『また、走りに行くのかい?』
『ええ』
少女に男が尋ねる。
靴紐を結ぶ少女は振り返りもせず答えた。
『……その、なんだ。少し休んだらどう?』
『いやよ』
にべもなく切って捨てられた気遣いに、男が少したじろぐ。しかし、すぐに気を取りなおすとアプローチを変えて尋ねた。
『
『うるさい』
少女の声が硬くなる。
男は気がつかない。
『お線香、あげてみないか? まだ、一度だってちゃんとお別れを言ってないだろう』
『うるさい』
少女は手を止めて俯いている。
男は説得を続ける。
『それじゃあ、
『うるさい』
流石の男も、少女の取りつく島もない対応に顔色を変える。
少女は耳を後ろに伏せた。
『……いつもいつも意地ばっか張って。何度言ったら分かる!? もうお父さんは帰ってこない! そんな風にいつまでも──』
『うるさいッ!』
『……ッ!?』
『うるさい、うるさいうるさい煩い五月蠅い! うるさい! うるさいうるさい!! 黙れだまれ黙れダマレ黙れだまれ! だまれダマレだまれだまれだまれだまれだまれだまれ黙れ黙れだま──』
◆
「お父さん、来ないわね」
シロツメホマレは呟くように言った。
彼女の隣には帽子を被った、五歳くらいの男の子が座っている。
「ちがう」
「じゃあ、お母さん?」
男の子が首を振って否定すれば、シロツメホマレは頭を傾げる。
その様子を見た男の子は、埒が明かないと感じたのか重たい口を開けた。
「どっちも」
「……ああ」
そして沈黙が降りる。
なぜこのような状況になっているのかといえば、かるい事故のようなものだった。
エキシビションレースの後。
トレセン学園キッズツアーに参加していた子供たちを、親元に帰す時。ひとりだけ集合場所に保護者が迎えに来なかった子がいたのだ。
それが、この子だった。
たぶん、彼の両親は迷ったのだろう。トレセン学園が思ったよりも広くて、毎年そういう人がいる事は周知の事実だった。
それに、この集合場所もすこし分かりづらいのも良くないのかもしれない。
建物と建物の間にあるコの字型の小さな空間。テニスコートの半分くらいしか広さは無く、外からはあまり目に入らない。そして、ここにあるのは、ベンチ──今シロツメホマレたちが座っているもの──ひとつだけである。
「…………ぐすっ」
鼻をすする音が聞こえる。
シロツメホマレが横を向けば、男の子の口元は口角が引き攣るように下がっていた。そしてベンチから見える、『外』の人の流れを、どこか必死さを感じる表情で見ている。
──探しているのか
あそこから、迎えが来る事を期待して。
まあ、いずれは来るだろう。一緒に引率していた鹿毛のウマ娘は、走って放送をかけに向かった。3分ほど前にそれが聞こえたから、あとは待つだけだ。
シロツメホマレの役目は、その間の見守り。
要は迷子センターをやっていたのだ。
「…………」
無言の時間が流れる。
ここは、静かだ。
遠くから楽しそうな声が反響する場所だ。
ふと、左肩に感触があった。
義手の方に目線を向ければ、男の子がその手を無意識なのか掴んでいる。
まるで迷子の子が
(まあ、迷子だものね。実際に)
シロツメホマレはそう考えた。
「ねえ」
そして声をかける。
男の子はびっくりしたように肩を動かし、シロツメホマレの方を見た。相手を窺うような態度だ。
それと同時に、自分が手を掴んでいたことに気がついたのか慌ててパッと離す。
「
それを気にせず、シロツメホマレはプラプラと右手を振る。
男の子はきょとんとした表情をした。シロツメホマレは重ねるように言う。
「おいで。こっちに」
ぽんぽんと、自分の右側を叩きながら。
三人掛けのベンチは、小柄な二人が座っているだけでは余りが大きかった。
「え、……と……」
男の子は動かない。
それに痺れを切らしたのか、彼女は立ち上がる。そしてスッと素早く男の子の左側に腰を下ろした。
「こっちの方が、あったかいでしょう」
そう言って、そっと手を繋ぐ。
男の子は驚いたように手を見つめたあと、こくん、と控えめに頷いた。
「……あ、ありがと……ゴザイマス……」
慣れない敬語でお礼を言う男の子。シロツメホマレは何も言わずに手を握り続けた。
「…………」
静かな時間が流れる。
対人能力にやや難があるシロツメホマレから話を振ることは無く、不安そうな顔を崩さない男の子から話しかけることもない。
「……ぅぅ」
小さな嗚咽がした。
水っぽい声だった。
普通なら気が付かないくらいのソレは、この静かな場所に限っては聞き取ることが可能だった。
男の子を見る。
今度はもう俯いて、『外』を見ようともしない。
