ちょっとは笑って! ホマレちゃん!   作:調味のみりん

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最終話.はなしのおわり

 

 

 

 

 細かい所作を覚えている。

 指にタコがあった事。ドアの開け閉めは意外と丁寧だった事。

 

 呼んでくれた声を覚えている。

 なんどもなんども、名前を呼んでくれた。

 

 全ての記憶は、反芻するたびに懐かしく。

 それで、いつしか彼女の宝物になっていった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 菊花賞の前にナツノと食べたシュークリームは美味しかった。

 菊花賞の前の日にやってたテレビは名前の知ってる人が出ていた。

 

「ふん、ふふん」

 

 さっと勝負服に袖を通す。

 揃えておいた靴を履く。

 

「緊張してる?」

 

 トレーナーが聞く。

 勝負服が変なふうになっていないか、真剣に点検しながら。

 

「ええ」

 

 心臓はバクバクとする。

 これからレースだから。

 

 だから、そう。言うなれば興奮と不安の入り混じった感覚だ。

 これから始まるのは長いながい、3000メートルの戦いなのだから。

 

 控室の時計を見る。無骨な時計だ。

 あと1時間で出走。コンコンとつま先で靴を調整して、グルグルと部屋を歩き回る。

 

「ふふふん、ふん、ふん」

 

 鼻歌が漏れる。

 体の奥から熱が出てきて、それが手にも移動する。

 

 ここまで来た。

 前じゃ考えられない場所に。

 

 

 

 ── それは引退も約束もかかっていない正真正銘の唯のレース。

 だがシロツメホマレの全てをかけたレースだ。

 

 

「ねぇ、ナツノ」

 

「何? ホマレちゃん」

 

 正直、負けるんじゃないか、想いに応えられないんじゃないかと思って怖くなる。

 でも、走る。

 

 怖さや痛みを知ってて。それでも先を目指して飛び込む事が“強さ”だと思うから。

 自分の病気を知ってもなお、諦めなかった(トレーナー)を知っているから。

 

「──いってきます」

 

「うん。行ってらっしゃい」

 

 

 

 ◆

 

 

 

 菊花賞。

 それは開始されてから一度も距離の変更がない過酷なレース。

 

 その成り立ちや由来は語るほどに多くあるが、ここではその一切を省く。

 必要な情報は、そのレースが『クラシック競走』の最終戦であること。

 GⅠの格付けであること。そのレースを勝つためには強さが必要であること。

 

 京都レース場、芝3000メートルであること。

 

 

 そして、彼女の、これまで貰った応援に応える為のレースであるということ。

 心から彼女の事を、想ってくれたひとたちへ応えるために、勝ちたいレースであるということだけだ。

 

 

 

 ◆

 

 

 ゲートに収まる。

 鉄の匂いがする。

 

 腕に力が籠る。周りのざわめきが聞こえる。

 

 

 ──それじゃあ、何がキミを走らせているんだ? 

 

 

 何のために走るのか。

 今なら答えられる。

 ありがとうと言うため。貰った想いに応えるため。

 

 

 あと、ゴールドシチーに負けたことが悔しかったから。

 色々考えたが、やっぱり悔しいものは悔しい。

 あの瞬間を思い出すたびに歯を食いしばってしまうくらいには。

 

 それをゴールドシチーの前でやると彼女は微妙な顔をするのだが、どんな感情なのかは知らない。

 とにかく次は絶対に追い抜かす。

 

 

 パッとゲートが開いた。

 

 

 

 

 ◆

 

 

『ゲートが開いて、スタートしました。スーッと出たのはポルカステップ、ゴールドシチーも行った、シロツメホマレは後方からです』

 

 

 芝を踏む感触がする。

 スタミナは温存しなければならない。

 

 

 中団に位置したウマ娘は冷静に辺りを見渡した。

 特に警戒すべきは──ゴールドシチー、スーパーヒュレー、そしてシロツメホマレ。

 目立つ金髪は前目にいる。速度が少し速い。

 スーパーヒュレーは一つ後ろのあたり。シロツメホマレは後ろすぎて見えない。だから怖い。

 

『歓声に迎えられて、まず最初、ここから長い戦いが始まる、第三コーナーの坂へ! おおっと意外! ポルカステップ逃げる逃げる! ゴールドシチーは早めに上がっていく』

 

 最初の下り坂、意外と体力が持ってかれる。

 なんとか姿勢を立て直しながら首を動かして、確認できてない最後の一人を見ると。

 

「んっ?」

 

 声が出た。

 最後の一人、シロツメホマレはどうしているかと見れば、ぜいぜいと荒い息を吐いて辛そうに下っている。

 まだ、始まって数百メートルだ。それをあんなに──

 

 そこで気がついた。

 自分の息もだんだん切れてきた事に。

 

(前のウマ娘が速い!?)

