星霊神社で行われている覚醒修行という物は、ゆるく長いイージーモードからキツく短いハードモードまで幅広く用意されている。
イージーの方は覚醒するまで数ヶ月はかかるそうだが、ハードの方は1~2週間もあれば覚醒できるものらしい。
もちろん苦行を乗り越えることができれば、という条件付きだが。
ハードの方で覚醒した者たちの中には、覚醒原因に対してトラウマを得てしまう者も少なくない。
流石にコンロの火を見ただけでパニックに陥るなど、日常生活に支障をきたすほどならば魔法による記憶削除などで治療が行われるが、そこまでの影響が無いなら基本は放置される。
嫌なことだからといっていちいち消してもらうような精神では、覚醒後の悪魔との戦闘に耐えられないということなのだろう。
そのおかげで、自分も覚醒前は何でもなかったことに少しトラウマを持つこととなってしまった。
冬に大学受験を控えた18歳の夏休み。
高校時代最後の思い出として富士登山をしてくると親に言って、自分は星霊神社で泊まり込みのハードモードの修行をした。
親のすねかじりの身では数ヶ月も修行できないという事情もあったし、何より話を聞いただけでは突貫修行の方も、辛そうではあるが耐えられないほどではないと過小評価していたからだ。
そうして実際にやってみた内容は……正直思い出したくはない。
ただ自分は修行二日目で覚醒できたので、同じようにハードモードを受けた仲間からは『運のいい奴』と少し……いや、かなり羨まれた。
覚醒のきっかけとなった修行は、五感全てを失う真の闇の修行、つまり疑似的に魂だけで物を知覚するという修行によるものであったが、そのせいで新月の夜であろうがただの暗所だろうが、暗闇に飲まれると修行の記憶がフラッシュバックするようになってしまった。
もちろんその程度では全く日常に問題はないので、現在も治療されず放置状態なのであるが。
覚醒した自分は早速その力を利用して、連合からオカルトバイトを受けるようになった。
その内容は特定の場所へ行って、その様子を見て、結果を報告するというだけ。
それだけで普通にコンビニやらスーパーやらで働くよりも桁違いの収入になるのだから、これはもうやらない方が難しい。
そしてバイトにのめり込みすぎた結果、大学受験に失敗して浪人となってしまったのは今となっては痛い過去だ。
当然ながら両親には散々に叱られ、来年の受験に向けてカンヅメにされそうになったが、表企業としてのガイア連合が自分を受け入れてくれるとなったらそれも納まった。
有名大卒であろうと、中々入れないとの評判である新進気鋭の多角経営企業ガイア連合。
高卒の身とはいえそこに就職が決まったのなら、もはや文句を言う必要もないということだろう。
仕事の都合で遠く離れて一人暮らしをしなければならないという説明にも、生活の心配をしてはくれたが反対はしなかった。
こうして晴れて親元を離れることに成功した自分は、建築が進みつつある山梨支部のシェルターへとやってきたのである。
目を覚ましてまず最初に視界に入ったのは、天井で灯っている常夜灯のオレンジの色。
シェルターの外は良い天気なようで、カーテンの隙間から漏れ入る日光は明るく、ナツメ球の光をほぼかき消してしまっている。
光の強さからしてもう起きないと……と身じろぎしたら、左腕が柔らかい感触に包まれているのを感じた。
そちらの方へ首を向けると、自分の左腕を胸に抱きしめ添い寝している人物と目が合った。
「おはようございます、主さま」
目覚めたてにそう挨拶をしてくるのは、赤い瞳に艶やかな長い黒髪を持った美しい少女。
ブランケットに覆われているその下の肉体は、華奢な手足とは裏腹に出るところはちゃんと出ているという、自分の欲望を全開にした造形だ。
当然こんな自分の性癖100%な人間女性が存在し、あまつさえ同衾するような仲になれるわけがない。
彼女はガイア連合が製作した美少女型のシキガミである。
自分は『おはよう』と返すと、右腕で綿毛布をはぎ、彼女に左腕を放させる。
そして上半身を起こし『うーん……』と伸びをした。
「では主さま、わたくしは先に行って朝食の準備をしておきますわね」
シキガミも身を起こすと、畳の上に投げ捨ててあったバスローブを手にし腕を通す。
遮光カーテンのおかげで薄暗い和室の中、全裸姿に布をまとうその様は妖艶でつい手を出したくなるが、それは流石に節操が無さすぎだと思うので呑み込んでおく。
自分のその考えを読んだ彼女はクスリと笑うと、襖を開いてスリッパを履き、キッチンの方へと去っていった。
『午前8時のニュースです。近年アメリカ国内で起きている無差別テロの件数が……』
ここ最近だんだんと物騒になってきた世界情勢を流すTVをよそに、シキガミが畳の上の四角いテーブルに今朝の食事を並べる。
そのメニューはというと、牛乳をかけてレンジでチンしたガイア連合試供のオートミールと、味付け用のジャム数種、あとはハムエッグとレタスという質素ぶり。
別にもっと食卓を彩れないほど貧しいというわけではなく、味覚オンチな自分は食事内容にさほどこだわりが無くて、腹が膨れればとりあえず良いのである。
「それで主さま、今日の予定はいかがなさいますの?」
二人してスプーンを口に運ぶ中、シキガミが本日の行動予定を訊ねてきた。
おとといは生活費調達とLV上げを兼ねて修行用異界へ潜り、昨日は休日ということで、新作アクションゲームを一日中楽しんだあと、夜に彼女と楽しんだ。
世間一般の人々と同じように週休二日の生活サイクルを過ごしている自分なので、慣例ならば本日も休みである。
だが、自分はそろそろ地方霊能組織からくる依頼を受けてみようと思うので、今日は事務所へ行こうと思うのだ。
「あら、それではとうとう遠征デビューいたしますのね?」
シキガミは食事の手を止めると、どこか感慨深げにそう言う。
遠征デビューなどという言葉は初めて聞いたが、山梨支部を離れて仕事をするので、まあ間違ってはいないだろう。
自分はガイア連合から多大な恩を受けている。
他の転生者と集うための場所を用意してくれて、覚醒するための修行を行ってくれて、浪人していた身に一流企業の社員としての社会的身分を与えてくれて、決して裏切らず永遠に愛し続けてくれる最高の女性と出会わせてくれた。
