エリアゼロの地下洞窟は、奥底に眠る調査員魂とやらをくすぐる場所であった。
一面に散りばめられた輝く結晶。そこに芽生える、豊かな生態系。
此処に入るのを禁じられる理由がよく分かる。“好奇心”を引き立てられ、どんどん奥へ進み、そこで満足げに死に絶えるからであろう。
ブリトールを先行に、シディアはどんどん奥へ進んでいく。
この期に及んで、目の前に広がる“好奇心”をくすぐられる景色に、見惚れている自分に腹を立てながら。
「シディア、こういうのを見ると、やっぱりワクワクするかい?」
「昔はしたかもね……でも今は……するはするけど……」
「けど……?」
「なんでもない。忘れて」
シディアは首を横に振るい、彼よりも前に踏み出した。
より近く、目の前の景色を体感できるようにしてみても、気持ちは昂ぶるばかり。
調査員としての“誇り”が、未だに根強く残っているのだ。
「君は良いトレーナーだ。ここを生きて出てほしい」
「……生きて、か」
一、二歩後ろに引き下がって、シディアはぽつりと呟く。
「師匠が死んでから私、縋るものが――生きる目的が無くなったの。あの人のようになる。でも、師匠がいない今、どうやったらなれるのか分からない」
「……君は死にたいのかい?」
「死にたくはないな。でも、生きる意味はない」
消えかかった霞のような声を発し続けるシディアの肩に、ブリトールはそっと手を置いた。
「思い詰める必要はない」
「別に、思い詰めてなんか」
彼女がその手を取っ払うと、何時でも声音を変えなかった彼が、震えた声を口から漏らした。
暫く、自分の手を見つめ、呆然としていた。
「……あ……ごめんなさい」
「いいんだ。先を急ごう」
何事も無かった――無かったことにしたかったかのように、ブリトールは下を目指し歩き始める。
ここにある結晶は、ポケモンのタイプが変わる不思議な現象 テラスタルの際にポケモン達の頭に乗る結晶に、輝きが似ている。
地上にあった建物にも、テラスタルに関する記載があった事から何かしらの関連があるのだろうが。
先程のこともあってか、彼との会話は全くと言っていいほど弾まなかった。
何より、張り詰めた空気があまりに苦々しく、口を開く気になれない。
気まずいまま歩いていると、シディアは突然止まる。
否、止まらざるを得なかった。
首筋に、鋭利な刃が迫っていたからである。
ひんやりとした確かな感覚がなければ、頸動脈をばっくり切られていたかもしれない。
「気ヅクカ」
背後にいる人物は大人しく引き下がる。
シディアは全力でその場を離脱し、ボールを取り出す。
刃の正体は、全身を黒い機械的なスーツで覆った細身の人間の右腕。
その人間はブリトールを見て、ロボットのような声色で言う。
「貴様、ナニヲシテイル? 我々ノ使命ヲ忘れたか」
「シディア、早く。ポケモンを繰り出すんだ」
ブリトールは奴の言葉を無視し、シディアに強く促す。
人間は大きくため息を吐き、Mの文字がついたボールを放り投げる。
ボールから解き放たれたのは、バンギラス――と見間違うようなポケモン。
バンギラスに酷似したそのポケモンは、黄金の鉄鎧に覆われており、背中からは、煌々と光る鉄の棘が伸びていた。
「行くよ……ワダチ……」
シディアは敵と同じボールからワダチを繰り出す。
場に出て、勇ましく鳴くワダチ。
その隣に、ブリトールの放ったドクガも並ぶ。
鉄の棘と見合って、緊迫した空気が一気に張り詰めた。
「ワダチ、じしん!」
「ドクガ、ウェーブ」
彼女の命令にきちんと従ったワダチは、その鼻を振り下ろし、大地を揺るがした。
吹き出る砂埃が空気をも轟かせ、不気味な輝きを帯びた大地に亀裂を生み出してゆく。
亀裂と共にヘドロの波が鉄の棘を襲った。
二つの攻撃を受けようと、敵は怯みもせず、反撃を仕掛けまいと身体を大きく動かす。
「イバラ、エッジ」
