「君はどこから来たのかな」
「……私は、大穴の外から来ました。大穴から出る方法を、教えてくれませんか?」
男は髭を撫でて、彼女を品定めするよう、ぐるりと一周しながら見つめる。
そして微かに息を呑んでから、
「そうか、君はトレーナーなのか」
と続けた。
強ち間違いではないため、特に指摘はしなかった。
「私はフトゥー。ここでパルデアの大穴に関する研究をしている」
「……どんな、ですか?」
また、この期に及んで調査員の血が騒いで、聞いてしまった。
「君がここから出たくないと言うのなら、教えてあげよう」
見事な返しをされ、シディアは何も言えなくなり、口を閉ざした。
「……そのポケモンはイダイナツバサ、コライドンとでも呼んでくれたまえ」
「コライドン……」
「ギャス?」
コライドンは首を傾げた。まだ、幼いのだろうか。
「コライドンに乗れば、大穴から出ることなど容易だ」
「……本当ですか……!?」
「あぁ、懐かれているようだしね」
「アギャス!」
額を擦り付け、ゴロゴロと喉を鳴らした。偉大な、とかいう大層な名前を付けられておきながら、ペルシアンのように見えてくる。
「さぁ、行きなさい。ここは君には似合わない場所だ」
「あ、ありがとう……ございます」
「……最後に聞かせてくれないか」
フトゥーは、消えかかった声で彼女に尋ねる。跨がろうとしていたシディアが踵を返したのを確認してから、フトゥーは言った。
「君に、夢はあるか」
シディアの瞳が、きゅっ、と縮まる。
――夢。あるかと言われれば、ない。彼の問いにある真意は、果たして何なのだろう。理想の押しつけか、それとも単なる好奇心か。いずれにせよ、彼女には答えようがなかった。
「私にはある。君には無いのか」
「ありません。今は。昔はありました。誰から見ても、無謀と思うようで、それでいて輝かしい大きな夢が」
黒の双眸が細まり、乱雑に空けられた壁の穴の奥へ広がる永久の闇を見据える。あのポケモンが残した微かなエネルギーが、依然として輝きを放っていた。
「夢が無いのに、生きる意味があるのかと私は思う。夢に向かって走る、それこそ人生だと、私は思うのだがね」
「それも一つの生き方ですよね……でも、私には夢がない。生きる意味も……確かにない」
ベルトから提げられるモンスターボールを、固く、固く握りしめた。
「でも……私はそれでも、生きたいです」
コライドンに跨がり、彼女はそのままエレベーターに乗り込んだ。
「興味深いな」
エレベーターが閉まる寸前まで隙間から見える彼女の背中を、フトゥーは複雑な表情でじっと見つめた。
◇
「ドクガ……!! オーバー!!」
放たれた爆炎は、強靭なる鮮血翼により糸のように切り払われてしまい、妖美なる双刃から放出される煌めくエネルギーがドクガを襲った。
テツノコウベはとっくに倒れ、彼の手元に残るはドクガのみとなってしまった。にも関わらず、相手にはまだトドロクツキとテツノブシンが残っていた。
「諦メロ。貴様ハココデ死スベキダ」
「ドクガ!! ウェーブ!!」
敗北を誘う言葉に対して耳も傾けず、ブリトールは腹元から声を吐き出す。それに呼応するように紫水の波動が鉄屑をも押し出し、ブジンを庇ったツキを飲み込んだ。
ツキはとうとう倒れ、小さくなって、やがて見えなくなった。
「往生際ノ悪イ男ダ!!」
「ウガァァァァ!!」
半裸の男が叫ぶ。
研究所の壁を突き破って、巨大な牙を持つポケモン――イダイナキバがその姿を現した。奴の鼻が床を轟かし、耐えきれず砕け散った破片を四方八方に飛ばす。
床の破片が顔面に直撃したブリトールは短く喘ぎ、床へひれ伏す。
ドクガが応戦するも、体格差やタイプの相性には抗えず、ついに力尽きてしまった。
「シ、シディア……!」
「死ネ!!」
仮面の男が取り出した拳銃が、ブリトールの剥き出しになった瞳へと向けられる。
引き金が引かれた瞬間、真紅の気高き龍が鮮やかな羽で放たれた弾丸を粉々に砕いた。
「……! シディア……そのポケモンは……?」
コライドンに跨った彼女を見て、地に伏せながら、ブリトールはその姿に圧倒される。ポケモンよりかは、シディアの方に。
重たい足取りで立ち上がり、コライドンのザラザラとした鱗を撫でて、シディアに再び問いかける。
「私を……助けるのか……?」
