「おい再不斬、聞いてんのか、おい !! 」
ガトーが喚く声がガラス越しによく聞こえる。
そんな部屋の窓の外。スバルは一人壁に寄りかかり、事の成り行きを耳で追っていた。ガトー含め周りを警戒するような者がいない今、わざわざ気配を消す必要もない。
再不斬は仮死状態から回復し、やはりカカシ相手に再戦を挑むらしい。この分なら雇い主の思惑よりも、自分のプライドを優先させて動いているのだろう。
逃亡生活を続ける内に、依頼人の事情に気を回す事を忘れたか。それとも、霧隠れの依頼の割り振り方そのものが木ノ葉隠れとは別物なのか。どちらにせよ今の再不斬は相当視野が狭く、目先の問題を片付けることに固執している。
「違う道があった筈だけど」
──ガガガッ!
半歩身をずらせば狙いの逸れた暗器が足先へと突き刺さる。ひたすら沈黙に徹していた相手だが、ここに来てスバルと直接対峙する選択をしたらしい。
──障害はアナタ一人よ……
抜き身の切っ先が眼前に迫る。
瞬身でそのまま少し離れた樹上へ移り、そこで初めてスバルは相手の姿を視認した。
襲撃者は、背丈も年頃もスバルとそう変わらないくノ一だ。
豊かな茶髪と新緑のような色の目が印象的で、華がある。そしてどうにも軽装だった。明らかに装備が足りておらず、特徴のないインナーや最低限な防具だけでは所属を割り出せない。
状況を考えれば霧隠れしかあり得ないが、彼女はそれを証明できるものを全て置き去りにしてこの場に臨んでいた。こちらを見据える瞳は猛禽のように鋭く、何の躊躇いもない。
「……残念」
溢れた呟きを皮切りに両者の姿が掻き消える。
そうして息遣いまで分かる程肉薄しようとも、止まる理由はついに見つからなかった。
──
スバルが襲撃者と対峙する、その前日の夕食にて。
一日の振り返りと情報交換の中で“もう夜警の必要はない”とスバルが下忍達へと通達する。カカシの体調が回復し、七班が元通り動けるようになったとのことだ。アオイ達もそれを聞き、ひとまずホッと胸を撫で下ろした。
しかし、スバルはこうも続ける。
「
まるで決まった予定を伝えるかのような口調だ。すかさずヒノメが“ガトー達の計画を捕捉できたのか”と確認するが、それに対するスバルの返答は“否”である。
「何で、そんなはっきり明日って言えんだよ」
「仮死状態の人間が回復するまでに掛かる時間を考えれば自ずとね。なにより、今日はあちらに動きが無さ過ぎた」
「……先生の判断基準はそんだけ?」
ヒノメは尚も食い下がるが、スバルは黙って首を振るばかりだ。二人の頑な態度に妙なものを覚えアオイは口を挟めない。
ヒノメが欲しがったのはきっと“上忍の勘”の具体的な内訳そのものだ。それが分からないスバルではないが、しかし今日に限っては様子が違った。
「今夜あなた達に出来ることはもう無いの。どれだけ強かろうが弱かろうが、ここで私の言うことは変わらないわ」
上司としての言葉で、実力を問わず一律に線を引く。それは「何もしてくれるな」という拒絶でもあった。分かるのはアオイ達を案じているであろうこと位か。
マシロが何か言おうと口を開くもヒノメは手でそれを制してしまう。自分が話したいのはスバルだけだと言わんばかりだ。
「……本当に、寝てていいんだな?」
「ええ」
ヒノメの慎重な念押しに、スバルはいつもと変わらない様子で頷く。光源であるランタンは辺りを照らすと同時に、落ちる影を一層濃いものへと作り変えている。
『ここで腹割って話すまでの信頼関係は無いか』
「……」
ヒノメは暫くじっとスバルを見つめていたが、やがて諦めたように肩を落とした。憮然とした表情のまま、食べ掛けの乾パンを口に詰め込み頬張る。納得こそしていないが、下された指示をひとまず受け入れたようだ。
スバルの方はもう何も言うことはないと、木にもたれ掛かって目を瞑っている。少しだけ、疲労による翳りがあるように思えた。
アオイがスバルに対しはっきりと隔意を覚えたのは、 それこそ初対面以来かもしれない。人となりを分かったような気になっていても、まだまだ不足があると思い知る。
(先生は何を見据えてるんだろう……)
