ちょっとは笑って! ホマレちゃん!   作:調味のみりん

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3.どの様にして彼女は走ったか

 

 

「まずはバランスや」

「ばらんす」

 

 シロツメホマレが冴木の手を取ったすぐその後。彼は指を一つ立てて宣言した。

 

「走ることにはバランスが大事や。体をブラさんで走る事が基本になる」

 

 シロツメホマレはじっとその指を見ている。冴木は指を引っ込めた。

 

「そん為に使えるもんって言うたら──」

 

 

「義手や」「義手ね」

 

 上げた二つの声が重なった。

 

 

 ◆

 

 シロツメホマレ、10歳。夏の蝉が茹だるような声をあげる頃。

 彼女と冴木の、病院の中庭でのトレーニングが始まった。

 

「真っ直ぐや、まっすぐ」

「分かってるわ」

 

 相変わらず病衣のままで、冴木は彼女に指示を出す。彼の足元にはゴム紐がありそれを足で踏んづけている。

 

「まずは歩き方の矯正や。そこが出来んと何もならん。ほれ歩いてみぃ」

 

 その紐の先はシロツメホマレの腰につながっており、地面には真っ直ぐの線が引かれていた。

 

「ええ」

 

 彼女の目元には目隠しが付けられている。そして指示を受けては一歩一歩確かめるように歩いていった。左腕の競技用に調節された義手はぎこちなく揺れていた。

 

「ほら、そこ。ズレとるやないかい」

 

 冴木の指示が飛ぶたびに、シロツメホマレは足を止めて目隠しをあげ、元の位置まで戻る。そしてまた慎重に歩き出す。

 

「またズレとる。歩く速度でええ。だから真っ直ぐ歩け」

 

 いくら義手をつけているとはいえ、体の重心が変わるというのは想像以上に難しいもの。頭で思っているよりも脳が変化を認識しない。

 

「まっすぐ、まっすぐや! 斜行しとるがな!」

 

 それ故に、ズレる。

 

「ほら、また!」

 

 歩き、止まり、戻り、歩き、止まり、戻り。

 何度も何度もそれを繰り返す。

 

「あーっ、ズレとる なんで修正できんのや」

 

「じゃああなたも片腕もいでやってみたらいいじゃない」

 

 照りつける陽射しの中、あんまりにも繰り返すのだから彼女の髪には汗が伝う。そのせいか、すこし耳を不機嫌そうに後ろに倒してそう言うのも、無理は無いのかもしれない。

 

「お前見た目の割に、沸点低いよな」

 

「……」

 

「あ、コラ。唇噛まない。切れてまうやろ」

 

「キレてるわ」

 

「落ち着かんかい!」

 

 

 そんな基礎の基礎からのトレーニングをやり続けた。

 

 

 ◆

 

 

「目標タイムは、1800mで1分50秒。そこに達せば、誰も文句無くトレセン学園に入れる」

 

 季節は進み、暑さはどこかへ去った頃。

 黄色に染まった木々を背に冴木はそう宣言した。

 

「せやから、あー、今が小四の秋やから……」

 

「試験まで、二年ね」

 

 シロツメホマレは中庭の隅でストレッチをしながら答える。競技用の義手の扱いも、少しずつぎこちなさが抜けてきていた。

 

「そう。ホマレが小六になって、その冬までに……せやな。11月までにそこまでタイムを上げる」

 

 冴木はタブレットを叩きながら思案する。

 

「ストレッチ終わったわ」

 

「おお、そうか。じゃあ今日からコーナーや」

 

 シロツメホマレはストレッチで温まった身体で、上のジャージを勢いよく放り投げる。そして駆け足で冴木の元へ向かった。

 

「ちゃあんと畳めや。だらしのない子やなって思われんで」

 

「うっ」

 

 

 ◆

 

 

「そや、コーナーを曲がる時は絶対に脚から力を抜くんやないで。ま、取り敢えず形にはなったなぁ」

 

