「……泣き止んだのか?」
ブリトールに見られぬよう、岩陰で息を殺していたシディアが、ようやく顔を出した。
真っ赤に染まった頬。
未だ垂れる涙を拭き取り、彼女は気持ちを切り換える。
「ブリトール。教えてくれる? あのポケモンの事とか、貴方の事を」
彼はしばらく黙り込んだ。
刹那の静寂へ、凍てつく風が水を差してくる。
「私の事は教えられない。が……あのポケモンの事なら、いくつか知っている」
ブリトールは、長い話を始めた。
昔、学生だった頃体験した、校長先生が話す前の空気にそっくりな物が、辺りに張り詰めた。
「あのポケモンは、“パラドックスポケモン”。この時代にいるポケモンの過去の姿、或いは未来の姿だ」
「え……」
耳を疑った。
つまりは、現代のポケモンのかつての姿とこれからの姿――どうりで、見覚えのあるフォルムをしているわけだ。
「……ねぇブリトール。どうしてパラドックスポケモンは、この時代に来たの?」
「タイムマシン。君たちがエリアゼロと呼ぶこの場所には、それがある」
ブリトールは立ち上がりながら、下を指差した。
此処は大穴の底らしき下に場所だったが、まだ下があると言うのか。
「貴方の事は……」
「すまない、それは言えない」
「そう……じゃあ、私は貴方を味方だと思っていいの?」
「あぁ、さっきも言ったように、私はシディアの味方だ。君は、ここから出たいんだろう?」
頷いたシディアは、顔には出さなかったが、内心物凄く安心していた。
いくらポケモンがいるとは言え、こんな場所で一人で過ごしていると、気が狂いそうになるからだ。人(かどうかは分からないが)がいてくれて助かった。
――が、味方とは思うが、信用まではしない。彼女はあの男の事が頭に焼き付いて離れないのだった。
「……君、いまポケモンを何体持ってる?」
「……四体」
「それじゃあこの先は厳しいかもしれないぞ」
シディアは唇を噛んだ。
そう言われても、ポケモンボックスに接続できないから新たにポケモンを加えられない。それに――ボックスにいるポケモン達まで犠牲になるのは、耐えられなかった。
「一体しか上げられないが、使うといい」
「え、でも……」
「指示の事なら心配するな。こいつは賢い」
そういう問題ではない。
差し出されたモンスターボールは、見たことのない“M”が描かれたボールだった。
――先程のバトルから推測するに、これに入っているのはパラドックスポケモン。今まで幾度となく自分のポケモンを殺してきた種族だ。
「出してごらん。あっという間に懐く」
ブリトールにそう言われ、ボールを落とした。
パカリ、と開いた蓋から粒子が飛び出し、中のポケモンが解き放たれる。
そのポケモンは、何処か見覚えがあった。
此処に来る前、シディアが襲われた、ドンファンにそっくりな機械のポケモンだった。
「……あ」
頭がちくりと傷んだ。古傷が痛む、といいやつだろうか。
「どうした、シディア?」
「こ、このポケモン……私を襲ってきた……」
「……あぁ。それはきっと別の個体だ。大丈夫、ワダチはそんな事しない」
ワダチ、と呼ばれたポケモンは、電子パネルに映し出された顔を笑わせ、鼻を上げる。
その姿と、自分のドンファンとを、思わず重ね合わせてしまう。
「ウィル・ドン・ファー!」
不思議な鳴き声だった。
けれどそこに、微かな愛らしさまで感じる。
例え未来であれど、ポケモンはポケモンなのかもしれない。
「……えぇっと……ワダチ? よろしくね」
「ドンファー!」
ワダチをボールに戻し、シディアは淡い息を吐く。
パラドックスポケモン。それは確かに、今まで敵視していた存在――されど、ポケモンはポケモン。きちんと手懐ければ、きちんと分かり合う事ができれば――
「シディア。これからの事について少し話そう」
「うぇっ?! あ、うん……」
考えに耽っていた最中声を掛けられ、シディアはびくん、と大きく跳ねる。
「私達はこれから、この下の空洞の最深部にあるタイムマシンを目指す」
「……それを目指してどうするの?」
