パルデア地方は、自然豊かな大地の広がる、素晴らしい場所である。
北に行けば白銀の世界が、西に行けば広大な湖と灼熱の砂原が、中心部には未来を創る若者の集まる学園が。
パルデアは夢と希望に溢れた、宝石のようにキラキラと輝く大地だ。ここならば、人とポケモンが末永く幸せに暮らせる事間違いなしだろう。
ただ、そんなパルデアにも“闇”はある。
いかなる宝石も相応の加工を施せば優秀な凶器に成るように、パルデアも探れば探るほど、表面上の事実からは信じられない真実があるのだ。
それは人と人同士の狂気じみた事件とか、そんな類の話ではなく、もっと大きくて、それ以上に恐ろしい真実。
パルデアの大穴の先に、それがある。
パルデアの中心に浮かぶ厚い雲を眺めながら、空飛ぶタクシーに身体を揺られる華憐な少女がいた。
髪は黒曜石のように真っ黒で艶が良く腰まで伸びており、瞳は吸い込まれてしまいそうな漆黒色。
厚く強固な皮で作られた黒のレザーコートを羽織り、下は紺色のコンバットシャツとショートパンツを着込んでいる。
「調査員さん、此度はどちらへ?」
「西三番エリアへ。未確認のポケモンが発見されたとの事なので」
「ほほう……」
シディアは若くして調査員になった期待の新人である。今や、単独で仕事ができる程、トレーナーとしての腕も上がってきている。
調査員の仕事は主に生態系の調査と、それに関連する事件の鎮圧だ。
「いいですねぇ。今年もアカデミーの学生達が宝探しを始める時期でしょう? 私もそういうの、してみたいですね」
「このお仕事は“そういう”部類に入らないんですか?」
「……あぁ! 確かに! こうやって新しいお客さんと話して色々な事をお聞きするのは、宝探しと何ら変わりないかもしれませんね!」
タクシーのドライバーはようきだ。話していると少し疲れる。
調査員なのに、自分には好奇心がないと薄々思っている。好奇心どころか、プラスの感情を、ここ最近あまり表に出していない気がする。
雑談を交わしていると、あっという間に目的地に辿り着き、タクシーのドライバーとお別れする時が訪れた。
互いに手を振り、ぎこちない笑みで空へ飛び立つ彼を見送った。
モンスターボールを握りしめ、気持ちを切り替えて彼女は仕事を開始する。
西三番エリア。チャンプルタウン周辺エリアの事を、人々はそう呼んでいる。
ニャースやネッコアラなどのおとなしいポケモンが多いが、時折トロピウスなどの凶暴なポケモンもいる。
今回の仕事は、ここらで目撃された“謎のポケモン”の調査だ。
何にもそれは、もはや“ポケモン”と呼ぶには怪しい、機械のような生命体だと言うのだ。
ここ最近、スター団という集団が屯しているが――否、あれはただの不良学生集団だ――余計な考えは捨てよう。すぐ人のせいにしようとし、自分の責を軽くしようとするのが、彼女の悪い癖であった。
西三番エリアの坂道を登っていく。時折見える厚い雲が、どうしても気に障るが、あまり考えないようにした。
歩く際に目に映るポケモンは、シキジカやネッコアラ、時にムウマなどもいるが……どれも確かにポケモンである。
何処にも異常はなし――そう思った矢先に、ある痕跡が目に入った。
まるで焔の鉄塊が転がったかのような、焼け焦げた跡が、道なりに続いていたのだ。
やがてそれはコースアウトし、途切れている。
「――ッ!?」
野生の感が働き、瞬時に左方向へ転がった。
刹那、コートの裾を焼き払うようにして何かが物凄いスピードで転がっていった。
黒煙舞う中で、その正体を間近で確認した。
鋼鉄の肉体。スマホロトムのような機械の顔に、それを覆い隠す、赤く輝く巨大な鼻のような器官はドンファンを彷彿とさせる。
「ポケモン……?」
違和感を覚え、それを口に出した途端、はっ、と気がついた。
目の前の存在こそ、報告にあった存在なのだと。
