ちょっとは笑って! ホマレちゃん!   作:調味のみりん

12 / 25
12.摂氏ゼロ度の夜明け前

 

 

 

 

 

「──あなたが不正にトレセン学園に入学したのではないか、という噂についてです」

 

 

 

 

「…………は?」

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

「否定なされるので?」

 

 男はあえて軽めに言った。

 表情は西日に照らされて少し隠れている。

 

「ええ」

 

 きっぱりとシロツメホマレは断定する。

 彼女の耳はピンと男の方へと向いた。

 

「わたしは、正式に試験を受けて、実技と筆記両方で合格したわ」

 

 男は軽く顎を引いて聞いている。

 相変わらず手に携帯ほどの大きさの機械を持って、それをシロツメホマレへと向けていた。

 

「でも、あなたがそんな風に疑うならなにか理由があるのよね。教えて」

 

 ひゅう、と風が吹いた。

 烏がガァガァとがなり立てる。時間帯のせいなのか、人通りはほとんどない。

 

「いえ、ね」

 

 男はペンでこめかみをトントンと叩く。

 まるで当たり前の事を聞かれて、それを教える教師のように。

 

「まあ、軽く説明しますとね。貴方のその左腕を無くした時の事故」

 

 男はペンの先をくるりとシロツメホマレの方へとやった。

 そのペン先を追う様に彼女は自身の左腕をちらりと見た。

 

「電車が進入したホームから、ベビーカーごと赤ん坊を引き上げたんですよね」

 

「ええ」

 

 男が満足そうに首を振る。

 音を立てて車が一台、横を通り過ぎていった。

 

「その赤ん坊は、URA重役のお孫さんという話じゃないですか」

 

 だから、と続けるように男は言う。

 

「自分の孫を助けたが為に、一人のウマ娘が競走人生に幕が下りちゃったのなら。多少無理をしてでも手助けをするのは十分あり得る話ですよ」

 

「それは無いわ」

 

 低い声でシロツメホマレは答えた。男は改めて目の前の少女を見る。すると、ぴったりと目が合う。その目の色は、夕陽のオレンジがさして焼けた葉っぱのように見えた。

 

「否定ですか。ええ、はい。その理由を伺っても?」

 

「1800m、1分49秒5」

 

 突然、文脈と関係なく言われた数字に男は疑問符を浮かべる。

 しかし、それについて尋ねる前にシロツメホマレが口を開いた。

 

「タイムよ。試験の時の」

 

 だから、不正はない。

 そう主張するようにシロツメホマレは胸を張った。リボンが軽く揺れる。

 

 男はシロツメホマレにバレない程度にため息をつく。

 

 だから、その試験方法が怪しいと言ってるんだけどな、と。

 一瞬顔が歪んだ。

 

「ねえ、もし仮に、よ」

 

 先ほどと変わったトーンの声に男は顔を上げる。

 見れば、少女は少し首を傾げていた。

 

「わたしが、その、不正を働いたとして。──なにが問題なの?」

 

 そもそもの疑問を尋ねるように、不可解なものを調べるようにシロツメホマレは言う。

 男はちょっと呆れたように口を開いた。

 

「そりゃ、大問題でしょう」

 

 少女は黙って話を聞く姿勢を取り、目線を男に固定する。そしてそのまま離さない。

 それに異様な迫力を感じ取って、男は嫌な汗がすこし背中に流れるのを感じた。

 

「トレセン学園は設備も人も日本の中でイチバンですから。他とは格が違います。分かりますよね」

 

 男は持っていたペンを胸ポケットにしまって、指をひとつ立てれば、少女は頷いた。

 気のせいか、訳が分からないが、空気の粘度が少し増した気がした。

 

「そこに入るために──スタートラインに立つために苦労しているウマ娘や人が大勢いる中で、それを少しズルのような形で乗り越えたウマ娘がいたら」

 

 男は少女の視線から外れる様に目線を空へと移す。

 オレンジ色の雲はゆっくり下へと流れていった。

 

「入り口さえ、乗り越えてしまえば後はそうですね。誰だって最高の設備と最高の人員を使って、トゥインクルシリーズの“それなり“くらいには強くなれると思いませんか?」

 

 語尾を上げて疑問を投げかけると同時に目線を目の前の少女へと戻す。

 彼女は少し耳を下にして話を聞いていた。

 

