小さい頃、洞窟で迷子になった事があった。
暗くて、暗くて。何処を探しても出口が見当たらなくて、泣き喚くしか出来なくなった。
そんな時偶然すれ違ったのが、凄腕の調査員――今の師匠となる人だった。
「そうか、迷子か。出口に連れて行ってやろう。私の手を離すなよ」
デルビルだらけの暗闇の中でのその人の姿ほど、頼もしいものを見たことがない。
そして暗闇が光に変わった時、その人の全貌がよく見えた。
思ってたより年を取っていたが、格好良かった。
貫禄のある皺に、素敵な笑顔。
優良企業で働く実の父親にすら感じなかった“憧れ”を、その人に抱いた。
「あ、あの……」
か弱い声を絞り出して、その人に聞いた。
「おじさんみたいな人に、どうやったらなれますか……?」
その人はうーむ、と喉を唸らせ、子供の質問に長い時間悩んでくれた。
「俺は調査員だからな、どうやったら俺みたいになれるか、と聞かれても、調査員になれとしか言いようがない」
小さな私と視線を合わせると、分厚くて大きな手を頭に乗せてきた。その時の温かな感覚は、何度頭を洗ってもこびりついて離れない。
「お嬢ちゃんはきっといい調査員になれるぞ。普通の子供は、あんなところに入ろうなんて思わねぇ。調査員に大切なのは、誰をも凌駕する“好奇心”だからな」
にっ、と笑った師匠の顔は、誰の笑顔よりも素敵だった。
多分あの時、私が今くらいの精神を持っていたら、惚れていただろう。
それくらい、師匠は私の憧れだ。
暫くして、十歳になった私は家を出て、師匠に弟子入りした。調査員としては勿論、トレーナーとして、稽古をつけてもらうために。
「こいつはラルトス。いじっぱりだが、根はいいやつだ。育てるのは苦労するぞ」
エルレイドとなるラルトスと出会ったのも、その頃だ。
師匠の言う通り、彼を育てるのに多大な苦労がかかった。
言う事を聞かなかったり、私に向かって技を打ったり、さぼったり。
けれど、そうやってゆっくり育てたからか、溜まっていく愛情はどのポケモンよりも多かった。
師匠からは沢山の事を学んだ。
ポケモンのこと、パルデアのこと、人のこと。
調査員である以前に、師匠は人間として完成した人であった。
豊富な知識と大きな器。師匠と過ごした毎日は過酷ながら、楽しかった。あの頃が一番輝いていたとも言える。
「シディア、いいか? ポケモンは怖い生き物でもある。人間を簡単に殺せる」
「でもなぁ、恨んじゃあいけねぇ。トレーナーである以上、ポケモンはどんな時も好きでいなきゃならない。そうじゃないと、そいつにも見放されてしまうぞ」
師匠からそう言われた時、エルレイドが何故か自慢げにポーズを取ったのを、鮮明に覚えている。
師匠の言葉を大切にしてきた。だから、こうして調査員を続けてこれたのだ。
でも、ある日師匠は、突然私の前から姿を消した。
師匠は死んだ――未熟ながら、あの頃の私はすぐにその事実を察した。
その死因は呆気なかった。調査中、ミガルーサの群れに遭遇し、仲間を庇って……師匠らしいといえば、師匠らしい。
それから私は、どんな調査であれ積極的に――否、半ば義務とも言える感覚を胸に熟していった。
◇
「どう? 落差激しくて嫌になるでしょ」
ベッドに二人並び、シディアは昔話をブリドールに聞かせていた。
ブリドールは、哀れみとも取れるような潤んだ瞳で、こちらを見つめている。
「そうか。君のお師匠は、良い人だったんだね。私も会ってみたかった」
こつん、こつん、と四連続で靴裏が鉄に当たる音が響く。
シディアはボックスから転送したモンスターボールを握りしめる。
師匠の教えを守って、ここまでやってきた。それはこれからも変わらないつもりだった。
