「はぁ!? テレビ?」
清潔な個室に、そんな冴木の素っ頓狂な声が反響した。
動いた腕につられて、点滴がカシャンと揺れる。
『そうよ。言ってなかったかしら』
「聞いとらんわ!」
冴木が辛抱たまらんと言った風に言い返すと、タブレットの向こうにある顔はすこし眉を下げた。
時刻は日曜、夜20時。いつものシロツメホマレとの通話の時間だった。
『前々からあるかもって言われてて。で、今日正式に決まったって連絡があったのよ』
シロツメホマレは淡々と告げる。
彼女の同室は部屋割りの都合上居ないらしく、殺風景な寮の部屋が画面の背景になっている。
ポスターのひとつでも飾ればいいのに、と冴木は常々思っていた。
「はぁー、そんな事が。ま、がんばり。今度のレースもな」
指を顎に当てながら冴木は言う。
ヒゲが少し伸びてきたかもしれない。そろそろ剃らなければ。
『あなたも取材されるかもしれないのよ』
「えっ」
『そういう番組だって言うから』
予想外の方向から投げられた情報に冴木は固まる。
テレビといったら、トレーナーでもない冴木自身は関係のない話だと思っていたのだ。そんな規模の、ちいさな番組だと思っていたのだ。
「その、ホマレが出るっちゅー番組は何て言うんや?」
『待ちなさい』
そう言って少女は画面のフレームから下に外れ、耳だけが画面に取り残される。
どうやら机の中の何かを漁っているようで、ガサゴソと音が乗った。
やがてお目当てのものを見つけ出したのか、画面に唯一映る耳がピン、と立ち、遅れるようにシロツメホマレも顔を上げた。
『ええと……頑張る者たちへ贈る番組“セイムグランド“日曜よる6時半より放送、ぜひお見逃しなく……だそうよ』
シロツメホマレはその目線を下に向けながら朗々と喋る。
それを聞いて冴木は目を見開いた。
「えらい有名なやつやん!? あの曲とか口ずさめるで。チャララーチャラリラーってやつやろ」
その番組は数あるアスリートや芸術家、仕事人を特集するもので丁寧な作りから視聴率もなかなかに高い。
特徴的なのは、特集される本人はあまりフォーカスせずに、本人の周りの人、関わった人、教えた人などを取材していくという迂遠な手法を取ることだ。
彫刻のように、周りから本人を形作って行こうというのだ。
『メロディーもっと鍛えなさい。ひどいわ』
画面の向こうで少女がちょっと黙ってから言う。
何を考え込んでいたかと思えば、そんな事かよと冴木は苦笑いを口元に浮かべた。
「オブラートが欲しいなぁ」
『送ってあげましょうか』
「ちゃうねん」
『冗談よ』
「お前はギャグセンスを鍛えや」
◆
そして今日がその放送日。
冴木は机の上に置かれた18:29を示す電子時計を睨み付けるようにして時を待った。
女優が宣伝をしていた化粧品のCMが終わる。
テレビの音楽が切り替わり、画面からは微かな歓声が聞こえてきた。
『抜け出した! 抜け出した! スーパーヒュレーが一人抜け出しました! その後ろヘイストファイアも追走するが届かない! スーパーヒュレー、1着でいま、ゴールイン!』
映像は少し前の寒椿賞のもの。
先頭でゴール板をくぐり抜けた鹿毛の少女は大きく手をあげている。
そしてプッと映像が切り替わる。
続いては冴木にも見覚えのあるものだった。
『さぁ先頭は変わらず……いや、追い上げてくる! シロツメホマレだ! シロツメホマレがぐんぐんと追い上げていく!