「それか、強くなれるとは限らなくともその可能性がある、と。あの塀の中に入れなかった子や、その親は思うのでは?」

 

 トレセン学園の方を顎でさし示しながら、男はそう言い切る。

 そして乾いた口内を潤すように唾をごくん、と飲み込んだ。

 

「その入れなかった子は」

 

 男が話し終わってから、5秒ほど間があっただろうか。ゆっくりとした口調でシロツメホマレがぽつり、と呟いた。

 トラックが横の道路を通過する。淡い小麦色の髪はトラックの風に連れていかれるように靡いた。

 

「わたしには関係ないわ」

 

「貴方が潰した、そのひと枠の所為で入らなかった子がいる()()()()()()んですよ」

 

 記者は間髪入れず答える。──瞬間、空気がズン、と重くなった気がした。

 慌てて辺りをキョロキョロと見回すが、そこは相変わらず夕焼けの人気のない住宅街だ。

 

 ふわりと、甘い植物の香りが鼻を突く。

 

(──サクラ?)

 

 その匂いについて無意識に記憶を照合し考察するうちに、自然と目の前の少女に目線が戻る。

 浅緑の瞳は、ぎらぎらと光を放っている。男は、自身の毛穴が収縮して、肌が泡立つのを感じた。

 

「じゃあ、わたしがその子の分まで頑張らないとね」

 

 その空気の中で投げかけられた回答。記者はちょっと驚いた顔をした。

 答えるまで間があったが、そんな事を考えていたのか、と。

 

「は、ははは。それはたいへん殊勝な心がけですね。まあ、心がけだけでは問題は消えないんですが」

 

 記者のレコーダーを持つ手が汗ばむ。

 おかしい。言葉を重ねるたびに、なにか空気が重くなっていく。

 まるで()()()()()()()()空気が軋んでいく。

 

「言葉では済まされません。その子に対してどのように責任を取るつもりですか?」

 

 目の前の少女は顔色ひとつ変えない。

 この空気の変化に気づいていないのか、それとも気が付いた上で何も反応を返していないのか。

 

 ただ、ジッと男を見つめている。対面している存在を真正面から貫くように見続けている。

 

「それが本当なら、煮るなり焼くなり好きにしていいわ」

 

「──そもそも、不正に入学したという事が問題なのです。それは公平さを著しく欠いて居ますし、不正をせずに努力してきた人たちにとっては不公平なものになります。貴方がその状況ならば不公平感を抱くでしょう?」

 

 男は、自身が一回りも小さい少女に何か圧されている事実を振り払うように声を少し大きく言い放った。

 その時、視界の端にちらりとピンク色の影が映る。気のせいだ、そうに決まっている、と自分に言い聞かせた。

 

「わたしはちゃんと入学したわ」

 

 シロツメホマレは泰然と答える。

 これ以上続けていても平行線を辿るだけだと男は経験より悟り、話題を変える事にした。

 

「ええ、それじゃあ、この事に関してファンの方へは何と?」

 

「居るの? わたしのファン」 

 

 きょとんとした風に少女は尋ねる。整った眉は少し垂れて形を崩していた。

 

「は? そりゃあ……居るでしょう」

 

 仮にもトゥインクルシリーズを走っているのだから。

 すんでの所でその言葉は飲み込み、外には出さなかった。

 

「そう」

 

「それで、コメントを頂けますか」

 

「別に、なにも」

 

「なにも──って、え? 何もないんですか?」

 

 思わず記者は口を開けた。

 からから、と喉が乾燥しているのが分かった。

 

「ファンが居たっていなくたって、応援されたって、されなくったって。──わたしは走るじゃない」

 

 心底不思議そうに、シロツメホマレは言う。

 カラスの鳴き声はいつの間にか無くなっていた。

 

「だから、別になにも」

 

 シロツメホマレの目は揺るがない。

 水晶のように、何百年もそこにある石のように平然としている。

 

「はあ、それじゃあ次の質問を……」

 

 記者はポケットから手帳を取り出しながら言う。

 レコーダーを構える手を動かさないように、器用に手帳を開くと素早くその内容に目を走らせた。

 

【不正入学の噂について】

【その事に対するコメント、事実確認】

次のレースへの意気込み

【ファンへの弁解】

【トレセン学園側へは何と言って試験を突破したのか】

 

