ちょっとは笑って! ホマレちゃん!   作:調味のみりん

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1 彼女のスターティングゲートまで。
1.スターティングゲートまであと何歩?


 

 

 URAウマ娘博物館。

 

 東京レース場の敷地内にあるその建物は1991年に開かれた。

 

 

 そこでは日本のウマ娘のレースがどのような道を辿ってきたか、幕末の時代から今に至るまで。その歴史を物品や映像を交えながら展示し、それだけでなく過去に輝かしい結果を残したウマ娘の記録やレース場の変遷までも取り扱っている。

 

 また、常設展示に加えて、ある部分にフォーカスを当てた特別展示も手を替え品を替え、趣向を凝らして随時開催している。

 

 いわば、そこはウマ娘のレースに関するあらゆる情報を展示する場所である。

 

 

 ここに、海外から来た一人の若い男が居た。

 日本のウマ娘どころか、自国のウマ娘にすら興味が薄かった彼がこの場所を訪れたのは、全くの偶然だった。

 

 日本を旅行中に何処かで予定が狂ったのか、予定にない暇な時間が生まれた。飛行機のチケットまであと1日もある。どうしようかと、あてもなく歩いていた末に辿り着いた場所がここであった。

 

 特に目的があるわけでもない男は、静かに館内を見て回るだけだった。しかし、展示によく工夫が凝らされている。だから、まったくと言って良いほど知識がない彼にもそれなりに楽しめた。

 

 色鮮やかな優勝レイや、恭しく箱に収められた蹄鉄。そして白黒で流れるレースの映像。きっとどれも素晴らしいウマ娘のものだったのだろうと想像しながら彼は歩いていた。

 

 

 そんなこんなで暫くが経った。

 

 ふと時計を見れば短い針はそれなりに進んでいる。そろそろ見終わったし、出ようかなと考えたその時、偶然一つの展示物に目を引かれた。なんだ、と見てみるとそこにはひとつの勝負服が飾られていた。

 色味が綺麗なそれは、ガラスケースの中で淡い照明に照らされて静かに佇んでいる。

 

 いまは着用者の居ない勝負服は、不思議と男の目を引いた。

 

 よくよく見てみれば、きちんと装飾を施された正規の勝負服であり時折ニュースやテレビ等で見るウマ娘が着ているものと相違はなかった。だが、違和感がある。

 

(すこし、短い? 左袖が肩程までしかないぞ。右はしっかりあるのに、ひどく……アンバランスだ)

 

 角度を変えて見てみても他に左腕を覆うアームカバーや、ブレスレットの類は見当たらない。左側だけがなにも無い。男はすこし首を傾げた。

 ちゃんとした勝負服なのに、これではパーツが欠けている様じゃないか、と。

 

(何か説明があるのかな? ……しまった、日本語だ)

 

 下にある解説を読もうにも、男はそこまで日本語が達者ではない。だからと言って諦めて帰るのも、なにか違う気がする。男は辺りを見渡した。幸いにもお目当ての人物はすぐに見つかった。

 

「スミマセン、職員サン」

 

「はい、どうされましたか?」

 

 声をかけられた職員はこちらに気がつくと笑顔で近づいてくる。

 それに対して男は何とか日本語の語彙を絞り出しながら、目の前の勝負服について尋ねた。

 この展示物についてお聞きしたい。ちょっと教えてくれないだろうか、と。

 

『英語でも大丈夫ですよ。もし、お時間が宜しければ、すこし詳しくお話ししましょうか?』

 

辿々しい男の日本語と、時折漏れる母国語から職員は何かを察したのかにこやかに提案した。

 

『ああ、それは助かります。ぜひ、お願いします』

 

 男がどこかぎこちなくお辞儀をすると、職員は頷きを返した。

 

『えぇ、では。その勝負服を着ていたウマ娘はですね──』

 

 そうして職員は感慨深そうに、すこし嬉しそうに話し始めた。

 

 