 またコーナーのトレーニングに時間を費やし、季節が進んで、木々が裸になる頃。

 冴木は寒そうに首を縮めて、中庭にパイロンで作られた簡易コーナーを曲がるシロツメホマレを見ていた。

 

「お前は義手こそあるが、片腕しかない分ひとより何倍も体力が必要や」

 

 冴木が少し声を張って言えば、シロツメホマレは白い息を吐きながら戻って来る。

 

「あそこに山あるなぁ。聞いた話だと道路がしっかり引かれとるそうやないか」

 

 目線の先には、小山が茶色くなった山肌を見せていた。

 

 

「一周。いって戻って来ぃ」

 

 

 ◆

 

 そうして彼女が走り去ったあと。

 一人中庭のガゼボに腰掛けた冴木は手元のタブレットを見ていた。

 

「……クソ」

 

 そこに映っているのは、シロツメホマレが走っている映像。

 

 ときおり、彼女を近くの貸し切りコースに向かわせてはタイムを測っていたのだ。冴木は病院外には出られない為、よく見える位置にタブレットを設置させて、その映像から見る形だ。

 

「タイムが上っとらん」

 

 冴木は爪を噛みながらそう呟くが、返事をする相手は居らず。

 冬の乾いた空気に言葉は消えていった。

 

 

 ヒトの走りならばともかく、相手はウマ娘。

 ほんの少しの差が、ここまで開いていることを否応なく実感していた。

 

「足の振りか? 体力か? フォームか? コーナーの姿勢か?」

 

 近くから誰かの悲しそうな声がする。

 入院をする事になってしまったらしい。冴木は目を閉じた。

 

「全部や。やれることは全部」

 

 

 そして厳しい冬も、駆けるように去っていった。

 

 

 

 ◆

 

 

「はい、これで検査は終わりね。何か聞きたいことはあるかな?」

 

「いえ、ありません。ありがとう御座います」

 

 そう言って診察室を出る1人のウマ娘がいた。

 道ゆく彼女の姿を見て、何人かは目を見開いている。

 彼女の名前はシンボリルドルフ。威風堂々たる立ち姿に相応しい実力を兼ね備えるウマ娘である。

 

 彼女は清潔な病院の通路には不似合いなほど、覇気を纏って歩いていた。

 

『ほら、あと十秒! 気張らんかい!』

 

 ふと、ウマ娘特有の感度の良い耳にそんな声が聞こえてくる。

 ここがトレセン学園ならば、いざ知らず。この場所は病院である。そんな場所で拾ったその声を不思議に思い、彼女は出口に向かう足の向きを変えた。

 

 やがて辿り着いたのは、病院の中庭らしき場所。

 なかなかに広い場所のようで、春のうららかな陽光が辺りを照らしていた。

 

 その中で2人。

 若い病衣の男と、地面に突っ伏している淡い小麦色のウマ娘がいる。

 そのウマ娘の脇にはラダーが置いてあるのが見えた。

 

(この様な場所でトレーニングを?)

 

 シンボリルドルフがもう少しよく見ようと、近づいた時。自動ドアが音を立てて反応してしまった。その音にタブレットを睨んでいた男が振り返った。

 

 

 ◆

 

 

「シンボリルドルフ……」

 

「すまない、邪魔をするつもりは無いんだ。ただ、気になったもので」

 

 シンボリルドルフの第一声は相手を気遣う謝意からだった。

 しかしそれに対する返答は無く、もしやトレーニングを中断させてしまったか、とシンボリルドルフは少し眉を下げた。

 

「ここに来てるってことは」

 

 その沈黙を破ったのは、男だった。

 

「怪我か?」

 

「いや、念の為の検査さ。問題は無かったよ」

 

 シンボリルドルフがそう答えると、男は『そうか』とだけ呟いてタブレットに視線を戻した。

 

 彼女は、タブレットを見つめる男の鋭い横顔と、チラリと見えてしまったその内容──膨大なトレーニングとそれに関する計算──をちらりと目にした。

 

