隻腕の狼、ダートに駆ける。【SEKIRO×ウマ娘】   作:hynobius

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 葦名グランプリのウイニングライブは、普段行われるそれとは幾分違う。交流重賞であるため、中央のライブに近い形……即ち、1位から3位までのウマ娘の共演となるのだ。流石に出走ウマ娘全員をバックダンサーとして出演させるほどの場所も準備もないが、いつもより豪勢なウイニングライブは、年に何回もないこの日の目玉であった。

 

 準備に走り回る職員と、場内に屯してライブの開演を待つ観客たちの熱気が生み出す浮ついたような雰囲気に反して、レッスンルームに集まった3人のウマ娘の間にはぎくしゃくとした空気が漂っていた。

 振り付けが合わない。

 オニカゲは上手いものだった。もとよりレース歴が長く、大舞台での入着も多く経験している彼女は、この日の振り付けもそつなくこなしている。問題はセキロとアグネスデジタル、この二人だった。

 セキロが複数人のウイニングライブに不慣れである、というのも勿論ある。だが、スパルタアイドルトレーナーと化した葦名弦一郎の尽力によって、最低限度のことはできるようになっているはずだった。最大の難点は、十分な経験——レース外の活動(オタ活)を含む——を積んでいるはずのアグネスデジタルが、セキロと全く息を合わせられずにぎこちない動きを繰り返しているところであった。

 セキロがフォローに回れば良いのだが、こちらもどこか上の空な様子で噛み合わない。二人を見ながら、オニカゲは大きく溜息を零した。

「一旦、休みとしよう。最後に1、2回通しでやる時間くらいは作れる」

 

 時間を貰ったアグネスデジタルは、控室で一人座り込んでいた。ドリンクを一口飲む。トレーナーに相談しに行こうかとも思ったが、どうもそういう気持ちにもなれない。上手くいかない理由は、自分でわかっていた。

 炎が見えたのは、ほんの一瞬だった。赤く燃え上がる、美しくて……悍ましい。そんな印象を与える炎。一目見て、心が恐怖に塗りつぶされた。集中は一瞬にして断ち切られ、失速し、届かなかった。何故ああも恐ろしかったのかは分からないが、アグネスデジタルはあの炎に意気を呑まれ……今も、引きずったままでいる。

 このままでいるわけにはいかない。ライブを疎かにするなど学園の恥と、トレセン学園生徒会長も言っていた。それに、レースは今回だけで終わりではない。次は、あれを乗り越えて勝たなければならないのだ。なら、戦いの場でもないのに怯えているわけにはいかない。

「……よしっ、頑張れあたし」

 ぴしゃりと軽く、自分の頬を叩く。そろそろ時間だ。

 

 レッスンルームに戻れば、セキロは先ほどと変わらぬ位置で立ち尽くしていた。ぼうっとしている彼女の左手を、アグネスデジタルはそっと握った。ひんやりと、硬い感触。レース前に触れたのと、何も変わらないそれに安堵する。少なくとも、今、恐ろしい炎の影はどこにも見当たらなかった。

「……なんだ」

「わひゃっ、いえあの何でもないんですけどというか急に失礼しましたっ」

 急に手に触れてくるという奇行を披露したデジタルに向けられている目は、純粋な困惑の色。大丈夫、怖くない。己に言い聞かせて、デジタルはセキロの瞳を見つめ返す。

「あの。ライブ、頑張りましょう!」

「……ああ」

 自分が、このステージを支えるのだ。デジタルは、そう心に定めた。

 

 結局のところライブの出来は、あまり上等なものとは言えなかった。デジタルは本調子を取り戻したものの、主役たるセキロはやはりどこか集中を欠いたまま。サイドの二人がフォローしてなんとか見られて恥ずかしくない程度に取り繕ったものの、見る人が見ればいま一つと言わざるを得ない。といっても、場内に詰めかけた観客のほとんどはレースの余韻に酔っており、パフォーマンスの巧拙などさほど気にしてはいない。葦名所属のウマ娘として初の交流重賞制覇だけあって、セキロに投げかけられる歓声は大きくなる一方であった。

 