 

『時計が表示される。響めき! 前半千メートル通過タイムは58秒8! かなりのハイペースです!』

 

 

 なんて事だ。

 菊花賞の立ち上がりは緩やかなはず。

 こんな、こんなペースで行けるわけが無い。

 

「はっ、はっ、……」

 

 いや、息を整えろ。

 行かなきゃ、そうじゃなきゃ勝てない。

 覚悟を決めて、行くしかない! 

 

 

 そして少女は一歩、気持ち大きく踏み出した。

 

 

 

 ◆

 

 

 正直、二度目の第三コーナーを回った時点で、シロツメホマレは息も絶え絶えだった。

 長距離なんて得意じゃない。彼女はただ走るだけで体力消費が激しいから、最後のスパート分のスタミナが残せるかどうかなのだ。

 

『さあ、二度目の坂です。各ウマ娘がどのように攻略をしていくのか! ジュエルアズライト厳しいか! 先頭変わってゴールドシチー! ゴールドシチーが早くも先頭に立ちました、残り600メートル!』

 

 

 ゴールドシチーはグングンと加速していく。

 速すぎるペースにバ群が長く伸びる。

 

 ああ、これこそが。

 これこそが今回のゴールドシチーの作戦か。

 酸素の回らない頭でシロツメホマレは理解した。

 

「ぜぃっ……ふぅ……」

 

 ハイペースで全体を長くして、先頭をシロツメホマレのスパートでは届かない距離にまで延長する。

 長い隊列の最後方から追い込んだのでは、現在先頭で走るゴールドシチーには届かない。

 

 打開策は、早めにほかのウマ娘を躱して前に上がる事だろうが、このペースで既に2400メートル、つまりダービー分を走っているのだ。そんな体力が残っているはずかない。

 

 

 そしてブロンドの彼女は、最終コーナーを過ぎた辺りでシロツメホマレに合わせてスパートをかけるだろう。そう、するに決まってる。

 万が一、シロツメホマレのコース取りが奇跡的に上手くいって追いつかれそうになっても、逃げ切れるだけのマージンを取るために。

 

 

 だから、()()()()でスパートを掛ける! 

 

 

『五番手のスーパーヒュレーがじわりじわりと機会を伺って──内からシロツメホマレ! 内を割ってシロツメホマレが勝負を仕掛けた! 残り400メートル! 先頭まで10バ身以上ある、届くのか! ゴールドシチーも加速を始めた! 前と後ろから! 凄まじい叩き合いの始まりだ!』

 

 

 最終コーナー途中からのスパートという、皐月賞でも見せた大博打。

 グングンと上昇していくが、あの時と決定的に違うことが一つ。

 

 それは走り切った距離の差。

 皐月賞のスパート地点よりも4ハロン近く長く走っている。

 

 スパートは、その後の体力が持たないから最後にかけるのだ。

 シロツメホマレのスパートは一瞬の煌めき。

 だから、時期が過ぎればそれは──

 

 

『シロツメホマレ五番手、四番手、しかし届かない、届かない! 失速した! 入れ替わるようにスーパーヒュレー! 鹿毛のウマ娘が前へ前へと進んでいく! 先頭は依然ゴールドシチー、やや苦しいか、しかしそれでも前は譲らない!』

 

 

 ◆

 

 

 目の前が暗くなる。

 脚が重くなる。

 

 腕が疲れた、上がらない。

 酸素が足りない。

 

 そういえば、お父さんはわたしが走ると喜んでいた。ミハルはわたしに感謝していた。

 それがどうしてなのか理解できなくて、でも喜んでくれるならそれでいいとしか考えていなかった。

 

 

 

 

 今なら分かる気がする。

 みんなが満足していった理由が。

 

 わたしを送り出した理由が。

 

 

 

 わたしがみんなの──誉れになれたのかな。

 わたしの名前はシロツメホマレ。

 

 頭にパチン、と火花が走った。

 瞬きを一つした。

 