そしてそのまま……ゴールイン! 信じられません、なんて末脚なのでしょうか!?』
前々から聞いていたが、どうやら今回はトウィンクルシリーズやクラシックを盛り上げてくれるであろうウマ娘を複数紹介する形式らしい。
かつてはシンボリルドルフも取り上げられた事があった。尤も、その時は彼女一人でまるまる番組を使っていたのだが。
それはそれとして。今回はトゥインクル・シリーズを走るウマ娘の中から注目度の高い順からピックアップされているというから、その中にシロツメホマレが選ばれることは不思議でもないだろう。
また映像が切り替わる。
オープニングが始まり、過去に特集された者たちが音楽を背景に流れていく。
『──いつの時代も、世を彩るものたちがいる』
聞き覚えのあるナレーションが始まって冴木は喉が渇いていることに気がついた。本編が始まるまでまだ時間はあるのだし、と床頭台に置いてあったペットボトルを手に取る。
「…………」
そこで視界に入る、自身の伸ばした手。
それを見て冴木は少し動きを止めた。
細かった。前に覚えているよりも、幾分か骨に皮が近づいている。
指が特に顕著に見えて、骨に皮がくっついたような塩梅で、細く、まるで指が長くなったようにも見えた。
「アホらし」
冴木は、ふん、と息を吐いて飲み物に手を伸ばす。
そしてグイッと大仰にボトルを傾けるとそのままゴミ箱に投げ入れた。
『──夢、希望、誇り、約束。本日は、その全てを懸けて、駆ける少女たちに迫る』
◆
一番最初は、先の寒椿賞を制したスーパーヒュレーから始まった。
河原のような場所で、老齢の男性がマイクを向けられている。彼の背後では幼いウマ娘たちが声を上げながら走っていた。
どうやら、彼女の小さな頃に所属していたクラブのコーチらしい。
『えぇ、とっても良い子でした。元気で……子供は大体そうなんですけどね。あの子は溌剌って言うのかな。とにかく、力強かった。エネルギッシュと言った方が近いかもしれません』
ドキュメンタリー独特の編集の仕方と音響が画面から流れる。
冴木はベッドの上で動かずにそれを見ていた。
彼女の強みは何ですか? と画面に映らないスタッフが質問をする。
顔に皺のある男性は少し間を空けて答えた。
『才能です』
『本当は夏にデビューする予定だったんですけど』
場面が切り替わり、今度は一般的なリビングを背景に明るい栗毛の女性が映る。この映像をつなげたような構成が番組の特徴だった。ニュースの街頭インタビューのようにどんどんといろんな人に質問を投げていくのだ。
『脚が調子悪かったって。少し泣きそうな声で電話してきたんです。トレーナーさんも辛い決断だったと思います』
女性は上品に頬に手を添え、すこし困り顔で笑った。
彼女はスーパーヒュレーの母親だと言う。
『昔っから少し活発な子でしたから。お皿なんかも、洗うときに手伝ってくれるんだけどすぐに割っちゃって。それでもケロリとしてるんです。だから、あんな声を電話で聞いて心配しました。でもね、それだけ真剣に打ち込んでるって思って、嬉しくもあったんですよ』
なるほど。画面外で相槌を打つ声がする。
そして続けて尋ねた。では、彼女の強みは何ですか? と。
女性は間を空けず答えた。
『直向きさです』
◆
やがてスーパーヒュレーに関するインタビューが終わり、最後に彼女の一言で締め括られた。
『頑張ります! 精一杯に!』
そして次の番へと移る。
これで、一人分。
次のウマ娘に関係する人インタビューがまた何人かあり、最後に本人の言葉で締めるのだ。
◆
場所は夕陽の差し込む教室だった。
木目の床に、少し白みの残る黒板。高さの低い椅子と机が規則正しく並んでいる。
──シロツメホマレさんはどんな子でしたか?
スタッフが手慣れたように尋ねる。
老境に差し掛かろうという女性は窓の外で遊ぶ子供たちをちらりと見て、答えた。小学校の教師らしい落ち着いた口調だった。
『そうですね……。すこし、浮いた子でした。あんまり感情を出さない、出すのが苦手なのかな。でも優しい子でしたよ。黙々と係の仕事をやるんですよ。ちょっとそれが伝わりづらかったけれども』
──その頃から脚は速かったんですか?
続けるように質問が飛ぶ。それに対して女性は口元を緩める。
『ええ、とっても。普段あまり動かなくてジッとしている子だったけれども、走る機会がある時──例えばちびっ子レース大会の時なんかは最初から最後まで先頭だったんですよ。あれは速かった』
記憶を思い起こして、笑うように女性は言った。
ゆったりと、包み込むような笑みだった。
──彼女の強みは何だと思いますか?