もしこれが一個人からの物だったなら、自分は一生その人に頭が上がらなかっただろうし、少しでもその恩を返そうとしただろう。
だがガイア連合は多くの人員により構成された組織であって、そういった感謝の対象となる特定人物はいない。
ならば組織に対し少しでも貢献するべきだろうと思ったのだが、何をすれば貢献になるのかわからなかった。
どうしたものかと思って『僅かなりともガイア連合に貢献するには何をすればいいか』と神主に訊いてみたことがある。
彼はそれに対して、修行異界でLV上げをしてドロップ品を入手すれば製造部の材料調達になる、
製造部に入ってアイテム製作をすれば戦闘する仲間たちが助かる、
地方依頼を受けて達成すれば霊的治安が良くなりガイア連合の評判が上がる、
種付け依頼で外様連中の所へ行けば外貨稼ぎになり貸しも作れる、
覚醒者ならではの体力を活かして長時間の事務労働をしてくれれば非常に助かる……と貢献する方法をいくつも挙げてくれた。
要するに組織の業務内容が広範に渡るので、よほど変なことでない限り、何をしても組織の役には立つということだ。
とはいえ自分にも好みや向き不向きという物はあり、何をやっても良いというなら、やはり内容は選びたい。
製造関係は手先が不器用なので避けたし、シキガミがいるのに種付け依頼というのはどうかと思う。
事務仕事はそれこそ未覚醒者でも問題なくできるのだから、自分がやる意味は薄いだろう。
結果として、修行異界に潜り生活費を稼ぎつつLV上げをするという、他の転生者もやっているスタイルの生活となった。
ただそれ一本というのもどうかと思っていたので、ある程度LVが上がったら地方からの依頼も受けてみようとは思っていたのだ。
おとといの異界探索で自分とシキガミはついにLV10の大台に乗った。
これならば難易度の高くない地方異界なら攻略することもできると思うので、そろそろやろうと決断したのである。
午前9:30を過ぎたころ、自分たちはシェルターの部屋を出た。
玄関扉を閉じ数段の階段を降りて、日陰から日向へ出ると太陽がまぶしい。
もう五月も半ばを過ぎた今の時期は、天気が良いと日光が熱く感じられてくる。
自分の傍らを歩くシキガミは部屋から持ち出した日傘をさして、強い直射日光を防いでいた。
その上で「わたくし、箸より重いものは持ったことがございませんの」とでも言いそうな細い体を紺色のサマードレスに包んだ姿はどこかのお嬢さまのようだ。
いやまあ、『お嬢様な感じで』と注文したのは自分なので、ここは出来栄えに満足する場面なわけであるが。
「今日は暑いですわね。主さまもどうぞお入りになってくださいな」
その姿を眺め満喫していたら、シキガミが傘を持った左腕を上げて陰に入れと言ってきた。
彼女の気遣いは嬉しいが、自分より身長の低い女性に傘を差させて歩くというのはどうなのだろうか。
そう思った自分は彼女から優しく傘を奪い取り、こちらが差して彼女を日陰に入れるという形にした。
またもや内心を読んだのか「あらあら」と微笑ましげに彼女は笑うと、肩が触れそうなほどに身を寄せてきた。
別にデートというわけではないが、事務所までの20分足らずの時間をイチャつきながら歩きやっと到着。
現在建物を増築中ということで作業音が響く中、ガラス扉の取手を押して中へ入る。
やや遅めの時間に異界探索へと向かう人たちを横に、いつもとは違う依頼受付のカウンターへと自分は向かった。
「いらっしゃいませ、こちらへ来るとは珍しいですね。もしや依頼を受けるのは初めてで?」
異界探索のカウンターで結構顔を合わせる事務仲間は、今日は依頼受付の担当だったようで確認を取ってきた。
自分はそれに、初依頼かつ地方遠征を受けたいと伝える。
「あら、それでは遠征デビューですか。どういった内容が良いなどの希望はありますか?」
遠征デビューという言葉はシキガミの造語ではなく、事務の一部では使われていた単語だったようだ。
それはともかく、依頼を受けるのは初めてで選定基準も分からないので、オススメの依頼は無いかと訊いてみる。
「うーん、オススメですか。それですとやはり異界内の強行偵察になりますね」
受付はそう言うといくつかの候補地を提示し『この辺りはどうか』と訊いてきた。
基本的に異界というのは外からは内部の情報が得られない。
実際に入ってみなければ生息する悪魔の種類やLV、異界の規模などは不明のままなのだ。
もちろん近辺の異界と比べてある程度の推測はできるが、それとて絶対ではない。
なので情報の無い異界の場合、まず侵入して内部を調べる。
ランダムエンカウントする悪魔を【アナライズ】し、その強さによって平定できそうか、間引きに留めるか、あるいは撤退するかの判断をするのである。
異界に入っておいてただ悪魔を狩るだけなど、依頼主である地方組織が文句を言わないのかと仲間に訊いたことがあるが、それはないという。
異界というものはまず主が発生し、その後ランダムエンカウントする通常悪魔が増えていくという形で成長する。
そして内部の悪魔の量が飽和状態を超えると、異界の主が何もせずとも弱い悪魔が現世へ漏れ出し民間に被害を及ぼす。
悪魔を減らせば異界の勢力は弱まり、現世へ出てくることが無くなるので、それだけで地元霊能組織は大助かりなのだ。
というか、名家霊能者のLVがお察しで、異界どころか悪魔単体にもロクに対処できていない現状、異界に潜入して間引きを行うというのは英雄の所業に他ならない。
異界を平定できずとも不評を受けるどころか、当主直々に頭を下げて感謝してくれるのだとか。
たとえ悪魔の平均LVが高く、発見次第即撤退の憂き目を見たとしても、まともな感覚ならば非難するなど決してあり得ないらしい。
自分は隣のシキガミに『この依頼内容で良いか』と訊ね、彼女も問題なさそうに首肯する。
そして複数ある依頼の中からミカン生産で有名な県の依頼を選ぶと『先方は早めに来てほしいそうだが、いつ行けるか』と訊かれた。
自分達には明日も明後日も予定などないので『いつでもOK』と答えると、受付の仲間は早速電話で連絡を取り始めた。
「主さま、そわそわしていますわよ」
仲間が通話している最中、そこらの壁に貼ってある紙やカレンダーをそれとなく眺めていたのだが、シキガミに浮足立っていると指摘された。