 

 すると、そこはターフではなかった。

 何処までも続く平原だった。太陽の光が穏やかな熱を地面にある植物に伝えている。その中にポツンと一本、淡紅色の木。

 いつか見たことのある、何処までも雄大な平原だった。

 

 あの時と違うのは、風が吹いていること。

 青々とした草を撫でるように、少し乱暴に。

 

 びゅうと、新鮮な空気が流れていく。

 

 

 辺りを見渡す。

 あの時に会った、顔の見えない少女は居ない。

 その事にじんわりと水が染み込むような寂しさを覚える。すると右手に熱を感じた。

 いつのまにか握りこんでいた右手を開いてみると、あの時に貰った植物の一部があった。

 

「そうね」

 

 シロツメホマレは呟く。

 びゅうびゅうと風は吹いて、地面の白詰草を揺らしている。

 

「そこに居なくても、一人じゃないわ」

 

 ここに居る。貰ったものが共にある。

 寂しさは消えたわけじゃないけど、それだけじゃない。

 

 彼女は目一杯に肺を膨らませ、息を吸い込んだ。

 ──次のスパートを掛けるために。

 

 

 ◆

 

 

 

 誰もが目を疑った。

 一度沈んだはずの少女が、バ群に消えたはずの少女が。

 

 

『ゴールドシチーか! スーパーヒュレーか! 二人のウマ娘のぶつかり合いです!』

 

「シッ──」

 

『──な、なんと! ここで大外からシロツメホマレ!! シロツメホマレッ! シロツメホマレが再加速して追い込んできた!』

 

 突如として先頭争いに参戦したから。

 

 どよめく観衆。

 今まで見たことが無い、2()()()のスパート。

 

 淡い小麦色の髪が置いていかれるように流星を描いて、少女はゴールに向かって走っていく。

 その強さに、躍動に。生命力に。

 

 多くの人が息を呑んだ。

 結末がぐんぐんと動き出す。

 

 多くの歓声や叫び声が混じり合う。

 人の声が空気を揺らす。地面を揺らす。

 

 そして高められた熱は一つの収束へ──

 

『凄まじい脚! 凄まじい追い込み! これが彼女です! これがシロツメホマレです! 誰も寄せ付けない剛脚こそが彼女の走りです! そして二人を追い抜かし──咲いた咲いた! 菊の季節にクローバーの花が咲きました! シロツメホマレ先頭でゴールイン!!』

 

 

 

 地鳴りのような喝采。

 観客は腕を振り上げ、声を上げ、劇的な勝利をした少女の名前を叫んだ。

 

『ホ マ レ! ホ マ レ!』

 

 

『うわー、場内すごい歓声です。ホマレコールが巻き起こっています! いやー、凄いですね萩谷さん』

 

『ええ、こんな……こんなレースは見たことがありません。ゴールドシチーとスーパーヒュレーのマッチレースかと思いきや、最後に飛んできたシロツメホマレが差し切る。一度沈んだ子が、ですよ!』

 

『勝者を讃える声は鳴り止みません。一着……あと一歩だった苦い思いのダービーを超えて、片手の少女が掴み取りました。シロツメホマレがやりました!』

 

 

『ホ マ レ!! ホ マ レ !』

 

 

 満員のスタンドが見える。

 笑顔でこちらを見ている。

 

「────っ!!」

 

 シロツメホマレは体を丸めるように、溢れる感情を抑えるように右手を顔の前で握る。

 

 そして勢いを付けて、腕を大きく突き上げた。

 

 

 ドッ、と嵐のような歓呼の声に湧くレース場。

 その中でも、横から響いたパチパチという拍手の音が鮮明に耳に入ってきた。

 

 音の方を向くと、ブロンドの少女が勝負服の黒いジャケットを、すこし着崩して汗を垂らしながら拍手をしている。

 

「ま、アンタらしいデタラメな勝ち方だね」

 

 ゴールドシチーはそう言って苦笑いをした。

 

「シチー!」

 

「うわっ!?」

 

 それに、シロツメホマレは勢いをつけて抱きつく。

 ゴールドシチーは慌てて引き剥がそうとするが、右手だけの癖にホールドが強い。

 たっぷり3秒ほどかけてもがいた後、抵抗をやめた。そして自身の胸元に顔を埋める少女を見た。

 

「なに?」

 

