NARUTO世界に転生したけど何か違う   作:野摸

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死の森にて


16 伏魔殿の横道

 陰鬱な木陰と乾いた岩壁はけして交わらず、金網という人工物がその境界を取り囲んでいた。

 

 試験会場である第四十四演習場──通称“死の森”を囲う大規模なゲートは、地図上では半径約十キロメートルの円状であるとされる。

 

 五日間という制限の中で、森を横断し、受験者同士で十三対の巻物を奪い合い、最終的には森の中央に位置する塔を目指す……それが第二の試験の概要だ。

 

 ゲートの出入り口は金網上の等間隔に存在する全四十四カ所。そして、それら全てには一つずつ番号が振られている。

 

 試験の鍵となる「天の書」と「地の書」それぞれの巻物を携え、受験者達はその外周を移動していった。今やざわめきは遠のき、風が金網を鳴らす音が微かに聞こえるばかり。

 

 四十一、三十八、二十七、二十、十六、

 

 十五、十二──そして、六……

 

 ヒノメが黙々と受験者達の配置を確認する背後で……マシロは、自分達がくぐるゲート番号をじっと見上げていた。

 

 “四十四”

 

 試験開始を予告したその三十分後──現在時刻、午後二時半。まもなくヒノメにより配置の確認が完了する。

 

 合図を受け、アンコが無線機を構えた。

 

 

これより、中忍選抜第二の試験!  ── 開始 !!

 

 

 四班にとっては救護任務の始まりである。

 

「アンタ達も、うっかり死なないでよ! 私がスバルに恨まれんだから!」

「五日も下駄履かせてもらってんだ、遅れ取ったらそれまでだって!」

 

 要望とも激励ともつかぬアンコの声に、ヒノメも負けじと言葉を返す。

 

 救護係と言っても、受験者達はそれを知らない。万一襲撃に遭えば返り討ちが許されている。四班は、いわば試験の足切り要因でもあった。

 

 三人とも、同意書は提出済みだ。

 

 ヒノメが転がっていたチェーンを脇に放り、ゲートの金網へ手を掛ける。振り返ってマシロとアオイを確認すれば、しっかりと頷きが返された。

 

「じゃあ──五日後にまた!」

 

 

 ───

 

 

 そうして森に立ち入ること数分。

 

 

 ──うわああ

 

 

 もはや何も言わずにヒノメが悲鳴の方向を指し示す。

 

「早いね……」

「では、僕は樹上で待機しておりますので」

 

 打ち合わせ通りの役割分担が始まった。二人は何も疑わず、ヒノメを信じて動いてくれる。

 

 その二人を欺いても、針路を取らなくては……

 

 ──呪印持ちはチームに()()いれば十分だ。

 

「……白眼の耐久テストだぜ」

 

 分担外の役割を担う存在に、休まる瞬間(とき)は存在しない。

 労いの言葉が掛かっても、ヒノメは曖昧な笑みを返すだけだった。

 

 

 ───

 

 

 第二の試験開始が翌日に繰り下げられた理由──それはひとえに“想定以上の受験者が、第一の試験を通過したため”である。

 

 出身里問わず、残ったチームと同じ数だけの上忍が里内に留まることになり、木ノ葉隠れとしては警備の再編成が必要となったのである。

 

 ……という説明を、不承不承な様子のアンコから受けた四班は、その判断を取り敢えず飲み込んだ。

 

 椅子の背に寄り掛かりながら、アンコはつまらなそうにしている。

 

「……ま、あの人数をそのまま突っ込んでも事故りそうだし? 一晩置くのも有りっちゃ有りでしょうけど」

 

 そう自分を納得させたような彼女の向かいで、ヒノメが発言を求めて挙手をした。

 

 用件は、とある受験者について。

 

「第一の試験前……参加者の人数とか出身里の内訳とか、やたら詳しい奴がいてさ。そいつが自慢げに話してたのが気になったんだ。事前にリークがあったかもって知れたら、やっぱ問題になるかな?」

 

 報告の内容は事前に三人で話し合っていた。そして結局、観測出来た違和感を共有するだけに留めたのである。

 

 自分の杞憂かと思い始めたアオイと、物証が挙げにくいと言うマシロに、ヒノメが折衷案を出した。

 

