地面の形をしたモノクロステージに、立方体の白いオブジェクトが並んでいる。エネミーが近距離戦闘しかできないことを想定し、だだっ広く、高低差のあるマップ構成となっている。高速移動するエネミーに対抗するために、マップギミックによる高速移動が可能らしい。本来このようなマップは長射程が有利になり過ぎるため、敬遠されがちだが今回は本気で嫌がらせをやってみた形となっている。参加者はマップ散策を数日前からしており、頭に形状を叩き込んだ。俺も叩き込まれた。
テストマップのようなものだろうが、それなりに工数がかかっていそうだ。イコール金がかかっていそうということだ。つまりは俺たちの血税から作られている。国民に被害が出ており、その元凶を討伐するためという名目で見逃されているが、そもそもエネミーが現れなかった時を考えると末恐ろしいことになりそうだ。野党が税金の無駄遣いだと与党を攻撃する口実にはなるだろう。
もっとも現れたとしても討伐は敵わないのだが。
内閣総理大臣も電脳科学庁の大臣もそれを理解したうえで本作戦を決行している。電脳科学庁の大臣が発表してしまったので決行するしかなくなったともいえる。
そんな茶番劇と呼ぶに相応しい討伐作戦の指揮権のトップに俺はいる。指揮権のトップにいれども、現場判断はプロゲーマーチームの方が優れているため、緊急事態が発生しない限り俺からの指示は出ない。
神輿は軽い方がいいという理論に基づき、討伐作戦の顔として利用されている感は否めない。妹お手製アバターの顔がいいからそう感じるのかもしれない。けれどこの顔になってからニュースなどで紹介されるとき、当たりは柔らかくなった気がする。
桜庭からはエネミーに関しての情報をくれと詰められるものの「必死に逃げ回ってたら見逃された」と言って誤魔化している。ただ一点「エネミーが数体現れることがあるから。その時だけ俺に指示を出させてくれ」と言った。
「お前やっぱ色々知ってんだろ」
「色々あんだよ」
そう答えたら怪訝な顔をされるも「んじゃ俺も好きにやるわ」と諦めの顔をされた。
今は自宅で早めの夕食を取っている。
食費節約のため、素パスタだ。
「にーちゃん、もう少しいいもの食べなよ。身体壊すよ?」
もはや身体がない妹に心配される。
「まだ若いからいける」
そう言ってテレビを点ける。
そこでは特番が流れていた。今回の作戦は生中継で放送される。そんな予定はなかったのだが、お偉いさんの間でそういう話が挙がったらしく急遽放送が決まった。メーカーにとってはゲームの宣伝、プロゲーマーチームは知名度向上など、討伐作戦が成功すれば美味しいものだったため、この賭けに乗った。損しかない俺の意向は無視された。
特番では定点カメラ、各自のプレイヤー視点から戦場が見れるようにしていると伝えられた。大会などで見られる手法をそのままテレビ中継に応用しているらしい。
特番の司会が有識者であるという人物に話を伺う。
「本当にエネミーは現れるのでしょうか?」
「現れるでしょう。配信者を中心に狙う、ネットアイドルである汐見柚子さんの生配信で目の前に現れる、これらのプロファイリングの結果からエネミーを操っている人物は、目立ちたいという意識が強くあるものだと思われます。日本のみならず世界中が見守ることになる戦いとなれば、きっと現れるに違いありません」
警察関係者らしいが、裏事情を知っている身からするとズレたように感じるが、世間からはそのように見えるのだろう。
「にーちゃん、そろそろ入っておいた方がよくない?」
作戦開始十五分前。
出撃準備室に入るにはちょうどいい頃合いであった。