別に自覚があるほど不安を感じているわけではないが、初めての依頼ということで、無意識のうちに緊張が出てきてしまったらしい。
少し落ち着くために息を吐くと、左手に柔らかい感触を感じる。
そちらを見ると彼女が右の白い繊手でこちらの手をそっと握っていた。
現金なものでその温もりと滑らかな手触りを感じただけで、どこか強張っていた精神がほぐれていくのが分かった。
「はい、では話は通しましたので、現地到着の期日は明後日ということでお願いしますね。詳細な内容はこちらの書類にまとめてありますので、必ず目を通してください。
それと、初めての地方遠征の方にはこちらの冊子をお渡ししていますので、こちらも読んで内容の把握をお願いします」
そういって受付は印刷された書類を入れた大判の封筒と、文庫本サイズの少し厚みのある冊子を差し出してきた。
自分はそれを受け取ると、現地に送ってもらうため装備を取りにロッカールームへ向かう。
一般的な物とは違う、頑丈で厚いロッカーの扉。
【力】がろくに上がっていないせいか、LV1のころと比べても開く重さがあまり変わっていないように感じられる。
その開いた内にあるのは、低LVの異界に潜る者がよく使っているプロテクターだ。
自分は装備一式を抱えると、膝で扉を押して閉め……ようとしたら変なところを打ち付けて痛みが走った。
帰宅した自分はテーブルに書類を広げた。
もちろんすぐ横からシキガミも紙をのぞき込んでくる。
もっとも書類の内容はどこの誰が依頼主かとか、何処で何時に待ち合わせるとか、当たり障りのないものだ。
オカルトな単語を塗りつぶせば一般社会でも普通に通じる文面だろう。
そして自分はもう一つ、受け取った冊子を手に取る。
水色の表紙に黒字で書かれているタイトルは『初めて地方遠征をする方へ』。
ページを開いて見た内容は、過去に遠征した仲間たちが遭遇したトラブルや解決法などに関してだった。
比較的多かったトラブルが『依頼主がこちらを軽く見て非常に無礼だった』とか、逆に『請負人が低LVな現地霊能者をバカにしてモメた』とか、そういった事例。
他にも『契約内容にない個人的な追加要求』をして苦情が来たとか、『請負人の説明不足で依頼主が勘違いして補填を求めてきた』なんてのもある。
冊子を読み進めていくと自分が思い至らなかったようなトラブルも多数あり、先人の苦労が思い偲ばれる。
そして残り三分の一ほどまできた所で出てきた章が『ハニートラップの事例と対処法』。
……もしかして、残りのページは全部これに費やされているのだろうか。
翌日は軽く異界に潜って戦闘感覚を鈍らせないようにし、さらにその次の日。
自分たちは朝早くから新幹線に乗って、待ち合わせ場所である現地のターミナル駅に向かった。
車窓から遠くに覗く富士山を眺めていると、『ほんの数時間前まであの場所にいたんだよな……』と妙な感慨がわいてくる。
「子供のおつかいでもありませんのに、もう家が恋しくなりましたの? 主さま」
シキガミの声に窓から視線を離すと、向かい合わせの席で彼女はからかうような笑みを浮かべてこちらを見ていた。
別に恋しくなったわけではない……と思うが、自分はもともと旅行好きというわけでもない。
馴染みのある場所から遠く離れると、何かしら思ってしまうのは仕方ないだろう。
あるいは、馴染みのない場所で初めての仕事ということに不安が膨らみつつあるのかもしれない。
なにしろ考えれば考えるほどに不安要素はいくらでも出てくるのだ。
異界の悪魔はどれほどの強さか。果たして自分たちの手に負えるだろうか。強すぎたとして無事撤退できるか。そうしたら依頼主に責められたりしないだろうか……。
もちろんそんなものは杞憂であり、実際は弱小悪魔ばかりで異界の主も簡単に倒せてしまうという可能性だってある。
結局のところ、よくある未知・初体験への不安ということだろう。
思考をそうまとめて、自分は不安を外へ流すようにため息を吐く。
「そうもため息を吐かず安心くださいな。少なくとも、役目を果たした主さまに文句を言うことだけはわたくしがさせませんので」
そう言って今は存在しない誰かを狙うように、赤い目を細めるシキガミ。
実際にそんなことをしたら大問題だが、自分の絶対的な味方である彼女の言葉は少しばかりの安心感を与えてくれた。
12:30を過ぎた頃にはターミナル駅に到着し、自分たちは改札をくぐって外へ出る。
待ち合わせ場所に指定された付近の駐車場で、指定された自動車を探していると、すぐにその人物は見つかった。
「依頼を受けてくださったガイア連合の方ですね? 私は案内役を仰せつかった者です。どうぞ、お乗りください」
少し髪が薄い、スーツ姿の中年男性。
彼は頭を下げて挨拶をすると、自ら車の扉を開いて乗車を促した。
そしてそのまま依頼主の屋敷まで向かう……前に、少し寄り道してもらい送ってもらった装備を受け取りに行った。
本当に大したことはないが、一応は霊地である小さな神社。
その裏手にある小さな倉庫。
隠蔽の術が施され一般人には気づけないその扉を開くと、中には竹刀袋と剣道の防具袋が鎮座していた。
どうやら霊能者の装備運送を請け負っている運び屋は、きちんと依頼通りに運んでくれたようだ。
こういった仕事は信用第一で、横領や仕込みができないよう呪的契約も結ぶとはいえ、トラブルが絶対発生しないとは言い切れないのである。
シキガミは荷物に近づくとそれぞれの袋を開けて中を覗き、中身も確かであると確認。
右手に竹刀袋を下げ、左肩に防具袋をかけると車に積むために神社の鳥居をくぐっていく。
何も知らない人から見ればその姿は美しい剣道少女だろうが、実際は作り出された悪魔であり、袋の中身はずっと物騒な装備である。
自分はその姿を横目に役目を終えた倉庫を閉じた。
現地到着から一時間近く経ってたどり着いたのは、地域の霊的防衛を担う依頼主の住居。
乗車したまま木造の門を抜けて広い敷地に入ると、よく手入れされた庭園が広がっていた。
これだけの屋敷を維持できているということは、社会的にはずいぶん成功しているのだろう。
車が停まり、整えられた芝生の上を先導され歩くと、見えてきたのは年季の入った寝殿造りの屋敷。
もちろんこの屋敷も丹念に手入れされていて、古さがそのまま威厳として感じられる。