 手帳に書いてあったのは、質問リスト。上から書いてある文字列を目で追う。

 ファンへの弁解までは聞き終わった。だから、次に聞くことに悩む必要は無かった。

 

 記者は手帳から目を上げる。

 そしてシロツメホマレの瞳と目が合った。

 

 始まってから一度もそらされたことのない浅緑の瞳と。

 だからなのか、次の言葉は不思議なくらい、するりと出てきた。

 

 

 

「──なぜ、走るんですか?」

 

 

 

「約束のため。トロフィーを持たせてあげるという約束のため」

 

 

 

 男は、そうですか、と反射的に返していた。

 それと同時に、感じていた重さ──重圧は霧散していた。そして花の香りもまた幻のように消え失せている。

 

「では──」

 

 

 

「コラァッ!! アポ無しの取材はマナー違反やぞ!」

 

 突如、空気を切り裂くような裂帛。

 記者とシロツメホマレがそちらを見ると、小柄な芦毛のウマ娘が駆け寄って来るところだった。

 

「タマモクロスさん」

 

「かあっ! 流石にこんだけ距離があると逃げられるか……」

 

 気がつけば目の前の男は消えている。

 ここら辺は入り組んだ路地や住宅地の道が多いから、すぐに姿を消すのはそうそう難しいことではないのだろう。

 

「ホマレもちっとは怒った方がええで。ウチら、ただでさえちっこくて侮られるんやから」

 

 ふぅふぅ、と息を整えながらタマモクロスは言う。

 相当焦っていたのか、制服はすこしヨレているように見えた。

 

「ええ。次はそうするわ」

 

 ハァと、ため息が聞こえる。

 タマモクロスは本当に分かってんのか、と眉を下げた。

 

「それで、何か用かしら?」

「ん? 別にそんなん無いけど」

「? 用があったからわざわざ声をかけたんでしょう?」

 

 タマモクロスは目を瞬かせた。

 シロツメホマレもよく分からないといった雰囲気を出している。

 

「いやいやいや、アンタが絡まれとったから声かけたんやけど」

 

「それで?」

 

「それ以外ないやろ」

 

 無言の間が流れる。

 シロツメホマレの視界に映る空は、端から段々と暗くなってきていた。

 

 

「…………ありがとう」

 

 シロツメホマレは頭を下げた。

 さらさら、と髪の毛が重力に引かれて落ちていく。

 タマモクロスは屈託なく笑った。

 

「困ったときはお互いさま、やろ」

 

 お互い様。

 少なくとも、シロツメホマレの記憶にはタマモクロスを助けたことなんて無い。隅から隅まで記憶をさらっても思い当たらない。

 だが、タマモクロスは当然といった顔をしている。シロツメホマレは取り敢えず頷く事にした。

 

「ほな、学園帰ろか」

 

 その様子に満足したのか、タマモクロスは笑ってくるりと体を反転させた。

 そしてずんずん、と歩き出す。

 

「タマモクロスさん、手」

 

 あまりに自然に、タマモクロスはシロツメホマレの右手を取っていた。それをシロツメホマレは足を止めて指摘する。

 

「ん? っと! ああ、すまん! つい癖で」

 

 タマモクロスは自分が何をしていたのか、すぐに気がつくと慌てて手を離した。

 本当に驚いた様子だった。

 

「ウチのチビたちが、迷子んなった時いっつもおんなじようにしとったから」

 

 芦毛の少女は耳をへにょんと垂らした。

 

「寂しくって不安やのに。でも強がって泣くのを我慢してるウチの──」

 

 タマモクロスはそこで一度言葉を切ると、シロツメホマレの目を正面から見つめる。

 

「申し訳ないっ! アンタも一つ下ってだけなのに、無意識でもウチの弟妹達みたいな扱いしてもうて」

 

 そして勢いよく手を合わせて、頭を下げた。

 

「そんな目で見られんのは嫌やってイチバン分かってた筈なのに──!」

 

「ねぇ、タマモクロスさん」

 

 その言葉を止めるように、シロツメホマレは呟く。

 タマモクロスはパッと顔を上げて小柄な少女を見た。

 

「家族はすき?」

 

「あったりまえや」

 

「そう」

 

 それだけ言うと、シロツメホマレは押しだまる。

 タマモクロスは何か言おうとしたが、何も出なかった。

 

「帰りましょう。すぐ、そこだけど」

 