****
出撃準備室に入ると既に多くの作戦参加者が集まっていた。俺でも知っている名のあるプレイヤーもいれば、野良で活躍している実力派もいるらしい。実力的には場違いも甚だしい俺がログインしたことで視線が集まる。頭を下げ、そそくさと隅っこに移動しようとした。
「おー! 英雄が来たぞ!」
その掛け声でわらわらと集まったそいつらはで俺のことを取り囲んできやがった。
俺が総指揮を執ることが気に入らず、文句でも言いに来たのかと身構えるも雰囲気が考えていたものとは違った。アンチが持つとげとげしい感じはなく、手荒くはあるのだが、むしろ親愛を込めた何かに感じた。
そいつらは口々に好き勝手言う。
「お前最初戦った時よく生き残ったな」
「俺でもやられたってのによく勝てたな」
「アバター変えたんだろ? 俺は量産型の方が硬派で好きだったなー」
「妹紹介して」
などなど返答を待たずに好き勝手に投げ込んでくるもんだから、俺はオーバーフローして固まる。
そうしていると「ちょっと通してくれ!」と聞き馴染みのある声がした。人混みを掻きわけて進むのは細身で目が切れ長のイケメン社長然とした風貌の男であった。つまりは桜庭である。
「こいつコミュ障だからそんな虐めないでやってくれ」
「誰がコミュ障だ」
「お前以外にいないだろ」
「お前も似たようなもんだろ」
そんな掛け合い漫才していたら周囲から笑いが漏れる。
「孤高とか言われてる奴もリアル知ってる奴からすると形無しだな」
爆笑が巻き起こる。腹を抱える奴や大口を空けて苦しそうにする奴、皆それぞれ好き勝手に桜庭を笑い者にした。
笑いが収まった頃を見計らって桜庭は俺に言う。
「こいつら馬鹿だし口も悪いが気はいいやつらばっかだ。心配すんな」
桜庭の言う通り、悪い奴等ではないのだろう。初対面なのに肩に手を回してきたり、俺の反応を見ずにネタにしたり、荒いコミュニケーションの仕方であるが悪い雰囲気はなかった。空気が読めない「妹を紹介しろ」なんてものも身内ネタみたいなものなのだろう。周囲からボコボコにされているのも荒い肉体的コミュニケーションだと思えばそう見えなくはない。
少しして参加者全員が揃う。
演説が慣れていない俺に代わり桜庭が作戦を再度確認する。
今回は特別ルールによりアイテムを拾う必要はなく、事前に申請したアイテムを初めから所持している状態で始まる。ゆえに降りる場所は同じで問題なく、近接戦闘に対し有利に戦える高低差と障害物の多い地形である街を模したマップ。
フレンドリーファイアによる体力減少はないが、ヒット判定はあるので怯みが起きる。射線上に仲間がいないことが望ましい。
エネミーが現れたあとは戦闘が発生した場所によって適宜、戦闘方法を変える。だが基本は高台を取り、囲んで下に向かって撃つこと。
一通りの説明を終え、あとは戦闘開始を待つだけになる。
エネミーに対する意気込みを語ったり、あと少し待てばアップデートで能力の組み合わせができるようになるのにと突発作戦の至らなさを指摘したり、デバッグ機能で無敵化とか使えないのかななどと真正面から戦うことの意義を唱えたものもいた。
指摘できないが、それはアンジェラが許さないだろう。
アンジェラが望むのは真正面からの戦いであって、チートはそれから逸れる。記憶を奪うことに対する矜持なのだろう。そもそもチートを使ったところで、アンジェラはシステムを改竄できるから無意味であろう。毒を以て毒を制すみたいなものだ。
問題は禁忌を破ったアイツも同じことができてしまうことだ。
ゆえにアンジェラとアイツが現れた時の作戦を一つ決めていた。
アイツが現れた時、そこからが本当の作戦の始まりとなる。
「……時間だな」
カウントダウンが始まった。