 

 

 

 

 そのウマ娘の名前をシロツメホマレ。

 トゥインクルシリーズを駆けた、一人のウマ娘である。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 シロツメホマレは生まれた時からぼんやりと夭逝した前世を覚えていた。

 

 歳の割に不相応に大人びた心は、自然と周囲との軋轢を生み出してしまい、いつしか彼女はうまく感情を表すことが出来なくなってしまった。

 

 泣かない、笑わない、怒らない。それでいて無口。そんな彼女を周囲は不気味がり、露骨にとはいかないまでも避けていた。

 

(そんな顔をするなら、しゃべりかけないでちょうだい)

 

 良くなかったのは彼女もまた、周囲の人をみずから遠ざけたこと。

 仕舞いにはせっかく声をかけてくれた人に対しても良い反応はせず、結局彼女のまわりには誰も残らなかった。

 

 

 

 ただ、彼女の唯一の親である父親だけは違った。

 

『笑えないぃ? なら笑わんで良い』

 

 彼女の父は、下らなそうにそう言うとまだ幼い彼女の頭を乱暴に撫でた。

 

『うまく言葉にできないんなら、しなくていい。そのぶん行動でしめせば、伝わる』

 

 ぐしぐし、と頭を揺らす様なその撫で方は丁寧なものとは程遠い。だが、父親の語るその言葉が本当であると言葉以上に伝えていた。事実、彼女はその撫で方が嫌ではなかった。

 

 いろいろと普通の子供とは違う彼女を、父はあくまで娘として扱った。良いことをしたら褒め、悪いことをしたら引っ叩いてでも怒る。

 彼女も最初は戸惑い、抵抗したが次第に父にはよく口を開くようになった。

 

 

 

 

 

 ある時、彼女が幼稚園のかけっこで一着を取った時があった。

 

『そういえば、おとうさん。わたし、一着を取ったのよ』

 

 家の裏に併設された作業場で、工具をいじっていた父親に彼女がなんとなしにそう言えば、からん、と工具の落ちる硬質な音が響いた。

 

『なに!? ほ、ほんとか! すげぇ、すげぇじゃねぇか!』

 

 父は工具を取り落とすほど大袈裟に喜んだ。そんな父の様子に彼女も珍しくびっくりした表情を浮かべた。

 

『すげぇ、すげぇなあ! 今夜はお祝いだ!』

 

 そう笑顔で父が言うと、『今日の仕事は終いだ』と言って鍋の準備を始めてしまう。彼女はその様子をただ見つめていた。

 

 

 そして、その日を境に彼女はよく走るようになった。

 幼稚園で走って、帰って来てからまた走って。ときたま開かれる小さなレースに参加しては走った。

 

 父は己の仕事とレースが何より大好きで、娘が走るとなれば自分のことのように喜んだ。そして何着であろうと大袈裟なほど誉めた。

 そんな父に対し彼女はいつも無表情ながら、それに応えるように走った。

 

 

 だが、良くないことはどうしようもなく起こるもので。

 

 彼女の父は病に臥せり、入院をしてしまった。

 彼女が小学生になった頃だった。

 

 ◆

 

『お父さん、こんどはトロフィーをもらったの』

 

『ははぁ、立派なもんだ』

 

 そう言って彼女はカバンから取り出したものを机の上に置く。それはプラスティックにメッキで加工しただけの小さなトロフィーだったが、父はまるで高価な宝石を触るかのように慎重に扱った。

 

『どうだ、ホマレ。メシはちゃんと食ってるか?』

 

『お父さんよりは食べてるわ』

 

『わはは! そりゃ、俺ももっと食わないとな!』

 

 彼女があいも変わらず表情を浮かべずに答えれば、父親は愉快そうに笑った。『食って食って、元気になって、はやくホマレのレースを見に行かんといけないな!』そんなことを言いながらぐしゃぐしゃと髪を撫でる。その撫で方に彼女も慣れたもので無抵抗に受け入れていた。

