おぼえていますか?
踏まれても花を咲かせる雑草がある。
シロツメクサである。
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その草はクローバーとも言う。
ちいさな葉が3つ集まった、マメ科ジャクソウ属のこの草は、よく道端やグラウンドなどに顔を覗かせている。草原にもあるので、小さなころに冠を作った人もいるかも知れない。
人がへばってしまいそうな、この夏の暑い時期にも、青々とした姿を近所の公園で見ることができる。
咲かせる花は白い花で(種類によっては色が違うものもある)、これは小さな花が集まって一つの花に見えている。
こうした花は下から順々に咲いてゆき、その役目を果たしたならば垂れ下がって下に行く。こうすることで、白く咲く期間が短くとも長い間花を目立たせることが出来る。どうにかして虫に花粉を運んでもらおうとしているのだ。
そんなこの草はいくつか意味を持っている。
いちばん有名なもので、セント・パトリックがこの草の三葉を愛、希望、信仰と例えたことだろう。そして珍しくも四つ目の葉があるものは幸福となった。
四葉のクローバーである。
さて次に、かの草の効用について述べようと思う。
この頃は暑いので麦茶でも啜りながら聞いてほしい。
まずこの草は地面を這うように生える。
葉の付け根から根を出すのだ。そうして踏みつけられても、刈り取られても速やかに再生をする。
これが雑草を防いだり、土壌侵食の防止に繋がる。
また根粒菌(カラスノエンドウやレンゲ等に含まれる酸素を嫌う菌類)により、空気中の窒素を取り入れ痩せた土地でも緑を作ってくれる。
このことから土壌の改善にも用いられている。
そして役目を終えて枯れてしまった後の物は、江戸時代には緩衝材として、オランダからガラスの器を運ぶ手助けをしてくれた。シロツメクサの名前の由来もここにあるとされている。
加えて薬用(ストレスや出血など)や食用としても我々の役に立ってくれる。
最後に私の好きなウマ娘について述べたいと思う。
なぜ唐突にと思われるかもしれないが、今までの話と繋がっているのだ。
彼女の名前は『シロツメホマレ』。
トゥインクル・シリーズを駆けた、一人のウマ娘である。
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ふう、とひと息ついて男はパソコンを閉じた。
部屋の壁掛け時計に目を向ければ14時過ぎを指している。ちょうど暑さがピークの時間帯だ。しかしその暑さも稼働しているエアコンが打ち消してくれている。
男はパソコンやらサボテンやらが飾ってあるサイドテーブルから離れると、窓の外を眺めた。
青々とした海原のような空に、雲の大波がうねっている。金床雲は空の上で平に広がっている。真白の太陽は全てのものを鮮やかに映し出して、夏の色がビー玉のようにそこかしこにあった。
──彼女と話したのは、それとは真逆の季節であった。
どうして今回このような趣味の記事を書こうと思い至ったかかと言うと、姪の小学校の講演会に彼女が来たから。
保護者も参加できるとあって、忙しい姪の保護者の代わりに子守を任されたのだ。
最初は断った。
理由は彼女に会いたくなかったから。
合わせる顔などありはしないから。
当時の末端の記者の自分のことを覚えてはないだろうが、悪いことを──そう、悪いことをしてしまった。悪い質問をしてしまった。それに関して言い訳はいくらでも出来る。だが、いくら頭の中で正当化しようとも結局それは罪悪感に変わってしまった。
何年も前に生まれた姪の面倒を時々見るようになってからは尚更。
だが、姪に引き摺られてでも行ってよかった。
“今”の彼女を見ることができてよかった。
あの時の、現役時代と変わらぬ背格好に表情。
だが、あの時よりもずっと、強い力を感じた。
彼女はよく、各地の学校の講演に呼ばれているらしい。