****
カウントダウンが終わり、マップを横断する飛行機から各自事前に割り当てられた場所へ降り立っていく。今回は装備集めがないので開始してすぐに各自位置取りが終わる。あとはエネミーが現れることを待つだけになる。
俺はビルを模した建物の屋上で桜庭と二人でアンジェラが現れるのを待っていた。アンジェラとの取り決めでこちらの準備を終えたら現れると言っていたので、程なく現れるだろう。
桜庭は静寂が張り詰める中、俺に声を掛けてくる。
「ブルースフィアでの戦いについてだが、どうして誰にも言わないんだ?」
あの戦いについては一部の人――天樹会や政府関係者しか事実を知らない。
「言っても信じられないことが多いんだ」
「それは俺でも言えないのか?」
「言えないな」
「今更信じられないことなんてないぞ」
「お偉いさん方に口止めされているんだ」
桜庭は黙り、そしてまた訊いてくる。
「天樹会に勧誘された件が関わっているのか?」
俺と天樹会との関係について知らない桜庭がそれを言い当てたことに驚き、言葉が出なかった。
「沈黙は肯定と見なすぞ」
桜庭は次の言葉を紡ぐ。
「お前は宗教に染まらない類の人間だ。それが宗教にハマるなんてえられない。エネミーの正体もしくは関連する何かを掴んだんだろう。俺に伝えないことを見るに、お前にとって、いやお前の妹にとって有利なことだったんだろう」
土壇場で訊いてくることではない。
いや、確信を持っているため、逃げ場のない状況を作って訊いてきたのだろう。
俺は桜庭に問う。
「お前はそれを誰から聞かされた?」
全ての地形表現にノイズが走った。
それから間もなくエネミーが現れたとの報告があがる。
本来はそのまま各自作戦に入るはずであったが、俺や桜庭に指示を求める声が届く。「エネミーが出現した!」「二体同時だ!」「白と黒、二体いるぞ!」という声が戦場で響き渡る。
白はあの男子、黒はアンジェラだろう。
混乱する戦場は俺らに指示を求める。
桜庭は俺に銃を向ける。
「アイツは言った。麗子の記憶を奪ったのは今現れた黒いやつだと」
「だが妹を殺したのは今現れた白いやつだ」
互いに譲れない一線。
取り戻さねばならないものと守らなければならないものの違い。
それが今、敵対という形で現れる。
――瞬間、桜庭の回し蹴りが俺の腹に沈み込む。
ダメージ判定はない。
そう聞いていたが実際にはダメージ判定が発生した。
そして、現実と同様の痛みが俺を襲う。
息ができず、後ろに倒れ込み、高台から落ちる。
落下していく中、これは俺がアンジェラにしてもらったまじないと同一のものだと理解した。
桜庭が落ちていく俺に銃を向け、発砲する。
鈍痛に耐え、俺は空に向かってシールドを展開する。
突発的なもので心を込める余裕はほとんどなかった。もとより強度のないシールドは、重ねて張ったにも関わらずほとんどが砕ける。だが幸運なことにアバターに当たる弾は防ぐことができた。
だが、落下ダメージによって、瀕死レベルのダメージを受けることになる。
墜落を見届け、射程外になってしまったことを確認した桜庭は宣言する。
「三刀がエネミーと内通していた! これより総指揮は俺が執る!」
桜庭の宣言により、戦場は混沌と化す。
エネミー同士が争いを始め、作戦参加者は桜庭の宣言に混乱し、それが隙となりエネミー同士の戦いの余波で散っていく。
そんな中、桜庭が指示を出す。
「黒い方が内通していた敵だ! 白を援護しろ!」
混乱していた作戦参加者はそれぞれ了解の意味する言葉を発し、それに従った。
「俺は三刀を追う! 射程が届かない奴らはこちらを手伝ってくれ!」
続いた桜庭の号令。
これ以上の不利な状況は作り出されたくまいとこちらも声を張り上げる。