「付かぬ事をお聞きするが、貴方の名前は冴木と言うのではないだろうか」

 

「そうや」

 

 そう質問をしたシンボリルドルフに、冴木は何かを察したのか苦い顔をした。

 

「学園の彼女も貴方を随分と心配されていた」

 

「けっ」

 

 彼女がそう告げれば、冴木は煩わしそうに喉を鳴らした。そうして、また気まずい空気が流れる。シンボリルドルフは目を伏せると、もう一人いたウマ娘の子──地面に突っ伏していた彼女に一声を掛けて帰ろうとした。

 

「あなた、あなた。強いのよね」

 

 すると、唐突に声がかけられる。

 

「──っ」

 

 

 声の発生源はシンボリルドルフの後ろだった。振り返るとそこには、いつのまにか起き上がっていた彼女がいた。じっ、と若草の瞳でシンボリルドルフを見つめている。

 傷跡のある右目と鋭い左目は不思議な迫力を放っていた。

 

「トレセン学園生で、レースに勝てるくらい強いのよね」

 

 いきなり発生した状況と質問。それであっても微塵も動揺を出さず、シンボリルドルフは毅然とした態度を貫いていた。

 

「抜山蓋世。如何にも、その通りだ」

 

 堂々と。シンボリルドルフは言葉を返した。

 その返答に目の前の少女は目を鋭くする。そしてシンボリルドルフの腕をひし、と掴むと──

 

 

 

「お願いします。並走してください」

 

 

 

 深々と頭を下げた。

 

「どうか」

 

 表情こそ、最初と変わらないがその声には必死さが見てとれた。

 シンボリルドルフは快諾した。

 

 

 

 ◆

 

 

「この場所からならば、あそこまでが丁度1600メートルになる」

 

 後の皇帝は朗々と告げる。

 

「実戦を意識するとなると、コーナー等不足が有るが」

「それでいいわ」

 

 夕陽が地面を染める頃。

 シンボリルドルフとシロツメホマレは病院ちかくのコースまで来ていた。そこは予約さえすれば誰でも利用出来る施設で、既に冴木が予約をしていた。

 その冴木は病院を出る際、深々と頭を下げていた。

 

「それでは始めようか」

 

 かくしてトレセン学園の上位も最上位にあたるシンボリルドルフと、シロツメホマレの並走がスタートした。

 

 

 

 

 

 そうして走ったシロツメホマレの走りは。

 有り体に言って遅かった。

 無様だった。

 何メートル、何十メートル後ろを、フォームだけは必死に整えて、走っていた。

 

 

「はあっ、はあっ……」

 

「これ以上は止めにしよう」

 

 あたりは既に暗くなり始めていた。

 簡易的なコースに設置された電灯が静かに灯った。

 

「慎始敬終、結構なことだ。しかしそれで怪我をしては元も子もない」

 

 シロツメホマレは荒い呼吸を繰り返す。

 そこでシンボリルドルフは予め買っておいた飲み物を彼女に手渡した。

 

「君は私の二つ下だったね。つまり来年には中等部になる。今は焦る時期かもしれないが──」

 

「大変かしら」

 

「何?」

 

 突然に投げられた問い。

 それに対してシンボリルドルフは珍しく面食らったかのような表情をした。

 目の前の少女は、両手を膝に突きながら目線だけをシンボリルドルフに向けている。

 

「なにか、大変かしら、悩みとか。寄ってるわ、眉間に。皺が」

 

 そう言われた彼女はすっと、静かに形の良い眉の間を触った。

 わずかに、筋肉が強張っていると感じた。

 

「大丈夫よ」

 

 そして目の前の少女は、そんな風に言葉を続けた。

 そこには確信が込められた言葉の硬さがあった。

 

「あなた──シンボリルドルフさん。優しいもの」

 

「優しい?」

 

 シンボリルドルフは再び困惑した。

 今まで、周囲に褒められ、畏怖され、尊敬こそあれど、そんな風に面と向かって言われたことは初めてだった。

 