 そう尋ねると彼女は顔を上げる。顔にかかった前髪が流れて、こちらを見つめていた瞳と目が合った。

 

 その浅緑の瞳の、目が醒めるような碧に思わず息を呑む。

 一体何を言われるのかと待ち構え──

 

「……わたしの勝ちね」

 

 チョップをかました。

 

「あいた」

 

 頭を押さえた少女は自然と離れ、2歩3歩と距離を取った。

 そして正面から向かい合う。

 

「シチー」

 

 彼女は鈴のような声で名前を呼ぶ。

 ん、と首を微かに動かせば菊花賞の勝者は一言。

 

「ありがとう」

 

 と、言った。

 ゴールドシチーは答えないで、手をひらひらと振って地下バ道の方へ体を向けた。

 今回、インタビューを受けるのは自分ではないから。 

 

 ねぇ、シチー、と再び後ろから声が掛かる。

 歩く速度を落として言葉を待ってみれば、ちょっとの震えもない声で疑問が飛んできた。

 

「あなたの走る理由にも、なれたかしら」

 

 はぁ、と息を吐く。

 今更何を。

 

 ゴールドシチーは振り返り、ビシッと小柄な少女を指差した。

 

「次はゼッタイに負けないから」

 

 

 これが彼女たちのクラシック、その終わり。

 終わりといっても、また次がやってくる。

 だから、その時に先の発言が合っていたのかどうか、分かるだろう。

 

 それはきっと、そう遠くない日に。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「寒いから、なかで待ってていいのよ?」

 

 ひゅるりと木枯らしの吹く晩秋。

 少女はトレセン学園のコートを着て墓石の間を歩いていた。

 体温が高いのか、寒々しい中でもちょっと鼻を赤くしているだけで他は平然としている。

 

「ううん、中にいっぱい着てるから大丈夫だよ。それに私もご挨拶しなきゃだし」

 

 すこし癖のある髪の女性が答える。

 彼女は黒い正装をして、花と桶を持って少女の後を追った。

 

「そう」

 

 墓石を掃除し、花立の水を換え、梅の花を入れる。

 

 そして線香の束に火をつけて、そっと供える。

 辺りの砂をすこし払ってしゃがみ込み、手を合わせるように片手を上げて目を瞑った。それに続いて愛川も目を瞑って手を合わせる。

 

 

 シロツメホマレはようやく決心が付いた。

 ちょっと遅かったかもしれないが、受け入れる決心が。

 前に進む決意が。

 

 愛川は、たっぷりと時間をかけて手を合わせ終わった後、目を開ける。 

 小麦の束みたいな尻尾を揺らす少女はまだ目を閉じて片手を上げていた。

 

 その横顔は相変わらず無表情で。

 それでもどこか、柔らかく見えた。

 

 やがて10秒もしない内に少女は目を開けて、立ち上がった。

 そうして線香の紙箱を持って花が入っていた袋を片付け、帰り支度をする。

 

「もういいの?」

 

「ええ、風邪をひいたら大変だもの」

 

 少女はそう言ってさっさと歩き出す。

 愛川はその後をちょっと不思議そうにしながら追いかけた。

 

 そして出口の辺りでシロツメホマレは一度立ち止まり、墓石のあった方を振り返る。

 

「さようなら、お父さん」

 

 ちいさな、誰に聞こえるでもない呟き。

 吐息は白くなって、空に昇っていった。

 

 

 

 さようなら、お父さん。

 

 ──わたしは元気でやっています。

 

 

 ◆

 

 

 

 

 菊花賞の後のあれやこれやも終わり。

 少し経ったころ。

 

 愛川の元へシロツメホマレから呼び出しがあった。

 別に呼び出しがなくても毎日のようにトレーニングで顔を合わせているのだが、わざわざ言うということは何かあるのだろう。

 

 愛川はトレーナー室で作業をしながら彼女を待つことにした。

 

 ガタガタと風が窓枠を揺らす。

 どこから入ってきた冷気でぶるりと震えた。

 

 もうすっかり冬だ。

 

 ストーブを買ったほうが良いかな、と思いながらパソコンと睨めっこをしていると、コンコンとノックの音がする。

 この小さな叩き方をするのは一人しか居ない。

 

「どうぞ、ホマレちゃん」

 

 愛川は眉間に寄った皺をほぐしながら努めて明るく声をかけた。

 

「失礼するわ」

 

