曇らせ剣士シド   作:埴輪庭

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屑と紫毒姫③

 ◆

 

 それから5年が過ぎた。

 それ程の長期間シドがルベラベラ子爵家にかかりっきりと言うのは、一般的な冒険者の常識ではあり得ない事である。

 

 だがシドは一般的ではない。

 

 輪廻の呪いは彼が自ら掛けたものである。

 

 かつて某国の騎士団長であったシド・デインはその極まった忠誠心により、自身の死後も王統が健全に継がれるか、祖国が健やかに在り続けるかを自身の眼で確認し、国を永遠に護り続けたいと願った。

 

 当時は真人間だったのだ、彼とて。

 

 だが、そんな崇高な思いも100年200年…1000年と続く内に擦り切れてしまう。

 輪廻につぐ輪廻、転生につぐ転生で彼の精神は摩耗し、もはや烈日に焼かれる砂漠のほうがまだ潤っているだろうという有様だ。

 

 そんな人生を繰り返す事にシドはもはや苦痛を覚える心のリソースすらも無かったのだが、何百度目かの人生で彼は自身の精神が潤う瞬間を見つけてしまった。

 

 それは彼を慕う女性の悲痛、悲哀…そういった感情を彼自身に向けられる事。

 要するに、彼に焦がれる女性の為に生き、尽くし、最期はその女性のために命を投げ出す事で得られる感情の波動に快感を覚えるようになってしまったと言う事だ。

 

 何ゆえに彼がその様な性癖を持つに至ったのかは定かではないが、それは一種の防衛本能の様なものだったのではないだろうか?

 

 人の基準では無限に続くであろう悠久を耐え抜く為に必要な事は、自己への強烈な承認に他ならない。

 

 自分が自分である事、シド・デインである事…こうした強固な自我を柱としなければ積み重なる時の重みに耐えかねて、精神は立ちどころに崩壊してしまうだろう。

 

 彼の精神的本能はそれを察知し、自己への承認欲求を満たす方法をひねりだしたのではないだろうか。

 

 いずれにしても悪趣味な話ではある。

 

 タチが悪いのは、彼自身が女性に非道・無道を働くわけではないという点だ。

 むしろ女性の為に身を投げ出してすらいる。

 彼が身を投げ出さなければ無惨に屍を晒した女性も数知れない。

 

 しかし、慕った、愛した男が目の前で死んでいく様を見せつけられる女性の気持ちを慮れば、やはりこう言わざるを得ないのだ。

 

 シドの屑野郎、と。

 

 ◆

 

 話は戻る。

 

「休憩にしよう、お嬢様。馬が大分疲れている」

 

 シドが言うと、フェリシアはぷくりと頬をふくらませた。

 

「わたくしはもうお嬢様ではないのですよ。幼いながらもルベラベラ子爵家の当主として立つにたる年齢を迎えましたし、わたくしを呼ぶならばご当主様が適切です」

 

 ふっとシドは苦笑して言った。

「失礼しました、御当主様」

 

 で、でも、とフェリシアがなおも言う。

 

「二人きりの時は、その…お嬢様でもいいですけど…名前で呼んでくれると嬉しいのですけれど…」

 

 シドは一瞬ニタリとねちっこい笑みを浮かべかけ、すぐにいつもの淡い笑みを浮かべながら言った。

 

「フェリシア」

 

「はァ…っ、は、はひ」

 

 フェリシアの頬がボウっと火が灯ったように赤くなり、つっかえながらかろうじて応えを返す。

 

 ここまでのやりとりを見れば分かるが、フェリシアはシドに惚れていた。

 というより依存していた。

 

「あ、シドさん…頬に血が」

 

 フェリシアが言うなり手を伸ばしてくる。

 シドは優しくその手を差し止め、逆の手で血をぬぐった。

 流石に貴族のお嬢様に不浄を触らせるわけにはいかないからだ。

 それが表向きの理由。

 

 だがシドの気遣いが癪にさわったのか、フェリシアはまたもや頬をぷくりと膨らませた。

 シドは苦笑し、彼女に詫びる。

 フェリシアの手に触れた指を彼女には決して見せないようにして。

 

 なぜなら指の先が焼け爛れていたからだ。

 フェリシアの毒気が強まっていた。

 シドが常に張り巡らせている防護を貫く程に。

 それが裏の理由である。

 