「桜庭の妄言に耳を貸すな! 今はエネミー優先のはずだ! こちらに手を貸すな!」
英雄と呼ばれた男の言葉。だが一か月前までは一般人だった急ごしらえの英雄の言葉は、競い合う間柄の信頼関係には勝てなかった。
俺の言葉に返答はなかった。
あちこちのビルからプレイヤーがこちらを覗く目が見えた。それらは狩人の目をしていた。獲物を逃すまいと、息を忍び、獲物を追い立て息の根を止める。そういう死の間際にある高ぶりを生きる糧にしている者の目であった。
プロゲーマーのみならず競技者はその傾向があるのだろう。競い勝利する、そのためならばどんな地道な苦労も厭わない人種。努力家、スパルタ、なんて言葉では生温い。一種の狂気に落ちなければ見えない世界があるのだろう。
その世界の上澄み達が今、俺に狙いを定めていた。
心が冷えた。
燃える魂はない。
昂ぶらない。
だが冷静になれた。
今の設定ではフレンドリーファイアは効かない。唯一の例外として、まじないによる心を込めた攻撃。これはあの男子と交流があったと思われる桜庭にしか使えないだろう。
しかし、拘束するだけならば、このゲーム由来の能力を用いればできてしまう。今回の戦いでも、アンジェラとの最初の戦いでも選択肢したシールド生成能力。この能力は正六角形を組み合わせて形状を変化できる。以前はグレネードを運ぶために形状変化させていた。拘束するためならば体に巻き付くように形状変化させれば叶えられるだろう。
能力によってできることは異なるが、想像力によっていくらでも補完できてしまう。
相手は熟練。
いつまででも逃げおおせることはできないだろう。
ならば俺が今ここで成し遂げなければならないことはんだ。
あの男子を倒す。
アンジェラを逃がす。
この二点だ。
俺の無事は努力目標に過ぎない。最悪、アンジェラさえ無事ならば俺の意志を継いでくれる。その場合、妹とアンジェラが険悪なことが気掛かりだがなんとかなるだろう。
まずはここを切り抜け、アンジェラのもとまで辿り着く。
先日妹が投げ出した超高難度ゲームと同じだ。成功は難しく、一つのミスで積み上げてきたものをすべて失うものだ。それをプロゲーマー相手に行う。違うのは最初からやり直すことすらできない。一度きりの挑戦だけだ。
糞ゲーだ。
けれど、やらなければならない。
間違いだらけの世界で己を貫く強さを求められているのだから。
駆けた。
アンジェラのいる方向へ。
襲い掛かるは敵の波。
数多の能力が行くてを阻む。
地面がぬかるみ、煙幕が視界を遮り、瞬間移動してきた敵が取り押さえようとしてくる。
逃げに徹し、捕まりそうになる度にシールドを生成し、難を逃れる。その度に生成に必要なエネルギーを消費し、五分も過ぎる頃には残量は底をついた。
それは逃げる手段がなくなることを示していた。
プロゲーマーに囲まれる。
少し離れた先でエネミー同士が戦闘している様子が見えるぐらいに近い。
プロゲーマーは勝ち誇った顔で口々に言う。
「英雄つってもこんなもんか」
「いやいやむしろ善戦しただろ。俺ならここまで逃げられねえよ」
「でもダメージを与えられない縛り付きだからなぁ」
もう逃げられないと確信し、好き勝手に言う。
事実、もう逃げる手段がなかった。
十数人のプロゲーマーは、俺から数メートルほど距離を取って取り囲んでいる。俺が何か悪足搔きをしても、対応できる距離にいる。今の俺に何ができるわけでもないが、それでも彼らは軽口を叩いても警戒だけは怠らない。
桜庭が追いつき、俺の前に立つ。
「よう、親友。悪いが向こうが決着つくまで大人しくして貰うぞ」
「こんな状況でも親友って呼んでくれるのか。嬉しいな」
「俺とお前の仲だろ。殺さなきゃいけない状況になっても呼び続けてやるよ」