 ガチャリと扉を開けて少女が入ってくる。毎日トレーナー室を使っている彼女なのに、やけに畏まって挨拶をするその様子に、おや、と顎に手をやった。

 

「外、寒かったよね? 何かあったかいの飲む?」

 

「ああ、えっと、いいわ。別に」

 

 明らかにソワソワとした態度。

 何か気にするように、ぎこちなく愛川の対面のパイプ椅子の前に立つ。

 

「ナツノ、相談があります」

 

 その改まった口調に、愛川もまた姿勢を正した。

 そしてシロツメホマレが口を開くのを待つ。彼女は明らかに緊張したようだった。まるで一世一代の告白をする時のような。

 

「わたしは……、わたき……」

 

 噛んだな、と思った。

 シロツメホマレは無表情のままだがちょっと耳が垂れている。

 

「ゆっくりで良いよ。話したいことから、話してみて?」

 

「ええ、うん」

 

 すぅ、はぁ、と深呼吸。

 浅緑の瞳は、いつもの静かな色に戻っていた。

 

「わたしは、トゥインクルシリーズを走れた。それはとっても幸運な事よ」

 

 確信するようにシロツメホマレは言う。

 もともと覚悟は決まっていたのか、その声に揺らぎはない。

 

「たくさんの人の努力とか、腕が切れたときも失血死しなかった運の良さとか」

 

 彼女らしい幸運の受け止め方だな、と思いながら続きを促す。尤もそんな事をしなくても彼女は懸命に伝えようと喋るだろうが。

 

「治療って、お金がかかるわ」

 

 うん、と相槌を返す。

 それは愛川も知っている。

 いくらか補助が出る時もあるが、それでもコストがかかると。

 

 

「負担を嫌って、持っていたはずの夢に挑まない事もある。そういう子を、一人、知ってるわ」

 

 シロツメホマレはひとつひとつ、丁寧に伝えるように言葉を紡いでいく。愛川はその内容に耳を傾けながら少女の様子を見ていた。

 

「だから、わたしの走った道を、もうすこし、後ろに伸ばしたいの。病室だったり、家のベッドだったり」 

 

 初めて会った時から2年が過ぎた。

 まだ幼い彼女は、その時から幾分か成長して見えた。

 

「その道の先は、先の景色は、きっと素敵なものだと思うから」

 

 

 そこでシロツメホマレは一度言葉を切り、ちょっと考え込むように上に目線をやる。

 

 

「わたしは、たくさんの想いを受け取って走ったわ。“受け継いだ”の、ほうが良いかしら」

 

 少女は言葉を連ねるように、口を開いていく。

 愛川は黙ってその言葉に耳を傾ける。

 

「そして、それはまた次に託していくものだと思うの」

 

 

「──誰かに想いを託されて走って、そしてまた次の誰かに繋いでいく。それがウマ娘なんじゃないかとも思うのよ。植物が種を未来に残すみたいに」

 

 

「だから、わたしも道として残したい。病気や怪我の治療にかかるお金で、道をあきらめそうな子がまた挑戦出来るように」

 

 

「そういう、ものをつくれないかって」

 

 

「レースの賞金は、ぜんぶ親戚の家に何年もお世話になったから入れてたのだけど」

 

 

「電話してみたら、1円も手をつけずに取ってあるって。わたしが自由に使いなさいって……」

 

 

 だから、と続ける。

 普段口数が決して多く無い少女が訥々と必死に語る様子はその心意気が伝わってくるようだった。

 

 

「ナツノ、手伝って、ください」

 

 それを受けて愛川は、ふふっ、と笑い出した。

 嬉しかったのだ。

 この子が、自分から一歩踏み出したことが。

 

 本人はその事に気がついていない様子だったが。

 

 

「うん、うん。一緒に勉強してやってみよっか」

 

 それでも良い。

 大事なことは、自分ですこしでも進むことだから。

 

「差し当たり、何をするとかある? ホマレちゃん」

 

 愛川はパタンとパソコンを閉じた。

 そしてちょっと姿勢を変えて、シロツメホマレへと尋ねる。

 

「ええ、まずは協力してくれる企業……スポンサーね。それを獲得したいの」

 

「うん」

 

 彼女は事前にかなり考えてきたのかスラスラと澱みない口調で言う。

 愛川は頷いた。

 

「それには、お金を出しても良いって思えるくらいのモノが必要ね」

 