 その報告に、アンコは興味深そうに目を細める。

 

「そいつは木ノ葉? それ以外?」

「木ノ葉。一応名前も分かってる」

「……行儀悪いのがいたもんだわ」

 

 アンコは机上のファイルに手を伸ばしかけ……止めた。

 

「それって試験直前?」

「そう。イビキさんが会場来る前」

「だったら、調査は厳しいかもね」

 

 担当上忍や中忍がリークした線は濃厚だが、タイミングがタイミングだ。その下忍が自力で情報を集めた可能性だって否定は出来ない。

 

 大々的に調査でもして事が公になれば、主催の木ノ葉としては示しが付かなくなる。

 

 つまるところ、現状は動けない。

 

「──それじゃ、今日はもう終わり! ご飯連れてってあげるから、ちょっと待ってなさい」

「先生のツケ?」

「まーね♡」

 

 第二の試験が延期になったその晩は、警備再編の通達以外、何事も無く過ぎていった。

 

 ……スバルの帰還には、まだ少し掛かる見通しである。

 

 

 ──────

 

 

 第二の試験開始から、一時間半が経過した。

 

 受験者達の衝突はあちこちで発生し、既に巻物争奪戦からは敗退が確定したチームも現れ始めている。

 

「……脚の先はどちらに?」

 

 砂隠れチームの処置に当たるマシロが、比較的軽傷で済んだ一人を振り返る。

 

「とっくに(アイツ)の腹ん中だよ! 見りゃ分かるだろ!?」

「確認は必要なんです……傷に障りますから、どうか安静にしていて下さい」

「クソ……クソッ……!」

 

 彼らは、他チームとの戦闘に敗れた弱り目を、野生の猛獣に襲われてしまったのだ。

 

 重態のもう一人は脚部が大きく欠損し、応急で止血帯が巻かれたところである……残る一人は、間に合わなかった。

 

 試験の過酷さは、アオイ達の想像を越えるペースで下忍達をふるい落としていく。

 

 仲間を失ったばかりの受験者を前にしても、アオイは心を痛めることが出来ない。意識が向くのは逃げて行った熊の方である。

 

「トドメ、刺しておけば良かったな」

「あっちも深手だ。どうせ長くない」

 

 遺体を回収し終えたアオイは傍で処置の様子を見守るばかりだ。一方のヒノメは今も油断無く感知を続けているらしかった。

 

「何か見えた?」

「十一時の方向でまた戦闘──あと、二時の方向に雨隠れの仏さんが三つ」

「え」

 

 一つのチームが、全滅。相手は獣か、受験者か? 

 

「戦闘の方はそろそろケリが付きそうだ。今のところ重傷はいない」

「そっか……」

 

 安心には程遠い状況に、いつの間にか慣れ始めていた。

 

 予感や覚悟は神経を麻痺させ、本来の感覚をも鈍らせる。かといって、痛みを抱えたままでは精神が先にやられてしまう。

 

 そのどっち付かずで、下忍達はどうにか生き残らねばならない……“極限のサバイバル”とはよく言ったものだ。

 

「あなたの傷も診せて下さい。残りの四日は、あなたが踏ん張らないと」

 

 仲間の処置が済んだ頃、軽傷の彼は随分と落ち着きを取り戻したようだった。

 

「木ノ葉のアンタが、なんでここまで……?」

「それが僕の役目ですから」

 

 線引きを忘れないように。

 

 マシロに出来るのは、目の前の怪我人へ集中することだけだった。

 

 

 ───

 

 

 四班は「天と地の巻物」こそ所持していない。

 

 ただし救護任務にあたり、マシロには医療班から医療物資の詰まった巻物が、アオイには収納の術式が並ぶ()()()の巻物が、それぞれ貸与されている。

 

 それら二本のうち、持ち帰りが義務付けられているのはアオイが預かる巻物だ。

 

 “受験者の遺体及び遺品の回収”

 

 それが巻物に付与され、アオイの受け持つ役割だった。

 

 ヒノメは感知に隙を作らず、アオイが森をひた走る。

 

 この任務が宛がわれた意味にも気付けぬまま……彼らの時間は、飛ぶように過ぎていく。

 

 

 ───

 

 

 第二の試験が始まって早五日目の午後。試験終了までは残り二十四時間を切った。

 