「やっぱ頭いかれてるな、お前」
逃げ出せる手段がない以上、ここに釘付けにされる。こうなってはアンジェラが一人でプロゲーマーとあの模倣犯を相手にして生き延びなければならない。
いや、桜庭がいる以上、アンジェラは不利になる。
やはり無理矢理突破する他ない。
タイミングを図ろうと周囲に気を配る。
その中で一人桜庭に近づく奴がいた。
「サクラバさんさぁ、こうして逃げられなくなった状況を作ったんだから何が起こっているか教えてくれね?」
肩を組んでくるそいつを桜庭は払いのける。
「悪いな。非科学的なことが多いせいで今説明しても信じてもらえそうにないんだ」
「そっか」
そいつは言う。
「ならお前も信じられねえな!」
そいつの体から煙幕が噴き出て、辺り一面を覆う。
その場にいる全員の視界が奪われ、何も見えないなか誰かが俺に触れる。そいつは耳元で「逃げるぞ」と言った。
次の瞬間、浮遊感に襲われる。
俺は空の上にいた。
その次の瞬間にはビルの上に。
さらに次の瞬間にはとある丘の上にいた。
その位置はエネミー同士の戦闘が見下ろせる位置であった。
「もう運べない。あとは自力で逃げてくれ」
瞬間移動の能力者はそう言った。煙幕を出した人物とは別人であった。
「俺を助けていいのか?」
そいつに問うと、くしゃくしゃな笑顔をされた。
「二人とも俺らが知らない情報持ってんだろうけど、孤高の人とか言われてお高く止まってる奴よりもアンチに叩かれまくってでも作戦に参加したアンタを信用する」
まさかアンチに叩かれまくったことがここに来て活きてくることになろうとは。
「助かった。それじゃ行ってくる」
再び走り出す。
後ろから見送りの声が届く。
「煙幕出した奴さー! 妹さんのファンだからそのうち会わせてやってくれー!」
あの煙幕、出撃準備室で妹を紹介してくれと言った奴だったのか。
俺が無事だったのならば、いずれ機会を作ってあげよう。
そして、舞台はエネミー同士、プロゲーマーがそれを討伐しようとひしめき合う戦場に移り変わる。
桜庭が出した指示により、アンジェラは防戦一方となっていた。
白いエネミーである模倣犯がアンジェラを責め立てる。隙をみて反撃に転じようとしても、周囲のプレイヤーがアンジェラに攻撃し、それを許さない。さらに不利な条件としてアンジェラは対等な立場での戦闘を望んだ。ゆえにプレイヤーの攻撃によるダメージが通る。だが相対する模倣犯はプレイヤーからの流れ弾に当たってもダメージが通っていないようだった。
白と黒のエネミー同士の争いとそれを支援するプレイヤーは、まるで悪魔を討伐するために遣わされた天使と勇士のようであった。
この光景が全国放送されている。
黒のエネミーは、アンジェラは、大衆の目には悪者のように映っているだろう。
今からアンジェラを助けに入る。
ここから先は引き返せない。
ポイントオブノーリターンだ。
俺は今から民意の敵になる。
障害物に隠れながら、素早く進む。
アンジェラを攻撃するプレイヤーの背後へ向かって。
だだっ広い広場と言えど、アンジェラと模倣犯が戦っているのは上空であり、下方向への注意は散漫になっていた。
ゆえに気付かれずその視界に映ることなく移動が完了する。。
プレイヤーまでは約十歩ほどの距離。
俺は叫ぶ。
「アンジェラ! 作戦開始だ!」
そして、プレイヤーに向かって駆ける。
片手に高周波ブレードを携えて。
プレイヤーが俺の存在に気付き、振り返る。銃を構える。互いにダメージを与えられないものだと理解していても、それは長年の経験に基づいた反射的行動であった。
発砲。
乾いた音が俺に触れる。
ダメージはない。
そのまま突き進み、高周波ブレードを振りかぶる。