 そもそもが会話の流れが不思議だった。

 

「わたしの並走にも付き合ってくれたし。──わたし遅かったわね」

 

 だが、それでも不自然さは無かった。

 真剣な声色で喋る彼女に自然と耳を傾けていた。

 

「ぜんぜん、ついて行けてないわね」

 

 シロツメホマレは右手を握りこむ。

 うつむき加減に話す彼女に、シンボリルドルフは何も言わずに聞いていた。

 

「でも、シンボリルドルフさん。あなた一度もわたしを“諦めの目“で見てないわ」

 

「諦めの、目」

 

 言葉を噛み締める様に、シンボリルドルフが復唱する。

 

「わたしのことを諦めた人の目ってすぐに分かるもの」

 

 それに答える様に、シロツメホマレはシンボリルドルフの目をじっと見つめた。

 

「だから、シンボリルドルフさん、あなたは優しいひとね」

 

 風が吹く。

 暖かくなっても、まだまだ冷える春の夜の風だった。

 

「優しいひとは、強いのよ」

 

「君は……」

 

「わたしは優しくないわ」

 

 ギシギシと音を立てる金網に耳を向けながらシロツメホマレは言った。

 ぶっきらぼうとも感じる口調だった。

 

「人は嫌いよ。嫌な目の人ばかりだから。そこらの草の方が可愛いわ」

 

「いずれ良き人にも出会える。それはきっと。必ず」

 

 シンボリルドルフが慰める様に言えば、シロツメホマレは小さく『そうね』とだけ呟いて、渡されたペットボトルを一気に傾けた。

 

「今日は本当にありがとう。今度またお礼をさせて頂戴」

「構わないさ。後輩の頼みを聞く事もまた年長者の勤めだからね」

 

 シロツメホマレはそんなシンボリルドルフにまた深々と一礼をした。

 そして屈めていた上体を起こして、既に昇っていた月を見ながらぼそりと言った。

 

「差が分かったわ。このままじゃ、無理ね」

 

 それは、まるで分かっていた事を確認したかの様な口振りだった。

 弓張を見つめるその瞳は照明の光を取り込んで、ぎらぎらと燃えていた。

 

「また一からやり直しよ」

 

 また風がさぁ、と吹く。

 さわさわと草木が揺れる音がする。

 

 その時、シンボリルドルフは彼女に気高さを見た気がした。野原に咲く、誰にも顧みられない草花の気高さを。

 

「シロツメホマレ。──君の走る理由を聞かせては貰えないだろうか」

 

「自分のためよ」

 

 きっぱりと。

 当たり前のことを言う様に彼女は答えた。

 

「形だけになった約束でも、守る。それだけ」

 

「そうか」

 

 それにシンボリルドルフは首肯を返す。

 口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。

 

「私は、シンボリルドルフ。あらゆるウマ娘が幸福に過ごせる、理想の世界を創る為、ここに立っている」

 

 突然の宣言に、シロツメホマレは何も言わない。

 シンボリルドルフからの真っ直ぐな視線をただ受け止めていた。

 

「シロツメホマレ。君はきっとトレセン学園までやって来る」

 

 地平線に見える、最後の太陽が沈んでゆく。

 その中であっても差し出された手は明るく輝いて見えた。

 

「その日を私は楽しみにしているよ」

 

 

 ◆

 

 その帰り道。

 

「人よりも踏み込みの力が足りないのなら」

 

 シロツメホマレはぶつぶつと呟きながら歩いていた。

 その右手は左肩をゴソゴソと弄っている。

 

「かるく……すこしでも軽く」

 

 そして、すぽん、と。

 左の義手を抜き取った。あまりに突然の行動にシンボリルドルフは目を丸くする。

 

「その……良いのか? それは」

「あら? 気にしてくれていたの?」

 

 さも不思議がる様に。シロツメホマレは首を傾げる。

 そうして取った義手を右手で軽く振った。肩につけるゴムの器具がゆらゆらと揺れる。

 