そこで話す内容は別段、話術に富んでいるわけでもない。ジョークを入れるわけでもない。ただ淡々と彼女の辿ってきた事実を話すだけ。
それでも、その事実こそを皆目を輝かせて聞いている。
教職員が聞かせたがっている。
ピッ、とエアコンの何かの音が鳴った。意識が現実の部屋に引き戻された。
ふと窓辺に置いた、真新しい靴の入った箱が目に入る。小学校低学年のサイズの、小さな靴だ。
中身は姪にせがまれた、新しいタイプのランニングシューズだった。
その経緯は簡単だ。
あの講演会のあと。恒例だという彼女とのレースに、彼女の話にいたく感動したらしい姪は喜び勇んで挙手をした。
そうして、こてんぱんにされて半べそで帰ってきた。
それもそうだ。彼女は引退しているとはいえ、仮にもG1を獲ったウマ娘。それが小学生と
でも良いのだ。それで、いい。
最高峰のアスリートが本気で勝負をしてくれるありがたさはいつか分かる。本気で、子供扱いしないでぶつかってくれる彼女の
だが、まぁ──今まで小学生の中では足が速く、鼻高々だった姪にとってはつらいだろうなとも思う。
小さな子供特有の、無根拠な自信が揺らげば泣いてしまうのも仕方ないだろうな、と。
カチン、と時計が進む。そちらを見ると、いつの間にか長針は6を指そうとしていた。
あと十数分したら姪を迎える車を出さなくては。
「ははは」
男は笑った。
彼女はまっすぐだ。相手が誰であろうと視線を止めてジッと見つめてくれる。
姪もいつかは分かる。真に辛いのは誰にも相手にされないこと。価値のないやつだと見限られること。
男がずっと怯えていた、成果を出せない奴をすぐに見限る社会の空気を。
そしてなにより。自分自身を『出来ないやつだ』と見限ってしまう辛さを。
彼女はまっすぐだ。
あの視線で、どれだけの人が──いや。言葉にするだけ野暮だ。
◆
『──おじさん!!』
数日前の、晩御飯の前。姪は腰に手を立てて、声を荒げていた。まるで“怒っていますよ“と全身で表現しているようで、笑ってしまう。姪はそれに気がついていないようだった。
『みて! これ!』
少女はパンパンとカラフルな紙を指さす。
『これは? 靴のカタログ? どうしたんだい?』
男が聞けば、姪は“よく聞いてくれた“とばかりに威勢をよくした。
『あいつをたおすの!』
◆
ブー、ブーとポケットに入れていた携帯が振動する。
少し早めに終わったようだ、と男は車の鍵を取って玄関に向かう。
──『それは、良い目標だ。……でもね、
そう言えば、記憶の中の姪は不思議そうに頭を傾げた。
普通の人が聞いたらただの言葉遣いの訂正に思えるかもしれない。でも違う。男にとって、彼女は“あいつ”では決してないのだ。
『彼女の名前は──』
ガチャリと鍵を回し、扉を開ける。と、むわっとした熱気が襲ってきた。思わず顔を顰める。そして静かに笑った。
彼女の走った蹄跡は道になった。荒野は誰もが駆ける草原となった。
そのことが、無性に清々しい。その風景は夏の日に、よく似合う。彼女の名前に、よく似合う。
『彼女の名前は──シロツメホマレ。とっても強いウマ娘だよ』
まさしく誉のウマ娘。
行きどまりにも、道は拓けると証明してみせたシロツメクサ。
男はカンカンと、アパートの階段を汗を垂らし苦笑しながら下る。
姪はいつか気づくだろう。どうしようもなくなって、打つ手がなくて。無力感に打ちのめされて、頭を下げたとき。
そんな時でも、足元にそっと咲いている一輪の花に。
彼女の名前はシロツメホマレ。
踏まれて花を咲かせた四葉の雑草だ。
「暑っついなぁ」
男が汗を拭う。
すぐそこでは、ジーワジーワと蝉が来年に向けて鳴いていた。
【番外】彼女の名前は。 終
※シロツメホマレが全力で走るのは教職員と親御さんの許可を貰ったうえで、です。決して、彼女が大人がないわけではないです。決して。
ーー彼女の担当トレーナー