 ふと、観客の中の一人がデジタルの目に留まった。まだ幼いその少年の瞳は、セキロただ一人に注がれている。それだけなら、周囲の群衆と同じだ。だが、その顔には熱狂でなく、焦燥のような色が滲んで見えた。何故、そんな顔をしているのか。デジタルには、それが人の群れの中でひどく浮いて見えた。ちらと、視線を注がれるセキロを垣間見る。相変わらず、何か別の物思いに囚われたその姿は、やはり少年に気が付いてはいない様子であった。

 

 

 

 その日の日程をすべて消化し終え、家へと戻る車の中で、狼はぐるぐると思考を巡らせていた。隣には、諸々を片付けるまで待っていた九郎が座っている。実のところ、狼はどうやってライブを乗り越えたか、定かに覚えていなかった。頭の中はずっと、堂々巡りする疑問に占拠され続けている。即ち、今日のレースの最後に起きた現象。あの声と、左腕に感じた熱は何なのか。何故、あの現象が起きたのか。思考に耽る狼の意識を、九郎の呟きが急に現実へと引き戻した。

「……なあ、セキロ。そなたは、何を目指して走っているのだ?」

 突然の問いに、聞こえぬよう密かに息を吞む。何故、そう問うてきたのか。果たして俯き加減の九郎の表情は窺い知れない。

「いや、よく考えればそなたの目標やらを聞いたためしがないと思ってな。どのレースに出るとか、日本一になるとか。何か、あるのであろう?」

「……勝ちたいレースなら、南部杯、でしょうか」

 真実など、口の端にも上せられるわけもなく。無理やり捻りだしたのは、直近の目標。他に言うべきものも思いつかなかったためだ。

「南部杯か。なら、もう少しだな!今日も凄かったし、きっと勝てるぞ。うむ!」

 弾んだ、だがどこかぎこちない声。狼が何も返せないでいると、九郎もそう言ったきり、何も続けてはこなかった。不自然な静寂は、車が家に辿り着くまで、解けることはなかった。

 

 

 

 翌朝。狼は普段よりも幾分早く床を抜け出したものの、特段やることもなく暇を持て余していた。弦一郎は昨晩も何かしら『ついで』の用事を片付けていたらしく、狼が起きている時間にはこの邸宅に戻らなかった。従って、広報だの次走の準備だのも何をやるかさっぱり分からない。加えて、普段であれば何かと構ってくる九郎も昨日はいやに静かであった。早々に夕飯と風呂、就寝前の柔軟を片付けてしまった狼は床につく他なく、その分早くに目が冴えてしまったのである。やるべき事を作っておかないと、途端に何をしてよいか分からなくなる。無趣味の弊害であった。

 

 とうに学び終えた教本の上に、読むでもなく目を滑らせる。何かしらを考えていなければ、昨夜のような思考に飲み込まれてしまいそうだった。いくらかの時間を無為に消費した後、ようやく狼の暇を崩す存在が現れた。弦一郎である。目元に疲労を色濃く刻んだまま、彼はこう告げた。

「お祖父様がお呼びだ。行くぞ」

「……一心様が」

 身なりを整えて、車に乗り込む。細い路地を抜けて幹線道路を走り、市内を横断する。辿り着いたのは、市街地のはずれにあたる地区に立つ邸宅であった。

「用向きは」

「知らぬ。だが大方、昨日のことであろう」

 

 門前でしばらく待つ狼の耳に、柔らかな足音が響く。ほど軽い、女性のもの。

「……何故、ここに」

 楚々とした雰囲気の服を身にまとう、嫋やかな妙齢の女性。朝日に照らされた懐かしい顔に、狼はかすかに目を細めた。

「お待ちしておりました、セキロ殿、弦一郎殿」

「……エマ殿」

 思わずこぼれた一言を、前世の薬師が拾い上げる。

「おや。一心様から聞いておられましたか」

「……ああ」

 彼女の言葉を、誤魔化すように首肯する。そうですか、と小さく呟いて、エマはすぐにまた口を開いた。

「一心様の名前でお呼びしましたが……実のところ、用件は私のものなのです、セキロ殿」

 エマの身に纏う空気が冷たく、鋭くなる。揃って眉間の皴を深める二人に、彼女は言葉を続けた。

「話すべきことがあります。貴方の左腕に宿る、その――」

 す、と白い指が、狼の左腕を指す。

 

「――怨嗟の炎について」

 

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