「タイムマシンがある場所に、そこの責任者らしき人物がいた。その人に頼み込めば、君を戻してくれるかもしれない」
責任者、という言葉にシディアは反応する。
あの建物や記録を残した人物とその責任者が同じ人物なら。パルデアにとって、重要な真実を知っている人間となりうる。
調査員として、見過ごすわけには――。
(やだ……この期に及んで……)
シディアは心底、この場所が嫌になった。
此処は人を狂わせる。
早く出て、いつも通りの生活に戻りたかった。
その為にも、今はブリトールと協力して、脱出の方法を探らなければならない。
◇
ブリトールの案内で、洞窟の前までやってきた。
道中、またパラドックスポケモンに襲われたが、ブリトールがいるからか、相手にするのは以前よりも断然楽になった。
「シディア、ここからは少し険しい道のりになる。あそこの建物で休憩にしよう」
「う、うん……」
シディアは確かに息が上がっていた。
けれど、そう言う彼は、何気ない顔で呼吸一つ乱れていない。随分と体力があるようだ。
また六角形の建物に入った彼女は、崩れるように壁にもたりかかり座り込む。
薄暗い部屋と、外とは違う空気が、溜まりに溜まった疲労を促進させてきた。
うとうとしていると、ブリトールが隣に座って話しかけてくる。
「シディア、少し君の話を聞かせてくれないかな」
「……どうして?」
「気になるんだ。君のような、ポケモントレーナーの事が」
彼女の黒髪の束が、彼とは反対の方向へ零れ落ちる。手入れされた髪は、暗闇でも微かな輝きを灯している。
「別に……良い話なんてないよ」
「それでも聞きたいんだ。私は、ずっと一人で心細かった。何か人と話をしたい」
ずっと一人。それはシディアも同じだった。
何だか親近感が湧いてきて、意志とは裏腹に口が動いてしまった。
「そんな大したトレーナーじゃない、私は」
「私はそうとは思わない。君のポケモンは、戦っている最中、凄く誇らしげな顔をしている。君のために戦えるのが、名誉であるかのように」
シディアは微かに笑った。初対面なのに、随分熱烈に語ってくれるブリトールが、少し可笑しく思えたのだ。
「確かに……私とあの子達は長い付き合いで、互いに信頼しあってる。けれど、私はまだまだ不甲斐ないもの」
そう言って膝を丸めた。自分で言ってはいるが、どこか哀しく、後悔や罪悪感までも感じる言葉であった。
「君の相棒を見せてくれないか。話がしたい」
「……はぁ」
彼の無茶な言葉に対した反応も見せず、シディアはエルレイドの入ったボールを放り投げた。
出てきたエルレイドは、元気よく鳴いて、二対の刃をギラつかせた。
「君。君はシディアのことをどう思う?」
「エル……?」
知らない人に、唐突に個人的なことを聞かれて、エルレイドも困っている様子だった。
「君たちは、主である彼女の事をどう思っている?」
言葉を理解できて、伝えたいことまで考えられる彼らだが言語化ができない。
おどおどするエルレイドが取った行動。
それは、シディアに抱きついて、胸元に顔を押し付けてくるというもの。
信じられないくらい甘ったるい声を出しながら、エルレイドは彼女の胸元にすっぽり収まってしまった。
「シディア、見てみろ。君のポケモンは、少なくとも君の事を大いに信頼している」
彼の後頭部に手を回した。
少しゴツゴツするそこを、優しく撫でてやる。
どうしてこんなに愛おしいのか。
「君が自信を持てないのは何故だかわからないが、ポケモンは君を信頼している。何もないトレーナーを、ポケモンは決して信用しないよ」
エルレイドは彼女から離れ、にこっ、と笑う。彼の笑った顔は細やかだが、そこに愛らしいさが詰まっている。
「……自信が持てない……か」
彼をボールに戻し、シディアはぼそりと呟いた。
「そう簡単には持てないよ」
『パラドックスポケモン。信じ難い事に、現代のポケモンの未来の姿、或いは過去の姿であるらしい。
ブリトールという男は、それを知っていた。
彼は何か知っている。
信用していいのか定かではない。けれど、頼みの綱はもう一本しかない』