血が流れすぎたせいか、シディアは足取りが覚束なかったが、地を踏みしめて歩いていた。
こんなにも、歩くために力を入れたのは、初めて立って歩いた時以来のような気がする。
ブリトールは聳え立つ門の隙間に手を突っ込み、門を無理矢理こじ開けた。
「ここだ、シディア。タイムマシンがある場所は」
ようやく辿り着いた、目指していた場所。
なのに、達成感が微塵もない。
「いるんだよね。その、タイムマシンの責任者が」
「……あぁ。少なくとも、ここに外へ出る方法はあるだろう」
ふらつきながらも、門の先に進む。
常闇に包まれ、ひんやりとした空気が張り詰めているその空間は、酷く不気味で、吐き気を催すような雰囲気を漂わせている。
壁に手を当てると、空気よりも冷たい感触が全身に染み渡った。
「シディア、私の手を離すな」
ブリトールに言われた通り、彼の手をぎゅっと握りしめ、ゆっくり、ゆっくりと進む。
暗闇のせいで彼の姿はよく見えない。うっすらとした、背中の影だけが目の前に立ち塞がっている。
何だか、昔を思い出す。
あの洞窟で師匠の手を握り、恐ろしいポケモンの潜むあの場所でも、恐れなしに進むことのできた、昔のことを。
「ブリトール」
「どうした」
言おうとした言葉を呑み込んだ。
きっと言ったって、虚しくなるだけだ。
「何でもない」
「……そうか」
微かに見えた光が、二人を照らす。
忽然と姿を消した足場に気づかず、二人はそのまま滑り落ちる。
鉄の床に押し付けられたブリトールと、それに覆いかぶさるように跪くシディア。
仮面の下に隠れた顔が、僅かに動揺している気がした。
「仮面の下、そろそろ見せてくれてもいいんじゃない?」
「いや……だめだ」
細い指が、肌を遮断する漆黒の仮面を撫でると、彼の手がそれを制した。
どんな形で、どんな表情をするのか、気になって仕方がない。
「……あぁ、まただ。この期に及んで、また……」
シディアとブリトールは起き上がり、辺りを見渡した。
沢山の機械が置かれ、明らかに人のいた形跡が残されている。その中には、家族写真らしきものや、子供の玩具など、人間臭いものもあった。
「誰か?! 誰かいませんか?!」
彼女は必死に叫んだ。傷口が痛んでも、ここから出られさえすれば万事解決すると信じ、必死に。
すると、部屋の奥にあったエレベーターの扉が開いて、中から二人の人間が姿を現す。
一人はブリトールと同じような格好をした、もう一人はあの時ミガルーサを喰らった野生人と似た格好の男だった。
それを見て彼女は、二人が味方ではないと即座に判断する。
「シディア、君は先に行くんだ」
「……いや、でも……!」
前のめりになる彼女を制し、エレベーターに乗り込むよう促す。
「早く!」
歯を食い縛り葛藤した末に、彼女は可能な限りの疾走をして、エレベーターに乗り込んだ。
「確カニ、我々ハ戻レヌ身ダ。ダガ、ソコマデ血迷ウコトハナカロウ」
何も言わず、ブリトールはポケモンを繰り出す。
テツノドクガ、そしてサザンドラ――に酷似したテツノコウベ。
「ドクガ、ウェーブ。コウベ、ハドウ」
毒々しい波と、漆黒の衝撃波が研究所の中で蠢き、あらゆる物を巻き込む。
その攻撃は二体のパラドックスポケモンによって防がれる。
悍ましい、野生に満ちた真紅の月に似たポケモン トドロクツキ。
勇ましい、されど可憐さを感じさせるポケモン テツノブシン。
二体のポケモンは同じアイテムを取り出す。
オレンジ色の蓋で閉ざされた、蒼い合金製のタンク。
封じ込まれた膨大なエネルギーを解き放ち、自らの力へと変換した。
狭い空間を、痺れるような空気が支配する。
ブリトールは覚悟を決め、ドクガとコウベに指示を出す。
◇
彼女がエレベーターで辿り着いた先は、またも似たような空間。
恐らくは、先程の部屋から降りてきているであろう巨大なパイプを囲むようにして、岩のような物体の入った機械が大量に並べられている。
傷口が痛むシディアは、少しの間蹲り、痛みに悶えていた。
再び顔を上げると、突然、見知らぬポケモンの顔が飛び込んできた。
「うわぁぁぁ!!」
驚いて声を上げてしまうと、相手も驚いたようで小さく鳴いた。
そのポケモンは、真っ赤な鱗に包まれていて、頭からは青、紫、白とグラーデーションのかかった綺麗な毛が伸びている。