 少女の言った内容をちょっと考えて、愛川は続きを促す。

 シロツメホマレは真剣な瞳で彼女のトレーナーを見つめ返した。

 

「だから、もし、よ。わたしがもっと有名になって、そのわたしが作ったものになら、出資する価値が出てくるんじゃないかって」

 

 スゥ、と息を吐く。

 それで思考が澄み切ったのか、彼女は落ち着いた声色で喉を震わせた。

 

「そうね。やることは結局は変わらないわね」

 

 そうなのだ。

 やる事は、つまりそういう事なのだ。

 

「走るわ。レースを」

 

 1秒、2秒。

 沈黙が流れる。

 

 カチコチと時計の音が響いて、愛川はいくつかの書類を手に取った。

 

「そしたら目標を決めなくちゃだね」

 

「ええ。ちょうど良いレースが──冬の中山に」

 

 

 そのレースの名前を有記念と言った。

 

 

 

 

 ◆

 

 ……………………

 

 

 …………

 

 

 ……

 

 

 

『それで、どうなったんですか!』

 

 博物館の中で、すっかり職員の話に夢中になっていた海外から来た若い男は興奮したように続きを尋ねる。彼女の有記念は勝てたのかどうか、と。

 

 しかし職員は何も答えず目を伏せると、勝負服が展示されたガラスケースの前にあるプレートを指差した。

 

 若い男は疑問符を浮かべる。そして指に沿ってそこを見ると、プレートにはいくつかの漢字とその横に数字が刻まれていた。

 

 数字は上から2、1、5、1、1、2、1……と続いている。

 文字が読めなくてもこれは分かる。まさに先ほどまで聞いていたシロツメホマレの戦績だ。

 

 そして男の気になる有記念は菊花賞の後だと言う。つまり1と書いてある次の──

 

 そこで、プレートをなぞる指が止まった。

 四文字の漢字、おそらくは有記念と書いてあるレース結果の欄には──何も書いてなかった。

 

『最初はいつも通りのレース運びでした。ですが、さあ仕掛けるぞ、という最終コーナーのすこし手前で。不運でした。そんな事はあってはいけなかった。だが、実際、彼女がゴール板をくぐる事は無かった』

 

 ああ、と声が漏れる。

 そんな、と。

 

 博物館に飾られているのは、どれも凄いウマ娘だ。

 幕末という時代を、走りで勧善懲悪していたウマ娘の話など心が躍った。

 そしてその殆どが、過去の、もう()()()ウマ娘である。

 

 そこに、彼女の──シロツメホマレの勝負服もある。

 

『そんな彼女の意思で出来たのが、シロイロ基金です。今年初めてそれを使った子が中央に来るそうですよ』

 

 

 話を聞く限り、彼には等身大の少女が映った。だが、彼女が歩いた道は荒野で、そして後続のために均した道にはクローバーがそっと見守っていて。

 確かに凄いウマ娘であった。

 

『凄い……ウマ娘だったん、ですね……』

 

『ええ、凄いウマ娘()()()

 

 若い男は目元を覆った。

 そしてすこし湿った声で、まるで決意のように言う。

 

『俺、おれ、忘れません。彼女が居た事は』

 

 すると職員は一瞬驚いた顔をしたあと、くっくっと笑った。

 

『あなたは運が良い。ちょうど今日ですよ』

 

 一体何が、という間もなく、別の場所に案内される。

 そこは入り口にほど近い場所で、大きなテレビモニターが設置されていた。

 

 そこに映っていたのは、満員の客席。

 緑のターフ。

 

 実況が興奮したように叫んだ。

 

『来た、来ました! “幸運”が再びターフに帰ってきました! 有記念を超えて……ッ、ながいながい休養期間を終えて、再びレースに帰ってきました!! お帰りなさい!』

 

 

 若い男はポカンとした顔でテレビを見上げる。

 しかしすぐに釘付けになったように、言葉もわからないのに真剣に一言一句聞き漏らすまいと画面を見つめた。

 

 職員の男はその様子に、ニコニコとしながら追加の情報を付け加えた。

 

 

『彼女が言うには、“今はとにかく──

 

 

 

 

 ◆

 

 

「名前を上げたいもの」

 

 地下バ道の入り口で、シロツメホマレは軍服を着たようなウマ娘に言う。

 言われた側の『皇帝』はすこし感心したような顔になり、すぐ不敵な笑みを浮かべた。

 