 巻物争奪戦も終盤。

 

 脱落チームは四班が確認しただけで十に届く。ここからは、残った受験者による追い込みの時間だ。

 

 その戦闘が激化するであろう夜に備えるべく、現在四班の三人は、塔から離れた川辺で休息を取っているところであった。

 

 天気の良さも相まって、川の流れは涼しげだ。

 

 岩陰で備品を整理していたマシロは、ふとアオイが川岸に近付いて行くのを見かけた。飲み水を汲む訳でもなく、ただぼんやりと水面を眺めているらしい。

 

 アオイは上着のフードを目深に被り込み、片手にはオレンジ色の巻物──先程遭遇した、木ノ葉のチームが投げ寄越してきた「地の書」を携えている。

 

『あの青髪……み、水戸門アオイだ!』

『これは迷惑料だ! だからスマン、見逃してくれ!』

 

 一目散に逃げて行った彼らが、何を恐れていたかは定かではないが……名指しで避けられたアオイが何を思ったかは、薄々察しが付いてしまう。

 

(……え?)

 

 それでも、アオイの行動は予想外だった。

 

 ──チャポン! ……

 

 身振りと共に巻物が宙を舞い、小さく飛沫を上げたかと思えば、そのまま川の流れに飲み込まれて行く。

 

 マシロは呆気に取られ、その光景から目が離せない。

 

 「用が済んだ」と振り返ったアオイの、そのばつが悪そうな顔は忘れられそうになかった。

 

「……流石に、投棄するのはどうかと」

「……」

 

 我に返ったマシロがなんとか口にした言葉は、どこかズレていた。アオイは気不味そうに目を逸らすばかりで何も答えない。

 

 整理を途中で切り上げ、マシロも川岸へと近寄った。川の向こうをよく見ると、オレンジ色の巻物は上手いこと引っ掛かり、まだ届く距離に沈み留まっている。

 

 見て見ぬ振りは据わりが悪い。

 

 マシロが急ぎ巻物を回収して戻ったところでようやく、アオイが、重い口を開いた。

 

「……手間掛けさせて、ごめんなさい」

「お気になさらず。どうして、こんな事を?」

「持っているのが、嫌だったから」

 

 水没した「地の書」はもう使い物にならない。天地一対の巻物を揃える試験で、合格枠が一つ減った。

 

 その影響を分かっているだろうに、アオイは暗い表情で首を振るばかりだ。

 

「じゃあ、拾得物ということにしておきましょう。僕が預かっておきますね」

「……」

 

 まるで、チームを組んだ頃のように余所余所しい。

 

 ここまで追い詰められているとは思わなかった。そして今、この場で悩みを解消してやることは困難だ。

 

 マシロはせめて安心させようと笑う。

 

「軽く遊んで、気分転換でもしませんか? あまり大掛かりなことは出来ませんけど……」

「遊び?」

「こういうのはヒノメが得意ですよ」

 

 振り返って馴染みの赤色を探せば、立ち並んだ岩盤の上で背を向けた姿を見付けた。

 

 

 ─── 

 

 

「ヒノメ」

「……何だよ」

「今くらい、休憩らしいことしましょう。そんな姿勢じゃ休めないでしょう?」

 

 ヒノメは胡座をかいて座り込み、禅のように微動だにしていなかった。

 

「本格的に寝ちまうよりは良いだろ……そんで、何するって?」

 

 言いながら、気怠そうにこちらへ向かってくる様子は確かに眠そうだ。

 

 その歩き始めが僅かにふらついたのを、マシロは見逃さなかった。

 

「そうだな──例えばこの指、何本に見えます?」

「二だろ」

 

 にこやかに提示されたものを、ヒノメが何の気なしに答えた時……マシロが手と笑みを引っ込めた。

 

「いいえ。三ですよ」

 

 静かな訂正にヒノメの歩みが止まる。

 

 ほんの一瞬。その逡巡が、致命的だった。

 

「すみません、アオイ」

 

 ヒノメを注視しながら、マシロは硬い口調で告げる。苦虫を噛み潰したような顔で睨み返されるが、非難される謂れはない。

 

「今は現状確認にしましょう。ヒノメも、それで構いませんね?」 

 