正直、感覚が庶民の自分としてはこの様に圧倒されてしまいそうだ。
しかしすぐ隣を歩くシキガミは特に何も感じていないようで、涼しい顔をしたまま玄関扉をくぐり屋敷へと上がった。
建築様式からして当然であるが、自分たちは一旦畳敷きの客間に通され、十分ほどしたころ当主の間へと案内された。
そうして目にした依頼主はウグイス色の和服を身にまとい、白い物が混じりだした長髪を後ろへ撫でつけた、いかにもお堅そうな見た目。
目の前で何か粗相をしようものなら『無礼者が!』といって刀で両断してきそうな雰囲気だ。
しかし当主は見た目とは裏腹に頭を下げて一礼すると、依頼を受けてくれたことに感謝を述べ、己や組織の非力さを恥じ、『あなた方が最後の望みだ』とまで口にした。
とりあえずこれなら心配するようなことは無いだろうと自分は一安心し、『力を尽くします』と返した。
「本当に今から異界に入るのですか? 我々としては明日になってからでも構わないのですが……」
今回の件の見届け人でもある髪の薄い中年男性は気後れしながらそう言う。
確かに【アナライズ】結果がLV1未満の彼にとっては異界に突入するには心の準備が必要かもしれない。
当主から仰せつかったときに覚悟はしていても『すぐ行きましょう』と言われて頷けるほど思い切れてはいないのだろう。
しかし異界の悪魔の程度がどれほどのものか分からない自分は、とにかく早く確認したかった。
一晩世話になっておいて『手に負えないので帰ります』なんてことはしたくないのだ。
彼にとっては迷惑だろうが、異界の早い解決は依頼主も望むところだろうし、少し強引だが一緒に来てもらうことにした。
依頼主の屋敷から車で40分ほどの山のすそ。そこに異界の入り口はあった。
近くに車を停めてもらい降りると、トランクから剣道の防具袋を取り出して、その中身であるプロテクターを自分は着用する。
彼は戦いに臨む者として、自分の姿には納得したようだ。
しかしシキガミの方には怪訝な目を向けて疑問を口にしてきた。
「その…シキガミの方は、本当にそのような装備でよろしいので? よろしければ当方から何らかの防具を貸与いたしますが……」
黒い長袖のワンピースドレスを着用し、左手には鞘に入った細身の両刃剣を下げたシキガミ。
修験者のような服を着ている彼は、どうみても山野の異界に挑む服装には見えない彼女を気遣ってか、装備提供の意思を見せた。
その気持ちはありがたいが、丈夫な衣服に毛が生えた程度の霊的防具など渡されても、正直こちらは困るのである。
彼女が着ている服はハード修行仲間として知り合った製造部の知人に頼んで作ってもらった防具であり、耐性こそないものの、自分が今着ているプロテクターより高い防御力を誇っている。
結構なお値段がしたが、美しい彼女に武骨で実用第一なプロテクターを着させて戦闘などさせたくなかったのだ。
そして手にしている細剣も霊的強化がされていて、見た目こそ人間同士の決闘にしか使えなさそうな優美さだが、両手持ちの大剣を超える頑丈さと日本刀並みの鋭利さを両立している。
普通に振るっただけでそこらの木などスパスパ切ってしまうし、スキルを使えば自分が抱えきれない太さの大樹も根元から切り倒してしてしまうほどの威力だ。
「ご心配なく。これらの装備は主さまがわたくしのために用意して下さった特別な品ですので、凡百の装備に劣るようなことはございませんの」
言外に『お前らの貧弱一般装備とは違うんだよ』と含ませ、それ以上の発言を封じるシキガミ。
彼はその意図をきちんと読み取ったのか「差し出がましい真似を……」と彼女に謝る。
主人が特注してまで与えてくれた装備を侮られて癇に障ったのだろうが、自分は別に気にならなかったし、傲慢な発言はトラブルの元になると冊子にも書いてあったのだから、もう少し自重してほしかった。
それはそれとして、装備やそれを与えた自分のことを大切に想っていてくれるのは嬉しかったけど。
入ってみた異界の内部は、現世とあまり風景が変わらない山林異界だった。
高低差が激しい斜面に大量の落ち葉が積もり、ときおり大きい石や岩が地面から生えているといった様子。
登山道からは離れているので、一般人が間違って入ってしまう可能性は低いのが救いといったところか。
自分たちは前衛にシキガミ、後衛に自分、さらにその後ろに見届け人の彼という隊列で比較的なだらかな部分を登っていく。
生まれて初めて異界に入ったであろう彼は、強い緊張を顔に浮かべ周囲を警戒しながらついてくる。
そして自分も彼ほどではないが、緊張しながらシキガミに続く。
前を歩く彼女の顔は見えないが、余裕ぶった雰囲気は無い。
ここは情報のない未知の異界。通常悪魔の強さがどれほどか分からないのだ。
「主さま、【エネミーソナー】に悪魔の反応が二体出ました。いかがなさいます?」
しばらく警戒しながら歩いていた自分達だが、シキガミが足を止め悪魔を感知したと報告をしてきた。
二体というのが少し気にかかるが、実際に見てみなければ悪魔のLVは分からないのだ。
とりあえずこっそり【アナライズ】して、その結果次第で対応を決めようとの結論に達した。
そして坂の下をそっと進み、二人して木の陰から二体の悪魔を視認する。
「Lv1の【邪鬼】イッポンダタラが二体。どちらも【火炎耐性】で【破魔弱点】、スキルは一体が【丸かじり】、もう一体がスキル無し……。よかったですわね主さま。どうやらこの異界でわたくしたちが何もできないということは無さそうですわ」
こちらを振り向いたシキガミは安心させるように微笑む。
自分も【アナライズ】しつつ彼女の報告を聞いて、内心ホッと胸をなでおろした。
通常悪魔がこのLVなら異界全体の難度も低いだろうし、最低でも間引きはできると分かったからだ。
「あの悪魔たちと戦うというのですか? 私も多少は援護できますが、二体となると厳しいのでは……」
見届け人の彼は戦闘に参加する意思を見せたが、自分はその場で待機するように指示した。
その勇気は評価されるべきかもしれないが、LV1もない彼の援護が役に立つとは思えないからだ。
それよりは離れたところで周囲を警戒してもらった方がいい。
「では主さまがスキル持ちの方に【ハマ】、わたくしがスキル無しの方に攻撃ということでよろしいですか?」