 ◆

 

(とはいえ、予想通りだ。あの手の呪いは時と共に強くなる。だからこそ俺は知り合いを頼るつもりだった)

 

 毒といえば帝国にはエキスパートと言うにふさわしい存在がいる。

 皇帝が幼い少女にかわり、その補佐として辣腕を振るっている帝国宰相ゲルラッハだ。

 魔導協会一等術師にして帝国の高位貴族のかの男は、毒と腐敗の術に関しては帝国広しといえども比肩するものはいない。

 

【挿絵表示】

 

 人呼んで、『死疫の』ゲルラッハ。

 シドは彼とも面識がある。

 まあ先代『禍剣』の頃の話だが。

 ゲルラッハはシドの"体質"を知る数少ない者の一人だ。

 

 そして現在、彼らはレグナム西域帝国の首都ベルンへと向かっていた。

 フェリシアを守護しているはずの毒はどういうわけか日に日に強くなっていっている。

 そして毒の蛇は加護の宿者たるフェリシアにさえも牙を剥きつつあった。

 今の彼女は7日のうち3、4日は床に臥せている。

 

 自身の内の毒がその様子を変じた事はフェリシア本人にもわかっており、だからこそベルンへの訪問を二つ返事で了承した。

 

 まあ彼女としてはこのまま毒が強くなれば、あるいはシドとも離れなければならないのではないかという不安感から了承した事ではあったが。

 

 ◆

 

「葡萄酒があるだろう?あれは時を置けば置く程に美味く、そして複雑な味わいへと変じてくる。さらに時を置けば味自体が消えるがね。この類の呪術もそういうことだ。いや、それは人や物にも言える事かもしれないが」

 

 禿頭の、いかにも悪そうな男が眉間に皺を寄せてシド達に言った。

 この男こそが帝国宰相ゲルラッハである。

 帝都ベルンでゲルラッハと首尾よく面会する事が出来たシド達は、状況打開への鍵を探るべく彼に話を聞いていた。

 

 ゲルラッハはぎょろりとシドをねめつけながら続ける。

 

「シド、貴様には視えないか?儂には視えるぞ。ルベラベラ子爵を護る毒気の加護を通して、薄らぼんやりと纏わりつく彼女の母親と思しき人影が。…持って二月。それを過ぎれば子爵を護る加護は正真正銘の呪いと化し、たちまち彼女を蝕むであろう。この術を掛けた者は呪術のそうした性質を知らなかったのであろうな。確かに子爵はその術により身を護られておる。だがこんなものは刀剣を以て料理をするようなものだ…一時便利使いするのはよかろうが、それが常態ともなればいつかは大怪我をするだろう?子爵が置かれている状況もそのようなものだ」

 

「この術を解く方法はないのか、ゲルラッハ」

 

 ゲルラッハは盛大に鼻息を吹き出し、そんなことも分からないのかという目でシドを見て言った。

 

「この術を仕掛けた者は子爵の母御であろう、先代ルベラベラ子爵は余程娘の事が心配だったのだろうな。だがどのような術でも永遠に継続するわけではない。かつて三代勇者が身命を賭して為した魔王封縛の大結界ですらも時と共に摩耗しているだろう?」

 

 コツコツとゲルラッハの腸詰めのような太い指が机を叩く。

 

「要するに、子爵を護ろうとするその意思に比する意思を以て、彼女の毒気を受け止めてしまえばいいのだ。一切の打算なく、そして純粋なる想いで彼女を護ります、だから心配召されるな、と…行動で示せばよいだけの話だ。さすれば術はその意味を失い、消えてなくなるであろう」

 

 ◆

 

 帰路の馬車は無言の空間が支配していた。

 

 フェリシアは終始俯き、嗚咽を漏らす。

 泣いているのだ。

 

 シドはそんな彼女に言葉をかける事もなく、ただ馬車を走らせていた。

 

 フェリシアは暗鬱と破滅の未来を悲観しての沈黙。

 だがシドは…

 

 ――といってもな、接吻でもすればいいのか?あるいは抱けという事か?いや、あたら花を散らしては逆に呪いが強まる恐れもありそうだな。彼女の"中"で俺のモノがちぎれて残る可能性すらある。笑えるが全く笑えない。ふ、ふ、ふふふ