何処か、パルデアにのみ生息するモトトカゲに似た姿だった。
パラドックスポケモン、かと身構えたが、今までのそれとは様子が違う。
人間に敵意を向けるほど凶暴ではなく、こちらに興味津々な様子だった。
「君は……?」
「アギャス」
四足歩行のポケモンは、可愛らしく鳴いた。
彼女の知るポケモンを、久々に見た気がする。
ポケモンは彼女の匂いを嗅ぎ、やがてポーチに目をつけた。
「あっ、だめよ。だ、だめだってば!」
そう言ってもポーチを強引に引っ張り、中にあった作り置きのサンドウィッチを取り出してくる。
それの匂いも嗅いで、食べ物だと分かった途端にバクバクと食べる。
あっという間に平らげると、満足そうに鳴いた。
――こんな事をしている場合ではない。と腹部の痛みに気付かされ、歩き出そうとした瞬間、また激痛が走り蹲ることを余儀なくされた。
「アギャス……?」
鼻先で彼女の頬をつついたポケモンは、小さく鳴き、頭で自分の背中を示した。
「乗れ……って?」
「ギャス」
モトトカゲは、乗れるポケモンとして親しまれている。
このポケモンも、そうなのか。
恐る恐る彼の背中に跨がれば、突然歩き出し、慣性に抗うべくしがみつく。
エレベーターの前に立ち、彼女にボタンを押すよう要求した。
随分人懐っこいな、と思いつつボタンを押そうとすると、けたたましい咆哮が部屋中に響き渡る。
思わず振り返れば、遥か上空から一体のポケモンが君臨している光景が目に入る。
菫色の、綺麗な装甲。蛇のようなシルエットで、謎の稲妻を迸らせ、そのエネルギーで浮いており、ロボットかのような顔は生物らしさも残っている。
「グワァァァァ!!」
そのポケモンが叫ぶと、赤いモトトカゲは彼女を振り下ろし、その影に隠れるように身を潜めた。
「……やるしか……」
ボールを握り、彼を庇うように一歩を踏みしめる。
「やるよ……! ムウマージ!」
繰り出されたムウマージは、ふわりと宙を舞い、鉄のドラゴンを翻弄する。
奴が叫び、戦いの火蓋が早くも切って落とされた。
ドラゴンは両腕を隣り合わせ、その境目にエネルギーを凝縮。
溜め込まれたエネルギーはやがて硬質化し、三つの巨大な岩石となって放たれる。
「ムウマージ、シャドーボール!」
シディアの命により、魂の塊を作り出したムウマージは、それをひょいと放って、自分に歯向かう岩を撃ち落とす。
されど敵は怯まずに、全身に稲妻を纏い、それを全て放出する大攻撃を仕掛けてきた。
諸に直撃したムウマージだったが、辛うじて耐え、まだ戦える意志を見せてくれた。
「ムウマージ、こごえるかぜ!」
ふー、っと吹き出された吐息が、たちまち冷却され、凍てつく冷気へと早変わりする。
その冷気が敵を煽り、ドラゴンが浮遊する源であろう、エンジンらしき器官を凍てつかせた。
動きが鈍り、浮遊高度が僅かに低くなる。
多少、効いているようだ。
「……ア、アギャス!!」
後ろにいた赤いモトトカゲは、優勢な状況を見て、負けじと威嚇する。
それに腹が立ったようで、敵は激昂。
複眼を真紅に染め上げ、凄まじいエネルギーを全身に身に纏う。
迸る稲妻が頬の細胞を刺激し、やがてその感覚は全神経に行き渡る。
――一瞬。閃光が見えたかと思えば、即座に、雷が落ちたかのような衝撃が周囲を襲った。
そのあまりの衝撃にシディアは吹き飛ばされる。
「っ……! ムウマージ!」
彼女の容態が心配になり、すぐさま、煙の 漂う場所に駆け寄る。
そこにはムウマージが、目を回して横たわっていた。息はある。だが、瀕死だった。
「お疲れ……ムウマージ」
こう言ってボールに戻せることが、どれだけ幸せか。
彼女は身に沁みて実感した。
ガラガラ、と貫いた壁の瓦礫が盛り上がり、そこからドラゴンが姿を現す。
「グルルル……」
力を使い果たしたのか、酷く困憊しているように見える。
ドラゴンは穴の空いた壁の先へと消えた。
「アギャァァス!」
赤いモトトカゲが抱きついてきて、泣きじゃくった。
感謝、のつもりなのだろうか。
「興味深いね」
ぽつり、と聞こえた淡白とした呟きの後、足音がだんだんと近づいてきた。
振り返れば、そこには白衣を着た男がいた。
髪はクリーム色で、ツーブロックに整えた、渋い顔立ち。
「また見ない顔だ。私のゼロラボで、随分賑やかにしてくれたね」