「君に初めて会った時を思い出すよ。あれはよく覚えている」

 

 シンボリルドルフは、懐かしむように過去の記憶と目の前の少女を重ね合わせる。前とはずいぶん違うところも多いが、変わらない箇所もまた、多い。

 

「延頸挙踵。あの日君に感じた予感は、この日のことだった」

 

「次は負けないわ」

 

 むっ、とした顔でシロツメホマレが言う。

 その宣戦布告を受けてシンボリルドルフはフッ、と笑った。

 そして、かつてシロツメホマレから受け取った言葉を脳裏に描きながら口を開いた。

 

「君は“優しい”ウマ娘だな」

 

 優しいヒトは強いのだった。

 紛れもなく、彼女は()()だ、と。

 

「さぁ、先に行くといい。彼女も首を長くして待っている」

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「いつまで経ってもその仏頂面は変わらないか」

 

 彼女はシロツメホマレを見つけるなり、そんな事を言ってきた。彼女──ゴールドシチーが立っていたのはターフの前で、つまり地下バ道の出口。

 黒い勝負服のジャケットに光が少し差していた。

 

「ええ、アイデンティティだもの」

 

「別のところに発揮しろし」

 

 シロツメホマレは蹄鉄を確認して、服のほつれが無いか確認して、それでターフに向き直った。

 

「冗談なのに」

 

「分かりにくい!」

 

 ふふっ、と声を漏らす。

 そして一歩、暗い地下バ道から、明るいターフへと踏み出した。

 身長も産まれも、育った環境もまるで違う二人。

 だがその歩幅は自然と、これから始まるレースが待ちきれないとばかりに揃って駆け足になった。

 

 

 緑のターフに躍り出る。

 

 

 瞬間、割れんばかりの歓声は、二人を包み込んだ。

 その歓喜の声は、いつまでもいつまでも。遠い未来までも響いていたという。

 

 

 

 

 

 

 

『ちょっとは笑って! ホマレちゃん!』 完

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ………………………………

 

 

 ………………

 

 ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピッ、ピッと電子音がする。

 薄らと目を開けてみれば、カーテンが空調に揺れていた。

 

 自分の右手に目を向けると、ほぼ骨。

 寝ぼけた頭で聞いた医師の説明だと、何ヶ月も何ヶ月もほぼ死んだ状態で眠り続け、そして目を覚ましたのだという。

 

 脳機能に後遺症は無いが、脚は二度と動かないだろう、と。

 それでも、奇跡的な事で──いや、よそう。

 奇跡の一言では無く、俺を生かそうとした執念と意志、想いによって偶然サイコロの目が()()()()に出たのだ。

 それが結果だ。

 

 

 

 

 

 慌ただしい足音がする。

 その音は病室の前で止まると、努めて音を立てないように静かに扉が開かれる。

 そこに立っていたのは、肩で息をする淡い小麦色の少女。

 

 

 

 前に見た時より、すこし背が伸びたかもしれない。

 当然だ。季節が一巡、二巡もする間、目を閉じていたのだから。

 

 少女はこちらを見ると、一瞬くしゃっと泣きそうに顔を歪めた。

 しかしすぐに頭を振って、目の端に光るものを溜めながら笑った。

 

 

「────おはよう、ミハル」

 

「おう」

 

 

 

 

 

 ──未来は続く。いろんな結末を抱えて。

 辛いことも多いだろうが、いつかきっとある、良かったと思える日まで。

 

 

 

 

 

 おしまい。

 

 









これにて『ちょっとは笑って! ホマレちゃん!』は結びとなります。



ここまで読んで下さってありがとうございました。無事完結させることが出来て、ほんとうに、楽しい時間でした。

このお話で、少しでも楽しんでいただけたなら、これほど嬉しい事はありません。

そしてこの場で、ここまで読んで下さった方、評価をしてくれた方、感想を下さった方。そして誤字報告をして頂いた方々に感謝申し上げます。あなた方が居なければこうして終わらせることも出来なかったと思います。何度も何度も頂いたご感想を読み返して力をもらっていました。

原作であるウマ娘プリティーダービー、並びに馬事関係者の方々へこのような素晴らしいコンテンツを作っていただけた事に感謝すると共に、皆さまのご健勝とご多幸を祈念いたしまして終わりの言葉といたします。


そして、最後に。
これを見ているあなたに、幸多からんことを願っています。



ーー調味のみりん

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