 シロツメホマレはタマモクロスの横に並ぶと歩き始める。タマモクロスはそれを追うように歩幅を合わせた。そうして二人は並んで学園へと戻っていった。

 夕陽に伸びる影は、まるで仲の良い姉妹のようにも見えた。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 新年明けて、年の瀬の忙しさも落ち着いた頃。

 シロツメホマレは廊下を一人で歩いていた。

 

『でさー、あの聞いた?』

『ウンウン、あれでしょー? ……あっ』

 

 最近、視線の質が変わったような気がしていた。

 今までは何処かシロツメホマレを避けていた子たちが、今度は何か伺うような目で見てくるのだ。

 

 それが何なのか、分かりはしないが。

 

 がたがたと窓が揺れる音がする。

 外に目をやると、裸になった木がしずかに突っ立っていた。

 

 

 変わったことといえば、少し前に(数日前だが)トーセンジョーダンが焦ったようにシロツメホマレの元へとやって来た。

 開口一番、彼女は

 

『シロちゃん、SNS始めた!?』

 

 と聞いてきた。

 耳慣れない呼び方に首を傾げながらもシロツメホマレは『いいえ』と端的に答えた。

 

『よ、よかったぁ……』

 

 その返答に、トーセンジョーダンは力が抜けるように胸を撫で下ろした。それを見て、シロツメホマレはポケットから携帯を出し、いくつか操作をした。

 

『いま入れたわ』

 

『わーッ! わーっ!』

 

 

 ────

 

 

 シロツメホマレは改めて携帯を取り出す。

 そこには、入れたものの使い方が分からず放置されているウマスタだか、ウマッターだかのアプリが佇んでいる。

 それを退けるように、ゴールドシチーへ連絡を入れようとメッセージアプリを起動しようとして、止めた。

 

 たぶん、彼女は近くにいるからだ。

 一つ先の教室にいつものように、ファンの対応なんかをしているだろう、と。

 

 最近は、なんだか周りが騒がしい。

 愛川も忙しそうにしている。

 

 復帰戦の寒椿賞まであとひと月。

 一月の出来事だった。

 

 

 ◆

 

 

「この前の阪神、スッゴクキレイでした!」

 

 巻き髪のウマ娘は、目を輝かせながらそう言った。

 

「アハハ……ありがと」

 

 ゴールドシチーはかすかに笑みを浮かべながら答える。

 彼女の周りには何人ものウマ娘がおり、彼女はその対応をしていた。

 

「でも何でクラシックに行かれるんですかー? あ、きっとクラシックもシチーさんの大活躍で終わりそうですけど!」

 

 また別のウマ娘が尋ねる。

 その質問にゴールドシチーは少し視線を上に向けて考えた。

 周りのウマ娘は、そんな彼女を期待の眼差しで見つめていた。

 

 すると、ガラリと扉の開く音がする。

 

「ゴールドシチー。席が取れた……お取込み中ね」

 

 そうして、ひょっこりと無愛想なウマ娘が顔を出した。

 しかし、ゴールドシチーの様子を見るとすぐに引っ込んで消えてしまう。

 

 こちらの答えも聞かずに行ってしまうとは。仕方がないな、と思いながらゴールドシチーは周りのウマ娘の対応に戻る。

 そこで気が付いた。

 

 

 静かなのだ。

 誰も彼も、シロツメホマレの去った方を見て口を閉じている。

 1分ほど経っただろうか。ざわざわと、喧騒が戻って来た。だが、その内容は先ほど一瞬顔を出した隻腕の少女の物だ。

 

 ゴールドシチーはひとつ、息を吐いた。

 

「アイツめちゃめちゃボードゲーム弱いんだよね」

 

 いきなり紡がれた発言に周りのウマ娘の視線が集まる。

 ゴールドシチーは気にしないように続けた。

 

「何度やっても、何をやっても簡単に勝てちゃう」

 

 ふふ、と笑みを浮かべる。

 何となく、最近シロツメホマレの周りにある“良くないモノ“は知っていた。

 

「いつだって、バカみたいに真正面から向かって来るから」

 

 だが、その噂と彼女の実情があまりにそぐわないので直ぐに出鱈目だと断定した。

 それでも、彼女と関わりのない者はどうしても疑ってしまうものだ。

 

「絡め手とか、捨て駒とか一切しないでこっちに向かってくる」

 