「当たり前よ。この傷を塞いでくれなかったら、私はあそこで死んでたもの」
「……もう、死のうとは思わないのか?」
威嚇するコライドンから降り、シディアは胸に手を当てた。
焼けるような腹の痛み、血に邪魔されままならなくなる呼吸、暗闇でひたすら死を待つ恐怖。それを経験したからこそ、彼女には分かる。
「死ぬのは怖いよ、たった一瞬でも。だから……それを味わわなくて済む“生きる”っていう選択肢のほうが、得だよね」
割れた仮面越しに見える、真っ黒な瞳が、今にも落ちそうな雫のように潤々としているように感じた。
踵を返し、敵の方を向く。
息を吐いてから、今の今まで固く握っていたモンスターボールを勢いよく投擲する。
「行くよ、エルレイド!!」
繰り出され、地に降り立った彼女の相棒は、眼の前に立ち塞がる鋼鉄の武人と対となる。
「無駄ダ。所詮ハ骨董品。我々ニハ勝テン」
男の言葉には耳も傾けず、彼女は懐に手を入れる。取り出したのは、真っ黒に染まった球体型のデバイス。中央部分のボタンを押し込めば、取り込まれる大気が輝きを帯びながら実体化し、デバイスが透け、中身の煌めきが顕となる。
「私は、諦めない!」
煌めく球体をエルレイドに向けて放り投げた。
エルレイドを覆った結晶。刹那の間、空間中を包む光を放出してから、空気中に散布する細かな欠片となって砕け散る。
輝きを纏うエルレイド。その頭には、燦々と光を放ち続ける鉄斧を模した結晶が作り上げられていた。
「どいつもこいつも、往生際が悪いっ!!」
「エルレイド、サイコカッター!」
「ブジン、シャイン!」
双方の刃が光を帯びる。エルレイドは駆け出し、テツノブジンは光をエネルギーとして解き放つ。
襲いくる妖美な力を諸共せず、研ぎ澄ませた紫刃を振り上げ、身体をぐい、と捻って奴の脳天から足までを切り裂いた。
「馬鹿ナ……!!」
「エルレイド、もう一度だ!!」
片方の刃で目にも留らぬ斬撃を繰り出す。その矛先は隣にいたイダイナキバに向き、反撃する暇も与えず、牙を砕き、鼻から頭に掛けてを切り裂き一撃で仕留めた。
「エルレイド、インファイト!!」
握られた拳が放ったパンチが、幾つにも分裂したように、テツノブジンの至る所を穿ち、その都度数を増していく。次々と、遅れてやってくる打撃の音。鉄の欠片が砕けようと、なお攻撃は止まなかった。
「あなた達は、どうして、何を思ってここにいる?」
「……我々ハ、貴様ラ下等生物ヲ完膚ナキマデニ服従サセル……!! ソノ為ニ、アノ男ノ誘イニ乗ッタノダ!! ソウダロウ!? ブリトール!!」
男の言葉に、シディアは目を見開いた。その後ろで、ブリトールが叫ぶ。
「もういいシディア!! 私を置いて逃げるんだ!!」
「いやだ!」
「私は君さえ助かれば、それで良い!」
「でも私は、あなたを助けたい!」
混戦で音が入り混じる中、彼が息を呑む声が聞こえた気がした。
「ブジン……! ハナテ!」
バックステップで主人の横まで引き下がったブジンは、双刃を振り回し、勇ましいエネルギーを球体として収縮させる。主人の声と共にそれを放てば、空気を轟、と鳴らし大気を押し進めた。
「エルレイド、躱せッ!!」
シディアの声に呼応し、エルレイドは攻撃を回避。
「一気に決めよう!! テラバースト!!」
周囲の煌めきが、より一層光を増して、大いなる輝きを見せた。
エルレイドの元に集まった、鋼のエネルギーが結晶のように固まって彼の両刃に纏われる。
刃を地に叩きつければ、砕けたエネルギーが流星の如く、双曲線を描きながらテツノブジンへと収束。奴を囲ったそれは、やがて大きな球体となって、テツノブジンを包み込み、破裂と共に鋼のエネルギーを暴発させる。
「ア、有リ得ナイ……!! コンナ……下等生物共ニ……!」
敵の沈黙を確認したシディアは、エルレイドをボールに戻し、ブリトールと共にコライドンに跨った。
気高き騎馬のように、後ろ脚で立ち上がり咆哮を轟かす。
荒れた研究所を颯爽と去る真紅の龍を、二人の異人は放心状態で眺めていた。
「愚カナブリトール……否、端カラ我々ヲ利用スルツモリダッタノカ」
『イダイナツバサ――コライドンというポケモンに助けられ、何とか抜け道を見出すことができた。
私はまだ死ねない。生きていても良いことなんてないと思っていたけれど、それが無くとも、私達は生きなくてはならないんだ』