ちょっとは笑って! ホマレちゃん!   作:調味のみりん

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7.星がひかってる

 

 

 

 

 いつも、暗い部屋で泣いていた。

 父親にはため息をつかれ、小学校にも馴染めなくて、泣いていた。

 

 

 

『うぅ……』

 

 

 

 人より細かなところに気づく事は、決して得ではないのだと。それを指摘することは、時に人間関係を壊してしまうのだと、幼い頭では理解しきれていなかった。

 

『わかんないよ……』

 

 だから、何をしたら良いのか分からず頭を抱えてうずくまっていた。

 布団を被り、ひとり引きこもり、誰とも会わないように顔を下げていた。

 

 ──さあ、スタートしました! 

 

 そんな時、テレビから流れてきたのは、アナウンサーの少し興奮した声。

 不思議と興味がひかれて、顔を上げる。

 それは、閉じこもっていたくせに、なにか外との繋がりがないと不安で、ただ付けっぱなしにしていたテレビだった。

 

 真っ暗な部屋を照らす画面には、眩しいくらいの緑が映っていた。

 

 

『さあ、第3コーナーを回りまして、ここで早くも抜けた! 先頭抜けて──』

 

 

 気がつけば、目が離せなくなっていた。

 知らないうちに、拳を握っていた。

 いつの間にか、頬を水が伝っていた。

 

『──!! ──、1着で、今! ゴールイン!!』

 

 今なら分かる。

 テレビの向こうの彼女に。その勇敢な走りに。

 勇気を貰ったのだ。憧れを抱いたのだ。

 

 夢中で画面を見つめているうちに、テレビの場面はレースから勝者へのインタビューへと移る。

 インタビュアーは、黒鹿毛の彼女に、いまよりすこし大きめのマイクを向けた。

 

 

『──さん、苦しい状況もあったと思います。ここまで来るのに、苦労もあったと思いますが』

『そうですね、やっぱり辛かったですよ。でも、支えてくれた人たちがいたから。特に、トレーナーね』

 

「わぁ……!」

 

 その時、テレビの向こうの彼女の、なんと輝いて見えたことか。

 観客はみんな手を伸ばして、彼女を祝福していた。

 熱量を伴った、剥き出しの美しい景色がそこにはあった。

 

『──。では最後に一言、頂いてもよろしいでしょうか』

『ああ、ハイ。それじゃあ。……勝ったぞ! どうだ! あはは!』

『──ありがとうございます』

 

「……すごい」

 

 凄かった。

 単純に、あんなにもきらめくものをみたのは、初めてだった。

 端的に言えば虜になっていた。

 

 そして、思った。

 

 

 ──トレーナー。

 

 こんなにも強く、周りを光で照らすような彼女にも、支えてくれる人がいたのだ。今の自分と対極の彼女を──光を支えた人間が居るのだ。

 

 

 なりたい。

 

 わたしも、そう、なりたい。

 この惨めで、情けなく、どうしようもない自分でも、誰かを照らす光を、それを支えられる人になりたい。

 

 トレーナーになりたい。

 

 

 それが、きっかけだった。

 

 今にしてみれば、青く、青すぎるほどに、未熟な、一番初めの夢だった。

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 ライブはつつがなく終わった。

 シロツメホマレは義手だったが、それでも振り付けをこなせる位扱いには習熟している。

 

 そもそもが、ほかのウマ娘よりも苦手な部分があれば、頼み込んで愛川と練習をする彼女だ。

 その性格を以てすれば、たとえ人より踊りが難しくても、その差を限りなく小さくしていける。

 だから、普通に踊れていたのだと思う。

 

「……はぁ」

 

 ため息が溢れる。

 

 愛川は暗澹たる気持ちだった。

 まるで頭に粘度の高い泥がこびりついて、地面に向かって体を倒すような。

 

 シロツメホマレを勝たせてあげられなかったのもそうだが、それ以上に。彼女の、その内側にあるものを知ってしまった。

 彼女の抱える、一種の歪さを目の当たりにした。

 

「準備できたわ」

 