どれだけ研鑽すればスバルと同じ視座に立てるのか、その日はいつになるのか、見当もつかない。
「アオイ、スープが冷めてしまいますよ」
「!」
終わりのない思考に沈みそうになったアオイを、マシロがやんわりと引き戻した。
「なるようにしかなりませんし、お言葉に甘えておきましょう。片付けは僕がやっておきますから、二人は先に休んでいてください」
自分も飲み込んだ言葉があるだろうに、マシロは何事も無かったかのように笑っている。
「じゃ、頼むわ」
「明日は私が片付けるね」
それぞれが腹の内に抱え込んだものはあるが、今は一先ず置いておくことにした。明日もこうして皆で揃っているために、スバルの言う“正念場”に備えて英気を養わなくてはならない。
ふと目をやった先、生い茂った木々の向こうは月明かりも届かない闇が広がっていた。小さな灯火がその暗がりを際立たせ、揺らぐ影が不安を煽る。
『疑い迷えそして心は殺すな』
悩み抜いたその先に一体何が待っているのか、答え合わせが出来る日は訪れるのか。アオイでは、推し量ることすら及ばないらしい。
──
橋と町の間、どっち付かずの林にて。現在、下忍達は息を潜めながらじっと
「……始まったぞ」
ヒノメの白眼が霧の発生を認めた。険しい表情を向けるのは橋の方角だ。その横顔を窺っていたアオイの鼓動が緊張に鳴り始める。
「先生はどこに?」
マシロは背を向けたまま冷静だった。
「橋の付近にはいない。多分もう交戦中だ」
相手はおろかスバルの意図も不明瞭なのが現状である。上忍は部下に待機を命じたきり一人で哨戒に出てしまった。ヒノメの白眼が無ければ状況把握もままならない。
仲間の援護が目的な以上、いつでも割って入れる距離にいなくては意味が無い。それが叶わないのはスバルの方でも衝突が起きてしまったということだ。いかに機動力に長けていたとしても、人の手数には限りがある。
七班と再不斬達の交戦はもう止められないだろう。ガトーだって漁夫の利を狙いゴロツキやチンピラ達を橋の近辺まで誘導している。このままでは、ヒノメが知っている通りの結末を迎えてしまうだろう。
(あんたは何を拾う気で動いてる?)
ざわつく胸を深呼吸で誤魔化した。引き続き二人に周囲の警戒を頼みながら、ヒノメは広域へと意識を飛ばす。
(──!)
探し物はまもなく見つかった。
「……いた。敵アジトから海岸方面へ移動しながら戦って、る……!?」
ヒノメの言葉が途切れた、次の瞬間。
「次はアナタ達」
──ッ!?
聞き覚えのない声がほど近くから聞こえた。クスクスと心底可笑しそうな、嘲りを含んだ笑い声がたちまち辺りを支配する。
アオイやマシロは勿論、ヒノメにすら声の出所は掴めなかった。だが、ヒノメはすぐにハッとして意識を足元へ向ける。
(まさか……!)
気付いた時にはもう遅い。
地面には衝撃と同時に亀裂が走り、平坦であった筈の足場は呆気なく陥没していく。崩落に巻き込まれまいと下忍達は各々回避行動を取ったが、それが決定的な隙となってしまった。
逃げ惑う獲物一匹に狙いを絞れば捕らえることは容易い。文字通り、大人と子供の力量差だ。
「まるで遠足みたい。やっぱり“先生”がいないと不安かしら?」
「マシロ!?」
声の主を見付けた時、既に状況は絶望的だった。
「そう、マシロ君っていうの?」
「この……!」
身動きが取れないようマシロの足は土遁で拘束され、その上で背後を取られている。首筋にぴたりと宛がわれたクナイは、縁が既に血に濡れている。その気になれば一思いに動脈を引き裂ける構えであった。
“動けば、殺す”
態々言わなくても分かるだろう、とばかりにそのくノ一は笑っている。マシロを利用出来る人質としか思っていない。モノとして認識し、殺気すらないのだ。
「……あなたの要求は?」
無抵抗に両手を上げたマシロが淡々と尋ねる。アオイ達に注意を向けつつも、くノ一はマシロの態度には満足そうだ。誰だって手間無く自分の思い通りに事が運べば気分が良い。
「簡単よ。はたけカカシとの交渉材料になってほしい」
「仰ることは分かります。ですが、僕より先に話を通す相手がいる筈」
“何故スバルの存在を無視出来る?”