 噂とはそういうものだ。

 一度広まったイメージは、本人が解かない限りなかなか消えることはない。そしてシロツメホマレはそんなのに興味はないだろう。

 

「ホント、バカみたいに真っ直ぐなヤツ」

 

 ゴールドシチーは呆れたように、そう言うと周りのウマ娘の顔を一通り見回した。

 彼女らは、少しの困惑を顔に浮かべている。

 

「ゴメン。アタシ、カフェテリア行って来っから」

 

 また今度、とゴールドシチーは去っていった。

 ブロンドの髪に光を反射しながら。残されたファンの子達はその光景に目を奪われた。

 

 

 

 ◆

 

 

 同月、昼下がり。

 

 その日も愛川は、狭いトレーナー室でパソコンと向かい合っていた。

 カタカタとキーボードの音と、時計の針だけが鳴っている。

 

 ピロン、と携帯が鳴る音がする。愛川はそちらに目をやった。

 画面に映っていたのはいつもの連絡。それを確認すると深く息を吐き、伸びをした。

 

「……はぁ」

 

 近頃、シロツメホマレに関する出鱈目が出回っている。

 初めのうちは小さなボヤの様なもので、すぐに消えると思っていたが中々鎮火の気配はない。

 それどころか、その足跡がだんだんと近づいて来ている気がして嫌な感じだった。

 

 かといって、愛川はトレーナーであり、メディア系は専門ではない。だから、実態の良く分かっていないものをどうすることも出来ずもどかしい思いをしていた。

 

 ちらり、と時計を見る。

 現在15時過ぎ。あと1時間もしないうちにシロツメホマレとのトレーニングが始まる。それまでに今のやっているレース調整をひと段落させようと再びパソコンに向かい合った。

 

 彼女の仕事はそれだったから。

 

 

 

 コンコン、とドアを叩く音がする。

 

「は、はーい」

 

 椅子に座りキーボードを叩く直前だった愛川は慌てたように扉へと向かう。誰か職員の人が頼んでいた資料を届けに来てくれたのかも知れない。

 

 冷えているドアノブを回し、ドアを開ける。すると、そこには一人の細身の男が立っていた。

 

「いやー、さむい寒い」

 

 ニコニコと張り付けたような笑顔の、どこか軽薄さを感じる男だ。

 

「どうも、どうも。こんにちは。(わたくし)こういう者です」

 

 慣れた手つきで、男は上着の中にある2枚の首にかかった物を掴むと愛川に見えるよう示した。それは来客許可証と、IDカード。

 そのIDカードの方にはURA職員を表すマークが付いていた。

 

「あの……えっと、何でしょうか?」

 

 突然のURA関係者の訪問に愛川は目を白黒とさせる。

 その様子に男は寒さで赤くなった鼻を鳴らした。

 

「まァ、ココでもいいんですが、色々あるので中でお伝えしても良いですか?」

 

「あっ、はい。どうぞ」

 

 扉を少し大きめに開き、男をトレーナー室に入れる。

 扉を閉めると、外の冷気は遮断されて少しだけ暖かくなったような気がした。

 

「いやー、どうもどうも」

 

 上着の下にスーツを着ていた男は、相変わらずニコニコとしながら上着を脱ぐ。そして腕に脱いだ上着を持った。その、一見乱雑に見えて、実は丁寧に上着を持つ様子から、男が意外と細かいところまで気を使う性格なのだと分かった。

 

「ホントは()()()()()やらないんですけどね。お上が行け、行けってうるさくって……」

 

 男は上着を持つ腕とは反対の手で、首の後ろをさする。

 口角は相変わらず上がったままだが、眉間に皺がよって彼の心情を伝えていた。

 

「あー、ゴホン。では、確認します。貴女は愛川ナツノさんで間違い無いでしょうか?」

 

 咳払いと共に姿勢を正し、かしこまった態度になった男に愛川は思わず背筋を伸ばす。

 

「は、はい」

 

 一体何を言われるのか。

 氷の様に張り詰めた空気が二人の間に広がった。

 

 やがて男がスゥ、と息をする音がした。

 そしてニコニコとした表情を消すと、愛川に目を合わせた。

 

 

 

 

「これはまだ正式には決定していませんが──シロツメホマレさんのクラシック登録は棄却された事をお伝えしに参りました」

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。