無駄だと言わんばかりの笑みをしたソイツに向かって振り下ろす。
高周波ブレードが切り裂く音、ダメージエフェクトとしての血、そしてダメージ表記が現れる。即死のそれであった。
ソイツは信じられない顔を残し、死亡後に現れるアイテムボックスに姿を変えた。
「悪いな。もうなりふり構わってられなくなったんだ」
聞こえていないだろうソイツに言った。
アンジェラと予め決めておいた作戦。それは俺の攻撃だけ味方へのフレンドリーファイアを許可するように設定変更すること。プレイヤーとあの白のエネミー問わず、正々堂々と戦いたいアンジェラにとって、俺が攻撃を加えられるようにすることが最大限の譲歩であった。
俺がプレイヤーを狩り、アンジェラが作戦に集中できるようにすること。これが作戦であり、俺が裏切り者に映る最終手段であった。
次の標的に向かって走り出す。
事前に各自の攻撃位置は頭に入れておいた。あとはそこへ向かい、殺るだけ。それを繰り返し、アンジェラに有利な状況を作っていく。一人、また一人狩る。キルログが流れ、俺がプレイヤーを狩っていることに気付く奴が増えていく。反撃を試みてみる者、持ち場を離れて逃げ出した者、命乞いをする者、理由を問う者、様々な態度で出迎えられた。
逃げ出した者以外は残さず殺し、ゲーム外へと退去させた。
戦場から銃声は止み、エネミー同士が殺し合うだけの場となった。
あとは模倣犯を打倒する。それだけだった。
白と黒のエネミー同士がやり合う戦場。
そこへ続く一本道にそいつはいた。
「よう、親友。チートに手を染めるのはどうなんだ」
「お前こそ無暗に力を求める姿勢はどうかと思うぞ」
桜庭
桜庭が高周波ブレードを取り出す。
「ま、かくいう俺も使うけどな。目には目を、チーターにはチーターってな」
どうやら銃ではなく高周波ブレード同士の敵対を望むらしい。
「銃じゃなくていいのか」
「もう飛び道具でむやみやたらに消費できるほどの精神力は残ってねえよ」
桜庭の力は打ち止め間近。それさえしのぎ切れば俺の勝ちだ。
だが懸念がある。
作戦への参加が決まったあと、俺はアンジェラと魂の力を扱う訓練を行った。その中で判明したことがあった。俺は出力を抑えるのが非常に苦手だということだ。馬鹿みたいな量を誇る心の力に対し、それを抑えるバルブが馬鹿で調整が非常に難しいのだという。オンオフしかできないスイッチみたいなものだと言われた。秀才だったアンジェラはその感覚がどうしても理解できなかったようで、いずれ専門家から指導を受けた方がいいと匙を投げられてしまった。あの模倣犯との決戦で下手な小技で消耗するよりも、一発を必ず当てる状況を作る方がまだ簡単だろうという程度には無理だと言われた。
それがここにきてアダとなった。
魂の力は僅かしか使えず、近接戦闘のみとなったが相手は桜庭。日本を代表するプロゲーマーの一人だ。戦闘技術においては上澄み中の上澄みに位置する。
対する俺は魂の力だけが馬鹿みたいに多いが出力調整ができなず、戦闘技術はいいとこ一般人より多少マシな程度。ゲーマーには劣る。プロゲーマーなんて雲の上の存在だ。いわば制限時間つきの無敵と一撃必殺が組み込まれた雑魚。ラッキーヒットを期待するしかない。
対等なようで圧倒的な差がそこにはあった。
俺も高周波ブレードを構える。
間合いに入る。
桜庭の狙いは手数で摩耗させること。
対する俺は一撃を当てること。
これは魂を削る戦いである。
桜庭の剣は縦横無尽であった。至る方向から振り下ろし、切り上げ、突く。それが絶え間なく襲い掛かる。