 上忍不在の任務の危うさを痛感する。

 

 川の流れは何ら変わらず。ただ岩肌を打つ音だけが、延々と響いていた。

 

 

 ───

 

 

 草木の葉擦れがやけに耳につく。

 

 白眼を解いた今、潜む輩の動きは追えなくなってしまった。三方を岩に囲まれ、視界の狭さに辟易する。

 

 それもこれも、目の前のマシロが取り調べ紛いの問診なぞ始めたからだ。

 

 唯一川へ抜ける方をマシロが塞ぎ、ヒノメは物理的にも逃げ場が無い。

 

「平常時の焦点が合わせづらく、軽く頭痛と目眩まで併発……どう考えても、眼精疲労そのものじゃないですか」

 

 マシロの確認は淡々と、しかし確かな圧があった。年々目敏さに磨きがかかり、ヒノメとしてはやりづらいところである。

 

「一過性だっての。少し休めば十分なんだって」

 

 だから心配無用……と通そうとするも、そのやり口は既にマシロに見抜かれていた。

 

「“本当に”休息を取っていたなら、ここまで消耗せず済んだのでは?」

「それは……」

「無理をするならするで、ちゃんと相談してください。何かあってから後悔なんて、僕はしたくありません」

 

 圧こそ和らいだものの、ヒノメはまだじっとりした含みを感じていた。現にマシロは確認が終わっても一歩も動かないでいる。

 

「つっても、残り一日だしな。休めって言うならここらで切り上げようぜ」

「またそうやって……!」

 

 心配するな、勝手をするな……言われて、その通りにするような互いではなかった。

 

 話が平行線を辿りそうな気配に、アオイが岩の上から二人を覗き込んだ。

 

「ヒノメ、休むならしっかり時間取って休んでね。救護の効率は落ちるだろうけど……私は余力もらってるし、その間の自衛は出来るから」

「! ……」

 

 その言葉は助け船ではなかった。

 

 ヒノメが見上げたアオイは、表情こそ穏やかだ。それでも、目の奥は一切笑っていない。

 

「……分かったよ」

 

 ヒノメの了承を確認し、アオイが今度はマシロを見やる。

 

「どれくらい休んでもらおうか?」

 

 マシロは、肩を落として深い溜息を吐いた。連日の消耗が精々数時間の休息で回復する訳もない。

 

「可能なら一晩……いえ、いっそ先に離脱して貰った方が確実かもしれません」

「オイ、それじゃ話が違うだろ!」

「先に違えたのはあなたですよ」

 

 ヒノメとしてはこんな中途半端な状況で離脱など、恥もいいところだ。せめて、一区切りつくまでは仕事をこなしたい。

 

「夜までは休んで、その後夜明けまで残る。夜が明けたら離脱……それなら良いか? 今夜が一番荒れるだろうしよ」

「あなたを使い倒して、僕らに朝を迎えろと?」

 

 マシロにはまだ不満が見え隠れするが、アオイはヒノメの申し出で妥協した。

 

「じゃあ、夜明けには塔へ着けるように動こうか」

「そっちは明日の昼まで二人きりってことになるが……」

「私は相当()してたから、本当に大丈夫だよ」

 

 茶化すように言い、アオイが小さく微笑んだ。

 

「分かりました……ではせめて、今の内に仮眠は取っておいてください。それも嫌なら、眠らせて塔に置いてきますので」

 

 赤い眼が、不穏に覗いていた。

 

 双方に温度差こそあれど、望むことは一つしかない。

 

(……オレだって、無事で終わりたいさ)

 

 その言葉を、ヒノメが口にすることは無かった。

 

 

 ───

 

 

 赤い着物というのは自然の中でも、存在感として大きかった。だが、今やその目を引く色は岩陰が覆い、気配は環境音がすっかり包み隠している。

 

 野営地は川辺から変わらず。改めて広く視界を取れば、圧倒されるような心細さを覚えてしまうアオイだった。 

 

 ヒノメはと言えば、程よい傾斜に身を預け眠りについたところだ。

 

 結局、マシロは写輪眼を使わなかった。

 

『“休息”ではなく“気絶”になってしまいますから』

『お前の裁量どうなってんだよ』

 