そんな言外の疑問は『彼女ならもういない』と端的に返されてしまう。咄嗟にヒノメの方を窺えば、怯えた表情で肩を震わせた。
「アナタは橋まで行って“助けて”って叫ぶだけ、それでおしまい。行動は速い方が良いわね」
「……」
交渉とは名ばかりの脅迫だ。十中八九用済みなった瞬間に殺される。今死ぬか後で死ぬか。どちらが仲間の為だろうかとマシロが少し返答を躊躇えば、クナイの刃がまたも首に押し当てられる。
「どうも勝手ですね」
選択肢はあってないようなもの。独り言のような愚痴が出るが、そこに悲観はない。マスクの下でマシロは笑う。
「ええ、全く」
首に当てられていたクナイが前触れもなく宙を舞うのと同時に、言い様のないプレッシャーが和らぐのを感じた。
「!?」
虚空に放った弱音を、拾ってくれる相手がいる。それが何より心強いことだと知れたのは不幸中の幸いだ。
今はまだ、“守られている”という感覚が心地好かった。
──
「……馬鹿な……!!」
「やった!!」
予想外の事態にくノ一が飛び退いたのは反射的なものだ。状況が変わったその瞬間を逃さず、アオイとヒノメは即座にマシロへと駆け寄る。
「動けるか!?」
「ええ。ご心配お掛けしました」
「良かった……!」
土の拘束を雷遁で崩したマシロに首の傷は見当たらない。その立て直しの手際を見て“わざと自分を狙わせたのか”という憶測がアオイの脳裏を過った。
アオイ達の心配をよそに、当のマシロはただ静かに眼前の状況に意識を向けている。
「隙あらばね」
そんな下忍達を背に、スバルは至って身綺麗なままそこに立っていた。くノ一は信じられないものをみる目でまじまじとスバルを警戒する。
「確かに追い詰めた筈よ! 一体どうやって──」
「
「!?」
スバルの指摘にくノ一の顔色が変わる。明かす気のない手の内まで割れていた。先手を打ったつもりが、いつの間にか後手に回され追い詰められている。その状況に今の今まで気付けなかった事実に愕然としてしまう。
「性格悪いぞ先生! オレまで騙されるとこだったぜ!」
「特製の変わり身だもの。それ位でないと……お陰で本体は見つかった」
先程は渾身の演技を見せた教え子だが、今一つ作戦に乗れていた訳ではない。しかし、どこまでが仕込みでどこからが即興なのか、くノ一にはその境が読み取れないでいる。
(……木ノ葉にもこんなのがいたとはね)
ここまで積み重ねてきた自身の実力を疑いはしない。だが、本能はうるさい程に警笛を鳴らしていた。情報が足りない。何より、時間が足りない。
(だからって、ここで折れる訳には……!)