その提案に自分が頷くと、シキガミは細剣を抜いて右手に持つ。
自分は右手にMAGを集め【ハマ】の準備を整えると、木の陰から飛び出し即座に放った。
【ハマ】は確率即死の魔法だが、LV差が10倍もあればほぼ確定即死の魔法だ。
坂の下方から不意打ちで飛んできた浄化の光。
それに包まれた邪鬼は叫び声をあげると、倒れる間もなくMAGとなって跡形もなく消えた。
残されたもう一体が一つ目でこちらを見たが、接近中の敵がいるのに関係ない方を見るのは命取り。
ダダダッ! と落ち葉を後方に蹴り飛ばしながら跳ねるように急接近したシキガミはヒュッと空気を切り裂く音を立てて細剣を振るい、邪鬼の首を切り飛ばす。
刎ねられた首は地に落ちるとそのまま坂下へ転がっていき、ドシャ……と崩れ落ちた体が僅かなマッカを残してMAGへと還った。
「お、おおっ……! 二体もいる悪魔をあれほど容易く……!」
待機していた彼は驚きと感動が混ざった声をあげると、マッカを回収している自分たちの元へ駆け寄ってくる。
その息が早いのは走ったからではなく、興奮のためだろう。
おそらく現世に出てくれば、当主含む一族の精鋭総がかりで犠牲を出しつつ、どうにか一体を仕留められる悪魔。
それを一体一撃で葬ってしまったのだから、まあ気が高ぶるのもおかしくはない。
ただ、自分たちからすれば最低LVのザコ悪魔を倒しただけでそうも驚く姿には、哀れみを感じてしまう。
そしてその哀れみが嘲りになれば、トラブル集にあった現地民への見下しとなるのだろう。
そうはならないよう、しっかり心しようと密かに自分は誓った。
自分たちはときおり遭遇する悪魔を倒しながら、異界の主がいるであろう山頂の方へと登っていく。
今までこの異界で出てきた悪魔は強くてもLV3だ。
この程度ならおそらく主もそう強くはなく、戦っても勝てるだろう。
付いてきている見届け人の彼の興奮は収まっていたが、その代わりに思い悩むような顔をしていた。
彼もきっと幼いころから厳しい修行を行ってきたのだろう。
『本当にこんなことをする必要があるのか』と己や家族に問いかけたことも一度や二度ではあるまい。
そんな迷いや苦労の果て、見届け人を任されるぐらいには強くなった。
ところが二十年も生きていない小僧とその使い魔が、地元を容易に破滅させられる悪魔たちを単純作業のように狩っていくのだ。
『これまでの修行は何だったのか? そもそも名家とは名ばかりで、我々はとんでもない無能の集まりなのではないか?』と考えてもおかしくない。
そしてその疑心に対し自分は何もできな「主さま、異界の主に近づいているのに、余計なことを考えるのはよろしくありませんわよ」と、シキガミがこちらの思考を打ち切るために声をかけてきた。
その声に彼の方も悩むのをいったん止めたようで、顔を引き締めると近づいてきた山頂を見据えた。
勾配が激しい山地の異界であったが、頂上付近は平らになっており、落ち葉も積もってないので動くことに不便は無さそうだった。
登ってきた麓の方を見下ろしてみると、上に長いだけで実はたいして広い異界ではなかったことが一目でわかる。
どうも山登りのせいで広いように錯覚していただけだったらしい。
そして誰かが用意したのか、自然発生したのか、山頂には造りが荒い木造の山小屋が一つ。
まず間違いなく、異界の主はあの中にいるだろう。
狭い小屋の中に自ら入って戦うのは、地の利の面で好ましくない。
ここはやはり小屋の外から魔法で攻撃して、障害物を排除すると同時に先制攻撃をするべきだと自分は思う。
そしてシキガミもその意見に同意してくれて、彼女が使える【マハザン】でボロっちい小屋を吹っ飛ばすことにした。
シキガミが【マハザン】を使うとすさまじい突風と衝撃が発生。
目標である山小屋は木片一つ残らず吹っ飛び山頂から消え去った。
そして後に残ったのは少し地面を転がったあと、怒りの形相で立ち上がった赤鬼だった。
「てめえら! オレが気持ちよく昼寝してたのに、いきなり何しやがんだ!」
昼寝というには遅すぎる気がするが、ツッコミはせず自分は【アナライズ】。
解析した結果は【妖鬼】オニLV5が一体。
しかし異界の主として地脈のMAGで強化されているらしく、【破魔耐性】【呪殺耐性】を持ち合わせており、生命力なども修行異界で出会った同LVの鬼より高いようだ。
自分の攻撃魔法は【ハマ】と【ムド】しかないので、ここはアイテムに頼るしかない。
「ぶるぁぁぁ! てめえら全員オレの晩飯にしてやるからなぁ!」
オニは奇声をあげると金棒片手にこちらへ駆け寄ってくる。
やや後方にいる彼が「クッ!」と怖気づいた声を漏らすが、自分はそうはならない。
何故かといえば、護衛たるシキガミが悪魔の前に立ち塞がって細剣の一撃を放ち、その足を止めさせたからだ。
「痛っ! この女、まずお前からぶっ潰してやっかんな!」
浅いものの手傷を負わされたことで、オニはシキガミを最初の犠牲者と決めたようだ。
金棒を両手で振り上げると、縦一文字に振り下ろし頭から砕こうとする。
しかし彼女は避けることもせず、はた目には容易く折れてしまいそうな細剣でその一撃を受け止めた。
「ぬ!? その剣、相当な業物だな! オレの金棒で刃こぼれ一つしないとは!」
「業物であることは確かですけれど、刃こぼれ一つさせられないのはあなたの攻撃が弱いからではないでしょうか? あまりに軽すぎて、その棒の中は発泡スチロールが詰まっているのではないかと思ったのですけれど」
シキガミは涼しい顔で挑発を口にし、それを聞いたオニは血管の浮いたこめかみをピクリと動かす。
『ならばもう一度くれてやる』と言わんばかりに再び金棒が振り上げられるが、今度は彼女はそれを横にかわし細剣で腹を薙いだ。
その一撃は確かに肉を切り裂き出血させたが、やはりただのLV5オニと比べるとダメージの度合いが軽い。
自分は援護として【ジオストーン】をプロテクターのポケットから取り出し、彼女が間合いを離したタイミングで投げた。
効果を発動した消費アイテムは【電撃弱点】であるオニに対し強い威力を見せ、肉体が硬直し動きが少し止まる。
その隙をついて彼女は【グラム・カット】を放った。
オニは金棒で受けようとしたが失敗し、せめて被害を抑えようと筋肉をグッと固めて両腕で防御。