 

 

 

 

 父の病状は思わしくない。肺の病気だという。

 それがもう全身にまわっていて、彼女が小学校の低学年の終わりにはベッドから起き上がることも困難になっていった。

 

 

 

 

 彼女は走った。

 雨の日も風の日も。走って走って、トロフィーや盾、賞状を持って父のもとに通った。あんまりにも走ることしかしないのだから、入院中の父に代わり彼女の保護者となっていた親戚も、やれ『友達と遊べ』だの『服とか買いに行ったらどうだ』だの苦言を呈した。(そもそも彼女に友達はいない)しかし、それでも聞く耳を持たない彼女にやがて何も言わなくなった。

 

 

 

 ◆

 

 

 静かな病室は、清潔で、点滴につながれた機械の音が反響している。

 シロツメホマレはその仏頂面で眠る父親を覗き込んでいた。

 父の逞しかった腕はすでに細くなり、何本もの管が支えていた。

 

 ふと目線を上にあげると、窓からは、すこし離れた建物の広告看板がよく見えた。その広告は近々行われるG1レースを盛り上げるもので、カラフルな色彩の中には競い合う表情のウマ娘達が写っていた。

 

 

『ほらっ、ホマレ、ダービーだ! ダービーだぞっ!』

『ただのレースじゃない』

『ああ、もう! いいか、ダービーはな──』

 

 

 ふとそんな会話が頭の中で再生された。

 また目線を戻すと、ゆっくりと動く胸が目に入る。

 

 

 ──ねえ、お父さん。

 

 小さな声で呼びかけても反応はない。

 

 

 ──ダービーってすごいんでしょう? 

 お父さんがテレビの前で興奮するほどすごいんでしょう? 

 

 

 ぽつぽつと、呟くように。一言一言を区切るように。

 返事はなく、規則正しい電子音だけが返ってくる。

 

 

 ──わたし、ダービーで勝ってみるわ。

 トロフィーを持たせてあげるから、早く元気になってね。

 

 

 それだけ言い終わると、彼女は傍に置いてあったカバンを手に取る。

 一度部屋を出る直前に足を止めたが、振り返ることはせず、ゆっくり病室のドアを閉めた。

 

 

 

 

 

 そのひと月後に、彼女の父は旅立った。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 葬儀はしめやかに行われた。

 

 彼女は葬式の日も、無表情にジッと座って前を見ていた。読経の時でさえ、表情ひとつ変えずにジッと。ただ前を向いて彼女の父の、笑った写真を見ていた。

 参列した一部の人はそれを見て『父親が亡くなっても表情ひとつ変えないのか』と驚いた。

 

 周りの人が焼香をあげる中も、彼女はじっと写真だけを見つめていた。 

 

 

「みんなに挨拶した方がいいんじゃないかい」

「いやよ」

 

 

 そして辺りが食事会の準備を始めた頃。

 彼女は一人で玄関に居た。

 

 

 

「どこかに行くのかい」

「走りに行くのよ」

 

 

 黒い服をきた親戚が尋ねる。

 彼女はそちらを一度も見ずに答えた。

 

「こんな日も?」

「ええ」

「そんなに楽しいのかい」

「べつに、よ」

「じゃあなんの目的でそこまで走るんだい?」

「トロフィーが欲しいのよ」

「……それは一体どんなトロフィーだい?」

 

 

 

 

「日本ダービー」

 

 

 

 こうして脇目もふらず走り続けた彼女は、めきめきと実力を伸ばしていく。程なくして彼女はレースに詳しい人ならば気にかけるくらいに優秀なウマ娘となった。

 例えば、誰かが『次世代のスター候補は?』と聞けば、時折名前が出てくるくらいには。

 

 

 そしてその二年後。

 小学四年生のとき。

 彼女は電車に轢かれた。

 

 

 それと同時に彼女の名前もいつからか聞かなくなった。

 

 

 

 

 

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