全身に魂の力を張り巡らせ、耐える。痛みはない。魂の力による防御のおかげでフレンドリーファイアによる体力の減少もごくわずか。だが、ゲームシステムによるヒット判定だけは残っていた。打たれる度に身体がぶれる。堪えようにも意識外から捉え続ける剣のせいで強張るだけで精一杯だった。反撃する余裕はない。
削られる。
魂が、心が削られる。
頑強であった肉体が痛みを覚え始める。
苦痛に歪んだ顔に桜庭は勝機を見出す。
桜庭の剣が大きく引き、真っ直ぐ飛んでくる。
それは俺の胸を貫通した。
焼けるような痛みが身体の内側から全身へと蝕む。
膝をついてしまう。
殺される。
そう覚悟したと同時に桜庭も膝をついた。
その場に倒れた桜庭は意識不明による強制ログアウト処理が働き、その場から消える。死亡判定によるアイテムボックスが代わりにその場に残された。
魂の力を使い尽くしたのだ。
試合に負けて、勝負に勝った。
だが、その代償は大きかった。
魂は限界まで削られ、全身が割れるような痛みに襲われている。
とても戦えるコンディションではない。
戦いに向かったところでアンジェラの足を引っ張るだけだ。
踵を返し、アンジェラの無事を祈るのが最適解。
それは理解した。
一本道の先で戦う二対のエネミー。
そのうちの白と目が合った。
戦場は俺を逃がすつもりはないようだった。
白のエネミー。あの憎たらしい模倣犯。
アイツが俺を見つけた。
片手に剣を携えて、白磁の身体が迫ってくる。それを阻止すべくアンジェラがその横につく。高速で突き進みながらの攻防。身体をぶつけ、剣をいなし、鉤爪を躱す。我先にと一瞬の隙を探し続けるそれはさながらカーチェイスのようだった。
その先に待つのは動くこともままならない俺。
エネミー同士の戦いにおけるゴールラインは俺だ。
ならばチェッカーフラッグを振る大任を果たそうではないか。
高周波ブレードを上段に構える。
刃に心を乗せる。
先の戦いで消耗しきったそれはもはや攻撃を防ぐほどの量はない。ならばなけなしの力を全て乗せ、一撃に全てを乗せる。それに望みを賭けるしかアンジェラを手助けする道は残されていなかった。
刃に心が集まる。
体に残された心というノイズがなくなる。
静かであった。
心の底にいつもあった影がなくなった。
代わりに感覚が研ぎ澄まされる。
デジタル信号でしかないはずの世界で、身体が世界と繋がる感覚を覚える。
足は大地に根付き、腕は重力から解き放たれたように軽く、目は空にあった。
ただ――切る。
それだけがあった。
目測五十メートル。
エネミー同士のいざこざが続く。
目測四十。
黒が大きく鉤爪を振り下ろす。
目測三十。
白がそれをひらりと躱し、前に出た。
目測二十。
白が横薙ぎの構えを取る。
目測十。
白が薙ぎ払う。
俺は構えた足を一歩引いた。
白が振るった剣先が鼻先を掠める。
そして、高周波ブレードを振り下ろした。
刃が白の肩に振れ、唸り、めり込み、切断した。
背後で白の腕が落ちる音がする。
それに伴い白自身も止まった。
俺は身体に力が入らなくなり、その場で膝をつく。
どうにか首を回し、後ろに目を遣った。
化け物が眼前に迫っていた。目を持たず、獰猛な牙を持った蛇のようなもの。精霊たちを喰らったそれが俺を喰らおうと迫っていた。
それは切断したはずの腕から伸びていた。
――死んだ、な。
そう思った。
――あとはアンジェラが上手くやってくれるはずだ。
そう願った。
目を瞑る。
身体が横からの衝撃を覚える。
身体が衝撃を受けた先へ浮かんだ。
痛みはない。
ビルに身体が打ち付けられる。
ビルが倒壊し、崩れ行く中、見えてしまった。
俺を庇い、喰い千切られ、胴体と下半身が分かれたアンジェラの姿を。
ビルの倒壊に巻き込まれ、残り体力が尽きる。
俺はアンジェラの最期すら見届けられなかった。