スキル名通り、細剣によってグラム単位の重さにまでそぎ落とされた肉片が土の地面に落ち、オニは両腕前腕からおびただしい出血をする。
だが痛手ではあったようだがまだまだ戦えるようで、少しだけこちらを向いて文句を吐いてきた。
「オイ! オレは一人なのにお前らは二人がかりで連携攻撃かよ! 卑怯とか思わないのか!」
「悪魔が卑怯とか、なに寝言を仰ってますの?」
口を開く時間を警戒に回していれば防げたかもしれないが、余計な事を言ったせいでまたもや攻撃を受けるオニ。
シキガミは今度は【スクラッチダンス】を用いて、やや深い三連撃を繰り出した。
それぞれ右腕、胸、腹に斬撃をくらい、悪魔は押し殺した苦痛の呻きを漏らす。
そして自分はまた【ジオストーン】を取り出し投げたが、それでも倒れない。
改めて【アナライズ】をしてみるとまだ半分以上も生命力が残っていて、異界の主のタフさに驚いた。
まあ、この戦闘に危なげな点は無いし、こちらの精神力やアイテムは大量に残っているので勝てるのは確実なのであるが。
山小屋の破壊から始まって、オニがMAGに還るまで約三分。
一体の悪魔相手に要した戦闘時間としてはおそらく過去最長だ。
だが経過はどうであれ、今回の依頼では最上の成果である異界平定を自分たちは成し遂げることができた。
見届け人である彼が『お疲れさまでした』と感慨深げに労いの言葉をかけてくれると、世界全体にヒビが入るような音が響く。
そして次の瞬間には異界が崩壊し、気が付くと自分たちは異界の元入り口だった場所に立っていた。
「いや、本当に有り難い! この恩は感謝しても仕切れませぬ!」
依頼主の屋敷に戻り見届け人の彼が一部始終を報告すると、当主は喜色満面でこちらの両手を握り、何度も頭を下げてきた。
異界の主との戦いはただ時間がかかっただけであり、それ以外の悪魔との戦闘もほとんど危険などなかったので、ここまで感謝されるとこっちが悪い気がしてくる。
しかしここで『この程度大したことではありません』などと言おうものなら、謙遜を通り越して嫌味にもなりかねない。
『けっこう疲れました』ぐらいに話すのが無難なところだろう。
そして考えた通りに口に出すと当主は使用人を呼び出し、さっそく宴会の用意をさせ始めた。
宴会の支度が終わるまでの間、自分は客間に通され待つこととなった。
屋敷の外はもう暗く、今から新幹線に乗っても山梨支部へ帰ることは不可能。
当主の勧め通り、今夜はこの屋敷に泊まらざるを得ないだろう。
冊子のハニートラップの章にあったが、依頼主が連合員の実力を認め、一晩の宿を与えるときが最も危険なのだという。
そしてハニトラ要員の要求も『妻にしてください』から『妾でいいんです』になり『責任を取れとは言わないから種だけでも』とグレードダウンしていく。
そもそもこんな要求に応じる必要など一切ないのだが、何度も譲歩を繰り返されるうちに、意固地に拒否するこちらの方が悪者であるかのように感じてしまう者もいるとか。
そうなると直接的な子作りではなく、『婚約なら解消できるから』とか『恩人として今後も付き合いを』などと関係維持の方向へと舵を切ってくる。
生々しい話ではなく『知人・友人程度の間柄ならまあ良いか』と妥協してしまえば、何かあるたびに指名依頼を出されるようになり、ハニトラ要員のみならず当主やその家族までもが知人に含まれるようになってしまい、やがては『見捨てることのできない人たち』の仲間入りというわけだ。
ここまで来てしまえば結婚云々など関係なく、転生者の力を一族のために利用できる。
「ですが主さまにはわたくしという物がありますでしょう?」
寝転がっている自分を膝枕しているシキガミがこちらの考えを読み、赤い瞳で見下ろしながら自信ありげに言う。
そして自分も『当然だ』と断言する。
これほどに美しい使い魔がいるのに、なぜ打算満載で近寄って来る女と子作りしなければならないのか。
その要求を持ち出さなかったとて、一日程度の付き合いさえない仕事相手とわざわざ親交を結ぶ理由が無い。
どこぞのスナイパーではないが、依頼が完了したならもはや無関係の他人なのだ。
「ご休憩のところ失礼いたします。湯浴みの準備が整いましたのでご案内に参りました」
襖の外から家人の声がかかり、自分は身を起こす。
自分は立ち上がって襖を開けると着替えを詰めたバッグを手にし、シキガミを連れて客間を出た。
すると案内役の家人が言い辛そうに口を開く。
「その、使い魔とはいえ女性の方が共に入るというのは……」
「不埒な事には及びませんので、どうぞご安心くださいな。わたくしは主さまの従僕としてただ介助をするだけですので」
『背中を流すだけですよ』と主張して、自分と共に入浴しようとするシキガミ。
流石に功労者に明確な否は突き付けられないのか、自分たちは一緒に浴室へ案内された。
家人が去った後、自分はシキガミに背を向けて服を脱ぎ、バッグの中に入れる。
背後では彼女が脱衣をする衣擦れの音がしており、今振り向こうものなら見事な裸体が目にできるだろう。
だが他人の家で事に及ぶような無節操な人間にはなりたくないので、誘惑を耐えつつ彼女がタオルを巻くまで待つ。
そして『どうぞ』という声にそちらを向けば、胴体に白いバスタオルを巻きつけた美しい姿。
……いやまったく、彼女を伴って正解だった。
既に別の女が入っているならハニトラ要員も入り辛いだろうし、たとえ全裸で突入してきたとしても彼女の前では目にも留まるまい。
「主さま、わたくしに見惚れるのは後にして、今は身を清めてしまいましょう?」
ハッと我を取り戻した自分は『自制自制……』と脳内で繰り返すことで、どうにか汗を流せた。
「では功労者さまとガイア連合に乾杯!」
屋敷の広間に当主の声が響き、集まった地元組織の人々がそれに呼応し宴会は始まった。
当然ながら自分は上座に用意された席で、居心地悪く豪華な料理を口に運ぶ。
「さあさあどうぞ! お飲みになってください!」
自分は酒を飲めるまでまだ三週間ほどあるので、流石に徳利を持ってくる人はいない。
しかしその代わりとばかりに、茶やジュースの入ったビンを次々に注ぎに来ては、名を口にして自己紹介してくる。
正直、興味があるわけでもない他人の名前や顔など覚える気もないのだが、彼らは逆の立場でもちゃんと記憶できるのだろうか?