質問者が、お決まりの最後の問いを投げかける。
『走ることに対する意志、だと思います』
『彼女についてですか』
場面は再び、やや唐突とも思えるくらいに切り替わる。
そこは白色で統一された部屋で、マイクを向けられた人物が白衣を着ていることもあり清潔な印象を与えた。
──シロツメホマレさんは、たいへんな怪我をされたと聞きます。
──個人情報に差し支えない範囲で当時の彼女の様子をお聞かせください。
それに対し、彼女を担当した医師は眼鏡の奥を細めた。
『落ち着いていましたね。現状を理解出来ていないことから来る落ち着きではなく、しっかりと現実を認識した上で動じて居ませんでした』
成程、と取材をする男が相槌をうつ。
そして次の質問をしようとしたその時、穏和な顔つきの医師は部屋の上の方を見た。
まるで頭の隅にある、過去の記憶を探るような動作だった。
そしてやおらに口を開くと、“私はね“、と続ける。
『昔……といってもまだ三年前ですか。いやはや、彼女は印象が強い子でしたからね。ええ、それで、彼女が手を失くしたすぐの時の話なんですが。私はね、それとなく別の道を勧めたんですよ。無理することはない、走れなくたってあまり気を落とさないでねって』
少し離れた所で呼び出しの音がする。
今でも病院は正常に動き続けている。
『それが最善で、彼女の傷が少しでも癒えればと思いました』
インタビュアーは口を挟むことはせずに、黙って続きを待った。
『その後どうなったかは、ええ』
分かるでしょう? と医師は苦笑する。
『これはあんまり話さない持論なんですが』
医師はすこし奥の方からデータを取ってくるように、言葉をゆっくりにしながら呟く。
『せっかくの機会ですからね』
医師が言う。
カチコチと時計が規則正しく時間を刻んでいた。
『“死なない“為には、水と食料……極論、点滴さえあればいいんです。でもね、“生きる“為には
彼は、いいですか、と指を一つ立てる。
丁寧に教える教師のような物言いだ。
『明日……すこし包括的に言い換えれば、未来に。なにか希望が』
──希望……ですか。
インタビュアーは呟く。
医者は頷いた。
『なんだって良いんです。好きな歌手のコンサートが2月後の夏にあるとか、最近でいえばやってるゲームのログインボーナスを確認したい、とかでも』
医者はそう言って、パッと手を開いて見せる。
シワの刻まれた、時間を感じさせる手のひらが映った。
『とにかく、楽しみ、希望がないと憂鬱になってしまう』
戯けたように、気分を楽にするように。
あえて軽く続ける。眼鏡の奥はやさしく笑っていた。
『ただね、人間、体が病んで心が弱るとそれがすごく難しいことになる。辛いときに明日のことなんて考えたくないですよね』
ははは、と軽く笑う医師。
真剣さも混じったように思える、暗い雰囲気をどうにか明るくしようとするもの特有の笑いだった。
『そんなこんなで、どうにか明日を想像しても、なにも展望が見えなくて。この先もずうっと辛い人生が続くと考えてしまう。それで、さらに弱る』
そこで2秒、3秒、沈黙が降りる。
普通であったなら気にも留めないような秒数だが、話の最中に差し込まれたその時間はすこし長いように思えた。
その間、医師は遠くを見るように目を細く、ちいさくしていた。
『──だから、必要なんです。奮い立つ為の──なんて大袈裟なものでもないけど。ちょっと前を向けるような光が。明日はいい天気かもしれないっていう夢が』
やがて目線をまたカメラ(インタビュアー)に戻すと、同じような口調で続きを話し始める。
カラカラと、軽快な響きだった。
『いまは折れていても、俺はまた、立ち上がれる。私はまだやれるっていう希望が』
ポーンと音が鳴る。
廊下で子供がなく声がする。
医師は少し時間を開けて、落とすように言葉を放った。
『彼女は、それです』
『期待を背負わせる訳じゃないんです。活躍して欲しい訳でも……いえ、活躍してくれたら嬉しいですけどね。でも違うんです』
『違う……とは』
『彼女が走っている姿が見たいんです』
『走っている姿を』
『ええ。だから、よく聞かれるんですよ。“あの中庭で走ってた子は、つぎいつ走る、どこを走る“って』
電子音がすぐ近くで鳴る。
医師はインタビューの最中だと言うことも忘れたように、パソコンに手を伸ばした。
いつもの染みついたような動作だった。
そして、そのまま、独り言のように呟いた。
『厳しい冬を越えられなかった草木は、いつだって春を待ってるんです』
彼女の強みはなんだと思いますか?
『ふふ、何でしょう。私にもよく分からないんですよ』
医師は楽しそうに笑った。
◆
『意気込みといわれても、無いわ。走るだけ』
シロツメホマレは無愛想とも取れるような口調で言う。
テレビ用にすこし髪を整えて、光の当たり具合も調節されているが、表情と佇まいはいつもと変わらず、変わらない。
なにも取り繕わない姿で一言を締めくくる。
そして画面が暗転し彼女の番は終わった。
──これは余談なのだが。
寒椿賞で見せた姿と、寒椿賞後少ししてから放送されたこの番組でのあまりに態度を変えない姿は、そこそこの好評を博したという。
冴木はそれを聞いてひどく不思議そうな顔をした。