そして空いている右手で、目元を何度も擦っていた。
シロツメホマレは座ったまま首だけ動かして空を見た。
どこにでもある空が、建物に区切られて直線の形をしていた。
「……」
きっと、両親と逸れて、自分一人だけ世界に放り出されたような心細さと寂しさがあるのだろう。シロツメホマレにはいやに手に取るようにわかった。周りの世界に押しつぶされてしまいそうな、川で遊んでいたらいつのまにか岸が見えなくなったような、出口がわからなくなったような。
「……っ……ぅ」
彼女は、「はぁ」とため息を吐いた。
「響け ファンファーレ──」
さらりと、風が吹くように。
少女の歌声が伸びる。
「届け ゴールまで──」
どこまでも柔らかく、静かな空間を満たすように。
ひとつひとつの言葉を丁寧に織るような。そんな声だった。
「輝く未来を君と見たいから──」
それは一人だけのための、コンサート。
男の子にとって、初めて聞くほど優しい歌声だった。
涙はいつのまにか、止まっていた。
◆
──けいたん、えいせき
──こえい、しょうぜん
◆
「──ヒロ、マサヒロ!」
遠くから、声が近づいてくる。
声の方に目をやると、中年の男性と、同じくらいの歳の女性が息を切らしてこちらに走ってきていた。
「っ! パパ、ママ!」
帽子の男の子は勢いよく立ち上がる。
そしてそのままベンチを飛び出して、二人の元に走って行った。
二人はそれを抱き止める。
「ふぅー、良かったぁ……」
その後ろから、額の汗を拭いながらやって来たのは鹿毛のウマ娘。
放送をかけたあと、学園内を探し回って男の子の両親を連れて来たのだろう。
彼女はシロツメホマレに気がつくと、申し訳なさそうに眉を下げながら笑った。
「ホマレちゃん、だよね? ホントに、色々とありがとね。このあとちゃんと──」
「保健室には行ったの?」
シロツメホマレは鹿毛のウマ娘のセリフを途中で切るように尋ねる。
突然質問が飛んできた少女は口を閉じて首を振った。
「じゃあ、そっちに行ってあげて」
有無を言わせない口調で言う。
普段から平坦な声で喋る彼女の、それでも
「体が弱ると、心も弱るものだから。きっと心細いでしょうから」
ジッと目を合わせる。
日陰の風に、淡い小麦色の髪が揺れていた。
「──! このお礼は、今度ぜったいにするから!」
そこに込められた思いを感じ取って、鹿毛のウマ娘は勢いよく頭を下げた。
そして、迎えにきた男女に一言声をかけると、コの字型の空間から外に駆け出した。
シロツメホマレはその姿を見送ってから、目線を横にズラす。
そこには、泣きべそを(プライドなのか)堪える男の子と、目線を合わせてしゃがみ込んでいる女性がいた。
父親の方は、それを一歩引いて優しい目で見守っている。
彼はシロツメホマレの視線に気がつくと、温和な笑みを浮かべた。そしてゆっくり頭を下げる。
「ご迷惑をお掛けしました」
「ええ。まあ」
そんな、少し浮いたような返事をする。すると女性も男の子の手を引いて立ち上がり、同じように頭を下げた。
「私たちが迷ってる間、この子の面倒を見てもらったみたいで」
女性は言う。
シロツメホマレは、『面倒ならばツアーの時から見ているが、それとは別なのか』と思ったが黙って頷いた。
「ほらっ、お礼言いなさい」
「……ありがとう、ございます」
男の子は泣き顔を見られたことが照れ臭かったのか、どこかぶっきらぼうを装うように言った。
それを見た女性は少し困ったように笑って、男の子の頭を優しく撫でる。
「…………」
シロツメホマレは無意識に髪を触った。
「それじゃあ、私どもは行きますので」
男性がやわらかな声で告げる。
そうして右手で男の子の手を繋いだ。その時に、何か促すように男の子へ目線で合図をする。
その分かりづらいとも言える合図を汲み取ったのか、男の子は改めてシロツメホマレに向き直ると、右手で手を振った。
「バイバイ」
ふりふり、と。
ちいさな手で振られるソレを、シロツメホマレは黙って受け止めた。
すると男の子はくるりと、彼女とは反対に体を反転させた。
そして、次の場所に急ぐように男性の手を引く。
男性は苦笑いをして、ちいさな歩幅に合わせるように歩き出した。
女性もシロツメホマレに微笑んで会釈をすると、追いかけるように歩き出す。すぐに少し前を歩く二人に追いつくと、男の子の空いている右手を取った。
三人で手を繋いで、真ん中が凹んだ山みたいになった後ろ姿で去っていく。シロツメホマレはそれを眺めていた。
男の子は両脇の手を使って、月でジャンプするみたいに、弾んでいる。