そんなことを考えていると、比較的若い人が自分の隣で吸い物を啜っているシキガミに目を向けた。
「いやー、それにしても本当に美しい方ですね。これが使い魔だというのは本当ですか? できるならば私も欲しい所ですよ」
シキガミを褒められて悪い気はしないが、最後のセリフで『お前にはやらん!』みたいな感情が少し湧いてきた。
彼女はその気持ちを読んだらしく、こちらにチラリと視線を向けフフッと笑う。
その様に彼女の近くにいる男性の幾人かが目を奪われたようだ。
自分は手にしていたコップの中身を一気に飲み干すと、空になったと見せつける。
すると彼女に見惚れていた男たちは、我に返ったようにまた注ぎに来た。
宴会も永遠に続くわけではなく、自分以外の酒を飲んだ人たちに酔いが回り、料理も無くなってくるとお開きということになる。
もうそろそろ就寝したいと家人に伝えると、客間まで連れて行ってくれた。
そして襖を開けば畳の上に敷かれた布団が二人分。
シェルターの自室の布団よりもはるかに寝心地が良さそうなふかふか具合が見ただけでわかる。
シキガミが「そろそろ眠りましょうか」と言い、自分もそれに同意するとそれぞれ持参の寝巻に着替えた。
そして薄明りを残して消灯すると布団に潜り込む。
肉体的にはそうでもないが、やはり精神が疲労していたのか、目を閉じるとスーッと意識が薄くなっていった。
「主さま、どなたかいらっしゃいましたわよ」というシキガミのささやく声で目が覚める。
部屋の中はまだ暗く、枕元のスマホに手を伸ばせば11:30頃。
何があったのかと布団を抜け出すと「失礼いたします、まだお目覚めでしょうか」と襖の外から声。
取っ手に手をかけて横に引くと、白い肌襦袢一枚で廊下に正座した一人の女性。
年頃としては20代の中頃ぐらいだろうか。
自分や他人のシキガミをよく見るせいで普通の美人の基準が怪しくなっているが、おそらくは美しい方だろう……。
と、ここまで思考を進めてようやくハニートラップと気が付いた。
とりあえず『急用でないなら朝にしてほしい』と何も分からないフリをして追い返そう。
「火急というわけではございませんが、今でなければならない要件なのです。率直に申しましょう、どうか私に一夜の情けと子種をいただけないでしょうか」
変に飾らず要求をストレートにぶつけてくる姿勢はある意味潔いが、自分は一晩の相手と子供を作る気などないのだ。
どう返したものかと黙って少し考えていると、シキガミも布団を抜け出してきて自分の横に立つ。
「あなたさまのその望みは、主さまにわたくしという存在がいると分かってのことでございますの?」
本妻がいるその前で子種を強請るなど、なんと恥知らずな所業だと非難するシキガミ。
目の前の女性を見下ろすその目は、薄暗がりの中でもひどく冷たいと分かる。
彼女を製作するとき自分は『お嬢さま口調で性格もそれっぽく』と注文したが、『慈悲深い、思いやりがある』とは明記しなかった。
なので製作者の解釈が入り込み、無関係でどうでもいい相手には、悪魔らしく冷酷さが出て来る性格となったのである。
「……っ! それでも、どうかお願い申し上げます……! 朝になったら全て忘れていただいて結構、産まれても父が誰かなど決して伝えませぬ。この地に住まう咎無き人々のために、英雄たるあなたさまの血を……!」
廊下の床に額をつけて懇願するその姿は同情を誘うものであり、話した内容は守るべき民衆のために己の体も生まれる子も差し出そうという、気高い覚悟ともとれる。
子作りしてやる気などさらさらないが、そこまでの覚悟があるなら地域防衛に少しぐらいは助力してやってもいいかもしれないと、全くは思わなくもない。
その言葉が嘘偽りない真実ならば、だが。
「『土下座してここまで言ってるんだから頷いてよね』『使い魔ほどじゃないけど、私だって悪くないはず』『子供ができたら分家内でウチの格は一気にトップ』『もし子供が当主の座を奪えたらあいつら全員ひれ伏させてやる』『血を引いた子供ならこいつも何だかんだで見捨てないでしょ』『無能だったとしても交渉のネタぐらいには使えるはず』……ええ、本当に大した覚悟でございますのね。わたくし感動してしまいましたわ」
感情が動くと書いて感動。良い意味でも悪い意味でも。
【読心】スキルを持つシキガミによって内心を暴かれた女性は、上げた顔を醜く歪めて彼女をにらみつける。
元々、戦闘中の意思疎通に使えないかと導入した【読心】だが、使うにはある程度意識を割かねばならず実用性はなかった。
なので日常の中で自分が言葉を発さずとも、彼女が察して動いてくれる程度の利用しかしていなかったのである。
だが、こういう場面で役に立つとは……。
「べ、別にいいじゃない! 種なんて減るものでもないでしょ! どうせ育てるのはこっちがやるんだから、あんたはただやり捨てりゃいいのよ! それにそいつは使い魔なんでしょ! しょせん人間じゃないんだから子供なんて産めゴグ」
自分は子供が欲しいわけではないし、シキガミが不妊であることを指摘されても腹は立たない。
だが子供が産めないというただ一点だけを理由に、人間より格下だと見下すような奴には少しばかり暴力を振るいたくもなる。
もっとも今回は自分が手を出す前に、その怒りを読んだ彼女が首をつかんで吊り上げてしまったのだが。
「主さま、いかがいたしましょう? こんな人間、一人ぐらい殺してしまっても良いとわたくし思いますの」
のど輪で吊り上げられた女はシキガミの腕を掴みどうにか逃れようともがくが、しょせんは未覚醒者でびくともしない。
このまま放っておけば窒息で死ぬし、彼女に命令すればすぐにでも首を折って始末するだろう。
だが苦しむ女の姿を見て少しは溜飲が下がった自分は、殺すまでのことは無いと考える。
それに初依頼で依頼主の身内とトラブルになり、家人を一人殺したなど仲間内でも決して良くは思われないだろう。