けれど、その気持ちが揺るぎつつある。
――許してください、師匠。
記憶の中の師匠は、彼女の中で笑ったままだった。
その顔しか、印象に残っていないのだ。
「行こう。先程も言ったが、ここから先は厳しくなるぞ」
「分かってる。もう覚悟はできてるよ」
シディアはキャップを深々と被り、彼と共に建物を出た。
◇
エリアゼロの洞窟内に、二人は足を踏み入れる。
彼はここの構造をよく知っているらしく、下までの近道を教えてくれたが、初年の彼女には理解し難いものだった。
とりあえずは、彼に着いていけば事足りるだろう。
早速、二人を一体のポケモンが襲う。
キョジオーン。身体が塩でできた、巨大な体格のポケモン。
震える我が身を押さえ、シディアはポケモンを繰り出す。
解き放たれるは桃色の鳥。
優雅に翼を広げ降り立ったカラミンゴは、キョジオーンに対し威嚇する。
ブリトールは、相も変わらずドクガを繰り出し、冷徹な命令を言い放つ。
「カラミンゴ、インファイト!」
「ドクガ、エナジー」
桃色と碧色の軌道が交差し、春の終わりを告げるような景色が、キョジオーンの前に出来上がる。
塩の破片が飛び散り、キョジオーンは堪らず退散していった。
「やはり君は強いな、君もね」
ブリトールはシディアとカラミンゴに視線を送った。
ぐわぁ、と大きく鳴いたカラミンゴは、得意げであった。
彼はよく自分のことを褒めてくれるな、とシディアは不思議な感覚に浸っていた。
求めていた筈なのに、いざ手にしてみれば大したことがない。
ふと、熱くなった目頭をぐっと押さえる。
ネガティブなのはいつもの事だが、ここに来てからは度を超えている。
――瞬間。ほんの一瞬だ。背後から背筋の凍るような悍ましい気配を感じ、ばっと前進し振り向く。
岩陰から飛び出てきたのは、プリン――のパラドックスポケモン。
丸いピンクの体躯以外、共通点がない。尻尾のような部位が、ふさふさと靡いている。
「サケブシッポか。シディア、気をつけて」
ドクガを繰り出しながら、シディアに忠告する。
シディアは新たに迎え入れたポケモン、ゴーゴートを繰り出す。
「ドクガ、サザメケ」
「気合い入れて、ゴーゴート。ビルドアップ!」
ドクガのさざめきが、空気を轟かせてサケブシッポを攻撃する。
緑の波動となったさざめきは、奴にとってはかなりの痛手なようで、直撃を避ける動きが見られた。
ゴーゴートは筋肉を盛り上がらせ、力と防御を高める。
サケブシッポは、甲高い声で叫び、名に相応しい攻撃を繰り出した。
しかし、そんな攻撃はゴーゴートには効かない。
そのまま、反撃の一手を叩き込む。
「ゴーゴート、ウッドホーン!!」
漆黒の角が翡翠の輝きを帯び、鈍く光る地面に突き刺さる。
大地を抉り取りながら、ゴーゴートは凄まじい勢いで突進。
浴びせられたハイパーボイスを諸共せず、サケブシッポを突き上げた。
打ち上げられたシッポは空中で体勢を整えようとした。
「ドクガ、オーバー」
しかし、灼熱の焔がそれを包み込み、短い断末魔の後、黒い塊が降ってきた。
「……シディア、復讐のつもりか?」
「どうだろう……でも、躊躇がなくなってきた。それは確かね」
ぷすぷすと、今もなお足搔こうとする黒い塊を見下ろしながら、シディアは言った。
黒い睫毛が、洞窟の奥から放たれる光に晒されて、不思議な輝きを宿していた。
『何を思ってか、ブリトールと呼ばれる者に自らの過去を明かした。
ああ、師匠の事を思い出すと、胸が痛くなってくる。
運命の調査に赴く前日、師匠は体調が悪そうだった。きっと万全なあの人なら、ミガルーサの群れを退けることくらいできた。
……ああ、師匠の事を思い出すと、胸が痛くなってくる』