 

 などと最低な事を考えていたが故の沈黙だったが。

 

 ◆

 

 病は気から、という言葉があるが、呪術の類にも同じ事が言える。

 フェリシアは屋敷に帰った後ふさぎこみ、伏せる日が増えた。

 結句、彼女の弱気は"その日"が来るのを早めてしまう。

 

 その日は朝からフェリシアの体調が思わしくなく、軽い吐血や高熱が続いた。

 毒気の護りが暴走しているのだとシドは見てとった。

 だが医者に診せる事もできない。

 彼女の体液は猛毒であったし、なんなればこの部屋にみちる空気にすら毒気が混じっていたからだ。

 

「………シ、ドさん。わ、私もう…」

 

「喋るな、フェリシア」

 

 シドは息も絶え絶えなフェリシアの細い手を握って答えた。

 強まった毒気がシドの魔力の防護を貫通し、彼の肌を焼く。

 強力な護りの術を使えばシドが傷つく事はないが、そういった術は強力な反発性もあるためにフェリシアを傷つける恐れが大であった。

 だから最低限の魔力のみで膜を張るが、その程度の魔力膜はフェリシアの毒気は容易に貫通してしまう。

 

「ッ…だめ!離してください、毒がッ」

 

 フェリシアは握る手を引き離そうとするが、シドは離さない。

 離さないどころか、なんと彼女を抱きしめてしまった。

 狼狽したフェリシアの全身から毒気が漏れこぼれる。

 常人ならばただちに毒殺される猛毒に、しかしシドは僅かに顔を顰めただけで苦悶の声1つ漏らす事はなかった。

 

 痛みや苦しみがない事はない。

 だがそれを切り離し、俯瞰視出来るようになったのは輪廻の日々が始まって何百年目の事だったであろうか?

 シドが物理的な苦痛を厭う時期は既に過ぎ去っていた。

 

 それに………

 

(良い顔だ。ここまで暴れるほどに俺が心配か。お前は今、俺の事だけを考えているのだな。そうだ、もっと俺を想え、焦がれてくれ。お前の慕う俺が毒におかされる様を悲しみを以て見続けろ)

 

 ぺろりと自身の唇を舐めると、舌が痺れを捉えた。

 フェリシアの毒気だ。

 だが、常人ならば舌が腐れ落ちる毒であってもシドはへいちゃら…とまではいかないものの、その原型を保っている。

 

 

「やめてッ!!!離して!!シドさんッ!!離れてください、離れてくださいようッ…!!じゃないと、じゃないと死んじゃう…シドさんが…シドさんが死んじゃうじゃないですかぁ!」

 

 フェリシアが絶叫する。

 既に毒はシドをして苦痛を感じさせるほどに浸透している。

 まあ彼は自身の苦痛を俯瞰出来るため、何程の事はないのだが。

 それに彼女の悲痛の叫びはシドにとってはまるで天使が歌い上げる賛歌のようにも聞こえる。

 

 なおも叫び、暴れ狂うフェリシアにシドが次にした事。

 

 それは

 

「…う、むぐッ…!?」

 

 接吻である。

 

「静かにしていろ。使用人が来てしまう。…大丈夫だ、フェリシア。君を苦しめる毒気は俺が全て受け止めてやろう。それにだ、言っただろう?君が俺を殺すのなんて、2000年は、早い、と」

 

 シドの瞳が妖しく光る。

 睡魔を呼ぶ魔眼である。

 人生経験が豊富なら、色々と小手先の技術は身につくものだ。

 このまま悲しみの絶叫を聞いていたかったシドだが、過ぎた狂乱はあるいは彼女を自傷…もしくは自殺へと至らしめるかもしれないと危惧した。

 故の強制入眠である。

 

 急速に強まっていく睡魔に、それでもフェリシアは抗おうとした。

 基本的にこういった術は心を強くすれば抗えるものだが…

 

 ――愛している。フェリシア。幸せになりなさい

 

 その言葉で精神の安定を崩れさせ、術はその弱みに十全につけ込み、フェリシアはすとんと眠りについた。

 

 腕の中で安らかに眠るフェリシア。

 しかし眠りの最中にあっても、毒気は次々と漏れ出し、シドを蝕んでいく。

 