 気怠さを隠しもせず、ヒノメはひたすら面倒臭そうだった。マシロは掌を翳し、寝かしつけるようにヒノメの目元を覆う。

 

 “チャクラコントロールの応用で、筋疲労を和らげることが出来る”のだと……そう言っていた。

 

『そんなこと出来るなら、最初から使ってくれりゃいいのに……』

『無理を前提にするつもりはありません』 

 

 処置が済んだ頃にはもう、ヒノメは寝息を立てていた。

 

 そんな二人の一部始終を、アオイは黙って見守っていたのである。

 

「……相当疲れてたね」

「隠そうとする癖、どうにかならないでしょうか」

「私も人のこと言えないからなぁ」

 

 アオイの感覚で言えば、“弱みを晒すことが怖い”のだと思う。野生動物のようだと言われたらそうと認めるしかない。それほど、本能的な忌避感が根っこにある気がしている。

 

「アオイはむしろ話してくれるようになりましたよ。ヒノメは逆なんです。どんどん意固地になって来たというか」 

「……仕事してないと不安なんじゃないかな。白眼の感知って見える、見えないで成果出しやすいし」

「それで身体を壊しては元も子もないのに……」

「……」

 

 マシロが悩ましげに肩を落とすのが、見ているアオイにも心苦しい。

 

 確かに、最近のヒノメは様子がおかしかった。やたら慎重であったり、かと思えば今のように妥当でない判断が増えていたり。何かしら事情がありそうだ、とはアオイも感じていた。

 

 “事情”については見当が付かないが、この様子ではマシロにも把握できていないのだろう。

 

「……一先ず、この任務をちゃんと終わらせて……また落ち着いて話す機会を作りたいね。今詰めたって理由付けて躱されるだけだろうし」

「そう、ですね。少しは冷静になれると良いんですけど」

「いっそ不満ぶち撒けるのもアリかな?」

 

 アオイの雑な提案にマシロは一瞬キョトンとし、そして小さく笑う。

 

「……フフ、とことん困らせてやりましょうか」

 

 思わず溢れたような、困ったような笑みだった。

 

 

 ───

 

 

 ヒノメが眠っているとはいえ、任務は今も継続中である。完全な穴を空けないよう、アオイはこの間も偵察に出るつもりだ。

 

「ぐるっと回って見てくるよ。一時間経っても戻らなかったら、その時は塔で合流ってことにしてほしい」

「……くれぐれも、お気を付けくださいね」

「逃げ足には自信あるんだ」

 

 そう言ってアオイがニッと笑った。そのまま立ち上がり、ずっと被りっぱなしだったフードを脱ぎ払う。

 

「食料、持って行かれます?」

「それは大丈夫……あ、そうだ──」

 

 アオイの視線が、マシロの背後へと向いた。 

 

「さっきの巻物、やっぱり自分で持っててもいいかな?」 

「……こちらですか」

 

 先程水浸しになった「地の書」は、ようやっと水が垂れなくなってきたところだ。利用価値も既に無いだろう。

 

「持ち歩くには不便ですよ?」

「うん。それで気合い入れ直そうかなって」

「……」

 

 あの暗い表情が脳裏を過ぎる。

 

「せっかく拾ってもらったのに、もう捨てたりしないよ」

 

 マシロにアオイの真意は分からない。ただ、本人の言う“気合い”による切り替わりは確かに感じていた。

 

 アオイは真っ直ぐマシロを見つめ、返答を待っている。

 

「そういうことなら、仕方ありませんね」

「ありがとう」

 

 本来、却下する理由も無い。

 

 そのまま巻物を手渡してやろうとして……マシロがふと動きを止めた。

 

「?」

「どうせ使えませんし」

 

 印を組み集中し始めたかと思えば、巻物をパッと大きく振るう。岩の壁際に飛沫が飛ぶが……その水量は、不自然に多い。

 

 マシロは巻物を今度こそアオイへと渡した。まだ僅かに湿り気を覚えるが、水没のことを思えば、ずっと乾いている。

 

「これで少しは軽くなったかと」

「……器用だね?」

 

 アオイの素直な感嘆に、マシロは悪戯っぽく笑う。

 

「じゃあ、行ってくる」

 

 軽やかに去って行く背中を見送る。

 

 空を背に映した姿が、無性に眩しかった。

 

 

 

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