「行けッ――エルレイド!」
反射的に、しまっていたハイパーボールを取り出し投擲する。
繰り出されたポケモン、エルレイドは二対の刃を燦めかせ、鉄の轍かのようなポケモンに突撃した。
「エルレイド、インファイト!」
エルレイドの放つ、目にも止まらぬ強烈な連撃が、ポケモンの鋼鉄の皮膚を穿ち激しく火花を散らした。
「効いてる……の?」
効果は抜群なのか、一瞬、奴は怯んだように思えた。
しかし、赤い部位が点滅し、球体状に変形したかと思えば、猛スピードで回転しながらエルレイドの周りを取り囲み、彼を徐々に追い詰めていく。
「くっ……エルレイド! 飛んで!」
彼女の命令を聞き入れ、エルレイドは空高々と飛び跳ねた。
シディアの前に戻ってきたエルレイドは、高速回転するポケモンを睨みつけながら身構える。
彼女も同じように身構え、隙を伺っていた。
轟! と空気が唸る。
考える隙も与えられぬうちに、上半身が何かによって激しく圧迫される。
圧迫していたのは、鉄の轍の突進を喰らったエルレイドの身体そのものであった。
彼の刃が腹に当たり、激しい目眩が襲ってくる。
鉄の轍はバックステップで華麗に着地し、シディアはエルレイドの下敷きになる形で地面へ打ち付けられる。
頭を強打した事により、キーン、といううざったい音が耳の中を支配した。
朦朧とする意識の中、彼をボールへ納めた所で、視界は闇の中へと包まれた。
◇
「ファーン」
「――そうか、よくやったな――放っておけばいい。お前が選んだんだ、間違いはないさ――」
暗闇と光の中間の視界が戻ってきたころ、そんな言葉が何となく聞き取れてくる。
頬を生温い風が撫でている。全身が痛くて、身体を動かせそうにない。
また、視界は深い闇の中へ落ちた。
「――うっ……あ!!」
衝動に駆られ飛び起きると、そこには見たこともない景色が広がっていた。
緑豊かな、崖に囲まれた地が下へ下へと広がっていて、清らかな滝が重力に引っ張られ絶え間なく落ちていっている。
上を見上げれば、果てしなく広がっているかのような濃く白い雲がびっしりと上空を覆い尽くしている。
記憶が曖昧だが、ここまで至った経緯を何とか思い出す。
――確か、鉄のポケモンに突進されて気絶して――。
と考えを巡らせている内に、次第に身体が動くようになり、ゆっくりと立ち上がる。
立ち眩みで少しふらつくもぐっと堪えて、一歩一歩を慎重に踏み出していく。
見に覚えのない景色だった。調査員としてパルデアの各地を回ってきたが、こんな場所は見たことも、聞いたこともない。
「……まさか、ここが……」
――パルデアの大穴。
自分がパルデアで訪れた事の無い場所といえば、そこしかなかった。
だとするとここは、あの厚い雲で覆われた先に存在する場所、という事になる。
パルデアの大穴は調査員であれど、立ち入ることを禁じられている。そもそも、侵入が困難であると聞いた事がある。
そんな場所に、気絶している間に迷い込むなどと言うことが有り得るだろうか。
とりあえず両腕を触り、五体満足である事を確かめる。
落ちていたポーチを拾い上げて、中に手持ちのボールが全て入っていることを確認した。
「良かった……」
調査員である彼女にとって、ポケモンは大切な仲間だ。
誰一人とて、失う訳にはいかなかった。
彼女はしばらく歩き、地が途切れている場所へ立ち、断崖の下を見下ろした。
果てしなく続く、崖に囲まれた円柱状の空間。
そこには美しい自然が芽生えていたが、今はそれを、素直に褒める事はできなかった。
八月一日
『見知らぬ土地に迷い込んでしまった。
土地の形状と、空を覆う厚い雲から察するに、パルデアの大穴であると推測している。
ドンファンに似た、鉄の轍のようなポケモンに襲われた結果がこれだ。連絡して他の調査員に注意を投げかけたいが、スマホロトムが何処にも見当たらない』