 がちゃりと、シロツメホマレが制服に着替えた状態で扉から出てくる。

 愛川は頷いて、部屋を覗き込み、忘れ物がないかどうか確認をした。

 控室は丁寧に整頓され、シロツメホマレの痕跡は無くなっている。

 

「それじゃ、帰ろっか」

 

「ええ」

 

 2人は歩き出した。

 

 

 コツコツと。

 廊下のセラミックタイルが足音を響かせる。

 会話は無かった。愛川は喉がからからに渇いた錯覚を覚えていた。

 

 

 2人は歩く。

 

 レースも終わり、すっかり人気のなくなった関係者用の細い通路には、不気味なほどの静けさが満ちていた。そして曲がり角を一つか二つ抜ければ、奥の方に片開きの小さな扉がある。

 その向こう側は、駐車場に直接繋がっていた。

 

 普通の人は使わない、裏口のようなものだった。

 

 

 愛川は扉に手をかける。

 そして、くい、と押して開いたままにする。

 

「ありがとう」

 

 シロツメホマレはそうお礼を言って先に外に出た。

 愛川も続いて外に出ると、シロツメホマレは扉の横に避けて待っていた。

 

「…………」

 

 外はもう暗く、駐車場の電灯があたりをぼんやりと照らしている。

 愛川の車は、すこし歩いた位置に停めていた。だからちょっと歩かなくてはならない。

 

 会話はない。

 何も言えない。愛川は不甲斐なさで潰されそうだった。

 

 

「あっ!」

 

 

 声が響く。愛川のものでもなく、シロツメホマレのものでもない。

 若い女性の声だった。

 

 そしてカラカラと忙しない車輪の音もする。

 

 やがてその車輪の音は愛川とシロツメホマレから、すこし離れた場所で、止まった。

 そして、その“声“は確信したような響きを伴って尋ねる。

 

「やっぱり! 今日のレースで走ってた子だよね?」

 

 シロツメホマレは誰が近づいてきたのか、とその鋭い目を向けた。

 声の主はそれに気が付かないように明るく続ける。

 

「わあ! 意外とちっちゃいんだね! あんなに大きく見えたけど!」

 

 

 その姿は、近づくにつれて電灯に照らされ輪郭がはっきりし始める。

 

 

 

 それは、成人したくらいの若い女性だった。

 品の良い色合いの服に、秋夜の寒さのため花柄のカーディガンを羽織っている、車椅子の女性だった。

 

 彼女はゆっくり、興奮をなんとか抑えるようにゆっくりシロツメホマレへと距離を縮めていく。

 

「私、今日たまたま調子が良くて。それで、偶々レースを見ようって思って。偶然、あなたのレースを見たの!」

 

「わたしの?」

 

 ニコニコと笑う女性に、シロツメホマレはどこか戸惑ったように答えた。それに対し『ええ!』と女性は返す。

 

「それで、……すっごくスッゴク感動しちゃって!」

 

 女性は楽しそうに、嬉しそうに、身振り手振りでその時の感情を伝えるかのようにシロツメホマレに笑いかける。

 

「それを、どうしても伝えたくて待ってたの!」

 

「待ってた……」

 

 うわごとのように、シロツメホマレは繰り返す。

 彼女の小麦の束のような尻尾は、ゆらゆらと不規則に揺れていた。

 

 

「だから──そう! 次も見るから! 頑張ってね!」

 

 

 ニコリと、女性は笑った。

 屈託のない無邪気な笑みだった。

 

 

「…………ありがとう」

 

 すこし間をおいて。

 ゆっくりと、シロツメホマレは答えた。その声には戸惑いがありありと表れていた。

 そしてぎこちなく頭を下げて、深々とお辞儀をした。

 

 

 

 女性は柔らかな表情を浮かべた。

 そして、傍に立つ愛川に気がつくと、すこし目を見開いた。

 

「あっ、あなたがトレーナーさん?」

 

「はい」

 

 愛川はシロツメホマレから目線を外して、答える。

 何を言われるのか分からず、愛川は女性の言葉を待った。

 