その顔は、シロツメホマレと共に両親を待っていた時よりも、ずっとずっと自由で軽やかだった。
「……」
ひゅう、と少し冷たい風が髪の毛を遊ぶ。
シロツメホマレは気にもかけず、三人の人影を見送った。
「またねーっ!」
人混みに、その影が消える直前。
元気で、伸びやかな声が聞こえて来た。彼女が聞いた彼の声で一番、感情のこもった響きがした。
「またね」
多分、向こうに聞こえてはいない。
それでも囁くようにシロツメホマレは返事をした。
何十秒か、そのまま立ち尽くす。
やがて、力が抜けるようにベンチに腰を下ろした。
さっきとは違って1人分空いたベンチに、上半身だけ横たえて。
木製のベンチは、硬い感触を頬に伝えてくる。
──アハハ
──ふふふ
人の声は、コンクリートの壁に跳ね返って響いてくる。
『パパ! 早く、はやく!』
『走るな、危ない』
『えっ? お母さん来てたの!? 言ってよー!』
『それじゃあ驚かせられないじゃないの』
仲良く手を繋いだ家族。久々に親と笑ってるトレセンの生徒。
『外』には、人波の中にそんな人たちが見えた。
みんな、このお祭りの日に笑って楽しそうにしている。
それを、シロツメホマレはショーウィンドウに並んだケーキを見るみたいに、見続けた。
時間が過ぎる。
何も起きずに、ゆっくりと粘度の高い時間が流れていく。
「……何してんの?」
気がつくと、目の前には金の髪のウマ娘が立っていた。
逆光にブロンドがきらきらと光っている。
「何もしてないわ」
「あ、そ」
軽く言葉を流すように、あしらう。
そして、すこし呆れた顔で中身の入ったビニール袋を掲げた。
「アンタも仕事してて食べてないっしょ?」
シロツメホマレは横になったまま頷く。
ゴールドシチーは表情をすこし柔らかくした。
「お昼、食べよ」
シロツメホマレは上半身を起こして、目の前の少女の目を見つめた。
「ゴールドシチー、あなたって──」
突然、改まったような口調。
いつにも増して真剣な眼差し。
何を言われるのか、とゴールドシチーは思わず姿勢を正した。
「ホントに金ピカね」
そして、流れるようにシロツメホマレの頭にチョップを入れる。
「あいた」
淡黄色の少女は頭を押さえた。
◆
「そういえば、どうだったの?」
コン、コンとチェスの駒を動かしながらシロツメホマレが尋ねる。
ゴールドシチーは盤面を見ながら『ああ』と相槌をうつ。恐らく、彼女が先ほどまで行っていたトークショーのことを指しているのだと。
「大盛況。ま、来てくれたファンの人らは
それだけ言って駒を動かす。
ベンチに座る2人の間に置かれた盤。それを唸りながら見ているシロツメホマレのつむじを見た。
「
言葉のテイをなさない声を、シロツメホマレは上げている。
その姿に、ゴールドシチーは彼女の走りを初めて見た時の事を重ねていた。
片手だけの、言ってしまえば特異な姿で現れて。
ざわめく周りを、走りだけで黙らせた。走りに目を向けさせた。その姿は未だ鮮明に浮かんでくる。
「ふふっ……」
「笑わないで」
ギロリと、普段にも増して鋭い目つきのシロツメホマレに睨まれる。
ゴールドシチーは肩をすくめた。
◆
「はい、チェックメイト」
「……」
「ポーンもっと上手く使いなって」
「あなたが上手すぎるのよ」
そんなことはない。
ゴールドシチーは黙った。
◆
○《ミカ☆cafeteria おーなー
@mikako09 22時間
なんか着ぐるみからヘンな子が出てきた〜!!
[視聴出来ません]
3.1万件のリウマート680件の引用ウマート
10.2万件のウマいね
◆
「次のエンタメ系どうします?」
椅子に座った若い男が、画面から目を離して尋ねた。
いくつもの液晶が連なる、すこし暗めの部屋。その奥にいた中年の男は若い男の元までゆっくり歩いていった。
「んー? ……おっ。これなんか良いんじゃないか」
そして若い男の後ろから画面を指差す。
「これっすか」
若い男はそれを拡大表示して、動画を再生した。
その内容を見ると中年の男はすこし難しそうな顔を作った。
「あー、でも撮影者とまた別のヤツで盛り上がってんのか。この映ってる子に許可取れそう?」
コンコン、と画面を指先で叩きながら言う。
若い男は動画に映っている場所をちらりと見た。
「まあ、はい。トレセン学園の子なんで、相当なことがない限り、ウチみたいなトコは拒否しないはずですよ」
チカチカと、電話機に着信の明かりが灯る。
中年の男はそれを見て時計を確認した。そして若い男の肩をポン、と叩いた。
「じゃあ、この子にしよう。なんか面白そうだし。あとよろしく」
「ハイ」