さらにその話が業界内に広まろうものなら、ガイア連合の評判に傷が付くのは間違いない。
『放してやれ』と思考すると彼女はパッと手を離し、廊下に落ちた女はのどに手を当てながらゲホゲホとせき込む。
自分は命の危機を十分に感じただろう女に『お前に子供を産める以外の価値があるのか』『それだけしかないなら、お前を選ぶ理由は全くない』と吐き捨てて襖を閉じた。
そして布団に戻り、今度こそ朝まで眠る……前にチョイチョイと彼女を手招きする。
「あら主さま、他人の家でわたくしを抱く気は無いのではございませんでした?」
つい今までの出来事など無かったかのようにシキガミは笑い、言葉とは裏腹に寝巻を脱ごうと上着のボタンに指をかける。
だが自分に事に及ぶつもりが無いのは変わっていない。
ただ同じ布団の中で一緒に寝てもらおうというだけだ。
彼女は少しだけ『あれ?』という顔をしたが、すぐに気を取り直すと自分の横へと潜り込んでくる。
互いの肩が触れ合い、体温が感じられる密着距離。
さっきの件でささくれ立った気持ちが落ち着いていくのを感じ、今度こそ自分は眠ることができた。
朝起きて普段着に着替えた自分は朝食をいただく前から当主に目通りを願った。
昨夜の女の件について苦情を申し立てるためだ。
別に黙ったままここを立ち去っても問題は無いのだが、一族の長として知っておいてもらいたかったのである。
やはり自分のことは最優先なのか、面会したいと家人に伝えると早速当主の間へと通された。
昨日と違い空色の和服をまとった当主は『いったい何の用件なのか?』と怪訝そうな顔。
しかし昨夜の件について話すとたちまち顔色を変えて『分家の者が大変な失礼をして申し訳ない!』と頭を下げて謝罪した。
本人は何も悪くないというのに、部下が粗相をすれば上役として頭を下げねばならない。
当主としての責任というのは自分が考える以上に重いんだろうなと思い、同情さえしてしまう。
……本当にあの女が勝手にやったことならば、だが。
自分はすぐ横のシキガミにチラリと視線を向ける。
すると彼女は『救いようがない』とでも言いたげな顔で首を横に振ってから口を開いた。
「今回の依頼、わたくしには大変な勉強となりましたわ。人間というものは目前の危機が消失すると、たちまちのうちに欲が湧いてくるものなのですのね」
どうやったのかは分からないが、企みがばれた。
シキガミの一言でそれを察したらしい当主は、頭を上げると弁解しようと口を開く……前に【ドルミナー】を使って眠らせた。
自分は立ち上がり、腰に悪そうな姿勢で眠りについた当主を見下ろすと内心で誓う。
『もう二度とここへは来ない』と。
襖を開いて当主の間を出ると、案内役もつけずに自分たちは客間へ戻る。
ときおり家人と遭遇すると『目的の場所があるならご案内します』と口をそろえて言うが、そいつらも【ドルミナー】で眠らせていく。
遠くの方では眠っている当主が発見されたのか、何やら慌ただしい音が聞こえてきたが、もはやどうでもいい。
そして客間へ到着すると持参した荷物を携帯し、家人の手は借りず自らの手で玄関扉を開けて出て行った。
朝早い時間に依頼主の元から引き上げたが、帰ってこれたのは午後の三時半を過ぎてからだった。
たった一泊二日だったというのに、見慣れた山梨支部の風景がひどく懐かしく感じられる。
自分は依頼の報告をするためにシキガミと連れ立って事務所への道を歩いていた。
『終わり良ければ全て良し』という言葉があるが、今回の自分はその反対で報告をするのが気が重い。
その気持ちを反映したかのように、空も行きの晴天と真逆などんよりとした曇り空だ。
今回の依頼、異界の平定は達成できたが、依頼主とトラブルを起こしてしまった。
あまりに不快だったからといって、依頼主やその関係者を全員魔法で眠らせて出ていくなど成功と言えるのか。
冊子にあったトラブル例に見事に当てはまっているように思える。
こんな顛末を受付で報告すれば、絶対にいい顔はされないだろう。
ネガティブな考えが次から次へ浮かび、自分は暗い空を見上げて重いため息を吐いた。
すぐ隣を歩くシキガミがそんな自分を見て励ましの言葉を口にする。
「そうも落ち込まないでくださいな、主さま。今回の件は不誠実な依頼主の側に大きな非があるとわたくしは思いますの。それを強調すれば、主さまが責められることはそうは無いと思いますわ」
彼女の言う通り、相手側の失点を押し出せば、これもやむを得なかったと納得してもらえるだろうか。そう願いたいものである。
しかし、いつもとは違った形でガイア連合に貢献しようと思ったのに、こんなことになるとは。
やはり慣れないことはしないで、異界潜り一本に絞るべきなのだろうか。
それともあと一度くらいは依頼を受けてみて、その結果で今後を決めるべきだろうか。
自分が仕事をすれば一緒に付き合うことになる彼女に『どう思う?』と意見を聞いてみる。
「どうぞ、主さまの望むままに。わたくしには否も応もございませんわ。ただ何処までも何時までも寄り添うだけですの」
美しいシキガミは『どこまでも付いて行く』という嬉しい言葉を放ってくれたが、結局は自分で決めろという意見だ。
まあ、そもそも今回の件で依頼を回してくれなくなったら、選択も何もなくなるわけだけど。
「ああもう、また気落ちしてきていますわよ主さま。もっと前向きに考えてくださいな。例えばこの報告を終えたら、わたくしとたっぷり楽しむとか」
若年男性のサガというかなんというか。
嫌な事のあとにご褒美が待っているとなると、ずいぶんと気持ちが軽くなる。
むしろさっさと済ませて、早く部屋でいちゃつこうという気になってきた。
「ええ、その意気ですわ主さま。早く仕事を片付けて、ゆっくりと疲れを癒しましょう」
シキガミはそう言うとこちらの左手を握って、先導するように少し前を歩く。
それにつられて自分の歩みも少し早くなった。