 だがシドは穏やかな顔をしてフェリシアを抱きしめ続けた。

 その光景は知らないものがみれば神聖で尊い何かを感得するのかもしれない。

 

 だがシドの内心を知れば、たちまち唾棄し、罵倒するはずだ。

 

 ――たまにはこういう趣向も良い。次の人生では、く、くくくく。フェリシアの顔を思い出し、堪能するとしよう…

 

 その思考を最後にシドは死んだ。

 長年フェリシアを苦しめていた毒気の加護を道連れにして。

 

 ◆

 

 翌朝。

 

 フェリシアは目を覚ました。

 先日まで感じていた体の不調は一切感じられない。

 これは毒気の加護が完全に解呪されたからだ。

 

 寝起きでぼんやりしていた頭は、しかし周囲の血、それに傍らで眠ったように横たわる人影をみて瞬時に覚醒した。

 

 シド。

 

 フェリシアは慌ててシドに声をかけるもシドは目を覚まさない。

 当然の仕儀ではある。

 死体に話しかけても応えはないだろう。

 

 なお死体が原型を保っているのは、シドがうまく調整したからだ。

 さすがに起きたら横に肉がグズグズになった死体がいてはかわいそうだろうと、肉体の崩壊を可能な限り避けるようにして魔力で防護した結果である。

 

 死ぬ事にかけて、シドに比肩する者は天地魔界を通して誰一人として存在しない。

 

「シ、シドさん…だ、だれか!!誰かある!」

 

 フェリシアは慌てて使いを呼ぶも、それに応えるものは誰もいなかった。

 当然だ。

 フェリシアにかけられた毒気の加護が解けた事は彼女を含め誰もいない。

 

 それから激昂したフェリシアは屋敷をかけまわり、死にたくないと叫ぶ侍従をとっつかまえてむりやり引き立て、シドを診させた。

 侍従にしてもフェリシアから触れられても全く痛みを感じないため、不承不承ながら従うが……

 

「もう、彼は亡くなっています。死んでから随分たったのでしょうか…関節もかたまってしまってますね…。しかしなぜ彼が御当主様のベッドで死んでいるのですか?あ、い、いえ…その…決して私は胡乱な事を考えたわけではありませんが」

 

 弁明する侍従を無視して、フェリシアはシドの死体をじっと見つめていた。

 常に感じていた苦痛は既になく、そして先ほどの一件。

 激昂の余り侍従へ触れてしまったが、侍従は平気そうだ。

 さらに、先日の帝国宰相ゲルラッハの言葉。

 

 パズルのピースが綺麗に合致した。

 

 ややあってフェリシアはシドの骸に抱きつき、そして泣いた。

 

 ◆

 

 それからややあって、フェリシア・ルベラベラ子爵は自身の毒気の加護が消えた事を公表した。

 そしてそれを為したのはシド・デインであり、彼はかけがえのない恩人であったとも。

 

 フェリシアは想い人の死を苦にして自棄となる事はなかった。

 なぜならば彼女の中にはシドの言葉が道標となり、煌々とその精神世界を照らし出しているからだ。

 

 ・

 ・

 ・

 

 ルベラベラ子爵家には1つの墓が建てられている。

 当主の寝室の窓から見える中庭にあるその墓には名前が刻まれていた痕跡がある。

 削り取られたのだ。

 削ったのはフェリシアであった。

 なぜか。

 

 それは………

 

 ◆

 

「ああ…うん…そうか…シドがな。まあ子爵を苦しめる毒気の加護が消えたのなら、それはそれで良かったと思うが…。ああ、泣かないでくれ、うむ…。うーむ…どうするか…いや、しかしな……。相分かった。ルベラベラ子爵よ、今からいう事は秘事である。決して口外せぬように。良いか、シド・デインという男は…」

 

 帝国宰相ゲルラッハに事の次第を聞かされたフェリシアは、シドのシドたる所以を知った。

 爾来彼女は各所へ手の者を送り、とある男を探し続けている。

 

 ・

 ・

 ・

 

 深夜、ルベラベラ子爵邸。

 夜空に煌々と輝く満月を見ながら女性が呟いている。

 

 ――シドさん、シドさん。次にお逢いしたその時は、決して決して離しません…

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