 

「ありがとう! 本当に!」

 

 

 かけられたのは、そんな言葉。

 女性はそれを言うと満足したのか、『それじゃあ!』と言って去って行ってしまう。

 

 遠くに目を向けると、老齢の女性が、車椅子の彼女を待つように車の横に立っていた。どうやら彼女の迎えのようだ。

 嵐のようにやってきた女性は、また嵐のように去っていってしまった。

 

 再び2人になった駐車場で、虫の音がリンリンと響く。

 

 

「ねえ、ナツノ」

 

 ぽつりと、シロツメホマレが呟く。

 愛川がそちらに目を向けると、シロツメホマレは女性が去って行った方をじっと見つめていた。

 

「わたしのレース、何時からだったかしら」

 

「12時15分だね」

 

 間を空けず、答える。

 それこそレースの出バ表は穴が開くほど見たし、頭の中で何度もシミュレーションをしていた。だから、愛川はこのレースに関してなら何も見ずになんだって答えられた。

 

「いま、何時かしら」

 

 その問いに、愛川は一瞬言葉が詰まる。

 そして、シロツメホマレの横顔を見た。相変わらず表情こそないが、その目はどこか揺れて見えた。

 

 

「19時半だよ」

 

 幾分か穏やかな声で答える。

 そうしてシロツメホマレは『そう』とだけ言って、静かに顔を上に向けた。

 

 もう、秋だ。

 すっかり暗くなった空には、ひときわ明るい星がいくつか瞬いていた。

 

 

「待ってた……」

 

 

 まるで口の中で飴玉を転がすように。

 シロツメホマレはおなじ言葉を繰り返す。

 

 そして空を見ている。

 

 どのくらいそうしていただろう。

 5分か、それとも1分も経っていないかもしれない。

 

 

「帰ろっか、ホマレちゃん」

 

 

 愛川は声をかけた。

 建物の中にいた時とは、全く違った感触だった。

 

「そうね」

 

 シロツメホマレは星を見るのをやめて、歩き出す。

 愛川も、その後を追い越すように、車に向かって歩いた。

 

 会話はない。

 静かな秋の、夜だった。

 

 

 

 

 

 この時、愛川はひとつ、決心をした。

 そして、歯車が、かちりと噛み合った気がした。

 

 

(私は、トレーナーになりたい)

 

 

 ()()のトレーナーじゃなくて、この子のトレーナーになりたい。

 

 シロツメホマレのトレーナーに。

 

 この、誰かに褒められて、それで戸惑ってしまうような。不器用で歪で、優しい彼女のトレーナーに。

 

 

 たぶん、シロツメホマレは今日のことをちゃんと理解できていない。車椅子の彼女が言っていたことの、その全てが分かった訳じゃない。

 『なぜ走るの?』と聞いたところで、答えはまだ変わらないだろう。

 当分、変わらないかもしれない。

 

 

 

 でも、だからこそ。愛川はひとつ決意した。

 己の、信念と、知識と、熱量で。

 シロツメホマレのトレーナー(支える人)になると。

 

 

 彼女が、今日という日の意味が理解できるその日まで。

 

 

「つぎのレースはいつかしら」

 

 車の後部座席で、シロツメホマレが聞いてくる。

 愛川はエンジンキーを捻って、ルームミラーでちらりと後ろを見てからすぐに答えた。

 

「なるべく間を空けないようにしよっか」

 

「それがいいわね」

 

 

 

 その、約2週間後。

 同じ東京レース場にて。

 

 シロツメホマレは初の勝ち星を上げた。

 

 

 彼女は無事、一勝の壁を乗り越えたのだった。

 

 

 これが、彼女が表舞台に出てきた初めのレース。

 これから世間が何度となく目にしていくであろう、彼女の道の、最初の一歩だった。

 

 後に、世間の人はこのレースの事を口を揃えてこう言った。

 

 

 

 

 

 

 シロツメホマレ登場、と。

 

 

 

 

 

 

2.シロツメホマレ登場! 終

 

 

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