隻腕の狼、ダートに駆ける。【SEKIRO×ウマ娘】 作:hynobius
「まずはこちらに。長い話になりましょう」
そう言って、エマは邸宅の一室へと二人を案内した。まだ温まり切っていない部屋の空気の中で、しばらく待つ。ややあって、茶盆を持って現れた彼女は二人の前に湯呑を勧めた。
「お待たせしました。どうぞ」
「かたじけない」
「……」
短く例を告げて暖かく、だが熱すぎない茶――無論
「今日は何用だ」
斬りつけるような不躾な投げかけを、エマは柔らかく躱す。
「その前に、まず改めてセキロ殿には紹介を。私はエマ、市民病院に勤める理学療法士です」
理学療法士。確か、怪我や疾患からのリハビリテーションを専門とする医療職であったか、と狼は記憶の底から引っ張り出す。薬師とは、些か趣が違って聞こえる職だ。今世では、竜咳が蔓延することがなかったためであろうか。それでもなお人を癒す道を選んでいるのが、変わらぬといえば変わらぬところなのかもしれない。
「一心様には、義父、義姉共々幼少のみぎりよりお世話になっております。その縁で、一心様が臥せられてからはお手伝いなども。そして、今日お呼びした理由……その左腕を作った人の、義娘でもあります」
「……成程」
道玄、と言ったか。エマの義父であり、忍び義手の作者の名は、前世でも一心や仏師からこぼれ聞くものであった。一心との関わりも含め、その辺りは大きく変わっていないようだ。
一方で問いを遮られた形の弦一郎は、焦れた様子でエマに答えを強請る。
「怨嗟の炎、と言ったか。なんだ、それは」
「詳しいことは、分かっておりません。ただ、それの前の持ち主が、そう呼んでおりました。レースの中で燃え上がり、己を焼くのだと」
怪訝な表情を浮かべる弦一郎と違い、狼には心当たりがあった。かつて大手門の広場で対峙した、怨嗟の鬼。そして、その宿主となった、寡黙な仏師のことを思い出す。今世でも、この義手の主であったのだろう。レースの中で、ということは、彼もまたウマ娘として生きているのだろうか。
そっと、義手を右手で確かめる。かつて着けていたものとよく似た、固い感触。それを感じながら、狼は思い返していた。十年近く前、この腕を与えられた時のことを。
セキロの左腕は、生まれ落ちた時から欠けていたらしい。前世では斬り落とされたことを考えればやや奇妙ではあるが、狼は特段に不思議とは感じていない。それがないことにはとうに慣れ切っていたし、それが正しい因業であろうとも感じる。だが、狼以外がそれをどう受け止めるかは別の話だ。存在したはずの両親が彼女を棄てたのは、それも一つの要因であったかもしれなかった。あるいは、ただ茫として何事もしようとしない狼の様子を不気味がったのか。真実がどうであれ、狼の掠れた記憶では辿りようもないことだ。
ともあれ。狼にとって二度目の人生が動き出したのは、生まれ落ちた時でも、二親に手放された時でもなく。灰色の髪を蓄えたウマ娘に見出された、あの瞬間だった。
二十歳過ぎ程度の若々しい姿に、やや大柄とはいえ前世とは比べ物にならない細身の体。共通点といえばその豊かな髪程度である。それでも、時間で言えば最も長くを共にした義父と気付くのに、狼はさほどの時間を要しなかった。梟はただ立ち尽くしていたセキロを暫しの間つまらなそうに見下ろしたのち、何も言わずに連れ帰った。寝床を与え、食事を与え。そうして与えられたうちの一つが、この左腕であった。梟が走りを教えはじめたのは、幼いセキロがやや不釣り合いに大きいそれを着けてからであった。
かつての忍び義手と比べると、この義手は現代らしく素材に
葦名を焼く、一面の炎。それしか見えぬ、と仏師は言った。彼から受け継いだ、前世とよく似て、だが異なる左腕。これには、今もその炎が降り積もっているのであろうか。ひやりとしたその表面を右手の指先でなぞりながら、狼は目を伏せた。
そんな狼を他所に、弦一郎は淡々と問いを続ける。その内容は実にトレーナーらしく、現象を理解し対策を練ろうとするものだ。
「それで。その炎は、何をもたらす。何が不都合だ」
「勝利の鍔際。ゴールを目前として、強敵と渡り合う、その時に……狂うのだと、聞いております。己の脚を壊すことも、他者を害することも厭わなくなる。ただ、勝利することしか考えられぬのだと」
「……そうか」
面の皴をさらに深くして、弦一郎は考え込む。ここまでに伝えられた情報は最悪の一言に尽きる。己の脚を壊す、というのは言わずもがな、他者を害するというのも恐ろしい。違反行為であるのは勿論のこと、高速で走るウマ娘の競走中の接触は彼我ともに危険を伴う。起こったが最後、その競走どころかその後の生すらどうなるかわからない。狼は胸の冷たくなるような感覚を覚える。だとすれば、仏師は。
「前の持ち主というのは、どうなった」
「命ばかりは、取り留めました。ですがもう、走ることは」
「……そうか」
エマの昏い面持ちが、狼にも伝染する。想像の最悪こそ外れたものの、十分に残酷な結末であった。まして、それが自分にも降りかかりうるものと考えれば。
背筋を正して、エマが口を開く。いつぞや、竜咳の調べを頼まれた時と同じ。固い岩の下に、滾る熱を押し込めたような声。
「セキロ殿。貴女は、何を見ましたか。私は、その炎を知りたい。知って、もう二度と誰も、吞まれぬようにしたいのです」
「……目には、何も。左腕には、熱を感じた。それに……声が、聴こえた」
「声は、何と」
エマの問いを受けて思い返す。あの時、何と言っていたか。
「先ずは、『何故』と。切札を使え、勝て、と。そう聴こえた」
「切札、ですか」
狼の視線が、弦一郎に向かう。自分の手の内を、果たして明かしてよいものか。弦一郎は渋い顔をしながらも首肯し、口を開いた。
「最後、一つだけ残していた技がある。脚に響く故、自重させていた」
「そうですか。……セキロ殿は、それを使いそうになった。ということですね」
頷く。
「あのままであれば、恐らく使っていた」
アグネスデジタルの失速。あれがなければ、負荷など顧みずに使っていたはずだ。思い返して理解できる、恐ろしい現象。己を己が制御できない恐怖は、狼にとっても未知であった。
「次は、南部杯の予定でしたね」
ぽつり、とエマがこぼした。
「走るな、と言える立場ではありません。ただ、私の個人的な気持で言うならば……貴女には、二度と走ってほしくはない。あの炎を見たくはないのです」
かすかな震えは、畏れによるものであろうか。そんなエマの言葉を、弦一郎は顔を歪めてにべも無く切り捨てる。
「それは無理な相談だ。俺にも為すべきことがある」
それでよいのか、と投げられたエマの視線に、狼も軽く頷く。もとより、弦一郎がそうと定めたなら、狼に拒める道理もないのだ。
「ですが、それでは」
「ならば貴様も力を貸せ。あれが起こる条件を詰める」
反駁しようとしたエマの出鼻を挫くように、弦一郎は言葉を重ねる。意外な要求に、エマの眼は綺麗な丸を描いた。どのような異端の力であれ、従えてみせる。そう語ったあの時から、弦一郎の心は何も変わらない。知っているならば利用するまでのこと。
「怨嗟の炎を呼ぶことなく、走る術を探る。使える時間は多くないぞ」