「簡単に取れるわよ」

 

「……そうか」

 

 ◆

 

 

 翌日。

 シロツメホマレは冴木の元へ義手を付けずに現れた。

 

「そうや、そうやな」

 

 冴木は少し後悔する様な、納得する様な声をだす。

 

 ──義手を付けないと言うことは、これまで必死に培ってきたバランスと走り方を一度捨てる事を意味していた。

 

「……くくく……はははっ!」

 

 冴木は笑った。

 腹を抱えるように、下を向きながら。

 

「くふふっ、はははは! あー、おかしい」

 

 シロツメホマレはすこし細めた目でそれを見ている。

 やがて冴木が笑いの波が収まったのか、顔を上げた。

 

「一回で上手くいく訳ないやろ」

 

 ぽん、とタブレット取り出してて、叩いた。

 そこには、綿密に練られた計画表があった。それを何の躊躇いもなくタップして消去する。

 

「何遍でもやるんや」

 

 そして新しく計画表を立ち上げると、自嘲するように、尚且つ楽しそうに笑った。

 

「道は前にあれへん」

 

 春は麗らかに。

 風は優しく頰を撫でる。

 

「目の前の荒地を進むしかない」

 

「あら。クローバーは荒地に咲くものよ」

 

 シロツメホマレはそう言って、珍しく。

 極めて珍しく、ほんの少しだけ口角を上げた。

 

 

 

 

「もう、脚は意識するな。腕や。

 

 

 ──その残った腕を使う」

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、夏が来て。

 また、秋になって。

 葉っぱが散り、冬になって。

 

 また、春から夏へ。秋から冬へ。

 

 

 

 シロツメホマレ、12歳、春。

 

 

 ◆

 

 

 病院の中庭は桜の盛りで。

 淡紅色の花は満開に咲いていた。

 

「なかなか似合っとるやん」

 

「当たり前でしょ」

 

 冴木がそう言えば、彼女はむっつりと答えた。

 ()()()()まであんまりに変わらない態度に冴木は苦笑いが溢れる。

 

 シロツメホマレはクルクルとその服を見せつける様に回っていた。

 それに追随するように桜の木から花びらが流れる。

 その姿を、冴木は出会った時と変わらず病衣で少し眩しそうに見つめた。

 

「正直、ここにおるヤツは、もう終わったと思われとる」

 

 最後に教える様に。切り出した声は冴木が自分でも驚くほど穏やかだった。

 

「もう、一線級では戦えんと」

 

 遠くで嬉しそうな声が聞こえる。

 どうやら今日、誰か退院できたらしい。めでたい事だ。

 

「やけど、ちゃうよな」

 

 彼女はこちらを見ない。だが、その耳だけはしっかりとこちらを向いているのが分かった。

 

「そんなん無いよな」

 

 今日はいい日だ。

 気温も今季最高の暖かさを示している。

 今日はいい、門出の日だ。彼女は中庭の外へと歩き出した。

 

 

「行ってこい! ホマレ!

 その意地を、踏まれても踏まれても起き上がってきた意地を! 

 見せたれ!」

 

 

 中庭を出る、その背にかけた声はよく響いた。

 彼女は返事もせず、手を上げて答えとした。

 

 

「ダービー、楽しみにしとるで」

 

 ふと、そんな呟きが溢れる。

 既に距離はだいぶ開いており、聞こえるべくも無い。

 だが、彼女はぴたりと立ち止まると、くるりと振り返った。

 

 そして息を吸い込み──

 

 

「勝手に期待しなさい!」

 

 

 初めて聞いた彼女の大きな声だった。

 表情こそはいつもの無表情だが、何を思っていたのかくらいは伝わる。

 

 

「ははっ」

 

 

 そうして彼女は歩いていった。

 トレセン学園の制服を、その身に纏って。

 

 

 

 

 

一章 彼女のスターティングゲートまで 終

 

 

 

 

 

 




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