進退に惑う襲撃者の一部始終を、暗い瞳は無感動に見据えている。
「次は、どうする?」
感情の乗らない声が、最後の決断を促した。
──
「!」
逡巡は、それでも束の間だ。一度傾いてしまうと行動は速い。
「くそ、またかよ!」
警戒の為に取った間合いが詰められることはない。くノ一は煙幕まで放ち持てる最速でこの場を後にする。土壇場での判断ながら、その転身の勢いには思わず舌を巻いた。
「強攻にも程があるでしょう!」
襲撃者が選んだのは撤退……ではなく、標的の変更である。向かう先は争いの中心たる橋の方角だ。そこまで分かっていて、しかしスバルは追う素振りもなしに下忍達へ目を向けた。
「彼女は私が押さえる。だからどうか、この場はあなた達で凌いでほしい」
一人一人に目を向けながら、はっきりと言い聞かせる。一体何を、と同じ疑問が三人の頭に浮かぶも、さっと周囲を見渡すスバルの仕草でむしろ今からが本番の始まりであること悟った。
「彼女の分身が放たれてる。強酸の溶液で作られた分身よ、くれぐれも接触しないように」
単独行動中に何があったのかは分からない。確かに言えるのは、スバルが手に入れた情報が自分達にとって死活問題であるということだ。
「へぇ。死体処理にはうってつけって訳だ」
「感心してる場合ですか?」
妙に呑気になったヒノメに呆れつつ、アオイも次の動きに備えクナイを構える。状況に理解が追い付いた今、もう自分が緊張していたことは忘れていた。
「ヒノメ、敵の数は?」
「全部で三体……お、向こうも気付いたな」
また霧だ。敵意が目に見える形でにじり寄ってくるのが分かる。
「先生、僕の眼はここで使っても?」
「生存最優先で出し惜しみは要らない。一先ず霧払いは──」
「それには及びません」
何かしら対策を講じようとするスバルの言葉を遮り、マシロは集中するように眼を瞑り印を結ぶ。そしてヒノメの方を振り返った時、その眼はもう赤く変わっていた。
「守りは頼みます」
「ん」
ヒノメは「合点だ」という顔で笑い、霧の奥を油断なく見据えている。
マシロが印を組み直した瞬間、空気がヒヤリと肌を撫でる。流動的だった霧が、まるで見えない壁にぶつかったかのようにその流れを変えた。
「霧も雲も水が姿を変えたもの」
迷いない口調でマシロはそう断言する。
「それなら、こちらで上書きさせて頂きます」
──水遁・俄か雨の術
霧が溶けるように消え……いや、判別できる水滴となってそこに現れる。
──八卦空掌!
途端、空気を揺らすヒノメの突きを合図に、瞬く間に水滴は地面へと降り注ぎ、アオイ達の周囲を淡く濡らした。
「これが本当の露払いってな!」
ヒノメはアオイを振り返り、誇るようにニッと笑う。
「……凄い、二人とも」
「いいえ、これからですよ」
マシロの言葉にハッとする。そうだ、解決したのは視界の問題だけ。なら次はどうするか。
(今の私に出来るのは、戦うことだけ)
もう何も出来ず惑うだけの傍観者ではいられない。足掻く当事者として、アオイは今一度深い呼吸で感覚を研ぎ澄ませる。
燻っていた熱がようやく己の使い所を見付けた。巡る血に全身の沸き立つような感覚。頭には作戦も戦術もあったものではない。それでも──
(皆で帰るんだ。絶対に!)
抱いた感情は何より確かで、力強い武器だった。
───
マシロの術が霧を破り、ヒノメが準備運動とばかりに柔拳の突きで発生した雫を弾き飛ばす。何ともスムーズで、鮮やかな手腕だ。
(いつの間に……)
スバルは、教え子達のことをよく分かっていると思っていた。つぶさに様子を観察し、傾向や状態を把握出来ていると思い込んでいた。
どれだけ優秀だろうが強かろうが関係ない。自分の力の及ぶ限り、守ってみせると心に決めていた。
だが実際はそれぞれが自分の役割を見つけ出し、判断し、当然のように動いていた。
(とんだ思い違いだった)
もう誰も、守られるだけの子供に甘んじてなどいない。はっきりと自分の意思で、生き残るために抗う覚悟を決め、勝つための戦いに臨んでいる。
アオイがふとスバルを見上げた。迷いに揺れていた昨夜が嘘のように、澄んだ瞳と視線が交わる。心底嬉しそうな顔で笑うアオイに、自分の説明不足で不安にさせてしまった事実が苦い記憶としてちらついた。
「私も、頑張るから」
『心配しないで、スバル』
アオイの短い言葉には、どこかスバルを励ますような響きがあった。 いつかの声が蘇りそう錯覚させただけかもしれない。それでも今は教え子達を信じ、自分らしくもない希望的観測に賭けてみたいと──そう思えた。
(背を預ける覚悟が必要なのは、私の方)
「ここは僕達に任せて、先生は本体を追ってください」
「こうなりゃ腹括った者勝ちよ」
「また後でね、先生!」
子供らにこうまで言われて、いつまでも居残ってはいられない。
「……行ってくる」
返事を待たずスバルはその場を後にする。姿を眩ます瞬間、その表情が確かに綻んだのを知る者はいない。何も残さず、全てが虚空へと呑まれた。
──仕事の時間だ。