イバラと呼ばれたポケモンは、片足を地面に叩きつけ、ワダチの足元から鋭く尖った岩を突き出させる。
されど、ワダチがそれを避けた事により、岩の矛先はシディアに向く。
身に着けた危機管理能力が働き、身体が自然と動いたが、それでも間に合わず、鋭利な先端が彼女の脇腹を掠る。
「ぐぁっ……?!」
慣性に逆らえず、シディアは勢いのまま地面を転がって道を外れ、谷底へと落下していった。
「シディア――ワダチ! ユルガセ!」
彼の命令を聞き入れたワダチは、身体を丸め、地面を破る岩の山々の間を潜り抜け、テツノイバラに急接近する。
そして飛翔し、大地を揺るがした。
近距離からの抜群技は流石に耐えることができず、イバラは一撃で撃沈。
すかさず、ブリトールはシディアの落ちた谷底へとダイブした。
それを追いかけ、ドクガも戦線を離脱。
取り残されたのは、ワダチと立ち尽くす黒鎧の人間のみ。
「オマエハアワレダナ」
人間の右腕が変形し、ドラミドロの口先のように禍々しい筒が生えてくる。
岩だけが残る戦場に、金属の破裂する音が一瞬、響き渡る。
◇
カラミンゴの力を借り、何とか谷底でぐちゃぐちゃの肉塊になる結末は避けられた。
しかし、シディアは耐え難い痛みにひたすら悶えていた。
「が……ぇ……ぁ……ごふっ……」
迫り上がってくる血、その感覚に拒絶反応を起こし、胃液までも迫り上がる。
激痛と吐き気が、この上ない地獄を味あわせてくる。
「か、カラァ……!」
カラミンゴが介抱していたが、気休めにもならない。
吐血を繰り返し、シディアは徐々に弱っていった。
「シディア!!」
仮面の下で形相を変えたブリトールが、彼女の元へ駆け寄ってくる。
すぐに楽な体勢にさせ、彼女の様態を確認した。
「……る……かふっ……」
言葉を発せない彼女に、コートの裾を千切った布を噛ませる。
服を脱がせ、負傷部位を丸出しにし、その前にドクガを呼び寄せた。
「……ドクガ……ヒノコ」
細々とした焔が、傷口を焼く。
声にならない悲鳴を上げるシディアを、ブリトールは必死に抑え込む。
脚がジタバタと上下し、転がっていた小石で何度も肌が切れる。
カラミンゴもブリトールの真似事をし、彼女を押さえつけた。
焔が消え、彼女の傷口からはもう、血は流れていなかった。
布を口から離したシディアは腕で顔を覆い、嗚咽を上げる。
「辛かったな……すまない……」
シディアは傷口を押さえながらゆっくりと起き上がり、倒れるようにしてブリトールの胸に縋りつく。
「生きてても……つらいことばっかり……」
「でも死にたくないよ……死ぬの、怖いよ……」
彼の手がシディアの背中を擦る。
「でも師匠に会いたいよぉ……!!」
溜まっていた物が全て破裂したように、シディアは薄暗い谷の底で号泣する。
ブリトールはそんな彼女を抱きしめるわけでもなく、ただ胸元に飛び込ませていた。
「なら生きよう。二択で迷っているのなら、少しでも得する方を選んだ方が良い」
「生きて何の得になるの……」
彼女がそう聞くと、ブリトールは初めて笑った。
軽く、息をするように。
「それもそうか……」
そう呟いてから、ブリトールは彼女と混乱するカラミンゴを、一緒に抱き締めた。
二人の一匹の後ろには、誰もが圧巻される、巨大な門が聳え立っている。
その門に、人が一人通れる程度の隙間が微かに開いていた。
『TKJOFVBIKQE*YO,B4DWG-HDWEQKT.0QDF3JLDY94
されていなかったようだな。
この時代の文字データダウンロードに時間がかかったが、このデータにも出てきたブリトールが、彼女の代役を勤めよう。
私は、彼女に生きてほしい。けれど彼女は、生きてても辛いことばかり、という。
共感はするが、賛成はできない。
私は、何としても彼女に生きてほしい。
これは私自身のエゴなのか? シディア。生き延びて、データを見直したとき、少しだけ考えてはくれないか』